私は貴女の妹です   作:ilru

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 思えば、散々な人生だった。

 

 私はとある田舎町の貧乏な家で生まれた。父は見たことがなかった。母から直接言われた覚えはないが、恐らく強姦されたとか、不倫相手との間に出来た子とか、まぁ望まれて生まれた子ではないことはなんとなく周りの視線で察知がついた。

 

 そんな私を母は懸命に育ててくれた。病弱なのに、毎日灰塗れになって、汗水垂らして、手に血を滲ませながら私に本を与えたり、勉強出来る環境を整えてくれた。学校に行くのは私から遠慮した。

 そんな母を皆んなは「アッシェンプッテル」なんて読んで揶揄っていたけれど、私はそんな母が誇らしくて、「プティ」という母から与えられたこの名前をとても気に入っていた。

 

 私の町には遠い昔から吸血鬼が住んでいた。私達村の人々は、毎月何人かの人間を彼らに生贄として捧げることで、何かあった時は助けて貰っていた。

 触らぬ神に─この場合は鬼だが─祟り無しとはよく言ったもので、そうすることでこの村は平和に暮らせていた。吸血鬼の琴線に触れないように、彼らが村を滅ぼさないように細心の注意を払いながら、彼らによって守られている毎日を過ごしていた。

 

 あれはいつの頃だっただろう。確か私が十三歳の頃だっただろうか。その日は強く雪が降っていて、暖炉の火をぼんやり見つめながらじっと母の帰りを待っていたのを何となく覚えている。

 

 勢い良く扉の開く音が背後で聞こえた。侵入してきた冷気に身を震わせながら振り向くと、母が頬を赤らめて帰ってきた。母は今までにないくらい幸せそうだった。

 

 お帰り、どうしたの? 何かいいことでもあったの? と私は聞いた。大方お給金が上がったとか、美味しいお肉をお裾分けしてもらえたとか、そういうのだと思っていたが、母の返答は私の予想よりも少しだけ上を行った。

 

 プティ、貴女にお父さんが出来るのよ。母は緩んだ頬を引き締めることも忘れてそう言った。多少、いやかなり驚いたが、今まで辛そうだった母が幸せになれるなら何でもいいかと素直に受け入れた。

 

 良かったね、お相手は? 私の父になるにがどんな人なのか気になった。

 内緒、近いうちに会うからその時にね。いつも仏頂面の貴女でもきっと吃驚すると思うわ。悪戯っ子のような表情で母が口元に人差し指を当てた。私の好奇心は益々膨れ上がったが、どうせもうすぐ会えるのなら態々問い詰める必要もないだろうと、思考放棄して母と夕食を食べる準備を始めた。

 

 それから暫くして、冬の寒さも薄れ、僅かに春の温かさを感じ始めるようになった頃、私は母に連れられて夜の森の中を歩いていた。

 頭上に鬱蒼と広がる木々が月の光を遮るせいで目の前は何も見えず、逸れないように強く母の手を握った。汗ばんでいく私の手を気にすることなく、母は優しく私の頭を撫でて、しっかりと握り返してくれた。ただ、あまりにも握り返す力が強かったので思わず顔を顰めて母を戸惑わせてしまった。

 

 母の結婚相手の所へ連れて行かれているらしい。どうやらそのまま相手の家に住むらしく、私の背中には衣服や本が詰め込まれたバッグが背負われている。

 

 夜の逢瀬とはロマンチックだなと思うと同時に、どうして人気の無い森の奥に連れて行かれているのだろうと思った。なんせこの森の先にあるのは吸血鬼の住む館だけで、人はおろか獣すら寄り付かないのだから。そこまで考えて、嫌な予感が背筋を震え上がらせた。

 

 頼むから予感で終わってくれと願いながら拓けた土地に出る。月光の降り注ぐ其処は、中心に大きな切り株があった。その上に、2人の人物が座ってこちらを見ている。

 

 1人は幼い女の子で、薄い桃色の衣服を身に包んでおり、袖やスカートの裾など、所々に赤色のレースやリボンが止められている。青みを帯びた銀髪で、頭には衣服と同じく桃色の特長的な帽子に赤いリボンが巻かれている。

 もう1人は大きな男性だった。多分少女の父親だろう。服装は黒いスーツのような感じで、身なりの良さが窺える。とても筋肉質で、服越しでもその質感をありありと感じられる。

 2人とも普通に人間のようだった。背中に蝙蝠のような翼さえ生えていなければ。

 

 彼らは正真正銘、この町を滑る吸血鬼だった。

 

「送れてすみません」

「いや、此方も今来たばかりだよ」

 

 母の上ずった声に、男性がそう答える。2人の反応を見る限り、どうやら私は吸血鬼と家族になるらしい。

 

「お父様、此方が新しいお母様になる人ですか?」

「ああ、そうだ」

「こんばんは。アッシュプテルと申します。此方は娘の……」

「プティです。宜しくお願いします」

 

 母につられて急いで自己紹介をする。だが、目の前にいる者が人を殺して食べていると思うと震えが止まらなくて、自分でも信じられない程声が震えていた。

 

「初めまして、プティ。そんなに怖がらないでおくれ。家族になるものを食うなんてことはしないよ」

「は、はい……」

 

 男性は私を宥めるように優しく頭を撫でてくれた。とても落ち着いた声でそう言ってくれたお蔭で、なんとか震えを抑えることが出来た。

 

「ほら、お前も挨拶しなさい」

 

 男性に促されて、少女が私たちの前にやってくる。

 

「こんばんは。レミリア・スカーレットと申します」

 

 そう言ってスカートの端を持ち上げてお辞儀をする。その所作の一つ一つが今まで見たことがないくらい流麗で、思わず見惚れてしまった。

 

「宜しくね、レミリア」

「はい、お母様」

 

 どうやら2人は何度か会ったことがあるらしい。そういえばここ数年母が夜になっても帰ってこない日があったな、もしかしてその時に会ってたのかな、なんて何処か他人事のように目の前の光景を眺める。ふいに、母の視線を感じた。目の前にはレミリアという少女が私の目の前にいる。真紅の瞳が私を射止める。

 

「初めまして。これから宜しくお願いします、レミリアお嬢様」

「ええ、宜しく、プティ」

 

 彼女の目の前でスカートを摘み上げ、頭を垂れる。お姉様と呼ばなかったのは、彼女の年齢が分からなかったのと、吸血鬼と姉妹というのが受け入れられなかったからだ。私としては姉妹じゃなくて彼女の従者でいた方が精神衛生上楽で良い。

 

「それじゃあ、我が家へ招待するよ」

 

 男性─お父様は背中の翼を目一杯広げて夜空に飛び上がった。レミリアお嬢様もそれに続く。

 それじゃ私達はどうやって行くんだと疑問を母に投げかけようと彼女の方を見たら、なんと母の背中に翼を生やしているではないか。

 

「お母さん、それ……」

「ああ、貴女には初めて見せたわね。私、あの人の眷属になったのよ。プティもなる?」

 

 彼らと同じ蝙蝠のような翼をパタパタと振りながら母が上機嫌そうに笑って手を私に差し伸べた。

 

 怖かった。恐ろしかった。母が遂に狂ったんじゃないか、実は母の振りをした誰かが私を殺そうとしてるんじゃないか。母が母じゃなくなっていくような気がして、泣き出したくて堪らなかった。でも、目の前で無邪気に笑う彼女は確かに私が愛してやまない母で、たとえ彼女が吸血鬼になろうがなんだろうが、それで彼女が報われるのなら、幸せになれるのなら、それで良いじゃないか。そうだろう、そうに決まっている、そうじゃなきゃダメだ。

 

 だから、私はまだ人間でいい。まだこの現実が飲み込めていないし、何よりもう少しだけ彼女の愛した人間のプティでいたい。そして少しずつ現状を理解して、慣れた頃に私も吸血鬼にして貰って母と永い時を一緒に笑って暮らそう。だから、私は差し伸べられた手は受け取らず、母に両手を広げてみせた。

 

「いえ、大丈夫です。それよりもほら、私を早く連れて行ってください。置いて行かれてしまいますよ?」

「ふふ、それもそうね。なりたくなったらいつでも言ってね」

 

 母は軽々と私を持ち上げて、お姫様抱っこに持ち変える。そして勢い良く飛び上がった。渡井は振り落とされないように母の首に通した腕を解けないように必死に掴む。

 

 風圧が無くなった。ゆっくりを目を開く。目の前には母の顔があるが、月の逆光のせいで表情を窺い知ることが出来ない。彼女の視線の先を見れば、お父様とレミリアお嬢様が空中で待機していた。2人が恐らく館があるであろう方向へ飛び始める。母もそれを追う。

 目の前で激しく舞う髪を視界に収めながら、私は吸血鬼の家族になったのだなと、漠然と理解した。

 

 其れから数年は幸せな日々だったと思う。初めはいつ食べられるか気が気でなかったし、赤の他人、しかも吸血鬼と家族なったことからとても緊張していたけど、お父様もレミリアお嬢様もとても優しく人間の私に接してくれた。

 襤褸衣しか着たことがなく、いつも何処かしら汚れていた私に、自分達は必要無いのにお風呂や食事を用意してくれたり、見るからに高級そうな服を用意してくれた。

 

 そんなのに比べたら、人を食べているのなんか気にするほどでもなかった。彼らも生きるために食べているだけで、殺人を好んでいる様子は無かったし。母が人の血を飲んでいるのを見た時は少々心にくるものがあったが、幸せそうな笑顔の前では些事でしかない。

 

 更に驚いたことに、家の地下の倉庫には大量の本が並べられていた。そのうちの幾つかは魔法関連のものらしい。私は魔法を使えないが、幾何学的な魔法陣や魔法の詳細について書かれたそれを読むのは、絵本みたいで楽しかった。見かねたお父様が少しだけ血を体内に入れてくれたお蔭で、吸血鬼にならずに魔法を使えるようになった時は、嬉しくて初級魔法を連発して倒れてしまった。そして目が覚めると母が泣きながら抱きしめてくれて、その後叱ってくれた。その叱責すらも私にとっては幸せの象徴だった。

 

 ある日のことだった。吸血鬼との生活に大分慣れてきた頃、お父様が神妙な顔付きで私と母親を呼んだ。

 

「実はお前達には秘密にしていたことが一つだけあるんだ……」

 

 私が2人の前に紅茶を差し出し、席についてから、お父様は世間話もせずにそう言った。

 

「あら、そうでしたの。それで、それは一体どのようなものですか?」

 

 母は表情を変える事なく紅茶を啜る。

 

「実はな、レミリアの他にもう1人、娘がいるんだ……」

「まあ、そうでしたの! どうしてその事をもっと早く言ってくださらなかったの?! 会いにいったのに!」

 

 今度は母の表情を変えるに足るものだったらしい。いつも貼り付けたように浮かべている笑みを驚愕に変え、彼女はお父様に詰め寄る。

 

「……危険、なんだ。彼女は気が触れている」

「……それだけですか?」

「彼女は、生まれた時に自分の母を殺したのだ。彼女はなんでも壊すことが出来る。そしてそれを実行することに躊躇いがない。だから、もし君が殺されたらと思うと、言えなかったんだ……」

 

 重苦しい沈黙が私たちを包んだ。確かに地下の倉庫に行く途中に、別の通路があった。お父様から行くなと言われていたし、特別行く理由もなかったので行かなかったが、恐らくもう1人の娘というのはその先にいるのだろう。

 

 どれ程時間が経っただろうか、切り出すにも切り出せず、紅茶を飲む音だけが響く。やがて自分のがなくなってしまった頃に、母が沈黙を破った。

 

「では、会いにいきましょうか」

「……いいのか? 殺されてしまうかもしれないんだぞ?」

「私達は家族でしょ? それなのに全員のことを知らないのは可笑しいですわ。それに、いざとなったら貴方が守ってくれるでしょう?」

「……ああ、必ず」

「なら安心です。それでは行きましょうか」

 

 母が立ち上がる。お父様もそれに続く。私も気になったのでついていこうとしたら、お父様に止められた。

 

「プティ、君はレミリアと一緒に待っててくれ」

「えっ、でも……」

「それくらい危険なんだ。大丈夫。時期が来れば必ず君には会わせる。それに直ぐ帰ってくるから。お願いだ」

「……はい。分かりました」

「ありがとう」

 

 余りにもお父様が必死に言うものだから、私は大人しく引き下がった。小さくなっていく二つの背中を眺めながら、不安を拭い去ることが出来なかった。

 

「姉妹? 貴方以外に……いたわね、そういえば」

「血の繋がった妹を忘れないでください。後私はレミリアお嬢様の従者です。妹じゃありません」

「あら、冷たいこと言うのね。私達家族でしょう?」

「私なりの線引きです。察してください」

「吸血鬼の血が流れているのに?」

「それはそれ、これはこれです。例えそうでも私は人間ですから」

「ふーん、まぁ良いわ。そう言うことにしといてあげる」

 

 天蓋付きのベッドの端で座っているレミリアお嬢様の前で膝をついて彼女と話す。人間の私と比べ吸血鬼の彼女は寿命の違いからか身体の成長が非常に遅く、こうでもしないとベッドに彼女が座っていても見下ろすことになる。主人を見下ろす従者は個人的に余りよろしくない。因みに見た目が完全に幼女なので、初めて彼女の年齢を聞いた時は目玉が飛び出そうになった。

 

「それで何だったかしら……ああ、妹のことね。それにしてもどうしてその事を知っているの? 秘密にしていたはずなのだけれど」

 

 先程の時とはうって変わって、射抜くような鋭い視線で此方を見てくる。

 

「お父様が私たちに教えてくれました。今お母様と会いに行っています」

「……嫌な予感がするわ。お父様達のところへ行きましょう。妹のことは道すがら話すわ」

 

 彼女はベッドから飛び降り、早足で部屋を出ていく。私はその小さな背中を急いで追いかけた。

 

 もう1人の妹の名は、フランドール・スカーレットというらしい。眩い金色の髪を片方の髪に纏めていて、背中には一対の枝にそれぞれ七色の宝石がぶら下がった変わった形の翼。赤色の服と靴を着た可愛らしい少女で、レミリアお嬢様の5歳年下らしい。

 

 彼女は普段は地下にある自室に閉じこもっていて、出てくることは滅多にないらしい。理由は、彼女自身が引き籠りがちなのもあるが、生まれた時に母を殺した事でお父様が幽閉したというのも大きい。

 

 どうやって母を殺したのかと聞くと、フランドール─レミリアお嬢様はフランと呼んでいた─にはある特殊能力があるらしい。曰く、物質なら例えそれが戦車でも人間でもなんでも壊すことが出来るらしい。それで母を捻り殺したんだとか。因みにレミリアお嬢様は運命を操る能力を持っているらしい。褒めると小さな胸を反らして自慢げに鼻を鳴らした。とても可愛かった。

 

 フランお嬢様の説明を聞いていると、流部屋の前にたどり着いた。ドアはとても分厚く、彼女をどれだけ恐れていたのかがよく分かる。

 

「開けるわよ」

 

 ドアノブに手をかけたレミリアお嬢様に真剣な顔で頷き返す。それを確認した彼女はゆっくりと扉を開いた。

 

 まず最初にドアの隙間から見えたのか赤色だった。妙に艶かしく光るその紅を、私は最初そういう色の絨毯なのだと思った。

 

 次に見たのは何かの物体だ。赤黒く染まったそれはぐちゃぐちゃで、それがなんなのか私には分からなかった。

 

 次に見えたのは黒い翼と陶磁のような綺麗な肌だった。私の母の翼と左でだった。でも可笑しい。これだと彼女は地面に寝そべっているようだ。如何してだろうか。

 

 軈て扉は完全に開け放たれ、部屋の中の景色が一瞥できた。

 部屋の奥にはレミリアお嬢様の部屋にあるのと同じような天蓋付きベッド、その逆側には1人分の机と椅子。中央には豪奢なシャンデリアがぶら下がっていて、それでも光の届かない場所には壁に燭台が付けられていて、蝋燭の火が揺らめいている。

 

 私のすぐ足元に、母の左手と翼だけがあった。血を辿って視線を上に上げていくと、2人の人間が床に寝そべっている。2人ともボロボロだ。片方は下半身と四肢は無くて、上半身も吹き飛ばされたような穴が幾つもあって、首なんか皮一枚で繋がっているようなものだ。それはお父様だった。

 もう片方に至っては最早形容しようがない。ただドス黒い肉の塊がそこにある。それだけだ。多分、それが私の母だった。

 

「え……お母さん……ねぇ……どうしてそんな姿になってるの……?」

 

 呆然とした頭で、フラフラと肉塊の元へ歩み寄る。真っ赤になっていく靴も、スカートも、手も気にせず、膝をつき、それを掴み取る。それはとても生温かたった。ついさっきまで生きているような温もりを感じた。

 

 グジュリ、グジュリ。私が肉を弄る音だけがただっ広い地下室に木霊する。

 

「ねぇ、お母さん……そんな寝てないでさ、早く起きてよ。ねえ、悪戯なの? 悪戯なんでしょ? 私には分かるよ。だからほら、早く起きて……起きて……起きて……起きて……」

 

 何度も何度も、譫言のようにそう呟く。揺さぶる度に、積もった肉塊は崩れ落ちて行く。そんなのも気にしない。気にしたくない。ただひたすら声を掛ける。

 

「起きないよ。見て分からないの?」

 

 不意に、頭上から声が聞こえた。目を向けると、太陽のような金色の髪に、血のように真っ赤な服を着た少女が私のすぐそばまで来ていた。どうやら夢中になっていたせいで近付いていたのに気が付かなかったらしい。

 

「貴女は……?」

「人に名前を聞く時はまず自分から名乗るのが礼儀じゃない?」

「プティです。レミリアお嬢様の、従者をやらせて貰ってます」

「そう、あいつの従者。宜しくね、プティ。私はフランドールよ」

 

 純真無垢な笑顔で、フランドールはそう言った。名前と見た目からこの人が妹様なのだろう。なる程確かに、見るも無残な死体どもを前にして子供のような純粋な気持ちを持ち続けていられるのなら彼女は狂っている。

 

「あの、これは一体どういう……?」

「ああ、これ? なんかむしゃくしゃした気分で、丁度そこにいたからついやっちゃった」

 

 ついやっちゃった。何の悪びれる事なく、まるでそれが普通かのように、彼女はそう言ってのけた。つまり、私の母はただ彼女の腹いせに殺されたというわけだ。跡形もなく、何の罪も無く。

 

 彼女のこの行為は、適応規制における攻撃に分類されるもので、精神の安定を測る為には必要な行為で、たまたまその対象が物では無く私の母だっただけだ。そもそも幽閉されていた彼女にとっては彼女が新しい母だというのを知らずにやってしまったのかもしれない。それなら、まだ分かる。

 

「あの……彼らは……」

「へ? あぁ、お父様と新しいお母様でしょう? それがどうかした?」

「なんで……? 分かってて……?」

「だってイライラしてたところに話しかけられたから? あとあの女、ずっとニコニコしててなんか薄気味悪かったからかな?」

 

 何を言っているのか理解できなかった。たっぷり時間をかけて、彼女の発言を噛み砕いて、漸く理解して、頭が真っ白になっていくような気がした。体の奥底が徐々に熱くなっている。強く噛んだ唇や握りしめた掌から血が流れていく。痛みは無く、生温かさだけがまだ血に濡れていない肌を埋めていく。

 

 嗚呼、憎い。彼女が、フランドール・スカーレットが憎い。何の怨みもなく、ただ気に食わない、イライラしていただけで私の母を殺した彼女が憎くて仕方が無い。私の人生の全てだったのに、彼女は蝋燭の炎を消すように呆気なく私から母を奪い去った。死ね。死んでしまえ。いや殺させろ。私がお前を殺す。憎悪に満ちた眼差しを彼女に向ける。

 

「何?」

 

 私の視線が気に食わなかったのか、少々不機嫌な声でフランドールが私を睨みつける。手を宙を掴むように持ち上げ、私に照準を合わせる。

 

 恐らく彼女は私をその手で殺そうとしているのだろう。その何でも壊す能力を使って。私の心臓が彼女の掌で脈打っているように見える。別にそれでも構わない。それで母の元へ行けるのなら。でも少しは報復させてもらおう。たとえ無意味に終わっても。

 体内の魔力を総動員させ、手のひらに集める。二言三言、詠唱してから、吸血鬼の弱点である水の魔法をいつでも彼女に浴びせられる準備をしておく。

 

 一触即発。死んだような静寂が地下室を満たした。そして彼女がゆっくりと手のひらを握る。それを見て彼女に魔法を発動しようとして、突如襲った衝撃がそれを拒んだ。

 目の前では、レミリアお嬢様がフランドールの手を掴んで能力の行使を抑えている。恐らく私の手は彼女の翼の風圧で吹き飛ばされたのだろう。

 

「フラン、プティ、やめなさい」

「お姉様、なんで?」

「私の妹だからよ」

「私もそうだよ?」

「なら殺すのはやめなさい」

「どうして? 殺そうとしたのはそっちだよ?」

「それは貴女が彼女にとってはかけがえの無い人物を殺したからよ」

「え、この人も殺せなさそうな女の人のこと? こんな弱い人が大切なの?」

「強さが全てじゃないの」

「分からないわ。どうして殺しちゃダメなの?」

「フラン、お願い。後で幾らでも遊んであげるから言うことを聞いて。彼女を殺さないで」

「……はい。わかりました」

 

 心底理解出来ない様子のフランドールを、レミリアお嬢様の真摯な瞳が見つめる。漸く少しは分かったのか、それとも興が逸れたのか、少し不満気ながらも引き下がった。

 

 それを見送って、今度は私の方へ駆け寄ってくる。私は彼女に手を吹き飛ばされたまま、手を元に戻すこともせずぼんやりと立ち尽くしていた。渾身の魔法が不発に終わったせいで全身を疲労感が包む。気怠気な身体を、収まることのない復讐心が徐々に蝕んでいく。

 

 今すぐ彼女を殺したい、復讐したい。でも身体が言うことを聞いてくれない。動けよ。動いてくれよ。すぐそこにいるんだよ。一発当てるだけでもいいんだ。殺されてもいいから、頼むよ。

 

「プティ、行くわよ」

「……いやです。母は、お父様は何も悪くないのに。どうして殺されなきゃ……」

「……ええ、お父様たちは何も悪くないわ。ただ運が悪かったのよ」

「それで納得しろと? 仕方がなかったから諦めろと?」

「……ええ」

「そんなことっできるわけ!」

「無理にとは言わないわ。ただ今はお願い、落ち着いて。これ以上、私から家族を奪わないで。フランに殺されないで」

 

 悲痛な顔で訴えるレミリアお嬢様が私の目をしかと見る。私は何も言えなかった。父と2人の母を失い、妹が最愛の両親を殺し、いくら100年以上の時を過ごしていようとも悲しくて堪らないだろう。不安で、怖くて、泣きたい筈なのに、それを抑えて、血も繋がっていない私を家族と呼び落ち着かせようと努力している。

 徐々に気持ちが落ち着いてきた。深呼吸をして気を沈め、やっと身体が動くようになった。

 

「……はい。取り乱してすみませんでした」

「じゃあ行くわよ」

 

 彼女は出口へ歩いて行く。その小さな背中が、今はとても大きく見えた。

 

「フランドールお嬢様」

「ん? 何?」

 

 先程までの事なんてなかったかのように、彼女は呆気カランとした様子でそう言った。嗚呼、全く、貴女はどうしようもなく狂っている。

 

「貴女は、レミリアお嬢様のことが好きですか?」

「んー……うん、好きよ。多分」

「そうですか。ありがとうございます」

 

 だからいつか必ず復讐しよう。私は絶対にフランドールを許さない。例えこの身が朽ちても、生まれ変わって必ずや貴女に同じ思いをさせてやる。

 笑顔で彼女に感謝を述べて、私はレミリアお嬢様の後を急いで追いかけた。

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