44、針
夕べは騒ぎが収まった隙を見て厨房で飯を貰い、そのまま風呂に入って扮装を落し、シーツだけ変えてもらったベッドを使ってぐっすり眠った。
途中ベルデやマリエルが突撃してきたが、ただ興奮していただけだったので適当に受け流してお帰りいただいた。ついでに借りた煙管も返しておいた。朝まで用心棒が必要なトラブルも無く平和で大変結構。
今朝もいつものように日の出と共に起き出し、誰も見ていない裏庭で朝の修行を行って、ピートと共に港の朝市に出掛けた。
威勢のよい掛け声と、喧騒。値切り交渉しているおばさんと押され気味のおやじ。焼かれた海産物の串焼きを売る屋台。それを挟むためのパンと飲みものの売り子。
いつの時代も変わらぬ人の営みの景色。
今朝の私の服装は誰かのお下がりで多分女性用。朝廊下で会った洗濯係からの借り物だ。着ていた服は洗濯するからと取られた。チュニックに吊りバンドの付いたズボン、靴だけそのままで大きな綿の丸い帽子に銀髪を押し込んでいる。
朝市にやって来たのは、妓楼の朝が遅く十時迄まともな食事が出せないと言われたからだ。せっかく街に出て来たのに、翌朝が作りおきの冷や飯では味気ない。
朝市では海産物以外にも、近所の農家の果物や野菜、日用品等も売っている。目ざとく見付けたピートのためのブラシも忘れずに買っておく。
・・・念獣に抜け毛ってあるの?
お茶の文化はまだ無いのか、煎じ薬のような地元のハーブティーを飲みながら、具沢山のシーフードサンドと串焼きを食べる。甘辛いソースに文明を感じた。生ぬるくて、酒やジュースは余り美味しそうじゃない。
樽や木箱に板を乗せただけの粗末なテーブルと椅子で、皆旨そうに湯気の立つ朝食を食べている。
「おい、あれ何だったか解ったか?」
職人と商売人らしき人物が、噂話をしている。
「さっぱりだ、噂じゃ天変地異の前触れとか伝説の死獣が甦ったとか言ってるが・・・」
何か気になる話をし始めた。
「気にし過ぎじゃないのか、結局何も起きてないじゃないか」
不安気な職人と、のんびり飯を食う商売人。なんの話?
「四日前の騒ぎの時は、お前だって何かあるって騒いでたじゃないか、周囲の他の町でも同じだったって言ったのはお前だぞ」
割りと最近の出来事なのか?
「でもなぁ、結局終わってみれば犬が吠えたってだけだろう」
犬?
「ただ吠えたんじゃない!近隣の街中の犬と言う犬が全て四日前の夕方に突然遠吠えを始めて、暫くは誰も止められなかったんだぞ!」
四日前の夕方?
「これが何かの前触れじゃなくて何なんだ!」
あれ?それ知ってるかも。
死獣を倒した後、狼の『霊獣』がやけに吠えてたあれじゃない?
「そう熱くなるなよ、何もなくて良かったじゃないか・・・」
凄いな、あれ此方まで伝わったのか。『霊獣』半端無いな。
なにもないですよ~、死獣はぶっ殺したからもう来ませんよ~・・・明かすわけにもいかんよなぁ。ほっとくしか無いか。
ピートは、ピスタチオのような殻付きのナッツに填まって、小皿に山盛りにしたそれを一つずつ殻を剥いて楽しそうにテーブルに並べ、たまに食べている。もしや、殻を剥く方が楽しいのか?
本体は『猫』だったはずだよなぁと、何気なくピートに何で『猿』にしたのか聞いてみたら、パスを通してのイメージ伝達で尻尾が私とお揃いなのが嬉しいのだという、心がホコホコするような答えが返ってきた。無論、ナデナデしておいた。
「夕べ、黒門大路でえらい騒ぎが有ったらしいなぁ、何でも死人もだいぶ出たとか」
二つ三つ向こうの別のテーブルで、三人のおっさんが夕べのホットな町の噂を話している。声がやたら大きい。
「聞いた聞いた!スラムの連中が大きな妓楼を襲って、凄い美形の娼妓一人に皆殺しにされたってよ!」
お茶を吹きそうになった。噂の内容が、大分事実と乖離している。誰も殺してないし、娼妓でもない。
「見たやつの話じゃ、蹴り上げられたチンピラが二階の窓より高く飛ばされたってさ!」
「「それは嘘だろう」」
本当の事を言っているおっさんの言うことだけが信用されない。
気になるのか、周囲の人も会話を止め三人のおっさんの話に聞き耳を立てていた。
こうしてゴシップやニュースが街に広がって行くのだろう。
襲ってきた人数は百人を越えていたとか、美女が剣で斬りまくったとか、荒唐無稽な噂が飛び交い、昨夜その場に居たと言うおっさんが乱入して、噂は更に珍妙になって行った。
私とピートはゆっくりと朝食を終え、その場を離れた。夕べの事件の目撃者だと言う者は何人も現れたが、私に気付く者は誰も居なかった。
散歩がてらシュマの街に慣れようと、少し遠回りして黒門街『緑美楼』に帰る。
裏から廻って三階まで戻ると、私の部屋の掃除がマギーの主導で大々的に始まっていた。そのせいで中に入れない。
「どうしたんだ?あれ」
行き会ったベルデに訪ねると、笑いながら「ほっとけば良いのよ」と
「「ミカゲ様!」」
三階の廊下に居たら、昨日ホールで見かけた女達が階段を上がってきて、わらわらと集まってきた。何だ?
「昨日の、すごかったです!」「魔法みたいでした!」「今度一杯奢らせて・・」「ミカゲ様なら無料でも・・」「これ、私の部屋の番号」
ファンができたらしい。
「貴女達!三階は立ち入り禁止にしてある筈よ、何をしているの!」
「「キャー」」
女達の騒ぎに気づいたマギーがやって来ると、蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。
「あ、あの、夕べは大変失礼を致しました、今後は心を入れ換えて誠心誠意、勤めさせていただきますので、宜しくお付き合いのほどをお願い致します」
マギーが声と姿勢を整えて心もち深く頭を下げ、私に挨拶をした。何か、もって回った言い様だが要は昨日の失礼な態度を謝っているらしい。
「気にしなくていい」
見た目がガキなのは理解している。
「職分は違うが同輩だ、気楽にやろう」
用心棒として雇われる以上、それなりに舐められない振る舞いが必要だろうと、見た目よりキャラ年齢を上げて対応する。
一応認めて貰えたかな、と気さくに笑って見せたら、マギーはちょっと頬を染めていた。マギーは、もしかすると化粧した男の子とかそっち系が好きなのかもしれない。
マジで?
「・・・それは解らないけど、マギーは元々人に仕えるのが好きなのよ」
用事もあったので、騒ぎから避難してベルデの仕事部屋に行ったら、マギーの豹変の理由について教えてくれた。
「自分ではなかなか認めないけどね」
その上筋金入りの実力主義者で無能を嫌うから、口が過ぎて大きな商家を頸になった経歴の持ち主だった。
「ミカゲは心配ないわ、マギーが自分から世話焼きに動くのは、認めた証拠なのよ」
後は、たまに礼を言う位で良好な関係を維持できると言う。
「問題ないなら良い」
ベルデは既に朝食を済ませ、書類仕事に掛かっている。
「・・・前の用心棒だったウォルターの事なんだが、どんな奴だ?怪我は酷いのか?」
ここに来たのは、これを確認するためだ。
「そういえば話してなかったわねぇ・・・・・」
ベルデは、手を止めて憂鬱そうに頬杖をついた。
「ウォルターは一言で言うと希に見る善人ね、あんな好い人はそうは居ないわ」
予想外の回答。
五年前に引退した先代の頃からの付き合いで、とある理由のせいで何時も金は無かったけど、女達の評判も良く並外れて強かったらしい。
「確か、スラムの育ちで友達に巻き込まれて捕まり、刑務所で拳闘を習ったとか。
成人後に徴兵されて戻ったら家族は消息不明、住む家も無し。折よく私の母に拾われて『
流儀は拳闘か・・・昨日のチンピラリーダーと同じスタイルだ。そっちの繋がりか?
先週怪我で動けなくなるまで、彼が負けた所は見たことが無かったと言う。
話を聞く限り、チンピラ達を寄越したのはウォルターでは無いようだ。
「怪我は大分重症らしいわ、馴染みの医者にも診させたのだけど、全身傷だらけで骨折が数ヵ所、背骨も酷くやられていて
俯いた顔は沈痛な表情だ。
突然重症になって馬車で運ばれて来て、何で怪我をしたのかは、どうしても口を割らなかったと言う。
昨日の騒ぎをずっと見物していた馬車の三人についても聞いてみた。
≪観測≫のマップの追跡機能(新機能)と≪把握≫の位置確認によると、彼らが帰りついたのは、『緑美楼』と同じ黒門街に有る少し離れた同じような大きな妓楼で、朝の散歩のおりに見に行ってみたら、大看板には『満天楼』と書かれていた。
「『満天楼』?」
あそこで女と用心棒を連れた太った男なら、六人いる黒門街の顔役の一人、コルルボだろうとベルデはあっさり告げた。
「先代は出来た人だったんだけど、コルルボは評判悪いわね」
欲深で
『満天楼』は『緑美楼』より古くから有る一族経営の妓楼で、一時新興の『緑美楼』が勢いで上回っていたが、良いサービスは何処も真似るため、今は同格位だとさらりと告げた。負けているとは微塵も思って無いようだ。
顔役の残り四人は賭博場やクラブや酒場、中小の店を束ねる立場等なので、実質黒門街の娼館の顔役はベルデとコルルボと言うことになる。
「女は皆自分の言うことを聞くと根拠もなく信じ込んでいるような嫌なやつよ。
昔は私に自分の物になるよう、しつこく付きまとってたわねぇ」
ベルデは心底嫌そうに言った。
今回の件に関係有るのかね?
「・・・ウォルターは今どこに?」
事情は大体分かったので、後は確めて片付けるパートだ。
「裏の離れを使っていたけど、迷惑を掛けたくないと移ったわ」
ウォルターの住まいは、私が朝の修行をしていた裏庭の一角に有った離れだった。本人はもう居ないが、荷物はまだ残っているらしい。
「移動の先はスラムか・・・」
スラムでの所在は解らないが、恐らく今日挨拶に来る筈のチンピラリーダーが何か知っているだろう。
「何、お見舞いにでも行くの?でも・・・」
この時代に立つ事も出来ない怪我をすれば、助からない可能性がとても高い。生き残っても元の仕事は出来ない。ベルデは既に諦めているのだ。
前世持ちの私が思うより、人々にとって死は身近に有るのかもしれない。
「治療可能かどうか確かめる」
ウォルターには会って、確認しておきたいことがいくつかある。
「まさか、治せるの!?」
ベルデが驚いて目を見開いた。
「心得が有るだけだ、見てみないとわからん」
ベルデが興奮して立ち上がった
「気ね!気を使うのね!」
マリアのホラ話が、まだ効いている。
反射的に、違う!と言いそうになったが我慢した。これはこれで一つの
しかし、事前に用意していた自前の
「使うのは『
「き・・・何?」
「以前に少しばかり『針』を使う治療を
まあ、人に使うのは初なんだけど。
「針?」
「
「・・・痛そうね」
「効き目は有る」
痛いのは、否定しないでおく。
師匠にツボと経絡について学んだ時に、治療についてもちょこっとさわりだけ聞いた。
いわば余談で、治す知識は壊すのにも有効だから経絡系や神経系を含む人体の知識は機会があれば学んでおいて損は無い。と言うものだ。
私の『見せ看板』としての治療術は、これが大元になっている。
針を使うことは後から思い付いた。胡散臭くても腕が良ければ背景を余り気にされず、それなりに一目おかれる。
時代劇に出てくる最も有名な殺し屋さんも表向きの商売にしていた。
思い付きの種は『
キメツか!と思ったけど、透視系は某忍者の里の一族もやっていた瞳術系能力の基本バリエの一つ。『
『気脈術』の名前は適当。
実践は怪我をした動物達のみで、人に対して試みた事はない。ちょっとワクワク。
まぁ、失敗しても今は
行くのは昨日のチンピラ達が挨拶に来てからだな。
ウォルターの居場所はチンピラ達に聞くので、昼過ぎから出かけることをベルデにも知らせておく。
・・・来るよなぁ?
来なかったら此方から聞きに行くか。
場所はスラムだが、なんの問題もない。治安の悪さは無視できるし、一度会った相手の場所がマップに表示される≪観測≫の新機能が有るから、迷う心配も探す必要も無い。
会ったことが有れば、ウォルターの居場所も直ぐ割れたのに・・・とりあえずピートと昼飯だ。
昨日やっと気づいたが、ピートは食べたものを一切出す必要が無いらしい。≪消滅≫?でも味覚は有り甘味を好む。食後は、買ったブラシのお試しブラッシングもせねば。
昼食後ブラシを出すと、ピートはすぐに近寄って来て背中を向けた。前の主人からも同じようにブラッシングを受けたことが有ったのだろう。
すぐに始めると、途中から目がとろんとなって、気持ち良さそうだった。
このブラシは当たりのようだ、明日見かけたら予備も買っておこう。
まだ名前を聞いていないチンピラリーダーが来たのは、昼食後のピートのブラッシング中の事だった。
ちゃんと裏口から来た。
洗濯係は裏方の中で厳正なくじ引きで決められ、さりげなく待ちぶせしていた!