ミミック派遣会社 ~ダンジョンからのご依頼、承ります!~   作:月ノ輪

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ミミンの奇妙な数日:箱から飛び出ていきそうな、宝物②

 

 

「社長、朝だぞー。起きろー」

 

 

あくる日の朝。またもアストの代わりとしてモーニングコールを務めるラティッカ。だがしかし、やはり社長の部屋から応答はない。

 

 

ノックを数回繰り返した後、ラティッカはやれやれと肩を竦める。世話の焼ける上司だと笑いながら、扉を開き中へと――。

 

 

「はっ!?」

 

 

直後、目に飛び込んできた光景に彼女は唖然とする。昨日はカーテンは閉まり、ベッドは膨らみ、社長は寝ぼけていた。だが、今日はその全てが違う。

 

 

既にカーテンは開かれ、朝日は部屋を満たすように燦々と。布団の膨らみはなく、ベッドメイキングすらなされている。そして、肝心の社長の姿は――。

 

 

「いない……のか…!?」

 

 

布団を軽く捲り中を確かめ、ミミックの隠れられそうな隙間も見つつラティッカは呟く。一応時計を確認してみるが、時刻は問題なく朝。自分の勘違いではない。

 

 

常用の宝箱もない以上、どうやら本当に部屋にはいない様子。なら、社長は何処に行ったのか。ラティッカは数秒考え、もしやと思い至る。まさか……。踵を返し、大股小走りで向かった先は。

 

 

「――社長、ここだな?」

 

「あら、おはようラティッカ」

 

 

やはり、いた。社長室に。白いワンピースを纏った少女は、その宝箱を椅子に落ち着け、朝日を背に受けながら机へ向かっていたのだ。そう、つまりミミンは。

 

 

「仕事してたのか……」

 

「えぇ、昨日の残りを片付けなきゃいけなかったしね」

 

 

その返答にラティッカが見やると、昨日書類の山になりかけていたアストの机は、元の綺麗な様に。一体、いつから。棒立ちとなるラティッカに、カリカリと響いていたペンの音が止まる。

 

 

「あ、もしかして今日も起こしに来てくれたの? 一筆残しとくべきだったわね……」

 

「あぁいや良いんだ良いんだ。……一応聞くけど、寝てない訳じゃないよな?」

 

「ふふっ、ないわよ。折角あなた達に気遣って貰ったんだもの。しっかり寝て、しっかり起きたわ!」

 

 

快調をアピールするように、手にしたペンをくるくると回し、そのまま数本の触手の上をひょいひょいと跳ねさせるミミン。最後に箱の端でコンと弾き、手元に戻してみせた。

 

 

だが、それを見てもラティッカの表情は何処か暗い。ミミンはペンを一旦置き、組んだ手に顎を乗せ優しく見抜いた。

 

 

「ひょっとしなくても、気にしてるのね。昨日私を無理やり机から引き剝がしたことを。そのせいで私が早起きする羽目になったのかも、って」

 

「っ……! たはは…流石社長。そんなとこ……てか、まんまそれさ」

 

 

ミミックは不意打ちを生業とする魔物。隙を探るために相手の微細な動作を見極めることができる。つまりその能力を上手く活用すれば、探偵の如き読心紛いのことも可能。

 

 

少なくともミミンはその技を用いることができ、その精度も自他共に認める高さ。降参するように心を晒したラティッカへ、彼女は笑う。

 

 

「ふふふっ! それこそないわよ! 寧ろ助かったし、嬉しかったんだから!」

 

 

微かに照れの交じった、しかしながら爽やかで普段通りのその笑顔を見て、ラティッカは胸を撫でおろす。と丁度、社長机の端からアラームボイスが軽く響く。

 

 

『ご指定の朝食のお時間です。しっかり食べて一日頑張りましょう!』

 

「あ、もうそんな時間なの? ちょっと待ってね~……」

 

 

姿なき秘書と目の前の秘書代行へ伝えるように呟いたミミンは、置いていた手乗りサイズのミニ宝箱…スマート宝箱の蓋をカチンと閉じ、ペンを取り直す。そして少しそれを走らせた後に。

 

 

「うん。ま、こんなとこでしょ。お待たせラティッカ、ご飯食べに行きましょ!」

 

 

仕事を一旦切り上げ机の上にぴょんっと。ラティッカも笑顔で応え、彼女を運んでいくのであった。

 

 

 

 

 

 

「――社長、今日は随分食うなぁ」

 

 

昨日と同じく、二人は注文した朝食を受け取り共にテーブルへ。だがラティッカが気づいた通り、ミミンのメニューは普段と違う。とはいえリゾットとジュースという点は変わらない。ただ、そこに一品。

 

 

「えへへ、サンドイッチも頼んじゃった! 今日はダンジョン訪問だもの。しっかり食べて頑張らないとね!」

 

 

意気込むミミンの向かいで、ラティッカはほんの僅かに表情を歪める。そして、ぽつりと。

 

 

「あー……なあ、それ、アストがいつも……」

 

「いっただきまーふぇ? なにか言った?」

 

「いや、何でもない」

 

 

出しかけた言葉を引っ込めるラティッカ。気にはなったが、口に出すほどのことでもないと判断したためである。そのサンドイッチは普段アストが注文しているものだということは。

 

 

無論、普段彼女と食事を摂っているミミンはそれを覚えているはず。なのに不在の今、わざわざその注文を追加するとなると……ラティッカとてミミンの奥底にある仄かな焦りを感じない訳にはいかなかった。

 

 

恐らくミミンは模倣したいのだろう。アストを、アストの手腕を。そのために同じ食事を追加したのだ。出来る限り近づくために。

 

 

だが、自覚もあるかすらわからない見当違いかもしれないそれをあえて面と向かって問う必要はない。ラティッカはその考えを、よぎった嫌な予感を、自らのステーキと共に嚙み潰し飲み込む。そして悟られぬように続けた。

 

 

「つーことは、今日の予定は把握済みってことだな?」

 

「ふふんっ! 昨日みたいなヘマはやらかさないわ! 細かな諸々は言うに及ばず、今日のメインはダンジョン訪問、そして素材管理!」

 

 

スマート宝箱を開かずして堂々答えるミミン。ラティッカもアストから預かったメモを確認してみると、まさにその通り。余計な心配だったかとフッと口角を上げる彼女へ、ミミンは元気いっぱいに。

 

 

「今日は、いえ今日も頼むわよ、秘書代行ラティッカ!」

 

「おう! 久しぶりのコンビで訪問といこう!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「とうちゃ~く!」

「ヒュウッ、流石アスト、準備万端なこって♪」

 

 

事前にアストが設定していた転移魔法陣を潜り、ミミンとラティッカの二人は目的のダンジョンへと訪れる。そこは洞窟と遺跡が組み合わさったような、よくあるダンジョン。

 

 

「失礼しまーす!」

「邪魔するぜ!」

 

「ようこそいらしてくださいました!」

 

 

二人が早速中へ入ると、ダンジョン主の獣人が出迎える。見渡せば他の種族も複数。こちらもよくある棲み方である。

 

 

「此度は弊社に依頼をしてくださり有難うございます。ミミック派遣をご希望でお間違いないですね?」

 

「はい。私共のダンジョンは冒険者の挑戦を受け入れる前提のダンジョンなのですが……設営から比較的日が浅いためか、未だミミックと縁がなく。依頼をさせていただいた次第です」

 

「成程、承知いたしました! ではお伝えしておりました通り、ダンジョンの審査に取りかからせていただきますね!」

 

「よろしくお願いいたします!」

 

 

挨拶を済ませ、早速作業に取り掛かるミミン達。ダンジョンをくまなく巡り、独自の尺度を元にした危険度を測る。そしてダンジョン全体の雰囲気を調べ、派遣するミミックがぞんざいに扱われないかをも見極める。

 

 

その評価を下すのは基本的にミミン。一方彼女の相方はその記録を担当する。ミミンの足となりながらマッピングを行い、そこにポイントを全て記入していくのが仕事なのだ。

 

 

平時であれば、アストがミミンを抱えつつ魔法でそれをこなしていた。では、秘書代行たるラティッカにそれが出来るのだろうか。

 

 

「いやー、懐いなぁこの作業!」

 

 

それこそ心配は無用。彼女はミミンを頭の上へ器用に乗せたまま、用紙へさらさらと書き込みマップを製作していく。その精度は巧緻であり、アストの魔法に勝るとも劣らない。

 

 

ドワーフ族は元来、洞窟や地下のダンジョンに棲む魔物。故にマッピングは得意なのである。加えて彼女は日々数多の箱を…宝箱に度々描かれる精妙なる装飾すらをも描き彫り上げる一流の職人。この程度のお絵描き、なんのその。

 

 

そして何よりも、忘れてはならない。アストが入社する前までミミンのダンジョン訪問に付き添っていたのはラティッカなのだ。従来はこのスタイルだったのだ。故に。

 

 

「そっちが40…いえ、39。それであっちの道が、そうねぇ…」

「そうだなぁ、33ぐらいか?」

「それが良いわね! えぇと……」

「ほい、ここまでのマップ」

「ありがと! うん、この辺りは終わり! あ、一応あそこ見ておこうかしら」

「あの天井の横穴だな? 投げるぞ~それッ!」

「ぴょ~んっ! うん、しっかりしてるし良い感じの潜伏場所になりそう!」

 

 

ミミンとの息の合いようは当然として。

 

 

「あ、この先……」

「罠あるな。ふーん、この造りは落とし穴か…ん? どうした社長、笑って?」

「いえ、いつもの癖でラティッカに注意しかけちゃって」

「あー、アストまだたまに罠に引っかかるんだっけか。ははっ、可愛いなアイツ」

「ね! まあでも、見抜くのは難しいわよねぇ」

「それか、社長を信頼しきってるんだろうさ!」

「あら…! もう…! だとしたら、ふふっ、嬉しいわね…!」

 

 

そう喋りながら幾つもの罠を一切起動させずに渡り。

 

 

「――へぇ、これが冒険者が落としていった武器か? 剣から失礼」

「どうかしら? わかる?」

「ん。柄も刃の造りも画一的だけど、割とすり減ってるな。他の武器もそんなだ」

「こっちのアイテム類はどう?」

「どれどれ。お、ほぼ大量生産品だが、オーダーメイドっぽいの交じってるぜ」

「となると、冒険者のレベルはそこそこかしら」

「初心者抜け出して中堅どこに入りたて、って感じだろうな」

 

 

職人の目利きを活かし、更なる補佐を。熟練のコンビによる審査作業は、ともすればアストとの訪問よりもスムーズに進む。この点に於いては秘書代行の肩書は不適当であろう。まさに、先代秘書ラティッカ。

 

 

そして気づけばダンジョンの査定は終了。幸いお眼鏡に叶い、審査は合格。場をダンジョンの一室へと移し早速、契約締結のための交渉を。

 

 

「こちらが一度にご用意できる品になります。…その、本当に金銭に変えなくとも……?」

 

「はい、お任せください! その手間はこちらで引き受けますとも!」

 

 

素材が大量に詰まった大箱を半信半疑で差し出すダンジョン主へ、ミミンは明るく答える。これは派遣料金。ミミック派遣会社は素材による支払いを可とする稀有な業態を採用している。

 

 

ミミンの経営方針は利益を求めるものではない。本来なら料金すら取る必要はないのだが、契約を履行するダンジョンは自ずと派遣ミミックを丁重に扱う。そのための指標代わりなのである。

 

 

全てはミミックが楽しく暮らせる、終の棲み処にすらできるダンジョンを見出すため。そのためならば素材を換金する手間なぞ惜しくはない。のだが。

 

 

「それじゃラティッカ、お願いして良いかしら」

「任せとけ!」

 

 

素材を換金するには、少なくとも料金として受け取るには、幾つかの手順を踏む必要がある。まずは素材の種類及び質の鑑定である。

 

 

「ふんふん、この獣毛は良い質だな。爪は…成程。お、牙か。欠けもないし良品だ…! こっちの石材は…しっかり魔力詰まってんな。 ん?この蔓杖は……へぇ! ここでお目にかかれるたぁ……!」

 

 

それを担当するのはミミンと共に来た秘書の役割。アストは魔眼で、ラティッカは目利きで。その間、ミミンは派遣詳細を説明することで時間を潰す。彼女は凄腕ではあるが、完璧超人ではない。素材の鑑定は任せるしかないのだ。

 

 

「こんなとこかな。社長」

「はーい。では少し失礼しますね」

 

 

暫し経ち出来上がった手書きリストをミミンはラティッカと共に覗き込み、次の手順に移る。それは、価格の設定。

 

 

先の鑑定によって確定させた質を元に、相場と比較。それによって素材の価値を金額で数値化するのだ。それで初めて、まともな契約が結べるのである。

 

 

尚この作業、最近はこれまたアストの魔眼頼り。彼女の魔眼『鑑識眼』は、素材の種類、質、市場相場、更には産地等の詳細情報すら明らかにする。故に彼女がいれば容易く数値化できるのだが、今はいない。しかしミミンの顔に不安はない。

 

 

「えぇと、確か獣毛の取引価格は……質がこうなら、こうで。牙は……石材は……」

 

「お、調べてきてたのか!」

 

「当然よ! アストがいない分私がやらなきゃだもの。昔みたいにね」

 

 

朝残業の成果の一つなのだろう。ミミンはリストへ、相場を元にした料金価格を書き込んでいく。敏腕秘書がいなくともやってみせるという、昨夜の気合をしたためるかの如く。

 

 

……だが、悲しいかなその勢いは途中で失速するしかなかった。ちょっとしたトラブルによって。

 

 

「っと、エルフの祷霊の蔦杖!? マミーの呪濡れ魔包帯!? フレアウインドジュエル!? ゴーストの幻霊炎にアイスサーペントの霙鱗、ジャッカロープの宝角、ヒポグリフの羽や蹄、他にも沢山……! これはちょっと……調べてきてないわね……」

 

「珍しいもんなぁ。アタシも価格は覚えてないや……」

 

 

なんと、珍品レア物の類が幾つも現れたのだ。冒険者の挑戦を受け入れているダンジョンだけあって、どうやら棲む者達も粒揃いの様子。それ自体は良い事なのだが……この状況では少々厄介。

 

 

千差万別の素材を全て調べてくることなぞ無理難題に近い。故にこの場での価格設定は不可能となってしまったのだ。一応、概算で済ませるという手段はあるが……。

 

 

「ダメね。こんなに種類があると……」

 

 

価格設定お預けの品があまりにも多すぎる。これでは誤差がどれほど出てしまうことか。自らの努力が足りなかったことを悔やみつつ、ミミンは決断する。

 

 

「申し訳ございません、見積もりに関しましては後日改めて連絡を差し上げる形で――」

 

 

社に持ち帰り、正確な価格を算出してから交渉をやり直すしかない。この場で決めきれないのはダンジョン側にも痛手ではあるが、許して貰う他はない。

 

 

だが、必要以上に恥じることはない。なにせ元々はそのやり方だったのだから。その場で換算してその場で契約を締結できるようになったのは、アストが来てくれてからで……。

 

 

「えっ?」

 

 

ふと、疑問の声が飛ぶ。しかしそれを発したのは、ダンジョン主ではない。ミミンの横、つまり。

 

 

「どうしたの、ラティッカ?」

 

 

秘書代行たるラティッカ。首を傾げるミミンへ、彼女は少し言葉を選びながら頬を掻いた。

 

 

「あぁいや、えぇと……単純に覚えてなかっただけか」

 

「へ?」

 

「アストは用意してくれてるよ、こういう時のための本。試作品だって言ってたけどな」

 

「!」

 

 

その言葉で察したのであろう、ミミンは即座に自身の箱を探る。見つけ出したのは、辞典や魔導書のように大きく厚い、一冊の本。

 

 

何処か厳めしい装丁なそれの表紙には『素材マスターブック』というタイトルが彫り込まれている。その傍には、『試作品のため取り扱い注意』の但し書きも。そして何よりも目立つのは。

 

 

「アスト……!?」

 

 

思わず息を呑むミミン。タイトルの下、表紙の大部分を占めるのは……大きな閉じた目。その目の形を彼女は良く知っているのだ。秘書アストのそれだと。

 

 

「おー、よくわかるもんだ! それ、アストの魔眼を参考にした魔法だってさ」

 

 

一目でアストの目だと気づいた社長に驚きつつ、ラティッカは本を開くよう促す。最初のページには確かにその旨が。グリモワルスが一柱、バエル家の魔眼『戦眼』が戦闘力の簡易計測魔法に活かされているのをモデルに、魔導書グリモアの助言を受けながら製作なされたことも書かれている。

 

 

更には精度の高さこそ保証できるが試作品のため完璧ではないこと、あくまで鑑定のみしかできないこと等も事細かに記載されている。だが、それでも、今のミミンにとっては。

 

 

「……本当、アストってば何度助けてくれるのかしら…!」

 

 

救いの手に、最高のアイテムに他ならない。取扱説明に則り、ミミンは試しに素材の一つを表紙の目へと近づける。すると。

 

 

「「「おお…!」」」

 

 

ミミンとラティッカ、ダンジョン主は揃って声を上げる。閉じていた大きな目はゆっくり開き、瞳を露わに。素材を捉えると神秘的な光を伴い眺め、すぐに瞑った。直後。

 

 

「わっ、勝手に!」

 

 

本は自動でパラパラと捲れだす。開いたそのページには確かに先程かざした素材が、名称や質、市場価格や変動相場を始めとしたさまざまなデータと共に表示されたではないか。前後のページには類似品関係品の項目まで。そして肝心の精度だが。

 

 

「これで完璧じゃないって、アストったら」

 

 

ミミンは肩を竦めるしかなかった。なにせ本に表示されたデータは、彼女が調べて来たデータとラティッカの目利きの結果をなぞるかのように…いやそれよりも詳細だったのだから。

 

 

「こりゃすごいな! 下手すりゃ、社長一人で訪問できちゃうんじゃないか?」

 

 

感心し唸るラティッカ。まさにその通りであろう。この一冊があれば、目利きも価格設定も実に容易い。これさえあれば、本来箱作りに従事すべきラティッカを駆りだす必要も、アストが、いなくても――……。

 

 

「……無理よ。私だけじゃ」

「あ、そっか。マッピング役は要るもんな」

 

 

ミミンの呟きに、ラティッカはすぐに納得する。その意を少々履き違えていることには気づかずに。

 

 

 

 

 

 

「本日は有難うございました! 急ぎミミックを派遣させていただきます!」

 

「よろしくお願いいたします! 皆さんが来るのを心待ちにしていますね」

 

 

ともあれ、素材マスターブックのおかげで見事に契約締結。全てはいつも通りに終わり、ダンジョン主の見送りを受け、ミミンはやはりラティッカの頭へ乗りその場を後にしようと……その時である。

 

 

「あ、あの! ミミン様!」

 

 

去ろうとする彼女を呼び止める声が。どうやらダンジョンに棲むエルフの一人のようだが、奇妙な様付けである。初対面であるはずなのに――。

 

 

「あら! あなたは!」

 

 

いや、どうやらミミンはその顔を知っている様子。何事かわからぬダンジョン主は、とりあえず紹介をする。

 

 

「今回の依頼、この子の強い推薦が元なんです。ミミンさんなら信頼に足る、と」

 

「成程、そうだったんですね! ふふっ、行くわよ~それっ!!」

 

「へっ!? ひゃっ、ふひゃあああっ♡」

 

 

ミミンは跳ね、その推薦をしてくれたエルフの腕の中へと。突然のことに腰を砕き地面にへたれるその子へ、ミミンは『M&A(ミミン&アスト)』の顔つきで。

 

 

「よくわかったわね♪ ライブじゃ言ってないのに」

 

「しょ、しょれは…! しょ、しょの、なんて言いましゅか…!」

 

「隙あり♪パクリっ! 暗いでしょー☆怖いでしょー☆」

 

「ひょええええっ♡♡♡」

 

 

箱に上半身を包まれ甘噛みされ、ご褒美とばかりに絶叫するエルフ。ダンジョン主はただ困惑するばかりだが、ラティッカは察しがついたようだ。

 

 

「ははぁ、ファンの子か」

 

「えぇ、いつも可愛い悲鳴をあげてくれるのよ♪ ここの子だったのね」

 

「は、はいぃ……! プライベートでお会いできるなんてぇ……!」

 

 

少し前の事、ミミンはアストと共に『M&A』としてアイドルデビューを果たした。もっとも活動頻度は極度に少なく、そもそもアイドル文化は人界がメイン。魔界での知名度はそこまである訳ではない。

 

 

だが二人の鮮やかな歌やダンス、以心伝心による誰も真似できないパフォーマンスは、この蕩けているエルフのようにコアなファンを多数虜にしているのである。ミミンはファンサ甘噛みから解放したその子へ、今度は握手を絡めながら再度聞く。

 

 

「隠してる気はないけど本当よくわかったわね、私が会社やってるなんて」

 

「えと…! 実は割と知られてましてっ…ダンジョン棲みの間では…はいぃ…♡」

 

「へぇ、そうなの! ふふっ、良いダンジョンだったら派遣依頼に応えるわよ♪」

 

 

ウインクを交え、再度腕の中へ乗ってみせ、暫しキャッキャと戯れる。その最中、エルフの子は興奮をなんとか表に出さないように、されど鼻息荒いままに、おずおず願い出た。

 

 

「そ、そのぅ、失礼を承知で、差し支えなければ、ほんと身勝手なお願いが……」

 

「見抜いたげるわ! サインでしょう?」

 

「ひゅわッ! さすがミミン様ぁ!」

 

「アイドルサインと社長サイン、どっちがいーい?」

 

「え、え、えぇええ!?!? そ、それは、ど、どっちにすれば……!!」

 

「両方あげちゃう☆ こんな時のためのサイン色紙が~あった!」

 

 

箱から色紙を一枚ひょいっと取り出し、アイドル用の派手なサインと仕事用の真面目な署名を両方書いてみせるミミン。その全ての光景がファンにとっては感動ものなのだろう、彼女を抱えるエルフは小刻みに震えている。

 

 

「完成! 今日はアストがいないの。だからこれで許してちょうだいね?」

 

 

一度地面に降りて向き直り、ミミンは出来上がった色紙を渡す。そんな一言を添えて。エルフは賜るようにそれを頂くと、絶好の機会とばかりに一つ問う。

 

 

「そのぉ……アスト様は今日は別のお仕事なんですか…?」

 

「えぇ、珍しくね。ん~もしかしたら次のライブの話し合いしてるかも!」

 

「ほ、本当ですかっ!!!!!? ぜ、絶対行きますっっっ!!!!」

 

 

歓喜に身を包むエルフ。その子としてはできればずっとお喋りに興じていたいのであろうが……。

 

 

「ミミンさんもお忙しい方、これ以上引き留めてはいけません」

 

「ぅ……はい……」

 

 

その願いはダンジョン主によって打ち切られる。しかし、そのエルフは良きファンであった。推しを前に弾ける思いを抑えるように自らの手足を押さえ、次のライブ日程等を聞きたい気持ちを飲み込むように深呼吸をし、別れの挨拶代わりとしてせめて伝えられる労いを口にした。

 

 

「お仕事してるミミン様、とっても素敵でした! アスト様がいらっしゃらなくとも格好良くて! そのままですけど、なんでも出来る社長って感じで!! 超推せます!!!」

 

 

「ふふふっ、そんな立派なものじゃないわよ。私は皆がいなきゃ……アストがいなきゃ…なんにも……」

 

「? あ、あの、今なんと……?」

 

 

突然消えかけたミミンの声に、エルフもラティッカ達も首を傾げる。ミミンは一瞬戻った素の顔を隠すように軽く首を振り、されど消えぬ不安を箱の奥に残しつつ、ファンへお願いを。

 

 

「推せる時に推せるだけ推しとくのよ。私達も、いつまでアイドル出来るか……いつまで一緒にいられるか……わからないんだから」

 

「え? あ、あのまた良く聞きとれな――」

 

「けほんっ! そして! これからは私達だけじゃなく、私達の育てあげたミミック達と、妹の『LBO(リダベルオネカ)』もよろしくね☆」

 

「っ! はいっっっ!!!」

 

 

アイドルミミンからの頼み事に、エルフは気合満点に頷く。最後にハイタッチを交わし、ミミンはラティッカの頭に乗って帰路につくのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……」

 

 

そして会社にたどり着くやいなや、ミミンは息つく。つい先程までのアイドルの爛漫さなんて消え失せた、心ここにあらずのそれを。

 

 

「社長、大丈夫か?」

「えぇ……大丈夫よ」

 

 

ラティッカは頭上を慮るが、降りてきたのはその一言。長年の付き合いからこれは由々しき事態だと察したラティッカは、助け船を出す。

 

 

「なあ、事務仕事が面倒なら――」

「いいえ、全部私がやってみせるわ! アストをびっくりさせるんだから!!」

 

 

だがそれは、勢いよく辞退された。頬を何度か軽く張る音を伴って。面倒なのは間違いない、大量の契約書類の管理やミミックの選抜を全て一人で行うのは大変である。だがやり遂げねばならぬのだ。アストがいなくともやっていけると、自他共に示してみせるには。

 

 

「でもまずは予定通りに行きましょ! そろそろ素材が届いてる頃合いでしょう」

 

 

スマート宝箱を確認し、ミミンは社長の色を取り戻し指示をだす。それに今はやることがあるのだから、感傷に浸っている暇はないのだから。……未来を考えるより今だけを考えた方が心が楽なのだから。

 

 

軽い片付けだけを済ませ、ミミン達は敷地一角の宝箱型建物群へと場を移す。赤や青や黄色、兜をかぶり剣を咥えている宝箱型建物や瓶がはみ出している宝箱型建物が立ち並ぶそこは、素材倉庫。更にその前に集うは。

 

 

「あ、社長~! 届いてますよ~!」

「今日の分は全部来てます!」

「いつでも始められますよ」

 

 

幾体かのお手伝いミミック&ドワーフ達と、梱包されたままのサイズも見た目も発送者もさまざまな大量の箱。これらの箱に詰まっているのは、全てがミミックの派遣先より送られてきた派遣代金。つまり魔物達の素材である。

 

 

「準備ありがとう! さ、始めるわよ~!」

 

「おう!」

「「「「「は~いっ!」」」」」

 

 

ミミンはラティッカから飛び降り、二人揃って腕を鳴らす。お手伝いミミック達は書類束と記録用紙を手に続く。素材管理業務の開始である。

 

 

先程述べた通り、ミミックの棲み処を探すミミンにとって換金の手間は惜しくはない。されど、それはそれとして面倒な作業はのしかかる。その一つがこれ。

 

 

箱の封を解き、素材を種別毎に分け、計量し、換算し、記録をとり、倉庫に保管する。当然、鑑定は必須。素材が身体から採れた物や手づから作った物等である以上、質は常に不安定なのだから。

 

 

もしこれが金銭だけのやり取りであれば実にスムーズであっただろう。しかしミミンがそれを良しとしなかったのは、少しでもダンジョン主の手間を減らすことで依頼数を増やし、良質な派遣先を見つけ出すため。事実、それが依頼の決め手だという顧客は非常に多い。

 

 

また、質の変化はそのままダンジョンの趨勢の指標にもなり得る。こういった管理の手間さえ除けば実に理に叶っているのである。そしてその手間も、そこまでの煩わしさはない。

 

 

「うし、この辺りは全部『良』だな。計量頼んだ」

「は~いっラティッカさん! よいしょすぽん!」

 

「えっと、この素材の値段は……これか」

「だからこの量だと合計は~計算あってる?」

「どぅれ? あってるあってる!」

 

「倉庫に保管完了! チェックも完了!」

「おっけー! 箱もう一個開けて良いよ!」

 

 

鑑定は目利きのドワーフが、計量は腕利きのミミックが箱に入れて一発計測。届く素材に関しては既に相場をリスト化済み。倉庫へ仕舞い込むのもミミックならばひと箱でひと運び。各書類も含めて全てシステム化されており、皆の助力があればこの通り。

 

 

尚、一番重要な鑑定の手もとい目は、アストがいない分普段よりも不足気味。されど心配はいらない。それこそあのアイテムの出番である。

 

 

「おお~っ! この本すご~い!」

「今日のアストちゃんは本になっちゃった!」

「便利~! これずっと使えるのかなぁ?」

 

 

素材マスターブックを囲み、ミミック達は和気藹々と。相場参照の手間すら省いてくれる鑑定役は、誰かが呟いた通りずっと世話になりたい逸品であろう。

 

 

だが何故か、その光景を傍で見つめるミミンの瞳は、何処か憂いを帯びていた。記録の最終チェックを疎かにぼんやりと眺めるそれは、帰社したばかりの溜息と同じ心ここにあらずな……未来を見据えたかのような、いつか訪れる現実を見据えてしまったかのような仄暗さであり――。

 

 

「ょう…社長!」

 

「へ!? あ、ごめんなさいラティッカ。なぁに?」

 

「ちょっと休憩してきたらどうだ? こっちはアタシ達に任せときな」

 

 

見過ごせなかったのだろう、ラティッカは気遣う。しかしそれは、望まぬ方向へとミミンの目を覚まさせた。

 

 

「そうね……いえ、終わった分から納品領収書作りはじめちゃわないと」

 

 

どうやら彼女は心を落ち着けるより逃げる道を選んでしまったらしい。ふらつくように社長室へと向かってゆくミミンをラティッカは制止しようとするが、それより先に呼び止めたのは想定外の――想定外すぎる事態だった。

 

 

「あっ! いたいた社長! お客様が、お客様が!」

 

「来客? その予定は無かったけれど…どなた?」

 

「そ、それが――!」

 

「落ち着きなさいな。ふんふん……えええっっっっ!!!!!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お待たせいたしました!」

 

 

営業スマイルと共に、ミミンは応接間へと入る。すると中で待っていた三名は立ち上がり深々と礼を。ミミンはそれに丁寧に返し、内心で深く息を呑む。なにせ、この来訪者達の顔ぶれは異質。

 

 

それぞれの胸に輝くは、アドメラレク家の使いを、バエル家の配下を、そしてアスタロト家を示す紋章。そう、その家名は魔界大公爵グリモワルスが『王秘書』、『軍総帥』、『大主計』。つまり、この者達はかの魔王に仕える身である。

 

 

だが、ミミンはその魔王の朋友。畏まった態度で接するのは当然としても、柄にもなく緊張する必要はない。つまり……その理由がある。正直に明かそう、三人の中央に位置する、アスタロト家の者が原因。

 

 

アスタロトと言えば、アストの実家。彼女がこの会社に勤めていることを大っぴらにはしていない以上、バレないように気を遣う必要がある……そんな単純な理由であったなら、ミミンはどれだけ気楽にいられたか。()()()()()()()()()のだ。

 

 

そのアスタロト家の紋章をよく見れば、それは使いや配下を示す形ではない。本家の者を指す形なのである。つまり正真正銘の魔界大公爵であり……アストの、血縁者。いや、()()()()()()()()()

 

 

「ミミンさん、突然に押しかけてしまってごめんなさいね」

 

「とんでもございませんアルテイア様! このような僻地へ直々に足を運んでくださるなんて…!」

 

 

彼女はアルテイア・グリモワルス・アスタロト。即ち――当代アスタロトの一人にして、アストの母親である。

 

 

 

 

 

「私情を優先しアポイントメントを取らずに来てしまったことを、改めてお詫びさせてくださいな。そして受け入れてくださった貴女様へ、心からの感謝を」

 

「もう、お気になさらないでくださいって! 私達はミミック、不意打ちには慣れているんですよ?」

 

 

ミミンの軽口に、再度の謝意を述べたアルテイアは安堵の微笑みを浮かべる。彼女に付き従うような供の二人は、ミミンが魔王の友人にしてグリモワルスの顔馴染みというのは事実だったのかと少々驚くような顔を浮かべている。

 

 

その様子からしてどうやら三人共気づいてはいないようだ。ミミンの胸の内が今にも弾け飛びそうなほどに、聞こえていないのが不思議なほどに爆音を掻き鳴らしていることに。

 

 

彼女がこれほどまでに緊張するのは、およそ近年には……いや、生まれて初めてのことかもしれない。それこそ持ち前の擬態能力によってグリモワルスすら騙してはいるが、実を言うとこの不意打ちには心底肝を潰しているのだ。

 

 

何故このタイミングで。アストの母親たるアルテイアがこの場に。アストがいない今日に――いや寧ろそれを狙ったのだろう。口では謝りこそしているが不意打ちが目的の来訪に違いない。なにせ私情と言ったのだから。当代大主計たる彼女がわざわざ出向いているのに私情を優先しアポを取らなかったなぞ、つまりはそういうことなのだから。

 

 

そして、アルテイアがそんな不意打ちを用いた理由は、下手すれば魔王から大目玉を食らいかねないリスクを負ってまでミミンの元を訪れた理由は……心を読まずともわかる。アストに関する『何か』だ。

 

 

(っ……)

 

 

しかしその『何か』が何なのかは、ミミンは把握できていない。いつものように今日も数度やってみせたように、読心紛いの能力を使えばいいだけ? それが叶わないのだ。心が、読めないのだ。

 

 

別にアルテイアが対策魔法を講じている訳では無い。理由は実に単純。ただ単に緊張で意識が散逸し、微細な動作の見極めもそれによる推測も上手くできなくなっただけのこと。

 

 

……たったそれだけで、あれほど巧みに操っていた技が、皆を驚かせるほどの精度を誇る自慢の『予防線』が、今や霞みがかったように何も機能しなくなってしまったのである。

 

 

故に彼女は、自分がこれほどまでにプレッシャーに弱かった事実を突きつけられながら、得も言われぬ巨大なる不安に怖気ながら、悟られないようにただ逃げるように一旦忘れるように、営業スマイルのままに話を進めるしかなかった。

 

 

「なんでも、素材を大量に買い取りたいと。魔王様からのご依頼ですね」

 

 

来訪理由を確認するように切り出すミミン。代表しアルテイアが肯いた。

 

 

「まさに。ミミンさんは『勇者一行』の現在をご存知でしょうか」

 

「耳にしていますとも。心中お察しします」

 

 

その件についてはミミン達も無関係ではない。アルテイアは現状を語る。

 

 

「御社の力をも借り、今はまだ上級ダンジョンに留めおくことができています。しかしながら……あの者達の練度は加速度的に増しており、諦める兆候は皆無」

 

 

と、絶妙なタイミングでアドメラレク家の使いがミミンへ資料を手渡す。勇者一行について事細かに分析されたそれは手土産代わりであろう。

 

 

「このままではいずれ全ての上級ダンジョンを打ち破り、魔王城への道を開きかねません。しかしあの者達が正当な手順に則っている以上、こちらもダンジョンにて迎え撃つ以外に策は無く」

 

 

アルテイアが口惜しそうにかぶりに振る通り、これは一種の取り決め。魔王軍のダンジョンを制覇した者達には魔王城への挑戦が許され、そこで見事魔王を打ち倒せば、晴れてその者達へ世界の半分…即ち、魔界の支配権が譲渡される。

 

 

初代が遺し風化しかけながらも脈々と受け継がれる魔王たる盟約が、ともすれば現実のものとなりかねない。しかし盤外戦術をしかけては過去今未来全てに泥を塗る。ならばどんと構え正々堂々と受け止めるしかなく、そのためには。

 

 

「兵や武具の増強のため沢山の素材が入用、ということですね」

 

「えぇ、仰る通りです。あの者達が毎日襲い来る以上、配備を急ぐ必要があるのですが……すぐに都合がつき、かつ危険素材すらをも持ち合わせているミミンさんのような方は稀有でして。何卒、私共の無心をお聞き届けてくださると――」

 

「勿論です! 他ならぬ皆様の、そして魔王様の頼みですもの!」

 

 

アルテイア達が頭を下げるよりも早く、ミミンは承諾する。端から断る気なぞさらさら無いと言わんばかりに。そのまま彼女は社長室からとって来ていた書類束を三部、箱から出してみせる。

 

 

「こちら、お渡しできる保管中の素材一覧になります。どうぞご確認ください」

 

「まあ…! 有難うございますミミンさん、無茶をお願いしてしまいました分、高く買い取らせて――」

 

「いいえ! お値段は相場通りいつも通り、そちらに記載されている通りで! 『ようやく頼ってくれたわね。困った時は頼る約束、覚えていてくれて嬉しいわ!』そうあの子には伝えといてくださいな☆」

 

 

普段の調子を多少取り戻したようで、ミミンはウインクしてみせる。朋友の頼みとあればこの程度。元より市場に流せぬ危険素材は魔王に買い取って貰っていたのだ。なんならタダで渡しても構わない心持ちなのだが……魔王の面子もある。

 

 

幸いアルテイア達はその思いを汲んでくれた。丁寧な感謝を述べ、早速買い取る素材の選別を始める。一息つくミミンだが、ただ待っている訳にはいかない。いそいそと更なる書類を幾枚も取り出し、机に準備をする。

 

 

取引をする以上売買契約を記録する書類は必須。見積書、注文書、納品書、物品受領書、請求書……危険素材を欲するのであればそれ用の譲渡申請書引渡証明書が別途必要となり、必要とあれば質や産地の確認書類、他にも……。

 

 

元よりそれらを疎かにする気は無いが、今回の取引相手は公権。しかも目の前に座るはその財務部門のトップにして、愛する秘書の母親。普段以上に引き締めてかからなければいけない。ミミンは改めて呼吸を整え――。

 

 

「ではアルテイア様、39ページはこの三つを除いた全てを。次のページは全種お願いしたく」

 

「やはり記載金額は全て相場通りですね。では同じく全量買い取らせていただきましょう。はい、こちらのダブルチェック及びサインもお願いしますね」

 

「承知いたしました。ミミン様、差し支えなければ早速確認をお願いしたく――ミミン様?」

 

「……えっ、あ、は、はい! すぐに!」

 

 

その呼吸を、忘れた。なにせ今目の前で行われているのは、鮮やかなる書類作成。バエル家の配下が必要素材を即座に選別し、アルテイアが予算と照らし合わせ一瞬で勘定し注文書に記入。アドメラレク家の使いが計算ミス等が無いかを確かめ魔王の名代として代理サインを担当する。

 

 

忘れてはならない、彼女達は最高役人。国を率いている存在なのだ。瞬き一つをする度に出来上がった注文書は束となってゆく。ミミンは慌てて卓上計算機を出しチェックを始める。だが。

 

 

「頂いた目録はこれで以上となります。このまま危険物受渡届出の作成に移らせていただきます」

 

「よしなに。この素材群であれば、移送経路における魔導防護展開に関する書面を少々書き直す必要がありますね」

 

「ご用意しております。合わせてこちらの輸送時保安管理書類への署名をいただきたく存じます」

 

「了解しました。はい、では提出までの保管は一任いたしますね」

 

「危険物受渡届出の作成、完了いたしました。受理をお願い致します」

 

「確かに。この申請をアスタロトの名の元に承認いたします。続いては――」

 

 

その間も対岸では数多の書類が飛び交い、ペンが魔法の舞踏会を開き続けている。あっという間に注文書の束を越える山が形成され、仕舞われ、また新たなる山が。そしてその一部は。

 

 

「ミミン様、そちらが終わりましたらこれらに署名を頂きたく……」

 

 

ミミンの前にも追加で積み上げられる。まだ彼女は数枚を済ませただけだというのに。三対一という単純な人数比もあるとはいえ、ここまで処理能力が違うとは。

 

 

その圧倒的な差を見せつけられ、ミミンの心は更に揺れる。急がなければならない、大主計たるアルテイアに無駄な時間を使わせてはいけない。かといって手を抜く訳にはいかない、計算は確実に合っていようが……アストの母親たるアルテイアに雑な姿を見せられない。

 

 

しかし速度と精度の両立は実に難しきこと。書類仕事から離れ衰えたミミンの腕では猶更。加えて気が重いのが、こちらからも作成し手渡さなければいけない書類が山ほど――。

 

 

「ミミンさん、どうか気を楽に。注文請書や納品書等は後日の送付で構いませんわ。私の権限で如何様にもなりましょう」

 

 

無理を頼んだ身ですもの、とアルテイアは優しく微笑む。様子を見兼ねてか融通を利かせてくれたのである。しかも、それだけではなかった。

 

 

「もしよろしければ、私に書類の代筆をお託しくださいな!」

 

 

なんと、今すぐ必要な書類の作成をアルテイア自ら手伝うと申し出たのである。その大主計らしからぬ提案に供の二人は目を丸くする。

 

 

当然ミミンも驚いたが……ふんすと意気込むアルテイアは、柔然心得た顔。娘の開けた穴を是非塞がせて欲しい、娘の真似事をしてみたい、そう言わんばかりである。

 

 

「……ふふっ! それじゃ、お願いしちゃいましょうか!」

 

「お願いされました! そうだ、お隣へ席を移しても? うふふっ、では失礼いたしますね♪」

 

 

その可愛らしさと包容力に誘われ、ミミンは承諾する。アルテイアはとても楽しそうにミミンの隣へと移動する。供の二人が向かいで半ば唖然と見守る中、彼女達は睦まじく微笑み合う。

 

 

そう、まさしく絆されたのだ。元より知らぬ仲ではなく、先の表情に裏は無いぐらいはわかる。そもいくら来訪の真意が読めぬとて、アルテイアは警戒が必要な相手ではないのである。寧ろ、この提案はチャンス。

 

 

ここで社長らしい姿を見せることができれば、大主計の書類捌きには届かずとも娘を預けるに足る腕を披露することができれば、確実にアルテイアの心証は良くなろう。そうすれば少なくとも自身の緊張は収まる。

 

 

故に、このアピールチャンスを逃すわけにはいかない。ミミンは笑みという箱の内に獲物を狙うかの如き鋭さを隠しつつ、アルテイアへ書類を受け渡し――。

 

 

「あっ。これじゃ枚数全然足りないわね……。アルテイア様、少々お待ちを!」

 

 

と、その過程で書類の枚数不足に気づいたようだ。しかし心配は無用。こういう時のために備えはある。ミミンは応接間備え付けの魔法呼び鈴を手に取り、鳴らす。すると数秒の後に。

 

 

「社長、お呼びでございますか?」

 

 

別室で待機させていたミミックが駆け付けたではないか。ミミンはその子へ指示を出し、追加の書類を取りに行ってもらう。さて、これにて一安心。届くまでの間に格好良く作業を――。

 

 

「……しまっ! あのファイルが無いと駄目じゃない……! えっと、アルテイア様……もう少々だけお待ちを……」

 

 

進めたかったところだが、今度は別の不備が噴出。戻ってきたお使いのミミックを再度走らせる羽目となってしまった。あれだけ研ぎ澄ました矢先の凡ミス連続に、ミミンは思わず箱へ身体を沈みこませる。

 

 

「その……いつもはこんなミスしなくて……今日に限って……。――っ……!」

 

 

そしてつい言い訳を。しかし口にしながら、はたと気づく。いつもミスをしないのは、今日に限ってミスをしたのは、アストの存在が大きいのだと。

 

 

彼女がいてくれたからこそ、敏腕秘書が裏で支えてくれていたからこそ、書類の不足も不備もなく済んでいたのだ。もし緊急に必要な書類があっても、魔法で作成さえしてくれた。……言ってしまえばアストに甘えていたのである。

 

 

その醜態を今、よりにもよってアストの母親の傍で披露してしまったのである。一応手は動かしてはいるものの、ミミンは顔をあげられない。夢か現かわからぬ注がれし視線によって、解れかけた緊張は舞い戻り、脂汗すら浮かぶ。

 

 

しかし、このまま箱になってしまうことは許されない。無理やり空気を変えるために、アルテイアに良い顔を見せるために、彼女は力技の一手を切り出す。

 

 

「えっと! 実は今日、素材の納品日でして! もし良ければそちらも買い取られますか?」

 

「まあ! それは願ってもないことですが、宜しいのでしょうか?」

 

「勿論ですとも! ただ、まだ社内用文書のままでして、販売価格に至ってはそれこそそちらの目録を参考にしていただく必要があるのですが……えぇ! では急いで持ってこさせますね!」

 

 

今日届いたばかり、なんなら絶賛計量中の素材をも売ることに決めたのだ。最も、控えていたミミックは三度目のお使いに走ることになったのだが……その甲斐はあった。

 

 

「アルテイア様、承認を宜しくお願い致します」

「こちら、追加の署名が必要な書類になります」

 

 

手持無沙汰気味であった供の二人に仕事が与えられ、場はスムーズさを取り戻す。誰の顔にもミスを非難する様子は皆無であり、ミミンは安堵の息を吐く。

 

 

「――はい、こちらも相場通り予算内ですね。次の注文書作成に取り掛かってくださいな。では額面のチェック及びサインをお願いいたしますね。終わり次第、再度私へ。纏めてお渡しします」

 

 

しかし……それにつけてもアルテイアの腕前よ。書類の代行作成と並行して、先と同じように供二人からの申請を――凡そ全ての素材価格を把握していると思しき振舞いを以てして、予算と照らし合わせ即座に計上し、幾多もの魔法のペンを同時に走らせているのだ。

 

 

そのミス一つなき事務処理能力は、書類達を舞い踊らせるかのように行き交わせるその姿は、まるで軽やかで透き通る爽風の如し。それにふと目を奪われ流されるように、ミミンはつい彼女の横顔を覗く。そして息を呑み、吐いた。

 

 

「……ァ」

 

 

それは今までのような緊張や安堵から来るものではない。そのアルテイアの﨟長けた横顔に、彼女は見たのだ。アストの面影を。いずれこうも優美になるであろう、愛しき秘書の未来を。

 

 

そう、いつかはそうなるのだ。アストがアルテイアの血を引いている以上、アスタロトの一員である以上。ただでさえ敏腕なるあの子は更なる進化を遂げるであろう。それ自体はとても喜ばしきこと。

 

 

…………しかし、その時には、きっと……確実に、あの子は――。           

 

 

「ミミンさん? もしかして書類の不備でしょうか? あ、もしかして私の顔に何かついて……!?」

 

「へっ……あっ、いえいえ!!? なんでもないんです! 書類、完璧ですとも! ただちょっと、その、つい見つめちゃったと言いますか……!」

 

 

そんなミミンの思考は、気づいたアルテイアの恥ずかしそうな表情によって停止させられる。慌てて弁明しつつ、彼女は反省する。ぼんやりする暇はないのだ。

 

 

こうしている間にも確認が必要な書類は溜まっていっている。自分が急がなければ、大主計として多忙の身であるアルテイアを不必要に引き留めてしまう。そうなれば、彼女が来た意味も理由も時間に掻き消されかねない。

 

 

ミミンは一度顔を手で拭う。染み出し始めた不安を剥がしとり、箱の奥深くへと仕舞いこむように。そして深呼吸を挟み――。

 

 

「これ以上恥を晒すわけにはいきませんね…! 本気でいきますっ!」

 

「「おおっ!?」」

「あら!」

 

 

代わるように箱の中から繰り出されるは、数多の触手。うねつくそれらは三群に分かれ動き出す。一つ目の群は幾枚もの書類を同時に主の前へ。その種別によって、二つ目の群は幾つもの計算機を勢いよく叩き、三つ目の群は一斉に自署を行う。

 

 

確認も署名も終わった書類はすぐさま一つ目の群によって未処理書類と入れ替え、ミミンは見開いた瞳を目まぐるしく動かし続ける。先のアルテイア達の進行を爽風と評すのであれば、彼女の継ぎ目のない苛烈なそれは、まさに嵐。

 

 

いやもっと単純に……冒険者を陥れる絶望存在の顕現、と言うべきであろうか。狩りをする蛇やローパーよりも迅速な触手は一切絡まることなく、鞭のようにしなりつつも正確に標的を捕らえ喰らい、『処理』を済ませる。

 

 

そのピンクの触手が織りなす空間は巨大な口腔であり胃袋であり、練達の士すら手出しを許されぬ強大な領域。不用意に宝箱を開いた冒険者が囚われ命を縊りとられるまさにその様。

 

 

少なくとも、それを目にした三人はその光景を頭に過らせたのだろう。供の二人は思わず身を軽く引きつつ、感嘆と恭敬の眼差しを向ける。そしてアルテイアは。

 

 

「まあ……! ふふふっ♪」

 

 

厚い信頼を奉じるように、ミミンの横顔を見つめ返すのであった。最も、集中している当の本人はそれに気づいていないようだが……。

 

 

 

 

 

 

 

「ふうっ! えぇと、これで多分……うん、終わりっ!!」

 

 

本気披露から僅か数分後、現状に於いて処理の必要な書類は全て完成した。一息つくミミンへ、アルテイア達は拍手をする。

 

 

「素晴らしき技を見せていただきました!」

「流石、魔王様の御朋友にございますね!」

 

 

供の二人は感動を露わに。そこでようやく彼らの瞳に責める色は一切無かったことを解し、ミミンは笑顔で返す。

 

 

「そちらこそ見事な書類捌きでした! あの子は良い部下を持ちましたね!」

 

 

凄腕の、魔王の親友からそのようなお褒めの言葉を受け、思わず頬を緩ませてしまう供の二人。そのままでは終われなかったのか、彼らは更に続けた。

 

 

「書類と言えば、頂いたどの書類も見事な出来で!」

「特にこちらの目録、項目毎に分かれ、実に把握しやすく……!」

「フフッ……♪」

 

 

ふと、アルテイアが微笑む。彼女は伝えずとも気づいているようだ。この書類群が全てアスト謹製だということを。そして、やはりアストがここで働いていることは公にはしていないらしい。

 

 

「有難うございます! 実は優秀な秘書がおりまして。今日は不在なんですが、皆さんからのお褒めの言葉は是非伝えさせていただきますね!」

 

 

ミミンもまた、それに応える。これにてブレイクタイムは終わり。次の作業へと移る時間である。

 

 

「それでは素材倉庫へとご案内いたしますね!」

 

 

注文書の作成は済んだ。後はそれに則った搬出作業である。とはいえつまりは単純な力仕事であり、人手は充分。少なくとも今しがたのようにミミンを苦しめるようなことはない――が。

 

 

「……それにしても、アルテイア様にご足労をかけてしまうだなんて。お手紙を頂ければすぐにお応えしましたのに」

 

「――! えぇ、実はミミンさんと折り入ってお話したいことがございまして。ほんの少しだけお時間を頂けないでしょうか?」

 

 

隙を突き、ミミンは切り出す。それを聞いたアルテイアは即座に同調した。やはり読みは間違っていなかったようだ。彼女はそのためにアポ無しで訪れたのだ。二人は顔を合わせ、頷き合う。

 

 

「勿論です! なら部下の者に案内を引き継ぎますね。それと、早速搬出作業を始めさせていただきます。ラティッカというドワーフが監督となりますので」

 

「感謝いたします! お二人は待機させていた者達を呼び、助力となって差し上げてくださいな。くれぐれも皆様に従い粗相なきように。私共はすぐに参ります」

 

「「はっ!」」

 

 

アルテイアの命を聞き、供の二人は注文書の束を手に立ち上がる。ミミンは呼び出し鈴で再度ミミックを呼び、ラティッカを主体に人手を集め作業を開始するように指示を出す。それぞれはすぐに動き――。

 

 

「……もう行ったみたいですね」

「そのようですね。ふふ……!」

 

 

応接間に残された二人は、耳をそばだたせ廊下の様子を窺う。そして再度顔を見合わせ、頷き合う。

 

 

「では、失礼いたしますね」

 

 

許可を得、アルテイアは魔法を詠唱する。すると障壁が広がり、応接間内に二人を包む更なる空間を形成する。ミミンが促され呼び出し鈴を振ると……音は鳴れども誰も来ない。幾度振り直しても変わらず。

 

 

これは言わば密談魔法。声も魔法も外には通らず、安心して秘匿の話合いができるのである。これにて場は整った。整ってしまった。

 

 

「――それで、どのような御用件でしょう?」

 

 

切り出したのは、やはりミミン。その単刀直入な問いかけは、何処か相手との線を引き直したかのような物言いは、焦りからくるものであろう。……怖がっているのだ。彼女ともあろう者が。

 

 

アストのいない今、アストの母親たる彼女が何を話しに来たのか。読心が機能せずもはや先延ばしにも後回しにも出来ない以上、せめて結論を急ぎたい。楽になりたい。それがミミンの内心である。一方のアルテイアは。

 

 

「うふふっ♪ ただミミンさんと歓談したくて押しかけたのですよ。もっと言えば、娘の居ぬ間に軽い二者面談、とでも称しましょうか」

 

 

実に和んだ様子で仔細を明かした。そして、少し逡巡する素振りを。ただしそれは話すのを躊躇している訳では無く、どうやら席を正面に戻すかこのまま横に座った儘にするかを迷っているだけのよう。

 

 

「……そうでしたか」

「あっ……!」

 

 

その悩みをこちらから断ち切るように、ミミンはひと跳ね。驚くアステイアをよそに、先程まで彼女達が腰かけていたソファへと着地してみせた。即ち、自ら正面きって相対したのである。

 

 

勿論、ミミンはわかっている。今浮かべている寂しそうな表情の通り、アルテイアは睦まじく話し合いたかっただけだということは。このテンションの差は、ただ自分が勝手に沈鬱になっているだけだということは。

 

 

けれど、心が許さないのだ。もういっぱいいっぱいなのだ。物理的にも距離を置かなければ、不安で狂ってしまいそうなのだ。なにせ、予想通りだったのだから。

 

 

アストについての話……アルテイアはそれを二者面談と表現した。ならこの状況、どちらが面談『される』側か。詰められるのはどちらなのか。ミミンはつい表情を硬くするが、アルテイアは先程の素材一覧を改めて手に取り、頬を柔らかくした。

 

 

「アストがお役に立っているようでなによりです。本当、良い資料を作るわね」

 

「えぇ! 本当に助かってますとも! 書類作成に始まって何もかもが超優秀で、とっても頼り甲斐があって、だからつい色々託しちゃって、もうあの子がいないとやっていけないぐらいで……」

 

 

半ば反射的に同意するミミン。それは噓偽りない本心であり、つらつらと溢れ出す想いはかえって、自らの器の小ささを再認識させた。

 

 

「……先程はみっともない姿をお見せしちゃいました。いつもアストに頼りっぱなしで、だからあんな風に右往左往してしまって」

 

 

承認に手間取り、書類の不足に気づかず、果てにはかの大主計アルテイアに秘書の真似事までさせてしまった。内申点をつけるのであればかなりのマイナスに――。

 

 

「えぇと……どのことでしょう……?」

「え……?」

 

 

なるはずだったが、何故かアルテイアは困惑し首を傾げる。ミミンはおっかなびっくりながら自らのミスを伝えるが……。

 

 

「うふふっ! その程度、恥ずかしながら私もよくやってしまいますよ。それにお手伝いは、娘の仕事を体験したいという母の…ママの我儘というもので♪」

 

 

今度は少し照れたように相好を崩したではないか。事実、ミミンの犯したミスは世間一般で見れば大した失態ではない。格式張った御前会議であればいざ知らず、一介の中小企業の取引に於いては些末な事象。寧ろアポ無しで押しかけたアルテイアの方が何倍も。

 

 

だが、慰められようともミミンの表情は解れきらない。ミスをしたのは事実なのだから。完璧でありたかったのに。愛する者の母親へ、娘を預けるに相応しい完璧な社長を魅せたかったのに――。

 

 

「ふふふっ……うふふふふっ!」

 

 

そう忸怩に沈む彼女の耳に、ふと堪えきれぬ笑いが響く。だが貶すような笑みではない。慈愛に富んだ暖かいそれにミミンが目をあげると、アルテイアは釈明する。

 

 

「いえ、どうかお許しくださいな……! 今のミミンさんの御姿が、魔王様と重なってしまいまして」

 

 

それはどういうことか。首を捻るミミンへ、恥隠しの咳払いで調子を戻したアルテイアは説く。

 

 

「ミミンさん、どうか気を落とされず。貴女のような立派な方へ諭す真似なぞ畏れ多きことですが……完璧な者なんてこの世には存在いたしません。ご存知の通り、魔王様ですらそうなのですから♪」

 

「っ……!?」

 

「あの御方もよくお悩みですとも。魔王ならば個として完璧であらねばならない、と。その必要はないのです。人にはそれぞれ適した役割があり、物事とは協力しあって初めて成立する代物。――ミミックに於きましても、同じでしょう?」

 

「っ……! それは……!」

 

 

軽やかに微笑んでみせるアルテイア。それは真理であり、事実。ミミンは友人として痛いほど知っている。グリモワルスのような側近にしか明かされぬ当代魔王マオの、少々意気地のなくされど責任を背負い奮起し続ける性格を。愛する配下に完璧な魔王をみせようと常に力んでいる、今の自分のような姿を。

 

 

そして――ミミンは教えているのである。ミミックもまた、個では完璧な狩りなぞできないことを。活躍してくれる仲間がいなければ潜むことはできず、また自身が囮になることで大切な仲間を助けることができる。そうした協力がミミックにも必要だと、戦闘理論として部下達に指導しているのだ。

 

 

ミミンは目を閉じ、ゆっくり開く。そんな基礎すらをも忘れてしまっていた自分を恥じながらも多少は心が収まったのだろう。その瞳にはアルテイアに向けた感謝が湛えられていた。それを受け取り、母は安らかに続ける。

 

 

「ミミンさんの役割は魔王様と同じく、その美しきカリスマによって皆を率いること。えぇ、まさに見事の一言です。どの子もミミンさんを慕っておりますようで。その代表たるは我が娘でありましょうが♪」

 

「……えっ!? い、今なんと……!?」

 

 

お茶目に口にされたその一言は、ミミンにとってまさに望外。目を丸くする彼女へ、アルテイアは最近を振り返るように語った。

 

 

「あの子はミミンさんとの日々を手紙や炉辺で綴ってくれるのです。『種明かし』が済んだ後は、口を開けば止まらぬほどに。貴女の可愛らしさを、毎日の興奮を、豊富な経験を、目を輝かせながら心躍らせながら。それを見ていると、こちらまで楽しくなってしまうほどで!」

 

 

元よりミミンとアスタロト家が懇意であることが、それが理由でアストが今の職に就いたことが種明かしされた今、もはや語りに阻むものは無くなったのだろう。どうやらアストは家族へ、ミミンへの愛を語りに語っているようだ。その熱にあてられ、アルテイア達も上機嫌なよう。

 

 

「最近は二人でアイドルなんてものを! その……次の公演には家族総出で観覧に赴きたいのですが、ミミンさん、気づいても内緒でお願いしますね……♪」

 

「いらっしゃってくださるんですか!? ふふっ、えぇ! しーっ、ですね☆ でもあの子も結構見破ってきますし、しっかり変装なさってくださいよ~!」

 

 

密談魔法内であるのについ声を潜め口に指当て頼み込むアルテイアの茶目っ気に、ミミンは同じ動作で返す。そして屈託のない笑いを浮かべあう二人の間は解れきったムードに満ちる。

 

 

ふと、ミミンの頭にはちょっとした推測がよぎる。もしやアルテイアがアスト不在日にアポ無し訪問をしてきたのは、その約束のため? いや、そんなの手紙で伝えれば事足りること。ならば、理由はやはり――。

 

 

「――ミミンさん。どうか再三の謝罪をお許しくださいな。突然に押しかけるという()()()()()無礼を働いてしまったこと、面目次第もございません」

 

「……やっぱり、抜き打ち検査だったんですね。私が、アストの上司に見合うかどうかの」

 

 

雰囲気の助力を受け仔細を明かすアルテイアに、ミミンは努めて明るく、されど緊張を僅かに舞い戻らせながら先読みする。果たして、彼女はしかと肯いた。

 

 

「流石はミミンさん! えぇ、ご推察の通り。ただ、これは私の一存。娘離れできぬ愚かな母の暴走です。どうかそのことだけは御記憶くださると」

 

「いえいえ! 気にしてなんかいませんとも! ですが――」

 

 

アルテイアの言葉を切るように落ち着かせるミミン。気持ちはわかるのだ。自分だって派遣したミミックが大切に扱われているか気になる時だってある。故に責める気も密告する気も一切無い。それよりも。

 

 

「その…………判定は、如何でしょうか……?」

 

 

急かすように、箱から小さな身を乗り出すように、箱の縁を汗ばむ小さな手で握りながら、ミミンは問う。抜き打ち検査の結果は、娘を想う母の判断は、如何に――……。

 

 

「あら! ではこほん。――我が娘アストは、このままお預けいたしますわ」

 

「っ! と、ということは……!?」

 

「えぇ、文句なく『合格』ですとも♪ これからもあの子を、どうかよろしくお願いいたしますね♪」

 

 

深々と頭を下げるアルテイア。対して、ミミンは。

 

 

「ふしゅぅぅぅぅ…………」

 

「まあ!? ミミンさん!?」

 

 

まるで溶けたかのように、箱へ身を沈ませもたれかかった。箱が無ければ床に撒き散ってしまうかもしれぬほどの弛緩具合に、アルテイアも驚きを隠せない。

 

 

「ご、ご心配なくアルテイア様ぁ……。ちょっと、緊張の糸が切れただけといいますかぁ……すぅう……ふぅ…………良かったぁ……」

 

 

深呼吸を幾度か挟み、姿勢を戻すミミン。その顔からは緊張は完全に消え失せ、心弛む安堵に満ちている。

 

 

「そこまで気負ってくださっていたなんて……。申し訳ないことを……」

 

「いえいえいえいえ! お母様であれば当然のお考えでしょうし、私が一人で勝手に慌ててミスしてふさぎ込んでただけですから!」

 

 

アルテイアから罪悪感を拭いとり、ミミンは改めて息つく。これでようやく、まともに彼女と向き合える。安心して胸の内を漏らすことができる。

 

 

「いや~本当良かったですよ、アストに相応しくないと思われてなくて。さっきやらかした時なんて、終わったと思っちゃって!」

 

 

先程も語ったミスへの思いを、先程とは違い気楽に繰り返す。そんなミミンの警戒を許した表情を見て、アルテイアもまた柔らかく。

 

 

「先も申し上げました通り、人には適材適所があるもの。ですのでミミンさん。本日の取引も含め、経理も事務もアストにバンバン頼ってくださいな! えぇ、母である私が許します!」

 

 

とはいえその許可はいかがなものか。しかし冗談で言っている訳ではないとわかる彼女の高らかなる様子に、ミミンは返す言葉を迷う。と、そこでアルテイアはウインクを続けてみせた。

 

 

「頼られることこそ我等グリモワルスの本懐なのですから。『ようやく頼ってくれた』なんて、言わせてはいけませんよ? うふふっ♪」

 

「うっ! あっちゃぁ……! 参りました、アルテイア様!」

 

 

これはしてやられた。魔王へ向けたミミンの伝言を、アルテイアは逆手にとってきたのである。ミミンは頭を下げ、自らの敗北を認めその申し出を有難く受け入れる。……だが。

 

 

「でも実は、既にアストに頼りきりなんですよ~! なんと今回、こんな凄いものを作って渡してくれたんです!」

 

 

そこで話を終わらせればよかったものを。照れ隠しか懺悔か、あるいは単純に母へ娘の腕前を伝えるためか。ミミンは箱を探り、アスト謹製のアイテムであるスマート宝箱と魔法陣スクロールを取り出してみせる。

 

 

「これほど複雑なものを…! あの子ったら、こんなにまで……!」

 

「本当、有難い限りです! 他にも魔眼を応用した鑑定本もあって、そちらは貸し出し中なので、後でお見せいたしますね!」

 

「まあ! そのようなものまで!?」

 

「びっくりしちゃいました! アストの目が描かれてるのが格好良くて、精度も高くて! つい数時間前のダンジョン訪問でも――!」

 

 

暫し二人はそれらを囲み歓談する。正確には、ミミンがそのアイテム達の利用エピソードを語り、アルテイアが愉快そうに傾聴する形だが。ともあれ喜ばしきことに、そこに一切の軋轢は無い。

 

 

懸念事項が解決した以上、これは知り合い同士の打ち解けた会話。まさしく歓談懇談を以て此度の密談は終わる――そのはずであった。そのつもりであった。

 

 

 

大方を語り終えたミミンがその勢いの儘、外に出すべきではない心の残滓までをぽつりと吐き出してしまわなければ。

 

 

 

「……あの子は本当に優秀です。自分がいなくとも私が普段通り動けるよう取り計らってくれて、だから私はそれに見合うようにならなきゃと肩肘張ってしまって、部下も連れずにこの取引に臨んでしまって。てへ…!」

 

「そういえばアストから聞いております。なんでも、事務仕事を任せられるミミックの方々がいらっしゃるとか?」

 

「ご存知でしたか。えぇ、アストが育ててくれている子達です。まだまだアストには及びませんが、充分な腕をしておりますので、いずれは……これと同じく……」

 

 

手元に戻したスマート宝箱をきゅっと握りながら、ミミンの声は小さくなる。つい口にしてしまった自虐が、アルテイアに絆され漏らしてしまった吐露が、今日も幾度も来襲したあの『不安』へと変じてしまったのだ。緩み語り尽くし空虚となった自らの内で響き渡っているのだ。

 

 

「ミミンさん……」

 

 

それを知ってか知らずか――少なくともミミンの纏う雰囲気が変わったことに気づいたアルテイアは、返す言葉を迷う。いくら大主計とて容易くは見つからないのだろう、心の限界を迎えかけている友人へかける一言なぞ。

 

 

「……けど、チャンスかしら」

 

 

だが、彼女は代わりに覚悟を決める。間違いなくこれは好機。堅牢にして擬態を操る強者ミミンが、これほどまでに心の蓋を開き切っていることなぞ滅多にない。故にアルテイアは決心したのだ。聞くに聞けず、持ち帰る気であった問いをぶつけることを。

 

 

「――ミミンさん。一つだけ、質問を宜しいでしょうか」

 

「へ……?」

 

「これはアスタロトの者としてではなく、一人の娘の母として…いいえ、ただのアルテイアとしてお聞きします。ですのでどうか貴女は貴女個人の、何にも縛られぬ言の葉を以てご回答くださいな」

 

「は、はい……?」

 

 

まるでこれこそが今日の本題だったと言うような気迫を放つ彼女へ、ミミンは姿勢を正す。アルテイアは今まで通りの安らかな語気を殊更に和らげ、一つ問う。

 

 

 

「仮に()()()()()()()()()()()()、この先、()()()()()()()()()ですか?」

 

 

「っっっっっ……!!? それは……」

 

 

 

その青天の霹靂の如き問いかけに、ミミンは言葉を詰まらせる。頭の中には様々な想いが渦を巻き、暴れる触手のようにのたうち外へ漏れ出そうとする。……だが、彼女は、それを。

 

 

 

「……お答えできません。だって私は、ただあの子をお預かりしているだけの身。今後アストがどこへどう飛び出そうが……『箱』には、何も出来ませんから」

 

 

 

寂しそうな笑顔で縊り、やはり箱の奥へと押し込み隠したのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………」

 

 

時間は流れ、日暮れ。いつもなら終業しているはずの社長室には、昨日と同じようにミミンが。席にこそついているものの、彼女は天井を見上げ大きな溜息をついていた。

 

 

「疲れた……」

 

 

そう独り言ちるミミンの顔は、まさしく疲労困憊。それも当然。彼女は今日、その顔をどれほど変えたであろう。

 

 

朝残業に一人取り組む仕事人の顔に始まり、部下や依頼人に向けた社長の顔を。偶然出会ったファンへはアイドルの顔を向け、突然の来訪者には畏まった代表としての顔を。そして気を置けこそするが粗相は許されない友人への顔でもてなし、宣告を待つ保護者役の顔を浮かべ、最後は――。

 

 

気分としてはまさに百面相。それほど表情をころころ変えれば憔悴して然るべき。しかも、今を含め完全に肩の力を抜くことはできていないのだ。なにせ普段なら甘やかし寛がせてくれるあの子が、今日はいないのだから。

 

 

「アルテイア様には最後の最後まで酷いとこを見せちゃったわね…。でも……」

 

 

蓋へ背と頭を気だるげに預けながら、ミミンは先程のあの子についての話を……あの子の母たるアルテイアとの会話を思い返す。彼女が密談空間で最後に問いかけて来た、あの不可思議な質問を。

 

 

『この先、アストをどうしたいか』――全てのしがらみを捨て答えて欲しい。それがアルテイアの願いだった。しかしそれに対しミミンは、その条件を半ば無視した回答をしたのだ。

 

 

それは間違いなくアルテイアの望んでいた答えではない。事実彼女はその後も、素材の搬出が終わり去る間際まで、繰り返し問い直してきたのだから。あの回答では双方納得できないはずだと言うように。

 

 

しかしミミンは頑なに拒んだ。やんわりと流し、有耶無耶にした。あの回答が全てだと暗に言い返したのだ。アルテイアに、自分に、言い聞かせたのだ。だって……。

 

 

「…………本音が許される訳ないでしょうよ」

 

 

懸念があった。アルテイアの腹積もりが読み切れぬ以上、罠の可能性があった。試されているかもしれなかった。故に、本音を明かす訳には――。

 

 

「――――ふッ……」

 

 

そこまで考えて、ミミンは自分を嗤う。そんな懸念、言い訳に過ぎない。本音を、欲望を口にしなかったのには別の理由があるのだから。

 

 

「ほんと、アルテイア様ったら人が悪いんだから……。なにが『全てが許されるなら』よ……。そんなこと……」

 

 

有り得る訳がない。有り得てしまってはいけないのだ。この欲望が通ることなぞ、あってはならない。なにせそれは、あまりにも掟破りなのだから。全てを壊す願いなのだから。

 

 

そう、悉くを壊しかねないのである。魔王やグリモワルスとの関係も、今まで積み上げてきた全ても、その欲望を一言伝えるだけで壊れてしまうかもしれない。

 

 

なにより……口にしてしまえば、ミミン自身が壊れてしまいそうだった。だからこそ、逃げたのだ。自分に言い聞かせたのだ。自分はただの箱に過ぎないのだと。ただここに留まり、将来を受け入れるしかないと――。

 

 

「――ッ……! ぅぅうんっ……! あぁああもうっ! こんなこと考えてる場合じゃないでしょうがっ!」

 

 

身震いをし、怖気を振り払うように頭を震わせ、ミミンは両頬を叩きながら正面を向く。そこには机いっぱいの、ミミンの姿を容易く隠すほどに高い山積み書類。しかもそれは、アストの秘書机から溢れた分である。

 

 

最も、今日の業務はダンジョンに訪問し契約を締結、各ダンジョンより届いた素材の整理、そして社に蓄えられていたほぼ全ての素材の売却。この書類の山は妥当といえよう。これからミミンはこれらの書類を片付けねばならないのである。しかもアストがいない以上、たった一人で。……いや。

 

 

正確に言えば、ミミンが一人でやり切る必要なぞどこにもない。アルテイア達との取引書類はそれこそ彼女が認めた通り、アストが戻って来てから処理を行えばよい。それで山の大半は除外できるであろう。

 

 

更に、今のミミック派遣会社には事務仕事の出来るミミック達がいる。その者達の力を借りれば瞬く間に片付くだろう。それが最も楽で正しい方法なはず。だというのに。

 

 

「…………。よし! 見守ってて頂戴ね……!」

 

 

ミミンはそのどちらにも頼らず、ただスマート宝箱を傍に置き、ペンをとった。あれほどアルテイアに諭されたのに、何故か。部下達の存在を忘れている訳では無いのに、呼ばないのは何故か。

 

 

疲労やストレスによる思考力が低下している自覚も、能率が下がっている確信もあるのに、何故。その微かなる自問自答を胸の内の解で…例の『不安』で黙らせ、彼女は一枚、また一枚と細々進めだして――。

 

 

「……? どうぞ」

 

「社長、もう夕食時……うわっ」

 

 

突然響いたノックの音に返事をすると、入って来たのはラティッカ。入って早々、山積みの書類に慄いたようだ。彼女は頭を掻きつつ、恐る恐る提案する。

 

 

「なあ……さっきも断られたけど、やっぱアタシも手伝うよ」

 

「良いの。ダンジョン訪問に搬出作業にで疲れたでしょ、ゆっくり休んどきなさいな」

 

「でもよ……。じゃあ、事務できる連中を――」

 

「良いから。あの子達も毎日の訓練で手一杯でしょうよ」

 

「そんなことないだろうけどさ……なんにせよこの量、社長一人じゃ――」

 

「大丈夫。 ……お願いだから、私に任せて」

 

 

書類の壁に阻まれども伝わってくる圧に、ラティッカは黙る。取り付く島もない様子に彼女は再度頭をガリガリと掻き、自身の出来る限りを尽くすべくズンズンと社長机へと近づいて。

 

 

「わかったよ。けどさ……夕食は食っとけ!」

 

「きゃっ!? ちょっ、ラティッカ!?」

 

 

昨日と同じように、ミミンを頭上へ持ち上げたのだ。当然、彼女は抵抗する。

 

 

「降ろしてよ! そんな余裕は――!」

 

「はいはい暴れんな暴れんな。アストの母ちゃんからも頼まれたんだよ」

 

「へっ……?」

 

「社長に無茶をさせるな、アストに託させろってな。休憩無しで仕事続けるのは無茶のそれだろ」

 

 

どうやらアルテイアにはお見通しだったようだ。秘書代行の彼女にまで言い含めていたとは。完全に一枚上手を取られ、ミミンはつい呆ける。その隙を逃すラティッカではなかった。

 

 

「つーことで、飯食いに行こうぜ! 明日はアストが帰ってくるんだ、やつれてたらアタシが怒られちまう!」

 

 

ミミンを抱え上げたまま、駆け足で社長室を後に。そのまま昨日以上の速度で食堂へと走るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅううぅぅぅううううぅぅ……」

 

 

更に時は過ぎ、夜半。場所はミミンの私室。寝間着に着替えた彼女はベッドの上で長い息を一つ。そして身を箱へと沈ませ、縁に後頭部を軽く擦りつける。

 

 

「ラティッカ達には感謝してもしきれないわね……」

 

 

やはり夕食の後は呑みに…半ば強制的に連れられ、諸々済ませた際には就寝時刻となってしまったが、かなりのリフレッシュはできた。鈍っていた頭も沈み込んでいた心も、今や大分復活した。

 

 

しかしその代償は、やはり手つかずにせざるを得なかった膨大な書類。最低限の最低限こそは終わっているものの、あのままでは……。

 

 

「明日、アスト帰ってくるのに……」

 

 

そう呟き、ミミンはスマート宝箱を確認する。明日の予定が並ぶ中、夕暮れの時刻に『アスト、帰社』の文字が輝いてみえる。だが、その輝きは今のミミンにとっては。

 

 

「……もうひと踏ん張りしなきゃ」

 

 

スマート宝箱を閉じ、一度抱き締め、ミミンは箱の中へと潜る。数秒の後に出て来た彼女の服装は昼間と同じ、普段業務中に着ている白のワンピースであった。折角寝間着に着替えたというのに、もしや。

 

 

「さあ、行きましょう! アストにイイとこ見せなきゃね! ……じゃないと、このままじゃ…………っ」

 

 

またも鎌首をもたげた『不安』をなんとか抑え込み、ミミンは静かに自室を後にする。薄暗い廊下を星月のみに照らされ向かった先は――言うまでもないだろう。

 

 

 

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