ミミック派遣会社 ~ダンジョンからのご依頼、承ります!~ 作:月ノ輪
「…………あー……ったく」
翌日、朝。ラティッカは僅かに日が入る暗い部屋で舌打ち交じりに頭を掻く。寝起きの不機嫌、ではない。彼女は爽やかな寝覚めが出来る性質である。
そも、既に装いはへそ出しチューブトップとダボついたズボンという普段の仕事着であり、なんならここは彼女の部屋ではなくミミンの私室。ラティッカは前日前々日に続き、不在のアストに代わってミミンへモーニングコールをしにきたのだ。
だが、部屋のドアを開く前から嫌な予感が走っていた。一昨日は役目通りに叩き起こし、昨日は既に起床済みのために空振り。なら今日は――昨夜、就寝時刻前に送り届けた時の様子からして――悲しくも、その最悪の予想は当たってしまった。
ノックも無しで部屋へ入ったラティッカを待ち受けていたのは、この光景。一昨日のようにカーテンが閉じており、昨日のように布団は綺麗に整えられて……いや、違う。各家具含め昨日のまま。使用の痕跡すらない。
これが指し示す事実は一つ。ミミンは昨夜、部屋で寝ていない。寝る前に部屋を後にし、今現在まで戻っていないのだ。なら、何処へ行ったのか。
「世話の焼ける社長だぜ……」
ラティッカは溜息をつき、踵を返す。ミミンの私室を後にし、苛立ちの籠った大股で真っ直ぐとある部屋へと向かう。それは、やはり。
「社長、いるんだろ!」
「んわ……? あぁ、ラティッカ、おはよ……。あ、そっか、またモーニングコール……」
「そんなことよか、いつからだ? いつからそうやって机に向かってるんだ?」
社長室の扉を半ば蹴破るように入り、ラティッカは呆れ声で問い詰める。それに対しミミンは、顔の見えるほどには減った書類の山の隙間から力なく、顔を伏せるように手元の書類へ目を落とし直しながら答えた。
「……仮眠はとったわよ」
「部屋に戻らず、椅子の上で箱になって、だろ?」
「…………ミミックなんだから良いでしょ。それが普通よ」
「ハッ、その言い訳、昔を思い出すなぁ。こんなやり取り何度したっけか」
皮肉を込めて返すラティッカだが、ミミンはそれ以上喋ることなくペンを動かす。時間が惜しいと言うように。ラティッカは強く鼻で息吐き、扉横の壁へ背を預け腕を組み、改めて社長室全体を見渡す。
最悪の予想通り、ミミンは徹夜で事務処理に明け暮れていたようだ。彼女の疲労具合と昨日よりも減った社長机の書類山からそれがわかる。しかし、それでも捌き切れなかったのだろう。アストの秘書机には未だ膨大な未処理書類が。
そんな秘書机の端には、スマート宝箱……アストの代わりとして作られた多機能ミニ宝箱が。まるでミミンを見張り見守るように置かれたそれへラティッカが近づき手に取ってみると、どうやらアラーム機能は業務通知を除いて軒並みオフにされている様子。
つまりミミンは、今日の業務が始まるまで一切手を休めるつもりはないらしい。事実彼女は書類から目を離さぬままラティッカへ触手を伸ばし、そっとスマート宝箱を奪い元の位置へ戻すと、部屋から追い出さんと優しく押してきたのだから。
「あーあー、わかったよわかったよ。それじゃアタシは大人しく……」
こうなっては仕方がない。その触手に流されるまま、ラティッカは秘書机から離れ扉へと――。
「昔みたいにいかせてもらうぜ!」
向かう素振りで騙し、床を蹴り最大級の大股で触手をすり抜ける。秘書机のスマート宝箱を掴み、返す刀で社長机へ。スマート宝箱を放り渡しながらミミンからペンを奪い、昨日の夕食のように、かつてのように、力ずくで彼女を箱ごと頭上へと抱え上げた。
「そらっ! 朝飯食いに行くぞ!」
「ん……。……ありがと…ラティッカ」
大した抵抗もせず持ち上げられ、緊縛から解放されたかのような感謝を漏らすミミン。その在りし日に酷似した限界姿に、ラティッカは肩を竦めるのであった。
『……――キミこそが♪ 宝物♪ そのまま真っ直ぐ♪飛び出してゆっけ!!♪』
「ちったぁ落ち着いたか?」
「うん……」
食堂に到着し、まずは席にて水を一杯。それで鬼気迫る様は多少収まったようで、ミミンは静かに飲み切ったコップを置く。しかし、やはりその顔は心此処に非ず。これではまともに話が出来ない、そう判断したラティッカは立ち上がった。
「とりあえず休んでな。いつもので良いか?」
本人に代わり、朝食注文をしに行く気である。ミミンがいつも食している朝食はリゾットとジュースであり、聞く必要もないであろうが――。
「ううん…。違うのが良い……。あと、お願いがあるの……」
「お? なんだ? ――っ……! はぁ…わかったよ」
ぼそりと呟かれたミミンの注文に、ラティッカは表情を軽く顰めながら承る。なにせ、それは。
「ほら、頼まれたサンドイッチとジュースだ。アストがいつも食べてるやつ。あと言われた通り、BGMの音も下げて来たぜ」
不在の敏腕秘書がよく食べている、あの食事。昨日ミミンがいつものメニューに追加して頼んだ、あれ。今日に至ってはそれだけを頼んだ、焦りの証明。
口にこそ出さないが、ラティッカは昨日の嫌な予測の的中を確信した。推測していたのだ、ミミンがそのサンドイッチを頼んだのはアストの事務手腕を模倣したいからだと。せめて同じものを食べることで出来る限り近づこうとしているのだと。
あの時こそ自分の見当違いを信じて飲み込んだが、この光景を前にしてしまえば……食事を楽しむ訳でもなく、ただ力を取り入れようとするかの如くもそもそと口に運ぶミミンを見れば、疑いようが無い。ラティッカは自らのステーキにフォークを突き刺しながら、尚払いきれぬ呆れと苛立ち交じりに問う。
「なあ、なんでそんなに一人でやりたがるんだよ。昔じゃないんだぞ? アタシも、皆もいるんだぞ?」
「……わかってるわよ。あなたは頼りになるし、皆に手伝って貰えば楽になるって」
「じゃあ……!」
「でも、駄目なの……。今、あなたや皆に頼ると…………駄目なの……」
なんとも要領を得ない弱った突き放し。ラティッカは溜息交じりに額をくしゃくしゃと擦り、下手な言葉を吐かないように口へステーキを詰め込み暫し咀嚼する。
そう、見るからに弱っているのだ。あの社長が。これはどう考えても一徹の影響だけではない。なにせ彼女は見た目こそ少女のような出で立ちだが、精神も経験も立派な大人なのだから。
いくら業務に追われた一徹とはいえ、この弱りようは些かおかしい。昨日まではあれほど社長の姿であったのに。今日はまるで、何かによって心が折れかけているかのようで――。
「――アストの母ちゃんに何言われたんだ?」
「っ!? んぐ……けほっ!」
その貫く一言に、ミミンは喉を詰まらせる。急ぎジュースを口にしなんとか事なきを得るが、ラティッカの追求からは逃れられない。
「やっぱか。なんか嫌な事でも言われたんだな。いくら大臣サマでも、社長を傷つけたんなら――」
「ううん違うの! 嫌な事なんて何一つ! 寧ろこれからもアストを預けてくれるって言ってくれて、なんなら、その先も――っ……」
必死に釈明してみせるミミンであったが、その余波で忘れようと努めていたことまで思い出してしまったのだろう。潰え消えるような彼女の声でラティッカもそれを察し、謝る。
「悪い……。あー…けどさ、アストを任せてくれるってんなら、やっぱり無理して書類片付けなくても……」
やらかした分、これ以上傷つけぬよう言葉を探りながらラティッカは提案する。しかしミミンは……静かに首を横に振った。
「それとこれとは話が違うのよ。私の我儘なの。アストが帰ってくるまでに全部綺麗に済ませときたいってだけなの」
「なら、猶の事アタシらを……はぁ、わかったよ」
頑固なミミンの瞳を見て、ラティッカはとうとう諦めた。このまま宥めすかしたところで彼女は箱の内を曝け出すことはしないだろう。なら、このまま様子を見るしか――。
『30分後より朝礼のお時間です、社長』
その時、アストの声が…もとい、アラームが響く。ラティッカは気づく、その瞬間ミミンの覇気の消えた顔が社長のそれに変貌したのを。まるでアストが気付けとなったかのように。
そんなミミンはサンドイッチを咥えながらスマート宝箱を取り出し、通知を消して一旦机の上へと。そして。
「お、おい? 何してるんだ?」
「もひふぁえり……もぐ、ごくん。持ち帰りよ。朝礼の時間までにもうちょっと書類片付けときたいのよね」
なんと彼女は、残っていた皿の上のサンドイッチを箱の中へとひょいひょい仕舞い始めたではないか。確かに持ち運びが容易いのがサンドイッチの特徴の一つではあるが。
「ゆっくり食おうぜ……?」
「あ、勿論ラティッカはゆっくり食べて頂戴な! 朝礼で合流しましょ。今日の日程は一昨日と大体一緒なのはわかってるでしょ?」
「いやそういう事じゃなくてさ……。なんでそんな急いでるんだよ」
「だってアスト帰ってくるの今日の夕方だもの。あんま時間ないのよ」
ここが気張りどころねと最後の一欠けらを口へ刺し、ジュースで流しこもうと手を伸ばすミミン。だが、これ以上は見過ごせなかった。
「せめてこのジュースと今咥えてる分ぐらいはここでゆっくり食ってけ」
ミミンに先んじてジュースを奪い取るラティッカ。ミミンは抗おうとするが、すぐにそれを止め、口からサンドイッチを外し疲れたように微笑んだ。
「わかったわ。休憩はしっかりとらないとね。 じゃ、食器片付けてくるわ!」
「あっ!? おい! それぐらいアタシが……ったく」
止める暇なく椅子を飛び降り、食器を返却口へと運んでいくミミン。ラティッカの内心を読み多少は譲歩したが、急いた気は収まらないのであろう。箱を滑らせ走っていく彼女にラティッカは肩を落とし、机の上のスマート宝箱を軽く突いた。
「アタシじゃ力不足みたいだよ、アスト」
しかしスマート宝箱は何も答えず。ただ朝日を浴びきらきら輝くだけであった。
「みーみーっくっ! そーれっ!」
「「「ふぁいおっ! ふぁいおっ! 1、2! 1、2!」」」
本日もまた定刻通りに特訓が開始。ミミンはやはり、監督として皆の前を走り指揮を執る。その様子を遠くから見守るラティッカは複雑な表情を浮かべたまま。
結局ミミンは朝食以外の休憩を挟むことなく、朝礼前後を書類仕事に費やした。しかしそれでも減らぬ山を見て、ラティッカは彼女へ提案をしたのだ。『今日の業務は部下に託して、書類仕事に集中したらどうだ』と。だが、帰ってきた反応は。
「いいえ。全部私が完璧にこなして見せるわ! アストがいなくても出来ることを証明しないと!」
という拒否。アスト不在初日から変わらぬ、されどどこか切羽詰まった様子が上乗せされたそれを止めることは出来ず、またも見逃すしかなかったのである。
とはいえ、そこまでの心配は要らないのかもしれないとラティッカは自分を納得させる。なにせ当のミミンはあのように訓練監督をそつなくこなしている。その様は、焦りも疲労もない至極健康体である――ように見えていた。ラティッカ達ドワーフには。
「ねえねえ、ラティッカ姐さん。今日の社長、なんか調子おかしくない?」
ふと、ミミックの一体がラティッカに聞いてくる。するとそれに乗じ、他のミミック達も。
「わかる。気が張っているというか、無理してるというか」
「いつもより動きが鈍い感じだよね。元気もないし」
「一昨日よりもずっと苦しんでるみたい」
「シャウウ、シャアウウ」
「あ、確かに。昨日の夕方から辛そうな顔してた」
「ということは昨日何かあったの?」
「ほら、アルテイア様が……」
「確かアストちゃんのお母さんだっけ?」
上位下位幾つもの箱が集い、こそこそと話し合う。その誰もが、ミミンの不調を見抜いているのである。それも当然、皆そのミミンに鍛え上げられた優秀なミミックなのだから。そしてまだ成長過程である彼女達が気づけるとなれば。
「ラティッカ、少々由々しき事態じゃないか? あれ、昔の壊れかけている時の社長だ。この数日でなんでああなったんだ?」
「書類仕事が溜まっているって聞いたけど……。もしかしてアストちゃんいないから、あの時に逆戻りしちゃってるの?」
ラティッカと同じく当時を知る古参教官達も、心配を露わに集まりだしてしまった。仕方なしにラティッカが掻い摘んで事情を説明すると。
「あ、そっかアストちゃんいないから…!」
「寂しいんだ社長!」
「なんだ、可愛い~!」
「でも今日帰ってくるんでしょ?」
「なら明日には元気になるか~」
ほとんどの者は良かった良かったと事態を朗らかに捉えた反応を。されど、上役たるメンバーは。
「そういうことか……。うむ、私達も協力しよう。面子はすぐ集める」
「皆心配してたのよ。でも肝心要はラティッカ、君に任せるしかないわ」
何かを画策し出したではないか。流石はミミンによって教官役を拝命した凄腕ミミック達。心を読むことぐらい容易いようだ。その手助けに背を押され、ラティッカが再度の覚悟を決めた、その時だった。
「あなた達、なにこそこそしているのかしら?」
「「「「「ひぃっ!? しゃ、社長!?」」」」」
「サボる余裕があるのなら、特別メニューを組んであげるけど?」
「「「「「いえなんでもないですぅ!」」」」」
ふっと現れたミミンに、集まっていたミミック達は蜘蛛の子を散らしたようにばらばらと逃げていく。残ったのはラティッカ一人。ミミンは彼女へ頬を膨らませた。
「どうせ私のこと話してたんでしょう? もう、余計なこと言わないで頂戴な。皆が不安になるだけじゃない」
「悪かったよ。けどさ、アタシが話さなくても既に皆不安がってるぜ」
「うっ……やっぱり? はぁ……ダメダメね、今日の私」
不調の自覚はあるのだろう。ミミンは額に手を当て頭を振る。そして気合を入れ直すように頬をぴしゃぴしゃ叩き、前を向いた。
「でも大丈夫よ。もう特訓には響かせないから! ううん、何もかも完璧にしてみせるんだから! 昔みたいに、一人でやらなきゃいけないんだから!」
気合満点の様を見せる彼女。しかし、もはやラティッカにも見抜くことが出来ていた。それはどう見ても空元気。いや……機能不全の、空元気の模倣。故に、秘書代行は合図を出した。
「……一人じゃない、って何度言わせるんだよ。なぁ皆?」
「「「「「そうですよ、社長!」」」」」
「へ!? わっ!? あ、あなた達いつの間に!?」
ミミンはようやく気付いた。自分が数多の箱に取り囲まれていることに。ラティッカの呼び声に応えたその箱の彼女達は、先程までいた古参勢を含む、訓練教官達だということに。
「なーにが『一人でやらなきゃいけないんだから!』ですか!」
「僕達がそれほど信頼できませんか?」
「悲しい……社長に認められたと思っていたのに……」
「やれやれ、我等の努力不足ということか」
「そうだな。長い間助力となれるよう務めていたが、まだ足りなかったようだ」
「違うの、そういうことじゃなくて…! 皆を信頼してない訳じゃなくて…!」
慌てて釈明しようとするミミン。しかし、教官達はその隙を許さず更に畳みかける。
「へ~? 違うの~? じゃ~あ~なんで任せてくれないんです~?」
「それほど弱ってまでも一手に担おうとするのは、つまりそういうことでは?」
「正直、見ていられませんよ。今の社長」
「いつものキレはなく、動きはぎくしゃく。そして何より――」
「普段であれば私達のこんな包囲程度、気づかない訳ないでしょうに」
「ぅっ……!」
痛いところを突かれた。確かに普段のミミンであれば、このような袋の鼠状態とはならなかったであろう。事前に接近に気づき、何してんのよとツッコミでも入れたはず。しかし今はどうだ。完全包囲を許したどころか、教官達が声を出してアピールするまで一切気づかなかったのだ。
即ち、今のミミンはそれほどまでに集中力が切れており、もはや訓練監督を務めるには不適切。そう暗に言われてしまったのである。自分が手塩にかけ育て業務の一部を託した部下達に。言い返すことはできず固まるミミンの前へ、ラティッカは腰を落とす。
「社長、全部一人でやろうとしなくて良いんだよ。一昨日の特訓を思い出してみな。アストがいなくとも、まあ、なんとか回ってたろ? 昨日を…いや、いつもを思い出してみな。社長がいなくても特訓は完璧にやってみせてたさ。だろ?」
そう問われ、教官面々は一斉に肯いてみせる。元より彼女達はミミン達がダンジョン訪問等で不在の時に訓練を仕切っているのだ。その際の出来を当然ミミンは知っている。だからこそ、こうして教官役を任せ続けているのだから。
なのに今しがたの一言は――その意味で言った訳でないにしろ――信頼を揺らがせてしまう悪手。自身の焦りにかまけて酷いことを、なんとか誤解を解かなければ。そう皆を向いたミミンは。
「っ…!?」
また、ようやく気付く。囲む教官達の誰も彼もが、悪戯な微笑みを浮かべていることに。先の畳みかけはミミンを慮り、わざと煽ってみせただけに過ぎないということに。全ての瞳に満ちる信頼は一切揺らいでいないということに。
その皆の心は、まさに昨日のアルテイアと同じ慈愛。思わず瞬きを重ねるミミンの肩を、ラティッカは軽くパシパシ叩いてみせた。
「だからさ、この場はアタシ達に任せときな! アンタが信頼する部下達によ! そんでちょっと休んで、溜まってる書類を片付けとけ! ヘヘッ、良い感じに役割分担だろ?」
どうせアタシにゃ触らせてくれないんだしな。と若干の皮肉を込めつつ、秘書代行は笑って立ち上がる。そんな彼女に並ぶは、一糸乱れぬ美しき円陣描く部下の箱。
ここまでされてしまえば多勢に無勢。ふっと笑みを漏らしたミミンはまるで白旗をあげるかの如く魔法スクロールを取り出し、ラティッカへ手渡した。
「悪かったわ、皆。それじゃ任せたわよ! でも、トラブルが起きたらすぐに呼びなさいね?」
「おう! トラブんない限りは呼ばねえぞ?」
ラティッカとは手を、教官達へは箱同士を。謝罪と信頼を込めて軽やかに打ち鳴らし、ミミンは事務仕事へと舞い戻る。そんな社長を応援するように見送った後、ラティッカ達もまた特訓監督業務に戻る。
幸い、それは彼女達が普段から従事している業務であり、アスト謹製の補佐アイテムもある以上、宣言通りに恙なく行われるであろう。ただ……。
トラブルというのは往々にして、思わぬ所から立て続けに舞い込むものである。
――まず、一つ目。昼時の社員食堂にて。
「え? 素材不足?」
「っす! ちょーっと……いや割と? 色々と……。ね!?」
やはりラティッカによって連れてこられ昼食を摂っていたミミンは、そこで箱工房のドワーフ達から報告を受ける。代表ドワーフの問い返しにうんうんと頷く面々を見て、ラティッカは緊張を解いたようにハッと笑った。
「なんだよ! ならそんな雁首揃えてビビる必要ないだろ。普段は――」
「え、そんなに色々足りないの? 倉庫は確認した?」
「っす。その、在庫切れって感じで……。これが足りないやつっす」
ツッコミを遮ったミミンが渡されたメモを確認すると、確かに訴え通り。いや待て、この素材群は……。
「「あっ……! 昨日売って……!」」
ラティッカも、現在作成中の箱の素材を頭に浮かべ、気づく。それらは全て、昨日アルテイアによって買い取られた代物なのだ。だが、しかし。
「でも、使う分は確保してたはずよ? アストがそうしてくれてたはず……!」
昨日彼女達へ渡した素材目録は、社内で使う分を除外した量が記載されていた。敏腕秘書アストにそう作って貰ったはずなのだ。なのに、何故。
「それなんすけど……まずウチらが沢山使い過ぎたっつーのもあるかもなんすけどぉ……あとやっぱり今回は箱の強度的に大量に使わざるを得ないっつーのもあるんすけどぉ……」
「……大丈夫よ。しっかり受け止めるから、教えて頂戴な」
「っす……! ……多分アストちゃん、昨日届いた素材を加味してたんだと思うんすよね…」
「!」
意を決し、しかしおっかなびっくりな、それでも正鵠を得た指摘に、ミミンは思わず口を半開きにしてしまう。確かに不足素材は昨日届いた素材でもあり、定期納品故にそのような扱いが当然。つまり、此度の原因は。
「私のせい、ね……」
疑いようもなく自分のせい。届いたばかりで計量しただけの目録外のそれらを、在庫や依頼内容と照らし合わせることなく、ただアルテイア達へ良い顔をするためだけに売り払ったのはミミン本人なのだ。
「ごめんなさい。私の不手際で変に心労をかけちゃったわね」
「いやいやいやいや!!! えと、まあ、そんなこともあるっすよ! ね、ね!?」
「いやぁ、別に社長だけが悪いわけじゃないだろ! まさか全量買ってくとは思わなかったし! な!」
謝る社長に、ドワーフ達もラティッカもわたわた。慌ててフォローに入るラティッカと、それに続いてそうそうと肯いてみせるドワーフ達。それでミミンは理解した。ドワーフ達は警戒していたのではなく、気を遣ってくれていたのだと。
彼女達が所属する箱工房のトップはラティッカ。そのラティッカが普段の仕事以外に秘書代行を兼任している分、ミミンの窮状をある程度把握しているのだろう。今、下手にミミンを困らせるべきではないと。
されど素材不足となってしまった以上、箱工房の業務に支障が出る。それならば勇気をもって言い出すしかない。この集まりはそういうことである。だからこそミミンは。
「手すきの何人かで市場に行って、余裕をもって仕入れてきて頂戴。他に必要そうな物もあったらそれも。値段高くても一切構わないから。領収書忘れずにね」
「っす! はいっす! 行ってくるっす! 皆、行くっすよ!」
「頼んだぞー! ……なあ、あんま気ぃ落とすなよ? あ、おい……!?」
「んぐ、ごくん。ふぅ…大丈夫よ。そんじゃ、私は作業に戻るわね」
社長らしく指示を出し、やらかしに絞まる胸へ無理やり食事を掻きこみ、BGMの『箱から飛び出た宝物』から逃げるようにその場を去るしかなかった。
この事実がアルテイアに気づかれていたらどうなっていたか。もしアストが調整してくれてなければ損失はどれほど増えてしまっていたかに身を凍らせつつ。
――続けざまに、二つ目。それから数十分も経たぬ後。
「トラブル対処に来たわよ、ラティッカ!」
「社長!? なんで!? あっ、お前! 社長忙しいんだから呼ぶなって…!」
「だってぇ……」
社長室に戻っていたミミンは、慌てたミミックに頼まれ応援に駆り出されていた。現場に既にいたのは、同じく助力を求められたらしいラティッカ。そんな彼女の頭へと乗り、ミミンは宥める。
「良いのよ。トラブルが起きたら呼ぶって話でしょ? で、あの子達ね?」
「そうだけど、特訓で起きたことじゃ……はぁ。あぁ、見ての通りだよ」
「っこんの! あたしよりも弱い癖によく吠えるわねあんた! 弁えなさいよ!」
「は!? 誰が貴女より弱いと!? 格の違いを叩き込んであげますわ!」
そんなミミン達の視線の先。廊下の一角では、二体の上位ミミックが箱から幾多の触手をそびやかし臨戦態勢。周りの箱だかりが止めようとするも聞く耳持たず、幾体かのミミックが止めに入ろうとしたが。
「「邪魔ッ!!!」」
「「「「「キャーッ!!!?」」」」」
言い合うだけの実力はあるようで、問題児二体は滑るように箱を素早く動かし、触手やタックルで折角の仲裁箱達を弾き飛ばしたではないか。ラティッカは面目なさそうに頬を掻く。
「教官連中は午後の訓練準備のために訓練場に出てるし、アタシじゃちょっと手間取っちまってな。情けねえもんだよ」
「従業員の再教育はトップたる私の責務よ、任せなさいな! ただ……余裕もないし、強硬手段でいきましょうか!」
その言葉を聞いたラティッカは応えるように肩を揺らし、ミミンを乗せたままに進み出る。そして、問題児達へと話しかけた。
「おい、もっかい言うぞ。そこまでにしとけ」
「あーもうっ!!! ラティッカさんしつこい!」
「引っ込んでてくださいな! 怪我しても知りませんわよ!」
「その啖呵、アタシじゃなくてこっちに言ってみな」
「はあ? 髪の毛がどうし――ッ!?」
「そこに何があると――ッ!!?」
「おっと。もうアンタ達の後ろに回ってたか」
「「ッく……!」」
背にゾワッと感じた『巨大なナニカ』へ、問題児達は反射的に全触手による総攻撃をしかける。それは矢雨の如く降りかかり檻の如く相手を捕らえ――ることなぞ叶わない。
「なっ……!? ふぎゅっ!?」
「はっ……!? ぎゅむっ!?」
その全ての攻撃は、彼女達は、たった一本の触手で払われ、縛される。そしてようやく気付いた。その存在に。巨大でも何でもない、寧ろ小さめのその存在に。
「「しゃっ……社ち――」」
ただし、その名を乞うこと能わず。何故なら言い切る前に、悲鳴すら上げるより早く、背後にいた宝箱の中へ引き込まれたのだから。その瞬間、まるで別世界に連れていかれたかのように彼女達の声はブツリと途切れたのだから。
残されたのは蓋がパタンと閉じる軽い音と、野次馬のミミック達が『ひぇっ…!』と息吸い後ずさる音。そして十秒程度、ガタガタカタンと揺れる宝箱。皆の注目集まる中、それはパカッと開き。
「皆に何か言うことは?」
「「すみませんでしたぁ……もうしませんん……」」
威勢なぞ欠片も無くなった問題児達をペッと追い出しつつ現れたるは、手をパンパンと払う、ピンク髪白ワンピースの少女体ミミック。言うまでもないであろう、宝箱の正体は社長である。
「全く、あなた達は。血の気があるのも競争心があるのも結構だけど、そうやって同胞にすら喧嘩を仕掛ける子達を派遣する訳にはいかないわ」
「「うぅ……はい……」」
「わかったなら良いわ。まあ時間もないし今回は――」
「で、ですけど社長…! 仕掛けたのはこいつなんですで!」
「いえ向こうですわ! あちら食ってかかってこなければ…!」
「はぁ……。まだ戦える気力があるようで感心ね。じゃあ――特別メニューをしながら聞いてあげるわ!」
「「ヒッ!? そ、それだけは……ひゃっ!?」」
「逃がさないわよ! はい、キリキリ走る!」
未だ抵抗の意思を浮かべる彼女達を再度触手で雁字搦めにし、訓練施設へ連行しようとするミミン。が、その前にラティッカが立ちはだかった。
「待った待った! まだ書類あるんだろ? その特訓、明日とかでも……!」
「こういうのはすぐやらないといけないのよ。『鉄は熱いうちに打て』ってね」
「っ…そうかもだけどよ……。じゃあせめて教官連中に一部任せたりとか……」
「従業員再教育は私の責務、よ。大丈夫、そんな長くはかからないでしょうし、あなた達のおかげで余裕はちょっとあるわ! 寧ろ食後の眠気覚ましに丁度良いわね! じゃ、後処理任せたわよ!」
「あっ、おいまた……!」
午前中よりもマシになった、されどやはり見てとれる空元気を振りまき、ミミンはその場から走り去る。頭に巻き付く懸念を追いやるように、焦りをひた隠しにするように。
――三つ目。問題児達の特訓終了後、少ししての出来事。
「お待たせ、ラティッカ!」
「すまねえ……また呼んじまって……。でもこればっかりはアタシ達じゃ……」
「いーからいーから! 私にどんと任せないな!」
またも呼び出されたミミンが向かったのは、会社敷地の端、森と隣接するような場所。そこには特訓中だった面々や教官達によって先程の喧嘩以上の箱だかりが出来ていた。そして、その中央には。
「はいはい通して通して。よっと! 皆、
「わ…わわわ……! み…ミミン様……!」
「ほ、本物……!? 本物だぁ……!?」
「やっぱり…ここだったんだね……!」
「噂信じてよかったぁぁ……」
「頑張って来て、良かったよぉ……」
「「「「「シャウルルルゥ……!」」」」」
昨日訪問したダンジョンのエルフと同じようなキラキラ視線を、箱の隙間から向けるミミック達。しかもミミンが口にした通り、彼女達は社のメンバーではない。アイドルミミンのファンが押しかけて来たのか? それは当たらずとも遠からず。
その証拠は、彼女達の姿。箱は土や砂埃に盛大にまみれており、そもそもが傷や破損だらけの古箱ボロ箱ばかり。加えて憧れのミミンを目の前にしてもほとんど曝さぬ姿からも、やはり汚れと疲弊が伝わってくる。まるで――。
「遠路はるばる来てくれて嬉しいわ! 入社希望ね?」
「っ! は、はひっ!!! な、なんで……まだどなたにも……!?」
「ふふっ♪私の力に慄いたかしら? なんてね☆あなた達みたいな子、最近たまに来るのよ! アイドルデビューのおかげね」
昨日のエルフが語っていた通り、ダンジョン棲みの
とはいえ社としては定期的にリクルートをかけており、このような押しかけは本来門前払いでも構わない。だが……ミミックはダンジョンでしか暮らせぬ魔物であり、そんな身で長旅をしてきたとなれば。いや、そうでなくとも。
「こほんっ! ようこそ我が社へ! 歓迎するわ!」
全ての同族へ満足できる終の棲家を。その夢を叶えるためにミミンは会社を設立したのだから。断る気なぞ端から無いそれに、訪問ミミック達は歓声を、社員ミミック達はにこやかに頷くのであった。
「さ、まずはゆっくり休んで頂戴ね。ご飯食べてお風呂入って、箱工房で好きな箱持ってって。そのついでにちょっと書類に記入して貰って、疲れてなければ社内見学ね! えぇと、ちょっとあれだし、誰かに案内役を……」
早速新人達の案内をしようとするが、抱えている仕事を鑑みて人を募ろうとするミミン。だが、その裾を引いたのは。
「あ、あの……ミミン様……」
「あら。ふふっ…ここじゃ社長って呼んでくれたほうが嬉しいわ。えぇ、ずっとは無理だけど、私が案内役をしてあげる!」
当の新人達。ミミックは元来、箱に引きこもる程の内向的な性格。彼女達もご多分に漏れず、同族とはいえ初対面の者に案内されるのは怖いのだろう。その気持ちを汲んだミミンだが、苦言を呈したのはやはり。
「なあ、社長……」
「良いのよラティッカ。元から新人の案内は私の役目でしょ? アストがいない分……まあ、ちょっと響くかもだけど……なんとかなるわ! ……なんとかできなきゃ、駄目なの」
新人達を怯えさせないように小さい声で、先程よりも朝の様子に寄った空元気で黙らせるミミン。そしていざ皆を連れて行こうと……。
「あらら? どうしたの?」
「その……私達も…真っ直ぐ飛び出せますよね……?」
最後にこれだけ聞きたいとせがむような新人達に、ミミンは思わず微笑んでしまう。なにせそれは『箱から飛び出た宝物』の歌詞の一部。ならば、アイドルとして社長として輝きを返さなければ。
「勿論よ! ここでしっかり鍛えて、その思い出を宝物にすれば、必ず飛び出して――……飛び出して……」
「……? ミミン様……あ…しゃ、社長……?」
「……あっ…ごめんなさいね。えぇ、約束してあげる! 皆最高のミミックになれるわ!」
ふとよぎった『不安』を掻き消して、ミミンは煌めきのスマイルを被る。その真相に気づいたのは、秘書代行ただ一人だった。
――その案内が一段落ついた後、四つ目。その次は、五つ目。そして、六つ目。更に……。
「社長、今しがた追加のお手紙が届きました~。幾つかのダンジョンが、増員願いやオプションの調整を依頼してきてる感じですね~。どうやら勇者一行の余波で冒険者増えてるみたいで~」
「社長、市場から戻ったっす! なんすけど……何人かの商人さんがアポ欲しいって。いや素材大して無い事は伝えたんすけどね? なもんでこっち、向こうさんの都合良い日のメモっす」
「社長、あの~施設がちょっと壊れちゃいまして……。使うには問題ないんですけど、一応報告しなきゃと…あはは~…………ごめんなさい……」
「社長、お忙しい中すんません。確認してほしいことが……」
「社長――……!」
「……………………なんでよ……」
もはや溜息を吐くことすら出来ず。社長机で組んだ手を額に当て、ミミンはただ俯く。その前にはたいして処理が進まなかった書類の山が変わらず……いいや、変わっている。
先のトラブルや業務によって発生した、素材取引書類、倉庫管理書類、訓練メニュー調整メモ、派遣選抜書類、入社手続書類、修理見積書類、アポイントメント管理メモ、クライアント依頼による契約変更書類……etc。それが積み重なり、新たなる山を形成してしまったのだ。
しかも時刻は確認するまでもなく擦り減っている。なにせミミンの背中には、茜に染まった日差しが刺してきているのだから。だというのに、彼女の総身は冷えきっていた。
「…………終わる気が……しないわね……」
それは今まで口にすることを控えていた、禁断の一言。焦慮が一周し冷えた頭は突きつけてしまったのだ。これから全力を注いだとて、アストの帰社までに片付く可能性は無きに等しいという現実を。
いや、まだ望みはある。出来を度外視し、雑に済ませればまだ何とか……そこまでよぎらせたところで、ミミンはその考えを削り捨てるように額を擦りつけた。
「それだけは……それだけはやっちゃいけないでしょうよ……」
然り。その短絡手法はこの数日の全てを否定する悪手にして、自らを縊るだけの禁忌。社の将来のためにも、粗雑に扱ってはならないのだ。そう、どれもこれも、どのトラブルも業務も、無下には出来なかったのである。
ミスが発端とはいえ、不足素材の緊急買い足しはよくあること。従業員間の諍いも、これだけの人員がいれば日常茶飯事。入社申請も、比較的レアケースなだけ。顧客の依頼調整やアポイント管理や施設管理等は言わずもがなに、通常業務。
そしてその全てが、社長として対応しなければならない、社長である自分にしか解決できない、『日常』。だからこそ、それらを丁寧にこなしてみせたことに後悔は……。
……いや、後悔はある。あるにきまっている。ミスをしなければ、特訓を明日に回せば、入社案内を託していれば、依頼調整を明日に回せば、アポイントメントを拒否するように厳命しておけば。ラティッカの言うことに従い、一部を他の者に託しておけば。
「なんて、今更考えてもね……」
ハッ、とようやく息吐き、ミミンはそんな現実逃避的な思考と突きつけられた現実を払い飛ばすように頭を振る。なんにせよ、このまま絶望の縁に留まっている訳にはいかない。この時間こそが勿体ない。
「やってやるわよ、アスト。本末転倒だけど……後は託したわ」
見張る秘書机のスマート宝箱に触手を伸ばし一つ撫で、彼女は大きく息を吸う。箱より出でしは幾多の触手、アルテイア達に披露せしめた全力のスタイル。
どこまで終わらせられるかはわからない。もしかしたらほとんど進まずに大量の書類をアストに丸投げしてしまうかもしれない。けれどミミンは覚悟を決めたのだ。このまま、精魂尽き果てるまで――。
「社長。失礼するぜ」
「っ!? なに、ラティッカ……!」
その死力が放たれる寸前、差し込まれるものあり。それはノックの音と、その主であり返答を聞かずに入ってきたラティッカであった。
「用件ならすぐ言って頂戴な……!」
とうとう苛立ちを隠さず、訪問の意図を問うミミン。対してラティッカは彼女の圧に一瞬怯みつつも、間に合ったことを喜ぶように立ち向かった。
「悪い。忙しいのはわかってけど、一つ判断して欲しいんだ」
「なによ。箱工房の企画案? 特訓の変更プラン? 後で見るからそこに置いといて――」
「捨て身覚悟でやっても終わらないだろ? その書類作業」
「ッ!」
見透かしたように言い放つラティッカに、思わずミミンは睨む。そんなのわかっている。わかっているけれど、やらないわけにはいかない。そう自棄になる社長へ冷静になるよう諭すかの如く、秘書代行は続けた。
「まあズケズケ言っちまうとだ。このままじゃ、社長は弱って書類も片付かないって結末を迎えちまう。アタシとしてはそれは避けたいんだ。――じゃなきゃ、アストに顔向けできねえ」
秘書机を、その上に置かれているスマート宝箱へ目をやりながら、自分の意思を語る彼女。その瞳に宿るは自分に役目を託してくれたアストへの礼儀か、代行の職務を果たそうとする決意か。はたまた――それを薄ら感じ取りつつも何か言い返そうとするミミンを、ラティッカは掌を広げ抑えた。
「わかってる。わかってるさ。社長になんか思惑があるのは。だから一人で全部完璧にやりたがってんのは。けどよ、ドクターストップならぬアシスタントストップだ。秘書代行として、昔を知る身として、これ以上看過できねえんだよ」
有無を言わせぬ様子で先のミミンの圧に抗うかの如く立ち塞がるラティッカ。いや、それどころか押し返してきたではないか。朝の攻防とは違うゆっくりとした歩み寄りで、朝の攻防と同じルートを辿る。
「身体壊しそうで心配だし、アタシ達のやる気とかに関わるっつーのも当然あるけどよ」
勧告の理由を口にしつつ、秘書机から社長机へ。向き合えずに目を落とすミミンの前へ、取ってきたスマート宝箱をコトンと置き、優しく諫めた。
「何よりさ、こんな優しい子に見せちゃいけねえだろ。そうやって変に意地張って、ボロ箱みたいにくたびれちまってる姿なんてさ」
「ッ……!」
自身もアストの笑顔に癒される身だと豪語するかのような一言に、ミミンは目を開く。それは、見てみぬ振りをしていた未来。このままでは確実に起きうる現実。
元々アストは暇を取ることを躊躇していた。しかしミミンに無理やり押し切られ、事務仕事はほぼ手つかずで良いという約束と幾つかの手製アイテムを残して出かけていったのだ。
だが、そんな彼女が帰社してラティッカの予測通りとなった光景を…独り憔悴しきったミミンや血の滲むような残書類の山を見たら、どう思うだろうか。恐らくは、いいや間違いなく、深い悔悟に包まれるだろう。
休暇を取ってしまったという後悔、約束やアイテムが首を絞めてしまったかもという罪悪感。そしてなにより、思ってしまうだろう。ミミンの傍を離れるべきじゃなかった、と。
それは、それだけは避けなければならない。その思いで彼女を縛ってはいけない。だって彼女には、未来がある。ここで留まることを許されない将来がある。それをかなぐり捨てさせるような真似は――それが例え、仮に全てを許されるとしても――絶対に、させてはならない。そんなことは。
「じゃあ…どうしろっていうのよ……!」
されど、こうなってしまった以上はもうどうしようもない。ミミンのその唸りは、そんなやるせなさと自らへの憤懣で吹き荒れる嵐のようであった。しかし彼女と長きを共にしたドワーフは。
「だから選んでくれ。全力を尽くして、欠片も無い可能性にかけるか――」
まるで堅牢な洞窟にいるかのような沈着さで、スマート宝箱をミミンの胸へと押し付けた。
「――アストの胸に飛び込める気力を残して且つ書類全部終わらせるか、を」
「…………へ?」
ミミンは眉をひそめるしかなかった。その選択肢に、いや選択肢とも言えない夢のようなプランに。そんな方法があるのであればそれを選ぶに決まっている。自分が余力を残し、一人じゃ終わらないこの書類群を片付けるなんて――。
「あなた……ううん、あなた達、まさか!」
稲妻が走ったかの如く、顔を弾き上げるミミン。されどラティッカは仔細を明かさぬまま、ご名答というように口角を上げてもう一度問う。
「心は決まったか?」
「っ……。それは……」
最後のプライドが抗っているのだろう。ミミンは言葉を濁す。だが求めているものは明らか。旧知の間柄たるラティッカは、鮮やかにヘヘッと笑ってみせた。
「じゃ、憎まれ役は任せてもらうぜ! 秘書代行最後の仕事だ!」
彼女は手の一振りと共に踵を返し、のしのしと大股で扉へと向かって行く。そしてドアノブを捻り――号令を出した。
「っしゃ、かかれー!」
「「「「「はーい!」」」」」
「待ってましたー!」
「やっと出番ですね!」
「シュルルル!」
「じゃ、手筈通りに!」
「うちの班こっちこっち!」
「よいしょ、秘書机班スタンバイ完了!」
「シャアウ! シャシャウ!」
「チュ!」
「そっちもオッケーりょうかーい! これで各棚班、準備完了!」
「分類班、輸送班、ファイリング班、帳簿班、記録班、他も同じく!」
ラティッカに招かれどやどやと入って来たのは、上位下位入り混じる幾体ものミミック達。彼女達は幾つかのチームに分かれ、一部は机の引き出しや棚、置いてある書類箱やらへと入っていくではないか。
気づけば社長室はミミックまみれ。様々な箱は跳ねて動き、各棚からは触手がうねつき、その上を群体型の子達が軽やかに移動していく。仮に今冒険者が来襲したとて、この様を見ればトラップ部屋かモンスターハウスを疑いたちどころに退散するであろう。
そしてミミンにとっても、この光景は異常であった。茫然となる彼女へ、ラティッカは確認を取る。
「そんじゃ事務代行、始めるぜ? ――うし!」
ミミンがスマート宝箱を抱いたままにコクンと頷いたのを見て、ラティッカは開始の指示を出す。すると次の瞬間、ひとチームのミミック達が一斉に社長机へと集まってきた。
「一旦分類するので、書類全部回収させて貰いますね~!」
そう断りが入っている間に、机の上からは書類やファイルの山が消えていく。宝箱は優しく咥え、触手はくるりと掴み、群体型は散らばったものや細かなメモを背に乗せ集めて。
あっという間に綺麗になった机に向かったまま、ミミンは書類の行方を目で追う。回収されていったそれらは、秘書机の書類山と一緒に社長室中央へと。そこには更に、運んできた箱を机代わりに待機している数チームのミミック達が。
「えーと、これは精算が必要なやつ。こっちのは今日の買い足しのと」
「あ、これも帳簿班行きで。このメモは……特訓メニューか」
「それ頂戴、社長行きに入れとくよ。代わりにこっちのお願い」
「入社申請ね。受理は済んでるし記録とってファイリングかな」
「シュルルル、シャルルルル」
「確かに! そんじゃ第一弾しゅっぱーつ!」
彼女達は書類の山を鮮やかに分類し、それぞれを傍に控えているミミック達へ、その箱へと入れていく。そしてその書類を抱えたミミック達は、合図と共に各所へと輸送を開始。
「はい受領。皆、まずは時系列順か再確認するよ~」
「あ、これ申請書いるやつ! 棚班、ちょうだーい!」
「シャウア、シャウウウンア」
「おっとそうだった。こっちにも過去のファイル照会を」
「この束、記録終ーわり。保管と処分よろしく」
それを受け取った各班は、銘々に動き出す。秘書机や臨時の箱机では、生えた幾本もの触手がペンや計算機を操りだす。棚は自らの内を探ってファイルを取り、引き出しからは書類が撃ちだされる。そして。
「は~い、社長! これが特訓ので、こっちが受理が必要なやつです!」
「っあ……。ありがとう……」
ミミンの前には格段に量の減った、それこそいつもアストから渡されるのと同じぐらいの書類束が届いたではないか。運んでくれたミミックが作業へと戻る姿すらを呆けるように見送る社長の背中を、ラティッカはポンポンと叩いた。
「な? これなら終わりそうだろ? 社長はいつも通りどっしり構えて、あいつらに事務仕事を任せとけ! なにせアストの直弟子だ!」
そう。入ってきたミミック達こそが言うなれば『事務ミミック』。アストから事務仕事のいろはを学んだ身であり、実力は折り紙付き。既にコンサートダンジョンを始めとした各ダンジョンに派遣実績があるほどである。
故にアスト不在の今、事務作業を任せるにはこれ以上ないぐらいの適任役。しかもこれほどの数、願い通りアスト帰社前に全てを完遂させることも容易いはず。――なのに。
「……………………。」
何故か、ミミンの表情は強張ったまま。とはいえ正確には同じではない。希望を得た安堵の色も浮かんではいる。しかし……そのほとんどを占めるは、先程までとは違う沈鬱。
それはまるで、目の前に不安の正体をまざまざと突きつけられたかのよう。ペンをとることなくただ怯えるようにスマート宝箱を抱き続けるミミンへ、ラティッカは胸を痛めた。
「そんな浮かない顔しないでくれよ……。悪かったって、勝手なことして」
「え。う、ううん違うの! 助かったのよ! あのままじゃ絶対あなたの予想通りになっちゃったし! とっても感謝してるわ!」
慌てての釈明だが、それは心からの本音。ラティッカの強硬は絶妙なタイミングであり、すんでのところで救われたと言っても過言ではない。勿論、事務ミミック達の腕前に懸念がある訳でもない。ただ。
「ただ、ね……」
曇った表情をしていた理由は、他にある。それを明かそうとするミミンへラティッカは顔を寄せる。と、丁度その時。
「ラティッカ姐さん、社長、今いいですか?」
「ん? どした?」
「えっと、確認用に例の資料をお借りしたくて」
ミミンの方をちらりと見ながら伺いを立てるミミック。それでラティッカは察し、取り次いだ。
「社長、アストの作ってくれたやつ、貸してくれないか?」
「え。えぇ……」
その頼みを聞き、ミミンは箱の中から業務補佐アイテムを取り出し並べる。魔法スクロール、素材マスターブック、今抱いていたスマート宝箱も。だが、どうやらそれらではないらしい。
「あーと、あれだな。書類束のやつだな。ほら、最後の一つの」
「……あれ、ね」
雑に伝えたラティッカだったが、ミミンは把握した様子。だというのに何故かのろのろと箱に手を入れ、ようやくその書類束を取り出してみせた。そして、その書類から目の焦点をずらすかのようにしながら事務ミミックへと。
「はい、お願いね」
「は~い! 『引き継ぎ資料』、お借りしま~す!」
「ッ……!」
突然にミミンは息を呑む。しかし上手く呑み込めたのが幸いし、事務ミミックは気づかず作業へと戻って行く。そんな後ろ姿を、自らから離れていく書類束をまたぼんやり見つめながら、ミミンは飲み下しきれなかったそれを吐き出した。
「そうよね……。紛れもなく、引き継ぎ資料よね……」
アスト謹製補佐アイテム最後の一つ。それは魔法もギミックも何一つない、ただの書類束。それに書かれている内容は書類の作成や記録や処分の方法、資料の保管規則や場所、業務の進行順序の詳細等。つまりは手引書、マニュアルである。
幾ら諸々教育済みとはいえ、マニュアルはあって然るべき。だからこそアストは作成し、ミミンに託していったのだろう。……そう、託していったのだ。
アストは託したのである。『自分がいなくなる時のために』『皆が円滑に業務をこなせるように』。それは最早引き継ぎ資料と言っても過言ではなく、まるでこの先同じことがあっても、この先目の前の光景が常となったとしても、会社は滞りなく――。
「うっ……」
「社長……!? 大丈夫か……!?」
唐突にミミンは顔を伏せ微かにえずく。ラティッカは狼狽しミミック達も何事かと目を向けるが、それを彼女は手で抑え天井を仰ぎ、深い深い深い呼吸の後に。
「よーし! やってやりましょう! アストを驚かせてやりましょう! 皆、力を貸してもらうわよ~っ!」
「「「「「おーっ!!!!」」」」」
「っしゃ! アタシも手伝うぜ!」
一転し溌剌とする社長に、いつも通りの快活な社長に、ミミック達もラティッカも奮い立つ。だからこそ誰も見抜けなかった。とうとうミミンの瞳の奥までに、あの燻る不安が膨れ上がってきてしまったことには。
「――帳簿の記帳、帳票の確認も含めておっけー!」
「倉庫の出納記録もかんりょー!」
「請求書を始めとした取引先への提出書類、全部揃いました!」
「人員名簿の追加と証憑他諸々の保管も済んでまーす!」
「新規派遣と追加派遣の人員選抜表は受け取った。明日から調整に移る」
「特訓の方針展開表も同じくね。教官隊への周知はいつも通り任せて」
「使った資料の整理、こっちは完璧! ラティッカ姐さんの方は?」
「ちっと待てな……。えぇと、これはここに挟んでと。んで仕舞えば、うし!」
「「「「「終~わり!!!」」」」」
数刻の後、日が落ちた頃合い。灯りに煌々と照らされた社長室で、事務ミミック達や教官ミミック達、ラティッカは揃って歓声をあげる。彼女達の前には、綺麗に片付いた社長机と秘書机。
その通り、全て片付いたのである。あれだけの山脈を築いていた書類束は、帳簿や記録帳やファイル等に分かたれ今や棚の中。そして、かかった時間は。
「ねぇねぇ、アストちゃんまだ帰って来てないよね?」
「うん! まだみたい! ね、ラティッカ姐さん?」
「あぁ。あと一時間ぐらいしたらだな」
スケジュールメモを見ながら答えるラティッカ。ということは、つまり。
「「「「「目・標・達・成~ッ!!」」」」」
再度高らかに盛り上がるミミック達。アストの帰社前に全てを片付けるという目標を、彼女達は完璧に果たして見せたのだ。喜びもひとしおであろう。なれば、その目標を打ち立てたトップはそれ以上に――。
「………………。」
「「「「「……社長?」」」」」
喜ぶはずなのに。何故か当のミミンは心此処に有らず。それはまるで、目標が叶って『しまった』という思いに囚われているかのよう。見兼ねたラティッカに小突かれ、彼女はようやく正気に戻った。
「あっ、ごめんなさい…! ちょっとぼうっとしちゃって…! こほんっ。皆、手伝ってくれて有難う! さ、今日は締めにして、呑むわよ~っ!!」
「「「「「お~っ!!!」」」」」
社長の号令を受け、皆は食堂へと解散していく。今日は何を食べようか何を呑もうか考えながら、アストに代わって事務仕事を完遂できたことをキャッキャと駄弁りながら。そんな中、一部のミミックは気づく。
「あれ? 社長、行かないんです?」
何故か音頭を取ったはずのミミンが未だ席から離れないのだ。ラティッカによる抱っこを待っている訳では無い、されど自ら動く気力もないかのような彼女は、社長の表情が消えかけた顔で、苦しい言い訳を。
「……その……ちょっと確認したいことがあるから――」
「後から合流するとさ! ま、飯時にはちょいと早いしなぁ」
それを覆い隠したのは、ラティッカであった。残っていたミミック達を自らの身体で押し出し、扉の前で振り返ってみせた。
「なんなら軽く寝てても良いんだぜ? 時間になったら迎えに来てやるさ!」
なー? とミミック達へ賛同を得るラティッカ。元よりそれに反対する者なぞおらず、ミミンの不調は今や周知の事実。皆納得したように労りの言葉を残し、その場を後にしていった。
場に残されたのは、二人のみ。社長机から動けぬミミンと、扉の傍に佇むラティッカ。間に挟まる空気はまるで一秒が無限に感じるほどに、されど暖かさをもって静まりかえる。唯一響く音は、友たる彼女が扉を一旦閉じた音。
「ラティッカ……」
ミミンはその名を呼ぶ。こうして最後まで救ってくれた感謝と、何故そこまでしてくれるかの微かな疑問を含ませて。すると、彼女はフッと微笑んで。
「アタシは社長みたいに心は読めないけどよ。それでも今、アンタに時間が必要だってことぐらいはわかるさ。胸の内の何かを……アストのことを、独りで上手く呑み込むための時間がな」
「っ…!? なんで……!?」
「そりゃわかるっての。これでも最古参だぜ? ま、アタシの頭じゃわかんのはそれぐらいだし、これ以上踏み込むつもりもないけどな!」
続けざまにカカカッと笑ってみせる豪放磊落な様に、ミミンは全身の力みが溶けていくのを感じる。そんな友の姿に、ラティッカは軽やかに残した。
「アストが帰って来るまでもうちょい時間はあるし、それまでは放っておくさ。あ、アタシで良ければいつでも相談相手になるぜ?」
その依頼がすぐに来ないことを確認し、ラティッカは扉を開き外へと。ミミンは思わず立ち上がり、一言。
「ラティッカ! 有難う……!」
対しラティッカは言葉で返さず。ただ手だけを振り、扉を閉め部屋を後にした。これにて社長室に残されたのは、ミミンただ一人。椅子に、箱の中に座り戻った彼女はふぅと息つき、夜空の闇を払う天井を見つめた。
「ほんと、私は駄目な社長ね……」
それは前二日の就寝前に似た独り言ち。されど全ての解決した今、ここ数日の総決算の如き溜息であった。自身でもわかっているのだ。最初から皆を頼れば良かったなんてことは。
もうかつてとは違う。訓練だろうが事務総務だろうが、適材は育ててある。皆を活かさない手なぞない。アストもそれを前提として、尚不足している能力を補うアイテムを置いていったのであろう。
だが、ミミンはそれを無下にした。全て1人でやりたがったのだ。誰にも頼らず、アイテムの仔細すら忘れてまで。その結果はどうだ、周りに気を遣わせ迷惑をかけるという最悪な展開となってしまったではないか。
ならなぜ愚行と知りながら、そんな予想通りの結末となるとわかっていながら、ミミンは突っ走ってしまったのか。無論、理由はある。ただそれは……およそ子供じみた、他人には理解できない、されど胸を掻き乱すほどに恐ろしい『不安』で――。
「っ…!!」
ゾッと震える背筋に操られ、ミミンは首を戻す。そこに広がるは、自分以外誰もいない社長室。先程までとは違う、かつて孤軍奮闘時のようなその光景に、彼女は無意識に安堵の息を吐き。
「あ……。はぁ……結局、避けられなかったわね……」
すぐに自身の行いに気づき、何処かふっきれたような表情で机の上の資料束を手に取る。それは、あの引き継ぎ資料。軽く掲げ、文字を読まないように目を細め彼女は呟いた。
「これだけは、見たくはなかったのに……。だから忘れてたのに……。だから、皆の力を借りたくはなかったのに……。あの光景は……まだ見たくなかったのに……」
誰もいない中、全てが解放された中で、本音は一つ、また一つと漏れ出していく。誰にも明かさなかった頑固な愚行の理由。それが今、細目の中資料束の横で浮かび上がる先程の情景と合わせ、ぽつりぽつりと。
本当に本当に、子供じみている。ただこの引き継ぎ資料を見たくなかっただけだなんて。自分以外誰にもわからない理由過ぎる。事務ミミック達が社長室で活躍する光景を見たくなかっただけだなんて。
だからそのために奮闘していたなんて。避けようと必死だったなんて。愚行以外の何物でもない。しかしミミンはそうせざるを得なかったのだ。何故ならそれらこそが、『不安』の行く末。逃れられぬ――。
「『この先』のことなんて……これを使う時のことなんて……」
手にしていた資料を半ば投げ捨てるように、ミミンは机に落とす。そしてバサンと音を立て留まるそれと、囲むように並ぶ補佐アイテム達の前で、彼女はとうとう、しわくちゃな心の内を吐き出した。
「あなたが去った未来だなんて、考えたくないのよ……アストぉ……!」
そう。それこそが『不安』の正体。ここ数日ミミンを狂わせていたものの真相。実に単純で、子供じみていて、どう足掻こうと逃れようもない、この先。
お気づきだろうか。机上に並ぶアイテム群のとある性質に。スマート宝箱も魔法スクロールも素材マスターブックも引き継ぎ資料も、此度の不在用に作られた道具のはず。だというに何故か、今後も末永く使い続けられる造りをしていることに。
スケジュール管理であればラティッカと同じようにメモで済まし、彼女に任せれば良かった。魔法であれば、事前に設置しておけば良かった。素材に関しては、派遣メンバーの選出もある以上、かつてと同じように一旦持ち帰って金額設定をしても何ら問題は無かった。
だというのに。アストはこれほどまでに立派なアイテムを作って置いていったのだ。まるで、これからに備えるかのように。引き継ぎ資料のように、自分の代わりとするかのように。
それは、何故か。彼女のこの先を知っていれば考える必要もない。いや考えたくもない。……いつか、アストは必ず秘書職を辞すということなぞ。
残念ながらそれは確定している未来。アストは……魔界大公爵が一柱アスタロト家の嫡女たる彼女は、いずれ『大主計』を継いで王城へと上がる運命なのだ。この秘書業は社会経験。言ってしまえば戯れに過ぎないのである。
とはいえ昨日来訪したアルテイアの口ぶりから、その時は暫くは来ないのであろう。だがそれでも……あの敏腕秘書は、こうしてその時のために準備を始めている。去るための用意を、着実に。
「……えぇ、わかっていたわよ。渡された時から。だから耳を塞いだんだもの」
ミミンは自分を嘲笑いながら、補佐アイテム達を見つめる。アストに箱に入れられた時のことを思い返しながら。説明に聞く耳を持たなかったのは、自信満々だったからだけではない。理解してしまったのだ、その事実を。受け入れたくなかったのだ、その未来を。
だからこそアイテムの詳細を一度も確認することなく、ただ箱の内に眠らせておいたのである。努めて忘れるために。だってそれを出してしまえば、その未来が目の前に現れてしまうのだから。
そして、事務ミミック達に頼らなかったのも同じである。アストの枠が信頼できるミミック達に切り替わることを恐れたのだ。だってそれは、アストが去ってしまった未来の光景なのだから。
それを目にするぐらいならば、自分一人でこなした方が良い。かつてのデスマ―チへ舞い戻った方がはるかにマシ。いや、寧ろアストを頼らないことで、自分にはアストが必要ないと思い込ませようとしてすらいたのである。何故ならば。
「そうすれば……その時が来ても……」
不安は、不安ではなくなるのだから。彼女に頼らずとも全てを成し遂げられれば、アストがいなくなることは悲しい事ではなくなる。彼女との別れは、寂しく辛いことではなくなる――……。
「っ…………アスト…………」
そう信じたいのに、そう割り切らなければならないのに。ミミンの脳裏に浮かび上がるのは、アストの姿。愛しきあの子の笑顔。真面目で、健気で、可愛くて、お茶目で、反応が良くて、いじらしくて、いつだって慕ってくれる彼女との、いつだって楽しかった思い出の数々。
「色々やったわね、本当に……」
机につっぷし指先でスマート宝箱を突きながら、まるで宝物を一つ一つそっと取り出し磨くかのように、ミミンはかつてを思い返す。スーツを着込み、自分を優しく抱っこしてくれながら、アストはどんなことだってしてくれた。どんなダンジョンにだってついて来てくれた。
朝寝坊を優しく起こしてくれて、それでも寝ぼける自分を困った顔で限界まで待ってくれたこともあった。今日みたいな大量の書類を二人で捌ききり、達成感に包まれ思わず抱き合ったこともあった。一緒に酔って一緒に寝てくれることなんて最早毎日のこと。
その優しさについつい甘え、仕事をサボったこともあった。すると彼女は隠れた自分を丁寧に探し出し、しっかりと怒ってくれた。心を鬼としてくれたようなあの形相は、忘れることなんて出来ない。意地悪だが、また見たくて困らせちゃおうかとも考えているぐらいには。
悪魔族の身には合わない環境のダンジョンにも必ずついて来てくれた。罠がどれだけあっても、複雑な造りでも、意気揚々と同行してくれた。『社長と一緒ならどんなとこでも楽しいんです!』と豪語し、それが事実だとわかるほどに心を弾ませてくれながら。
時折現地に合った衣装に袖を通すことを勧められた際には、厭わず、寧ろ喜んで続いてくれた。貴族の身では出来ぬ新鮮な経験に胸高鳴らせるように、箱を変え潜むミミックの疑似体験を楽しむように、自分とのペアルックを喜ぶように。水着、魔女仮装、レースクイーン、もこもこ防寒着、忍者、バニーガール、更には……挙げればキリはないが、そのどれもが美しく見惚れるように可愛かった。
そんな素敵な子だったから、恥ずかしくも自分の過去や心を晒したこともあった。危険な親友の営むダンジョンへ連れて行ったこともあったし、いずれ彼女の上司となる親友の尻を叩き呑みの席に同席させたこともあった。……騙していたことを明かしもした。
ただ。そんな宝物のように輝く思い出が増えるごとに、心の燻りも、例の『不安』も増していったのだ。気づけばもう流すことが出来ぬほどに膨れ上がったそれは、アストの居ない数日の隙へ殊更に食らいつき――。
「――っ……! っふぅううううう……。はぁ……だめだめ! こんなの、仕舞っておかなきゃ!」
全身に舞い戻ってきた怖気を弾くように身体を跳ねあげ、ミミンはスマート宝箱を弄っていた指を箱の中へと戻し、折り込む。楽しい思い出は宝物。ならばたまに見返し浸るぐらいが良い付き合い方であり、しとしとと感情の雨で濡らすのはもっての外。
なにより、この宝物はまだ幾らでも増やせるのだ。なによりの宝物がもう少しで帰ってくるのだ。だというのにうじうじしていてはいけない。折角全てを受け入れ片付けてみせたのだから、胸を張って迎えなければ。
「よし! いい加減呑みにいきましょうか! 新人歓迎もあるしね」
箱の縁を両手で一つ叩き、ミミンはぴょんと跳ねる。そして机を飛び越えくるりと床へ着地してみせた。机上の補佐アイテム達に、肌身離さぬ勢いだったスマート宝箱にすら触れることなく。向けたのは、たった一瞥のみ。
それ以上振り返ることなく、彼女は真っ直ぐに扉へと向かう。スマート宝箱達をここへ置き去りにすることで、未来のことを一旦忘れるために。一心不乱に、逃げるように。
今だけは嫌なことを忘れ、酔いに任せればこの苦しさからは逃れられる。最高の宝物の帰還に甘えれば、まだ心は保つ。そう自分に言い聞かせながら、未来と隔絶するように部屋の灯りを全て落とし、ドアノブに手をかけ、開き―――――――。
『――塞ぎ込んで
「ッ――!」
瞬間、固まった。廊下から飛び込んできた音楽に。ある旋律に。まるで柔らかい臓腑を深々と突き刺されたかのように目を見開き、瞳を震わせながら金縛りの如く硬直してしまった。
最も、そのメロディ自体は実に微かなものであった。歌詞も聞き取れないほどであり、恐らくは食堂の方から流れて来たのだろうと推測できる程度。だが、疲労とストレスで過敏となったミミンにはそれで充分だった。
「こんな…ところに……いつの間に?……♪ そっと…触れたら……♪」
それだけで彼女の頭にはまるで削り浮かぶように、口からは漏れ出すように、歌詞が紡がれる。それも当然かもしれない。なにせこの『箱から飛び出た宝物』は、ミミンとアストのために作られた歌。ライブで披露するためにひたすら二人で練習した歌。籠められた想いを伝えるために――。
「……ッ」
明るい廊下へ一歩も踏み出すことも出来ぬまま、ミミンは扉を閉じてしまう。自ら隔絶したはずの暗闇に取り残されてもなお、もはやドアノブに触れる勇気も、灯りをつける勇気も、歌の続きを口ずさむ勇気も無かった。
彼女は数秒その場で佇んだ後、耳に入ってくるかもしれないメロディから逃げるように、箱をカタコト引きずるように引き返す。そして居場所を求めるように椅子によじ登り、机に突っ伏した。
「…………やめて……今は……やめて……――」
小さな呻吟の後、静寂が部屋を支配する。灯りも太陽も失い、姿を現し始めた月と星だけが照らす仄暗さは、身だけでなく全てを冷やす。ミミンはただその中で、音を切り離すように腕の檻の中に閉じこもり、ひたすらに身を凍りつかせる。
「…………………………」
それから何分経ったのだろうか。幾分か気が紛れたのだろうか。ふと、その檻がぴくりと動き、彼女は僅かに身を起こす。何も変わっていないことを確認するように恐々と。そんな小動物のように怯えたミミンを迎えたのは。
「……見ないでよ、アスト…………なんてね……」
アストならぬ、スマート宝箱。ただ変わらず机上で夜を浴びるそれは、何処か制作主たるあの子を想わせる色を放つ。その姿に誘われ心解いたように、ミミンは固まっていた指をゆっくりと伸ばし、小さな蓋をそっと撫で始めた。
「ねぇ…アスト……あなたはどう思ってるの……?」
当然、物たるスマート宝箱が答える訳がない。アラーム機能も役目を終えた以上、小さな宝箱は宝箱のまま。仄かな星灯りを受けてただ鈍く光るだけ。それでも、ミミンは構わず語りかける。
「私、知りたいの……。私のとこに来て、良かった? 私、あなたに返せているかしら……?」
アルテイアから、アストの母親からは聞いた。秘書生活を謳歌していると。ミミンのおかげで心の底から楽しめているのだと。あの語りようなら間違いないのだろう。普段のアストの様子からも本当なのかもしれない。しれないが――。
「心を読むってね……本当に正しいかなんてわからないの……」
スマート宝箱へ手を被せ膜としながら、ミミンは吐息のように呟く。それは事実である。ミミックの不意打ち隙読みスキルを応用した読心能力は、ただ探偵の如く相手の機微から推測するだけ。言ってしまえば、読心の模倣に過ぎない。
故に、都度ミミンの胸中には一抹の憂惧が残る。この読み取りは正しいのか、本当にそれが真意なのか、心の表面だけしか読めていないのではないか。それを確認する術は相手に直接問う以外になく、その解が正しいという保証も、やはり無い。
その時の気分はまさに、このスマート宝箱へ被さった手による膜のよう。自分の手中にいるのはわかる。されど外縁は触れてうっすらわかるだけで、中身に至っては見ること能わず。もどかしいことこの上ない。
とはいえども、普段はそれで問題ないのだ。引きずり出す標的は心の外縁にまで、身体の表面にまで出かかった言葉や行動。即ち相手の次の動作に対する『予防線』なのだから。……けれども、今知りたいのは。
「教えてよ……アスト……あなたがこの先、どうしたいのかを……。心の中を全部、教えてよ……」
膜の奥にある心の内側、外縁を撫ぜるだけではわからぬ本当の思い。とはいえそんなの、どうともできるものではない。例え最上位の魔法を用いようが神が権能を振るおうが、それが正しいという証明なぞ本人にしか不可能であり、本人ですら自らの心の底を見通せるかはわからないのだから。
だとしても、ミミンは知りたかった。手に取るように、自らの箱の中のように知りたかった。だってそうすれば、それができれば……折り合いをつけられるかもしれないから。未来に、この感情に、この想いに。
されど、改めて手に取ったみたスマート宝箱は黙して語らぬまま。掌の上で変わらず、弄られるままに揺れるのみ。蓋の閉じ切ったそれを見つめれば見つめるほど、制作主の心の内を隠すように冷たく硬くなっていくように感じて――。
「…………はっ…。わかってるわよ……無意味なことしてるってのは……」
暫しスマート宝箱と見つめあった後に、ミミンは長い長いひと瞬きを挟む。そう自虐気味に吐き捨てつつ開いた彼女の目からは、あの時膨れ上がってきた不安が、気合で誤魔化したはずのそれが、じわり滲みだす。
ふと、カチリという小気味いい音が響く。彼女が力ない手で意を決し、スマート宝箱を開けたのだ。あれだけ硬そうだった蓋は軽やかに開き、魔法陣に乗ったスケジュール表が飛び出してくる。
しかしミミンはそれを指先で隠すようにしながら、操作を加える。突然に開いた理由はスケジュール確認でも、リマインド機能でも飲料水生成でもない。辿り着いたのは、わかるように言ってしまえば、プレイリスト。
どこまでもアストは優秀であったのだ。アラーム機能には当然の如く、アラーム音の設定があった。アストの事前収録による音声ガイダンスもあれば、オフにすることも……曲を設定することも可能だった。ミミンはそれを機能を切る際に見つけていたのである。
そして曲を選べるということは、スマート宝箱内に音楽が登録されているということ。その予測通り、出てきたのはミミンの好む曲ばかり集めたこのプレイリスト。もはや彼女は笑うしかなかった、敏腕秘書の見事なる配慮に。
「あの子ったら……」
その暖かさに最後の一押しをして貰ったのだろう、ミミンは指をゆっくり動かし、とある曲をセレクトする。やはり搭載されている再生機能に従い、スマート宝箱は奏でだす。
それは聞き覚えのあるポップなイントロ、聞き覚えしかない二人のアイドルの歌声。忘れもしない自分達のデビュー曲。そう、『箱から飛び出た宝物』である。
「~ふん…♪ ~~ふんふ…ふん……♪」
オルゴールを置くかのようにスマート宝箱を机へと戻し、ミミンは途切れ途切れながらに鼻歌を交える。先程はその明るさ故に逃げたその曲を、朝も昼もその眩しさ故に疎ましくなったその曲を、皆にアストに顔向けできなくて暗闇へと引っ込むしかなかったこの歌を。
『――塞ぎ込んで
『こんなところにいつの間に?♪ そっと触れたら~♪』
『カタカタ♪』 『コトコト♪』
『『パッカーンッ♪』』
『あの日あの音あの香り♪ あの味あの時の手応え♪
飛び出したのは
『私を置いて何処行くの?♪ 急いで立って追いかけよう♪
『ひとつひとつに触れる度♪ 仕舞い込んでた想いが溢れ♪
『準備は良ーい?♪今の私♪ 私達は♪待ってたんだ♪ だってほら――♪』
『『キミこそが♪ 宝物♪ そのまま真っ直ぐ♪飛び出してゆっけ!!♪』』
「…………私を…置いて……。私は……。っ……」
されど、今のミミンには。いつしか鼻歌も止めてしまった彼女には。机に突っ伏したままとうとう口を結んでしまった彼女は、曲の終わりと同時に手を触手にして伸ばし、スマート宝箱を操作する。
すると次に流れ出したのも、やはり『箱から飛び出た宝物』。ただし、歌い手が違う。LBOによるカバー版。変わらぬ旋律と、三人による全く違う歌唱にミミンは目を閉じ身を預ける。
「やっぱり素敵ね……。曲も、ベルちゃん達も……」
隙間時間でのみアイドル活動を楽しむミミン達と違い、LBOはしっかりとアイドル。いや、立派なアイドル。スカウトされた引っ込み思案な人間族のベルと、コンサートダンジョンに派遣され出会った上位ミミック族のリダとオネカによる三人ユニットは、今やスターダムへと駆けあがる煌めきの存在となった。
そのため『箱から飛び出た宝物』も、人気はまさに甲乙つけがたしとはいえ、既に彼女達によるカバーの方が知名度が高い。とはいえミミンもアストもそれを喜んでいる。自分達はアイドル専業ではないし、精神的妹達が輝いているのは実に誇らしいことなのだから。
何より、姉妹ユニットとして初顔合わせの時に、このカバーを聞いた時に、虜にされてしまったのだ。自分達が出せなかった曲の魅力を引き出すような、華麗で可憐な歌声に。心にのしかかっていた重く苦しい悩みから解放され、手を取り合って高らかに飛び出していくのが見えるほどに希望と幸せに満ち溢れた姿に。
「リダ…オネカ…。あなた達はその宝物、手放さないようにしなさいよ……」
自らが鍛え上げ、アイドルへと転身を遂げたかつての部下達へ、ミミンはエールを。それは心の底からの祝福であるのと同時に、彼女達へ羨望を抱くような、自分自身へ立場を自覚させるような、そんな絞り出した声であった。
「………………」
その曲も終わり、またも社長室には静けさが満ちる。余韻に浸るような、気持ちを整理するような幾分かの時を経て、ミミンはのそりと、倒していた上体を完全に起こした。
「…………………………」
されどその面持ちは、蔓延る夜闇よりも暗く。蓋の背もたれでただ姿勢を支え、流れた髪を直すことすらせず、虚ろな目を宙に投げる様は、変えられぬ絶望に向かい合ったかのよう。
「宝…物…………私の……宝物…は…………。だって…………」
最中、漏れ出したのは聞き取れぬほどの掠れ声。されどそれは、彼女の中でガンガンと響き渡っている恐怖の滲出。このままでは、目からも、口からも。
「……ッ」
ふとミミンは姿勢を変える。机を背にするように、箱ごと向きを窓の方へ。そして目を向けぬままに伸ばした触手でスマート宝箱を操作し、ループ再生をかける。自分達の『箱から飛び出た宝物』を。果たして曲は、流れ出す。
『――塞ぎ込んで
『こんなところにいつの間に?♪ そっと触れたら~♪』
「……カタカタ……コトコト……パッカーン……♪」
先程の鼻歌よりも更にたどたどしく、ミミンは夜空を見上げ歌う。なんとか静けさを黙らせるために。これ以上の沈黙によって心が暴れ出すのを抑え込むように。LBOのように、M&Aの時のように、楽しい気持ちで心を埋め尽くすために。
「あの日…あの音……あの香り……♪ あの味……あの…時の……手応え……♪」
それが例え、今までの思い出をループさせようとも。心の黙闇にただ圧し潰されるよりかは良かった。まだ、マシだった。
「ッ……私を置いて……何処…行くの……?♪ 急いで……立って……♪」
そう、例え。
「立って……。……準備は……待って……♪ ……………飛び……出して……っ…ぅう……ひぐっ……ぐすっ…………」
未来へと飛び出す希望の歌が。
「飛び出さないで……行かないでよ……アスト……。だって私…私……あなたが大好きなのに……うぇっ……もう…もう、追いかけられないんだからぁ……っ!」
自らに突き刺さる棘の歌となったとしても。
とうとう、とうとう溢れ出してしまった。皆の前では堪えていたそれが、独りになり滲みだしてきてしまった想いが、夜空を向くことで必死に止めていた本音が、とめどなく、さめざめと。
『アストとずっと一緒に居たい』――。その本音こそが、ミミンがアルテイアに隠した欲望。即ち、掟破りな全てを壊す願い。ミミンの内に燻っていたあの不安の火種にして、葛藤の真の姿。
ミミンはアストを愛している。自らの弱い所を曝け出すほどに、彼女の頼れる人でありたいと思い彼女のために行動できるほどに。いつまでも共に居たいと思うほどに。しかしそれは、叶わぬ恋なのだ。
先も述べた通り、アストの将来は決まっている。いずれミミンの元を去り、魔王の……ミミンの親友の配下として一生を捧ぐ。それは絶対なる決定事項。
勘違いしてはいけない。寧ろ今が異端中の異端。大公爵の嫡女を社会勉強のために預かり、身辺警護すら一任されるなぞ常人なら有り得ぬ事態。生涯最大の栄誉とすべきであろう。
だから、それ以上なんて望んではならない。契約を破ってはならない。親愛なる友や、ミミックのための会社設立という自分の理想を支援してくれた恩人達との約束を反故になんてしてはならない。アストの身は、彼女達へ丁重にお返ししなければならないのだ。
それに……繰り返すようだが、社会勉強、なのである。アストの人生において、この秘書業はただのステップアップに過ぎない。彼女の本番はこれから。まさしく『真っ直ぐ飛び出していく』身。
そう、アストは『宝物』であり、自分は『過去で箱』。飛び出す手伝いこそすれ、これ以上躓かせるような真似なんて――……。
「ぐずっ……やれるもんなら…したいわよ……。あなたを躓かせて、いつまでも一緒に居たいわよ……」
拭っても尚零れ落ちる涙にまみれながら、ミミンは夜空へ暴露する。今まで幾度、邪な考えが浮かんだことか。
かつての魔王城での飲み会の時。アストの登城を早めようとする魔王へ、子供のようにゴネて破談にした。酒の席での冗談だとわかっていながら。深酔いしたように模倣して。
グリモワルス女子会の時。立派な面々を前に、つい『これだけいい子が揃っているんだから、あなたぐらい私の元にずっといてくれないかしら?』とアストに言いたかった。
アイドルスカウトの時。アストをヘッドハンティングをしようとするネルサへ、声を張り上げて反抗してしまった。誉めるためのジョークなのは明白だったのに。若い彼女へ、大人げなく。
昨日のアルテイアとの密談時。……言いたかった。『アストとずっと一緒に居たいです』と。『大主計の役を継ぐのを止めて、ずっと私を抱いていて欲しい』と。
他にも、数え切れない程。角の立たない範囲でなんとか縋り、危険な台詞は箱の中に仕舞いこんで。ただし……それ以上は出来なかった。だって、アストに嫌われるかもしれないから。アストの気持ちがわからないのだから。
だからこそアストの本当の気持ちを知りたいという、未練がましい恋人のような願いを抱いていたのだ。彼女がもし自分の欲望に頷いてくれるならば、そのために動く覚悟は出来ている。もしそうでないなら……そうでないのならば…………。
「…………そんな訳、ないでしょうが…」
わかっている。さっきも同じ結末に辿り着いただろう。アストがどう答えるかなんて百も承知。前にも聞いたのだから。バーに呼んで、問うたのだから。優しく諭されたのだから。
それに……彼女の本当の気持ちも、背に受けている。末永く使えるアイテム類、次代の秘書となりそうな部下達。それが指し示すことはただ一つ。アストの気持ちは、予定通り――。
「ッ……っぅ……うぅ……ふぅう……」
なら、この想いは全て仕舞いこみ、封じなければいけない。社長として、秘書の門出を祝わなければいけない。こちらはもう一人で…または皆で回せるから、あなたは真っ直ぐ飛び出していきなさいと背中を押してやらなければならない。
忘れるな、そのためのこの数日の努力だ。間違えるな、自分は過去で箱の存在だ。片手に持たれるのが、思い出となるのが精々なんだ。だから、だから、だから――……。
「……嫌…。嫌、嫌、嫌……! 嫌なの……! 嫌なのよ、アストぉ…っ!」
もう、限界である。ミミンは髪を振り乱し、びしょ濡れの目を掻きむしるように手で覆い、全身を震わせ叫ぶ。どんな攻撃を受けてもびくともしない自身の宝箱が軋むほどの慟哭を露わにする。……もう、堪えきれない。
「一生傍に居てよ…! ぐすっ…頼って頼られて、支えて支えられて、甘えて甘えられてをずっとさせてよ! ひぐっ……私を置いて行かないでよぉ……。飛び出さないで…えぐっ……私の箱に…ずっとずぅっと居てよぉぉ…!」
本音と共に、大粒の涙が殊更に零れだす。手はもはや涙を拭うことすら諦め、力なく垂れさがる。ミミンはただ姿通り、うわああんうわああんと少女のように泣き喚く。箱に隠れることなく、私を見つけて、私を見捨てないで、そう大切な人へ叫ぶかの如く。
とはいえやはり、黙闇よりかはマシだったのだろう。思い出に惹かれ救われ未来へと飛び出す者の歌が、置き去りにされる
それからどれほど経ったであろうか。曲が何度ループしたかわからぬ、されどそう長くない時間の後。気力を使い果たしたように自らの箱へもたれかかり、されど心収まらず小さな嗚咽を咽ばせ続けながら、ミミンはまだ背を向けていた。と。
「……!」
次の瞬間、ミミンの姿は消えた。残されたのは、社長机に向かう宝箱のみ……いや、隠す必要はないだろう。ミミンは箱の中へと身を仕舞ったのだ。
何故今更宝箱形態へとなったのか。それは、気づいたからである。何者かが社長室へと接近してくる気配に、音に。故に反射的に潜んだのだ。
ほどなくして、足音が明白になる。人数は二人。片方は大股気味の、ノシノシと歩くような歩き方。ラティッカであろう。そしてもう一人は……カツンカツンとヒールの音小気味よい、優しい歩き方。つまり。
「――え。社長、社長室に居るんですか? もしかしてまだお仕事を?」
聞こえてきたのはミミンを慮るような、待望の声。それに対し、ラティッカが返答する。
「あぁいや、やることは綺麗さっぱり終わってるさ! 多分寝てんだろ!」
まるで離れた部屋まで届かせるような、されど怪しまれないギリギリの大声と共に、足音は社長室の前まで迫る。そして、止まった。
「あ、本当ですね。灯りは消えてるけど音楽が。……起こしちゃ悪いでしょうか」
「あー……んー……。ま、様子見てからだな! さっきも言ったけど、たっぷり褒めてやれよ? 頑張ってたんだぜ、あいつ」
「はい! ラティッカさんも皆さんも有難うございました! もう…母がご迷惑を……。せめて私に連絡入れてくれればいいのに……」
「ハハッ! まあそれも凌げたんだ。アタシらだけでも……いや、まだまだ社長秘書にゃ居て貰わなきゃな!」
少しの歓談を挟み、ドアノブは捻られる。廊下の灯りに照らされ暗い室内へ顔を見せたのは、勿論。
「社長、起きてるかー? アンタの大好きなアスト、帰って来たぞー!」
「ちょっ、ラティッカさん!? ふふっ、只今戻りました、社長♪」
ラティッカと、アスト。彼女達は目を凝らし、ミミンを探そうと部屋へ足を踏み入れ――。
「アストぉ~ッ!!!」
「ひゃっ!? わわわっ!?」
ようとした次の瞬間、アスト目掛け何かが勢いよく飛び込んできたではないか。驚き振り向いたラティッカが捉えたのは、蓋の開いた宝箱が横倒しに空中突撃していく様。
しかしそれはアストを吹き飛ばすことなく、彼女の胸へと顔を埋め、ぎゅうっと抱き着く。そんな宝箱に驚きながら、優しき秘書は箱の底と、その小さな柔らかい背中を抱き返してみせた。
「随分甘えん坊さんですね。寂しかったんですか?」
「そ~りゃあ寂しかったわよお~! もっとハグして~っ!!」
びっくりさせられたことをちょっと仕返しするように悪戯っぽく問うアストへ、ミミンはうりうりと頭を擦りつけながら正直に甘える。ただしその口調は既に『いつも通り』で、悲しみの色なぞ何一つ無い。
「ふふっ、はいはい。数日開けただけですよ~?」
「寂しいものは寂しいの! ……お帰り」
「ただいまです♪ あれ? 社長、目元どうしました? なんだかちょっと赤いような……」
「あら? そう? さっきまで寝てて……あそっか、大あくびしたからかも!」
「起きたんなら丁度いい、メシ食おうぜ! もう気兼ねなく吞めるだろ?」
「えぇ! アストも夕食まだよね? 一緒に食べましょう!」
「はい! そうそう、お土産あるんですよ。デザートに皆で食べましょう!」
ラティッカの作った流れに乗り、ミミンとアストは食堂方向へと足を向ける。いつも通りの、宝箱を抱えもつスタイルで。ただし少々違う様子で。
「? 社長、どうしました? 歩きづらいですよ~?」
「良いじゃない、着くまでこのままで居させて頂戴な」
宝箱の向きは正面を向かず、アストの身体へ向いたまま。ミミン自身も、アストへ抱き着いたまま。ミミンの手の先は触手となり、そっとアストの手へと絡みつく。
それはまるで、最大限にアストとのひと時を享受しようとするかの如く。いいや、事実そうなのだろう。
結局、どれだけ泣いたところで運命は変わらない。箱から宝物が飛び出ていく未来は変えられない。なら今を楽しみ、推し、愛するしかない。集めるに相応しい思い出を作っていくしかないのだ。
それが、それだけが、自身に出来る唯一の解決法。そう割り切って、前に進むしかないのだから。ただ今日を歩まなければならないのだから。未来を考えるより今だけを考えた方が心が楽なのだから。
「……やれやれ」
そんなミミンに肩を竦め、同情や調子が戻ったことへの安堵の息を吐きながらラティッカは後に続こうとする。しかしふと気づいた。
「…ん? 曲止まってんな? 止めたのか」
扉を開くまでかかっていたはずの『箱から飛び出た宝物』が止まっていることに。ドワーフの目を凝らし暗闇を見定めてみると、スマート宝箱は閉じている。考えるまでもなく社長が止めたのだろう。曲の停止と箱の突撃を同時にやるなんて、彼女にとっては容易い。
「んん……?」
と、ラティッカは僅かに首を捻る。そのスマート宝箱に妙な輝きを見た気をしたからだ。まるで宝物のような。だがスマート宝箱にそんな装飾は無いはずだが……。
「ラティッカさーん!」
「ラティッカ~っ! 行っちゃうわよ~!」
「ん、あぁ、今行く! ま、ただの反射か」
社長室の扉を閉め、ラティッカはミミン達を追いかける。そして社長、社長秘書、秘書代行の三人は、睦まじく去っていく。
「――いや~しっかし、アストが帰るまでに間に合って良かったなぁ社長!」
「本当お疲れ様でした! かなりの量になったでしょうに、凄いです!」
「ふふん、当然よ! だってラティッカ達と、あなたが支えてくれたから! ……ちょっとミスっちゃったけどね☆」
和気藹々の声はいつしか遠くに消え、社長室には静寂が舞い戻る。しかしそれは先程までとは違う、闇も哀しみも無き閑けさ。
その只中にある補佐アイテム達もまた、暫く訪れぬ出番に眠りにつくように。ただ仄かに濡れた小さな宝箱だけが、月明りに照らされ、蓋をキラリと輝かせていた。