ある日彼は通学の途中、線路に落ちた男性を助けようとして電車に撥ねられてしまうが……
俺は都内の、とある高校に通う学生だ。
名前は大山 孝一と言う。
月曜日の朝の事だ。俺はいつも通り、休日明けから来る倦怠感と共に学校へ向かうために電車へ乗ろうとしていた。
『まもなく、電車が参ります。白線の内に……』
電車が来ることを知らせる、いつも通りの聞き慣れたアナウンス。俺はそれを、若干の眠気と共に聞き取り、出勤予定のサラリーマンと通学予定の学生達が溢れる満員電車に滑り込む準備をしていた……。
が、その時。
一人の男性が線路内に落ちた。打ち所が悪かったのか、グキッ、という周りにも聞こえる嫌な音を立てて落ちたのだ。
男性は呻くまま、立ち上がろうとしない。もしや変な落ち方をして、骨折したのでは……という想像もしてしまった。
嫌な奴だ、偽善者だ、と思われるかもしれないが、俺はこういうのを見ると放っておけない質で、事実その男性が骨折したのでは、と考えている時には体が勝手に動いていた。
俺はまず線路内に降り、男性の肩を担ぎ、上にいた人達に助けを求めた。
「どなたか、この男性を引き上げて下さる方はいらっしゃいませんか!お願いします!助けて下さい!」
そう叫ぶも、誰も固まって動こうともしない。終いには群衆の中から、バカじゃないのか、だとか、あいつも死んだな、だとかいう声が小さく聞こえてくる始末であった。
余談であるが、こういう時は集団心理が働き、"誰か"と呼びかけられても、"自分以外の誰かがやってくれるだろう"と考えて動き出そうとはしない。"そこのあなた"と限定して呼ぶ方が効果的である。
しかし、そんなことまで緊急時に頭が働くわけもなく、俺は混乱し、自分の力だけで男性をホームまで上げようとした。
結論から言えば、男性は助かった。火事場の馬鹿力とは恐ろしいもので、成人男性1人などは容易く持ち上がり、さらには高さが足りなければジャンプしてホームまで乗り上がらせるなどということが可能であった。
しかし、そんな力を出し終わった後では力が出るはずもなく、俺はホームへと上がる力を失っていた。群衆の中には、見て見ぬ振りをしていた者も多かったと思う。残りは見ていたには見ていたが、手を差し伸べることだけは決してしなかった。
俺は、自力でなんとかホームへ上がろうとしてもがいていたが、それも虚しく電車は迫ってきた。
電車に当たる寸前は、全ての景色がスローモーションに見えた。俺は既に、ホームへ上がろうとはせず、電車から逃れようと電車の来ていない方へと走り出した。
しかし、電車の速さに対して人間の走る速さというのは比べものにならず、俺は遂には電車に激突してしまった。
痛みは一瞬だった。電撃のような強い痛みが身体中を駆け巡ったと思えば、次の瞬間には視界はブラックアウトしていた。
こんなところで、俺の人生は終わってしまうんだな……。何故か思考は鮮明だった。
しかしその思考もだんだんとフェードアウトして行き、遂には停止した……。
目を覚ませばそこは病院であった。個室のようだ。周りには誰もいない。何故だろうか、俺は死んだはずじゃなかったのか……?
しばらくすると、足音が聞こえた。恐らく医師のものであろうその足音に反応し、混乱した頭も取り敢えずは冷静にさせて、そちらを振り向いた。
しかし俺は、そちらを振り向いてみて絶叫した。その医師はおよそ人の世の生物の形を成していなかったのだ!
原形質の頭部、その頭部のあちこちに点在し、こちらをぎょろりと見つめてくる目玉、三本の、先には鋭い爪を持った指のついた腕…… そして、極めつけはその肌色である。
その肌全体が、苔のような深い緑色に覆われていた!!
それからはもう、絶叫の嵐だった。よく見れば看護婦も、患者も、極めつけは俺が目を覚ましたと聞いて駆けつけた母でさえも同じような怪物として目に映った。
その後俺はもしや、と思い、医師(らしき生物)の制止を振り切りトイレへと駆け込み、鏡で同じように怪物となり果てた自分を見たところで気絶したらしい。
再び目を覚ましてから俺は医師に、俺は自宅の階段の最上段から転げ落ち、運が悪く頭を打って一年間昏睡していたらしい、ということを聞いた。俺の目に、医師などの人が怪物に映ってみえるのはその後遺症ということらしかった。
もう一度、しっかりと断言するが、俺は絶対にあの月曜日に、電車に撥ねられて死んだ。こうして生きていることはありえない筈なのだが、生きていただけよしと、割と早くに心の中で割り切ることができた。
しかし、その医師が怪物の見た目で人間の言葉を喋っているのには更に不気味さと違和感を覚えたものである。
それから三年が経っても、人が怪物に見えるという症状は治らなかったし、治るという兆しもなかったけれどでも、俺は三年をかけてやっと克服することができた。人間というのは原形質の頭部を持ち、その頭部のあちこちに目玉が点在し、指が三本、その先には鋭い爪。肌の色は苔のような深い緑色であるものなのだと、無理矢理に納得し、思い込み、それが常識であると刷り込み、慣れることができた。
最初こそ夜中に様子を見に来た母にビクついたりしたものの、何の障害もなく会話もでき、コミュニケーションを取れるようになっていた。もはや元の人間の形とはどんなものだったかも忘れていたくらいだった。
俺がそんな状態になってから一ヶ月後、定期検診の後日だったか、医師から連絡が入った。
"君のその症状は、脳の視覚を司る部分にできた腫瘍によるものだ。なぜこんな腫瘍を今まで発見できなかったのかはわからないが、昨日の定期検診でやっと発見できた。幸い摘出も簡単そうだし、摘出すればその症状は一切現れなくなる。手術を受けてみないか?"
概ねこんな内容だった。
俺はもちろんOKした。慣れたことには慣れたが、元に戻りたいという気持ちが消えたわけではなかったからだ。両親も喜んでいた。やっと自分の息子が元に戻るというのは親にとっても最大の喜びだっただろう。すぐに承諾してくれた。
その日の夜は嬉しくて眠れなかった。やっと、やっと元に戻ることができる!健常な人間として社会復帰できる!治ったらまず何をしようか……などと考え、全く頭に浮かばなかったが、元の人間の姿を必死に想い、A.M.3:00頃にやっと眠りについた。
そして翌日、俺と両親は病院を訪ね、手術を依頼した。医師も喜ばしそうに了承してくれた。
その後俺はすぐに手術室へと運ばれ、麻酔をかけられた。執刀医のあの医師が、意識レベル確認のために俺に問いかけてくるのを聞きながら、"この顔も見納めか、ふふん"と余裕をかましながら眠りについた。
目が覚めたのは20:00頃だった。俺は高鳴る胸の鼓動を抑えながら、看護師と医師が歩いてくる足音を聞いた。
医師が俺を呼んだ。
"孝一君"
まぎれもなく、あの医師の声だ。今振り向けば、俺は医師の人間としての顔を拝むのは初めてかもな……と思いながら元気一杯に、嬉し涙をこらえて返事とともに振り向いた。
「はいっ!」
しかし俺は目に入ったものを見て再び絶叫した。
化け物だ!化け物がそこにいたのだ!目が二つ、左右に均衡の取れた形で存在し、薄橙の肌、なんと指なんて五本もある!頭部の上には無数の髪の毛があり……これは化け物だ!化け物に違いないのだ!
そう確信した瞬間には俺はもう、医師と看護婦の止めるのも聞かず、目にも留まらぬ速さで俺の四階の個室の窓から飛び降りた。