もしもベル・クラネルがフレイヤ・ファミリアに入ったら   作:人工衛星

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贄の兎 16

 

 

 がやがやと、朝のギルド本部は喧騒に包まれていた。

 朝から正午にかけてギルドのロビーは冒険者達の出入りが激しい。

 ギルドにはダンジョン内外の情報が集められている。商業、職人派閥からの冒険依頼(クエスト)情報から、他派閥の勢力状況や、ダンジョンで起きた大小問わずの変動や異常など、冒険者にとって値千金の、あるいは命運を左右する重要な情報だ。

 それらの情報収集に冒険者達は抜かりが無い。

 故に、朝のギルド内部は毎日の様に慌ただしい雰囲気に包まれる。

 しかし、その慌ただしさは今日に限って毛色を変えていた。

 

「うわー。冒険者の人達、今日は一段と押し寄せちゃってるね」

「こら。職務中。話しかけてこない」

 

 丁度受付前の冒険者達の列が途切れた頃、窓口に座っているエイナに同僚のミイシャが隣から話しかけて来た。

 

「原因はやっぱりアレだよね。9階層にミノタウロスが出たって話」

「……うん、そうみたい」

 

 三日前、Lv1の冒険者達の目の色を変えさせる情報が出回った。

 遠征中である【ロキ・ファミリア】が偶然遭遇したという異常(イレギュラー)、『ミノタウロスの上層進出』である。

 本来なら『中層』の15階層で出現するはずのミノタウロスが『上層』の9階層に現れたという報告に、オラリオの過半数に及ぶ下級冒険者達は震えあがった。

 モンスターが階層間を移動するのは、そこまで珍しくはない。しかし、ソレが6階層分もの大進出をした事実は異常さを際立たせる。

 特に、ミノタウロスの上層出現が今回が初めてではない、と言う事が大きい。

 既に件の怪物は討伐されているのだが、不安を拭いきれぬ者達の、ギルドに詳細を求める声が今日まで後を絶たない。

 二度に渡るモンスターの階層間の大移動。

 『怪物祭』のモンスター脱走を始めとする騒動。

 近くあった一柱の神の突然の送還。

 

 しばらく平穏だったオラリオの目を覚ますように、立て続けに起こる事件の数々にギルドは情報収集と事態の鎮静化に日夜追われていた。

 

「あっ、そうだ。ミノタウロスと言えばさ、例の。エイナのお気に入りの冒険者君とは最近どうなの?」

「お気に入りって、変な事言わないでよ。彼は私の担当冒険者で、私は彼の担当アドバイザー。それだけなんだから」

「えぇ~? でもでも、あの子って報告書によるともう七階層まで進出してるんでしょ? たった一か月半でそこまで探索を進められるって相当すごいよ。何より、所属してるファミリアが『アソコ』でしょ? 今から唾つけといて損はないと思うんだけどなぁ」

「唾って、あのねぇ……」

 

 ミイシャの冗談交じりのからかいを受けたエイナは頭が痛い、と言わんばかりにこめかみに手を当てる。

 

「これなら例の()()もこっちが勝てるかもねぇ~南区の高級レストラン、今から予約しておこうかな……っと、噂をすればってやつかな?」

「!」

 

 友人の不謹慎な発言に眉を潜めかけたエイナは続いた言葉にはっと顔を上げた。

 見れば、見慣れた白い髪の少年が冒険者の人垣を避けながら窓口であるこちらに向かって来ていた。

 

(良かった。無事だったんだ……)

 

 彼が最後にエイナの訪れてから一週間以上音沙汰が無かった事から、エイナはひそかに心配していたのだ。

 たった数日である事から杞憂に過ぎないと頭でわかっていても、実際にこの目で元気な姿を確認出来た事の安堵が、温かな熱と共にエイナの胸の内に湧き上がっていた。

 

「あれれ、今日はなんだか一段と機嫌良さそうだね、あの子?」

「みたいね……まったく、もう」

 

 こっちの気も知らないで。と飼い主を発見した兎の様にぴょこぴょこと飛び跳ねる様に嬉々とした様子で近づいてくる少年の姿に、エイナは困ったように、しかしそれよりも安心したように小さく笑みを浮かべてしまう。

 

「おはようございます、エイナさん!」

「おはよう、ベル君。久しぶりだね……今日は、何かいいことでもあったのかな?」

「わ、わかりますか?」

「そんな顔してちゃ、誰でも分かっちゃうよ?」

「え、えへへ、実はですね……」

 

 湧き上がる気持ちを隠せていない、緩みっぱなしの頬に手を当てるベルに、エイナは苦笑を浮かべる。

 褒めて褒めてと言わんばかりに紅玉(ルベライト)の瞳を輝かせるベルを、実の弟を見る様に穏やかな気持ちで「話してごらん?」と促してみれば、ベルは心底嬉しそうに笑顔を浮かべる。

 二人の様子を横で見ていたミイシャも浮かべそうになる笑みを噛み殺し、山積みになった書類を抱えてその場を離れようと立ち上がる。

 

「僕、とうとうLV2になったんです!」

 

 その、少年の言葉を聞いた直後。ミイシャは書類の山を腕から落し、エイナは固まった。

 やがて、錆びたブリキ細工のようにゆっくり首を(かし)げたエイナに、ベルへ質疑応答が交わされる。

 

「…………ベル君、冒険者になったのいつ?」

「一か月半前です!」

 

 書類を落した姿勢のまま固まるミイシャ。

 小首を(かたむ)けたまま固まるエイナ。

 褒めてもらえる事を今か今かと待ち受け、その場から動かないベル。

 三体の石像によって構成される光景は、周りの冒険者やギルド職員の視線を集めるに十分すぎる怪訝さを持っていた。

 やがて、エイナがギシリと音を立てて動き出し――椅子から腰を上げて、叫んだ。

 

 

「一か月半で、レベルツゥ~~~~~~~~~~~~っ!?」

 

 

 爆発したかのようなエイナの叫びはギルド内に響き渡り、その場にいた者全てを振り向かせ、目前にいたベルを仰け反らせた。

 

「レストラン、予約しておこうかな……」

 

 叫んだエイナとその原因のベルに周りから驚愕と奇異の視線が集中する中、ようやく硬直から解放されたミイシャがポツリと呟きを落した。

 

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 

 エイナさんから個人情報漏洩について謝られた後、相談を終えてギルドから出た僕は、返す足でホームに戻ってきていた。

 これから、女神様に【ランクアップ】して貰うのだ。

 

「あっ、おはようリリ!」

 

 神室へと向かう途中、栗色の髪の少女を目にした僕は声をかけた。

 声を掛けられた少女――リリは神と同じ栗色の瞳を大きく見開いた後、ゆっくりとこちらに背を向けた。

 

「あれ?」

 

 と、僕が声を漏らすと同時に、リリは脱兎の勢いで逃げ出した。

 ――なんでぇ!?

 突然逃げ出された衝撃(ショック)に硬直しかけるが、すぐに気を取り直して彼女の背を追った。

 幸い、ステータス差によってすぐに追いつくことが出来た僕は、咄嗟に彼女の手を掴んで止める。

 

「な、なんで逃げるのリリ!?」

「離してくださいベル様! リリにはベル様の近くにいる資格がないんです!」

「資格って……と、とにかく落ち着いて? 話をしよう、リリ」

 

 逃げ出そうと暴れるリリを宥めながら、丁度近くに差しがかっていたため自室にリリと共に入る。

 【力】の差から振りほどけないと諦めたのか、ベッドの上に腰を下ろして大人しくなったリリに話を聞くと、彼女は九階層で僕を置いて逃げた事を悔やんでいることを知る。

 

「それは、仕方ないよ。あの時の僕はリリを守りながら戦えるほどの余裕なんてなかったし。例え二人で逃げたとしても追いつかれてた。あの時はアレが一番いい手だと思ったんだ」

「それでも! それでも、リリがベル様を置いて逃げた事に変わりはありません。リリは恩を仇で返す、最低のパルゥムです……」

「そんな事言わないでよ。僕はいつもリリに助けてもらってるよ。恩とか、そんなの考えなくてもいいんだ。僕もリリも今、ちゃんと生きてるそれでいいじゃないか」

「違うんです、ベル様……リリにはもう、ベル様の近くにいる資格は無いのです。リリはベル様の側に居ちゃいけない……」

 

 ふるふると、下に向けた顔を横に振るリリの言葉に、僕は胸を締め付けられる感覚を覚えた。

 

「資格なんて、いらないよ。リリ、そんな悲しいこと言わないでよ」

「でも、でも……」

「……あのさ、実は僕リリのこと妹みたいだなって思ってるんだ」

「ベル、さま? なにを」

「僕、家族がおじいちゃんだけで兄弟とかいなかったから、リリのこと、妹が居たらこんな感じなのかなって」

「……」

「リリと一緒にいられて、ダンジョンに潜ってるときも、ホームでお喋りいている時も、僕楽しいんだ」

 

 一月前に出会ったばかりの女の子に向かって妹みたいに思ってるだなんて、我ながら変な事言ってる自覚はあるけれど、ダンジョンの中で、共に命を預け合った仲に時間なんて関係ないとも思ってる。

 何より、酒場の中で、ホームの中で、そしてダンジョンの中で笑い合えるこの関係に何の間違いもないって、僕は心から言い切ることが出来る。

 

「だから、リリと一緒にいたいんだ。僕とリリは同じ【家族(ファミリア)】でしょ?」

 

 見上げるリリの栗色の瞳が、僕が笑みと共に言った言葉に見開かれたのを見た。

 その眼が潤み、更に水気が貯まっていくところも。

 

「リリは……盗人で、薄汚い……最低のパルゥムです。ベル様から受けた恩を返すこともできず……酷いことをベル様にしました」

「リリ……」

「でも、リリは、リリは……ベル様と一緒にいたい、です」

「……うん」

「そんな図々しくて、恥知らずなリリです。でも、それでもリリはベル様とまだ一緒にいたいです」

「うん」

「リリはっ、ベル様と離れたくない! でもっ――」

「いいよ」

「っ!」

「僕も、リリとまだ一緒にいたい。リリがいないと寂しいよ」

 

 その一言が決め手になったのか、リリの目に溜まっていた涙が決壊した。

 ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ、隣に座る僕にリリの小さな両手がしがみつく様に僕の腰を掴んだ。

 

「ごめんなさい、ごめんなさいベル様!」

「いいよ、リリ。お互い生きてて良かったよ」

「違うんです、ベル様っ! リリは――」

「あっそうだ。言うの忘れてた。リリ、ありがとう」

「……は? 何を、ベル様」

「リリがくれたお守り――魔剣があったおかげで僕はミノタウロスに勝てたんだ。だから、ありがとう、リリ」

 

 縋り付くようなリリに、僕は小さな子にする様にその頭を撫でながら、窮地を救ってくれたリリの魔剣の事を話した。

 

「せっかく渡してくれたのに、無茶な使い方しちゃったせいで壊れたのには謝らないと――って、うわっ!?」

「うわぁぁあああああっ、ベルさまぁぁあああああっっ!」

 

 涙を流しながら謝り続けるリリに僕は、困ったなぁなんて苦笑を浮かべながら、彼女を優しく抱きながら頭を撫でる。

 彼女が泣き疲れて寝てしまうまで、僕はずっと彼女の頭を撫で続けていた。

 

 

 

 

 

  * * * *

 

 

 

 

「ただいま戻りました、フレイヤ様!」

 

 僕は泣き疲れて眠ってしまったリリを自室の寝台の上に寝かしたまま女神様のいる神室の扉の前で声を上げた。

 間を置かず入室の許可を貰って中に入ると、椅子に座りながら本を読んでいる女神様が顔を上げ、にこりと笑顔を浮かべる。

 

「お帰りなさい、ベル。今からお茶を用意するから、そこに座りなさい?」

「えっ、そんな、別にいいですよ」

「ふふ、だぁめ。まずは落ち着いて、私と少しお話しましょ?」

 

 部屋に入ると直ぐに、勧められるままに女神様と対面する椅子に腰を下ろす。

 それを見届けた女神様が神室に繋がる小部屋に向かわれてからしばらくして、両手で持ったお盆に二つのカップを乗せた女神様が戻って来る。

 

「おまたせ。これは最近手に入った珍しいお茶でね? とても美味しいから貴方にも飲んでもらいたかったの」

「あ、ありがとうございます。戴きます」

 

 女神様からお茶の入ったカップを受け取ると、ふわりと、花の様に甘い、初めて嗅ぐ匂いが鼻に届いた。。

 受け取ったカップの中には淡いピンクの花びらが浮かんだ紅いお茶が淹れられていて、口に含むと甘い香りが口と鼻の中いっぱいに広がり、喉を通った後に少しの渋みと仄かな甘みが余韻として後に残る。

 

「……美味しい、です。それに何か、体がポカポカしてきますね」

「そう? 喜んでもらえて良かったわ」

 

 僕の感想に嬉しそうに微笑む女神様も自分のお茶を飲むと「美味し」と小さく呟いた。

 そうして、二人共カップの中のお茶が無くなるまで、ほとんど喋ることなく、落ち着いた雰囲気の中、【ランクアップ】の報を聞いてから僕の中にくすぶり続けていた(はや)る気持ちが落ち着いていくのを感じていた。

 

 やがて、カップが乾ききった後、女神様が口を開く。

 

 

「それで、決まったの? あなたの選ぶアビリティは」

 

 アビリティ、正確には『発展アビリティ』とは恩恵(ファルナ)の付与時に発現する『力』『耐久』『器用』『敏捷』『魔力』からなる『基本アビリティ』とは異なり、【ランクアップ】時にのみ【ステイタス】に追加される()()()がある特殊な能力のことだ。

 この『発展アビリティ』の発現は【スキル】と少し似ていて、対象者の行動をもとにした【経験値《エクセリア》】に反映される。

 特筆すべき【経験値《エクセリア》】が無ければ、たとえ【ランクアップ】しても『発展アビリティ』は発現せず、逆に相応の【経験値《エクセリア》】があれば候補として複数の『発展アビリティ』が発現することもある。

 しかし、候補の『発展アビリティ』が複数発現したとしても、新たに【ステイタス】上に追加できるのは一つだけ。発現はあくまで任意なのだ。

 そして僕が【ランクアップ】時に選択できる『発展アビリティ』の数は三つ。

 

「はい。僕は『幸運』のアビリティにします」

「本当にいいの? 状態異常になりにくくなる『耐異常』は便利だし、戦った事のあるモンスターとの戦闘中、能力が強化される『狩人』なんかも人気が高くていいアビリティよ?」

「……確かに『狩人』とか恰好良くて迷いましたけど、でも決めました。僕は『幸運』がいいです。って言うか、フレイヤ様だって『幸運』がいいって僕に勧めてたじゃないですか」

「ふふっ、そうだったわね。それじゃあ、早速しましょうか。貴方の【ランクアップ】」

 

 すごくきれいな笑顔を見せる女神様に、僕は緊張した面持ちで頷きを返した。

 いつもの様に、上着を脱いで大きな寝台の上に上がり、うつ伏せになった僕の横に女神様が腰を下ろす。

 そして、【ステイタス】の更新が始まった。

 

 女神様の細い指先が僕の背中の上を滑っていく。

 いつもなら、半裸の状態で綺麗な女のヒトに肌を触られるって状況に胸がドキドキして落ち着かなかったけれど、今は違う意味でドキドキしてしまう。

 

 ……レベル2に、なるんだ。

 

 心臓の鼓動が、耳の奥に響く。

 先程までの小さなお茶会で落ち着いていた胸の奥が再び騒ぎ出していた。

 今にも走り出したくなるくらい、気持ちが高ぶって仕方がない。

 憧憬(あこがれ)のオッタルさんはまだまだずっと先にいて、これはまだ通過点でしかないのに、それでも目に見える前進(レベルアップ)に喜びを抑えられそうになかった。

 頭は真っ白で、胸には焦燥感に似た期待が溢れて止まらない。

 ドキドキ、ハラハラ、ウズウズと、言葉にし辛い感覚を押さえつけるのに必死になっていると、ようやくその瞬間は訪れた。

 

「終ったわよ」

「!」

 

 女神様の手が止まる。次いで頭の上から落ちて来た言葉に体を起こそうとして――女神様に止められた。

 

「……あの、フレイヤ様? なんで僕の頭を抑えてるんですか?」

「ふふ」

 

 ぽん、と僕の頭の上に軽く置かれた手。

 ただ置かれているだけで体重の一欠けらもかけられてなんかいないけれど、大恩ある女神様の手を振り払う事なんて出来ない為、体を動かすことが出来ない。

 

「これで貴方はLV2……このオラリオでも有数の上級冒険者の仲間入りね」

「は、はぁ……」

「普通なら、こういう時は色々と感慨深く思うのだろうけど、貴方の場合そんなの感じる暇もなかったわね。だって貴方、【ランクアップ】が早過ぎるもの」

「え、えっと……そうなんですか?」

「そうよ。でも、そうね……あの日、たまたま街で見かけた貴方を見初めてから、今日まで色んなことがあったから、ちょっとは浸れる想いをあるかも?」

 

 下に向けていた顔をずらして横に向けると、凄く優しそうな眼をした女神様が僕を見下ろしていた。

 そのまま、女神様は僕の髪を撫でる。

 

「よく頑張ったわね、ベル」

「っ!」

「辛い時も、怖い時も、寂しい時も、貴方が折れず、曲がらず、耐えてきたのを私はずっと見ていたわ。偉いわね、ベル。貴方が積み上げてきたことは、貴方が成したことは誰にでもできる事じゃない。自分を誇りなさい」

「フレイヤ、様……」

 

 鼻の奥がツンとする。瞼の裏が熱い。

 胸の奥が、とても、とても温かいモノでいっぱいになっていく。

 まるで子供にする様に、僕を撫でる女神様の手はどこまでも優しく、髪の一本一本まで(いつく)しんでいく。

 ギシリと、寝台が軋みを立てる。

 僕の腰近くに座っていた女神様が、僕に覆いかぶさる様に体を動かしたのだ。

 顔のすぐ横に置いていた手の上に、髪を撫でる手とは別の手が重ねられる。

 

「私も誇らしいわ。貴方はわたしの自慢の眷属()よ、ベル」

 

 ぽろり、ぽろりと涙が溢れだした。

 喉の奥が引き攣って、声が出せなかった。

 頭を撫でつける手が、指と指に絡められた手が、こんなにも優しさを感じさせてくれるのを僕は知らなかった。

 温かくて、優しくて、心地よくて、何故か涙が止められそうにない。

 村で暮らしている時におじいちゃんが撫でてくれた時とはまた別の感覚。

 会ったこともない誰か(おかあさん)の影を、今僕はフレイヤ様に重ねてしまっていた。

 

「ひっく、ひっく……ぐすっ」

「貴方の魂に淀みはもうない。掛けられていた枷を自ら外し、貴方は一段と強く輝いた」

 

 おじいちゃんとの突然の別れからずっと、欠けていた何かがようやく埋まったのを今僕は確かに感じた。

 ずっと、ずっと欲しかったものを、女神様から与えて貰えたんだ。

 

 きっと、ファミリアの人達は皆このヒトからこれを与えて貰ったんだろう。

 だからこの人の為に強くなろうとする。

 このヒトの役に立とうと努力を積み上げていくんだろう。

 今ならわかる。ようやく、僕にも分かった。

 このヒトから与えて貰った『愛』に応えたいって、もっと、このヒトの『愛』が欲しいって。

 自分が強くなりたいから。だけじゃなく。

 このヒトの為に、強くなりたい。

 

 

「フレイヤ様」

「なぁに?」

「僕、もっと強くなりたいです。……いや、強くなります」

 

 きっと、これが僕が本当にフレイヤ様の眷属になった瞬間。

 【フレイヤ・ファミリア】のベル・クラネルに、僕はなったんだ。

 

 憧憬は変わらず僕の背を熱く燃やし、前へ押し出そうとしている。

 そして、それと同じくらい、僕の胸に女神様の愛が温かく満たして。僕はもっと強くなりたいって、そう思わせてくれる。

 今よりももっと強く。今よりも一歩先へ。今よりも少しでも高みへ。

 

 僕は。

 

 強くなりたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「僕、今からダンジョンに行ってきます。………だからフレイヤ様、手を離して貰ってもいいですか?」

 

 熱を帯びる背と胸に、今にも飛び出しそうな衝動を抑えてそう言ったけれど、頭と手に触れる女神様の手は離れることは無かった。

 

「ねぇベル? 貴方はとても頑張ったわ。そして――頑張った子にはご褒美を上げないといけないわよね?」

 

 ギシリッ、と。再び、そして先程よりも大きく寝台が鳴った。

 

「えっ、えっ、あの、ちょっと!?」

 

 いつの間にか、そう、いつのまにか僕は仰向けになって女神様に見上げていた。

 

(さっきまでうつ伏せだったのに!? 何されたのか全く分からなかった!)

 

 恩恵によって強化された身体能力に伴って、常人を遥かに超える動体視力や反射神経でも感知できない早業。

 触れられたのも分からない優しい力で、けれどいとも容易(たやす)く。

 こちらを見下ろす女神様の長い銀の髪が、カーテンの様に僕と女神様の顔を閉じ込める。

 花畑の中だと錯覚するほどの甘い香りが鼻孔を支配して、頭がクラクラする。

 

「な、なにをっ!?」

「言ったでしょう? ご褒美だって」

 

 剥き出しなままの僕の胸からお腹までを、女神様の白い手が優しく撫で下ろしていく。

 ぞぞぞっと、悪寒にも似た、しかし嫌いになれそうにない痺れが背筋を走る。

 

「……いいえ、私がもう我慢できなくなっただけね」

「ま、待ってくださいフレイヤ様!?」

「いやよ」

「いやって……なんで、こんなことを!?」

「私が美と愛の女神(フレイヤ)だからよ」

「け、眷属の関係性は親と子のそれに似ているって僕、ギルドのアドバイザーの人から聞いてて、だから、これっておかしい事だと思うんですけど!?」

神々(わたしたち)の間じゃ近親相(ピー)は珍しいことじゃないわ」

「えっ、ちょっ、こんな急に……心の準備とかっ、体清めてないですしっ」

「フフ……」

 

 全身の肌を蹂躙していく女神様の手に頭が茹で上がる。

 いつの間にか、下に佩いていたズボンは取り払われ、

 両手に絡まる指は、どんな拘束具よりも腕を縛り、

 真っ白い肌と、紫の瞳が視界一杯に広がって、

 桃色の唇が、ゆっくりと振り落ちてくる。

 

 

「愛しているわ――私のベル」

 

 

 僕はこの後、巨大な《竜》に捕食される『夢』を見た。

 

 

 

「あぁー――――――――――――――――――――――――ッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 










「おい、今日で何日経った」
「三日目だな」
「チッ、長すぎるだろ。いい加減あの方を誰か止めて来いよ」
「黙れ、クソ猫」
「お前ごときが我らに指図するな」
「あのお方の楽しみを邪魔する事は許されない」
「男の嫉妬は醜いぞ」
「んだと!? 群れるしかできねぇ小人共が!」
「ク、クク……我らが(こしら)えし彼の兎はあの方に相応しい神饌へと昇華した。神聖なる晩餐の時は、何人たりとも妨げるは事許されぬ」
「黙れカス」
「喋るな役立たず」
「女神の面汚しめ」
「ちね」
「…………ぅう」
「とにかく、もう三日だぞ。ずっと部屋ン中にこもったままだ。流石に異常だろうが」
「あの方は一週間程前に運び屋(ヘルメス)から大量の精力剤を取り寄せている。そしてあの方は『愛の神』だ」
「…………いや、死ぬだろ」
「そう思うならお前が止めてこい。我等は手を出さぬ」
「つうか、邪魔したら代わりに俺らが喰われる」
「抜き取られる」
「搾り取られる」
「マジで死ぬ」
「クククッ、贄となったのだ。我が主神が秘めし欲望……その贄とな」
「「「「「だから黙れ、クソ根暗」」」」」
「み、みんなして言うことないじゃんかぁ……」


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