28、強敵
狐を宥めて武道場に残し、師匠、いや爺さんと二人で修行場まで出てきた。
良く晴れて風もない、時間は午後を少し過ぎた頃。毎朝雪かきしている修行場は天井が高く、小春日和の陽射しが入って気温は低いがとても明るい。
更に入り口迄出ると、前に有るのは雪に覆われた狭い谷と、なだらかな斜面を埋める森。後は、目立たないように岩を切り開いた拠点への道だけだ。
岩山を抉る谷は、修行場を掘った辺りで大きく曲がっていて、下に降りなければ上からは修行場は見つけられない。
どうやら相手は遠く山あいの谷底を辿り、まっすぐ此方に向かって登って来ているらしい。
かなり興奮しているのか、時折獣のような叫び声と破壊音が響き、遠くの梢が倒れるのが見える。
「・・・元気だな」
冷静なハンタータイプだと面倒だと思っていたので、あからさまな脳筋ぶりに、ちょっとホッコリして言葉が漏れた。
爺さんが驚いて此方を見る。
心なしか顔も青いし、寒いのに冷や汗もかいている。禍々しいオーラに、ちょっと当てられたか?
「あー、体調が悪いなら中で待っててもいいけど」
「・・・・ふん」
私の落ち着きっぷりを見て馬鹿馬鹿しくなったのか、一つため息をつき、爺さんに何時ものふてぶてしさが戻った。
意図して≪天眼≫を発動させ、予知によって敵の姿と戦闘スタイルを確認する。
戦闘中は瞬間的にイメージだけ伝えて来るが、余裕があれば先に見ておく事も可能だ。
予知の効果が及ぶのは今のところ数分先まで。確実性が低い細かい事象は映像がボヤけて見えないが、変動しない断片なら見通す事が出来る。
勿論その間『
「・・・なんだこいつ」
≪天眼≫の視界には、妙なものが映っていた。
「なあ・・・じん・・・いや、犬か狼を使う『才』(念)持ちのハンターって、聞いたことある?」
正体を探るため、業界に詳しそうな爺さんにヒントをもらう。
「・・・ギースって名のヤツならいくらか噂を聞いた、魔物みたいなでかい狼とトラップを使う能力使いだって話だ」
「評判は?」
「最低だな、獲物は稀少な生き物専門で、依頼があれば人が飼ってるペットだろうが、どっかの部族の守り神だろうがお構いなし、証拠は残さないが、かなり殺しもやってるだろう・・・使うのは『才』じゃなくて『業』の方だ・・・しかし、あそこまで化物じみたヤツじゃ無かったはずだが・・・」
段々と近づいてくる不快なオーラに、爺さんもちょっと引き気味だ。
「・・・なるほど」
状況と爺さんの話から、相手の正体に漠然と当たりをつける。思い込みは危険なので、予測はフワッとしたものだ。
後は、対峙すれば自ずと解る事である。
「・・・爺さん」
「何だ」
「結構強そうだし良い機会だから、あいつを円掌拳修行の最後の試練って事にしよう」
ちょっとワクワクしている私を、爺さんはコイツ正気か?みたいな目で見た。
オーラの少ない爺さんでは、能力者としてのパワーや耐久力に差が在りすぎて、正直戦いにも成らないだろうから仕方がない。
「・・・やれるなら、やってみろ」
呆れた様子で小さく首を振り、何か諦めたように認めた。
とりあえず、爺さんを戦いに参加させないための建前が成ったので、いよいよ近づく相手に合わせて前に出る。
張りつめた緊張感の中、
やがて斜面の森から音もなくするりと出てきたのは、見たままを言えば、身長三メートル程の直立した狼。
まごうことなき『獣人』だった。
(いや、オマエ出る作品間違ってないか。)
纏っているのは『死者の念』だ。
気配でそうじゃないかと思っていたが、直接目で見て確信した。
以前、墓の下で目覚めた時に口の中にあった小さな黒い卵とよく似た闇深いオーラを感じる。
印象は黒。他の感情が塗り潰されたような濃密な黒いオーラ。人の身体に狼の頭、長く延びた鋭い爪と白い牙。
割と全体のバランスはとれている。
やや前傾姿勢の身体は鎧のような灰色の剛毛に覆われ、ゴリラのように筋肉質で発達した上半身と長く太い手足。
無感動で虚ろな瞳に、息を荒げた涎まみれな開きっぱなしの口が、内なる狂気と執着を強烈に訴えてくる。
今にも飛び掛かって来そうなものだが、私の事を警戒し、間をとって目を細めた。
ただの馬鹿な獣の有り様ではない。
死者の念にしても、何か違和感が有る。
「最初のうち、ちょっとどんなもんか攻撃を受けてみるから慌てないように」
「なっ!・・・」
爺さんが何か言っていたが、気にしてる余裕は無いから後回し。
今までの相手は、此方がオーラを纏えば攻撃されても命に関わることの無い軽いヤツばかりだった。
危険は有っても其れは、ただの
最初の死にかけの不揃いな姿から、手に出来る力を死に物狂いで求め続けて来た。
それを練り上げ、鍛え上げ、例え最強と出会っても命が護れるように、それだけを考えてきた。
不思議な偶然から、早々に武術を修める事にも成功し、墓の下で立てた強化目標は其の大方を終えた。
そして今、私は事実上初めて敵と呼べる相手を見つけ、遂に
これまでに培ったあれやこれやで、不思議なほど恐怖や忌避感は無く、沸き立つような期待感だけが増してくる。乾いた心の何処かで何故か其れをとても可笑しく感じてしまう。
ニヤけそうになる口許を引き締め、長く息を吐いて逸る心をわずかに静める。
急がず、なるべく自然な動きを心懸けながら獣人にゆっくりと近づいてゆく。
熱い期待で身体がブルブル震えそうになる。
(なるほど、これが武者震いというヤツか。)
ぎゅっと握った手にちらりと目をやった瞬間に、十五メートルもあった間合いを一瞬で詰め、『獣人』が右手を振り切った。
数瞬前に≪天眼≫の予知で攻撃は分かっていたが避けきれず、なんとか防御した左腕ごと殴り飛ばされ、勢いで斜面の樹木を何本かへし折り、雪溜りにバウンドして一本の大木に逆さに叩きつけられた。
振動で落ちた雪が舞う。
≪観測≫と≪把握≫で確かめたが相手は動いておらず、追撃は無い。
「・・・裏拳一発。様子見か?案外慎重なんだな」
二メートル程の高さから何事もなく≪甲殻≫で雪の斜面上に立って見せるが、“廻“式“流“でオーラを纏っていた筈の左腕が折られている。
此方の人並み外れた剛力が、オーラ込みでも全く通じない。
信じがたいほどの基礎能力だ。
「・・・押され気味でも飛び出さないように、爺さんに言い含めておいて良かった」
自傷以外で物理的に損傷を受けたのは、これが初めてになる。
驚くよりも感心している間に≪再生≫が発動し、骨が正しい位置に戻り接合され損傷が無くなって痛みも消えて行く。
念獣達の能力も、武術修行を始めた秋口に比べると、又格段に伸びた。
発動までに時が掛かる二次権能に関しては、今更焦っても無駄なので期待しないでおく。
思った通り、相当強いな。
速すぎて、攻撃が全く見えない。
身体に着いた雪を払い、何事もない
力に差があっても、怯えは無い。
十メートルを楽に越える踏み込みで『獣人』の姿がいきなり眼前に現れ、再びの迫撃。
私の倍を超える三メートルの長身とリーチ、異常な迄の瞬発力のせいで間合いが長い。
刹那の交錯。
知覚することも出来ない叩きつけるような豪腕の打ち下ろしを、≪天眼≫の予測を頼りに捌いてかわし、間に合わない体捌きを≪添加≫も用いて補い、相手の運動に干渉する。
今度は『獣人』が空高く舞い上がる。
「『落葉』転じて『風花』」
相手の体重は三百キロ近いだろうが、パワーがある分よく飛ぶ。
『獣人』は、空中で体勢を立て直し、谷の岩場へと降り立った。
さて、仕切り直しだ。互いにダメージはなく、簡単な相手ではないと解りあっている。
ふと気がつくと
ちょっと離れた谷の上に、巨大な狼が一見リラックスして戦いを鑑賞している。
森の奥には派手な青い首に喉の赤い肉垂、褐色の大きな兜のような
谷の上流側には、大蛇が小蛇に見えるようなモンスター級巨大蛇。
いつもの連中だ。巨狼以外は姿を見せず気配だけだが、戦いの趨勢を気にしているのは間違いない。
「巨大生物が団体でお出ましか・・・」
改めて≪把握≫の能力で比べると、十メートルちょっとの狐は、巨獣の中では然して大型というわけではないらしい。
『獣人』から視線を逸らさず威圧のオーラを全周に軽く放ち、存在に気がついているとアピールしてみる。
爺さんが気づいてビクッとなったがスルー。
一拍置いて、三体の巨獣から獣的、と言うより天然自然的な深山幽谷の気配漂う山彦のようなオーラが返ってくる。
オーラに、思念のようなものが乗っていて、謎かけのような
『獣人』は、狐以外の巨獣に気が付いていない・・・
多分、狐の件は偶然で、彼等はやって来た異物に気がついて様子見に来ただけなのだ。
暇なやつらだ。
彼らの期待しているのは、森を荒らし巨獣を殺しうる『獣人』の排除だけだろう。
恐らく、自分達でも対処は可能だろうに、面倒を持ち込みやがって・・・。
森に住むなら森の者の役目を果たせ。
賃貸料を払え。
私、大分舐められてるなぁ。
(・・・いや今回は、でっかい狐をモフれたし。修行が一段落して、強者と戦うタイミングとしては悪くないか。)
ちょっと相手が強すぎる気もするが。
軽々と空に飛ばされていた事に、何が起こったのか理解が及ばないようで、『獣人』は降り積もった雪をものともせずに間を詰め、飛び掛かって来る。
≪天眼≫の予知に従って
簡単に見えるがそう容易くはない。
蹴りをかわして投げ飛ばし、噛みつきをあしらって転がし、体当たりを捌いて宙へ放り出す。
薄氷を踏むようなギリギリの難事に、ゴリゴリと精神力が削られる。
しかし、ダメージにはつながらない。
念獣を含む知覚力を総動員して、『獣人』の見えない速さに感覚を追い付かせようと集中力を研ぎ澄ませる。
此方から攻撃は出来ない。
まだとても、そんな余裕は無い。
見えない速さの相手に、ギリギリ持ちこたえながら僅かな隙を窺っていると、埒が明かないと思ったのか、元気に突っ込んで来ていた『獣人』の視線が逸れた。
此方から外れ、修行場の爺さんと、その奥の武道場の狐に向いている。
爺さんが、恐い顔に気合いを込めて入り口に立ちふさがり、棍棒を構えた。
(こっちを無視とはいい度胸だ。)
「・・・フム」
「・・・ギースはハンターとしては半端もんさ」
そっぽを向いて、ボツりと呟く。
『獣人』の顔が、凄い勢いで此方を向いた。
(
「ああ、そうとも・・・どうやらギースってヤツは、人間を怖がって動物しか相手に出来ないとんでもなく臆病者なハンターらしいぜ」
爺さんの言った情報の当人か、確認のため適当な悪態を明後日の方へ向けてぼそりと呟いてみる。小声だが頭は狼だ、耳はいいだろう。
効き目は抜群だった。
何なら他のバージョンも試そうかと思っていたが、『獣人』は私の軽い挑発に強い反応を示し、毛を逆立てて唸り声を上げている。
「あらら、なんか痛いとこ突いちゃったかな?」
死者の念にしては、えらく
『死者の念』ってのは死亡時の強い感情が
云わば命を代償にして製作された目的に邁進する自動化された念獣だ。
多少は死んだ念能力者の個性を引き継ぐが、こんなにはっきり
ぶわりと、自分の首筋の毛が逆立つのを感じる。相手のオーラと気配が目に見えて強くなった。
感情の高ぶりによる死者の念の、強化現象だろう。
此方も少しギアを上げる。
どうやら本当にギースなるハンターのなれの果てらしい。
元々狐を狙っていて狐に殺されたのか、それとも別件で死んで狐に対する執着で現在の姿になったのか、謎だ。
死因には興味無いしどうでも良いが、
まんま、
狼男に余程の思い入れが有ったのだろうか?
もしかすると、自分の死後に発動する事を前提とした時限式の“発“を創っていた可能性も有る。
「だとしても、死後じゃ意味が無いだろうに・・・完全にイカれてる」
しかも、死者の念の膨大なオーラがスピードとパワーを爆発的に押し上げてて手が付けられない。
いろんな意味で、厄介さが天元突破してる。
速さでも力でも敵わない、今の私では手に負えないスペックの正に怪物。
それなのに何故か、私の口角は上がってしまう。
心の遥か、奥の方。
・・・・・わりと最近気がついた事がある。
人は、時に戦う。
そういう風に出来ている
どうでも良いことだが、狼は飼い主に取り憑かれて巻き込まれただけだろう。たまに狼の頭の脇にオーラの揺らぎで人の顔が見える。
かなりイっちゃってる髭面のおっさんの顔だ。
死後の『獣人
そこら辺に、この『獣人』の付け入る隙が在りそうな気がするのだが・・・。
そういや変な違和感が、ずっとある。
もしかすると死者の念に取り込まれた生贄の狼は、まだ生きたまま?
・・・只生かしておくだけなら容易い事ではある。私も墓の下で経験済みだ。
・・・・・だとしたら・・・・・・
まあ一つ、やってみるしかないな、コチトラ足掻く事に関してはもうプロ級だ。
「『
ミカゲがどれだけ規格外か、爺さんだけが知っている。