Summer Pockets #3   作:トミー@サマポケ

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第三話 7月27日

 

 

 

 

 

「あれ? 羽依里さん、今日はもう起きてるんですか?」

 

 朝早くから庭で作業していると、いつものように野菜の入った袋を持った夏海ちゃんがやってきた。

 

「ああ、夏海ちゃん。おはよう。相変わらず早いね」

 

「おはよーございます……」

 

 あれ、なんだか不満そうな顔をしてる。もしかして、俺の方が早く起きてるのが悔しいのかな。

 

「そ、そうだ。羽未はまだ寝てるんだよ。良かったら、起こしてあげてくれないかな」

 

「わかりました! いつもの羽依里さんみたいに、優しく揺り起こしてあげますね!」

 

 そんな姿を見ていられず、思わずそう提案すると、夏海ちゃんは俺に野菜の入った袋を俺に押し付けるように手渡した後、勇み足で家の中へと入っていった。

 

「……相変わらず元気だなぁ」

 

 俺は渡された野菜を持って、台所へと向かった。

 

「しろは、今日も夏海ちゃんが野菜を持って来てくれたよ」

 

「わぁ。いつも助かるね」

 

 しろはが嬉しそうに袋を開けると、中にトウモロコシとがモロヘイヤが入ってるのが見えた。

 

「ところで、この野菜を持って来てくれた夏海ちゃんはどこ? もしかして、帰っちゃった?」

 

「いや、まだ羽未が寝てるって話をしたら、起こしてあげるって言ってたよ。今頃、寝室じゃないかな」

 

「えぇ……それで、任せちゃったの? 大丈夫かな」

 

 さっそく袋の中からモロヘイヤを取り出しながら、しろはが心配そうな視線を寝室へと向ける。

 

「夏海ちゃんと羽未は仲良いんだし、大丈夫じゃないか?」

 

「そうじゃないよ。理由はわからないけど、羽未ちゃんは私と羽依里以外に起こされたら、すごく機嫌が悪いから」

 

「あ」

 

 ……言われて思い出した。そう言えば以前、たまたま紬が起こしに来てくれたことがあったんだけど、その時も珍しくぐずっていた気がする。

 

「ちょ、ちょっと様子を見てこようかな」

 

「うん。そうしてあげて。それと、また野菜のお礼を兼ねて、夏海ちゃんにも朝ご飯を食べていってもらいたいんだけど」

 

「わかった。それも伝えておくよ」

 

 そう答えて、俺はわざと腕まくりをしながら寝室へと足を向ける。物音一つしないけど、無事起こせたかな。

 

 

 

 

「……え、これどういう状況?」

 

 半分開けられていたふすまから寝室を覗き込むと、そこには驚きの光景が広がっていた。

 

 部屋の中央に敷かれた布団の上で、羽未が大の字になって眠っていて、その足元に夏海ちゃんの足だけが見えていた。

 

 正確には、夏海ちゃんが羽未の眠る布団の下敷きになっていた。これは助けないと。

 

「な、夏海ちゃん、大丈夫?」

 

「……ぷはっ」

 

 その足を掴んで、多少乱暴に布団の下から救出する。同時に新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んでいた。

 

「えーっと、何があったの?」

 

「わ、わかりません。普通に声をかけて身体を揺すっただけなんですけど、気がついたら布団の下敷きになってました」

 

 えええ、なにそれ。

 

「なんか勝てる気がしないので、おとーさん、お願いします」

 

 羽未に完全敗北した夏海ちゃんが、くしゃくしゃになってしまった髪を整えながら俺を見てくる。よし、熟年の技を見せてあげよう。

 

「おーい羽未、朝だぞー」

 

「うみゅー」

 

 というわけで、羽未の隣に腰を下ろして声をかける。すごく眠そうな声が返ってきた。

 

「ほらほら、夏海ちゃんも来てくれてるよ。起きて起きて」

 

「んー、なっちゃんー?」

 

 その小さな身体を揺すっていると、目を擦りながらその身を起こす。良かった。起きてくれたみたいだ。

 

「おとーさん、なっちゃん、おはよー」

 

「羽未さん、おはようございます! こんなに簡単に起こしてしまうなんて、さすがおとーさんですね!」

 

「はは。それほどでもあるけどね」

 

 思わずそう答えて胸を張る。伊達に何年も起こしてないぞ。

 

「それじゃ羽未、顔を洗って、髪も梳かさないと。ほら、すごいことになってるよ」

 

 普段しろはが使っている鏡台の前に羽未を立たせて、その姿を見てもらう。

 

「うー、ばくはつえんじょー」

 

 羽未は髪の量が多いせいか、なかなかに悲惨なことになっている。

 

「羽未さん、動かないでくださいね。私が髪を梳いてあげますから!」

 

 その時、ヘアブラシを手にした夏海ちゃんが羽未の背後に立ち、わっしゃわっしゃと羽未の髪を整えてくれる。さすが夏海ちゃんも女の子だ。手慣れてる。

 

「そうそう夏海ちゃん。今日も朝ごはん食べていきなよ。野菜をくれたお礼に、しろはが腕を振るうってさ」

 

「ありがとうございます! それじゃ、ごちそうになりますね!」

 

 羽未の着替えを用意しながら、夏海ちゃんにそう伝える。今日はお客さんもいないし、ゆっくりと朝ごはんが食べられそうだ。

 

 

 

 

 身支度を整えた羽未と三人で居間に行くと、しろはが朝食を配膳してくれていた。

 

 炊きたてのご飯に、ネギと豆腐の味噌汁、メインのおかずは目玉焼きで、小鉢にモロヘイヤのおひたしがついていた。

 

「おいしそうー」

 

 一番に席についた羽未が、目玉焼きを覗き込むようにしていた。さすがしろはが作っただけあって、焦げ目ひとつない、完璧な目玉焼きだった。

 

「しょうゆにひでんソースも用意してあるから、好きなのをかけてね。羽依里はケチャップもあるよ」

 

 しろはが調味料セットを食卓に置きながら、笑顔でそう言ってくれた。ちなみに羽未はしょうゆ派、俺はケチャップ派だ。

 

「それじゃ、いただきます」

 

「「いただきまーす」」

 

 エプロンを外したしろはが席に着いたのを確認して、俺が朝の挨拶をする。他の皆も後に続き、朝食が始まる。

 

「どれどれ」

 

 俺はさっそく目玉焼きにケチャップをかけて、半分に割る。程よい感じの半熟の黄身を箸でつかむと、そのままご飯の上でバウンドさせてから口に運ぶ。

 

「……うん。うまい」

 

 ご飯にケチャップ、そして卵。オムライスと全く同じ組み合わせだし、美味しくないはずがない。

 

「確か、夏海ちゃんも半熟の目玉焼きが好きだったよね」

 

「そうです! さすがしろはさん、わかってますね!」

 

 夏海ちゃんは満面の笑みで、しょうゆが馴染んだ半熟の目玉焼きをご飯の上に乗せていた。あれも卵かけご飯みたいで美味しいよね。

 

「んー、おいしいー」

 

 一方、羽未はしろはと同じく硬めの目玉焼きが好きみたいで、それにしょうゆをかけて味わっていた。本当、幸せそうに食べるなぁ。

 

「そういえば、今日のイベントはもう決めてるんですか?」

 

 味噌汁を一口すすった後、夏海ちゃんがそう聞いてきた。

 

「いや、特に決めてないんだ。夕方からはお客さんが来るし、午前中に何かしてあげたいとは思ってるんだけどさ」

 

 虫取り、魚釣りと楽しんだから、今日辺りまた駄菓子屋に行ってみるのもいいかもしれない。もしくは家族サービスを兼ねて、しろはの実家に行ってみるとかさ。

 

「あ、羽依里さん。それだったらですね……」

 

 ……夏海ちゃんが何か言いかけたその時、居間の電話が鳴った。こんな朝から誰だろう。

 

「はい。鷹原です」

 

 一番電話の近くにいたしろはが電話に出て、すぐに俺に受話器を向けてきた。

 

「羽依里、静久さんからだよ。海の家の件って言ってるけど」

 

「ああ……昨日、浜辺でそんな話をしてさ。出るよ」

 

 そういえば、昨日しろははあの場に居なかったから海の家のことは知らないんだった。それについては後で話すことにして、まず電話に出ることにした。

 

『代わりました。羽依里です』

 

『おはようパイリ君。朝早くにごめんなさいね』

 

『いえ。それより、海の家の件だとか』

 

『そうなの。さっそくで悪いのだけど、今日の午前中は時間あるかしら』

 

『今日ですか? 大丈夫ですよ』

 

 そう答えた直後、羽未と目が合った。電話の内容が気になっているのか、食事の手を止めて俺を見ている。

 

 ……そうか。午前中に静久を手伝ったら、羽未との時間が取れなくなってしまう。本人もそれを心配しているんだろう。

 

『あの、もし良かったら羽未も見学に連れていって良いですか?』

 

 少し考えて、俺はそう静久に提案した。海の家の設営とか滅多に見れるものじゃないと思うし、俺が上手くやれば、これもいい思い出になるかもしれない。

 

『もちろん、大歓迎よ』

 

 静久は悩むことなく、二つ返事でOKしてくれた。後は羽未の気持ち次第だな。

 

『羽未にも話をするので、少しだけ待ってもらっていいですか?』

 

『ええ。こっちが手伝ってもらうのだし、いくらでも待つわ』

 

 そう言ってくれた静久との電話を一旦保留にして、俺は羽未の方に向き直る。

 

「羽未、今日はおとーさんと一緒に静久さんの海の家の開店準備を見にいかない?」

 

「うみのいえ?」

 

「そう。浜辺にカレーのお店をオープンさせるらしいんだ。今日は皆で、その準備をするんだよ」

 

「たのしそうー」

 

 詳しい話を聞いて、羽未の目が輝いた。これは脈ありかもしれない。

 

 

 

 

 ……その後、しっかりと羽未の意志を確認してから保留を解除して、静久に参加の旨を改めて伝えた。

 

 必要な道具は全部静久が用意してくれるらしく、俺たちが持って行くものと言えば水筒くらいだった。

 

『それじゃ、よろしくね。パイリ君』

 

『ああ、こっちこそよろしく』

 

 ……そして電話を切る。同時にその場にいた皆が何か言いたそうな目で俺を見てきた。

 

 しろははもとより、夏海ちゃんも昨日のバーベキューに参加していなかったし。海の家の話を知らないのも当然だろう。

 

「あの、羽依里さん、海の家とかやるんですか?」

 

「そうらしいよ。どうやら、静久の思い出の場所を復活させたいらしいんだ」

 

「……その辺の話、もうちょっと詳しく教えてほしいんだけど」

 

 夏海ちゃんの問いに答えながら食卓に戻ると、しろはが間髪を入れずそう聞いてきた。せっかくだし、食事をしながら説明することにしよう。

 

 

 

 

「海の家……そんなのあったね」

 

 モロヘイヤのおひたしを食べながら、しろはがどこか懐かしそうに言っていた。昨日の良一や蒼の反応を見る限り、当時は結構な人気店だったみたいだ。

 

「しろはも行ったことがあるのか?」

 

「ううん。うちはおかーさんが絶対連れて行ってくれなかったから。あそこはカレー派閥の根城だって」

 

 ……ちょっと待って。カレー派閥? なにそれ。

 

「……でも、羽未ちゃんは行きたいんだよね?」

 

「うん!」

 

「そう……さすがに大丈夫だとは思うけど、羽未ちゃんが行きたいっていうなら、しょうがないよね」

 

 俺が浮かんだ疑問を口にする前に、しろはは自分で自分を納得させてしまったらしい。

 

「……羽依里、もし危なくなったらすぐに連れて帰ってね」

 

 危なくなったら……ってどういうことだろう。確かに開店準備で工具を使ったりはするだろうけど、羽未がやるわけじゃないし。何か別の意図があるんだろうか。わからない。

 

「あの、私も行ってみていいですか? 海の家とか、見たことないので」

 

 その時、一足先に食事を終えた夏海ちゃんがおずおずとそう切り出してきた。

 

「うん。俺はいいと思うけど……」

 

 言いかけて、思わずしろはの方を見てしまう。しろははすごく驚いた顔で夏海ちゃんを見ていた。

 

「し、しろは。どうしたんだ?」

 

「……ううん。静久さんがやるって手前、私は何も言えないけど、夏海ちゃんも気を付けてね。カレー派閥になっちゃ駄目だよ」

 

「は、はぁ……?」

 

 その口調は穏やかだったけど、しろはの目は笑っていなかった。本当、なんなんだろう。

 

 

 

 

 ……その後、一度帰って準備をするという夏海ちゃんを見送って、俺は羽未の宿題を見ることにした。

 

「きょうは、さんすうー」

 

 鞄から元気よく算数ドリルを引っ張り出して、席に着く。うんうん。やる気に満ち溢れているみたいだ。

 

「羽未ちゃん、頑張ってね」

 

「うん!」

 

 洗い物を終えたしろはも、そんな羽未の隣に控えている。今日は夫婦二人体制だ。頑張れ、羽未。

 

 

 

 

「うーん、うーん……」

 

 算数の宿題はさらっと片付けた羽未だったけど、その次に取りかかった夏の友で詰まっていた。

 

「どうした羽未、分からない問題があるのか?」

 

「うん。これー」

 

 羽未は気だるげにとあるページを見せてくる。そこには『おとうさんやおかあさんから、こどものころのあそびをきいてみましょう』と書かれていた。

 

 ……ああ、こういう質問あるよなぁ。もちろん、子供の教育のために考えられた設問なんだろうけどさ。

 

「おかーさんはこどものころ、なにしてあそんでたの?」

 

「え」

 

 羽未から唐突に質問されたしろはが固まった。

 

 確か、子供の頃のしろはは意外と男の子っぽい遊びが好きだったと聞いたような。バノレタン星人のソフビ人形とか持ってたらしいし。

 

「おかーさん、おしえて?」

 

「お、おとーさんに教えてもらってね。おかーさん、忙しいから」

 

 そう言ってわざとらしく席を立ち、台所へ行ってしまった。しろは、逃げたな。

 

「羽未、おかーさんはな。ふぉふぉふぉで遊んでたんだ」

 

 俺は両手でピースサインを作り、それを上下に揺すって見せる。確か、こんなのだったよな。

 

「ふぉふぉふぉ?」

 

「遊んでないし!」

 

 しろはが叫びながら台所から戻ってきた。どうやら聞こえていたらしい。

 

「羽未ちゃん、違うんだよ。おかーさんはその……って、書いちゃ駄目! ふぉふぉふぉ書いちゃ駄目!」

 

「えー、しゅくだいなのにー」

 

 直後、羽未が夏の友に鉛筆を走らせるのを必死に止めていた。そこまで嫌がらなくても。れいだんよりはマシだと思うんだけどさ。

 

「じゃあ、かわりにおとーさん、おしえて」

 

「え?」

 

 しろはの願いが通じたのか、羽未は書きかけの文字を消しゴムで消して、今度は俺に向き直ってきた。

 

「うんうん。教えて教えて」

 

「そ、そうだなぁ……」

 

 しろはも何食わぬ顔で羽未の隣に座ってるし、これは逃げられそうにない。何してたかなぁ。

 

「うーん、ビーダマンとか、ミニ四駆かな」

 

「みによんく?」

 

「自分で組み立てて、電池を入れて走らせるおもちゃの車だよ。昔、流行ったんだ」

 

「すごーい! おとーさん、くるまつくれるの!?」

 

「え? いや、おもちゃだから……」

 

「すごーい!」

 

 瞳をキラキラ輝かせて、心から信じている様子だった。これは、今更否定できそうにない。

 

「ふふ、おとーさん、すごいね」

 

「うん。すごーい!」

 

 羽未は本当に嬉しそうに夏の共に鉛筆を走らせていた。しろはもうまい具合に逃げ切ったみたいだし、妙な噂が広がらないことを祈るばかりだった。

 

 

 

 ……それから小一時間ほどして、宿題を終わらせた羽未と一緒に海の家へと向かうことにした。

 

「それじゃ、二人とも気を付けてね。私は手伝えないけど、後で差し入れ持って行くから」

 

「ありがとう。それじゃ、行ってくるよ」

 

「いってきまーす!」

 

 麦わら帽子を被って、水筒を肩にかけた羽未と手をつなぎ、しろはに見送られながら加藤家を後にする。

 

 表に出るとすぐに、空から降り注ぐような蝉時雨が聞こえた。今日も暑くなりそうだ。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

 昨日バーベキューをした浜辺を海岸線に沿って歩いていくと、やがて一軒の建物が見えてきた。

 

 建物そのものは綺麗だけど、潮風対策なのか、窓という窓は大きな木の板でふさがれている。入口と思われる場所にも二枚の板が打ち付けられ、その間から大きな南京錠が見えていた。

 

「あ、来ましたよー」

 

「パイリ君、来てくれてありがとう」

 

 そんな建物の前に、静久と天善を筆頭に、夏海ちゃんや蒼、良一、のみきと紬、鴎といった面々が集っていた。

 

「羽未ちゃんも来たのねー。もしかして、手伝ってくれるの?」

 

「うん!」

 

「羽未は見学だけだぞ。その代わり、おとーさんが頑張るからな」

 

 そう言って、俺はわざとらしく腕まくりをする。皆の周りには工具箱が置かれているし、これは本格的な作業になりそうだ。

 

 だけど、それ以上に気になったのは……。

 

「……ところで皆、どうして水着姿なんだ?」

 

 その場にいる俺と羽未、そして夏海ちゃん以外の全員が何故か水着姿だった。確かに浜辺だけど、今から作業するんじゃないんだろうか。

 

「だって、この場所で作業をすると、谷間に汗をかくでしょう?」

 

「え?」

 

「あー、それ、わかるわー」

 

「すごくよくわかるよー」

 

「わかりません」

 

 静久が自身のその大きな胸を指差しながら言う。男の俺にはよくわからないけど、蒼や鴎は賛同していたし、そういうものなんだろう。一人、紬が凄く寂しそうな顔をしていたけど。

 

「私も水着の方がよかったんでしょーか。谷間、ありませんけど」

 

 そんな話を聞いてか、夏海ちゃんが複雑そうな顔で自分のウニクロTシャツを摘んでいた。別に気にしなくていいと思うけどなぁ。

 

「そういえば、今日は藍は来てないのか?」

 

「さすがに今日は仕事だって言ってたわよー。研修で本土だって」

 

 そうなのか。なんだかんだで、先生は夏休み中も忙しいんだな。

 

「それじゃ、皆揃ったところで作業を始めましょうか。まずは窓や入口を塞いでいる板を外してしまいましょう?」

 

「わかった。あの釘抜きを使えばいいんだな?」

 

 こういう力仕事は男の役目だし、俺は良一や天善と一緒になって、窓の板を外しにかかる。

 

「う、結構固い……」

 

 潮風に晒された一部の釘は良い感じに錆びついていた。力任せにやって折れたりしたら面倒だし、慎重に釘を外していく。

 

「おとーさーん、がんばれー!」

 

 その時、背後から羽未の声援が聞こえた。

 

「おお、おとーさん、頑張るからな」

 

「小さな応援団ねー」

 

「そですねー」

 

 その声援に応えると、蒼や紬から微笑ましい目で見られた。ちなみに女性陣は室内の掃除を担当する手はずになっているらしく、掃除道具を準備して次に備えていた。

 

 

 

 

「よっこいせ……と」

 

 最後に入口をふさいでいた大きな板を天善が外し、全ての板を外し終わった。

 

「それじゃ、開けるわね。何年も締め切られていたんだし、次は中の掃除をして、風通しをしなきゃ」

 

 静久はそう言いながら、入口の南京錠を外し、扉を開けた。

 

 ……次の瞬間、建物の中からおびただしい数のフナムシが飛び出してきた。まるで黒い波のようだ。

 

「ひぃっ!?」

 

 俺は情けない声をあげながらも、隣にいた羽未を反射的に抱きかかえる。直後、俺の足の上を無数のフナムシがぞざざと這っていく感覚があったけど、それどころじゃない。ここは羽未を守らないと。

 

「羽未、しっかり目をつぶっているんだぞ。おとーさんが良いって言うまで、開けちゃ駄目だからな」

 

「う、うん!」

 

 羽未は俺の首に手を回し、抱きつくようにしていた。一瞬でも見てしまったんだろう。その身体が小刻みに震えている気がする。

必死に安心させようとその背中をさするけど、そのあまりの光景に、その場にいた全員が言葉を失い、しばらく動けなかった。

 

 

 

 

「あー……今の、すごかったわねー……」

 

 そんな虫の波が完全に過ぎ去ってから、蒼が口を開く。冷や汗をかいている気がするし、さすがに昆虫学者の娘でも今の光景はショックだったらしい。

 

「これは、バルザンを焚いた方がいいわね。もしもの時のために用意していたの、全部使いましょう」

 

 冷静を装っているけど、静久はこっそり天善の手を握っていた。顔も青いし、さすがに刺激が強すぎたみたいだ。

 

「そ、そうだな。それは名案だ。数が足りそうにないなら、役所の倉庫に眠っているバルザンも出そう」

 

 そう言うのみきは、良一にお姫様抱っこされていた。あれなら完璧に守れるけど。良一もやるなぁ。

 

「ズ、ズクズクに賛成! まずは虫を退治しないと!」

 

「そですね!」

 

「はい! こんなの、とても近づけません!」

 

 そんな中、鴎と紬、そして夏海ちゃんはスーツケースの上に避難していた。絶対狭いだろうけど、うまくバランスを取って乗っている。

 

「じゃあ、まずは虫退治か。羽未、もう大丈夫だよ」

 

 フナムシがいなくなったのを確認してから、羽未を地面に降ろす。言いつけを守って、しっかりと両手で目をふさいでいた。えらいぞ。

 

「うー、フナムシてんごく……」

 

 そんな、少し前に魚屋で流行った歌みたいに言わないで。ショックだったのはわかるけどさ。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

 ……これからバルザンを焚くとなると半日以上かかるということで、今日の作業はこれで終了となってしまった。

 

 そのまま解散となり、やることが無くなくなった俺と羽未は、同じく暇になった夏海ちゃんと一緒に駄菓子屋へと足を運んでいた。

 

「……フナムシ、こわい。こわすぎる」

 

 買ってあげた氷イチゴにも手をつけず、羽未はベンチで震えていた。これ、トラウマになったらどうしよう。

 

 このままだと、今日の絵日記は大量のフナムシに襲われる絵日記になってしまう。そんなの嫌だ。

 

「羽未さん、怖がっちゃってますねぇ」

 

 俺を挟んで、羽未と反対側の位置で氷メロンを食べていた夏海ちゃんが、心配そうに羽未を見ていた。

 

「これは、チャーハン作戦しかないかな」

 

「チャーハン作戦ですか?」

 

「うん。お昼にしろはにチャーハンを作ってもらって、その嬉しさで恐怖を忘れてもらおうって作戦なんだけど」

 

「そのまんまですね……」

 

 しゃくしゃくとかき氷を口に運びながら、何とも言えない顔をされた。良い作戦だと思うんだけど。

 

「それだと、羽未さんはお昼までフナムシのトラウマを引きずったままになるじゃないですか。可哀想ですし、もっと早く手を打ってあげましょうよ」

 

「あげましょうよと言われても……堀田ちゃん、何か良い案ない?」

 

「え?」

 

 俺は近くの棚で駄菓子の整理をしていた堀田ちゃんに声をかける。

 

「そうですねぇ……ほら、他のことをして気を紛らわせるとか。うちのおとーさんも、庭で土いじりしてる時が仕事を忘れられて一番幸せだって言ってますし」

 

 確か、堀田ちゃんのおとーさんは普通のサラリーマンだったと思うけど。庭いじりの趣味があるのかな。

 

「あ、そうです! 羽未さん、今から私の家に来ませんか?」

 

「え、なっちゃんのうち?」

 

「そうです! 正しくは鏡子さんの家ですけど! 一緒に野菜の収穫作業をしてみません?」

 

「しゅーかく、さぎょー?」

 

「はい! 私やおとーさんと一緒に、たくさんのお野菜をとりましょう!」

 

「うん!」

 

 その話を聞いた羽未は嬉しかったのか、手に持ったかき氷がこぼれんばかりの勢いで立ち上がる。どうやら夏海ちゃんは海の家の作業に代わるイベントを考えてくれたみたいだ。

 

「夏海ちゃん、気持ちは嬉しいけど、本当にいいの?」

 

「もちろんです! 岬農園の一日体験ですよ!」

 

 ほう。岬農園と来たか。確かに、夏海ちゃんは鏡子さんと二人で畑をしているみたいだし、あながち間違ってはいないみたいだけど。

 

「それじゃ羽未、かき氷を食べたらお邪魔しようか」

 

「しゅーかく、たのしみー」

 

 急ぎかき氷を口に運ぶその顔には笑顔が戻っていた。どうやら、フナムシの思い出はすっかり消えたみたいだし、これは夏海ちゃんに感謝だな。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

 ……かき氷を食べ終えて、駄菓子屋を後にする。

 

 そこから三人並んで住宅地を外れるように歩いていくと、やがて港へ向かう一本道の手前に大きな平屋が見えてくる。それが鏡子さんの家だった。以前何度かお邪魔したことがあるけど、この建物は日当たりも良くて、家庭菜園をやるにはうってつけの環境だった記憶がある。

 

「きょーこさーん! ただ今戻りましたー! お客さんですよー!」

 

 築年数こそ経っていそうだけど、しっかりと整備された家屋の玄関をあけて、夏海ちゃんがそう叫ぶ。少しの間を置いて鏡子さんが出てきてくれた。

 

「あら、羽依里君に羽未ちゃん、いらっしゃい。今日はどうしたの?」

 

 そしていつもの変わらぬ調子で出迎えてくれた。本当、この人は何年経っても変わらない。

 

「羽未さんの今日のイベントとして、今から一緒に収穫作業をしたいと思うんです! 確か、午後から採る予定になってましたよね?」

 

「ああ、二人も手伝ってくれることになったんだね。もちろんいいよ」

 

 鏡子さんはすぐに状況を理解してくれたらしく、笑顔で了承してくれた。

 

「それじゃ、これが採ってきて欲しい野菜リストね。畑は暑いから、暑さ対策だけはしっかりね?」

 

「わかりました! 羽未さん、こっちです!」

 

「うん!」

 

 快く許可をくれた鏡子さんからメモ用紙を受け取り、夏海ちゃんは羽未を連れだって畑へと向かっていった。

 

 元から浜辺で作業するつもりだったし、暑さ対策は万全だ。俺は鏡子さんに改めてお礼を言ってから、そんな二人の後に続いた。

 

 

 

 

「ひろーい!」

 

 そして夏海ちゃんに案内された畑というのが、これまた広かった。家の敷地の倍以上はあるんじゃないかという面積に、色とりどりの野菜が栽培されている。

 

「……久しぶりに来たけど、広くなってない?」

 

「春先に鏡子さんが少し広げたと言っていました。この家、住宅地のはずれにあるので、草さえ刈れば道沿いにいくらでも開墾できると言ってましたし」

 

 先も言ったけど、ここは日当たりは良いし。しっかり管理できれば収穫は見込めそうだ。

 

「今はこんな感じに夏野菜ばかりですが、今年の冬には広甘藍に挑戦してみたいと、鏡子さんも言ってましたよ!」

 

「え、ヒロカンランって何?」

 

「広島県の方で栽培されている、古来種のキャベツらしいです! すごく甘くて歯ごたえがあって、キャベツチャーハンに最高なんですよ!」

 

「そうなんだ。それは楽しみだね」

 

 ……力説していた。聞いたことない名前だけど、古来種って言うくらいだし珍しいのかな。

 

「それじゃあ羽未さん、まずはネギの収穫をしましょう! ネギ、チャーハンに必須ですもんね!」

 

「うん、ひっすー」

 

 そんな話をしながら、二人はネギが植わっている方へと向かっていった。俺も他の野菜を踏まないように注意しながら、その後を追った。

 

 

 

 

「ネギの次はピーマンです! 羽未さんはピーマン好きですか?」

 

「うん。すきー」

 

「ピーマン、美味しいですもんね。ピーマンチャーハンとか、最高ですし」

 

 二人は畝(うね)のところにしゃがみ込んで、そんな話をしながら笑顔でピーマンをもいでいた。ところで、さっきから夏海ちゃんの調理例が全部チャーハンなんだけど。さすがだ。

 

「そうでした。ニンジンも一本いっときましょう!」

 

 次に、手にしたメモを見ながら夏海ちゃんがそう指示を出していた。まるで栄養ドリンクみたいな言い方だ。

 

「んー、ぬけないー」

 

 ピーマンの近くに植わっていたニンジンの葉を掴み、羽未が力を込める。でも土が硬いのか、抜ける様子はない。

 

「おとーさん、てつだって―」

 

「よーし。おとーさんにまかせろ」

 

 そして予想通り、羽未が助けを求めてきた。よし、今日こそきちんと父親の威厳を示さないと。

 

「よいしょ……うわっ!?」

 

 羽未を背後から抱きかかえるようにして、一緒にニンジンの葉を掴む。そのまま力任せに引き抜くと、思いのほか軽い力で抜けてしまった。

 

「あいててて……」

 

「おとーさん、だいじょうぶー?」

 

「だ、大丈夫大丈夫」

 

 とっさに羽未は庇ったけど、その代わりに自分の身を守れなかった。

 

 思いっきり尻もちをついて、ズボンが土まみれになってしまった。これは、しろはに怒られる。どうしよう……。

 

 

 

 

「ネギ、ピーマン、ニンジン……キュウリも採りましたし、後は……」

 

 夏海ちゃんが鏡子さんのメモを今一度見ながら、採り忘れがないかチェックする。その足元のカゴには結構な種類の野菜が入っているし、量も十分だと思うけど。

 

「ねー。なっちゃん、あそこは?」

 

 その時、羽未がある方向を指差す。俺も視線を運んでみると、畑の一番端の方、建物に近い場所に柵があった。ここの畑は基本害獣除けの柵とかないんだけど、珍しい。

 

「えっと、あの先は裏の畑になるんですけど、鏡子さん以外は立ち入り禁止なんです」

 

「え、そうなの?」

 

「はい。特別管理区らしいです」

 

 どうしてそんな物々しい言い方なんだろう。あの先に、何があるの?

 

「……どうも、鏡子さんが変わった野菜を育ててるらしいんですが、マスターオブ裏庭がいるので危ないとかなんとか」

 

 俺の顔色を見て、察してくれたんだろう。夏海ちゃんがそう説明してくれた。マスターオブ……? 危ない……?

 

 すごく気になったんだけど、夏海ちゃんの表情から汲み取るに楽しい話題じゃなさそうだ。ここは触れないでおこう。

 

 

 

 

「……三人とも、そろそろ休憩にしない?」

 

 リストにあった野菜を大方収穫し終えた頃、鏡子さんがやってきてそう声をかけてくれた。

 

 腕時計を見てみると、集中して作業をしたせいか結構な時間が経っていた。

 

「冷蔵庫で冷やしておいたキュウリがあるの。味噌をつけて食べると美味しいよ」

 

「ありがとうございます。ちょうど作業も終わったので、ごちそうになります」

 

 俺はたくさんの野菜が入ったカゴを持ち上げながら、少し離れたところにいた羽未と夏海ちゃんに合図を送る。二人もすぐにそれに気づいたのか、先を争うように戻ってきた。

 

 

 

 

 ……その後、俺たちは縁側で鏡子さんが用意してくれた麦茶とキュウリを堪能していた。

 

「んー、おいしいー」

 

 パキポキと歯切れのいい音が縁側に響く。味噌をつけただけなのに、すごく美味しい。やっぱり、新鮮なのもあるんだろうか。

 

 そして羽未と一緒にキュウリをかじりながら、なんとはなしに広い畑を見渡す。羽未の顔ほどあるカボチャに、大きなナス、トウモロコシ、トマト……さっき、結構な量の野菜を採ったはずだけど、まだまだたくさんの野菜が実っている。これは毎日夏海ちゃんが持って来てくれてもなくならないわけだ。

 

「それで……そろそろいい時間だし、お昼ごはん用意してあげたいんだけど……」

 

「え?」

 

 そんなことを考えていると、鏡子さんが申し訳なさそうにそう口にする。部屋の時計を見てみると、12時をとうに回っていた。

 

「あー……思わず長居してしまってすみません。お構いなく」

 

「ううん。せっかくだし、食べていって。私の料理は人様に出せるものじゃないし、こんなものしかないけど」

 

 そう言って、カップうどんがどかどか出てきた。この期に及んで断るのも悪い気がする。

 

「じゃあ、ごちそうになります。羽未、どのカップうどんがいい?」

 

「どろりのーこーブタキムチ―」

 

 俺が問いかけるや否や、羽未は目の前のカップうどんを手に取った。

 

「え、すごく辛そうなカップうどんだけど大丈夫?」

 

「……ちょうせん」

 

 そう言う羽未の目はやる気に満ちていた。一抹の不安はあったけど、本人がそう言うならしょうがない。

 

「そうです! なんなら私の育てた古代種野菜をトッピングしますか? 甘いので、辛さを中和できるかもしれませんし!」

 

 夏海ちゃんはそう言うと、素早く靴を履いて庭に降りる。

 

「え、いいの?」

 

 以前、古代種野菜は普通の野菜より手間がかかると聞いた記憶があるし、食べさせてもらっていいんだろうか。

 

「はい! 丹精込めて育てたので、ぜひ食べてください!」

 

 そう言うが早いか、止める間もなく畑の中に走っていった。

 

「もしかして夏海ちゃん、あの美馬太キュウリを食べてもらうつもりなのかしら」

 

「みまふと……そんなのがあるんですか?」

 

 ……名前からして太そうだけど、初めて聞く品種だった。

 

「もしかしてそれ、特別管理区に植えてあるんですか?」

 

 だとしたら一人で行かせて大丈夫なんだろうか。マスターオブなんとかかいるって言ってなかったっけ。

 

「違うよ。美馬太キュウリが植えてあるのは畑の一番端の、道路脇のところ。あれだけは夏海ちゃんが頑張って育ててね。ちょうど食べ頃になってきたの」

 

 カップうどん用のお湯をやかんで沸かしてくれながら、鏡子さんが嬉しそうに話す。

 

「……なんか夏海ちゃん、生き生きしてますね」

 

「うん。やっぱり、夏が好きみたいだし。楽しんでるみたいだよ」

 

 以前、加藤家には夏海ちゃんがこの島で過ごした夏の思い出の品がたくさん置かれていた。

 

 民宿へと改築する際に、その品物は全て鏡子さんが新居へと運んでくれたのだけど……。

 

 俺は視線を隣の部屋へと向ける。するとまず、壁際に鎮座する巨大なアリクイのぬいぐるみが目についた。確かあれ、初めてこの島にやってきた夏に紬に貰ったんだっけ。

 

 そしてその横の机には、鑑定大会の折に浜辺で拾ったさくら貝や、土で汚れた野球ボールが置かれていた。あの野球ボール、確かリトルバスターズとの試合に勝った記念のボールだったよな。最近は年賀状くらいしかやり取りをしてないけど、リトルバスターズの皆、元気かな。

 

 ……後、ここにはないけど、パリングルスでオルゴールも作ったような。あれも天善がオルゴールキットを用意して、静久が譜面を書いてくれて……。

 

「あーーーーーー!」

 

 ……そんな懐かしい夏を思い出していたら、夏海ちゃんの叫び声で現実に戻された。

 

「え、なに?」

 

 視線を庭に戻し、夏海ちゃんの姿を探す。すると、すの姿はすぐに見つける事ができた。

 

 例の美馬太キュウリが植わっているであろう畝のところに、識と一緒に立っている。

 

「……って、識?」

 

 一瞬目を疑ったけど、あの着物は間違いない。識だった。どうしてあんなところにいるんだろう。

 

 俺は不思議に思いながらも、靴を履いて夏海ちゃんの方へ駆け寄る。

 

「夏海ちゃん、どうしたの?」

 

「この人が私のキュウリを食べちゃったんです!」

 

「え?」

 

 言われて、彼女が指差す先を見てみると、識の両手には少しだけかじられた、ぶっといキュウリが握られていた。

 

「ご、ごめんよ……あまりにお腹が空いてしまって……」

 

 識はものすごく申し訳そうな顔をしていた。この様子だと、また昨日から今まで何も食べてなかったんだろうか。

 

「ごめんで済んだらケーサツはいりませんよ! 頑張って育てたのに……!」

 

 夏海ちゃんは怒りながら、半分涙目だった。それだけ、あの野菜に思い入れがあったのかもしれない。

 

「ぶ、ぶえ……」

 

 ……その時、咎められていた識の瞳にも涙があふれてきた。あれ、この流れは。

 

「ご、ごめん……ごめんよ……ぶえええええーーーー!」

 

 申し訳なさで一杯になり、居ても立っても居られなくなったのか、識は言葉を詰まらせながらに謝った後、そのまま全力で走って行ってしまった。

 

「まぁーーーてぇーーーー!」

 

 ……そんな識を、夏海ちゃんがダッシュで追いかけていった。ええ、嘘だろ。

 

 一人残された俺は、何とも言えない気持ちで振り返り、縁側の方を見やる。するとそこは羽未が座っているだけで、鏡子さんの姿はなかった。

 

「羽依里君、これ使って」

 

 直後、背後から声がした。見ると鏡子さんが道路側にバイクを押してやってきていた。どうやら、わざわざ家のガレージから運んできてくれたらしい。

 

「あの、鏡子さん……このバイクは?」

 

「私が時々夏海ちゃんと使ってるの。ヘルメットも二つ入ってるから、使って?」

 

「は、はぁ」

 

 言われるがまま、バイクのキーとヘルメットを受け取る。

 

「羽未ちゃんは私が見ておいてあげるから、安心して二人を追いかけて」

 

「ありがとうございます。助かります!」

 

 俺は鏡子さんにお礼を言うと、そのままヘルメットをかぶってキーを回す。学生時代、俺が乗っていたのと同タイプのバイクだ。乗るのは初めてなはずなのに、不思議と馴染む。

 

「アクセルオン!」

 

 俺はどこかの人形使いみたいな台詞を口にすると、そのままバイクを発進させた。二人が走っていったこの道は港までほぼ一本道だし、バイクならすぐに追いつけると思う。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「……二人とも、どこまで行ったんだろう……」

 

 安全運転を心がけながら、港への一本道を進む。本当に一本道だから、逸れるような横道もない。道なりに行けば追いつけるはずだけど……。

 

「ぜーはー、ぜーはー」

 

 すると、すぐに道の端で両膝に手をついて肩で息をしている夏海ちゃんを見つけた。

 

「に、逃げられました……なんなんですか、あの子……」

 

 識は恐ろしく足が速いし、さすがの夏海ちゃんでも振り切られてしまったみたいだ。

 

「識はああ見えて、足が速いからね」

 

「え、あの子のこと知ってるんですか?」

 

「うん、二回ほど行き倒れになってるところを助けたんだ」

 

「はい? 行き倒れ?」

 

「いや、なんでもないよ。とにかく識を追いかけよう。夏海ちゃん、後ろに乗って」

 

 俺は一度バイクから降りて、座席下の収納スペースからもう一つヘルメットを取り出して夏海ちゃんに手渡す。

 

「ところで羽依里さん、このバイクどうしたんですか?」

 

「鏡子さんが貸してくれたんだ。それじゃ、出発するよ!」

 

「は、はい!」

 

 説明もそこそこに再びバイクにまたがると、ほぼ同じタイミングで夏海ちゃんも後ろに乗ってきた。俺はそれを確認すると、もう一度アクセルを噴かした。

 

 

 

 

「……ぇぇぇぇぇ……」

 

 ……そして道なりに走ること数分。聞き慣れた鳴き声が聞こえてきた。

 

「ぶえええぇぇぇーーー!」

 

「いました! あの子です!」

 

 背中の夏海ちゃんが叫ぶ。あの着物に、あの赤髪。そしてあの足の速さ。間違いない。

 

「おーい識! 止まれ!」

 

「止まってくださーーーい!」

 

「ぶえ!?」

 

 俺は走る識に並走するようにバイクの速度を落とし、夏海ちゃんと一緒にそう声をかける。一瞬、時速28kmってメーターの表示が見えた気がするけど、きっと気のせいだろう。

 

 

 

 

「うう、文明の利器を使うなんて、ひどいぜ……」

 

 さすがにバイクからは逃げられないと悟ったのか、識はようやく足を止める。

 

 それを確認して、俺と夏海ちゃんもバイクを降りて識を取り囲む。

 

「それで、あなたは誰なんですか? うちの畑を荒らすなんて、フテーヤローですね!」

 

 ……怒りからか、夏海ちゃんの口調が変になっていた。

 

「僕は識さ。こう見えて、鬼なんだぜ」

 

「ふーん」

 

 いつもの調子で自己紹介をした識を、夏海ちゃんは冷めた目で見ていた。うん、ここにも鬼がいる。怖い。

 

「……ごめんなさい」

 

 さすがに空気を読んだのか、識は真摯に頭を下げた。

 

「……盗んだキュウリ、二本とも食べちゃったんですか?」

 

「ああ、そうだぜ……」

 

 本当に申し訳なさそうに言う。思えば、走り去る時には両手に持っていたはずの美馬太キュウリがない。たぶん、逃げながら全部食べてしまったんだろう。

 

「あれ、珍しいキュウリなんですよ? ようやく実ったので、一本残しておいて、明日のキュウリチャーハンに使おうと思っていたのに! ひどいです!」

 

 夏海ちゃんはそう言って憤慨していた。もしかしなくても、怒りの原因はチャーハンだった。相変わらず、チャーハンの申し子だ。

 

「で、でも、そのキュウリのおかげで僕の命は救われたんだ。つまり、キミは僕の命の恩人だ! お礼になんでも一つ、キミの願い事を叶えるぜ?」

 

 すごいへじゃぷだ。このやり取り、もう何度目だろうか。

 

「……そんなこと言っても誤魔化されませんよ! 連行です!」

 

 でも、夏海ちゃんには通用しないみたいだ。彼女は表情を変えることなく、識の着物の袖をがっしと掴む。

 

「え、連行ってどこにだい!?」

 

「お奉行さまのところです! そこで事情聴取ですよ!」

 

「お代官様、お慈悲をーーー!」

 

 そして、まるで時代劇みたいなやりとりをしながら、三人で奉行所……じゃない。鏡子さんの家へ戻ることになった。

 

 ぐいぐいと識を引っ張っていく夏海ちゃんの行動力に感服しながら、俺はバイクを押したのだった。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「ふえてる……」

 

 鏡子さんのところに戻ると、羽未がカップうどんを食べながら不思議そうな顔で俺たちを見ていた。

 

「羽未ちゃん、私たちは向こうの部屋でお話があるから、少しの間一人でカップうどん食べててね」

 

「うん」

 

 鏡子さんは識を連れて帰ってきた俺たちを見て勘付いたんだろう。羽未に笑顔でそう告げると、俺たちを隣の部屋へと案内してくれた。

 

「……それで、この子が夏海ちゃんのキュウリを食べちゃったんだね」

 

「ぶえ……あのキュウリはなぜか懐かしい感じがして、思わず手に取らずにいられなかったんだ。本当にごめんよ」

 

 そして隣の部屋で尋問を始めると、さすがに観念したのか、識は土下座でもしそうな勢いで謝ってきた。

 

「あの……この子、俺の知り合いなんですけど、本当に腹が空いていただけだと思うんですよ。今回だけは許してやってくれませんか」

 

 その姿を見ていられなくて、俺はそう助け舟を出す。

 

「むー」

 

 そんな中、夏海ちゃんは識の真正面に座り、口をへの字に曲げていた。夏海ちゃんでもあんな顔するんだ。

 

「ご飯、ずっと食べてなかったんですか?」

 

「ああ、昨日のお昼に浜辺でおむすびをもらって以来、今まで飲まず食わずさ」

 

 夏海ちゃんの問いかけに、識はそう答えていた。先日も行き倒れになっていたし、彼女の言葉に偽りはないように思えた。浜辺の話も、昨日の出来事と合致がいくし。

 

「お前、昨日も行き倒れていたよな。きちんとご飯食べないと駄目だぞ」

 

「そ、それはわかっているつもりさ……けど、今の時期は、筍(たけのこ)も独活(うど)も生えていなくて……緋衣草の蜜で飢えを凌ぐのが精一杯なんだよ」

 

「あの、ひごろもそう……って何ですか?」

 

 ……その時、夏海ちゃんがそう聞いてきた。思えば、普段は使わない名前な気がする。どうして俺は知ってるんだろう。

 

「サルビアのことよ。懐かしい呼び名ね。昔、おばーちゃんたちが言っていた記憶があるわ」

 

「え。もしかして、花の蜜で飢えをしのいでいたんですか?」

 

 鏡子さんの説明を受け、識の壮絶な食生活を悟った夏海ちゃんが愕然としていた。

 

「そんな理由があったなんて……それなら、キュウリくらい食べたくなりますよね」

 

「え?」

 

 そう言われると同時に、識のお腹が大きな音を立てた。どうやらキュウリで補給したエネルギーは逃走に使いきってしまったらしい。

 

「しょうがないですよね。お腹が空くの、辛いですもんね」

 

 気づけば、今度は逆に夏海ちゃんが申し訳なさそうに頭を垂れていた。

 

 ……これは、許してもらえそうな流れになってきたかもしれない。

 

「……でも、人の畑のものを勝手に食べるのは良くないわ」

 

「お奉行さま、お慈悲を―――!」

 

 けど、そんな流れを鏡子さんが笑顔で一蹴していた。識は畳に額を擦りつける勢いで土下座しているし。もう、どっちが鬼かわからない。

 

「あの、鏡子さん、許してあげましょうよ。困ったときはお互いさまって言うじゃないですか」

 

 その時、夏海ちゃんがなだめる側に回ってくれていた。良かった。どうやら夏海ちゃんには人の心が残っていたみたいだ。

 

「うーん……生産者の夏海ちゃんが許すって言うならいいけど……」

 

 どこか腑に落ちない顔をしていた鏡子さんだけど、そこは大人の女性。夏海ちゃんの提案を聞き入れてくれ、今回、識はお咎めなしということになった。

 

 

 

 

「はい! カボチャ入りのカップうどんですよ!」

 

「夏海先輩、ありがとう!」

 

 ……無事無罪放免となった識は改めて二人に自己紹介をし、羽未を交えた五人で食卓を囲んでいた。

 

 ちなみに羽未は鏡子さんに諭されたのか、普通のきつねうどんを食べたらしい。さすがに豚キムチは早かったみたいだ。

 

「羽依里さんのカップうどんもできましたよ! どうぞ!」

 

「ああ、ありがとうね」

 

 そして俺が受け取ったカップうどんには、大量のニラが乗っかっていた。俺、この後仕事があるんだけど、口の匂い大丈夫かな。

 

「識ちゃん、お腹空いてるみたいだし、カップうどんだけで足りる? 良かったら、おむすびでも作ってあげましょうか?」

 

「いいのかい!?」

 

「「駄目です!」」

 

 直後、俺と夏海ちゃんの声がハモった。気持ちはありがたいけど、鏡子さんに料理させるわけにはいかない。たとえ、おむすびであっても。

 

「鏡子さんの手を汚させるわけにはいきません! お腹空いてるのなら、野菜のトッピング増やしてあげますから! はい! 追いカボチャですよ!」

 

 確かにおむすびを作ったら手が汚れるけど、それとこれは意味が違う。夏海ちゃん、相当テンパってるな。

 

 識の器にカボチャを追加投入している夏海ちゃんを横目に、俺は自分のカップうどんをすすった。うん。フレッシュだった。

 

 

 

 

「あ、もうこんな時間か」

 

 昼食を終えると、14時近くになっていた。そろそろ帰って仕事をしないと、しろはに怒られてしまう。

 

「そういえば、今日はお客さんが来るんでしたね」

 

「うん。今日のお客さんはペット同伴らしいから、民宿の方も念入りに準備をしておこうと思ってさ」

 

「ということは羽依里さん、これから忙しくなるんですね」

 

「まぁ、それなりにね」

 

「……なら民宿の準備、識さんにも手伝ってもらったら良いんじゃないですか?」

 

「ぶえ!?」

 

 我関せずといった様子で羽未とテレビを見ていた識が、突然話題を振られて素っ頓狂な声を上げていた。どこからそんな話が出てきたんだろう。

 

「識さん、さっきのお願い事の話、まだ生きてますよね?」

 

「な、何の話だい?」

 

「ほら、命の恩人だから、何でもお願い事を一つ叶えるっていう話です」

 

 不思議に思っていると、夏海ちゃんがそう続けた。そういえば、まだ識から願いを叶えてもらっていない気がする。

 

「えーっと、それはもちろん生きているさ。でも……」

 

 言った本人はすっかり忘れていたんだろうか。時折言いよどみながら目を泳がせている。

 

「……あら、そんな約束をしていたの?」

 

 その時、それまで静観していた鏡子さんが会話に入ってきた。

 

「そうなんです! 識さんを助けたお礼に、どんな願いも一つだけ叶えてくれるという約束をしたんです!」

 

「で、でも夏海先輩、僕のお願いは労働の願いは叶えられないんだ」

 

「そんな言い訳は駄目です! 識さん、今から羽依里さんの仕事を手伝ってあげてください!」

 

「ほ、本気かい!?」

 

「本気です!」

 

「対価として僕に労働を課すなんて、夏海先輩は鬼だ!」

 

「鬼でも悪魔でもいいです! なんでも叶えるぜって、言ってたじゃないですか!」

 

「そ、それはそうだけど……」

 

「識ちゃん、嘘は良くないわ」

 

「ぶえ!?」

 

 そんな押問答をしている最中、鏡子さんが笑顔を崩さずに、良く通る声でそう言う。

 

「約束は守らないとね?」

 

「で、でも、その」

 

「識さん、嘘つき鬼さんなんですか?」

 

「嘘つきは良くないわ」

 

「うそはだめー」

 

 いつの間にか羽未まで混ざっていた。まるで、さっきの尋問の続きみたいになっていた。うちも鬼の手……じゃない。猫の手も借りたいほど忙しいってわけじゃないから別に良いんだけど、とても断れそうな雰囲気じゃない。まいったな。

 

「ぶ、ぶえぇ……」

 

 ……やがて、がっくりとうなだれながら識が折れた。この勝負、岬一族の勝ちらしい。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「きょーこさーん、なっちゃーん、ばいばーい!」

 

「三人とも、気を付けて帰ってね」

 

「また来てくださいねー!」

 

 全てが解決した後、俺と羽未、そして識の三人は鏡子さんたちに見送られながら帰路についた。

 

「ぶえぇ……」

 

 道中、識は着物の裾が地面に着きそうなくらい肩を落として歩いていた。足取りも重く、これから先のことを考えているんだろう。

 

「識、いい加減諦めろ。なんでも願いを叶えると宣言したお前が悪い」

 

「わかってはいるさ……でも、羽依里くんは宿場を営んでいるんだろう? 宿場と言えば料理だ。僕の料理は人様に出せるものじゃないぜ?」

 

 鏡子さんみたいなこと言わないでほしい。というか、何日か前に話した内容、覚えてたんだ。にしても宿場って。随分古い言い方だな。

 

「なにも、一から食事を作れってわけじゃない。店には俺の妻もいるから、羽未と一緒にその手伝いをしてくれるだけでいい。下ごしらえとかなら、できるだろ?」

 

「それならお安いご用さ!」

 

 識の表情が明るくなった。もしかして謙遜してるだけで、腕に覚えがあるのかもしれない。

 

「おねーちゃんといっしょー」

 

 羽未も識と一緒なのが嬉しいのか、ニコニコ顔だった。しれっと手を繋いでるし、やけに仲良くなっている気がする。

 

「識が逃げないように、しっかりと捕まえておくんだぞ」

 

「うん!」

 

 羽未が掴んだその手をぶんぶんと振りながら、元気よく答える。まぁ、見た感じ大丈夫だとは思うけど。識を連れて帰ったら、しろはも驚くだろうな。

 

 

 

 

「……連絡もしないで、どこに行ってたの。差し入れを持って海の家に行っても、誰もいないし」

 

 加藤家に帰宅すると、しろはは驚くどころか、大変怒ってらっしゃった。そういえば、鏡子さんの家に行くことを伝えていなかった気がする。

 

「もしかして中にいるのかなって思って扉を開けたら、煙だらけだったし」

 

 言われてみれば、しろはは朝と服装が違っていた。どうやら害虫駆除用のバルザン攻撃をまともに食らって、服が汚れてしまったらしい。

 

「ごめん。色々あって今日の作業は中止になってさ。夏海ちゃんに誘われて、鏡子さんの家に行っていたんだ」

 

「それならそうと、電話の一本でも欲しかったんだけど。お昼ごはんだって用意してるんだから。それに……」

 

「わ、わかったわかった。次からは連絡入れるから」

 

 玄関口で腰に手を当てて、しろははご立腹だった。こんなことになるなら、どこかの家で電話でも借りて、連絡を入れておけばよかった。

 

「……ところで、後ろの子は?」

 

 一通り俺に文句を並べ終わった後、俺の後ろに隠れるようにしていた識に気がついたみたいだ。

 

「ああ、こいつは小間使いだ」

 

「ぶえ!? ここに来るまでの間に、僕の身分はそこまで下がってしまったのかい!?」

 

「それは冗談だけど、色々あって民宿を手伝ってくれることになったんだ。夏海ちゃんからのご使命だし、好きに使ってくれ」

 

「よくわからないけど、今日はお客さんが来るし、手伝ってくれるんなら助かるよ。えっと……」

 

「ああ、僕は識だよ」

 

 今更ながら自己紹介をしていなかったことに気づいたのか、識が名乗る。さすがに、鬼の下りは使わなかった。

 

「私は鷹原しろは。よろしくね」

 

「あれ、キミがしろはさんなのかい?」

 

「え?」

 

「しろは先輩、キミの作ったおむすびは最高だったよ!」

 

「え、先輩ってどういうこと?」

 

「これだけ美味しいおむすびを作れるんだ。是非先輩と呼ばせてくれ!」

 

「べ、別に先輩じゃないし……わ、わわわ、わわわ」

 

 嬉しさが爆発したのか、識はしろはに駆け寄ってその手を取ると、そのままくるくると回り始めた。そういえば、先日識の命を救ったのは、しろはの作ったおむすびだった気がする。

 

「たのしそうー」

 

 羽未はそう言うけど、たぶん回されてるしろははそれどころじゃないんじゃないかな……。

 

 

 

 

「はう……」

 

 ……数分間回されたのち、しろははようやく解放された。

 

「じゃ、じゃあ、識と羽未ちゃんは私と一緒に料理の下ごしらえね」

 

「ああ、了解したよ」

 

「がんばるー」

 

 さすがに目が回ったんだろう。しろはは頭を軽く振りながら、識と羽未を先導して家の中へと消えていった。

 

「……それじゃ、俺も仕事に取りかかるかな」

 

 その場に一人残されてしまった俺は、軽く頭を掻いてから、浴室へと足を運ぶ。まずは水回りの掃除から取りかかることにしょう。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「……よし。これで浴室の掃除も終わったし、あとは客室だな」

 

 タワシや洗剤を片付け、次はほうきとちりとりを持って客室へと向かう。そこまで広い部屋じゃないし、すぐに終わると思う。

 

「……ほら、こうすると篭ができるんだ」

 

「すごーい! ライオンもできる!?」

 

「それはできないけど、変わった花ならできるぜ? ほら、こうして、こうだ」

 

「すごーい!」

 

 慌ただしく動き回っていると、居間の方から羽未と識のそんな会話が聞こえてきた。

 

 一度はしろはの手伝いに行った二人だけど、どうやら食材がまだ揃っていないらしく、少しだけ自由時間ができたらしい。二人はその時間を利用して、折り紙をしてるみたいだ。

 

「……やっぱりキミは、僕の探しているのとは別のうみさんなのかい?」

 

「?」

 

 本当、仲が良いよな……とか思っていたら、なんだか不思議な会話が聞こえた。なんだろう。識の知り合いにも羽未って子がいるのかな。

 

 まぁ、漢字こそ違えど『うみ』って名前の子はたくさんいるだろうし……。

 

「ほら羽依里、ぼーっとしてる時間があったら、早く高橋さんの所に行かないと。使ってない犬小屋、借りるんだよね」

 

 ……そんな折、しろはから呆れ顔でそう言われた。そうだった。犬小屋を忘れていた。

 

「部屋の掃除は私がしておくから、お願いね」

 

「ああ。ごめん。お願いするよ」

 

 俺は持っていた道具をしろはに手渡すと、玄関へと向かった。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「ふう。まさか、こんな立派な犬小屋だとは思わなかった……」

 

 背負うようにして運んできた犬小屋を、どすっと庭に置く。貸してくれて高橋さん曰く、ずいぶん昔に飼っていた大型犬用の小屋だとか。

 

 大は小を兼ねるというし、小さいよりかはいいと思ったけど……さすがに重たかった。朝のうちに綺麗に掃除してくれたらしく、それ以上の手間はかからなかったけど。

 

「部屋の掃除も終わってるみたいだし……次はどうしようかな」

 

 一応客室を見てみたけど、さすがしろは、完璧だった。手持ち無沙汰になった俺は、台所へ行ってみることにした。

 

 

 

 

 ……台所に顔を出してみると、しろはは鍋に向かっていた。

 

 少し離れたところでは、羽未がひげ猫エプロンをつけて一生懸命山菜の皮をむいていた。うんうん。ちゃんとお手伝いをして、えらいぞ。

 

「しろは先輩、こっちの魚も下ごしらえ終わったぜ」

 

「うん。ありがとう」

 

 一方、識はそれとは別の場所で魚を捌いていた。見た感じ綺麗にできているし、やっぱり料理をしたことがあるんだろう。

 

「それにしても、すごい量の食材だね。これ、全部夕餉に使うのかい?」

 

「ああ、お客さんの夕飯だけじゃなく、俺たち家族の分も一緒に作ってるからさ。結構な量になるんだよ」

 

「なるほど。だからこれだけ沢山の材料があるわけだね」

 

 俺が説明すると、識は感心したようにテーブルに並んだ食材を見て回る。山菜に魚、野菜。どれも島で手に入るものばかりだ。

 

「……あれ? しろは先輩、これはヤブガラシかい?」

 

「そう。よく知ってるね。おひたしにしようと思って、水に浸しているの」

 

 そんな中、すでに下処理が終わった別の山菜の前で識が足を止めた。どうしたんだろう。

 

「……これ、中にいくつか違う草が混ざってるぜ?」

 

「え?」

 

 識は山菜が入ったボウルの中に手を入れて、そのうちの一つをつまみ上げる。

 

「似てるけど、これはアマチャヅルだぜ。薬として飲まれる場合もあるけど、結構な苦みがあるんだ。おひたしには向かないんじゃないかい?」

 

 そう言いながら、その山菜をしろはに見せる。俺には全然違いが分からない。

 

「あ、本当。これは違うね」

 

「アマチャヅルは節々が赤紫色だから、そこで見分けるといいぜ」

 

「教えてくれてありがとう。吉原さんからもらったものだから、安心しきっていたよ」

 

 しろははお礼を言った後、一旦鍋の火を小さくして、識と一緒に山菜の選別を始めた。

 

「識は山菜に詳しいのか?」

 

「ああ、それなりの知識はあると思うぜ?」

 

 慣れた手つきで山菜をより分ける識にそう聞いてみると、元気な答えが返ってきた。手の動きに迷いがないし、本当に自信があるみたいだ。

 

 それから数分もしないうちに、数本のアマチャヅルを見つけ出すことができた。

 

 許可をもらって、試しにアマチャヅルを一口かじってみたけど、本当に苦かった。これを知らずにお客さんに提供していたと思うと、背筋が寒くなった。下手したら、お店の信用問題にも発展するところだ。識のおかげで助かった。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

 ……その後、皆で夕飯の準備を終えた頃、今日のお客さんがやってきた。

 

「お待ちしていました。加藤家へようこそ」

 

 いつもの感じで来客対応をする。玄関に出てみると、整った顔立ちの女性が二人立っていた。

 

 年齢こそ少し離れているようだけど、どちらも同じ青色の髪。どうやら姉妹っぽい。

 

「霧島聖さま、二名でよろしいですか」

 

「うむ。世話になるぞ」

 

「お世話になるのだー」

 

「ぴこぴこー!」

 

「え?」

 

 そしてそんな二人の足元に、謎の毛玉がいた。思わず二度見してしまう。小型犬とは聞いていたけど、もしかしてこの毛玉がそうなのか?

 

「ポテトは犬だよぉ。お泊りを許してくれて、ありがとう!」

 

 混乱していると、ショートカットの妹さんの方が満面の笑みで俺の手を握ってきた。その手には黄色いバンダナが結ばれている。何か怪我でもしてるんだろうか。

 

「その、座敷犬ではないと聞いていたので、庭の方に犬小屋を用意させていただいたのですが、よろしかったですか?」

 

「全然大丈夫! 良かったねー。ポテト!」

 

「ぴっこり!」

 

 飼い主の言葉にしっかりと受け答えしているように思えた。ポテトと呼ばれているこの毛玉犬、もしかして頭が良いのかな。

 

「それでは、お部屋にご案内します。こちらにどうぞ」

 

「よろしく頼む。あぁ、ポテトはここで待っているんだぞ」

 

「ぴこぴこー!」

 

 まぁ、この島には人語を理解してポンと鳴く青いキツネだっているんだし。本土にピコと鳴く毛玉犬がいたって不思議じゃないのかもしれない。

 

 俺は頭に浮かんだ疑問を棚上げにして、二人を客室へと案内することにした。

 

 ところで、妹さんのバンダナもそうだけど……聖さんの服装が気になる。どうして通天閣Tシャツを着てるんだろう。大阪の人なんだろうか。

 

 

 

 

「……えーっと、本日は観光ですか?」

 

「それもあるが、ちょっと下見にな。なかなか良い島だな」

 

「ありがとうございます」

 

 部屋に荷物を置いてもらいながら、場つなぎ的にそんな話をする。下見って何だろう。

 

「お姉ちゃん見て。立派な犬小屋があるよぉ」

 

 その時、妹さんが客室向かいの庭に設置した犬小屋に気づいた。

 

「一応、こちらでご用意したのですが、いかがでしょう?」

 

 知らずに用意したとはいえ、あの毛玉犬……ポテトが使うにしてはかなり大きい。気に入ってもらえるだろうか。

 

「元々、外で寝かせるつもりでいたからな。わざわざ用意してくれてありがたいくらいだよ。佳乃、さっそく入ってもらったらどうだ」

 

「そうするね! おーい! ポテト―――!」

 

「ぴこぴこー!」

 

 飼い主がその名を呼ぶと、家の外を経由してポテトが庭にやってきた。小屋と並んでみると、ますますサイズ差が気になる。

 

「今日はここがポテトのお宿だよ!」

 

「ぴっこぴこー!」

 

 そんな俺の気持ちとは裏腹に、ポテトは嬉しそうに小屋の中で飛び跳ねていた。むしろ、広い寝床に喜んでいるように見えた。

 

「うんうん、ポテトも嬉しいみたいだよぉ。お兄さん、ありがとう!」

 

 また笑顔で俺の手を取って、ぶんぶんと振る。天真爛漫というか、本当、感情を隠さない子だ。

 

「……そうだご主人。明日は朝早くに出ようと思っていてな。朝食は結構だ」

 

「かしこまりました。料理担当の者にそう伝えておきます」

 

 その時、聖さんが思い出したようにそう口にした。あくまで朝食はサービスなんだけど、後で忘れずにしろはに伝えておこう。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「……うん、これで完成。羽依里、お客さん用の夕食できたよ」

 

「よし。それじゃ運ぼう。識と羽未も手伝ってくれな」

 

 しばらくして夕食時。いつものように家族総出で食事を客室へと運ぶ。

 

 ちなみに今日のメニューは、先程良一から仕入れた新鮮な魚の刺身の盛り合わせと天ぷら、吸い物、島野菜を使ったサラダに煮物、そして山菜のおひたし等、島の恵みを存分に生かした献立だった。

 

「失礼しまーす。夕飯をお持ちしましたー」

 

「どうぞ、めしあがれー」

 

「こっちは娘です。ほら、挨拶して」

 

 俺を先頭に入室した後、いつもの流れで料理の説明をし、家族の紹介をする。

 

「こちらが料理を担当している家内です」

 

「い、いらっしゃいませ。本日は、お犬様のお食事も用意してございまする」

 

 しろははそう言いながら、おずおずと別の器に入った料理を差し出す。お客さんの前だからか、緊張して変な敬語になっていた。

 

「ポテトの分も用意してくれたんだね! ありがとう!」

 

 佳乃さんはしろはからその器を受け取ると、そのまま縁側のところにいるポテトへと持って行った。めちゃくちゃ尻尾を振りながら食べているし、きっと喜んでもらえたんだろう。

 

「ほう? このおひたしは変わっているな」

 

「その山菜はヤブガラシというんだ。僕も食べてみたけど、美味しかったぜ」

 

「む? ご主人は随分若く見えるが、その方も娘さんかな?」

 

「あ、いやその、この子は親戚の子で」

 

 とりあえず、そう誤魔化しておいた。識も料理を運んでくれていたし、家族だと思うのが自然だとは思うけど。

 

「このお刺身も、おいしそうだよぉ」

 

「ああ、見事に魚の組織を破壊せずに切られている。メスも使わずに見事だな」

 

「え、メス?」

 

「ああ。こう見えて、私は医者でね。調理にはメスを使うんだ」

 

 そう言って、どこからか医療用のメスを取り出した。えええ、嘘だろ。

 

「つまり、キミはお医者様なのかい!? 女性なのに、それはすごいことだよ!」

 

 その時、俺たちのやりとりを聞いていた識が興奮気味に話に入ってきた。女医さんって、今時珍しいことでもないと思うけど。

 

「ほら識、お客さんの食事の邪魔になるから、そろそろ戻るぞ。それでは、ごゆっくり」

 

 識はもっと話したそうな顔をしていたけど、それによってせっかくの料理が冷めてしまっても悪いし。多少強引だけど会話を打ち切って、部屋から退散することにした。

 

 

 

 

 そして自室に戻ると、俺たちも夕食をとることにした。

 

「しろは先輩、この天ぷらは最高だよ!」

 

「ありがとう。島の塩をつけて食べると美味しいよ」

 

 そんな家族の食事に、当然のように識が混ざっていた。特にしろはと識は今日出会ったばかりのはずなのに、不思議と受け入れていた。

 

「おお、このおひたし美味しいな」

 

 俺の斜め向かいに座る識を横目で見ながら、山菜のおひたしを口に運ぶ。程よい苦みと独特の風味が口いっぱいに広がる。

 

「うみさんが丁寧に皮をむいてくれたから、筋が残らずにおいしくできたんだ。ここはうみさんを褒めるべきだぜ?」

 

「そうなのか。羽未、ありがとうな」

 

「がんばったー」

 

 隣の羽未の頭を撫でてあげると、嬉しそうに目を細めていた。

 

 基本、お客さんのいる日は俺たちも慌ただしい夕食になるのだけど、こういう家族の時間はできるだけ大切にしたい。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「……どの料理も見事なお手前だった。しろはさんにお礼を言っておいてくれ」

 

「ごちそうさまー!」

 

「あ、わざわざありがとうございます」

 

 そして、ちょうど俺たちが食事を終えた頃、部屋のふすまを少しだけ開けて、霧島姉妹がお膳を下げに来てくれた。

 

「それでは、少し夕涼みに出てくる」

 

「わかりました。お留守の間に、お部屋へお布団を用意いたしますね」

 

「ああ、よろしく頼む」

 

「ポテトー! ご飯食べたし、お散歩行くよー!」

 

「ぴこぴこー!」

 

 直後、庭の方からポテトの元気な声が飛んできた。あの見た目だし、散歩に行ったら子供たちが新種のペケモンと勘違いされるかもしれないな。

 

 元気に表へと向かっていく二人と一匹を見ながら、俺はそんなことを思ったのだった。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「……よし、こんなもんでいいかな」

 

 客室の押し入れから畳まれたままの布団を出して壁際に並べる。ひとまず、布団の準備はこれで完了だ。

 

「……この部屋、見覚えがある気がするよ」

 

「え?」

 

 外出中とはいえ、お客さんが使用中の部屋だし、用が済んだらさっさと退散しよう……なんて考えていたら、背後から声がした。

 

 振り向いてみると、いつの間にやってきたのか、識が部屋の入口に立っていた。

 

「見覚えがあるって、以前泊まりに来たことがあるのか?」

 

「いや、そういうのじゃないんだ。何かこう、懐かしい感じがする」

 

 そう言うけど、この民宿は今年始めたばかりだ。これだけ印象的だし、識みたいな子が来ていれば覚えてると思うんだけど。

 

「そういえば、成り行きでこんな時間まで手伝ってもらったけど、識も親御さんが心配してるんじゃないか?」

 

 船の時間を気にしている風もないから、島のどこかに泊まる予定ではあるんだろうけど。そろそろ外も暗くなってくる時間だし、泊まってる場所によっては送ってあげた方がいいかもしれない。

 

「神山って名字はあまり聞かないし、どこか親戚の家でもあるのか?」

 

「親戚か……もしかしたら、いるかもしれないね」

 

 なんの気なしにそう聞くと、識は少し愁いを帯びたような表情を見せた。その言い方も、どことなく含みのある言い方だった。

 

「……あのさ。識ってもしかして、訳ありなのか?」

 

 ここ数日、何度か行き倒れになっている識を助けたけど、このご時世、余程のことがないと行き倒れになんてならない。もしかして、何か家に帰りたくない理由があったりするんじゃないだろうか。

 

「理由によっては、しばらくこの家に置いてもらえるようにしろはに頼んでやってもいいぞ?」

 

「本当かい!?」

 

 俺の言葉を聞いて識の顔が輝いた。それにしても、どうして俺はそんなことを口走ってしまったんだろう。

 

「ああ。だから理由を話してみろ」

 

「……正直に言うと、僕には記憶がないんだ」

 

「え?」

 

 一瞬冗談かと思ったけど、そんな考えは識の表情を見て霧散した。さっきと打って変わって、真剣な目をしていたから。

 

「自分のことで覚えているのは、神山識という名前くらいさ」

 

「……それは記憶喪失、ってやつなのか?」

 

「恐らくそうなんだと思う。他に覚えているのは『ずっとうみさんを探していた』ということくらいさ」

 

 羽未を探す? よく意味がわからない。

 

 確かに以前、羽未を知っている風なことを言っていたけど、当の本人は知らないみたいだったし。

 

「ちょっと待って。記憶がないってことは、宿は?」

 

「宿は毎日神社の軒下を借りていたぜ?」

 

「神社!?」

 

 あの神社、確か無人だったはずだけど。そこに寝泊りだって?

 

「ああ。この島に来て数日が経つけど、ずっと神社で寝泊まりしてるんだ。この時期なら風邪をひくこともないし、屋根だってあるしね」

 

「じゃあ、その間の食事は!?」

 

「それも鏡子さん家で一度話したじゃないか。緋衣草の蜜を吸っていたんだよ」

 

 そういえば、そんな話をしていた。そんな食生活をしていたからこそ、行き倒れてしまったわけだろうけど。

 

「後は、海からハマグリやサザエを失敬したりね。しっかりと焼けば、美味しく食べられるし」

 

 いやいや、それって密猟だから。

 

「そ、そんな生活は駄目だぞ!」

 

「ぶえ!?」

 

「ちょっと来い!」

 

 思わず叫んだ俺は識の腕を掴むと、そのまま自室のしろはの元へと引っ張っていく。

 

 もしかして家出なのかな……くらいに軽く考えていたけど、識の置かれた状況は俺の予想の斜め上をいっていた。まさか記憶喪失だなんて。これは、俺の手に余る。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「……というわけらしいんだ」

 

 そして俺はしろはの元へ赴き、識の置かれた状況について話して聞かせた。記憶喪失については伝えたけど、それ以外の部分はうまく誤魔化しておいた。

 

「……」

 

 しろはその一部始終を黙って聞いて、やがて口を開く。

 

「……急に記憶喪失とか言われても、正直信じられないけど。確かにその生活は良くないね。特にご飯は、しっかり食べないと」

 

「だろ? それでしろはに相談なんだけどさ……」

 

「……じゃあ、少しの間、この家で暮らす?」

 

 次にしろはの口から出たのは、まさに俺が言いだそうと思っていたことだった。まさか、しろはの方からその提案が出るなんて。

 

「いいのかい!?」

 

「うん。いいよ。悪い山菜を教えてもらった恩もあるし、羽未ちゃんも懐いているみたいだから。困ったときはお互いさまだよ」

 

「ありがとう! しろは先輩は、僕の命の恩人だ!」

 

 そう言いながらがっしりとしろはの手を握る。

 

 困ったときはお互いさま……しろはの言うことはもっともだけど、今日出会ったばかりの子をここまですんなり泊めてあげるなんて。我が妻といえど、予想外だった。

 

「……でも、問題は寝る場所だよね」

 

「え?」

 

 しろはの心意気に感心していると、その表情が唐突に曇る。どうしたんだろう。

 

「識の寝る場所。南の部屋を使ってもらおうかと思っていたけど、あの部屋、半分物置になってたよね」

 

「あ……そうか」

 

 言われて思い出した。元々はたくさん部屋があった加藤家だけど、民宿に改装した今は部屋数に余裕はない。

 

 しろはの言う部屋も、春先に冬の荷物を詰め込んでしまっていた。さすがに、すぐに使うのは厳しいかもしれない。

 

「識、今日のところはこの部屋で俺たちと一緒に寝てもらってもいいか? しろはや羽未もいるからさ……」

 

「何を言ってるんだい? 寝る場所なら、庭に立派な建物があるじゃないか」

 

「え、庭?」

 

「ああ、あれだぜ?」

 

 そう提案したところ、識がふすまを開けて廊下越しに見える庭を指さす。そこには、もう長いこと使っていない蔵が見えた。

 

「あれは蔵だし、それこそ物置みたいになってるんだ。汚れてるし、さすがに悪いよ」

 

「僕は全然構わないぜ? 自分で掃除するから、道具を貸しておくれよ」

 

 渋る俺に対して、識は笑顔でそう言っていた。元より神社の軒下で眠るとまで言っていたんだし、雨風をしのげれば十分という考えなのかもしれない。

 

「おかーさーん!おふろわいたー!」

 

 その時、羽未がふすまを開けて部屋に入ってきた。姿が見えないと思ったら、お風呂を沸かしてくれていたのか。

 

「ありがとう。それじゃ、後でおかーさんと入ろっか」

 

「んー、おにのおねーちゃんとはいりたいー」

 

「え、識と?」

 

「うんー」

 

 ……しろはが驚くのも無理はない。普段、羽未はしろはと一緒に入るお風呂が大好きだから。

 

「きょうはおねーちゃんがいいー」

 

 そう言う羽未は識の着物の裾を掴んで笑顔だった。

 

「……そういうことらしいんだけど、識、いいかな?」

 

「ああ、僕は構わないぜ?」

 

「じゃあ、蔵の掃除は俺がしておくから、識はその間に羽未と一緒にお風呂に入ってあげてくれないかな」

 

「え、羽依里くんが掃除してくれるのかい?」

 

「ああ、羽未も一緒に入りたがってるみたいだしさ。それじゃ、行ってくるよ」

 

 俺はそう言って立ち上がり、一人蔵へと向かった。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「……大体綺麗にはなったと思うけど」

 

 蔵に向かった俺は、天井に設置された明かりを頼りに、時間をかけてほうきとちりとりで床を掃除した。場所が場所だけに埃っぽさは消えないけど、一晩寝るくらいならなんとかなると思う。

 

「羽依里くん、さすが手馴れているね」

 

 その時、自分の布団を手にした識が蔵にやってきた。風呂上がりのせいか、埃臭かった蔵の中に石鹸の良い香りが流れ込んできた。

 

「一通り掃除したけど、本当にここでいいのか?」

 

「ああ、十分だよ。不思議と落ち着くんだ。宿泊を許してくれたしろは先輩に感謝だね」

 

「困ったときはお互い様だからな」

 

 俺はしろはの言葉をそのまま口にする。

 

「ありがとう。羽依里くんは優しいね」

 

「お、俺を誉めても夜食のおむすびは出ないぞ」

 

 受け売りの言葉だったせいか妙に恥ずかしくなってきて、そうお茶を濁す。

 

「いくらなんでも、そこまで図々しくはないさ。でも、こういうことは一家の大黒柱たる殿方が決める事じゃないのかい?」

 

「その、うちの場合は違うんだよ」

 

「……なるほど。羽依里くんはしろは先輩の尻に敷かれているわけだ」

 

「そ、そういうわけじゃないぞ!」

 

 なんだろう。年は結構離れてるはずなのに、このやりとりを自然に感じている自分がいた。

 

「もちろん冗談だよ。羽依里くんは立派な宿場の主人さ」

 

 動揺する俺を見ながら、識は蔵の真ん中に持ってきた布団を敷く。そしてその上にちょこんと座って、悪戯っぽい笑顔でこっちを見てきた。

 

 お風呂上がりでお客さん用の浴衣を着ている上に、髪を結っていないのもあって、一瞬だけど妙な色気を感じている自分がいた。当の本人に自覚はないのだろうけど。

 

「それじゃ、僕はそろそろ休むよ。あまり家族の時間を邪魔するのも悪いしね」

 

 次の瞬間、そう言って手を挙げる識を見て我に返った。我ながら何を考えているんだろう。

 

「そ、そっか。明かりのスイッチはあそこにあるから。それじゃ、おやすみ」

 

「ああ、しろは先輩にもお礼を言っておいてくれ。おやすみだ」

 

 俺は恥ずかしさを必死に隠しながら、識に就寝の挨拶をして、蔵を後にした。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

 ……自室に戻ると、羽未は敷かれた布団の上で寝息を立てていた。

 

「あ、羽未はもう寝ちゃったんだな」

 

「うん。絵日記を書き終わったら、すぐに寝ちゃったよ」

 

「そっか……今日も畑仕事を手伝ってたし、疲れたんだろうな」

 

 気持ち良さそうに眠る羽未の近くに腰を下ろす。部屋の明かりはついたままだけど、羽未はお構いなしに眠っていた。

 

「ずいぶん集中していたみたいだから、フロントの消灯作業やっておいたよ」

 

「え?」

 

 いつものように机で書き物をしていたしろはに言われて時計を見てみると、21時近かった。予想以上に長い間、蔵に籠っていたらしい。

 

「うっかりしてたよ。ありがとう」

 

「頑張ってたみたいだし、いいよ。ところで、識は?」

 

「家族の時間を邪魔したくないから、もう休むってさ。しろはにお礼を言っていたよ」

 

「もう。気にしなくてもいいのに」

 

 そこで会話が途切れる。羽未の小さな寝息と、虫の音が聞こえる以外は、静かな夜だった。

 

 思えば、昨日懸念していた鳴き声による騒音も今のところない。もっとも、あのポテトにピコピコと鳴かれたところで、逆に癒されそうな気もするけど。

 

「……ところでしろは、識をこの家に泊めるの、よく了承してくれたな」

 

 眠っている羽未の頭を撫でながら、俺は小さな声でしろはにそう聞いてみた。

 

「どうしてか、羽未ちゃんも懐いてたしね。どこかで会ったことがあるのかな」

 

 昨日、浜辺で一緒に遊んだくらいだと思うけど。今思えば不思議だった。

 

「羽未を探していた……か」

 

「え、なに?」

 

 思わず呟くと、しろはが机から顔を上げた。なんとなくだけど、この話はしろはにはしないほうがいい気がした。

 

「いや、なんでもないよ。それより、しろはも識と予想以上に早く打ち解けていた気がするぞ。普段、知らない人相手だと人見知りするのにさ」

 

「そ、そうかな。自分ではそんなことないと思うんだけど」

 

自分の頬をぱんぱんと叩きながら、どことなく恥ずかしそうにしていた。識についてなのか、人見知りについてなのかはわからないけど。

 

「……それに識を泊めてあげたのは、理由があるからだよ」

 

「理由?」

 

「……うん。ずっと昔ね。同じように記憶喪失の人が家にやってきたの。どんな人だったかは忘れちゃったけど、その時もおじーちゃんが泊めてあげてた」

 

 しろはは目を閉じて、昔を思い出すようにそう口にしていた。

 

「そんなことがあったのか」

 

「うん。だから、あの子も泊めてあげることにしたんだよ。困ったときは助け合わなきゃ」

 

 島民の間に強く残っている、互助の精神。しっかりとしろはにも受け継がれているみたいだ。

 

「……でも、やっぱりお客さんを蔵に泊まらせるなんて、民宿としてどうかと思う」

 

「別に料金もらってるわけじゃないし、本人もこの雰囲気が落ち着くって言ってたし、いいと思うけど」

 

「それでも、蔵はないよ……今度からは予備の部屋も確保しておかなきゃ……」

 

 何かぶつぶつ言ってるしろはを見ながら、俺は近くに置かれていた絵日記へと視線を移す。今日の絵日記はどんな感じかな。

 

 

 

『7月27日 天気:はれ

 

 きょうは、きょうこさんやなっちゃんとやさいのしゅうかくをした。そのあとたべた、きゅうりのはいったカップうどんがおいしかった』

 

 

 

 今日の絵日記には夏海ちゃんと一緒に畑仕事をする様子が書かれていた。良かった。フナムシじゃない。

 

 そしてそんな文章の上に、両手にキュウリを持った羽未と夏海ちゃん、奥の方にはカップうどんを持った鏡子さんの姿も小さく描かれていた。今日は登場人物がいっぱいだ。

 

 ……ちなみに俺は遠くで、バイクっぽい物に乗って識を追いかけていた。うん。ここに書かれている誰よりも小さい。

 

「くそー。絵日記の主役の座、夏海ちゃんに先を越されたか」

 

「あ、また勝手に読んでる」

 

 その時、しろはは視線だけをこっちに向けて、そう注意してきた。

 

「いや、いつ俺を書いてくれるのかと思ってさ」

 

「車が作れるかっこいいおとーさんの絵日記じゃなくて、残念だったね」

 

「う、そのネタ、まだ覚えてたのか」

 

 一瞬、どうしてしろはが絵日記の内容を知っているのか疑問に思ったけど、これだけの登場人物だし、たぶん書くときにしろはがアドバイスをしたんだろう。

 

「わ。羽依里ってば、よく見たらすごく汚れてるし。早くお風呂に入ったほうがいいよ」

 

 ……言われてみてみれば、蔵の掃除をしたせいで全身くまなく汚れてしまっていた。これは一刻も早く風呂に入らないと。

 

「そうだしろは、せっかくだから一緒に入る?」

 

「残念。もう入りましたですよ」

 

 冗談半分にそう誘ってみるけど、すまし顔で断られてしまった。口調は思いっきり動揺していたけど。

 

 思えば寝巻きに着替えているし、識や羽未に続いて入浴を済ませたんだろう。最近一緒に入ってないから、久しぶりに入りたかったんだけどな。

 

「変なこと考えてないで、早く入ってきて。お湯も冷めちゃうし、洗濯機だって回せないんだからね」

 

「わ、わかったわかった。行ってくるよ」

 

 どことなく顔の赤いしろはから押し付けられるように着替えを渡されて、俺は部屋から追い出されてしまった。

 

 

 

 

「……ちょっと、お姉ちゃん! いきなり触っちゃダメだよぉ!」

 

 そして一人、浴室へ続く廊下を歩いていると、なんか声が聞こえた。

 

 明らかに霧島姉妹の声だった。ここ、壁が薄いから聞こえちゃうのかな。

 

「そう言うな。これは触診と言って立派な医療行為なんだぞ」

 

「お姉ちゃん、エロエロ星人だよぉ!」

 

 え、エロエロ?

 

 なんか色々と聞いてはいけない単語が聞こえた気がして、俺は足早にその場を離れ、脱衣所へと駆けこんだ。

 

 

 

 

「れいげんいやちこなれ……」

 

 そして浴室に入ってすぐに頭から水を被り、霊験あらたかな言葉でお清めをするのを忘れなかった。煩悩は打ち消しておかないと。

 

「ふぅ……」

 

 それからゆっくりと湯船に浸かる。そこまで広い風呂じゃないから、思いっきり身体は伸ばせないけど。

 

「今日の疲れは今日のうちに取っておかないと。疲れてる暇なんてないしな」

 

 ……明日からはラジオ体操も始まるし、お客さん二人も朝早くに出発すると聞いている。朝食はいらないらしいけど、朝から忙しくなりそうだ。

 

 それに海の家の開店準備もできたら手伝いたい。さすがに虫の駆除、今日中に終わってるよな……。

 

 窓の外に見える星空を見上げながら、俺はそんな風に、頭の中で明日の予定を反芻していたのだった。

 

 

 

 

第三話・完




第三話・あとがき


皆さん、おはこんばんちは。トミー@サマポケです。
個人的に今回の朝のシーン、好きなんですよ。朝起こすところとか、皆で朝ごはんとか、夏の友とか。本当に日常っぽくて(ぇ

さて、今回のメインイベントは海の家の開店準備……のはずが、フナムシの大群のせいで台無しにされました。
この辺りはRBで追加された静久ルートのくだりになります。カレー派閥の根城、復興計画ですw

そして、その海の家に代わるイベントとして入れたのが、鏡子さん家での野菜収穫作業です。この建物は完全にオリジナルで、古来種野菜については瀬戸内原産のを中心に結構調べました。広甘藍を含め、実在する野菜です。これまであまり出番がなかった鏡子さんを出せたので、満足しています。

また、その後に識を捕らえて尋問するシーンなどは、それこそ時代劇を意識しました。識が本来いた時代なら、あの反応も当然かなーと思いまして。

その後、識が加藤家に泊まることになる流れも既定路線です。できるかぎり、本編の識ルートを意識した感じです。居間での羽未ちゃんとの会話とか、意味深発言を連発させてみました。今後、識は羽依里たちと生活することになります。識推しの皆様、お待たせしました。

そんな識の陰にすっかり隠れてしまいましたが、今回のゲストは霧島姉妹でした。もちろん、例の毛玉犬も一緒です。
次回も引き続き登場する予定ですので、楽しみにされていてください。



■帰ってきた! 今回の紛れ込みネタ
あとがきの最後に、本編中に紛れ込んだサマポケ以外の鍵作品ネタについて解説をさせていただきます。前作もやっていたので、見覚えのあるネタもあるかもしれませんが、またよろしくお願いします。


・ひでんソース
Charlotteより、乙坂家ひでんソースです。私のSSでは頻繁に登場するアイテムの一つですw

・マスターオブ裏庭
AIRより、神尾家の裏庭にいる謎の存在です。その正体は……?

・どろり濃厚豚キムチ
どろり濃厚シリーズのオマージュになります。きっと、すごく濃いのでしょう。羽未ちゃんが食べなくてよかったです。

・『……ちょうせん』
CLANNADより、辛いチャーハンに挑戦する時の汐ちゃんのセリフです。コショウ、食べれるようになった時のやつです。


以上になります。いくつお気づきになられたでしょうか。
では、今回のあとがきはこの辺りで。
一言感想や評価など頂けましたら、次話執筆への活力になりますので、よろしくお願いします。
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