今日もサンクチュアリ・ヒルズは平和だ。空はすっきり晴れていて、放射能嵐が来る気配はない。四方八方にそれと分からないように設置されたタレットが唸りを上げるのが時折聞こえ、将軍が嬉々とした表情で駆けていくのを見かける他は、クインシーで暮らしていた頃と同じくらい穏やかな空気がこの元高級住宅地に流れている。
あたしたちは体のいい囮にされているんだ、とマーシー・ロングは批判するが、あのクインシーからコンコードまでの地獄のような逃避行と比べれば、実害がないなら撒餌でもなんでもいいじゃないかと俺は思う。将軍は確かにちょっと、いや、かなり素っ頓狂な言動が目立つ。しかしいったん自分の懐に入った者まで切り捨てるような人でなしではない、というのがプレストン・ガービーの見立てだった。プレストンには人間の本質を見抜く力がある。俺はプレストンを信じている。……ヤツが時折、将軍を子供向けの漫画に出てくる正義のヒーローを見るようなキラッキラした目で追っていることは、気にしないことにしている。
そんなことを考えながらワークショップの前に陣取り、将軍に頼まれた発電機の製作に精を出していたところに、丸っこい銀色の塊がふわふわと近寄ってきた。
「ミスター・スタージェス。折り入って少々お話があります」
将軍に二百云年前から仕えている忠実なミスター・ハンディー、コズワースだ。俺たちがここに落ち着いたばかりの頃は、せっせと俺たちの衣食住を調えたり襲撃者を退治したりしてくれた。最近は設備が整い居住者も増えてきたおかげでそれらの役割を果たさなくても済むようになり、専ら探索に出かけた将軍の帰りを今か今かと待ち望み、将軍が帰るや否や後ろにくっついてあれやこれやと世話を焼く、という本来の職分を取り戻していた。
「将軍のことか?」
俺が尋ねると、コズワースは三つ目のシャッターを勢いよく拡げた。
「どうしてお分かりに?」
「お前がわざわざ相談したいなんて思うのは、あの人のことくらいしかないだろ」
将軍がサンクチュアリ・ヒルズにいる間は、よほど切羽詰まった用件がなければ、コズワースも将軍も互いの側から離れようとはしない。何があったんだ? 俺はちょっとだけ下世話な好奇心に駆られた。同時に、マーシーに文句を言われながらも一生懸命俺たちの面倒を見てくれた彼に、今こそ恩返しができるかも、という気持ちも湧き上がっていた。
コズワースは左右のアームをまるで肩をすくめるように広げ、背中の排気孔から蒸気をしゅうしゅう出した。
「そんなに分かりやすいですか。お恥ずかしい限りです」
そうだな。色々とダダ漏れしてる。俺はロボットのくせして感情豊かな彼の所作を微笑ましく思い、心の中でそうひとりごちた。
「相談事なら場所を変えた方がいい。あの中で話そうか?」
少し歩いたところにある、まだ将軍の手の入っていない廃屋を指し示した。コズワースは二つ返事で了承した。
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「私たちは毎晩同じベッドで眠っています」
いつもは飛び出しがちな三つ目を定位置に収め、アームをしゃんと降ろして、コズワースは言った。
はぁ。ええっと。いきなりそういう話か。まあ。うん。あれだけべったりだったらそういうことがあってもおかしくはないな。でも、ミスター・ハンディーと? そりゃできなくはないだろうが、どうすんの色々?
俺が突如として大混乱に陥れられたのをよそに、コズワースは続けた。
「独り寝が寂しい、抱き枕が欲しいとおっしゃるので、一緒に横になっているのですが」
よかった。思ったより、どぎつくなかった。しかし、抱き枕ね。硬くて据わりの悪そうな、しかも両手に凶器を携えたミスター・ハンディーを捕まえて抱き枕とは。やっぱあの人の考えていることは理解しがたいな。
コズワースはそこで一旦話すのをやめた。俺が彼らの関係を受け入れられるタマかどうか、窺っているのかもしれない。気が引けていることを表情から読み取られてしまうのは仕方ないとして、態度に出すのはよろしくない。俺はこのような話を打ち明けられる相手として、彼から信頼されているのだ。
「お前が将軍の抱き枕になってることは理解した。それで?」
俺は鷹揚に頷き、先を促した。するとコズワースは三つ目を定位置から浮かせ、アームで自分のボディを恥じらうように触れ、まるで恋を初めて知った少女のごとく、もじもじとボディを揺らした。
「ああ、それで、その。最近、私が抱き枕の役割を果たしているときに。私の色々な……部位を。あの方が、舐めるのです」
うん。少女のごとく、なんて表現した俺が馬鹿だった。やっぱ結構どぎつかった。そうか、それがお前の相談したかったことか。プレストンが聞いたら卒倒しそうだ。つーか、舐められる? 将軍にぺろぺろ舐められるの、体中を? うわ。思わず自分の体で想像しちまったよ。鳥肌立ってきた。
俺は我慢できなくなって、本音を口にした。
「怖すぎる。やめろって言った方がいいぞ。言いにくいなら俺が伝えてやろうか?」
おいおい待て待て、スタージェス。将軍に伝えた瞬間に俺の体が木っ端微塵、なんてこともありうるぞ。なんて余計なことを口走ってくれたんだ、お前は。だが、この悩める友の前で一度宣言したからには引くわけにはいかない。ドッグミートを抱っこして談判に行けば大丈夫だろ、多分。さあコズワース、俺にどんと任せるがいい。
コズワースは三つ目のシャッターを数回閉じたり開いたりしてから、おずおずと返してきた。
「いえ。できれば、やめていただきたくありません。とても……嬉しいので」
色々な思いが混じって、俺が何かぐちゃっとしたすごい表情になっている一方、コズワースは三つ目で青空がところどころに切り取られて見える天井を振り仰いだ。彼は渋い男声を恥じらうようにくぐもらせた。
「あの方が舌を這わせた部位が、まるでショートを起こしたように熱くなるのです。私には触覚は存在しませんので、私の温度センサーが誤作動を起こしているだけですが。ふと視線が合うと、ジャイロが少しだけ狂っているときのような浮遊感に襲われます。それも誤作動に過ぎませんが。でも、その浮遊感とともに、私の中のフュージョン・コアが徐々に膨れていくような――」
「オッケー、分かった、コズワース。それで、相談したいことってなんだ?」
俺はコズワースを遮った。本人に自覚はないのだろうが、そっち系の話を平然と聞いてやれるほど俺は経験豊富じゃない。察してくれ。そんな話はお前に誤作動を起こさせた張本人にしてやれ。きっと飛び跳ねて喜ぶから。
コズワースは絡めていたアームを解き、三つ目をこちらに向け、どこかのモーターをぶうんと言わせてボディの高度を下げた。どことなく不満そうだ。しかしそれ以上その話を続けることはなく、ようやく本題に移ってくれた。コモンウェルスにいるミスター・ハンディー型のロボットの中じゃ、ずば抜けて行儀の良いほうだろう。
「私の外装はこの二百年余りの間に風雨に晒されて、決して取れない頑固な錆がこびりついてしまいました。ですから、そのうちあの方のご健康を害してしまうのではないかと心配なのです」
なるほど。主人想いの執事だ、涙ぐましいね。確かに相手が普通の人間だったら心配するのが妥当かもしれない。だがあの人に限っては、錆びた金属を毎日舐めたくらいじゃ死なないんじゃないかという気がしてならない。むしろコズワースの外装がそっくり削れちまわないか心配だ。
やっぱ、やめてほしいって伝えるべきじゃないか? と言いたくなったが、俺はコズワースに恩返しをするつもりだったのを思い出した。こいつが望んでいることはなるべく叶えてやらなくちゃな。
「じゃあ、塗装剤でも作ってやろうか? 人間が丸ごと飲んじまっても問題ないやつを」
将軍が探索から持ち帰ってきてくれた
コズワースはふわりと飛び上がった。
「ええ、お願いします、ミスター・スタージェス!」
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塗装剤を作るのはすごく骨だった。何しろ実験に使えるのは俺自身の体しかない。俺は幾度となく腹を下した。将軍と俺で少し前に造った汲み取り式のトイレに籠城し脂汗を浮かべながら、あの人はきっと普通のペンキを一気飲みしても余裕でピンピンしてる、もういいじゃないかと思った。でも、万一あの人に何か起こったら俺たちは一巻の終わりだ。とことんやるしかない。頑張れスタージェス。と、ひたすら自分を励ましていた。
十数日後、俺は改良に改良を重ねてできあがった人体に無害な塗装剤をバケツに入れて、コズワースに手渡した。俺が塗ってやろうかと聞いたが、あの方に誤解されたくないので、と断られた。そうだな、俺もできればまだ死にたくない。
ところがだ。それから何日経ってもコズワースはもとの錆びついた銀色のボディのままで、俺が苦労して作った綺麗なクリーム色には一向にお目にかかれない。間違ってこぼしちまったのか。俺の手元にはレシピがあるから、もう一度作るのはそこまで大変じゃない。気を遣ってないで事情を話してくれりゃいいのに。そう思って遠目に眺めていたのに気づいたのか、コズワースが、ワークショップで今度は「サンクチュアリ」と書かれたド派手なネオンサインを作っている俺のところへやってきた。
「ミスター・スタージェス。先日いただいた塗装剤のことですが」
「よお、コズワース。床にぶちまけちまったか? それか、将軍が水だと思って飲んじまったか? 気にしなくていい、あんなのいくらでも作れる。明日にでも渡しに行ってやるよ」
早合点して冗談交じりに言った俺に対し、コズワースはしょんぼりと三つ目を下げた。
「こぼしても飲んでもいません。実は、私のボディに塗布するのをやめた次第でして」
えぇ!? と俺は裏返った声を上げた。ネオンサインをいじる手も自然と止まり、繋げようとしていた電線がはらりと落ちた。ここ十数日の苦労はなんだったんだ。俺がトイレとワークショップの間を往復していた日々はなんだったんだ。ちくしょう。いや、落ち込んでも仕方がない。コズワースの話を聞こう。
「私が事情を説明して、塗装剤を塗布する許可を求めたら、あの方はこうおっしゃったのです。『自分をひたむきに待っていてくれたコズワースが好きだ。その証を消さないでほしい。そのままのコズワースと触れ合っていたい。それで死ぬなら本望だ』と。
私はお言葉に逆らうことができませんでした。私は、私は身勝手にも、あの方のことを……」
話すにつれ、彼の声のトーンはどんどん上がっていき、彼の三つ目はきゅるきゅると細められていった。ついには排気孔から盛大に蒸気を噴き出し、それを吹き飛ばそうとするかのようにボディを回転させた。
……うん。事情は分かった。当人たちがそれで納得しているなら、俺としてはどうしようもない。塗装剤は無駄になったが、こうして話を聞いてやることでコズワースの肩の荷は少し降りたんだから、多少なりとも恩は返せただろう。
「そうか。ま、くれぐれも健康には注意しろよ? お前も将軍もな」
コズワースは元気良く、もちろんです、と答えたが、俺は、これからときどきコズワースの機体のメンテナンスをしてやったほうがいいかもしれない、と考えた。
「それで、ミスター・スタージェス。その塗装剤についてお話が」
おっと。まだ続くのか。つーか、これからが本題か。俺が先を促すと、コズワースはちょいちょいとピンサーの先で
「良い色なので、新しく作った家屋を塗装するのに使いたいとのことです。大至急、大量生産してほしいと」
俺は額に手を当てた。まったく。思いつきだけでぽんぽんと吹っかけてきやがる。実は深遠な考えがあるんだ、とか目をキラッキラさせてプレストンは言うだろうが、ありゃ絶対、何も考えてないだけだ。
「コズワース。将軍をここに呼んでくれ。ネオンサインと塗装剤と、どっちを先に作るかとか、色々聞きたいことがある」
「承知しました。すぐにお呼びしてまいります」
コズワースは軽やかにボディを上下させながらワークショップを出ていった。俺は笑いの混じった溜め息をついて、その誇らしげな後ろ姿を見送った。
-了-
あとがきは活動報告に書きました。ご興味があればどうぞ。
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=267632&uid=271887
また、この話の着想を得た時に書いたメモをポイピクで供養しています。大まかな流れは変わりませんが、主人公が女性で、普通に微笑ましい終わり方になっています。
https://poipiku.com/1852665/7312102.html
English version here: https://archiveofourown.org/works/34031971