Summer Pockets #3   作:トミー@サマポケ

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第一話 7月25日

 

 

 

 

 

 ……おかえり。久しぶりだね。夏海ちゃん。

 

 ……はい! ただいまです!

 

 

 

「……あれ?」

 

 蝉の声がだんだん大きくなり始めた頃。俺はいつもと同じ時間に目が覚める。

 

 同時に味噌汁のいい匂いが鼻をくすぐる。どうやらしろはは既に起きていて、朝ごはんの支度をしてくれているみたいだ。

 

 俺はまだ半分寝ぼけたまま、すぐ隣で眠る羽未の顔を見る。楽しい夢でも見てるんだろうか。幸せそうな寝顔だった。

 

「……なんだか懐かしい夢を見たなぁ」

 

 去年の夏、夏海ちゃんがこの島に戻ってきた時の夢だった。

 

 あれから一年。羽未も無事小学校に入学して、初めての夏休みを迎えようとしていた。

 

 

「……羽依里さん! 羽未さん! 朝ですよー!」

 

 その時、勢いよく襖が開かれて、夢の中にいたその子が顔を覗かせた。

 

「しろはさんに言われて、起こしに来ました! そろそろ起きてくださーい!」

 

「夏海ちゃん、おはよう。今日も早いね」

 

「えへへ。早起きは得意ですから!」

 

 屈託のない笑顔でそう言う。彼女の叔母にあたる鏡子さんも朝に強いし、やっぱり岬家の血筋なんだろうか。

 

 そんな夏海ちゃんは夏休みの間、住宅地のはずれに新居を構えた鏡子さんと一緒に住んでいる。

 

 鏡子さんは最近、広すぎる庭を開墾して畑を始めたとかで、そこに実った野菜を夏海ちゃんが毎日のように届けてくれているというわけだ。

 

「夏海ちゃん、今日も野菜を持って来てくれたの?」

 

「はい! おすそわけです! キュウリにトマト、小さいですけど、カボチャもありますよ!」

 

 畳の上に置かれたビニール袋からは、にょきっとキュウリが顔を覗かせていた。

 

「いつもありがとう。すっかり農家さんだね」

 

「鏡子さん、向こうの家に引っ越してからすっかり野菜作りに凝っちゃってですね。今度は古来種野菜を育てると言ってました」

 

 古来種野菜って何だろう。よくわからないけど、鏡子さんは骨董品とか好きだし、古くからある野菜にも浪漫を感じるんだろうか。

 

「でも、これだけ野菜を育ててたら、鏡子さんの偏食も少しは直ったんじゃない?」

 

「そうですね。最近は美容と健康を考えているらしく、季節の野菜をカップうどんに乗せて食べてますよ。フレッシュですよね!」

 

 ……一瞬、キュウリやトマトがどっさり乗ったカップうどんを想像してしまった。確かに健康には良さそうだけど、美味しいのかな。

 

「それじゃ、確かに起こしましたから! この野菜、しろはさんの所に持っていきますね!」

 

「うん。よろしくね」

 

 夏海ちゃんはよっこいしょと小さく口にしながら、野菜の入った袋を持ち上げて台所の方へ行ってしまった。

 

 彼女は年齢のわりに身体が小さくて、少し子供っぽいところがあるんだけど、それは昔の事故の後遺症みたいなものだし、仕方ないと思う。

 

 もっとも、本人は全く気にしてる様子はないし、島では普通の女の子なんだけど。そういったものに寛容な島民性も根底にあるのかな。

 

「……それにしても、起きないかー……」

 

 あれだけ賑やかかったにもかかわらず、俺の隣で気持ち良さそうに寝息を立てている羽未を見やる。

 

「おーい、羽未―。起きろー」

 

「うみゅー」

 

 幸せそうなところ可哀想だけど、ゆさゆさとその小さな身体を揺する。数日後にはラジオ体操も始まるんだし。今から早起きする癖をつけておかないと。

 

「羽未―、朝だぞー。おかーさんが朝ごはんを作ってくれてるぞー」

 

 しろはが朝ごはんを作ってくれる代わりに、俺が羽未を起こして、支度をさせる。いつの間にか、それが毎日の日課になっていた。

 

「うー。おとーさん、おはよう……」

 

 何度か間隔を空けて揺すっていると、愛娘が目を覚ました。

 

「ほらほら、しっかり起きて。顔を洗って、髪も梳かさないと」

 

 それでもまだ眠たいらしく、大きなあくびをしている羽未をあやすようにして、俺も一緒に洗面所へと向かった。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

 ……炊きたての白いごはんに、豆腐とわかめの味噌汁、アジの干物に、野菜の浅漬け。

 

 身支度を整えてから向かった居間には、四人分の朝ごはんが用意されていた。

 

「あの、本当に私もごちそうになっちゃって良いんですか?」

 

 そんな朝ごはんを前にして、夏海ちゃんが申し訳なさそうに首を垂れていた。

 

「今日はお客さんもいないし、朝はゆっくりなんだよ。夏海ちゃんも遠慮しないでいいからね」

 

 俺はその背中にそう声をかけながら、羽未と一緒に食卓につく。

 

「え、今日はお客さん、来てないんですか?」

 

 それを聞いた夏海ちゃんが客室の方を見ながら、心配そうな声を出していた。

 

 この家……加藤家を改築して今年の頭から始めた民宿は、一日一組限定の小さな宿だ。日によっては、今日みたいにお客さんがいない日もある。

 

「……良かったら私、今度おかーさん呼んで泊まりに来ましょうか?」

 

「いや、そこまで気を使ってくれなくても大丈夫だよ。今日から夏休みだし、さっそく夕方からお客さんが来る予定になっているしさ」

 

 俺は近くに置いてある宿泊台帳を見ながら、そう教えてあげる。なんだかんだで夏休みだし、それなりに予約は入っている。

 

「そうなんですね。おかーさん、一度あいさつに来たいって言ってましたけど」

 

 確か、夏海ちゃんの実家は神戸の方にあるんだっけ。その親御さんとも何度か電話で話したことはあるけど、実際に会ったことはない。どんな人か、少し気にはなるけど。

 

「夏海ちゃんはいつも新鮮な野菜を持ってきてくれるし、遠慮せずしっかり食べてね」

 

「しろはさん、ありがとうございます!」

 

 ……その時、エプロンを外したしろはが居間にやってきた。

 

「……それにその、夏の間夏海ちゃんを預かる身としては、栄養の偏りも気になるし」

 

 しろはの気持ちはわかる。一応、夏海ちゃんも料理はするんだけど、なぜかチャーハンばかり作ってるみたいだし。一緒に住んでる鏡子さんもなかなかの偏食だ。せめて時々でも、うちの朝ごはんで栄養のバランスを整えてあげたいんだろう。

 

「それじゃ、冷めないうちにめしあがれ」

 

「「いただきまーす!」」

 

 しろはが食卓に着いて、四人で挨拶をしてから朝食に箸を伸ばす。

 

 アジの干物は身がほこほこで、塩加減も絶妙だった。野菜の浅漬けと合わせて、ごはんがいくらでも食べられる。

 

「この干物はおじーちゃんが持って来てくれたんだよ。羽未ちゃんに食べてほしいって」

 

「そうなんだ。羽未、美味しいか?」

 

「うんー。おいしいー」

 

「そっちの浅漬けは昨日夏海ちゃんが持って来てくれた野菜を使ってるの。おいしいよ」

 

「本当だ。このニンジンとか甘いな」

 

「にんじん、すきー」

 

 羽未もそう言って浅漬けを美味しそうに食べていた。島の新鮮な食べ物のおかげで、羽未は今のところ好き嫌いもなく、健康そのものだ。

 

 これは、いつも美味しい料理を用意してくれるしろはや、島の皆に感謝だよな。

 

 

 

 

「朝ごはん、ごちそうさまでしたー!」

 

 ……やがて朝食を終えて、夏海ちゃんは去っていった。本当、朝から元気だなぁ。

 

「それで羽依里、今日の予定は?」

 

 そんな夏海ちゃんを見送って、羽未と居間でテレビを見ていると、洗い物を終えたしろはがそう聞いてきた。

 

「お昼からはお客さんを迎える準備をしなきゃいけないけど、午前中は特に予定ないかな」

 

「じゃあ、おとーさんとあそべるの?」

 

 俺の言葉を聞いて、向かいに座る羽未の瞳がキラキラと輝いた。

 

「ああ、遊べるぞ。何して遊ぶ?」

 

「えーっと。えーっとね」

 

「……羽未ちゃん。おとーさんと遊ぶ前に、今日の宿題をしないと」

 

「あ、うん……」

 

 おかーさんにそう言われて、がっくりと肩を落としてしまった。でも、夏休みの宿題は少しずつでも消化しておかないと、後で大変なことになっちゃうしね。

 

「羽未、おとーさんが見てあげるから、宿題頑張ろう」

 

「……うん!」

 

 そう伝えると、羽未は元気に立ち上がり、駆け足で部屋に宿題を取りに行った。うんうん。やる気が出たみたいで、良かった良かった。

 

 

 

 

「……懐かしいな。夏の友って、まだあるんだ」

 

 真剣なまなざしで漢字ドリルに向かっている羽未の横顔を眺めながら、俺は畳の上に置かれた夏の友をパラパラとめくっていた。

 

 読書感想文とか、宿題によっては日数がかかるものもある。羽未にとっては初めての夏休みだし、遊びだけじゃなく、色々と教えてあげないと。

 

「あ」

 

 多種多様な宿題が並ぶ中、自由研究の項目が目に止まる。

 

「自由研究かぁ……」

 

 俺の記憶にはないけど、小学校一年生の頃から自由研究ってあったんだ。

 

「じゆー、けんきゅー?」

 

 俺の呟きが聞こえたのか、羽未が首をかしげながら俺の方を見る。

 

「何をしてもいい勉強だよ」

 

「んー???」

 

 よくわかってないみたいだった。初めての夏休みだし、当然だと思う。

 

 ……そうだ。この際、島の皆に相談してみるのも良いかもしれない。具体的な案が出れば、羽未も興味がわくかもしれないし。

 

 

 

 

「おわったー! おとーさん、みてー!」

 

 そんなことを考えていると、羽未の宿題が終わったらしい。嬉しそうに漢字ドリルと算数の宿題を俺に差し出してきた。

 

「よしよし、おとーさんが答え合わせしてあげるからな」

 

 その宿題を受け取って、しっかりと目を通す。うんうん。ちゃんとできてる。

 

「あってるー?」

 

「うん。全部合ってるよ」

 

「やったー!」

 

 まぁ、小学校一年生の宿題だし。答え合わせもまだまだ楽勝だった。

 

「それじゃ羽未、どこに遊びに行きたい?」

 

「んー、じんじゃ!」

 

「え、神社?」

 

「うん。虫とりしたい!」

 

 ああ、そういうことか。

 

「いいよ。それじゃ、神社に行こうか」

 

「うん!」

 

 羽未は立ち上がると、その笑顔を爆発させる。

 

「それじゃ、おとーさんは虫取り網と虫かごを用意してくるから。羽未はおかーさんに言って、麦わら帽子と水筒を用意してもらって」

 

「わかったー。おかーさーん!」

 

 元気よく廊下を駆けていく羽未の背中を微笑ましく見ながら、俺は道具がしまってある蔵へと向かった。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

 準備を終えた俺と羽未は、並んで神社へと続く道を歩く。今日も夏真っ盛りと言った感じで、蝉が空を叩くように鳴いている。なかなかに暑い。

 

「♪~♪~♪~」

 

 俺の前を行く羽未はそんな蝉の声にも負けず、ご機嫌に鼻歌を歌っていた。すっかり覚えてしまったらしい、島の童謡だった。確か、ずいぶん昔に紬が教えてくれたんだったな。

 

「あ、羽依里―、羽未ちゃーん!」

 

 その時、前方からスーツケースがやってきた。あれは鴎だな。

 

「かもめさん、おはよー!」

 

「おっはよー! 羽未ちゃん、今日も元気いっぱいだねぇ」

 

 麦わら帽子越しに羽未の頭を撫でながら、鴎が太陽に負けない笑顔を向けていた。そういえば、鴎も昨日から島に来ていたんだっけ。

 

「鴎も負けずに元気いっぱいだな」

 

「そろそろサマーキャンプの準備もしないといけないし、疲れてる暇なんてないよ!」

 

 ……そういえば、先日回ってきた回覧板に今年のサマーキャンプは8/8からと書かれていた気がする。

 

 ちなみにサマーキャンプというのは、数年前から鴎が始めた夏のイベントだ。島の内外から集まった子供たちの交流と自立心を養うことが目的で、島民の協力もあってか、すっかり定着している。

 

「かもめさん、ことしもサマーキャンプあるの!?」

 

「あるよー。今年からは羽未ちゃんも参加できるし、楽しみにしててね!」

 

「あいあいさー!」

 

 キャンプに参加できるのが嬉しいのか、羽未はびしっと敬礼しながら返事をする。

 

 ああ見えて、鴎は島の子供たちからキャプテンカモーメッと呼ばれて親しまれているし、なかなかの人気者だからなぁ。

 

「……ところで、羽依里たちは今から虫取り?」

 

 そして羽未の格好から判断したんだろう。鴎がそう聞いてきた。

 

「そうだよ。ちょっと神社に行こうと思ってさ」

 

「おお、じゃあ今日一日は虫取り三昧ですな」

 

「そうしたいのは山々なんだけど、俺も午後からは民宿の仕事があるし、やっても午前中だけかな」

 

「そうなの? だったら羽未ちゃん、お昼から私と遊ばない? スーツケース乗せてあげるよ?」

 

「うん! のりたい!」

 

「鴎、良いのか? それこそさっき、サマーキャンプの準備があるとか言ってたけど」

 

「いいのいいの。それこそ羽依里と逆で、午前中には終わっちゃうから」

 

「そうなのか。なら、お昼から羽未をよろしく頼むな」

 

「お任せあれ! それじゃー!」

 

「……あ。鴎、最後に一つ聞きたいんだけどさ」

 

 鴎が手を振りながら俺たちの横を通り過ぎようとしたので、俺はそれを慌てて呼び止める。

 

「え、なに?」

 

「実はさ……」

 

 ここで会ったのも何かの縁と、俺は羽未の自由研究について鴎に聞いてみた。

 

「自由研究? やっぱり、王道は工作だよね。羽未ちゃん、スーツケースのミニチュア作ってみる?」

 

「うーん?」

 

 そんな鴎の提案に、羽未は首をかしげていた。いきなり工作はレベルが高い気がする。

 

「鴎、ありがとう。羽未も迷ってるみたいだし、もう少し他の皆の意見も聞いてみることにするよ」

 

 そうは言ったけど、鴎は知り合いの中でもずば抜けて手先が器用だ。自由研究とは関係なしに、工作を教えてもらっても良いかもしれない。

 

「うん! せっかくの夏の思い出だし、しっかりと考えてね! それじゃ、またねー!」

 

 鴎は今度こそ、スーツケースを引いて去っていった。

 

 ……鴎、本当に元気になったよなぁ。

 

 元々、彼女は病弱な所があったんだけど、最近は新薬ができたとかで、だいぶ症状も改善されたらしい。医学の進歩ってすごい。

 

 そして元気になった鴎は母親の資金を元手に『財団法人 ひげ猫』……通称ひげ猫団を設立。島の観光協会と協力して、先のサマーキャンプを筆頭に島のイベントをいくつも手掛けている。あの行動力は見習いたいくらいだ。

 

「おとーさん?」

 

「え? ああ、ごめんごめん」

 

 去り行く鴎の背中を見送っていたら、羽未から不思議そうな顔で見上げられた。そろそろ、神社に行かないと。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「とうちゃくー」

 

 やがて羽未と競争するように石段を登って、神社に到着した。ここは島の中でも高くて開けた場所にあるからか、風があって涼しい。

 

「ハイリさん、ウミさん、いらっしゃいませー」

 

 ……そんな境内の真ん中に、何故か紬が立っていた。

 

「あれ、紬?」

 

「つむぎさんー?」

 

「はい。紬さんですよー」

 

 遮蔽物も何もない境内の真ん中で、紬はニコニコ顔だった。

 

「どうして紬が神社にいるんだ?」

 

「実は、ビラ配りをしていまして! どうぞ!」

 

 不思議に思っていると、紬は手にしていたチラシの束から一枚抜き出して手渡してくれた。

 

 それには『海の家・近日オープン! 名物カレー、ついに復活!』と大きく書かれていた。

 

「海の家? そんなものができるのか?」

 

「そです! シズクがプロデュースするんですよ!」

 

 確か静久って、今は世界を股にかける敏腕芸術家になってるんじゃなかったっけ。その静久が、この島で海の家を?

 

「それで、オープンに先駆けてこのチラシを配ろうと思ったのですが、見事に誰もいません!」

 

「うん。この暑い中、好き好んで神社に来るような人はいないと思うよ……」

 

 本当、紬はどうしてここでビラを配ろうを思ったんだろう。謎だった。

 

「テンゼンさんから、夏休みになれば神社に人が集まると聞いたのですが。騙されました。むぎぎぎ……」

 

 ああ……天善はたぶん、ラジオ体操のことを言ったんだろうな。確かにラジオ体操が始まれば、人は集まるし。

 

「紬、神社でラジオ体操が始まるのは28日からだよ。それまでは港とかで配るのが賢明じゃないかな」

 

「そですか。それでは、港に行ってみることにします!」

 

「あ。紬、ちょっと!」

 

「……むぎゅ?」

 

 元気よく立ち去ろうとする紬を呼び止めて、俺は鴎と同じように自由研究について聞いてみた。

 

「むー。灯台の観察日記とかどうでしょーか」

 

「紬らしいけど、羽未の足で毎日観察しに来るのは難しいかな」

 

 うちから灯台まで結構な距離があるし。一応、羽未も自転車には乗れるけど、さすがに遠すぎると思う。

 

「それに、余程の自然災害でも起こらない限り、灯台は365日同じだと思うしさ」

 

「では、絵ハガキを書いてみるのはどうでしょうか」

 

「絵葉書?」

 

「はい! 先日シズクから、こんなステキな絵ハガキをもらいました!」

 

 紬がスカートのポケットから、一枚の絵葉書を取り出して見せてくれる。一面にアサガオの絵が描かれていて、一言が添えられていた。

 

『暑中揉見舞い申し上げます』

 

 ……しょちゅうもみまい。

 

「……相変わらずブレないな」

 

「はい。相変わらずブレません!」

 

「おとーさん、なんて書いてあるの―?」

 

「うん。暑さに負けずに頑張りましょうって書いてあるんだよ」

 

 とりあえず羽未にはそう伝えておいた。絵はさすが芸術家といったレベルだったけど、文面をそのまま伝えるのは教育上よろしくなさそうだし。

 

「……ありがとう。参考にさせてもらうよ」

 

「お役に立てたら何よりです! それではー」

 

 絵葉書を返しながらお礼を言うと、紬は手を振りながら去っていった。変に引き延ばしてもボロが出そうだし、この話は早めに切り上げておこう。

 

「……それじゃあ羽未、虫取りを始めようか」

 

「うん!」

 

 紬のツインテールが石段の先へ沈んでいくのを見送った後、羽未を連れて神社の裏手へと移動する。この辺りには木や草藪もあるから、蝶やバッタをはじめとした様々な昆虫を見つけることができるし。

 

「たくさんつかまえるー」

 

 隣の羽未はすでに虫取り網を構えて、やる気満々だ。

 

「……ほら羽未、あそこにちょうちょがいるよ」

 

「よーし……えい!」

 

 その時、さっそく目の前を一匹のアゲハチョウが飛んでいた。羽未はひらひらと舞うそれに狙いをつけて、虫取り網を思いっきり振り下ろす。

 

「あ、にげられた……」

 

「羽未、惜しかったぞ。ほら、今度はクロアゲハがこっちに来た。もう一度だ」

 

「……えい!」

 

 同じように飛んできた別の蝶に向けて、もう一度網を一振り。しかし、ひらりとかわされてしまった。

 

「うー、むずかしい……」

 

 羽未は余裕綽々で飛ぶ蝶に視線を送りながら、悔しそうな顔をしていた。

 

 ゆったり飛んでるように見えて、飛んでる蝶を捕まえるのは難しかった気がする。今度、蒼に虫取りのコツとか教えてもらうといいかもしれない。あそこの父親、昆虫学者って話だし。

 

 

 

 

「えい! やー!」

 

 しばらくして蝶の捕獲を諦めた羽未は、今度は草むらから飛び出してぴょんぴょんと跳ねまわるバッタの後ろを必死に追いかけていた。どちらも必死なんだろうけど、なんというか、ほんわかする。

 

「にげられた……」

 

 境内の向こうの方まで追いかけていったけど、結局逃げられたみたいだ。もうちょっとだったんだけどなぁ。

 

「羽未、今度は蝉を狙ってみよう」

 

 というわけで、再び獲物を変えてみることにした。蝉なら木に止まって動かないし、大きな声で鳴いてるから居場所もすぐにわかる。

 

「……ほら、あそこにいたよ」

 

 鳴き声を頼りに周囲を探すと、ちょうどお堂の陰になった木の幹に大きな蝉が止まっていた。見た感じ、アブラゼミかな。

 

「えい!」

 

 羽未は思いっきり手を伸ばして網を振るけど、あとちょっとのところで届かない。蝉はそんな羽未をあざ笑うかのように、幹の上の方でみんみん鳴いていた。

 

「うー、おとーさん、つかまえてー」

 

 余りに悔しいのか、羽未が涙目になりながら俺に虫取り網を差し出してきた。

 

 しろはの教育方針で、できるだけ自分でやらせることにはしてるんだけど……。

 

「よーし、おとーさんにまかせろ」

 

 せっかく娘が頼ってくれたんだ。今回ばかりは、父親の威厳をみせてやろう。

 

 俺は羽未から虫取り網を受け取ると、目線より少し高い位置にいる蝉に狙いを定める。既に射程圏内だ。

 

「とう!」

 

 狙いすまして網を振るうけど、すんでのところで気づかれてしまった。蝉はくるくると回転しながら、青空へと逃げていった。

 

「うわ、ぺっぺ!」

 

 そしてよりによって、アブラゼミはその去り際に俺に黄金の水をかけていった。

 

「おとーさん、ばっちいー」

 

「ば、ばっちくないぞ! うう、父親の威厳が……」

 

 その後も父娘で協力して頑張ってみたけど、虫は一匹たりとも獲れなかった。しまった、これは予想外だ。

 

「うー」

 

 こういう日もあるんだろうけど、羽未は空っぽの虫かごを見ながらむくれていた。水筒の水をヤケ飲みしていたし、これはなんとかして機嫌を直してもらわないと。

 

「そうだ羽未、そろそろいい時間だし、休憩がてら駄菓子屋に行ってみない?」

 

「いくー! かきごおりたべたい!」

 

 ぱあっと笑顔の花が咲く。うんうん。表情がころころ変わるのも見てて楽しいな。

 

「それじゃ、駄菓子屋に向けて出発!」

 

「しゅっぱーつ!」

 

 一気に元気になった羽未に続いて、神社を後にする。もう少しでお昼だけど、休憩がてら少し寄り道して、駄菓子屋で自由研究のネタを探してもいいかもしれない。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「くーださーいなー」

 

「あ、いらっしゃいませー」

 

 羽未と一緒に駄菓子屋へと足を踏み入れる。すると、すぐに二代目看板娘の堀田ちゃんが出迎えてくれた。

 

「あれ、今日は蒼はいないんだ?」

 

 何年か前に腰を悪くしてしまったおばーちゃんの代わりに、今は蒼がこの駄菓子屋を切り盛りしている。バイトを雇っているとはいえ、いつもは店にいるはずだけど。

 

「蒼ちゃんは奥の部屋で着替えています。もうすぐ出てくるとは思いますけど」

 

 声がした方を見ると、藍がカウンターの奥で弁当箱を片付けていた。

 

「藍、今日もここで昼を食べてるのか」

 

「はい。蒼ちゃんの仕事っぷりを眺めながらお昼を食べる。毎日の日課です」

 

 大き目の三つ編みにまとめられた髪と、すっかり見慣れたスーツ姿。藍は現在、島の小学校で教師をしている。

 

 先生としての評価も高いらしいけど、昼休みになると学校を抜け出して、この駄菓子屋でお昼を食べている。

 

 一応羽未の担任なわけだし、大人としてもう少し子供の模範になるような行動をしてもらいたいところだけど。

 

「あいせんせー、こんにちはー」

 

「羽未ちゃん、こんにちは。今日もかわいいですね」

 

「えへへー」

 

 藍はカウンターから出てきて、羽未と目線が同じになるように屈みながらその頭を撫でてくれる。

 

「せんせーはなつやすみないのー?」

 

「残念ながらないんですよ。大人ですから」

 

「せんせー、かわいそう……」

 

 藍が普段と同じ格好をしているのを見て、子供心にそう思ったんだろう。心底悲しそうにそう言って、うなだれる。

 

「羽未ちゃんたちにきちんと教えられるように、先生たちもお勉強が必要なんです」

 

「せんせーもべんきょうするの?」

 

「そうですよ。今日は心理学を学びました」

 

「……??」

 

 先生は夏休み中も会議や研修がある……って以前聞いたことがあるけど、羽未にいきなりそれを言っても分からないと思う。

 

「例えば、羽未ちゃんが駄菓子屋に来た理由を当てることもできますよ。ずばり、かき氷ですね」

 

「あたり! せんせい、すごい!」

 

 見事に考えを当てられて、羽未は目を丸くしていた。

 

 羽未の視線はずっとかき氷器に釘付けになっていたし、簡単にわかるだろうけど……それって心理学関係あるのかな。

 

「……さすが、先生も板についてきたな」

 

「羽依里さんに褒められても嬉しくありませんよ。それより堀田ちゃん、私と羽未ちゃんにかき氷ください」

 

「いいですけど、藍さんは休み時間、まだ大丈夫なんですか?」

 

「心配はいりません。夏休みで授業もありませんし、窮屈な職員室に籠っていても息が詰まるだけですから」

 

「……おいおい」

 

 ため息をつきながらも堀田ちゃんは冷凍庫に向かい、そこから氷の塊を取り出す。

 

「……まあいいですけど。それでお二人とも、何味にします?」

 

 そして慣れた手つきで氷をかき氷器にセットして、羽未と藍に尋ねる。

 

「私はレモンでお願いします」

 

「えっと、いちご!」

 

「わかりました。ふたつで200万円です!」

 

「……ほら、おとーさん、200円だそうですよ」

 

「え、もしかして、藍の分も俺が払うの?」

 

「そうですよ。さすが、羽未ちゃんのおとーさんは優しいですね」

 

「うん。やさしいー」

 

 藍は羽未の肩を抱くようにしながら、顔を並べて笑顔を向けて来る。羽未は純粋な笑顔なのに対し、藍は何か含みのある笑顔だった。

 

「仕方ないな……ほい。200円」

 

「あ、199万9800円足りないですよ?」

 

 駄菓子屋伝統のお約束をして、堀田ちゃんに代金を手渡す。不満はあるけど、この際藍の分は授業料だと思って我慢しよう。下手に反発したら、後が怖いし。

 

 

 

 

「はーい。かき氷、お待たせしましたー」

 

「ありがとー!」

 

 しばらくして、堀田ちゃんが大盛のかき氷を持って来てくれた。羽未はそれを受け取ると、ベンチに座って嬉しそうに食べ始める。

 

「くーださーいなー」

 

「あ、夏海さん、いらっしゃーい」

 

 その時、夏海ちゃんがやってきた。麦わら帽子にTシャツ姿で、首にタオルを巻いてる。この暑い中、畑仕事でもしてたのかな。

 

「ほっちゃん、チューベください!」

 

「はい、30万円ですよー」

 

 注文を聞くと、すぐにアイスクリームストッカーからチューベを取り出していた。さすが手慣れている。

 

「夏海さん、今日も畑仕事ですか?」

 

「うん! 暑いけど、草取りだけやっとこうと思ったの!」

 

 代金の代わりに青色のチューベを受け取った夏海ちゃんは、被っていた麦わら帽子を取りながら堀田ちゃんと談笑していた。

 

 あの二人は年も近いし、仲が良いみたいだ。夏海ちゃん、堀田ちゃんにはタメ口だし。

 

「あ、羽依里たち、いらっしゃーい」

 

 ……そんな二人を見ていたら、店の奥から蒼が出てきた。

 

「良い所に来てくれた。蒼に相談があるんだけどさ」

 

「へっ、相談?」

 

 ようやく店主が出てきたところで、俺は自由研究について聞いてみることにした。ここなら教材になりそうなものがありそうだし。

 

「んー、自由研究ねー」

 

「ああ、こういうのって早い方がいいと思ってさ。駄菓子屋にそれっぽいの、売ってないか?」

 

「そうねー。昆虫採集セットとかならあるけど?」

 

 蒼が奥の棚を探しながら、そう提案してくれる。昆虫採集か……。

 

「さすがに羽未にさせるのはまだ早いと思う。その、ぐろいしさ」

 

「え、あたしとか子供の頃、けっこう平気でやってたけど」

 

「そ、そこはほら、昆虫学者の娘だしさ」

 

 俺は羽未が嬉々として昆虫に注射針を刺してる場面を想像してみる。うん。絶対無理だ。

 

 なにより今日の虫取りの成果を見ていたら、素材集めすら難しそうだ。虫を捕まえられないと、標本にもできないし。

 

「昆虫採集より、浜辺で貝殻を集めて工作してみるのはどうです? 実際に写真立てとかを作ってくる女の子は多いですよ」

 

 その時、藍がかき氷を食べながらそう教えてくれた。実際に子供たちとふれあう先生の意見だし、参考になるけど……。

 

「何か違うんだよな。もっとこう、夏休みの思い出になるようなものにしてあげたい」

 

 羽未にとって初めての夏休みだし。うまく説明できないけど、それを見るだけでその夏休みを思い出せるようなものに……。

 

 俺は頭を掻きながら店内を見渡す。何かないかな。

 

「あの、羽依里さん。さっきから何の話してるんですか?」

 

 そんな俺の様子を見てか、夏海ちゃんが食べかけのチューベを持ったまま聞いてきた。

 

「ああ、羽未の自由研究のネタ探しをちょっとね」

 

「自由研究ですか? うーん」

 

 気になったんだろうか。夏海ちゃんがきょろきょろと店の中を見渡しながら、何か探してくれている。

 

「あ、これなんかどうですか?」

 

 そう言いながら彼女が棚から取り上げたのは、一冊の絵日記帳だった。

 

「なっちゃん、それなに?」

 

 自分の話題が出ていることに気づいたんだろうか。そのタイミングで、ベンチでかき氷を食べていた羽未もこっちにやってきた。

 

「絵日記帳ですよ。ここにその日の出来事を文字で書いて、その上に絵を描くんです」

 

「えにっき、なっちゃんもかいたことあるー?」

 

「ありますよー。毎日、夏の思い出を書き残してたんです。夏休みの終わりには、すごくいい思い出になるんです!」

 

「……うみもやってみたい!」

 

 真っ白いページを見つめていた羽未が、決意を込めてそう口にしていた。これは、自由研究は絵日記で決まりみたいだ。

 

「わかった。蒼、この絵日記帳もらえるか?」

 

「いいわよー。他ならぬ羽未ちゃんのためだし、特別に半額サービスにしたげる」

 

「え、蒼さん、突然そんな。仕入れの関係もあるのに」

 

「そんな細かい事いいのよ! もってけドロボー!」

 

「おいおい……」

 

 突然の値引き発言に堀田ちゃんは後ろを向いて頭を抱えていた。それにしてもいきなり半額にしてくれるなんて、いくらなんでも悪い気がするな。

 

「でも、絵日記書くにはこっちのクレヨンセットか色鉛筆セットが必要よねー?」

 

「うっ」

 

 蒼は笑顔で右手にクレヨンセット、左手に色鉛筆セットを持っていた。やけに気前がいいと思っていたけど、そういうことか。さすが商魂逞しい。

 

「安くしとくわよー?」

 

「……じゃ、じゃあ、色鉛筆セットもらおう、かな……」

 

「まいどありー」

 

 もちろん、色鉛筆セットは定価だった。合わせてみると結構な出費になったけど、これも羽未のためだ。

 

 俺はそう思うことにして、お昼まで駄菓子屋で過ごした。絵日記の書き方は、夜にでも教えてあげることにしよう。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「ただいまー」

 

「おかえりなさい。すぐお昼ごはんにするから、二人とも手を洗ってきてね」

 

「はーい!」

 

 加藤家に帰宅すると、ちょうど12時。出迎えてくれたしろはに言われた通り、羽未と一緒に洗面所へと向かう。

 

 手洗いを終えて居間に戻ると、食卓の上にめんつゆの入ったガラスの器が三つ置かれていた。

 

「おお、今日のお昼はそうめんなのか」

 

「そう。羽依里の家からお中元でもらったやつだよ」

 

 台所にいるしろはが背中を向けたままそう返してくれた。そういえば昨日、うちの実家からお中元が届いていた気がする。中身はそうめんだったのか。

 

「うちの親、もっと気が利いたもの送ればいいのに。岡山なんだから果物とか、ホルモンうどんとかさ」

 

「羽依里、もらいものに文句言っちゃいけないよ? それに、そうめんは色々と使い道があるんだから」

 

 思わず愚痴をこぼしていると、しろはが器に盛られたそうめんを運んできてくれた。上に乗っかった氷が涼しげで、すごくおいしそうだ。

 

「おいしそうー」

 

「薬味も色々用意してあるから、二人ともたくさん食べてね」

 

「よし羽未、たくさん食べような」

 

「うん! いただきまーす!」

 

 しろはが席に着くのを確認してから、家族三人一緒に食事を始めた。

 

 

 

 

「おかやまばーばのそうめん、おいしかったー」

 

 食べ過ぎたのか、お腹を押さえる羽未を微笑ましく見ながら、食休みをする。薬味のミョウガが美味しくて、俺もつい食べ過ぎてしまった。

 

「そういえば、お昼からは鴎が羽未と遊んでくれるらしいぞ」

 

「そうなんだ。鴎、島に来てるんだね」

 

「ああ。恒例のサマーキャンプやるって、意気込んでた」

 

「きっと他にも色々なイベントを企画してくれてるんだと思うよ。鴎、本当にそういうの得意だし」

 

「期待の若社長……じゃない。団長だもんな」

 

「そうそう。鴎団長」

 

 以前のイベントで、船長のコスチュームを着てノリノリで口上を述べていた鴎の姿を思い出して、二人で笑う。あれはあれですごく似合っていた。

 

「羽未ちゃーん、むかえにきたよー」

 

「ウミさーん、遊びに行きましょー」

 

 ……噂をすればなんとやら。その鴎団長が迎えに来てくれたみたいだ。一緒に紬の声もした気がするけど、ビラ配りは終わったのかな。

 

「ほら羽未ちゃん、お友達が来たよ。お出迎えしないと」

 

「はーい!」

 

 しろはに促されて、座っていた羽未が元気良く立ち上がって玄関へと向かう。

 

 羽未も同級生の友達がいないわけじゃないんだけど、俺の友人たちとも年齢関係なく一緒に遊んでいた。

 

 皆が島のおにーさん、おねーさんとして羽未の相手をしてくれるおかげで、俺たちも民宿の仕事に集中できるわけだし。皆には感謝しかない。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「……今日のお客さんは夕飯希望だったよね。それじゃ、買い出しに行ってくるから」

 

「ああ。よろしくな」

 

 ……羽未が出かけるのを見送った後、俺としろはは手分けして仕事に取りかかる。

 

 料理担当のしろはが買い出しをしてくれている間に、俺はお客さん用の風呂とトイレ、洗面所の掃除をする。

 

 家庭的な雰囲気溢れる、一日一組限定の小さな民宿……ってのがコンセプトだけど、さすがにこの辺りは俺たちと共用にするわけにはいかなかったし。加藤家を改装した時に新しくシャワートイレ付きの立派なユニットバスを設置した。

 

 でも、これはあくまでお客さん用。俺たちは相変わらず、ハイテクかローテクかわからないお風呂を使っていた。

 

「……よし、だいたいこんなもんかな」

 

 水回りの掃除を終えて、今度は客室の掃除に取りかかる。

 

 玄関から見て左側の、曲がりくねった廊下を抜けた先にある部屋。そこが客室だった。

 

「この部屋の掃除も簡単なもんだよな」

 

 ここは以前俺が下宿していた部屋だし、掃除も手慣れたものだった。掃除機を使うまでもなく、ほうきとちりとりだけであっという間に終わってしまった。

 

 

 

 

「鷹原、いるか?」

 

 そして掃除用具を片付けていると、玄関から天善の声がした。出てみると、家の前に軽トラが横付けされていた。

 

「頼まれていた扇風機の修理が終わったから、持ってきたぞ」

 

「え、もう終わったのか。天善、さすがだな」

 

 先日、壊れた扇風機がいくつも出てきたから、天善に修理を依頼していたんだけど。家業の修理屋を継いだだけあって、さすが仕事が早い。

 

「全部で三台だったな。客室の方に運んでおけばいいか?」

 

「ありがとう。玄関に置いてくれれば、後で片づけるよ」

 

「わかった。もし不具合が起こるようなら、また電話してくれ」

 

 そう言いながら、天善は軽トラの荷台から扇風機を運び入れてくれた。

 

 加藤家はクーラーがついていないし、暑がりなお客さん用に扇風機は多めに用意しておきたかったから、修理が間に合ってよかった。

 

「そういえば紬から聞いたぞ。静久がもうすぐ島に来るんだってな」

 

 修理代金を支払いながらそんな話をする。天善と静久は結婚してまだ一年も経っていないんだけど、静久は芸術家という仕事の関係か、なかなか島に戻って来れない。

 

「確か、6月に一度帰ってきて以来だよな。天善も待ちに待ったんじゃないか?」

 

「ふっ、毎日かかさず電話はしているし、別に寂しくなどないさ」

 

 天善はそう言うけど、言葉の端々に嬉しさがにじみ出ているのがわかる。

 

「もし俺がしろはや羽未と何ヶ月も離れて暮らすことになったら、寂しくて死んじゃうけどなぁ」

 

「た、例え二人の距離は離れていても、混合ダブルスの結束は揺るがないさ。それではな」

 

 天善は突然の卓球例えで茶を濁すと、そのまま足早に軽トラに乗り込んで走り去っていった。話していて、急に恥ずかしくなったらしい。

 

「……天善君、すごく慌ててたみたいだけど、何かあったの?」

 

「ああ……しろは、おかえり」

 

 そんな軽トラを見送った直後、同じ方向から買い出しを終えたしろはが帰ってきた。

 

「扇風機の修理が終わったらしくてさ。持って来てくれたんだ」

 

「もう修理できたんだ。さすがだね」

 

 そう言うしろはは、両手に大きな袋を持っていた。食材が入ってるんだろうけど、重そうだ。

 

「しろは、台所まで荷物持とうか?」

 

「ううん、大丈夫。それより、庭の草取りと玄関前の掃除をお願いできるかな。お客さんを迎えるのに、あの庭はどうかと思うし」

 

 そう言いながら横目で庭を見る。確かに、ちょっと草が伸びてるかも。

 

「わかった。すぐにやっておくよ」

 

「うん。よろしくね」

 

 しろはは俺に少しだけ微笑んだ後、台所の方へ向かっていった。相変わらず、若女将は手厳しい。軍手、どこかにあったかな。

 

 

 

 

「ちーっす」

 

「お邪魔するぞ」

 

 結局軍手は見つからず、素手のまま庭の草取りをしていると、今度は良一とのみきがやってきた。

 

「あれ? 二人とも、どうしたんだ?」

 

「デートのついでに寄った」

 

「ち、違うぞ。良一が魚を獲りすぎたから、おすそ分けに来たんだ」

 

 笑みを浮かべる良一とは対照的に、のみきは顔を真っ赤にしながらそう説明する。言われてみれば、良一の手にはビニール袋が握ら

れていた。

 

「おお、いつもありがとうな。直接受け取りたいんだけど、手がこんなだからさ。今、しろはを呼ぶよ」

 

 俺は土にまみれた両手を見せる。さすがにこの手じゃ受け取れない。俺は家の中に向かって、しろはの名を呼ぶ。

 

「あれ、どうしたの?」

 

「しろはと羽未ちゃんにおすそ分けだ」

 

 そして出てきたしろはへ、良一がそう言いながら袋を手渡していた。なんか、俺の名前が入っていない気がするけど。

 

「今日はのみきも一緒なんだね。珍しい」

 

「良一とデートなんだってさ」

 

「だ、だから違うぞ! たまたま、方向が同じだっただけだ!」

 

 俺が話に乗っかると、のみきはもう一度否定してきた。この二人も結婚して結構経つんだけど、いつまでも恋人同士のノリだ。見る方としては楽しいけど。

 

「そうだ。二人とも、ちょっと待ってて」

 

 そんな中、しろはは受け取った袋を持って家の中に戻り、すぐに別の袋を持って戻ってきた。

 

「今朝、たくさんの野菜をもらったんだけど、少し持って帰らない? キュウリやカボチャなんだけど」

 

「お、サンキュー。のみきがカボチャ好きでよー」

 

 もらった魚のお返しにと、しろはも野菜をおすそ分けしたみたいだ。二人はそれを受け取ると、嬉しそうに帰っていった。

 

 

 

 

「……思わぬ貰い物だったな。のみき、カボチャ好きだもんな」

 

「べ、別に取り立ててカボチャが好きというわけじゃないぞ。お前の作るカボチャコロッケが好きなだけだ」

 

「コロッケが好きとか、相変わらずお子様舌だよなー」

 

「う、うるさい」

 

 去っていく二人から、そんな会話が漏れ聞こえた。うん。相変わらずラブラブみたいだ。

 

 

 

 

「……さて、俺も草むしりを終わらせないと」

 

 そんな二人の背中が門の向こうに消えるまで見送ってから、俺も草むしりを再開した。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「すみませーん!」

 

「あ、はーい!」

 

 ……やがて時間が過ぎ、16時。今日のお客さんがやってきた。

 

 草むしりを終えて、台所のしろはを手伝っていた俺は、急いで玄関へ出迎えにいく。

 

「お待ちしていました。加藤家へようこそ」

 

「おおー、良い感じの古民家だねぇ。瑚太郎君」

 

「ああ、わびさびがあるよな」

 

「天王寺瑚太郎さま、2名でよろしいですか」

 

「そうです。お世話になります」

 

 玄関に出てみると、そこには一組の男女が立っていた。女性の方は茶色い髪の一部を三つ編みにした特徴的な髪形をしていて、男性の方にべったりくっついていた。男性の方はというと、女性より少し薄い髪色で、優しそうな目をしていた。苗字が同じだし、夫婦なんだろう。

 

「本日は観光ですか?」

 

「ええ、ちょっと新婚旅行で」

 

「そこまで正直に言うやつがあるかい……ていっ! 癒し拳!」

 

「おうっ」

 

 当たり障りのない会話をしようとしたら、そう口にした男性の顔に女性が笑顔でパンチをお見舞いしていた。対して痛そうには見えなかったけど、男性は緑色の光に包まれながら倒れ込んだ。なんだろう今の。目の錯覚かな。

 

「ちゃんと回復してるから平気。そのうち復活すると思うから、先にお部屋に案内してほしいな」

 

 そう言って、女性は何事もなかったかのように男性の荷物を手に取る。

 

「は、はい。お部屋はこちらになります」

 

 俺はその笑顔に謎の恐怖を感じながら、客室へと案内することにした。

 

 

 

 

「……おお、イメージ通りだねぇ。良き良き」

 

「へぇ。昔のばあちゃん家とかこんな感じだよな」

 

 二人を部屋に案内して、設備やトイレの場所、お風呂の時間など諸々の説明をする。

 

 その間も、二人は興味津々に室内を見渡していた。どうやら喜んでくれてるみたいでよかった。

 

 ちなみに女性の言う通り、男性はすぐに復活してきた。心なしか元気になってる気がするし、本当に回復したのかな。

 

「それでオーナーさん、ごはんは何時?」

 

「18時を予定しています。お部屋にお運びしますので、それまでごゆっくりお過ごしください」

 

 基本、お客さんが3人までなら夕食は部屋で食べてもらうことになっている。4人以上だと部屋に配膳しきれないから、しろは食堂を使ってもらうことになっている。

 

 その食堂も民宿を始めた時に一度閉じてしまったんだけど、しろはの思い出が詰まった場所ということもあって、最近はなにかと理由をつけて使うようにしていた。

 

「島といえば、新鮮なお魚だよねぇ。風祭には海がないし、お刺身楽しみ」

 

 ……その時、そんな女性の呟きを俺は聞き逃さなかった。なるほど、女性の方はお刺身希望か。あとでしろはに伝えておこう。

 

「それでは、失礼します」

 

 俺はそう考えながら二人に頭を下げて、部屋のふすまに手をかける。

 

「あ、オーナーさん」

 

「え? なんでしょう?」

 

 そのまま部屋を後にしようとしたら、女性の方に呼び止められた。

 

「晩ごはんまでもう少し時間があるし、近場のスポット巡りをしたいんだけどさ」

 

 女性はその手に、港で配られている鳥白島観光協会のパンフレットを持っていた。

 

 確かあのパンフレット、鴎とのみきが監修して何年か前に新しくしたやつだ。表紙には静久が作ったオブジェや、紬の灯台が大きく載っている。

 

「このパンフレットに載ってる静久先生のアート作品は大体見て回ったんだけど、このおっぱい岩ってのだけ場所がわからなくて見れてないの。ここの近くにあるらしいんだけど、オーナーさん、わかる?」

 

「お、おっぱい岩ですか? 一応、この民宿を出た道路の向かいにそれらしいものがありますが」

 

 そういえば加藤家前の通りにいある岩に、静久がそんな名前を付けていたような気がする。言われて思い出したけど、あれ、パンフレットに載ってるんだ。

 

「小鳥、そんなの見なくていいだろ」

 

「瑚太郎君、おっぱいを笑う者は、おっぱいに泣くんだよ? しっかり拝んで、お賽銭に入れとこう。無論、小銭で」

 

 女性は握りこぶしを作っていた。俺からしてみればただの岩だし、そこまで気合い入れて見るものかな。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「ほらほらいくよ瑚太郎君!」

 

「そ、それじゃ、夕飯までには戻ってきます」

 

「はい。いってらっしゃい」

 

 次の行き先が決まると、二人は荷物を置くだけおいて、大した休憩も取らずに出かけていった。

 

 男性の方、なんだかんだで女性に振り回されてる気がする。今も手を繋いでいたし、夫婦仲は良いみたいだけど。

 

「おとーさーん!」

 

 そんな二人を見送った直後、反対側の道から羽未の声がした。そろそろ17時近いし、帰ってきたみたいだ。

 

「ああ、羽未、おかえり……」

 

「おとーさーん! たいへーん!」

 

 出迎えてあげようと声のする方へ顔を向けると、切羽詰まった顔をした羽未がこっちに走ってきた。

 

「え、大変?」

 

「いきだおれー!」

 

 行き倒れ???

 

「緊急搬送だよ―――!」

 

 羽未の言葉の真意を計りかねていると、その羽未に続くように鴎がスーツケースを押してきた。

 

 その上には突っ伏すように、一人の女の子が乗っていた。ぐったりしている。

 

「鴎、その子どうしたんだ?」

 

「さっき、そこで拾ったの!」

 

 犬猫じゃないんだから、その表現はやめてあげて。

 

「うう、食べ物を……」

 

 その時、赤髪の少女はスーツケースに突っ伏しながらそう呻いた。その言葉に合わせる様に、身につけた着物の裾が僅かに振れる。今時着物? 珍しいな。

 

「ちょ、ちょっと待ってろよ!」

 

 って、今はそんなことを気にしている場合じゃない。俺は家の中へ飛び込むと、そのまま台所のしろはに声をかける。

 

「しろは、何かすぐに食べられそうなものがないか」

 

「え? 急にどうしたの?」

 

「ちょっとわけありみたいでさ。頼むよ」

 

「……わかった。ちょうどご飯が炊きあがったし、おにぎりにするね」

 

 俺の様子を見て只事ではないと悟ったのか、しろははそれ以上言及することなく炊飯器の蓋を開けると、まだ熱いであろうご飯を素早く握っておにぎりにしてくれた。さすが、手慣れてる。

 

「できたよ。これをどうするの」

 

「ありがとう。行き倒れがいるんだ!」

 

 俺はおぼんに乗ったおにぎりを受け取ると、そのまま玄関へと引き返した。

 

 

 

 

「おーい、大丈夫か。このおにぎりを食べろ」

 

 俺が戻ってみると、鴎が肩を貸したのか、着物の少女はスーツケースを降りて式台の所に座っていた。

 

「お、おお……おむすびじゃないか」

 

 少女はそのおにぎりを見るや、目を大きく見開いてわなわなと震えていた。おむすび? おにぎりじゃないのか?

 

「……いただきます!」

 

 そしてその場で正座をして、きちんと手を合わせてからおむすびにかじりついた。

 

「はむっ。むぐむぐ。もぐむぐ……」

 

「いやー、すごく美味しそうに食べるねぇ」

 

 俺の隣に立つ鴎が言う通り、見事な食べっぷりだった。まだ熱いはずなのに、それをものともせずに口へ放り込んでいく。

 

「そのおむすびはしろはが作ったんだ。後でお礼を言うんだぞ」

 

「もぐ……しろは?」

 

「俺の妻だよ。ここで一緒に民宿をやっていて、たまたまご飯があったんだ」

 

 俺は奥の台所を指差しながら、そう説明する。少女はおむすびを頬張ったまま、視線だけをそちらへ向けていた。

 

「なるほど。つまり、キミとしろはさんの繋がりが、僕の命を繋いだということだね……むぐ」

 

「え? いや、そんな大袈裟なことじゃないと思うけど……」

 

「いやいや、このおむすびに込められた愛情という名の隠し味。しかと感じたぜ?」

 

「愛情? おむすびに?」

 

「そうさ。おむすびはお米で人と人を結ぶものだしね……ごちそうさま」

 

 そう熱弁を振るいながらも、少女はしろはが用意した3つのおむすびをあっという間に平らげてしまった。なんて早さだ。

 

「いやー、食べた食べた。ありがとう。おかげで助かったよ」

 

 着物の少女はお腹を押さえながら、満足そうな笑みを浮かべる。あれだけおいしそうに食べてもらえれば、お米としても本望だろうな。

 

「ねぇねぇ。ところで、どうしてキミは道端に倒れてたの? 私、びっくりしちゃったんだけど」

 

 少女が空腹を満たしたのを見計らって、鴎が一番にそう聞いていた。言葉からして、道端に倒れているのを最初に見つけたのは鴎みたいだし、その経緯は気になるところだろう。

 

「どうしてって、お腹が空いていたからに決まってるじゃないか」

 

 この子もそう胸を張って言わなくても。というか、お腹が空いていても普通行き倒れにはならないと思う。

 

「それに、僕の名前はキミじゃないよ。識さ」

 

「シキ? どんな字を書くの?」

 

「知識の識さ」

 

「識……変わった名字だな」

 

 もうこの島に住んで長いけど、聞いたことのない名字だった。

 

「いや、識は名前さ。名字は神山って言うんだ」

 

「あ、そうなのか」

 

 神山識。どちらにしても名字は聞いたことがなかったし、たぶん本土からやってきたんだろう。

 

「それで、君たちは?」

 

「私は久島鴎。よろしく、シキシキ!」

 

「ぶえっ!?」

 

 鴎は本人の許可も得ず、さっそくあだ名で呼んでいた。相変わらずマッハで距離を詰めていくやつだ。

 

「俺は鷹原羽依里。さっきも言ったけど、妻のしろはとこの民宿を経営しているんだ」

 

「鴎先輩と羽依里くんだね。覚えたぜ」

 

「か、鴎先輩……!?」

 

 よくわからないけど、そう呼ばれた鴎の瞳がキラキラと輝いていた。

 

 ところで、どうして俺はくん付けなんだろう。別に先輩呼びしてもらいたいわけじゃないけど、識の方が随分年下に見えるのに。

 

「じー……」

 

 その時、視線を感じた。思わず振り返ると、いつの間にか家の中に入っていたらしい羽未が、おずおずとこちらを見ていた。

 

「ああ、羽未。ちょっとこっちに……」

 

「あれ? うみさんじゃないか。やっと見つけたぜ!」

 

「……?」

 

 そんな羽未をこっちに呼ぼうとしたら、先に識が嬉しそうに声をかけていた。

 

 一瞬、二人は知り合いなのかとも思ったけど、声をかけられた羽未は首をかしげていた。もしかして、識が一方的に知ってるだけなのかな。

 

「羽未ちゃん、ちょっとお手伝いしてほしいんだけど」

 

「うんー」

 

 そんな折、台所のしろはに呼ばれて羽未の姿が奥に消えた。その場に残された俺たちの間には、何とも言えない空気が流れる。

 

「えーっと、今のは俺の娘だけど……識は羽未を知ってるのか?」

 

「いや……どうやら、人違いだったみたいだぜ」

 

 そう言って、何とも言えない笑みを浮かべていた。なんとなく、腑に落ちないのかな。

 

「それより、キミ達は僕の命の恩人だ。お礼になんでも一つ、願い事を叶えるぜ?」

 

「え、なんでもいいの!?」

 

 識の言葉を聞いて、鴎の目が輝いた。そういうの、好きそうだしな。

 

「ああ、なんでもいいぜ?」

 

「じゃあまず、その願い事を三つに増やしてほしいんだけど!」

 

「……鴎先輩、強欲は身を滅ぼすぜ?」

 

 ……鴎は自信満々にそう頼んでいたけど、どうやら駄目みたいだ。某千夜一夜物語の魔人もその手の願いには厳しいし。

 

「じゃあ、私と友達になろう!」

 

「それならお安い御用さ!」

 

 願い事を増やす願いが却下された鴎は、続けてそうお願いしていた。これは即了承されたらしい。

 

「ありがとう! それで、羽依里はどうするの?」

 

「そうだなぁ……じゃあ俺の願いだけど、少しで良いから民宿の手伝いをしてくれないか?」

 

 俺は少し考えて、そう口にしていた。

 

 夕食の準備をしているしろはは、羽未の手も借りたいくらい忙しいみたいだし。識に手伝ってもらえば少しは楽になるかもしれない。

 

「お、鬼だ……」

 

「え?」

 

「対価に労働を課すなんて……まさに鬼の所業」

 

 識は涙ぐみながら、何か言っていた。

 

「いや、識は先におむすび食べただろ? その対価ってことで……」

 

「うぐっ……ひっく……」

 

 うまく意図が伝わらなかったのかと思った俺は、もう一度丁寧に説明する。しかしその間にも、識はその顔を歪めていく。

 

「ぶえええええーーー! 羽依里くんの鬼ーーーー!」

 

 そして識は俺の言葉に耳を貸すことなく、泣きながら走り去っていってしまった。

 

「あーあ、羽依里が泣かした」

 

「え、俺が悪いのか……?」

 

 予想外の行動に呆気に取られていると、鴎がそう呟いていた。それにしても、ものすごい足の速さだった。

 

「……それじゃ、そろそろ私も帰るね。羽未ちゃんによろしく」

 

「ああ。鴎、羽未の面倒を見てくれてありがとうな」

 

「ううん。私も楽しかったし」

 

 俺たちは敢えて何も見なかったことにして、別れの挨拶を済ませる。これが大人の対応ってやつだ。

 

「また羽未ちゃんにパリンキー劇場見せてあげるって伝えて。それじゃー」

 

 鴎は元気に手を振りながら去っていった。ところで、パリンキー劇場ってなんだろう。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「……うん。完成」

 

 ……その後はしろはの元へ行き、夕食の準備を手伝った。

 

 俺は未だまともに料理はできないけど、家族で同じ作業に取り組むこの時間が好きだった。

 

「しろは、今日のメニューは?」

 

「メインは良一からもらった魚の煮つけと、お刺身だね。山菜のおひたしに、夏海ちゃんが持って来てくれた野菜もサラダにしたよ」

 

「よし、それじゃ、運ぼう」

 

 天王寺夫妻も少し前に帰ってきたみたいだし。いい頃合いだろう。

 

「失礼しまーす。夕飯をお持ちしましたー」

 

「い、いらっしゃいませ」

 

 俺を先頭にして、家族で食事を運ぶ。

 

「こちらが料理を担当している家内です」

 

「ど、どうも……」

 

 だいぶ慣れてきたけど、しろはは時々人見知りが発動する。島民相手なら大丈夫なんだけど、民宿のお客さんは基本初対面だしなぁ。

 

「おお、お刺身! 美味しそう!」

 

「夕方揚がったばかりの魚ですので、新鮮ですよ」

 

「どうぞ、めしあがれー」

 

「こっちは娘です。ほら、挨拶して」

 

 料理の説明もしつつ、一緒に家族も紹介する。これがいつもの流れだった。

 

 

 

 

「一時間ほどしたら器を下げに来ますので。それでは、失礼します」

 

 最後にそう伝えて、静かにふすまを閉じる。

 

「……この魚、美味しいねぇ」

 

「このおひたしもシャキシャキして最高だぞ」

 

 去り際、ふすまの向こうからそんな会話が聞こえた。

 

 直接感想は聞けないんだけど、お客さんがしろはの作った料理を美味しく食べてくれている。それがわかるだけで嬉しかった。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「おしょうゆとってー、おとーさん」

 

「ほら。辛くなるから、あまりお刺身につけすぎちゃ駄目だぞ」

 

「うんー」

 

 お客さんに食事を提供した後は、俺たちも自室で夕食を済ませる。作る手間を考えて、お客さんがいる時は基本お客さんと同じものだ。

 

 どうしても魚料理が主になるけど、お客さんによっては夕飯は外で食べるから不要という人もいるし。毎日というわけじゃない。

 

 

 

 

「……ごちそうさまでしたー。いやー、おいしかったよー」

 

 食休みをしていると、女性の方がわざわざ部屋から食器を運んできてくれた。

 

「あ、奥様、わざわざすみません」

 

 俺は慌てて立ち上がって、それを受け取る。

 

「おおう……奥様なんて呼ばれ慣れてないから、心臓に悪い」

 

「え?」

 

「オーナーさん、ここは小鳥さんと呼んでおくれ」

 

「は、はぁ……わかりました」

 

 よくわからないけど、本人がそう呼んでくれというんだし。そうすることにしよう。呼ぶ機会があるかはわからないけど。

 

「それじゃ、食後の夕涼みに行ってきまーす」

 

「その間にお布団をご用意させていただきますね。お風呂は好きな時間に入って頂いて構いませんが、フロントの方は20時までですので、よろしくお願いします」

 

「わかりましたー」

 

 玄関の方へ向かう二人にそう声をかける。加藤家ではお風呂をセルフで沸かしてもらう代わりに、入浴時間は特に決めていない。時間指定とかされると、のんびり入れなさそうだし。

 

「小鳥、風呂は一緒に入るのか?」

 

「入るかいっ」

 

「おうっ」

 

 悪戯っぽくそう言った男性が裏拳でぽこんと殴られていた。また回復したのかな。

 

「……うーん。さすが新婚さんだなぁ」

 

 二人の姿が見えなくなってから、俺は思わずそう呟く。

 

 今思い返せば、俺としろはの新婚時代もあんな感じだった。まず最初は一緒にお風呂からよ!って蒼からアドバイスをもらって、俺が何度もしろはに迫ったこともあったっけ。

 

 ……しつこく誘いすぎて、最後はどすこい言われたけど。

 

「……さて、変なこと思い出してないで、布団を用意しておかないと」

 

 俺は蘇ってきた思い出を懐かしみながら、客室へと向かった。とりあえず布団、二組で良いんだよな……?

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

 ……やがて20時にフロントを閉鎖して、家族の時間になる。

 

 一応、何かあったら呼んでくださいとお客さんには伝えているけど、実際に呼ばれたことは殆どない。一度、部屋に黒光りする虫が出たと呼ばれたくらいだ。

 

「しろは、今日もお疲れ様」

 

 戸締りを確認して自室に戻ると、先に羽未と入浴を済ませたしろはは日課の家計簿と日記をつけていた。食材料費やお客さんの情報、それに、日々の暮らしで気になったことなどを書いているらしい。

 

「料理だけじゃなく、書き物まで任せちゃって悪いな」

 

「曲がりなりにも食堂を経営していた経験があるからね。できたら羽依里にももっと頑張ってほしいけど」

 

「うーん、それなりに頑張ってるつもりなんだけどなぁ」

 

 昔から運動一辺倒だったせいか、どうも机仕事は苦手だ。

 

「おとーさん、えにっきー」

 

 しろはから痛い所を突かれて頭を掻いていると、絵日記帳と色鉛筆を手にした羽未が笑顔で俺の膝にやってきた。洗いたての髪から、シャンプーの良い匂いがした。

 

「よしよし、おとーさんが書き方を教えてあげるからな」

 

 そう言って、俺は羽未と一緒に絵日記の最初のページを開いた。

 

 

 

 

「あ……羽未はもう寝ちゃったのか」

 

 風呂から戻ってみると、部屋の明かりは小さくなっていて、隅に置かれた机の卓上ライトだけが灯っていた。

 

「うん。絵日記を書き終えたら、すぐに寝ちゃったよ。余程疲れてたんだね」

 

 少し書き方を教えたら、羽未はすぐに自分で書くと言って色鉛筆を握った。集中していたし、邪魔しちゃ悪いと思って俺は風呂に行ったんだけど、その間に書き終えてしまったらしい。

 

「今日も朝から神社で虫取りしたり、遊びまわってたしなぁ。疲れたんだろうな」

 

 しろはが敷いてくれた布団の中で、すやすやと眠っている羽未の頭を撫でてあげる。うっすらと笑ってるし、楽しい夢でも見てるんだろう。

 

「……あ」

 

 すると、その枕元に置かれた絵日記帳が目についた。

 

「さて、羽未はどんな絵日記を書いたのかな……」

 

 俺はおもむろに、そのページを開いてみる。

 

『7月25日 天気:はれ

 きょうは、かもめさんやつむぎさんとあそんだ。かえりみち、いきだおれのおねーちゃんをみつけた。おねーちゃんはかもめさんのスーツケースにのせられて、おうちにきんきゅーはんそーされた』

 

 ……そんな文章の上に、スーツケースに乗って目を回している識の絵が描かれてあった。できたらおとーさんとの虫取りについて書いて欲しかったけど、夕方の識との出会いのインパクトが強すぎたんだろう。

 

「おお、初めて書いたにしては、絵も文も上手じゃないか。さすがしろはの血筋だよな」

 

「……ちょっと羽依里、勝手に読んじゃダメだよ」

 

 その時、しろはからそう注意された。俺は反射的に絵日記帳を閉じる。

 

「ごめんごめん。最初だし、どんな風に書いてるのか気になっちゃってさ」

 

「……ところで羽未ちゃんの自由研究、どうして絵日記にしたの? 何か理由があるんだよね?」

 

 そしてしろはは書き物の手を止めて、俺の方に向き直る。ここは理由を話して置いた方が良いかもしれない。

 

「……うん。この絵日記を通してさ、羽未に教えてあげたいんだ」

 

「何を?」

 

「……夏休みの過ごし方」

 

「夏休みの、過ごし方?」

 

「そう。ほら、誰でも一番楽しかった夏休みってあるだろ? 小さなころのさ」

 

「うん」

 

 ―――どんなに遊んでもやることが尽きなかった、あの夏休み。

 

 ―――ありふれた毎日の中で、大人になっていく中で、俺たちがいつの間にか忘れてしまった、あの眩しさを。

 

「初めての夏休みの過ごし方を、羽未に教えてあげたいんだ」

 

「……そういうことなら、良い考えかもね。絵日記」

 

「だろ」

 

 意図を理解してくれたしろはは、羽未の寝顔を見つめながら優しい表情を浮かべる。

 

「それでさ。羽未のために、毎日イベントをしてあげようと思うんだ」

 

「え? イベント?」

 

「そう。どんな小さなことでもいいんだ。何を絵日記に書こうか悩むくらい、毎日イベントを用意してあげたい」

 

 羽未にとって初めての夏休みを、眩しい思い出でいっぱいにしてほしい。

 

 それを手助けするのも、親の務めだと思うし。

 

「でも、私たちも忙しいんだよ? 民宿もあるし」

 

「そこは、島の皆にも協力してもらってさ」

 

 確かに俺としろはだけじゃ厳しいと思うけど、今の俺には頼りになる島の仲間たちがいる。

 

「皆も忙しいかもだけど、協力すれば……何とかなると思うんだ。駄目かな」

 

「……わかった。いいよ」

 

 俺の熱意が伝わったのか、最初は驚いたような顔をしていたしろはも、次第に表情が緩んでいった。

 

「だけど、島の皆の説得は羽依里がしてね。あと、私もできるだけ手伝うけど、本業を疎かにするわけにはいかないし。そこは頑張ってね。おとーさん」

 

「ああ。しろは、ありがとうな」

 

「ううん。私も羽未ちゃんには楽しい夏休みを過ごしてもらいたいし」

 

「……よし。そうと決まれば、明日は朝から皆に相談して回らないとな」

 

「そうだね。なら、羽依里はそろそろ休まないと。明日は早いよ?」

 

「朝早いのはしろはも同じだろ。明日はお客さんの分の朝ごはんも作らなきゃいけないんだしさ」

 

「私はいいの。慣れてるから」

 

 しろははそう言うと、また机の方に向き直ってしまった。どうやら、ここは言われた通りにした方がよさそうだ。

 

「わかった。それじゃ、先に休ませてもらうよ。しろはも無理しないでくれな」

 

「うん。ありがとう。それじゃ、おやすみ」

 

「ああ。おやすみ、しろは」

 

 俺はしろはに挨拶をして、布団に潜り込む。

 

 

 ……明日になったら、島の皆に話をしてみよう。

 

 

 皆のことだし、きっと二つ返事でOKしてくれると思う。

 

 

 俺は隣で眠る羽未の頭をもう一度だけ撫でてから、瞼を閉じた。

 

 

 ……きっと、楽しい夏になる。

 

 

 

 

第一話・完




第一話・あとがき



皆さん、おはこんばんちわ。トミー@サマポケです。

今回から始まりました、SummerPockets #3。
前作『SummerPocket #2』の続編となりますが、多少オリジナル要素が強くなっているせいで原作と離れすぎていないか不安になっています。
Pocketルートの先の先にこんな未来がある……風に読んでいただけると嬉しいです。

さて、前作は羽依里君と夏海ちゃんがメインの夏休みでしたが、今回は羽未ちゃんと識がメインのお話になります。
その識をはじめとして、RB要素をできるだけ取り込みながら、前作同様楽しい夏休みにしたいと思いますので、応援よろしくお願いします(*'▽')

また、民宿となった加藤家の特徴を最大限に生かし、不定期に他の鍵作品とクロスオーバーをしようと考えています。
今回は瑚太郎君と小鳥さんのRewriteペアでしたが、このキャラを出してほしい!みたいなのがありましたら、ぜひご提案ください!

では、今回のあとがきはこの辺りで。
一言感想や評価など頂けましたら、次話執筆への活力になりますので、よろしくお願いします。
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