『・・・・・・地域ニュースをお伝えします。先日童実野博物館から消失した石版の件ですが依然として手がかりは見つかっていない模様です。警察は専門家との連携も踏まえた捜索を行っていくとのことでした。博物館からの発表によれば、この一件で展示を中止していた特別展は五月末まで期間を延長し、今月の17日から展示を再開する見込み・・・・・・』
・・・・・・日課の朝のラジオニュースは特に目立つ話題はないようだ。博物館の話は随分と前から言われているし、特段珍しいものではない。今日も童実野町は平和なようで何よりである。
用は済んだので、頭に付けていたヘッドホンを外す。重いのは難点だが音が良いので重宝している。滅多に家にいない母が明日佳に買ってくれた物なのだから尚更だった。
「明日佳、何聞いてたの?」
「ん、いつも通りのニュース。特に遊戯が気になるような話題はなかったと思うよ。聞いてみる?」
「・・・やめとくよ。明日佳がそう言うなら大抵大したことないし」
げっ、と軽く引いたような動作をした双子の片割れに明日佳はからからと笑った。
自分でも聞こうと思えば携帯でもなんでも使って聞けるだろうに毎朝内容を聞いてくるのだ、この兄は。彼からしてみれば挨拶のようなものなのだろうと明日佳は思う。
「偶には自分で聞いてみればいいのになぁ。わたしが大したことじゃないって思ったって、遊戯にとってそうとは限らないじゃない」
「いいんだよ、明日佳から聞くので十分だから」
「そ、」
「それよりも・・・・・・それ、もしもセンコーとかに見つかったらどうするのさ」
じと、と首にかけたヘッドホンに目を向けた遊戯にに、明日佳はにやと口角を上げる。
幼馴染との待ち合わせの場所に着くまではしばらくかかる。悪戯心が疼いて、気を損ねない程度に少しからかってみようかという気分になった。
「無問題だよ。ばさーっと隠すだけだからさ」
なんの効果音だそれは、と訝しく思った兄が振り返るよりも先に文字通りの行動を彼女は起こしていた。
背中まである長い黒髪を豪快にすくい上げて前に垂らす。顔を覆い隠すほどのそれは見事にヘッドホンを隠していた。
隠していた、のだが。
日に焼けていない白い肌なのも相余って、まるでその姿は深夜のホラー番組に出てくるような幽霊のようだ。辛うじて背筋をしゃんと伸ばしていることだけが救いか。
頭は良いのに、なんでこうも突拍子もないのだろうか!
「やめてよ!夢に見そうじゃないかっ!!」
夜に何も知らない隣人が通りかかれば、本当に幽霊に間違えられそうな有様であった。
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。学校に着く前にケースに入れてバックの中に仕舞うから」
「ヘッドホンのことじゃないよ!・・・・・・まったく、自分でやったんだから自分で直してね」
にこにこ笑いながら髪を梳く妹に、はぁと遊戯は溜息をついた。
「まーたあんた達は賑やかだこと!・・・・・・昔っから変わりやしないんだから」
「や、その声は」
呆れる半分、面白がっているような声にぱっと明日佳は顔を上げた。髪の間から覗いた碧眼が輝く。
目線のその先には桃色の制服を来た女生徒──武藤兄妹と同い年の幼馴染である真咲杏子がいた。
「杏ちゃんだ。おはようー」
「おはよう、杏子」
「おはよ、遊戯。それと・・・・・・ひさしぶりね、あす?髪も随分伸びたみたいだわ」
懐かしむような口調に明日佳は目を伏せる。
幼馴染、とは一口に言っても最後にまともに顔を合わせたのはもう随分と前になる。
明日佳が違う中学に行くと知って、杏子が落ち込んでいたというのは遊戯から聞いていた。だからこそ、変わらぬ様子で接してくれる親友の優しさは本当に有難いものだ。
「うん、ずっと短くしてたんだけどね。部活を辞めてからは伸ばし始めたんだ。・・・・・・会いに行かなかったのは、ざっと二年位かな。長らくご無沙汰しててごめん」
「・・・・・・別にいいのよ。あんたが元気ならそれで」
──で、それはどうなの。
杏子が目を向けたのは明日佳の足元だ。
左足に厚く巻かれた包帯、そして松葉杖。それがなければ今の彼女は満足に歩くことさえ出来ない。
「・・・・・問題ないよ。まだ松葉杖は外せないけど、今のところは順調だね」
目を細めて薄く、笑う。
「手術は必要みたいだけどさ。ま、半年もあれば普通に歩けるようになるよ」
だから、気にしないで。だいじょーぶ。
「・・・・・・そう」
振り返って昔のように明るく言う友人に何も思わない訳ではないけれど、本人がそう言うのなら気にするのが野暮というものだ。直ぐに気を取り直した杏子はにっと笑った。
「ねぇ、あす」
「なに?」
「今度ここらへんにバーガーショップできるらしいのよね。できたら二人でゆっくりお茶でもしましょうよ。学校だと・・・多分違うクラスでしょ?」
「杏ちゃん・・・」
じっと杏子を見つめる明日佳の目は揺れている。躊躇うように足の前で両の指を重ねて、そしてこくりと頷いた。
「うん、そうしようか。・・・じゃあ、いつ連絡できてもいいように連絡先交換しない?」
「いいわね」
身長が伸びたように、印象が変わったように、関係もまた変化していく。けれども、そこにあった思いは今も昔も変わらない。一歩ずつ歩み寄って、改めて友情は結ばれた。
「あ、そうだ中学の時の遊戯の話なんだけどね・・・」
「兄貴がどうかしたの?」
「わ〜!待って杏子!!何話そうとしてるの!?」
傍で見守っていた遊戯に突然話の矛先が向く。話に夢中になって足早になる彼女達の後を追う背中には柔らかな日差しが降り注いでいる。
空は晴天。まだ少し肌寒さは残るが、咲き始めた花々が春の到来を知らせる。
──本日は四月九日。童実野高校の入学式だ。
童実野高校は毎年入学式の前の週にクラス分けテストを行っている。その時の結果と本人の希望でクラスが決まるのだ。初めと終わりのAとFは特進クラス、国公立大学を目指す学級だ。間のB~Eはどちらかと言えば私立を目指す生徒が所属する学級で、それ以外には各々の差はない。
「それじゃ、あす。また後でね」
「うん、また後で」
「昼休み・・・・・・いや、帰りにかな。そっちに行くよ。お互い頑張ろう」
「ありがと、頑張るよ」
明日佳のクラスはA組だ。
対して、手を振って別れた兄と親友はB組である。
「とはいってみたものの・・・・・・ははは、ちょーっと心細いかなぁ」
これから一年過ごすことになるだろうクラスメイトの列を遠目に見て独りごちた。
体育館外の待機列は明日佳を含めて既に残すところ数人となっている。もう少しもすれば式が始まることだろう。
知り合いのいない高校生活、どうなるか分からない不安と期待で一杯だけれども。
まあ、なるようになるさと彼女は松葉杖をつきつつ最後尾に並んだ。
式典は恙無く進んだ。学校長の挨拶が終われば、新入生代表の挨拶が始まる。
司会の教師に名前を呼ばれて立ち上がったB組の男子生徒を見て、ふと明日佳は目を伏せた。
本来ならば壇上に立つのは特進で一番成績の良かった彼女のはずであったから。
足のこともあり、つい先日申し出を断ってしまったけれど、いきなり代役を任された彼にとってはたまったものではないだろう。
そう思っていたのだが。
その少年の歩みは確かで微塵も揺るぎがなかった。
ぴんっと限界まで張り詰めた雰囲気。
まるで、そうあるべきと自らに課しているような様子に明日佳は息を呑む。
──そう言えば今年の入試成績トップは特進ではなかったと誰かが言っていたような気がする。
教員席に向かって礼をして登壇した彼は正面に一礼すると、カンペも何も持たぬまま答辞を始めた。
抑揚の少ない声がマイクを通して朗々と響く。
「この麗らかな春の日に、入学式を無事に迎えられたことを──・・・・・・」
視線を一箇所に固定することなく、並ぶ席を見渡しながら話す彼の視線がふとこちらを向いた。
一瞬交わった青い目に、つ、と胸を突かれたような衝撃を受ける。
ぴたりと時が止まったような感覚。
「・・・・・・っ」
冷たい熱を宿した暗青。世界からそれ以外のものが急速に色褪せていく。
ぐらり、ぐらり、と何かが自分の中で揺れている。
それが何であるのか明日佳には分からない。
まるで横からハンマーにでも殴られたかのような衝撃だった。
これは一体──・・・・・・なにが。
「──どうか、したんですか?」
どうやら隣から見てもわかるほど狼狽していたらしい。横から密やかに声をかけられて、彼女の視界に色が戻った。先程まで感じていた感覚が遠のいていく。
「大丈夫です、ありがとう」
「なら良かった」
微かなやり取りをするうちに新入生の挨拶も終わり、代表者の件の男子生徒がステージから降りてくる。
身なりはきちんとしているが、今見ればなんてことのない普通の少年だ。
──気のせい、だったのかなぁ。
式が終わる頃には、明日佳の頭からは彼のことも、彼の視線から受けた衝撃のようなものも忘れ去られていた。
その日、少女は夢を見た。
水面に映っては直ぐに波紋の最中に消えてゆく──そんな夢を見た。
昔は幾度となく見ていたものだ。最近はとんと見なくなっていたけれど。
遥か彼方に置き忘れた記憶、色褪せた希望と想いの欠片。
乾いた大地を照らす太陽、大いなる河と恵みを与えてくれるオアシス・・・美しき砂の都は輝きに満ち溢れていた。それを彼方から眺める日々。
脆くも崩れ去ったあの日の光景の断片がくるくると周りを回っている。
──あの日とはいつの事だろう。
自分のものではない記憶を振り払うように首を振って前を見ると、ふと水面に立つ誰かと目が合った。青い──蒼い、飲み込まれそうな程深い色を宿した瞳を持つ人がこちらに手を差し出す。顔は見えない、性別も判別不明。身長も同じくらいなのかそれ以上なのかそれすらも分からない。
ただ碧眼の双眸だけがはっきりと見える。
──あなた、だぁれ?
問いかけに彼か彼女が口を開いた瞬間──そこでいつも目が覚めた。まだ夜が開けない暗闇の中。横たわった体勢で天井を見上げ、今までの体験が夢であったことを知るのだ。
明日佳の頬を一筋雫が伝っていく。けれど、心は乾いている。
涙の理由がわからないことが苦しくて、寝付くにも寝付けない。
ふらりと立ち上がった彼女は部屋を出ると階下へと向かった。
「おじいちゃん、」
「おお?なんじゃ、明日佳。まだ寝てなかったのかい?」
時刻は二の数字を回っている。深夜だと言うのに彼女の祖父、双六は何か作業をしているようだった。テーブルの上には古い地図とたくさんの写真。大方昔の仕事関係のものなのだろうとは思うが、詳しいことはわからない。
「・・・・・・ううん、なんだか目が覚めちゃって」
そう言えば祖父はふぉっふぉっふぉっと好々爺のように笑った。
「懐かしい響きだのう。ここ数年は落ち着いていたと思っていたが・・・・・・夢を見たんじゃな?」
「うん」
明日佳に背を向けた双六は陳列棚の方へ向かう。それにつられるようにして視線を動かせば、店の中でも高い位置に設置された透明なガラスケースが見えた。
手のひらに収まるほど小さいケースに入っているのは一枚のカードだ。
金属質の輝きを纏った白い肢体。尖った輪郭と曲線を描く輪郭のバランスがまた美しく。
透き通った深く青い瞳は見る者に無機質な印象を与えるものの、同時に眩いほどの王者の威光を宿していた。
青眼の白龍──全世界で人気を博しているカードゲーム、デュエルモンスターズにおいて頂点と讃えらえるモンスター。そのあまりの強さに生産中止となり、今では世界で四枚しか存在していない。
そのうちの一枚がこのカードである。
『──そのカードはな、ワシの宝物なんじゃよ。託され譲り受けた、な』
明日佳は双六の昔の話を聞くのが好きだった。
かつて、ひょんなことから祖父が過去トレジャーハンターをしていたことを知った幼い少女は彼に昔話をせがんだ。初めは渋っていた祖父だけれども、こうして今日のように明日佳が眠りに付けない日だけは話してくれる。仕方ないなぁと細めた目の奥にはうっすらと昔を懐かしむような光がある。遠慮がちに、されど誇らしげに話す祖父との時間が明日佳は好きだ。
「何を見ておるんじゃ?」
「青眼。やっぱり綺麗だね、と思って」
「ほっほ、ワシの自慢のカードじゃからのう」
しばらく話しているうちに気分も落ち着いて、胸に残っていた苦しさは消えていた。涙もナイーブな気分も引っ込んで、いつも通りの武藤明日佳。
ふわと欠伸が出たと同時に瞼が重くなってくる。
そろそろ寝室に戻らなければ。
「・・・・・・それじゃ、戻ろうかな。ありがとう、おやすみおじいちゃん」
「おやすみ明日佳。良い夢をな」
「おじいちゃんも早く寝てね」
うむ、と頷いた祖父を確認して踵を返す。
「あら・・・・・・?」
二階にあがり、部屋に戻ろうとした足がぴたりと止まる。降りる時には気が付かなかったが、遊戯の部屋の扉から微かな光が漏れ出ていた。
どうやら今宵は皆、夜更かしのようだ。
音がしない所をみると例のパズルでも弄っているのだろう。彼があれを組み立て始めてもう八年近くになるが、よく根気が持つものだと思う。あの我慢強さは自分にはないものだ。今度見かけたら差し入れでも持っていこうとぼんやり考えつつ明日佳は兄の部屋を後にした。
ベッドに入って目を閉じればゆっくりと眠気が襲ってくる。
あの夢はもう、見なかった。