「羽依里さん! うみさん! 朝ですよー!」
「おはようだぜ!」
……朝。今日も早朝の加藤家に夏海ちゃんと識の声が響きわたる。
「ああ、おはよう。二人とも」
俺は上半身を起こし、開け放たれた襖の向こうから差し込む朝日に目を細めながら二人に挨拶を返す。
「今日は夏海先輩が漬物を持ってきてくれたぜ!」
「漬物?」と言葉を返しつつ夏海ちゃんの手元を見ると、彼女はタッパーを持っていた。
「はい! いつも野菜だけだと悪いので、今日は大根の漬物を持ってきました!」
「え、もしかして鏡子さんのお手製?」
俺は思わず表情を引きつらせる。布団の上だけど、心なしか後ずさってしまった気もする。
「いえ、私が漬けたので大丈夫です! 安心してください!」
笑顔でそう言って、ずいっ、とタッパーを差し出してきた。夏海ちゃん、漬物作れるんだと感心しつつ、俺も起き上がって漬物を受け取った。
鏡子さんや俺を含め、加藤家の人間には料理ができない呪いがかかっている。鏡子さんの姪にあたる夏海ちゃんも当然、その呪いの影響下にあるはずなんだけど、彼女の場合はそれなりに料理ができる。それこそ、チャーハンへの情熱が加藤家の呪いを跳ね返しているとしか思えなかった。
「ありがとう。おいしそうだね」
「えへへ……味の方はあまり自信ないですけど」と、はにかみながら言う夏海ちゃんにお礼を言って、蓋を少しだけ開けて中を確認する。既にカットしてくれているみたいで、規則正しく並んだ白い大根と、独特な香りが鼻をつく。
「チャーハンに使えばきっと美味しい漬物チャーハンができると思います!」
「はは、そうだね。久しぶりに夏海ちゃんのチャーハン食べたいかな」
「そうですか? じゃあ、しろはさんに聞いてみます!」
「え?」
言うが早いか、俺の手からタッパーをひったくると、ぱたぱたと台所へ走っていった。思わず口から出てしまったけど、これは朝からチャーハンになる流れかな。
「夏海先輩も気が早いぜ。すぐにチャーハンなんて考えず、まずはおむずびのお供にすればいいじゃないか」
識が夏海ちゃんの背中を見送りながら、ため息混じりに言う。俺からすれば、どっちもどっちだなぁ……と思いながら、隣で気持ち良さそうに眠る羽未の背を揺らしたのだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「第三の体操! 一秒間! 真剣な目!」
「星屑ロンリネンス……」
羽未を起こした後、いつものように識と夏海ちゃんを連れ立ってラジオ体操へと参加する。
今日は俺が用意した品物がログボとして配られるんだけど、子供たちの反応はどうだろうか。なんか、ドキドキするな。
「よーし、今日のラジオ体操はここまで―! さぁ、スタンプとログボはこっちだぞー」
やがて本日のラジオ体操が終わり、ログボが配られた。
「あ、今日のログボは花火なんですね」
「えー、食べれなーい」
「なんか、しょぼーい」
子供たちは誰がログボを用意したかなんて知らないから、なかなかに辛らつな言葉を浴びせてくる。うぐぅっ、俺は皆のためを思って……!
「これじゃ、チャーハンの具にもなりません。むむむー……」
ぺしぺしと乱暴に花火セットを扱いながら言う。そんな、夏海ちゃんまで。
「……せっかく羽依里くんが用意したログボなのに、皆好き放題言っているね。僕が一言がつんと言ってあげるよ!」
「ちょっと識、ストップ!」
語尾を強める識を俺は慌てて制止する。昨日一緒にログボ探しをしたし、彼女の気持ちもわかるけど。
「実は、ログボを用意した人物は子供たちに知られちゃいけないという青年団のルールがあるんだ」
「え、そんなものがあるのかい?」
「ああ、それを破ってしまうと、それから一週間ラジオ体操大好きさんの刑に処せられるんだ」
「なんだかよくわからないけど、すごく恐ろしい罰な気がするよ……」
識はガタガタと震えていた。これは嘘のような本当の話だ。何年か前、この規約を破った団員がそれから一週間、喉を枯らしながらラジオ体操をしていたのを覚えている。俺は同じ轍は踏みたくない。
「羽依里、残念だったわねー」
識をなだめた後、俺が人知れず肩を落としていると、わざとらしい笑みを浮かべた蒼がやってきた。くそ、人の気持ちも知らないで。
「……品質保証で安心お手軽。駄菓子屋のログボじゃなかったのか?」
「一応、あたしは駄菓子の詰め合わせを勧めたじゃない。変わり種を狙うって、花火セット選んだのは羽依里でしょー?」
ため息混じりに「確かにそうだけど……」と、言う俺に、蒼は「まぁ、アフターケアはやってあげるけどねー」と笑顔だった。アフターケア? なんだろう。
「はなび、うれしいー」
一方、羽未だけが嬉しそうに花火の入った袋を抱きしめていた。おお……そう言って喜んでくれるのは羽未だけだぞ。
思わず抱きしめたくなるのをぐっとこらえ、俺たちは手を繋いで帰路についたのだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
加藤家に帰宅すると、夏海ちゃんと識はすぐに台所へと向かっていった。残された俺と羽未は、ひとまずログボの花火を靴箱の上に置き、洗面所で手を洗ってから居間へと向かう。
すると食卓には、すでに5人分の目玉焼きや野菜サラダ、味噌汁が用意されていた。朝の様子からして、朝ごはんのメインは夏海ちゃんのチャーハンになりそうだし、しろはが栄養バランスを考えて作ってくれたのかな。
「お待たせしました! 漬物チャーハンです!」
羽未と並んで座っていると、そんな声とともに目の前にチャーハンが置かれた。どうやら夏海ちゃんのチャーハンが完成したらしい。さすが早い。
「羽依里さん、なんかラジオ体操の後元気なかったので。漬物チャーハン食べて、元気出してください」
ひげ猫エプロンをつけた格好で、そう言って笑ってくれるけど、元気がなくなった原因は夏海ちゃんにもあるんだよ……とは、とても言えなかった。
その後、識やしろはも食卓につき、朝ごはんが始まった。
俺もいつまでも引きずってても仕方ないし、挨拶をして漬物チャーハンを口に運ぶ。
「おお、美味しい」
正直、あったかい漬物ってどうなのかと思ったけど、これは美味しい。細かく刻んだ漬物が良いアクセントになって、味付けが絶妙だ。
「おしょうゆとって、おとーさん」
「いいぞ。羽未は醤油派だもんな」
言いながら、俺は目の前の醤油さしを羽未に手渡す。慣れた手つきで回しかけると、小瓶はそのまま夏海ちゃんへと手渡される。
「二人とも、あまりかけすぎちゃ駄目だよ。今日はチャーハンだから、味濃いんだし」
そう言ってしろはが注意すると、二人が揃って「はーい」と返事をした。一方の識は、何もつけずに目玉焼きを食べていた。何かかけないのか問うと、「素材の味があるから、余計な味付けは不要だぜ!」と言っていた。まるで昔の人みたいな言い方だなぁ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「それでは、お邪魔しましたー」
朝食を終えて、夏海ちゃんは元気いっぱいに去っていった。
「それじゃ羽未、今日の宿題をしような」
「うんー」
洗い物をしろはに任せて、俺が羽未の勉強を見る、いつもの流れ。本格的に一日が動き出す前の、朝の穏やかな時間だ。
「うみさん、漢字の勉強をしているのかい?」
「そうー」
俺の膝の上で鉛筆を動かす羽未を眺めていたら、識がやってきた。
本来、羽未が学校で漢字を習うのはもう少し先なんだけど、『余裕があるうちに簡単な漢字は書けるようになってほしい』というしろはの方針もあって、夏休みの間に少しずつだけど漢字の勉強を進めているんだ。
「あれ、その漢字は何て読むんだい?」
そして羽未の書き取りノートを覗き込んだ識が、そんなことを言っていた。
「いち、にー、さーん」
羽未が指し示す通り、そこには『一』、『二』、『三』といった初歩的な漢字が書き綴られていた。いくらなんでも、これが読めないはずはないんだけど。
「うーん、僕の知っている漢字はこうだぜ?」
そう言うと、余っていた鉛筆を手にし、ノートの端に『壱』、『弐』、『参』……と漢字を書き始めた。難しい方の字を知ってるなぁ。
「むずかしいー」
俺が苦笑していると、見たこともない字を前にした羽未が首をかしげていた。これだけ難しい漢字を知っているんだし、きっと識も羽未の字がたどたどしいから、読みにくかっただけだろう。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「しゅくだい、おわったー」
「うんうん。今日も頑張ったね」
宿題を終えた羽未をひとしきり褒めた後、俺は今日の予定を確認する。夕方にお客さんが来るから、午後から民宿の準備をするにしても、午前中は羽未のために使えそうだ。
「さあ羽未、今日は何して遊ぼうか」
「えーっとねー」
「ウミさん、あそびにいきましょー」
……そのタイミングを見計らかったかのように、紬がやってきた。今日の紬は真っ白いワンピースに、同じ色のリボンで長い金髪をまとめていた。
「ナツミさんやホッタさんも待ってますよー」
「いくー!」
すでに今日の宿題という夏休みの呪縛から解放された羽未は、笑顔を爆発させながら紬について行ってしまった。
「……あれ?」
羽未と一緒に遊ぼうと思っていたのに、気がつけば俺一人だけが取り残されていた。まさか、羽未についていくわけにもいかないし、逆に暇になってしまった。
「えーっと……おーい、しろはー」
手持無沙汰になってしまった俺は台所へと向かう。そこではしろはと識が料理をしていた。二人とも、かっぽう着姿が似合っている。
「あれ、こんな時間から料理をしてるのか?」
「うん。山菜をたくさんもらったから、早いうちに下処理をしてしまおうと思って」
「しろは先輩、こっちの鍋もお湯が沸いたぜ!」
「うん。ありがとう」
名前はわからないけど、綺麗に皮を剥かれた山菜が煮え立つ鍋に投入されていった。たぶん、これで灰汁を取るんだろう。
「羽未が遊びに行っちゃって暇だからさ、何か手伝おうと思ったんだけど……」
「うーん……識も手伝ってくれてるし、今のところは大丈夫だよ。民宿の準備も午後からで間に合いそうだし、午前中は好きに過ごしたら?」
「じゃあ、そうしようかなぁ」
一応手伝いを申し出るも、にべもなく。何もせずに台所に立っていても邪魔になるだけだし、しろはがそう言うのならお言葉に甘えさせてもらおうかな。
俺は財布だけを手にすると、蝉が元気に鳴き始めた島へと繰り出した。この感じ、なんだか久しぶりだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「こっちの大きなテントを先にお願いしまーす!」
ぶらぶらと行く当てもなく住宅地を歩いていると、役所の前に大きなトラックが止まり、何やら作業が行われている場面に遭遇した。何をしてるんだろう。
「あ、羽依里―。おはようー」
どこか聞き覚えのある声がすると思ったら、作業服を着た人たちの中心で鴎が指示を出していた。半袖半パン姿で髪型はポニーテール。その上に麦わら帽子を被っているもんだから、近づくまで気づかなかった。
「鴎、朝から精が出るな。サマーキャンプの準備か?」
「そう! 今朝の船便でようやく注文してたテントが届いたから、仕分けして運んでるの!」
笑顔で言う鴎の後ろでは、本土から来たであろう作業員の人たちが手分けしてトラックにテントを運んでいた。中には良一の姿もある。
「良一も頑張ってるんだな」
「おう。俺はテントに詳しいからな。鴎に頼まれて、組み立ての指導役だ」
ニカッと笑う。なんというか、海の仕事をしている時より生き生きしている気がする。さすが、島随一のテントコレクターだ。
「そうだ。良かったら俺も手伝おうか?」
「ううん、本土からたくさんの人が手伝いに来てくれてるから、大丈夫!」
こちらにも手伝いを申し出るけど、笑顔で断られてしまった。慣れてる人が多いなら、かえって邪魔しちゃうかもしれないな。
「わかった。二人とも、頑張ってくれな」
鴎と良一にそう声をかけて、俺は役所を後にした。次はどこに行こう。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「……羽依里さん、一人で暇そうにしてますね」
その後、再び住宅地をさすらっていると、駄菓子屋の前で藍に声をかけられた。どうやら今日は仕事が休みらしく、肩を出した白いシャツに、青色のハーフパンツというラフな服装だった。
「今日はたまたまだ。いつもは猫の手も借りたいくらいに忙しいんだぞ」
「はいはい。そうですか」
藍は店前のベンチに腰掛けて、身体を左右に僅かに揺らしながら言う。くそ、全く信じていないな。
「ところで、蒼は?」
そんな藍の横を通り過ぎ、店主を探してカウンターの奥を覗くけど、そこには誰の姿もなかった。
「今日は堀田ちゃんも夏海ちゃんもお休みで、蒼ちゃんも用事があるということで私が代わりに店番をしているんです。ぶぇ」
そういえば、その二人も紬や羽未と一緒に遊びに行ってるんだった。蒼もいないとなると、どうりでお店の中が静かなはずだ。
「それで、お客さんも来なくて私も暇してるんです。せっかくですし、羽依里さんもこちらへどうぞ。ぶぇー」
俺の方を見ながら、ちょいちょい、と手招きしながら言う。もしかして、隣に座れと? 俺の貴重な夏休みを、藍のために使えと言うのか?
「そんな顔しなくてもいいじゃないですか。減るもんじゃないですし。ぶえぇー」
嫌だという感情が思いっきり顔に出ていたらしく、そんなことを言われた。いやいや、減るから。俺の時間は刻一刻と減っているから!
なんて心の中で訴えていると、時折変な音がしていることに気づいた。
「……藍、さっきからなんか聞こえるんだけど」
「気のせいじゃないですか。ぶぇぇぇーーー」
いや、気のせいじゃない。確かに聞こえるんだけど。ぶえってる。
「藍、もしかして何か食べてたりする?」
「ああ、これですよ」
藍がちょろっと舌を出して見せる。その上には、真ん中に穴が開いた丸い駄菓子が乗っていた。
「ああ……フエガムか。懐かしいな」
基本はガムなんだけど、あの穴に向けて空気を出し入れすると、良い音が鳴る駄菓子だ。子供の頃は無駄に鳴らして遊んでいた気がする。
「違います。これはブエガムです」
……ぶえがむ?
直後、ぶえぇぇぇーーーと、何ともいえない音が響き渡る。というか、どっかで聞いたことあるんだけど。
「新しいのもありますし、羽依里さんもやってみますか? 不思議と癖になりますよ。ぶええーーー。ぶえぇえぇーーー」
「い、いや。俺は遠慮しておくよ」
やめて。どことなく藍の声色を含んでいるもんだから、なんかぶえる藍のギャップに笑ってしまう。
「そうだ藍、ラムネ貰っていい?」
「いいですよ。80万円です。ぶえーーー」
藍はぶえぶえ言うだけでレジ対応はしてくれなかったので、俺は立ち上がってカウンターに代金を置き、フリーザーからラムネを取り出す。
「……ところで、しろはちゃんとは最近どうですか」
瓶を地面に立てて、しゅぽん。とビー玉の栓を抜いた時、藍が唐突に聞いてきた。
「変わりないけど。相変わらず最高の妻だぞ」
「……言ってて恥ずかしくないです?」
「まったくもってこれっぽっちも」
ごくり、とラムネを一口飲む。暑い中歩いてきたし、その爽やかさが全身を駆け巡る。思わず「ぷはー」と息を吐きながら空を見上げると、大きな入道雲がもくもくと立ち昇っていた。まさに夏だ。
「それで、二人目はまだです? 私としては、次も女の子が良いんですが」
「ぶっ!?」
……喉元を過ぎようとしていたラムネが気管支に入りそうになった。いきなり何の話をしてるんだ。
「誰かに聞かれたら、誤解されるようなことを言わないでくれ」
「いいじゃないですか。減るもんじゃないですし」
……さっきも同じやりとりをした気がする。少しニュアンスは違うけど、今の話を誰かに聞かれたら、俺への信頼は減ってしまうわけだけど。
「……そういえば今日のログボ、花火だったんですよね」
「え? ああ、そうだけど」
微妙な空気になりかけたところで、藍がスパッと話題を変えた。さすが先生。空気を読む力に長けている。
「それなら、夜は皆で花火大会をしませんか? 蒼ちゃんにも伝えて、お店の花火も特別に提供しますよ」
「気持ちは嬉しいけど……今日、お客さん来るんだよ」
「ダメ元でお客さんも花火に誘ってはどうです? 無理なようでしたら、羽未ちゃんだけでも私と蒼ちゃんで引き受けますから」
仕事があることを伝えると、そんな言葉が返ってきた。蒼がアフターケアも考えてるって言ってたけど、そういう意味だったんだろうか。
「じゃあ、もし俺たちが行けそうにない時は、羽未をよろしく頼むな」
「任されましたよ。場所は海の家近くの浜辺で、時間はそうですね……20時にしましょうか」
「20時だな。羽未に伝えておくよ。ありがとうな」
「べ、別に羽依里さんにお礼を言われても嬉しくありませんから」
藍は何故か動揺しながら立ち上がり、「私も何か飲みます」と、フリーザーの方へ向かった。俺はそんな背中を見送った後、自分のラムネに口をつける。お昼には羽未も帰ってくるだろうし。その時に伝えてあげようかな。夜に楽しみができて良かった。
「……ゴフゴフゴフゴフ!」
「ぶぅーーーー!」
ちょうど口いっぱいにラムネを含んだ時、目の前を羽未と夏海ちゃんを乗せたナベが走り去っていった。あまりに衝撃的な光景に、俺はラムネを思いっきり吹き出してしまった。
「うわ、汚いですね。どうしたんです?」
飲み物を物色中で、今の光景を見ていなかったんだろう。藍が俺の周囲の惨状だけを見て、あからさまに嫌そうな声を出した。
「げほごほ……いや今、目の前をナベが通り過ぎていったんだよ」
「それで、どうしてそこまで動揺するんです? よくある光景じゃないですか」
よくあるのかよと心の中でツッコみつつも、俺は「その背中に夏海ちゃんと羽未が乗ってた」とむせ込みながらに伝える。
「……どうしてそれを早く言わないんですか!」
それを聞いた藍はすぐさま道に飛びだすと「二人とも、止まってください!」と、叫ぶ。
「あ、ナベ、ストップ!」
藍の声に気づいた夏海ちゃんが声をかけると、砂埃を巻き上げながら、きききー、とナベが急停止した。猪は走り出したら止まらないなんて迷信だ。
「二人とも、何やってるの?」
俺と藍は、ゴフゴフ言いながらアイドリングのように身体を上下させるナベに近づきながら尋ねる。
「漁港に向かっている途中なんです。どうやら、屋台が出ているみたいで」
「え、屋台?」
「うん。やたいー!」
ナベの背中に器用に乗る羽未は嬉しそうに言う。船の利用者を狙って、フェリー乗り場がある港側に屋台が出ることはあるけど、漁港の方に出るなんて珍しい。
「なんか、車で売りに来てるらしくて。珍しいですし、気になりません?」
「気になるね」
俺は正直に答えた。大体、島にやってくるのは骨組みを組んだ屋台だし。今流行りのキッチンカーとかだろうか。
「というわけで、ちょっと視察に行ってきますね! 紬さんも後で来ると思うので、心配しないでください!」
夏海ちゃんは笑顔で言うと「ナベ、全速前進!」と指示を出し、再び道路を疾走していった。ほとんど走ってないけど、車に気をつけるんだぞー。
「ちょっと羽依里さん、そのまま見送ってどうするんですか。心配なので、様子を見て来てくださいよ」
「え、俺?」
「当然です。私は店番がありますからね。それにもし、いかがわしいお店だったらどうするんですか」
「いや、いくらなんでも真昼間の漁港にそんなお店は……」
「なんで羽依里さんが顔を赤くするんです! いいから、さっさと行ってください!」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
藍に蹴り出されるように駄菓子屋を後にして、俺は漁港へと向かった。そこには軽トラを改造したような屋台が出ていて、一人の男性が忙しそうに作業していた。
「本当に車だね。何を売ってるのかな」
そんな軽トラからだいぶ離れた場所で、隠れるように様子をうかがう羽未と夏海ちゃんに声をかけると、こちらを振り向きもせずに「のぼりも出ていないので、わかりません」と声が返ってきた。
「そうです。この際、羽依里さんを先頭にして様子を見に行きましょう。男の人ですし!」
「いきましょー」
「え、ちょっと待って」
その直後、笑顔の二人に背中を押されて、じりじりと屋台の方へ近づくことになった。正直、俺も怖いんだけど……。
「おっ、お客さん第一号やな! いらっしゃいませー!」
漁港は見晴らしがいいし、速攻で店員の男性に見つかってしまった。関西弁だし、やっぱりちょっと怖い。
「……あれ? 彩人おじさん!?」
その時、背後の夏海ちゃんが声を上げた。名前を呼ばれた本人も「誰かと思ったら、なっちゃんやないか! 大きくなったなー!」と、嬉しそうに返事をしていた。もしかしてこの二人、知り合いなのかな。
「えっとですね。この彩人おじさんは、私のお父さんのお兄さんなんです!」
俺や羽未も一通り挨拶をした後、夏海ちゃんがそう説明してくれた。ということは、俺や羽未も遠い遠い親戚……ってことになるのかな。
一瞬、頭の中に家系図を思い浮かべたけど、途中でごちゃごちゃになったので考えるのをやめた。夏海ちゃんが親戚というなら、そういうことにしておこう。
「それで、その……彩人さんはどうして鳥白島に?」
「ワイはこう見えて、神戸でうどん屋を経営しとるんや。そんで時々、こうやって出張販売しとるわけやな」
ニコニコ顔で言うその手元には『走馬うどん』と書かれたのぼりが握られていた。なるほど、うどん屋さんかぁ。
鳥白島がある地方は、うどんが名産だとは聞いていたけど、島ではカップうどんばかりで本格的なものを食べたことがなかった。
島にうどん屋さんはないし、一度しろはに頼んだこともあるけど、うどんは神域だから打てない……とかなんとか言われた記憶がある。
「彩人おじさんのうどん、久しぶりに食べてみたいですねぇ」
「そかそか。なら、ちょっと待っとき。すぐに準備したるから」
言ってから、手にしていたのぼりを台座に立てる。ちらりと見えたけど、改造された軽トラの中に、テーブルやイスがコンパクトに収めてあった。すごいな。
「あ、せっかくですし、開店準備手伝いますよ!」
「てつだうー」
その様子を見ていた夏海ちゃんと羽未が、そう申し出ていた。「おおきになー」と、彩人さんも快諾しているのを見て、俺も一緒に手伝うことにした。二人が手伝うのに、大人の俺が手伝わないわけにはいかないし。
……というわけで、三人で軽トラから折り畳み式のイスやテーブルを出しては、漁港の空きスペースに並べていく。
テーブルの上に敷いたクロスと、日よけのパラソルがカラフルなのもあって、殺風景な漁港が一気に華やかになった気がする。
ある程度作業が進むと、軽トラの方から出汁の良い香りが漂ってきた。これは、かつお出汁かな。
「……よし、準備完了や。なっちゃんたち、食べたいもん選びや」
やがて開店準備が整ったらしい。彩人さんがそう言って、カウンターの奥からメニュー表を渡してくれた。すでに席に着いている二人に代わって、俺がメニューを受け取る。
……待てよ。本場のうどんって食べたことないけど、もしかして高いんじゃないだろうか。一応、それなりの額を財布に入れてきたけど、三人で二千円越えは覚悟しておかないといけないかも。
「そんな顔せんでも、お値段はお手頃や。三人でも千円行かんと思うから、安心して奢ったり」
考えが顔に出ていたんだろうか、彩人さんが調理スペースから身を乗り出しながら言う。そ、そうなのか。
なんとなく安心しながら席に戻り、三人でメニュー表を覗き込む。そこに並んでいたメニューは、ひやかけ、ぶっかけ、生醤油、ひや玉、かしわおにぎりの五種類。予想以上にシンプルだった。値段はうどんの並盛が一律250円。おにぎりが150円。確かにリーズナブルだ。
「お、遅れてしまいました~」
どのうどんにしようかな……なんて考えていたその時、紬が息を切らせながらやってきた。
「あれま、こりゃまた、可愛らしいお嬢ちゃんが来ましたなぁ。まあ、水でも飲んで落ち着きや」
「ど、どもです」
汗だくになっている紬を見て、彩人さんが冷たい水が入った紙コップを手渡す。それをごくごくと飲んだ後、紬はお礼を言って、自己紹介をした。
「……事情はようわからんけど、紬はん、猪の後を走って追いかけるなんてムチャやわ」
「むぎゅ……我ながらムボーな挑戦でした。こーかいの連続です……」
大分落ち着いてきたけど、灯台からここまで走ってきたらしい紬が息を整えるには、もう少し時間が必要みたいだ。今も彩人さんからタオルを借りて、むぎゅむぎゅ言いながら必死に汗を拭いている。
「と、ところで、このアヤトさんのお店は一体何を売っているのでしょーか」
「うどんらしいよ。ほら、これがメニュー」
席にもたれて、物珍しそうに軽トラの屋台に視線を送る紬に、俺はメニューを渡してあげる。続けて「冷たいうどんもあるし、せっかくだから食べてみない?」とも聞いてみる。
「そですね。走ってお腹もぺこぺこですし、食べてみたいです!」
冷たいうどん、と聞いて紬の瞳が輝く。灯台からここまで走って消費したカロリーも相当なものだろうし、エネルギーを補給しないとね。
「よっしゃ。なら、気合い入れて作ったるわ。他の皆も注文決めてや」
「えーっと、それじゃ、私は『ひやかけ』にします! これが一番、うどんの味が分かりますし!」
「お、さすがなっちゃん、わかっとるなー。流水で冷やすから、コシも出るしな」
「俺も『ひやかけ』にしようかな。暑いし、やっぱり冷たいのが食べたい」
「そですね!」と紬も賛同して、同じく『ひやかけ』を選んだ。一方、羽未はそれじゃ味気ないだろうと『ひや玉』の小を頼むことにした。
ちなみにひや玉というのは、冷たいうどんに生卵を乗せて、生醤油をかけて食べるものらしい。美味しそうだし、後で一口分けてもらおうかな。
「うどん茹でるのはそれなりに時間かかるから、これでも食べて待っといてや」
注文を終えて、セルフサービスになっているお冷を飲んでいたら、彩人さんがおにぎりを四つ、俺たちの席に運んできてくれた。
「え? 頼んでませんけど」
「サービスや。あんたたちがこの島で最初のお客さんやからな。その代わり、しっかり宣伝頼みまっせ」
調理スペースに戻りながら、彩人さんが手を振る。俺たちは「ありがとうございます」とお礼を言って、おにぎりにかじりついた。
「おお、うまい」
作り置きされていたらしいおにぎりは、鶏肉の入った鳥飯おにぎりだった。もちろん冷たいのだけど、それによって鶏の旨味がお米の一粒一粒に染み込んでいた。これは美味しい。
「んー、おいしいー」
隣に座る羽未もご満悦のようで、手のひらに米粒をつけながら、あっという間に食べてしまった。
その様子を微笑ましく見ていると、「にしても、女の子三人も侍らせて、兄ちゃんもやりますなぁ」と、彩人さんが冗談ぽく言う。羽未は娘だし、夏海ちゃんは親戚だし、紬はその、二人の友達だし。変な勘違いをしないでほしいんだけど。
「ほい。ひやかけ三つに、ひや玉一つ。おまちどーさん!」
しばらくして、注文したうどんが俺たちの前に運ばれてきた。予想はしていたけど、ひやかけは黄金色の冷たい出汁に、体を冷やし過ぎないようにとネギと生姜がトッピングされたシンプルなもの。
それでも、うどんの一本一本がツヤツヤと輝いていて、見た目だけで十分美味しそうだ。
「ひや玉の生醤油はこれを使ってや。見た目の割に辛いから、お嬢ちゃんが食べる時はかけ過ぎんようにな」
「うん!」
目の前に置かれたうどんに、羽未は目を輝かせていた。純白の麺の中央に、黄色い卵が鎮座して、その脇にネギが乗る。これもシンプルだけど、おいしそうだ。
「よし、羽未、醤油の量はこれくらいでいいか?」
生醤油の入った小瓶を受け取って、丼ぶりの半周程回しかける。色は薄目だけど、まずはこれで様子見してもらおうかな。
「それじゃ食べようか。いただきます」
続けて俺が挨拶をすると、他の皆も「いただきます」と声をそろえてから、思い思いにうどんをすすりはじめる。
「……おお」
俺も一口食べてみる。これは、感動的な美味しさだ。本土に外出した時、時々うどんは食べるけど、それとはレベルがまるで違う。麺に歯が跳ね返されそうなコシがある一方で、出汁はあっさりしてるのに深みがある。まさにうどんのために、調整に調整を重ねて生み出された出汁という感じがした。
「んー、美味しいです!」
「そですね! このノドゴシがたまりません!」
夏海ちゃんや紬も嬉しそうにうどんを口に運ぶ。紬、喉ごしなんて言葉を知ってるんだね。羽未も「おいしいー」と、満面の笑みを浮かべているし、走馬うどんは好評のようだった。
「……おじさん、また腕を上げましたね!」
一気に半分くらい食べた夏海ちゃんが、彩人さんの方を向きながら言う。当の本人は昼食なんだろうか、自分で作ったうどんを自分で食べながら「いや、今日のうどんは少し柔いで。まだまだ、修行が足りんわ」なんて言っていた。歯ごたえ十分だし、美味しいと思うけどなぁ。
「……彩人さん、ごちそうさまでした。代金はいくらです?」
本場のうどんを堪能して、器を返却しながら尋ねる。この手の店の場合、基本料金は先払いなんだけど、彩人さんも夏海ちゃんに会えたのが嬉しかったのか、すっかり忘れてしまっていたらしい。
「おおきに。四人でちょうど千円や」
「あ、自分の分は払います!」
そして俺が財布を出そうとした矢先、紬がそう言いながら俺の前に出た。
「別にいいよ。ごちそうするから」と伝えるけど、紬は断固拒否。スカートのポケットに手を突っ込んで、財布を取りだそうとする。
「……むぎゅ?」
しかし、その格好のまま固まった。どうしたんだろうと思っていると、今度は顔を赤くしながら、おろおろしはじめた。これは、もしかして。
「わ、わたしとしたことが、お財布を灯台に忘れてしまいました~……」
頭を抱えた後、がっくりとうなだれていた。紬らしいといえば紬らしいけど、本人はショックに違いない。
「……こうなったら、カラダで払います!」
だからか、涙目でそんなことを言っていた。ちょっと紬、誤解されるようなこと言わないで。
「今回は俺が出しておくよ。いつでも好きな時に返してくれていいからさ」
見るに見かねて、俺は笑顔で言ってポケットに手を突っ込む。同時に「兄ちゃん、女の子三人に奢ったるなんて太っ腹やな! よっ! さすが島の男! 男気あるで!」なんて、彩人さんの声が聞こえた。まったく、茶化さないでほしい。
「……あれ?」
おそらく、この時の俺は、紬と同じような格好で固まっていたと思う。おかしいな。ポケットにあるはずの財布がないぞ。
ラムネを買ったし、駄菓子屋では確実に持っていたはずだ。ということは駄菓子屋か、漁港に来るまでの間に落としたのかな。
「兄ちゃん、どうしたんや?」
目を見開いて硬直している俺に、彩人さんが不思議そうに声をかけてくる。俺は意を決して、言葉を吐き出した。
「あの、体でお支払いしても、いいでしょうか……」
第九話・あとがき
皆さん、おはこんばんちは。トミー@サマポケです。
今回も長くなったので、前後編に分けました。前半は『羽依里君の夏休み』と言った感じでしょうか。ぶえってる藍がかわいいです。
ブエガムのネタをくださったフォロワーさん、ありがとうございます。
そしてフォロワーさんといえば、お気づきの方もいると思いますが、今回登場のうどん屋さんもフォロワーの方です。ご本人に許可をいただき、文章のチェックもしてもらった上での掲載となりました。
後半冒頭でも活躍していただく予定ですので、またよろしくお願いします。
では、今回のあとがきはこの辺りで。
一言感想や評価など頂けましたら、次話執筆への活力になりますので、よろしくお願いします。