4 夏の日の残骸・修正終了
「・・・・・・パズルのピースが、なくなった・・・・・・?」
それは入学式からほんの一週間といった日の事だった。
「うん、箱をしまう時にいつも数を数えているんだけど・・・・・・何度数えてもひとつ足りないんだ・・・・・・!」
朝起きるが否や、ドアを勢いよくノックしてきた兄の言葉に目を見張る。あれは遊戯がずっと大切にしてきたものだ。不注意でなくすとは思えない。
「最後に見たのはいつ頃?」
「確か・・・・・・昨日の昼休みに学校で箱を開けたんだ。その時にはあったよ。目のような模様が入ったピースがね。じいちゃんはヴジャド眼って言ってたけど」
「ふぅん・・・・・・眼、ねぇ。結構目立つ柄してるんだ。もしかしたらその時にどこかに引っ掛けでもしたのかもしれないよ・・・・・・。兄貴、わたしも手伝うから昨日の午後の時間割を教えてくれる?」
そんな会話をしたのが今朝のこと。あれから兄と手分けして校内を探してみることにした明日佳は放課後、一階の職員室の前を歩いていた。足の不自由な彼女には階段を上り下りする必要のある教室の探索は難しい。故にそちらは兄に任せ、遺失物が届いている可能性が高い職員室と、地続きの体育館は明日佳が担当することにした。
「・・・・・・おもちゃと思われて捨てられてないかが心配ね。この学校、ヘンに校則厳しいから」
結果、職員室では収穫はナシ。ここにないと分かっただけでも御の字だ。誰かが拾ったわけでないのならどこかにはある。
まぁ・・・・・・値打ちのある代物だと持っていかれた可能性もあるがそちらは考えないことにした。そうなったらもう双子には手の打ちようがない。
さて、兄にメールを送って体育館に向かうかと明日佳が職員室に背を向けた時だった。
「ムトウさん。ムトウ アスカさん」
背後から呼び止めたのはスーツに身を包んだ男の教師。明日佳にとって見覚えのある顔だった。
「はい?・・・・・・あ、ヘルマー先生。こんにちは」
「こんにちは。・・・・・・悪いんだが少し頼まれてくれないかい」
明日佳は彼が自身の名前を覚えていたことに少しだけ驚いた。
──ハイラト・ヘルマー。童実野高校の常勤の教師だ。父方が日本人で母親がエジプト出身だとか。母国はエジプトの方だが数年前にこちらに帰化したらしい。日本語については母国語に並ぶほど堪能だ。
明日佳のクラスの数学の担当教師は彼だった。
しかし、時期はまだ4月も半ば。平常の授業がようやく回り始めて来たと言ったところだ。さほど接触が多い訳でもない。
それなのに、彼は明日佳の名前を覚えていた。日本語の名前は覚えにくいだろうに。
きょとん、とした顔をする彼女を見てヘルマーは苦笑を零した。
「・・・・・・ああ、私はこんなナリだからね。少しでも接しやすくなるように受け持った生徒の顔と名前はいの一番に覚えるようにしているんだよ。他の先生方だって同じようなことはしているだろうけど、それ以上にね」
「あー・・・・・・なるほどですね」
「あっさり納得するねぇ」
生来の褐色の肌に、自然な金髪を短く刈って左右ふた房ずつだけ前に垂らした壮年の男。四十代にはまだ届いてないかという位の男の身長はすらりと高く、おいそれと話かけにくい雰囲気を醸し出していたが、笑うとその印象は和らいだ。
「それで、わたしに頼み事というのはなんでしょう?」
「ああ、これをね、ヤマウチ先生に届けて欲しいんだ。恐らく部活の道具の整理をしに行くと言っていたから、体育館にいると思うんだが。私はこれから会議でね。それも中心になって話をしなければならないから渡しに行けないんだよ」
そう言われて何かと思えば、差し出されたのは厚みのある茶封筒だった。
「これは?」
「会議の書類。彼は出なくてもいい話し合いだけれど、議題は見ておきたいらしくてね・・・・・・。今日は部活が全休だろう?ヤマウチ先生、片付けが終わり次第帰ると言っていたから放課後になってすぐに渡す手筈だったんだけど、その前に去ってしまわれてね・・・・・・」
一度頼んだことは忘れないで欲しいものだけれど。
遠い目をしてぼやくヘルマーに同情するように明日佳も頷いた。
教師の抱える苦労は分からないが、かつて部長を務めていた身としては覚えのある出来事だ。いつの世も、どんな所でも、まとめ役は苦労をする。
「という訳で、頼まれてはくれないだろうか」
「わかりました。任せてください!」
若干食い気味に答えれば、ヘルマーはほっとしたように息をついた。
「これから体育館に向かう所だったので、お気になさらず」
「ありがとう、助かったよ」
にこりと微笑んで去っていく明日佳の背中が廊下の角を曲がって消えるまで見送ると、男もまた自分の持ち場へと戻っていった。
✱
「よっこらせ・・・・・・っと」
小さなかけ声が大きな空間に響いて反響する。
集会でもなければ階段がかかっているはずもない。片足を庇いながらステージになんとかよじ登った少女はそのヘリに腰かけて周囲を見渡した。
誰もいない体育館はいつもより広々と感じられる。
ピースはここにもなかった。書類を渡すついでに聞いてもみたけれど見かけてはいないそうで。
「うーん、ここまで探してどこにもないってのはさぁ・・・・・・ちょっと、ねぇ」
本当にもしかしたら、と脳の隅の方に放っていた考えが顔を出す。
誰かが盗んだ、だなんて。
考えたくもない話だけれど、可能性はゼロではない。
「はてさて、こまった」
まだ遊戯からの連絡もないし、足や松葉杖をつく腕も疲れてきた。少し休もうかとステージの上で少女はそのまま上体を後ろに倒した。
広々として反響する音。ああ、懐かしい。
まだこの手が竹刀を握っていた頃のことをふと、思い出す。裸足で床を踏みしめ、前へ跳び、弾かれる打突の音。合間合間に響く気合いの声。
手を伸ばせば今でもそこに戻れる気がしているのに・・・・・・・・・見上げる先は何も無い天井だ。
見下ろす観客もいなければ、睨み合う好敵手すらいはしない。
ここにあるのは満足に歩くことすらできない残骸がひとつ。
──わたしの夏はあの日終わった。
心だけを置き去りにして。
「・・・・・・なーんて、過去に浸ってても仕方がないか」
さぁ、他のところ探しに行かなくちゃ、と明日佳がステージから降りようとしたその時。ぱら、とその胸元から顔を見せたホルダーからカードが一枚こぼれ落ちた。
「あ」
渦を巻く背の裏に描かれた絵柄がなんであるかなんて見なくても分かる。
ネフティスだ。
明日佳は落ちていくカードに向かって手を伸ばした。
こんなものを学校に持ってきていると知られば没収される、だとか。返して貰えないかもしれない、だとか。落ちれば汚れてしまう、だとか。
そんなことは思考の外。
ただただ反射的に体を傾けた。
当然支えを失った物体は地へと落ちるしかない。
松葉杖が硬い音を立ててフローリングにぶつかる。続くのは幾らか柔らかい音。かと言って、衝撃が少なくなるなんてことはなく。膝から落下した明日佳の身体は床に叩きつけられた。
「っ〜・・・・・・!」
頭が真っ白になった。
じぃんと広がる衝撃に我に返る。咄嗟に受身を取ったとはいえ、馬鹿なことをした。五体満足の時ならともかく、左足がまともに使えない状態で身を投げ出すなんて自傷行為も甚だしい。
「・・・・・・持ち歩くの、考えるべきかな」
デュエルは兄としかやったことがない。故に普段はこのネフティスだけデッキから抜いてスリープに入れた上でホルダー内に保管している。最近は進学して環境が変わったこともあってお守り代わりに持ち歩いていた。まさかそれが仇になって、自分が転倒するだなんて思いもしなかったけれども。
アドレナリンが引いてひりひりと痛みだした腕を叱咤して、なんとか上体を起こす。立ち上がるのはあとからでいい。
広がって乱れた髪の合間から見えるのはモップで拭かれた跡が残るフローリングの床。
カードはどこだろう?
「──君」
右に左にと視線をさまよわせていると、不意に頭上から声をかけられた。
「足。ぶつけたようだけれど、大丈夫かい」
心配するような内容とは裏腹に、声は冷たい響きを帯びている。
顔をあげればそこに立っていたのはひとりの男子生徒だった。上履きの色からすると同級生であろう。片手に紙の束を抱えているところを見ると、明日佳と同じように教師に用があってここに来たらしい。
明日佳を見下ろすのは暗く青い瞳。年頃らしい熱を一切感じられないそれに一寸怯むも、差し伸べられた手は本物だ。躊躇いつつ手を借りて、松葉杖で体を支えながら立ち上がる。
「・・・・・・ありがとう」
「丁度見かけたからね。礼を言われる程の事じゃないさ。・・・・・・あとこれも君のものだろう」
あっと明日佳が声を上げてカードを受け取ろうとすれと、それを避けるように手が動いた。
「星8つ・・・・・・ね。最高のレアじゃないか・・・・・・それも効果モンスターだ」
「あの・・・・・・?」
「ああ、悪いね。返すよ」
にこり、と笑いながら渡されたそれをようやく受け取って確認する。スリープのおかげで傷もなければ欠けもない。財布にしまい込んでしまえば今度こそ落としはしないだろう。
「ありがとう・・・・・・もしかして、あなたもデュエルモンスターズやってるの?」
「まぁね、星8のカードなら二、三枚は持ってるよ。全国大会で優勝だってしてる」
「そうなんだ!すごいねぇ。強いんだなぁ」
純粋にそう思う。ゲームだろうとスポーツだろうと、何か打ち込めるものがあるのは良い事だ。結果の裏にはそれだけの努力と徒労、そして運の巡りがあったのだろうから。
今の明日佳はそれがないから空っぽになってしまった。穴を埋めてくれる何かをいつも探している。
だから、ちょっぴり彼がうらやましい。カードの話をする時は冷たい瞳も少し熱を帯びる、それだけの熱意を持てる彼が。
切なさを帯びた微笑みに少年の方は訝しそうに眉を寄せた。
しかし、それも一瞬のこと。
「そうだ、刈田先生を知らないかな」
「刈田先生・・・・・・?」
「うん。ボク、休みがちなものだから先生に競技レポートを提出するよう頼まれていてね。職員室にはいなかったから、体育館の教官室の方かなと思ってさ」
明日佳は記憶を辿るように目を伏せる。ヘルマーに頼まれて探しに来た目当ての山内は教官室にいた。確かその背後に、モヒカンの男がいたような、気が。
「えっと・・・・・・先生なら確かさっき・・・・・・ええ、教官室にいらっしゃったと思うわ」
「そうか」
「あ、わたしからもひとつ聞いてもいい?」
「・・・・・・何か?」
去っていこうとする所を引き止めて悪いとは思うものの、こちらも物を探している途中なのだ。頼れるものなら猫にだって聞くし、藁だって掴もう。
──金色で眼のマークが付いた、こう、立体のピース知らないかな。
ぼそぼそと呟いた後に身振り手振りで説明しながら明日佳は問うた。
「いや、ボクは見てないよ」
「そっかぁ・・・・・・」
無情な答えを告げられ、明日佳はがくりと肩を落とした。
「でも、ここらへんにないって分かっただけでも収穫かな」
そろそろ日も暮れてきたことだし、兄と合流するのもいいかもしれない。
「重ね重ねありがとう。先生、いるといいね!」
体育館を出て向かった先はメールを送って指定した待ち合わせ場所である正門前。じわじわと痛む膝や腕は青痣ができているだろうなぁと思うものの、今のところどうしようもない。打撲には慣れているのだ。このくらいなら湿布や絆創膏を貼る必要は無いだろう。
「それにしても予想だにしなかった代償だった・・・・・・今度はちゃんと気を付けよう」
あはは、と暮れに差し掛かった空を見上げながら乾いた笑いを零した明日佳は砂利を踏みしめる音に背後を振り返った。
「あすか・・・・・・」
「遊戯・・・・・?どうしたの、それっ!?」
買ったばかりで丈の長い制服。それを引きずるようにして歩いてきたのは傷だらけの兄だった。