とある佐天の裏技遊戯(ニューゲーム) 作:RB_Broader
とある中学2年T組・
なお、見晴らしの良い丘の上にあるオープンカフェのテーブルで、ノート型端末を開きながら、初春は一人佇んでおり、その周囲には少人数の店員と、わずか数人の客がいるのみ。
彼女の事は誰も気に留めていない様子。
標高があるおかげか、空気が澄み渡り、涼しい
店内にある壁掛け時計の針は、午前9時20分頃を指していた。
「──『とある中学』……ですか」
初春は学校名が気になったのか、検索エンジンを使って中学に関する情報を調べ始める。
「生徒数2000人を超えるマンモス中学。ただし数の割に全体の能力レベルは中の下。最高レベルですら
学校のホームページを開いて概要情報を確認した後、
すると、外付けドライブのフォルダーが自動で開き、中にスプレッドシートと画像等のファイル数十個が表示される。
それらの中身は、少年が所属するクラスの出席簿や全生徒の成績、学校行事の写真等であった。
どこかからハッキングで抜き取って入手したものだろう。
いつの間に手に入れたのか、傍から見ているだけでは皆目見当も付かないが。
画像はともかくスプレッドシートを一々開くのは面倒なので、初春は自家製の高速ビューワーを起動させ、画像もシートも一緒くたにして、コマ送りのようにパカパカと切り替えながら斜め読みしていくのだった。
「う~ん……
次々と流れゆくファイルデータを眺めながらの感想を一人呟く初春だが、ここでふと手を止め、ファイルの『詳細情報』から『コメント』を表示する。……と、そこには──
合成写真。画面端(奥のほう)にいる少年の姿が、角度的に手前にいるクラスの女子生徒の瞳に反射するカメラレンズの中に反射して写っているはずなのに、不自然に見当たらない。
──との、衝撃的な内容の『画像の分析結果』が記述されていた。
しかも、少年が写っている画像全てに同様のコメントが付けられていたのだ。
「……この学校は、出席番号の並びが生年月日順ではなく氏名のアイウエオ順で男女混合ですが、件の生徒は苗字・名前ともに『わ』と『ん』で始まるため、ほぼ確実に出席番号が末尾に来る事になる……というわけですか。
(
……お粗末過ぎますね。」
と、呆れた様子で独り言つ初春だったが。
「お粗末なのは貴女も同じですわよ初春」
同僚の声がいきなり背後から飛んできたのだった。
「……あ。
「支部にも出ないで、こんな所で何を油を売ってるんですの?」
初春の背後にいたのは、同じ風紀委員の
どうやらいつまでも支部に現れない初春を探し続け、この場所まで
初春は何気ない動作でUSBメモリーを素早く抜き取り、ノート端末の画面を隠すように閉じる。
「……いつものお店(joseph's)とは違うのに、よくここが分かりましたね。」
「ここは見晴らしが良さそうですわね。その分遠くからは丸見えですので、貴女の頭のお花がよく目立ってましたわ」
「はぁ……(どこまで真に受ければいいんだろう)」
誤魔化すように話題を強引に切り替える初春に対し、白井は事も無げに適当な答えを投げ返す。
それに対し、リアクションに困っているような半信半疑の顔をする初春。に対し──
「わたくしの視力は両眼とも10.0ですの。サバンナでも生き延びる自信がありますのよ」
(……本当は
──そう、白井は軽い冗談を飛ばす事でお茶を濁してみせる。
しかし、初春は白井がどうやって自分を見付けたかよりも、たった今まで調べていた事について詮索されるかどうかのほうが重要だったので、これ以上話題を引っ張るつもりも無かった。
(そういえば出掛ける前に春上さんに行き先を伝えてあったんだっけ。そこから漏れたのかも知れませんね。もし私に『何かあった』場合、足取りが途絶えてしまえばそれだけ『助かる見込み』も無くなりますから。いつ『魔術師』──
そして、少しだけ考え込み、ほんの一瞬だけ決意めいたシリアスな顔つきとなる。
(……初春?)
その一瞬を、白井は見逃さない。
「……、」
だが、思い付いた事をそのまま口に出すのは躊躇われた。
いつも自分に頼りっぱなしの臆病でひ弱で頼りなくて危なっかしい同僚が、珍しく自分には何も言わずコソコソと単独で
とは言え、その疑問を本人に面と向かって口にしたが最後、これまでの関係というか日常が壊れてしまうのではないかと不安めいたものを感じてしまい、思わず尻込みしてしまうのだ。
だからと言って、本人には黙ったまま勝手に秘密を探るのも具合が悪い。
大して付き合いが長いわけでもないが、風紀委員として初めての
なので、友人としての『最後の一線』だけは守ろうと心に決めており、初春の部屋に空間移動で『不法侵入』して秘密を探るなんて真似は絶対にしない。
だから、白井はこの件については初春本人が自ら話し出すまでは黙っていようと思った。
行間
クロトン・エメラルド研究所の所長室の椅子に、その主が一人、手を組みながら座っていた。
例の如く、頭にゴミ缶のような被り物をしており、全身を銀色のマントと未来的な装甲で固めたような格好なので、顔も体もスッポリ覆われて見えない。
時間は既に8月15日の真夜中を回っており、研究所に所属する女生徒は全員、女子寮にて寝床に就いているはずだ。
数時間前に所長室へ駆け込んで来た女生徒の事を思い出す。
その女生徒は後輩の一人が倒れた事でえらく取り乱していたものの、所長である自分に対し直接怒りを
だが、明らかに自分に対し含む所があるような、怒りの感情が態度の端々から漏れ出ていた。
まあ当然だろうと、自身でも思う。
表向き『自分の研究の手伝い』という名目で
客観的に見ても、監督責任は所長自身が問われるものだろう。
「まあ、原石は丁重に扱わなければな。こういう事もあるさ。同じ轍は二度と踏まなければ良い。
だが、それ程罪の意識を覚えていないのか、やれやれと言った感じで溜息交じりに呟くのみ。
典型的な、生徒に対する情の薄い、教育者と言うより利己的な研究者か経営者の類なのだろう。
「──と言う訳で、君に頼む事にした。よろしく頼むよ……
『どのくれぇ時間が掛かるか、暗号を直接見ねぇ事には分からねぇが……まあ、前金も受け取った事だし、できるだけ早めに結果を出せるよう努力はするわ』
そして、所長が座る椅子の後ろの壁に巨大な『目』が生えており、そこから荒っぽい女性の声が流れてきて、所長はそいつ──クロムウェルと呼ばれる何者かと言葉を交わしていたのだった。
「ところで、今の話を聞いてもなお
『……ッ、誰に物聞いてんだ? この私が暗号の中身覗いたくれぇでブッ倒れるような
「……失礼。不躾な事を聞いた。忘れてくれ」
その会話から程無くして、ヴァーニーが使っていた作業部屋に置かれたままの寓意画が描かれたキャンバスの表面と周りを、壁や天井や床などあちこちから湧き出てきた目玉だけの『怪生物』の大群がしばらく這い回った後、それらは一匹残らずどこかへ吸い込まれるように消えて行った。
私、
新品の制服やローファーはまだ着用し慣れていないため動きづらいというのもあるが、汚したくなかったので、普段着姿にリュックを背負った格好で部屋の窓から脱出したのだ。
スマホは持っているが、音や振動が鳴らないよう完全ミュートにしてある。
なお、初春からのメールの返信は既に確認済だが、文面からは何やら怒気が滲み出ていたので、再返信するのが怖い。……それに、メールを開いた時点で、向こうはもう
とりあえず、ほとぼりが冷めるまで貝になろうと思う。
ちなみに一度、正面玄関から出て行こうとしたが、この寮はかなり特殊な構造で、正面玄関から一本道の通路が地下鉄駅まで直通となっているため、直接外へは出られないようになっている。
職員や業者が出入りする裏口はあるものの、職員用IDカードが無ければ開けられないようだ。
(業者は恐らく中から開けてもらうのだろう)
なので、生徒は裏口を使えず、正面玄関からのみ出入り可能となっている。
それに加え、真夜中は地下鉄の営業時間外のためシャッターが閉まっており、駅に入れない。
という訳で、私は正面から出るのを諦め、窓から脱出する方法を選んだ。
……そもそも何で真夜中にそんな事してるのかって?
だって、全然眠れないんだもん。
どうせ朝まで暇だし、ちょっと抜け出すくらいはイイよね?
研究所と女子寮は一つの建物の中に併設されているようだった。
地上1階と地下部分が研究所で、正面玄関は地下3階にあり、地下鉄駅と直通になっている。
裏口は地下2階だが、そこから階段で上がった先に地下駐車場があり、地上1階にある駐車場入口へと繋がっている。
研究所の警備室は地上1階、女子寮の管理人室は2階にあり、研究所の所長室は3階にある。
大食堂は3階から5階までの吹き抜けとなっており、4階から10階までが女子寮の部屋だ。
私が寝泊まりしている個室は4階にあるので、窓から地上までかなりの高さとなる。
だが、私は予めスニーカーに『
水と風の移動術式は、私の中にいた『
簡単に説明すると『低気圧による上昇気流』を人工的に生み出す事で体を浮かせる仕組みだが、考えるのと実践するのとは全く次元の違う話で、使用に際しては高度な術式制御が必要となる。
案の定、魔術師としての
要するに『廉価版』であり、体を一時的に浮かせるだけのその場しのぎでしかない。
だが、そんな程度の術式でも、この場面においては十分過ぎる働きをした。
具体的には、左足に風の
次に、左足からは風属性、右足からは水属性の術式を(テレズマを用いて)発動させ、それらが螺旋状に反時計回りになるようなイメージを持った状態で、
それを地上に着地するまでのほんの短時間だけ継続する事で、着地スピードを緩和するのだ。
なお術式を発動する際、体の左側面を前にする事や、左足(前足)を風、右足(後ろ足)を水に対応させる必要があり、難しい制御が要らない分発動するための制約が多く、小回りが利かない。
そして、この対応関係についても、四大属性と十字教の四大天使との関係が関わってくるため、疎かにできないのだ。
(風属性に対応する天使『
そして、地上に降り立った瞬間、私は自覚した。
──ここが、治安の悪い『
夜に窓を開けた際、湿った風に混じり、ごく僅かに嗅ぎ取る事のできた『澱んだ空気』が、今は周囲一帯に充満している。
今しがた脱出した女子寮の建物を見ると、1階と2階部分には窓や通気口が一つも見当たらない。
まるで、この場所の治安の悪さを象徴する澱んだ空気を拒絶するかの如く。
イーストエンド・オブ・ロンドン──ロンドン東部を占める『下町』と呼ぶのが相応しい地域。
元々はロンドン塔より東、テムズ川の北側の地域を指していたが、明確な区分は存在しない。
近年までは治安が悪く貧困層が多く住む場所だったが、再開発により様々な観光名所が誕生した事で変貌を遂げる。
とは言え、局所的に地価が上がってはいるものの、未だに治安が悪い場所も残っている。
ちなみに私が立っている場所は比較的表通りに近く、建物と建物の間隔が広めで日当たり良好のため、星明かりで照らされている間は視界が真っ暗にならないので、歩くのには不自由しない。
まあ、こういう土地なのは事前に調査済みだからね。
スマホのGPS機能で現在位置を確認しておいて正解だった。
念のため、『
もしも今の着地で目立ってしまい、その辺にいる何者かに目を付けられたとしても、その場から逃げてしまえば、撒く事など造作もないのだし。
──っと!
ひゅんっ……ガシャビシァァァァン!!
左斜め後ろの方から『下劣なニオイ』が感じられたのと同時に、中身が入った酒瓶が飛んで来たのを、反射神経と『騎馬のルーン』の速度ブースト効果により、ギリギリで避ける。
ついでに、壁に当たった瓶の破片と
左のほうをチラリと一瞥すると……『三途の川の向こう側』に住み着いてそうな顔の男がいた。
そいつの姿をコンマ1秒足らずの間視界に入れただけで、『もうたくさん』だと思った。
つまり、私の精神が
たとえそいつがどんなにボロっちい格好だろうと、どんなに人目を引くような奇抜な格好をしていようと、そんな
ただ、その場から逃げる以外の選択肢は無かった。
そいつは私のほうを魂の抜けた目で睨めつけながら、ゆっくり視線を追わせた後、唐突にわけのわからない事を叫びだす。
「
訛りのある英語だと思うが、ネイティブじゃない私にはサッパリ聞き取れない。
多分、聞き取れたとしても意味が理解できないだろうと想像は付くので、どうでもいいが。
「……
……んん?
何か『無視すんなブッ○すぞクソ○ッチ!!!』と言われた気がするが、気のせいだろう。
まあいいや。
そんな下らない事に頭のリソースを使う余裕など無いのだから。
……『魔力』のニオイがする。
酒瓶ぶん投げ男の視界から消えてから、ほんの数秒走ったくらいの距離。
クロトン・エメラルド研究所と女子寮の建物が見えなくなった辺りの『裏通り』。
……誰かに見られているな。さっきの酒瓶男ではない何者か。
…………。
これ以上は危険か。引き返して、早いところ寮に戻ろう。
そう考え、踵を返した瞬間──
「
──私の背後の暗闇から、小太りの男が甲高い奇声を上げながら、飛び掛かってきた。
グシャリ。
「……へゔぉぉ!?」
おおよその位置は分かってたので、勘で狙いを付け、肘鉄を喰らわせた。
「オボボボボボ!!!」
どうやら、鼻っ柱に当たった模様。男は鼻を押さえ蹲る。
暗闇でよく見えないが、鼻からポタポタと何か黒い液体が垂れているのが微かに見える。
鼻血が出ているのだろう。
夜目に慣れてきたのか、徐々に男の姿がクッキリと見えてきた。
緑色の半袖の上着と、緑色のズボン。頭には赤い羽根を刺した緑色のトンガリ帽子。
髪はおそらく茶髪かブロンドだが、ボサボサで手入れがなっていない。モップかよ。
……全体的に、あの『有名なキャラクター』のコスプレっぽいな。
魔力が感じられたから本場の魔術師かと思ったが、ただの変質者だったか。
「……
「
まだ何かグチャグチャ言ってるようなので、ピシャリと言い返してやった。
さっきまでの大胆な動きとは裏腹に、今のコイツからは威圧感が全く感じられない。
か弱く見える私から肘鉄を喰らった事で、勝てないと思ったのか、すっかり小さく萎んでいた。
……何だコイツ、自分より弱い者にしか手出しできないのかよ。チキンだな。
私はそのまま
……何か、元いた場所と風景が違うような……というか建物こんなに高かったっけ……?
……ん? 何だか視界が……?
その時、私の背後に巨大な気配を感じ、思わず振り向くと──
「……
──先程よりも
……! そうか、あたしとした事が迂闊だった。……
『神隠し』で気配を消しているあたしをずっとマークし続けてたのが何よりの証拠。
そして、既に
即座にコイツの間合いから離れ、安全な距離を取る。
だが、
相対的に頭が大きくなったのもあるけど、胸とお尻の周りがスッキリしてるんだ。
体を見下ろすと、胸の辺りがペッタンコになってて、お腹から足の爪先まで視界良好だった。
そして、細くて小さな子供の両足が地面を踏みしめ、同じ様に細くて小さな子供の両手が視界の両端からそれぞれ伸びているのが、全体的にやや大きめに見える。
……あたし、『子供に戻ってる』んだ。
服やスニーカーはブカブカになっていないので、身に付けている物にも影響を及ぼすのだろう。
──だが、頭はクリアに冴え渡っている。精神は
振り返ると、だらしがない体型とは裏腹に、妙に俊敏な動きで追い掛けてくる男が見えた。
追加で
……なら問題無い。あたしを
受けて立つべく真正面から見据えてやる。
そんな感じで目の前の状況を冷静にリアルタイム分析する私の
まあ、この程度じゃお話にならないと言う事で──
「──
私は両足に括り付けてあった紙コップとペーパーナイフを外して、紙コップを右手に、ペーパーナイフを左手に持った状態で、
……ゴバァッッッ!!!
紙コップから勢い良く噴き出した『強炭酸水』が○ーター○ン野郎を直撃し、全身をズブ濡れに変えるとともに、後ろへ押し倒した。
スリップして転んだ拍子に頭と全身を強く打ったのか、ヘタレ男は白目を剥いて気絶している。
炭酸飲料の中に錆びた十円玉を入れると表面が溶けてピカピカになるのは有名な話だろう。
その原理を応用し、『水の中の風』の属性魔術で生み出した酸性の炭酸水をかける事で、相手を物理的に倒すだけではなく、身に付けている服の生地を変質させ、
……なぜ種が分かったかって?
コイツはあたしに肘鉄喰らった後、鼻血を出して両手で押さえていたけど、その後、血で汚れた顔や両手をハンカチやティッシュまたは服で拭う事をせず、そのまま乾くのを待っていた。
(仮にポケットの中にハンカチやティッシュを忍ばせてたとしても、取り出す際にポケットの周りが血で汚れるから同じ事だろう。それに清潔感の無さを見るに、持っているとも思えないし)
冠婚葬祭に着て行くような絶対に汚しちゃいけないフォーマルな衣装でもない限り、血の汚れを一々気にするのは、身に付けている物に
そして、最も原始的な魔術儀式は何かと言えば、『手で触れる』事。
コイツの魔術は、対象が
格好は一見、『大人になれない○ーター○ン』を模したものだが、髪の毛や肌の色を含む全身の大まかな配色および服の生地や装飾品の細かな色合いが属性の色に対応し、一種の魔法陣の役目を果たしていた様子。
それに加え──
子供を狙う……人攫い……『
いや……『
となると、発動条件が『相手に触れるだけ』ってのは、ちょっとしっくり来ないかも。
『呪いのブードゥー人形』を使った呪術とするなら、術者自身が相手からダメージを受けるか、逆にダメージを与えるかのいずれかが発動条件としては妥当なセンだろう。
相手を子供に見立てた上、現実にも子供に変えてしまうのは、『○ーター○ン』の物語の位相を差し込んだ結果と思われる。
つまり、『意味的』または『概念的』に時間を逆行させ、大人を子供に置き換えると言う事。
加えて、どんな子供になるかは発動対象の子供時代に依存するので、あたしの場合、学園都市に来る前の地元にいた頃の小学5年生くらいの姿となった。
よって、まだ
その読みを信じ、思い切って『魔力を使った魔術』をぶっ放したのが勝因か。
一通り考察し終えた後、ふと気付けば既に、私の体は元の中学生に戻っていた。
周囲のニオイを探ると、酒瓶男は物陰に隠れているようだが、出てくる気配は無い。
私の盛大な魔術に驚いて、酔いが醒めたか、腰でも抜かしたのだろう。
気を取り直し、女子寮の外壁を登って行く。
スニーカーに刻んだ『騎馬のルーン』のおかげで脚力が上がったため、思いの外、難なく部屋の窓まで辿り着き、無事帰る事ができた。
スマホで時間を確認すると、起きてからまだ1時間も経っていない模様。
だが、色々あったせいで体中ホコリまみれ汗まみれなので、シャワーを浴びて寝るとしよう。
朝は普通に起きなきゃ怒られるだろうし、
行間
研究所の裏口がある地下駐車場の入口から、一人の女が出てくる。
ライオンの
漆黒の生地が白いフリルで縁取られ、所々ささくれ立っているゴシック・ロリータ風の衣装。
右手にチョークの形をしたオイルパステルを持ち、芸術家然とした雰囲気を身に纏っている。
年代は20代後半くらいか。
その女が建物の周囲を歩いていると、道の真ん中で仰向けに伸びている小太り男が目に付いた。
「……おや。これは珍しい事もあるもんだ」
女は、白目を剥いて気絶している
「黄金系魔術結社『
そう呟いた後、近くの壁にオイルパステルで“Golem Ellis”と走り書きをする。
すると程無く、地面から『巨大な岩石の手』が生え、『下手人』の体を包み込んだ後、そのまま地面の中へと引きずり込んでしまう。
──この女もまた、魔術師なのだ。
イギリス清教第零聖堂区『
土属性のゴーレム使いにして、『暗号解読の専門家』である。
学園都市第十七学区・特別拘置所にて。
時刻は8月15日午前9時30分。
称呼番号0716:仮称・少年
面会担当者は警備員第73活動支部所属・
特別拘置所の職員に案内され、面会室へ通された黄泉川が見たものは──どこにでもいるような『少女』の姿である。
黄泉川は言葉に詰まった。
前もって警備員付属病院の医師から聞いた話だが、
なお、犯人と思われる連中は未だに捕まっていないどころか、誰がやったかも判明していない。
一応、疑わしき連中は何名か確保してあるらしいが、未だに決定的な証拠は見付かっていない。
「……はじめまして。黄泉川だ。よろしく」
恐る恐る、声を掛ける。すると──
「はじめまして。『僕』は……『
──『少年』は、
(……!?)
この時、黄泉川は強烈な違和感を覚えた。そして、それは恐らく
その後、事件に関するいくつかの質問をしてみたが、返ってきた答えはどれも予め読んでおいた調書の内容と完全に一致した。そう……一字一句違わないレベルで。
(まるで
面会制限時間まではまだ半分程残っていたが、もう何を聞いても型通りの答えしか返って来ないと分かっているため、黄泉川のほうは既にお手上げというか、打つ手なしだった。
「……お前、
ここで、何の前置きも無く、唐突に
言ってしまった後でハッとなり、言われた『少年』のほうはしばしの間、質問の意味が分からず固まっていたが。
「……え? な……なに、言ってるんですか……?? ぼ、『僕』は『分紋羽割六』です……そうですよ……そうに決まってるじゃないですか。……そう、『僕』は『分紋羽割六』なんだ……誰が何と言おうと、『ぼく』は『わんもんば・わんろく』なんだ……」
突拍子もなく現実的ですらなく
こうなるともう、『少年』は自分の殻に閉じ籠もり、いくら話し掛けても会話にならなかった。
そうこうしているうちに制限時間の30分を過ぎたため、黄泉川はしぶしぶ面会を切り上げざるを得なかった。
特別拘置所を後にした黄泉川を待っていたのは、後輩の
「何か収穫ありました? 先輩」
「いや、何もなかった…………いや、
後輩の何気ない質問に対し、黄泉川はそう意味深な答えを返すのだった。
行間
夏休みだからと遅起きした挙げ句、お昼近くにもなるトンデモない時間に朝食を摂り始めたものだから、常盤台中学女子寮付きのメイド見習い・
最早、
「こんな時間に朝飯とは、いい御身分だなー御坂ー」
「……いいじゃない。今日はやる事無くて暇なのよ」
メイド見習いの土御門にやんわり窘められても、このように居直る始末。
「……白井達はどうしたのだ?」
「黒子と初春さん達は風紀委員の夏季公募に駆り出されてるわ。……あ、それと最近あった弁護士誘拐事件についても調べてるみたい。佐天さんは昨晩から急にイギリス留学でロンドンまで飛んで行っちゃったらしいし」
「その程度で暇を持て余すとは、随分淋しい青春だな。しかも海外でのデモンストレーション旅行とやらの経験があるにも関わらず、友達の海外留学の話に噛ませてすら貰えないとは、先輩としてもう少し頼られたほうがいいと思うぞー」
「余計なお世話よ」
「……何でもいいから早く食べてしまえー。でないといつまで経っても片付かんではないかー」
「えー? ご飯くらいゆっくり食べさせてよー」
「お前本当にやる事は無いのかー? 例えばロンドンの友達に電話かメールで相談に乗るとか」
「……まだイギリスは夜中よ。こっちは11時過ぎだから……
「へー。イギリスはサマータイム導入してるのかー」
「それくらい常識でしょ。1916年5月から導入されてるわ。たしか、3月最終日曜日1時から10月最終日曜日1時までの間。今は8月だから夏時間で
「お前物知りだなー。もっと自慢してもいいんだぞー。でないと誰も頼ってくれないからなー」
「これくらい普通よ。……でもまあ、頼られるってのは悪くないかもね。とりあえず後で佐天さんにメールでも送ろうかしら」
風紀委員第177支部では、ようやく夏季公募面接の午前の部が終わったところである。
時刻は既に正午を30分程オーバーしていた。
「はひー」
「……おつかれですの、初春」
「白井さんもおつかれさまですー」
面接官の白井と記録係を務めていた初春は、大量の応募者を捌いた疲れで、既にダレていた。
「それにしても、凄い人数でしたねー。いつもこんな感じなんですか?」
「今回は例外ですのよ」
「……え??」
「貴女は初めてでしたわね。……知っての通り、風紀委員は幾多もの試験と書類提出を経なければ採用されない狭き門な上、見返りを求めない無償の奉仕活動。夢や憧れだけでは続きませんの」
「白井さんが言うと説得力がありますね」
「……褒めても何もでませんのよ」
「半分は馬鹿にしてますけど」
「……笑顔で言う事じゃありませんの。とにかく、『風紀委員としてこうありたい』という信念の無い者にとっては、わざわざ自分から火中の栗を拾いに行くのと同じ事ですから、例年は応募者が少ないんですのよ」
「じゃあ、今年は何でこんなに多いんですかね?」
「初春……貴女、分かって聞いてるんですのよね?」
「……はい」
そう言うと、初春はノート端末を広げ、動画サイトの画面を開いて見せる。
動画のタイトルは『学園都市の平和を守る超能力学生集団・風紀委員(ジャッジメント)』。
投稿者は最近(8月13日20時頃)登録された匿名アカウントで、投稿日は8月14日0時ちょうどとなっている。
そしてそこには、昔の8ミリフィルムで撮影したような、正方形に近いアスペクト比の古ぼけた映像が流れていた。
「随分ピンぼけした映像ですわね……下手ですの?」
「これって古式ゆかしき『アナログフィルム』というヤツですよ。撮影者はビデオマニアですね」
「アナログって……いつの時代の人ですの?」
「白井さん……相変わらず、ツッコミどころが分かりません」
そんな感じでグチグチと文句を付けながらも、初春と白井は映像を食い入るように眺める。
実のところ、初春と白井は二人とも、この動画を見るのは初めてだ。
にも関わらず存在を知っていたのは、面接で志願者達の多くが志望動機の中で、キッカケとしてこの動画を挙げたからに過ぎない。
「内容は……
「……こんな内容……いつの間に、一体誰が撮ったんですの??」
落ち着いた態度で動画内容を淡々と説明する初春とは対照的に、白井は顔を青ざめさせていく。
「全体的に発色は良いので、映画向けのフィルム……『スーパー8』あたりを使ってそうですね。映像方式は……日米のNTSC方式とは若干フレームレートと解像度が違いますね。PALでしょうか」
「……スーパー・エイト??」
「アメリカのコダック社製のビデオフィルムですよ。PALはヨーロッパで使われてる方式です」
「……貴女も十分ビデオマニアですわよ」
「ほっといてください」
動画の再生数は既に10万を超え、評価は“Good”が1万を超えていた(“Bad”は1000くらい)。
「誰が、何の目的で流したのか、気になりますね。ただのファンと言うには大掛かり過ぎますし」
「許可も取らず、無断で『盗撮』した映像を流すなんて、再生数稼ぎの愉快犯に決まってますわ」
「無断で盗聴・盗撮・覗き見する御坂さんのファンならここに居ますけど」
「佐天さんのスマホにGPS埋め込んでる貴女が言えまして? それはお互い様と言うものですの」
「人聞きの悪い事言わないでください。あと本人には内緒ですよ」
「貴女もですわよ」
そんな風に駄弁ってる二人を見兼ね、後ろから
「あなた達、お昼はもう済ませたの? 早くしないと午後の部が始まっちゃうわよ」
と注意した後。
「……あら、この動画知ってるわよ。一体どこの誰が撮ったのかしら。映像は粗いけど、要所要所のシーンがカッコよく撮れているし、全体の構成もバッチリだわ。よっぽど風紀委員に憧れてるのかしらねぇ」
と、映像に見とれ始め、ミイラ取りがミイラになってしまう。
そんな先輩をスルーし、初春と白井はさっさと買い置きのコンビニ弁当を食べ始めるのだった。
イギリス・ロンドン。
8月15日午前7時──クロトン・エメラルド女子寮の一室にて。
佐天はベッドの上でグッスリと心地良い眠りの中にいた。
「うーん……もうめくれないよー……ういはるー」
そんな彼女が寝そべっているベッドから少し離れた場所にある、机の上の充電器の上に置かれたスマホは、
もちろん、その事に眠っている彼女が気付くはずもない。
(スマホの着信音と振動は、夜中に出歩く際に切っておいたが、寝る前にオンにし忘れたのだ)
「あれー? 佐天さん、まーだ寝てるのかー。やっぱ夏休みだからか。でもイギリス留学した次の朝から寝坊なんて、なーんか佐天さんもごく普通のグータラな所あるのねー。
その頃、学園都市の常盤台中学女子寮の一室で、御坂美琴が携帯電話を片手にボヤいていた。
どうやら、佐天に電話を掛けたものの、通じなかったらしい。
仕方無いので、メールを打って送信した後、いつものコンビニへ立ち読みに行くのだった。
それから20分後、御坂はコンビニで漫画雑誌が先週の合併号だった事に気付き、愕然とする。
さらに20分後、深夜に起きたせいか、佐天はグッスリ眠ったまま一向に起きる気配が無いため、部屋まで様子を見に来たヴァーニーにドアをドンドンと叩かれ、無理やり起こされる羽目になる。
一通りやる事を終えた黄泉川は、僅か数時間の仮眠を摂った後、オヤツの時間に遅い昼食代わりの軽食を食べてすぐに巡回に出る。
そして、公園近くに路上駐車されていた車の後部座席に赤ん坊が密室状態で放置されているのを見咎め、車のドアを無理やり抉じ開けてでもすぐに助けるべきかと思案していた所に、
その少女は黄泉川の
だが突然、少女は体から微弱な電流を発し、車のパワーウインドウを操作して開けてしまう。
思わぬ助けに対し、黄泉川はお礼を述べるが、顔も能力も知人とそっくりな
「……一体何だったんじゃん」
怪訝に思うも、まずは赤ん坊の救出が先決だと思い、窓から両腕を突っ込み、車内にいる赤ん坊を抱き上げた後、警備員の活動支部に連絡し、車の持ち主を特定したり、赤ん坊を保護する作業に取り掛かるのだった。
放置された赤ん坊の一件が片付いた後、黄泉川は助けてくれた知人そっくりの少女を思い出し、ふと気付く。
(そっくり……能力が似ている……ん? 待つじゃん?)
ある考えに至った黄泉川は、警備員の捜査情報と併せて、書庫の情報を洗い直す。
すると……
(名前は……『
「手掛かりを……見付けたじゃん」
解説1:
イーストエンドの浮浪者(酒瓶男)が使っていたコックニー(Cockney)訛りについて:
イギリスの労働者階級の間で話される英語の一種。
事実上の標準語である『容認発音』とは所々発音が異なり、独特の言い回しをする。
“day”(日)を『デイ』ではなく『ダイ』と発音。
“now”(今)を『ナウ』ではなく『ネァ』と発音。
単語中の“h”を発音しない。
“th”を“f”(無声音の場合)または“v”(有声音の場合)と発音。
“r”を“w”と発音する事がある。
母音に挟まれたり、後ろに“l”が続く、強勢の無い“t”は声門破裂音(『ッ』)に変わる。
“my”の代わりに“me”を使用。
“am not”、“are not”、“is not”、“have not”、“has not”の短縮形として“ain't”を使用。
言い回しについても、いくつかの単語を韻を踏んだ別の単語に言い換えたりする。
“look”(見る事)→“Butcher's hook”(肉屋のフック)→“Butchers”(肉屋)
“money”(お金)→“bread and honey”(パンと蜂蜜)→“Bread”(パン)
“fiver”(5ポンド)→“Lady Godiva”(ゴダイヴァ夫人)
“b**ch”(悪女)→“Abercrombie and Fitch”(アバクロンビー&フィッチ(ファッションブランド名))→“Abercrombie”(アバクロンビー)
酒瓶男のセリフの意味:
「こっちを見ろ! 金よこせ! 5ポンドよこせ!」
(Take a look at me now! Give me money! Give me fiver(£5)!)
「おい、無視するな!! 死ねクソ女!!!」
(Hey, stop ignoring me!! F*ck you, b**ch!!!)
解説2:
佐天のロンドンと学園都市との時差に関する認識の間違いについて:
グリニッジ標準時(GMT)と世界標準時(UTC)との時差はゼロ。
日本標準時(JST)はグリニッジ標準時=世界標準時より9時間進んでいる。
佐天はロンドン到着時の自分のスマホのタイムゾーンがグリニッジ標準時だと思っている。
だが、実際には英国夏時間(BST)のため、グリニッジ標準時より1時間進んでいる。
つまり、佐天がいるロンドンと学園都市との実際の時差は8時間。
英国夏時間の8月14日21時30分過ぎ、佐天は初春に電話を掛け、メールを送った。
『時差が9時間』のため、日本では既に8月15日朝6時30分を過ぎていると思っていたが、実際は『時差が8時間』なので、日本ではまだ朝5時30分過ぎ。
その時間に初春が起きてるわけはなく、電話には出ず、メールも後で起きるまで気付かない。
そして6時40分過ぎにようやく初春が目覚め、電話を掛けメールを送るも、既に佐天は夢の中。
もし佐天がロンドンと日本の実際の時差に気付いていたなら、後1時間程寝るのを遅らせれば、初春と直接電話で話せたかも知れない。
勘違いによる行き違いその1。
次に、佐天が夜中(0時過ぎ)に目覚めた時、日本は朝の9時過ぎで、初春は風紀委員活動のため忙しくなっていると思いメールの返信を見送ったが、実際は朝の8時過ぎで風紀委員活動が始まる前だったので、返信するチャンスはあったし、何なら電話で直接話す事もできた。
勘違いによる行き違いその2。