離島の魔法使い   作:からくさ犬

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離島と魔法使い

「気まぐれで作ってみた……にしては随分悪くないじゃない」

 気まぐれで展望公園にある大きな木の下にテントを張り、飯盒や椅子なんかを並べてそれらしくして見せたが、これがなかなか悪くない。

 黄色いテントは倉庫にあったものを適当に引っ張り出して来たが、嬉しいことに穴が開いていたなんて言う悲惨な事にはなっていなかった。

 だが広げてわかったことだが、一人用のテントだとばかり思っていたが、実はファミリー向けの大きさだったことには驚きだ。

 勝手に一人用のテントだとばかり思っていて、自転車に積む時も、重い重いと感じていたが、そんなものなのだろうと気にしなかった。

 だがこうしてテントを組み立てると、なるほど道理で想像よりも重く、張るのにも一苦労したはずだ。組み立て方の説明書が入っていなかったら、テントを張るのにもっと時間が掛かっていたことだろう。

 まあ、不幸中の幸いか、お陰で荷物を中に置いても狭さは感じないどころか、スペースが余るぐらいだ。いざとなればテントの中で布団を敷いて、寝袋とはおさらばしたっていい。実際、寝袋やシュラフと言ったものは持ち合わせておらず、代わりに適当なシートを持って来ている訳だが。

 とにかく、倉庫に眠っていたキャンプ用品で素材はそれなりだと思うが、だがこうして見ると達成感は十分。

 公園にある一本の大きな木、その木影に佇むテント。草混じりの土に、青い空に浮かぶ入道雲。そして背景には海が一望でき、その奥に見える本州。絵に書かれたようなこの光景は、やっぱり、見る人が見れば、ため息一つ出すんじゃないかと思う。私もテントを張ったこともあり、その達成感で見慣れた光景に少しばかり笑みがこぼれる。

「さてと、じゃあ、堪能させてもらいますか」

 テントの中のカバンから、暇潰しように持って来た本を取り出す。そしてこちらもまた、木影で風通しの良い場所に設置した椅子に本を持ちながら歩み寄る。

 座ろうとして、椅子の背もたれに手を掛けると、風が吹き、木の葉がさかさかと音を立てる。その風に撫で上げられた髪を抑えてながら、良い風が吹くな、と広場の方に目をやり、同時に海を見ようとした。

 するとそこにはふわりと空から鳥の羽が舞うように、一人の少女が降り立った。そして地面に足を着けると、一度大きく深呼吸をすると「静かだなぁ」と笑みをこぼした。

 癖のある金髪で、背丈は自分よりも低い。とすれば、年齢も自分よりも下だろうか。歳相応の服装に、手にはお洒落なバッグ。ぱっちりと開いた瞳は髪色と相まって、明るく活発な印象を受ける。

 その少女はその瞳を軽く細めて、景色を堪能しているように見える。そしてふっと辺りを見渡して、木の下にいる私の存在に気付くと、あっ、と声を漏らす。私もそんな彼女に目をパチクリとさせていたら彼女はおずおずと言った感じに口を開いた。

「あ、すいません。この場所で一番大きな建物ってどこになりますかねぇ?」

 困ったように笑い、片手で金髪の頭を掻きながら尋ねて来るその表情は、明らかに驚きと困惑と言った表情が読み取れた。対して私も、あー、と声を漏らし、返答に困りながらも指を一本立てる。

「それなら……図書館かしら」

 一番大きな建物、と言われて頭の中で二つの候補が出た。一つは地主の家、昔ながらの日本家屋に、神社仏閣が隣に付いている。

 祭りなどの際はその神社仏閣で露店が並んで、数少ない住人が集まり賑わいを見せる。その人の量に、この町にこんなに人がいたのだと例年ながら驚くも、元々数少ない住人が集まったところでその程度は知っている。

 もう一つは提案した図書館。ほとんど誰も使用してない古ぼけた建物ながら、建築した当初は最先端なデザインなのだろうと思う。

 建物から柱が一つ伸びていて、その屋根は丸い形になっている。中はらせん状の階段があり、それを囲むように本棚が並べられていて、ちょっとした不思議空間だ。

 この二つが思い付き、そして後者を選んだ理由は、大きいと言う表現。地主の家は平屋建てで敷地もあるが高さは無い、どちらかと言えば『広い』と言う表現が思い付く。

 対して図書館は敷地の広さは負けるが、建物の高さはある。見た時の表現として『大きい』と言うのは、恐らくこっちだろう。

「ああ……図書館ですかぁ……そうですかぁ……」

「そうそう……図書館。東側の海岸にある、屋根がドーム型になってる建物だから、まあ、うん、見たらすぐに……うん、わかると思うわ」

 互いにたどたどしく、少女はさらに眼を泳がせながらそんな受け答えをする。すぐにでも、どちらともなく、ハハハ、と誤魔化すような笑い声を漏らしても不思議ではなかった。

「あっ! そうですかぁ、ありがとうございます。えっと、東側……」

「そう、東側」と私は立てた人差し指を、図書館がある方角に指す。すると彼女も確認するように同じ方角を指差し、私は頷いて返す。

 彼女はもう一度お礼を言うと、そそくさと会釈をしながら「突然すいません、本当にありがとうございましたー」と三度礼を言って、こほん、と咳払いを一つ。

「それじゃあ、失礼します」

 そう言うと彼女は背中の大きな翼を左右に広げる。人を優に包み込めるほど大きな翼は、太陽のような温もりのある色合いをしている。そのせいか光を放っているわけでも、光を帯びているわけでもないが、色合いから連想させるのかとても眩しく見える。

 その柔らかそうな翼を使い、羽ばたくのかなと思っていると、そのまま重力に逆らうように身体を持ち上げていく。まるで彼女に吸い込まれていくように、彼女に向かってゆっくりと風が吹き、舞い上げる。

 そのまま空に上がっていく彼女に合わせて、見上げ、私は視線を上げていく。途中で青々しく茂る木の葉に遮られ、その姿を消すと、私はただ木漏れ日を見上げていた。

「おお、いたいた。へぇースゴイ、面倒くさがりのお前がちゃんとテントたててるじゃん」

 ふとそんな声がして、上げていた視線を下げて、声がした方を見る。するとそこには友人である京一郎が片手に二本の紐をぶら下げながらやって来た。

 中肉中背の少年で、適当にそこにあった服を着て来たかのようなその格好で、首回りもだらしなく伸びきっている。髪型も、寝癖のように髪が一か所ハネ上がっていた。

 手に持っている紐の先にはラムネ瓶がつり下げられていて、それが二つ。木の陰に入り、私にその内の一本を差し出した。

「はい、差し入れ。水木さんとこのラムネ、まだ冷えてる」

「あー……良いタイミング。今私、脱水症状で幻覚見てたのよ」

 京一郎からラムネ瓶を受け取り、手慣れた仕草で蓋を使い、ビー玉を落とす。炭酸の泡がワザとらしく、それでいてちょうど良い加減で溢れ、ビンを伝って持っている手に流れ出る。

「へぇ、それは大変だ。しっかしテント、スゴイじゃん。大きいけどこれファミリー向け? 今夜泊めてよ」

 京一郎はテントを見上げ、次に中を覗き込みながら尋ねる。確かに二人で寝ようが窮屈にはならないだろうが、私はその返答に対しては、んー、と曖昧に返す。

 そんな私に少しばかり首を傾げた京一郎だったが、何時も通りかと言わんばかりに気にする素振りはしなかった。京一郎もラムネ瓶のビー玉を落とし、同じように泡を溢れ出させると、そのまま口にして喉を鳴らす。

 その様子に、こいつ何でこんなに能天気なんだ、悩みは無いのか、とは言えず、私もラムネ瓶に二口目を付ける。

「けどまたなんでキャンプ? まあ、お前のことだからいきなり突拍子のないことやっても驚かないけど」

「ああ……失礼な言い方。別に理由は無いかな、家の倉庫ひっくり返してたら出て来たのよ、キャンプ用品。使った覚えもなかったし、昔買ってそのままだって言うから、なんとなく」

「へぇ、飯盒とかもあって本格的じゃん。これも倉庫に?」

「いやぁ、細々としたものは拾って来た。適当に聞いたら結構出て来るのよ」

 そう言うと京一郎は、俺のところも何かあったかぁ、と口にする。

 拾って来た、と言うのは別に本当に道端に落ちていた物や、捨ててあったものを勝手に持って来たわけではない。

 私の口癖と言うか、親の影響と言うか、その人がいらないものを引き取ったり、好意で頂いたりしたモノを一纏めでそんな風に表現する。貰った、だと何か借りを作ったような気がして面倒だし、気持ちよく受け取れない。そのため『拾った』だとそう言う感じはしない。

 とは言っても恩を感じてないと言うわけではないし、そもそも完全にその論理で動いたり、常にそう考えてるわけではない。けどやっぱり染み付いた癖と言うか、性分と言うか、行動原理に面倒くさいかそうじゃないか、と言う考えは無意識にあると思う。

「あっ、そうだそうだ。雪乃が呼んでたよ、暇なら家に顔を出すようにしてほしいって。お前、最近顔出してないんじゃないか?」

 すると思い出したように京一郎がそう聞いて来て、喉を刺激する炭酸でやっと頭の中がハッキリし始めた。

 私は、そう言えばそうだったな、と雪乃の顔を思い浮かべながら、ラムネで喉を鳴らす。そして早々と飲み終えると、自転車のハンドルにラムネ瓶の紐を引っ掻け、スタンドを上げる。

「そう? じゃあ、テントも張り終わったし、今から行こうかな。せっかく御呼ばれしたのに、放っておくのも面倒だし」

 そう言うと、おう留守番は任せろ、と京一郎はテント横の椅子に座り込み、その前に落ちている本を拾い上げた。

 その本を見て、さっきので落としたんだっけと思いながらも「じゃあ、よろしくー」と声を掛けると、自転車を押して歩き出す。展望公園なだけあり、入り口から出てすぐ坂になる。そこでやっとサドルに腰掛け、舗装された坂を降っていく。

 青い空、眩しい太陽の下、緩やかな坂とは言え、自転車で坂を降るとやはり風が気持ちいい。風が身体全体を撫で、短い髪がなびく。

 ペダルを回さずとも自動で進む中、軽くブレーキを掛けてそれを見上げる。ふと、東側を見てみるが、雲以外のものを見ることはなかった。

 私が産まれ住み、いわゆる故郷と呼ばれるここは本州から海を隔てた場所に存在する。国の都心から遥か南、離島と位置付けられたこの小さな島。安定した気候と過ごしやすく、青い空と海に囲まれ、自然豊かなこの島に私たちは暮らしていた。

 この島で大きな存在と言えるものもなく、ただただ静かな時間が存在する。広さはそれなりだが、人が住む場所も数も、本州と比べて大した人口はない。せいぜい町一つ分、娯楽施設も数えるほどしかない。

 それでも不便と言うことはなく、また、限界集落のような閑散としているわけではない。人それぞれの感性になるだろうが、私に取ってはちょうどいい田舎風景。

 それがここ、一角島だった。

 ・

 自転車から擦れて摩耗しているブレーキが、キーッ、と音を立てる。ハンドルにつり下げられているラムネ瓶が揺れ、太陽の光が跳ね返って、近くの壁に移り込む。サドルからお尻を離し、適当な場所に駐輪すると、一息ついてそれを見上げる。

 やはり、何度来てもここは『広い』と思う。大きな門構えに、その横に堂々と掲げている看板が目に付く。だがこうしてたどり着いた立派な門を見ると、大きい、と思わないわけではないが。

 こうして正門に回るまでに、外壁をぐるりと回って来るとなかなか距離がある。外壁の反対側も木々が生い茂り、変わらない風景が続くのもそう思う要因になっているのだと思う。

 おじゃましまーす、とその大きな門を通らず、その中の一回り小さいくぐり戸から中に入る。玄関先に入ると、外壁で囲われていた内部が姿を見せる。

 昔のドラマとか、時代劇とかに出て来そうな悪者の屋敷。そんな外観の建物がドーンと私を出迎えてる。だが目に見えているこの建物も、全体のほんの一部。奥に、そして左右に建物は広がっているのを私は知っている。

 地形に沿って作られているのか、建物の中で高低差がある。本館から別館、とでも言えば良いのか、それをつなぐ渡り廊下に階段があるのはもちろん、右の部屋から左の部屋をつなぐ廊下に段差があったりと、どうも足を引っ掻けそうな造りをしている。だとしても部屋の数や、大広間。そう言った間取りの多さは流石の一言だと思う。

 整えられた植木や石灯篭。綺麗に掃除された玄関先を進んで、建物の一際大きなドアを開ける。それと同じぐらい大きな玄関が姿を見せ、スッと息を吸うと、少しだけ涼しい空気が喉を通って行った。

「ごめんくださーい。石渡ですけどー」

 日がまだ高いからか電気は点いてなく、薄暗い。そんな廊下の奥に向かって声を掛けると、少しして軽い足音が聞こえて来る。

 次第にその音は大きくなり、ゆっくりと廊下の角から見慣れた顔が姿を現した。長い髪をして、少し陰のある、幸薄そうな顔をした美少女だ。

「なつめちゃん、こんにちは」

「よっ、雪乃」

 私が片手を軽く持ち上げて返事をすると、友人は会釈の代わりに色白な頬を少しだけ上げた。

 雪乃は私と京一郎の幼馴染、とでも言えば良いのか。少なくとも、小さい頃からの友達で、大人達からはよく三人で一纏めにされたものだ。

 雪乃は地主の娘さんで、いわゆるお嬢様。だが生まれつき身体が悪く、あまり家から出ない暮らしをしている。

 風邪か何かで寝込んだ時は、それはもう大変だった。勝手なことをされて悪化してはいけないと布団で寝る雪乃の隣にお付きの人がいて、ケーキとかプリントか、食べたいデザートは無いかとひっきりなしに聞いて来る。

 私も京一郎も見舞いに行こうにも、病気が移るからと言うよりは、外から菌を入れるなとばかりに門前払い。まあ、その後普通に屋敷に侵入して、会いに行って困らせていたが。

 今は昔より身体が頑丈になり、そう言った雪乃の親の過保護は落ち着き、見ることも聞くこともなくなった。が、それでも雪乃のその身体は今も細く、そのせいか四肢を隠すように、気温に関わらず雪乃は長袖に長いスカートと言った肌を出さない服装を好んでいる。いや、好むと言うよりは手放せないのだろう。雪乃だって、趣味嗜好でそう言った服装をしているわけでないと思う。

 雪乃は玄関で待つ私の前まで歩いて来ると、スカートにシワが出来ないように膝を付く。その一連の動作に育ちの良さを感じながら、私もそれに合わせて玄関の段に腰掛ける。

「わざわざ来てくれてごめなさい。暑かったでしょ? 忙しいところ、邪魔しちゃいましたね」

「ん? なにが? 暇だったから来ただけ──」

「聞きましたよ、キャンプするって。少し前に京一郎くんが来て、なつめちゃんが展望公園でキャンプするだって。様子を見に行くって言うから、言付けを頼んだんです。だから来てくれたんでしょ?」

 そう聞きながら軽く首を傾げる雪乃は、どこか申し訳なさそうに眉をひそめる。

「あー……あのお喋り野郎──」

 呟くように言うと雪乃はクスクスと笑い、怒らないであげて、と京一郎を擁護した。能天気と言うか、マイペースと言うか。いや、プライバシーもないお喋り野郎、と言うのは捻りがなさすぎか。

 これじゃあ偶然を装うことも出来ない。折角互いに気を使わない方向に持っていこうとしても、あいつのせいで無駄になる。ただでさえ雪乃は容態のせいで負い目に感じやすい性格をしているのだから、呼ばれたからわざわざ来た、なんて言ったら気を遣うのは明確だ。

 全くもって、京一郎はそう言うところがわかってない。昔からそうだと言えばそれまでだが、京一郎のそういう気を遣えないところが、なんだかんだ言って私たちを引き合わせたのだと思うと憎めないところだ。

「なに、京一郎のやつ、今もよく来るの?」

「はい。暇を見つけては来てくれて……縁側から勝手に入って来た時は驚いちゃったけど、今はもう慣れちゃいました。今日だって気付いたら縁側に腰掛けてて……」

「ただの不法侵入じゃん、それ。年頃の乙女がいる家にすることじゃないでしょ」

「京一郎くん、私に歩かせないようにしてくれてるんですよ。私の部屋、玄関からは距離があるから」

 そう言って、雪乃は薄暗い廊下を肩越しに見る。

「アイツに限ってそれはないわね。マナーとプライバシーがないだけよ。それになに? あんた家の中ぐらい歩きなさいよ。その内お尻から根っこが生えるわよ」

「わぁ、じゃあ除草剤が必要ですね。それとも鎌で刈り取って、煎じて薬にするのも悪くないかもしれませんね。

 雪乃から生えた根っこをねぇ、と私がくすりと笑うと、ふふふ、と雪乃は口に手を当て上品に笑う。

 だが笑い声で喉を傷めたか、それとも唾が気管に入ったのか、雪乃は咳をする。そしてぽんぽんと落ち着かせるように胸を叩いて、ふぅ、と息を吐く。ただの、よくあるような咳だったのかもしれないが、雪乃が肩を揺らすとやはり少しドキリとしてしまう。

 雑談もそこそこに「まあいいや、それで用って?」と、本題はなんだと私は尋ねる。すると雪乃はそうだったと立ち上がり、また申し訳なさそうに眉を動かす。

「じゃあ、今持ってきますから……ごめんなさい、ちょっと待っててください。今持って来ますから」

「えっ? なに、客人を家に上げないつもり? ここで干からびろって?」

「あ、そうですね。じゃあ上がってください、こちらです」

 そう言われ、私は靴を脱ぐと雪乃の後を歩く。前を歩く雪乃の背中は私よりも背が高いはずなのに、小さく見える。別に猫背だとか、姿勢が悪いからそう見えるわけではない。

 視線を逸らすと、窓から見える内庭や、がらんとした一室。使われていないのか、道具もなにも置かれていない部屋だが、それだけ部屋の数が余るほどこの建物が広い証拠なのだろう。

 昔は家来だとか住み込みの人だとかで、その人たちが使う寝室として賑わっていたのかもしれない。客間だって何室もあり、来る客に合わせて通す部屋を決めていたとか、そんな話を聞いたことがある。だがそれは流石に昔の話し、今となっては多くの部屋は無用の産物になっているようだ。

 それにしてもこの建物は本当に迷路のような構造をしている。何度も遊びに来たが、ハッキリ言って未だに間取りを覚えきれていない。この家が特別なのか、それとも屋敷と言うのは全部こんな感じなのだろうか。だとしたら、屋敷と言うものはきっと人を迷わせるように造られているのだろう。

 なら、京一郎が玄関を通らずに縁側から入って来るのは、もしかしたら正しいのではないだろうか。順路を気にせず、真っ直ぐに進むのはある意味、迷宮の攻略方法の一つなのかもしれない。

 そんなことを適当に考えてながら、ただただ二人分の足音が静かな廊下──それとも内縁とでも言うのか、定義がよくわからない──に響く。耳を傾けてみると、互いの足音が違い、私の方がやはり乱暴に聞こえる。

「どうぞ、好きなところに座ってください」

 そうして雪乃の部屋に通されて、私は言われた通り適当な場所に座る。雪乃の部屋は和室で、畳がひかれているのはもちろん、床の間なんかもある。他には古臭そうな足の低い机と座椅子があり、桐ダンスと言った最低限の家具はあるものの、それ以外はとても風通しが良い。

 質素と言えばそれまでだが、見慣れてしまっているのか、年頃の少女が住んでいるとは思えないこの部屋を見て、雪乃の部屋だなと感じてしまう。

 雪乃は前もって用意していたのか、床の間の、それも掛け軸の前に供えるように置いてあった一冊の本を手に取る。その本の表紙は古いのか少し傷んでいて、達筆な文字で大きく何かが書かれているのが見えた。

「それは?」

 私が尋ねると、雪乃はこちらを見て小さく笑って見せる。雪乃はその本を持って来て、机に置くとページを開き、私に見せるようにくるりと上下を入れ替える。私はそれに従って本を覗き込むと、眉を潜め、首を傾げた。

「これは祭事の古文書です。ほら、例年の祭り、そろそろ準備する頃位ですよね?」

「ん? ああ、そうね。そろそろ暑くなって来たし、もうそんな時季よね……で、それがどうしたの?」

 眉を潜めたまま、私は視線を雪乃に戻す。そのページに書かれていたのは、それはもう達筆に書かれた文字で、何が書いてあるか私には読むことが出来ない。所々の漢字は読めそうではあったが、それだけじゃ意味はわからない。

 いったいこれは何なのか、そして用とは結局なんなのか、と私は怪訝な視線を向ける。

「このページはその祭事における、習わし事が書かれているんです。ほら、あの祭りって巫女による舞を披露するじゃないですか」

「ああ、毎年雪乃やってるアレでしょ。綺麗に着飾って、優雅に踊ってる」

「そうです、そうです。これにはその時に着る衣服や、踊りの振付のことが書かれてるんです」

 そう言って、恐らくはそのことについて書かれているであろう部分を雪乃は指差してくれる。とは言っても、私は読めないわけだが。

 巫女装束を着て、綺麗に飾り立てられた雪乃の姿。それは幼馴染であることを差し引いて考えても、年々綺麗になっていると感じる。

 単純に雪乃が女性として綺麗になっているのか、それとも巫女としての貫禄が身に付いて来たのか、それともその両方か。祭り会場を練り歩き、最後に神社の本殿にて舞を躍るその姿は、本人には言わないが、カッコよくて美しいと思っている。

「へぇ、やっぱり伝統行事なだけあって歴史があるのね。今年も雪乃が踊るわけだから、やっぱり今年もちょっとしか一緒に屋台回れない感じ? 毎年とは言え、少し寂しいわよね」

 やはり準備や確認ごとで時間が掛かるのだろう。まあ、確かにあの服装は数分で着替えられるとは思えないし、練り歩く前にも、色々と仕事がある。

 そのため雪乃は私や京一郎のように、自由に祭りを回ることが出来ない。朝早くのまだ露店が本調子を出す前と、物が売れて祭りが終わりかけの夜。その二つにしか雪乃は時間が取れず、結果的に雪乃と一緒に祭りを堪能できる時間が限られている。

 本当はもっと一緒に祭りを楽しめればな、と私はそんな風にも思うのだが、雪乃は巫女としての務めも楽しんでいるのだろう。そうでなければ、あんな風には舞えないはずだ。

 そう思っていると、それなんですが……、と不意に雪乃が口にすると、少し勿体ぶって後に言葉を転がした。

「──なつめちゃん。今年の巫女役、やってみませんか?」

 突如として口にしたその台詞に私は耳を疑った。私は聞き間違えか何かかと思い、動きを止めていたが、雪乃も笑みを浮かべたまま動かない。

 そしてやっと「えっ?」と声が漏れて、何を馬鹿なことを、と私は手で空を払って見せる。

「……は? えっ、なに? いきなり何言ってるのよ! 私が巫女役?!」

「はい、そうですっ! 本来なら地主である荒川家の私がやるのが務めですが、ほら、私こうだから、もしかしたら当日出来なくなる可能性がありまして。だから有事の際に、代わりが出来る人を用意した方が良いかなと」

「いやいや、そう言って結局雪乃が毎年やってたじゃない! それに、そう言う理由なら母親に頼みなさいよ! 私完全な部外者よ?」

「お母さん、もう若くないからそう言うのは恥ずかしいって……」

 どういう理由よ、と私は愚痴を零す。すると雪乃が、でもでも、と言葉を続ける。

「それに、あくまでも有事の際ですから。問題がなかったら、もちろん私がやりますし、なつめちゃんは何時も通りでいいんです。どうですなつめちゃん、人助けだと思って!」

 なつめちゃんの巫女服姿きっと似合いますよ、と雪乃は私をその気にさせるようにおだて始める。

 思い出すように、去年の巫女装束を着た雪乃の姿を思い浮かべる。次にその巫女装束を着ている者を私に変えて、そこで身体をぶるりと震わせる。

「百歩譲って雪乃の体調のことはわかるけど、なら最悪中止にすればいいじゃない。理由が理由なら誰も文句は言わないでしょう。て言うか荒川家に文句を言う人はいないと思うけど……」

「駄目ですよ! 祭事を行えないのが一番まずいことなんです。これは祭りが始まって以降一度も途切れたことのない、勇諸正しき伝統なんです。島民、皆が成しえなくてはならない、大切な事なんですから!」

 グッと拳を作って見せて意気込みを語る雪乃だが、なら尚更親に言いなさいよ、と内心ツッコミを入れる。

 だがしかし、雪乃は本気で言っているのか? 詳しくは知らないが、さきほど雪乃が言った通り、祭りの巫女役は代々地主である荒川家が取り仕切ることになっている。

 だとしたら、そうではない私が出るのはお門違い。それになりよりも、面倒くさい、これに限る。雪乃には悪いが、ああ言うのは見ているのが一番だ。自分がやって、注目の的になるなんていい笑い者だ。それも知り合いだけではなく、祭りで披露するのだ、町中の話しのネタにされるのは間違いない。

 ふと京一郎の顔が浮かんで、巫女服を着た私を小馬鹿にする。そんな京一郎に笑うなとは言えない、恐らく自分が一番その気持ちが理解できる。

 私は一度息を吐くと頭を掻き、雪乃から軽く眼を逸らす。

「あー、悪いけど他を頼ってくれる? そりゃあ、私を頼ってくれるのは嬉しいけど、流石にそれは──」

 面倒くさい、そう言おうとした時だった。

「こほん! こほん、こほん。こほんこほん!」

 突然の咳の音。慌てて視線を雪乃に戻すと、雪乃が口に手を持って行き、咳を出していた。

 だがそれは、咳をするタイミングと肩の震えが一致せず、それはもうワザとらしく、まだ咳払いの方がそれらしく見える。つまり、疑う余地がない程に、下手くそな咳のフリをしていた。

「……え、なにいきなり?」

 私がそう尋ねると、雪乃は「ううん、気にしないでください。ただちょっと、こほんこほん、調子が……急に調子がぁ……こほんこほん!」と咳を続ける。そして、よよよ、と雪乃は身体を斜めにして、あくまでも体調が悪くなったと主張する。

 そして続けて、ああ、こんな時に手伝ってくれる人がいてくれればぁ……、と雪乃は零すと、ちらりと私を見てまた咳をする。

 なるほど、いわゆる泣き落としをしたいわけか。地主の娘の泣き落としなんて、それはもう効果は絶大だろう。商店街は更地になり、海は連絡船で覆われる。まあ、実際そこまでの効力があるかは知らないが、それが幼馴染に通じるかはまた別だ。

 モノがモノだ、まだ露店の設営を手伝えだとか、会場の清掃活動に手を貸してほしいとかならまだよかった。だが頼まれたことはそれを遥かに凌駕していて、いざという時の代わりとは言え、巫女役をやれなんて流石に頼みの度が過ぎる。

 いくら雪乃の頼み事とは言え、町の笑い者にはなりたくない。雪乃には悪いが今一度断ろうと断ろうとするも、当の本人は咳をしていて、こほんこほんと話しを逸らす。

「あのねぇ、雪乃……私もね、あなたの力になりたいって思うわよ──」

「こほんこほん」

「まあ、こう言うこというのもなんだけど、確かに雪乃は身体が丈夫じゃないし、万が一があるとは思うわよ。けど──」

「うんうん、こほんこほん」

「……ねえ、流石に私にそれをやれってのは酷な話しなわけで、雪乃にはそれをわかって貰いたい──」

「見たいなぁ、なつめちゃんの巫女姿、こほんこほん。ゴホッゴホッ、ごめん、今の無し」

 思わず頭を掻きむしる。まったく、この娘は──

「……あー、あーもうっ! わかったわよ! 手伝えばいいんでしょ?! 手伝えば!?」

 口にして、一気に後悔する。軽はずみだと自分でもわかっていたが、こうしなければどうやら終わらないらしい。

 基本的にのほほんとしているか、申し訳なさそうに笑っているかのどちらかなのに、昔から変なところで雪乃は我が強い。そのおかげで気を使うだけだとか、そう言う関係になっていないのは救いだが、今回ばかりはそうであって欲しくなかった。

 それを聞いた雪乃はパッと表情が明るくなり、当たり前のように咳が止まる。ありがとう、とそう言おうした彼女に釘を刺すように、私は机を叩くと雪乃を指差す。

「ただし! 雪乃が言ったように、私はあくまで保険、有事の際のバックアップ! ちょっと気分が悪いとか、かすり傷があるとかでサボるのは絶対無し! やむを得ない事情がない限り、あんたが巫女をやるのが絶対条件よ、わかった!?」

 はーい、と雪乃は軽く返事をして、私は頭を抱える。本当にわかっているのだろうか、と大きくはめ息を吐く。

「けど、本当にごめんなさい。いきなりとは言え、こんなこと頼める相手がなつめちゃんしかいなくて……」

「いいわよ、もう。それで、結局私はなにをすればいいのよ。そもそも巫女役ってなにをすればいいんだっけ? 礼儀作法なんて出来ないわよ、私」

「ううん、難しいことは大丈夫です。裏側のことはこっちがしますから。だからなつめちゃんには、当日までに舞の振付を覚えて貰えればそれで大丈夫です」

 要はダンスか、そんなもの踊ったのは何時振りになるのだろうか。運動神経は自分で言うのなんだが、それなりだとは思う。

 ブレイクダンスのような激しく踊るわけではないだろうから、問題は記憶力になる。そう思って、去年の舞を思い出すが、これがなかなか上手くいかない。

 やはり安請け合いするべきではなかったか、と私は畳の上に寝ころんだ。

「じゃあ、なに? これから舞の稽古を受けなくちゃいけないってこと? なんだか面倒くさいわね……」

「私が教えますよ。まだまだ日にちはありますから、暇を見つけては一緒に振付を覚えて行きましょう」

 カラ返事をしながら、天井を見上げる。何だかんだ言って、結局私は雪乃の頼みを断ったことがないんじゃないのかと思う。

 結局、私は甘いのだろう。面倒くさい、面倒くさい、と言いながら頼まれると断れない性分なのだと、なんとなく自分でも感じている。いや、断るの方が面倒くさいから断らないのだと、そう思っておこう。

「そうは言ってもねぇ、そもそも巫女役って私がやっても本当に良いの? そう言うのって、こう……神聖なモノなんじゃないの? 私がやっても大丈夫なモノなの?」

「ひとえには言えませんが、大切なのは作法よりも心だと私は思います。日々の感謝の気持ちを忘れない、それが出来ていれば大丈夫かと。逆にマナーや習慣、形式ばかりに気を取られて本分を見失っては、それこそいけませんから」

「手段と目的が入れ替わるってやつね。んー、なら尚更私は不適切じゃない? 私、そう言う心遣いなんて全然ないわよ。感謝とか恩恵とか、それこそオカルト的な体験でもあったら、少しは信じても……」

 太陽の光。その光が私の頭の中に灯って、スッと私の顔から表情が消える。ゆっくりと倒した身体を起こし、雪乃の顔を見てると、どうかしたのかと軽く首を傾げられる。

 いや待て、あれは幻覚かなにかだったはずだ。自分で京一郎にも言ったではないか、熱中症が見せた幻覚だと。だがしかし、本当にそうかと聞かれたら自身は無い。私はあの幻覚と確かに会話をした、と思う。

 確か金髪で、空から舞い降りた翼を生やした少女。その羽は太陽のように輝いていたような、そうでないような。どちらにしても、あれはいったい何だったのか。だがあれは、そう、一言で言うなら、まさにあれは──

「顔になにか……?」

「えっ!? あ、いやなんでもないの! 気にしないで気にしないで」

 ぼーっと雪乃の顔を見ていたせいか、雪乃は自分の顔になにか付いているかと手をやる。私は慌ててそれを否定して、はぁ、と大きく息を吐く。

 なにを考えているのだろうか。あれは幻で、それ以外のなにものでもない。いつから私はこんなにも夢見がちな発想をするようになったのか、今時の子供でさえこんな考えには至らないと言うのに。

 自己嫌悪で肩を落とし、やだやだ、と首を左右に振っていると、見かねた雪乃が手を叩いた。

「そうだ! 暑中見舞いで貰ったものが余っているので、拾って行ってください。毎年多くの方から頂くんですが、今年はそれ以上で……」

「あ、うん……持っていくわ。そうだ、良ければ京一郎の分も持っていくわよ。京一郎にテントの留守番させてたし、戻ればまだいると思うわ」

 ならなつめちゃんと京一郎くんの分用意しときますね、とゆっくりと雪乃は立ち上がる。そして、いそいそと戸棚を開け、その中から箱を数個引っ張り出した。なるほど、自分の寝室に包み紙を開けていない箱を置くぐらい余っていると言うことか。

 雪乃は包みを開け、中身を確認して私と京一郎に分ける分をテーブルに並べて行く。テーブル上にお菓子が積み上がっていく様子は圧巻で、同時に荒川家の偉大さを現しているようだった。

 だが相変わらず雪乃は『拾って行く』の使い方をよく理解してないんだな、とそう思いながら私も立ち上がり、背伸びをする。

 どうやら話しも一段落したようだ。ここでゆっくりするのもいいが、せっかくテントを張ったんだ、日が昇っている時の時間も堪能したい。

 それに日がある時に戻らないと、暗闇の中で料理の作業をすることになる。初めてのキャンプで勝手がわからない以上、早め早めに行動した方が良いだろう。とは言っても、今日の献立はインスタント食品なのだが。

 そもそもどうやってお湯を沸かそうかなぁ、とそんなことを考えていると、雪乃はタンスから風呂敷を取り出し、綺麗に土産物を包んでくれる。

「ここでゆっくりしたいけど、一度戻るわ。雪乃も来る? 京一郎、今日泊まるとか言ってたし、川の字になってみるのも楽しいかもしれないわよ」

「ごめんなさい、今日は遠慮しておきます。でも確か暫くはテントをたてっぱなしにするんでしたよね? 都合のいい日にお邪魔させてもらいますね」

「そうして頂戴。私がいなくても我が物顔で使ってて良いから」

 ではコレを、と雪乃は包み終わった風呂敷を私に手渡す。受け取ってみると、二人分とは言えなかなか手ごたえを感じる。

 そのまま雪乃に見送られるように玄関に向かい、二人して靴を履く。玄関を開けると、それと同時に数羽の小鳥が逃げるように羽ばたいて、そのまま何処かに消えて行く。

 少しばかり話し込んでしまったのだろうか、庭の陰の位置が動いていた。それでもまだまだ気温は高く、ちらりと雪乃を盗み見てしまう。

 正門のくぐり戸を通ると、私が停めた自転車が健気に主人を待っていた。自転車のサドルは日光に照らされ、触ると熱を帯びているのがわかる。同じように熱された自転車の前籠に風呂敷を入れると、雪乃に見せるようにその風呂敷を軽く叩いた。

「じゃあ、これ持っていくわね。それで、ええと……結局踊りの稽古は明日ってことで良いのよね。それとも明後日?」

「都合が合うのなら何時でも構いませんよ。そんなに難しいのにではありませんから、気を張らずに来てください。一応言っておきますが、忘れるのだけは止めてくださいね」

 軽く釘を刺して来る雪乃に、私はわかっていると言い返す。昔にすっぽかしたことでもあったっけ、と付け足してみようと思ったが、少し考えて止めておいた。

 自転車のスタンドを上げ、それじゃあ、と軽く手を上げると雪乃も手を振って返す。自転車を押し進み、ある程度進んだ所でサドルに飛び乗ってペダルを回し始めた。

 そうしている内に片側の視界が開け、潮風が鼻を刺激した。道の直ぐ横は土手になっていて、海が視界いっぱいに広がっている。水面がキラキラと輝いて、今にも波の音が聞こえて来そうだった。

 軽く横を見て、その模様を気にするようにペダルを回す足が遅くなる。見慣れた風景、ありふれた風景。いつ見ても変わらないありふれた、それでいて、穏やかな日常。

 そして、時々ほんの少しのアクシデント、スパイス。いや、巫女役がアクシデントなんて、雪乃に怒られてしまう。ただ、こうした時よりの出来事が、刺激が心地よい。

 スッと息を肺に送る。

「ほら、なつめ! ペース上げるよ!」

 そんな自分を噛み締めるように、足に力を入れる。ぐんぐんと車輪を回して道を進み、その背景には海。Tシャツにホットパンツ姿の着飾らない少女が、短い髪をなびかせながら自転車で走り出す。気分はまるでテレビドラマのワンシーンだ。

 町を通り、人を通り過ぎ、最後の坂に差し掛かる。アスファルトで舗装された坂の上、その頂上。そこへと、そのままの速さを失わないように、ペダルを回しやすい体制にして一気に駆け上った。

 そうして見えて来た、展望公園。景色が見やすいように少し土手に向かって突き出し、ベンチと謎の東屋がある展望台公園だ。

 ベンチは何処にでもありそうな青いベンチに対して、東屋はどこかの国の物を真似しているのか、真っ白な柱に、半円の青い屋根が付けられている。

 特出して言うべきモノはこれぐらいで、後は公衆トイレに水道蛇口。後はテントを設営させてもらった大きな木。このシンボルのような大きな木は、確か何かの記念樹だとか、そう言ったものだった気がする。その下でキャンプをするわけだが、それを責める人はいないだろう。

 その入り口で自転車から腰を下ろし、そのまま押して進んで行く。ふとテントの方を見ると、京一郎の姿がない。てっきり、椅子に座りながら爆睡でもしているかと思っていたのだが……

「ああ、なるほど。なるほど、なるほど……」

 何処かに行ったのかと思ったが、どうやら違う。気にしてはいなかったが、ちょうど外においた椅子の場所が、入り口からでは木の幹に隠れて死角になっていたようだ。

 と言うことは向こうからもこちらは死角になっている。私が戻って来たと気付いてないのなら、京一郎が起きている可能性もあるし、少し脅かしてやろう。そう思って、自分が置いた椅子の向きから逆方向から木を回り、後ろへと回る。

 さて、問題はどう驚かすか。声を出すか、それともいきなり視界でも奪ってやるか。もしも万が一何かの逆鱗に触れ、京一郎が怒り出しても雪乃から預かった土産物で勘弁して貰う。

 そんなことを考えながら音がならないように静かに自転車を押し進める。もう少しで京一郎の後ろ姿が見えるとなった時、口が動く。無難に声を掛けるだけで良いだろう、不意にいきなり音がしたらそれだけで驚くものだ。そう思って名を呼びながら、いるであろう相手に向かって私は木の陰から顔を出した。

「京一郎──」

 そこにいたのは地面に伏している京一郎と、その近くに立つ金髪の少女。

 京一郎はまるで後ろから襲われ、後頭部を抑えながら倒れているように見える。そしてその後方に立っている少女は、何かを振り抜いた状態で立ち止まっていた。その手に凶器を持ちながら。

 今まさに少女が京一郎を襲い、その現場を目撃してしまったのだと理解するまでに、そう時間は掛からなかった。

 だが、なんでそうなったのか、なぜ京一郎がそんな目に遭っているのか、それが理解できない。そしてなりよりも、その金髪の少女に見覚えがあった。

 肩で息をした金髪の少女が、ふう、と軽く息を吐く。そして一仕事終わったとばかりに額の汗を拭う素振りを見せた。

「え……? な、なにやってるの……?」

 独りでに口から言葉が零れ落ちた。同時に手から自転車のハンドルが滑り、支えがなくなった自転車が倒れる。雪乃から貰ったお土産が籠から投げ出されるのは、必然的だった。

 その音で金髪の少女は振り向き、私の存在に気付く。金髪の少女は一度目を丸くして、慌てて倒れた京一郎と私を見比べると、驚いたように声を上げた。

「えっ!? えっと、その顔にその声……えっ、なんで!? なんで二人?! 忍者!? もしかしてあなた忍者だった!? 身代わり!?」

 取り乱したようにわけのわからないことを言って、金髪の少女は慌てて手に持つ凶器を背中に隠した。

「あ、あんた……やっぱり幻覚じゃあ……いや、それよりなにやってるのよ! あんた今、京一郎になにしたのよ!?」

「え……あ、これ!? いや、これにはちょっと事情と言うかー、人間違えと言うか……あなただと思ったと言うか──」

 凄む私に対して、そしてこの現場を見られたことに気付いた少女は苦々しく釈明する。だがいきなり首を左右に振ったかと思うと、今度は隠した凶器を構えだす。

 思わず私は臨戦態勢を取り、少女は凶器を振り上げると向かって来る。

「いや、でもこれはチャンス! 自ら出て来てくれて、逆に探す手間が省けてラッキー! 見られたからにはあなたには忘れて貰って──イタダダダッ! 痛いっ!? すいません! ごめんなさい! 痛いですっ!!」

「あんた本当になにやってるのよ……」

 勢い良く襲い掛かって来た金髪の少女の腕を捻り上げ、凶器を取り上げる。それはハンマーで、叩く部分は真っ赤になっている。なるほど、これで京一郎の後頭部を強襲したと言うことか。

「それになにこれ、ぴっこんぴっこんハンマー?」

 だがそれはプラスチックで出来た、一昔も二昔も前にバラエティー番組で使われていたようなおもちゃのハンマーだ。

 叩く所は赤いプラスチックで出来ていて、衝撃を吸収するようにへこむようになっている。柄の部分も同じようにプラスチックの、ピンクと白の縞模様の色が付けられている。

 振ってみると、中に何かが入っているのがわかる。少しではあるが、それは液体のようなもので、ちゃぷちゃぷ音がする。まさかこれで勢いを増しているとでも言うのだろうか。

 だが自分よりも小柄な女の子が、こんなものを振り回したところで何の脅威にもならない。それよりもまず、この少女、見た目以上に弱い。

 グッと捻り上げる腕に力を更に込めて見ると、ほとんど抵抗なく──もしくは抵抗らしい抵抗ができないのか──少女は悲鳴を上げる。

「あーッ! 痛いです! ホント痛いです!! ごめんなさい、ごめんなさい!! あたしにも事情があったんですー!」

「事情? さっきも言ってたわね、なによ事情って」

「まさか木の下にいるとは思ってなくて、見られるとは思ってなくって! だから、その……忘れて貰おうと思って来てみたら人違いで──」

 忘れるってなにを、そう聞き返そうとして言葉が濁る。それは紛れもない、この少女が翼を広げて空から舞い降りて来たことだろう。

 だが少女の背中に目をやっても、今この金髪の少女の背中にはあの翼がない。それどころか、こうして対峙しているとただの女学生だ。

 いや、ただの女学生がおもちゃを振り回して人を襲っているかと聞かれれば、非常に返答に困るの。だが、現状そうなっているのだから、二重の意味で困りものだ。

 なに、本州の子ってこんなのが普通なの? 時折来る観光客だって、もっとまともだと思ってたんだけど──

 こんな金髪の少女がこの島にいるところは見たことない。それにあの時持っていたバッグ。置いて来たのか今は持っていないが、この町では買えないお洒落なバッグだったはずだ。登場の仕方もさるごとながら、少なくともここの島民ではない。

 となれば必然的に本州の人間と言うことになるが、十人十色とは言え、それにしては癖があり過ぎる。なんだ、私が知らないだけで本州の人間は空から舞い降りるのがブームだとでも言うのか。

「て言うか、京一郎。あんたも何時までそうしてるつもりよ。さっさと起きて、この状況を説明しなさい」

 そう言って、私は倒れている京一郎に声を掛ける。要は京一郎はおもちゃのハンマーで叩かれただけで、つまりは倒れたフリをしている。

 まさか本当におもちゃのハンマーで後頭部を強打され、気を失っているのだとしたら気の毒でならない。そんなことで気を失うほど軟な体質ならば、生活は難儀だろう。

 と言うことは、この二人は私になにかしらの目的あって、こんなことをしていることになる。いったいなにが目的で、こんな茶番に京一郎が付き合っているのか──それとも京一郎が持ちかけたのか──さっさと話しを聞いた方がこの状況を理解するのに手っ取り早い。

 起きろ、ともう一度声を掛けも、不思議なほどに京一郎は動く素振りを見せない。それどころか眼を開ける気配もなく、まるでその状態で深く眠っているようにも見える。

 京一郎がここまで演技に力を入れるとは思ってなかったが、このままでは埒が明かない。バカバカしいと、私は金髪の少女から奪い取った凶器、おもちゃのハンマーを京一郎に向かって投げつけようと振り上げた。

「あれ? なんか面白いことになってるわね」

 おもちゃの中の液体が揺れ動き、ちゃぷんと音がしたその時だった。

 落ち着いた大人らしい声が聞こえ、私は動きを止める。その声色にハッとなって、声の方向を見るとそこには一人の女性が微笑んでいた。

「水木さんッ!」

「瞳子お姉ちゃんっ!」

 互いにそう言って、互いに顔を合わせる。なんて言った? お姉ちゃん? 

 私と少女に同時に呼ばれた女性は、ニッと笑うと、手に持っていたラムネ瓶を振って見せた。

「あらら、こうなったか。まあ、なんとなくこうなるかなって思ったけど」

「うう、ごめんお姉ちゃん……失敗しちゃったー」

「ううん、大丈夫よ。水の流れと一緒で、きっとこう言うのって無理にせき止めるものじゃないのよ」

 二人して軽く言葉を交わすと、次に水木さんの視線は私に向けられる。

「ごめんねなつめちゃん、騒がしくしちゃったわね。その子、私の親戚の子で今日から預かることになったのよ。仲良くしてあげてね」

 水木さんがそう言いながら私に腕を掴まれている少女を指差し、慌てて腕を離す。

 痛かったぁ、と少女は腕を抑えながらうずくまる。その姿を見て少しの罪悪感を覚えたが、襲われたのはこっちの方だ。だが水木さんの知り合いだったとは、ちらりと水木さんを見て少し気まずく感じる。

「あ、はい……それは、まあ。でも、あの……その子っていったい。それに、なんで私襲われて……」

 そう、行きつく話しはそこだ。この少女の正体はわかった。水木さんの親戚の子で、今日この島にやって来た、と。

だがいまだ謎は多い。あの時見た翼、そして襲われる理由だ。どうも見られてはならないものを、私が偶然目撃したのが原因なのだとはわかる。しかし、その結果がなぜ襲われるのか、そもそもあの翼はなんなのか、わからないことばかりだ。

 そう思って、私は困惑するように尋ねると、水木さんは理解するように一度頷く。

「そうね……この子も悪気があったわけじゃないのよ。ほら、この子から聞いたのだけど、なんでもなつめちゃん、この子の──いや、私たちの秘密を見たんでしょ?」

 するとごく自然な形で私からおもちゃのハンマーを受け取り、そして水木さんはこう続けた。

「私たち、いわゆる魔法使いなの」

 そう言って、水木さんは笑いながらおもちゃのハンマーを振って、ちゃぷちゃぷと音を立てた。

 

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