「奥様~!」
軽やかな男の声が、昼下がりのサンクチュアリに響いた。ひび割れたコンクリートの道を銀色の塊がふわふわと浮かんでやってきた。その塊は、外壁の修理をしている俺たちの横を通り過ぎ、庇の下のクッキング・ステーションで何かの料理に夢中になっているヴォルト・スーツの女の後ろで止まった。
「奥様。ドッグミートのレッドロケットまでの散歩に付き合ってきました。住居の掃除、洗濯物の取り込み、それからサンクチュアリ周辺の敵性生物の排除も完了しています」
ヴォルト・スーツの女――我らが将軍が振り返った。
「ありがとう、コズワース! 疲れたでしょう。今日はもう家に帰って休んでもいいわよ」
銀色の塊、コズワースは、その場で得意げに浮かび上がった。
「とんでもない。奥様、私は執事ロボットなのですよ。まだレッドロケットとサンクチュアリの間を百往復はできます」
将軍は少し意地悪く微笑んだ。
「あら。すっかりガタが来てるって、こないだニックに愚痴ってなかった?」
「単なる世間話のネタです、奥様。まだ老人扱いしないでください!」
コズワースはひょうきんな声色で言い、背中の排気口からわざとらしく蒸気を出して見せた。
将軍は溌剌とした笑い声を上げた。
「ふふっ、頼もしいのね。それじゃ、パワーアーマーの整備をしてくれない? 五号機の調子が悪いの」
「承知しました!」
コズワースは元気よく返事をした。が、なぜかその場から動こうとしなかった。
当然、将軍は不思議そうに聞いた。
「どうしたの、コズワース?」
「ええっと、そのう。僭越ながら、頑張ったご褒美が欲しいな~、なんて……」
将軍は一瞬きょとんとした。それから、俺たち相手にはついぞ見せたことのない、良いも悪いも全てを受け容れて包み込んでくれそうな、柔和な笑みを広げた。
「仕方のない子ねえ。ほら、いらっしゃい」
彼女はコズワースに向かって両腕を差し出した。コズワースが高度をやや下げてその中におずおずと収まると、彼女はコズワースを抱きしめた。
「えへへ。奥様、温かいです」
これまた俺たち相手なら脅されても絶対に出さないであろうコズワースの甘え声に将軍はとろけ落ちそうな勢いで頬を緩め、三つ目の一つに視線を注ぎながら、彼の後ろに回した手で慈しむように丸い背中をさすった。
「いい子ね、コズワース。あなたとこうしてるとほっとする。……変な話だけど、わたしね、最近あなたのこと、まるで本当の――」
将軍は口をつぐみ、目を潤ませた。一つ残らず彼女の方を向いていたコズワースの三つ目がぎょっとしたように伸び上がって、すぐに落ち着いた。二人はしばらくそのままの姿勢でいた。コズワースの左右のアームが、そわそわと落ち着きなく動いていた。どうやら彼は将軍の腰にアームを回そうか回すまいかと悩んでいるようだった。アームの先のハサミが将軍の腰に触れるか触れないかのところで、彼らの後ろで放置されていた料理鍋がばちばちと音を立てた。何かの焦げた匂いが漂ってきた。
途端に、将軍の方がパッとコズワースを離した。
「いけない。植物デンプンが焦げてる」
料理鍋から赤い炎が立ち上り始めていた。
コズワースは取り残されたアームを引っ込め、ボディの下からにょきっと給水ホースを繰り出した。
「これは大変! 消火しましょう」
やいのやいのと騒ぎながら小火を消している二人の様子を、俺と一緒に家の壁をトンカンやっていたプレストン・ガービーが眺めながら、ほんわかした笑顔で俺に言った。
「いやあ、お似合いだなあ。まるで本当の親子みたいだよな、あの二人」
俺は苦笑した。
「んー、そうかぁ? 俺には絶望的にすれ違ってるように見えるけど」
俺は役割柄、将軍の傍にいることが多く、もう何度となく二人のあのやり取りを見ている、というか、見せつけられている。将軍の方では確かにコズワースを息子同然に思ってるんだろう。だが、何度も見てれば嫌でも分かる、コズワースの方は……。
「ありゃあ、どう転んでも楽じゃなさそうだ」
俺の呟きに、プレストンはいかにも訳知り顔で頷いた。
「ああ、人間とロボットが親子みたいに振る舞うなんて、常人には受け入れがたいかもな。でも俺は全力で応援するぞ。将軍のやることに間違いはない」
例え俺と同じように将軍の傍にいても、プレストンは全く何も気づかないだろう。それがこいつのいいところであり、悪いところでもある。鈍感すぎて二人の間に変なタイミングで割り込まないよう、俺が見張っておいてやらねばなるまい。
俺は心の中でそう独りごちて、家の壁をトンカンやる作業に戻った。将軍は焦がしてしまった鍋をコズワースと一緒に川へ洗いに行くらしい。庇の下から晴天のもとに出た、寄り添い合う二人の後ろ姿が、日の光のおかげできらきらと輝いて見えた。
-了-