「ハァ…ハァ…」
青年が息を切らしながら、街を駆ける。
腕を振り、足を回し、息を切らし、その青年はただ走る。
これといって不思議なことはない。
その目的がなんであれ、誰かが走っているのなんて、日常的な光景だろう。
ただ、何故だろうか。
その青年の行く先の人々は、驚き、避け、その青年と距離をとる。
その理由はその青年が、誰よりもよくわかっていた。
「まぁ、両手から血を流しながら走ってくる奴がいたらビビるわな…」
先の一件で、弦巻こころから逃走している青年、龍崎カンナは走りながら、ボソッと呟いた。
目的地は自宅。
ひとまず、家に着きさえすれば色々と準備ができる。
それが、逃げるためのものであれ、抗うためのものであれ、だ。
「ま、ひとまずは止血とかからだよねぇ」
「ガーゼ巻いて、包帯しとけばどうにかならんかなー」
そうこうしている間にも、走る先の人々はカンナから避け、道を開ける。
その理由がどうあれ、今のカンナからすれば道を開けてくれるのは、嬉しいことであった。
ガチャ
扉が開く。
だが、これは決してゴールなどではない。
ゲームで言えば中間地点、いや、チュートリアルが終わったくらいであろうか。
どちらにせよ、まだまだこれからということには違いない。
「ただいま」
開かれた扉の中に入り、カンナは口にした。
「おう、おかえり」
「女といい思い出はできたか?」
どの口が言うのだろうか。
「あんたらのせいでとんでもない目にあったわ」
自分の腕を少し見て、ほんの少しだけ怒りを込めて父親にカンナは言い返す。
「あ?」
「あの嬢ちゃんが、お前を看病するっつったんだぞ?」
「それがなんで酷い目になんだよ」
カンナの返答を相当不思議に思ったのだろう。
リビングにいたカンナの父親が玄関までやってきて、カンナの今の姿を見る。
「その手…どうした」
「…」
父親の問いにカンナは答えない。
「話の前にまずは手当てせんとか」
父親はそれ以上聞かず、救急バックを取りにまた、リビングへと戻った。
「そらまず血ィ流せ」
「…痛!」
「あたりめぇだろ、こんな血ィ出てんだ痛くねぇわけねーよ」
「ホントは病院とか行ってちゃんとした手当した方がいいんだろうがよ」
「時間ねーんだろ?」
「あぁ、できるならすぐにでも」
「あの嬢ちゃんか?」
「…」
最後の質問にカンナは答えを口にせず、ただ少し顎を引いた。
「手ェ必要か?」
「いらない」
カンナの返答に父親は、ハァ…とため息をつき、少し間を置いて口を開いた
「お前は強い」
「昔っからそうだ。誰よりも強さに憧れ、誰よりもそうなることに必死だった」
「だがよォ、今回の相手はお前の持つ力じゃあ、ちょいと相性悪ぃかもしんねーぞ」
「お前の持つ力は、物理的なもんだ」
「この手も力で無理矢理やったんだろ?」
「だが、今回の相手はそうはいかねぇ」
「物理で対話できる相手じゃあねぇ」
「しかも相手は女と来た」
「手ェあげるわけにゃーいかねー」
「カンナ、お前は逃げる以外の選択肢を取れねー」
「わかってんのか?」
いつになく真剣な、父親の言葉にカンナはただまっすぐ目を見る。
その質問に答える必要は無いと、そう示すように。
「愚問…か」
「ハァ…お前は昔っからそうだけど、『こう』と決めたらテコでも動かねーんだから」
「わーったよ、だがこれだけは言わせろ」
「俺たちは何があってもお前の味方だ」
「いつでも頼れ、待ってる」
「必ず、帰ってこい」
いつの間にか両手には包帯が巻き終わっていて、父親はカンナの手を強く握っている。
カンナは父親の言葉に答えず玄関を上がり、自分の部屋へと進む。
「帰ってこれるかもわかんねーほどの相手ってか」
「そうじゃねーよ」
自室から出てきたカンナが、父親の独り言に返答する。
「帰ってこいとか、帰ってくるとか、そんなんいらねーだろ」
「俺たちゃ家族だぜ?」
「これで十分だろ」
その言葉にカンナの父親はハッとした後、吹き出してしまった。
「そりゃそうだ!家族だもんな!」
「行ってくる」
「おう!行ってらっしゃい」
そんな、当たり前の日常を当たり前に過ごすように、
ただ、当たり前の言葉を送り、当たり前の言葉を返され、カンナは自宅を後にした。
ピーンポーン
呼び鈴が鳴る。
わかっていたことだ。
きっと来るとわかっていた。
あいつが、カンナを追って必ず来る。
「はいはーい、どちらのお嬢ちゃんですかっと」
「カンナは来なかったかしら?」
やはり来た。
弦巻…なんだったか。
病院で何度かあったことあったけど、思い出せない。
だが、弦巻…それだけでいい。
その苗字だけで、デケェ相手だってわかるからな。
「で?なんだって?」
「カンナは来なかったかしら?」
先程と一語一句変わらず、トーンまで同じで彼女は繰り返した。
「さぁね、俺が嬢ちゃんにそれ答える義務あんの?」
「カンナは、ここに、来なかったかしら?」
さっきよりは少し強く、目の前の少女は言葉を繰り返す。
「諦めなよ、俺が嬢ちゃんに提示する情報はねーぜ?」
「仮にあったとしても、無かったことにするからな!ギャハハハ!」
「もう一度だけ聞くわ」
「ここに、カンナは、来たのかしら?」
「一昨日来やがれ」
「ぉ…」
意識が溶ける…。
立ちくらみ…?
不自然に自分を保てなくなる。
流石、金持ちはやることがちげーやと
いっぺんは言ってみたかったが、
それを言うには、自分の意識が持ちそうになかった。
「中に入って」
「カンナの痕跡を根こそぎ持ってきて」
「聞こえてるか分からないけど…一応言っておくわ」
「抵抗したって無駄よ?こうなるだけだから」
「あたしとカンナの邪魔をする人たち全員…ね?」
「ん…あ…?」
暗い部屋で目が覚める。
寸前の記憶を遡り、今己の置かれている状況を予測する。
「手には錠、壁に鎖で繋がれてる…と」
「なるほど、カンナはこれ引きちぎったのか」
「我が息子の事ながら、ゾッとしねーな」
「さーて、おっさんの独り言を盗み聞きとはいい趣味とは思えないなー、もしかして嬢ちゃんそういう趣味お持ちで?」
暗い部屋の中で、実際見えていたわけではない。
ただ、きっとそこにいると思っただけ。
一種のブラフに近い。
仮にいなかったとしても、ただの独り言とすることが出来る。
だが
「あら、意外と目覚めるのは早かったのね」
「お、やっぱいたか」
ただでさえ暗い部屋、その角から少女は姿を現した。
「とりあえずこの錠を外してくんねーかな?」
「安心しなよ、俺にゃーカンナみたいな力はねーから外したとこでこっから逃げらんねーよ」
「別にいいわよ」
「ただし、カンナが今どこにいるか話してくれたらね。『龍崎アツト』さん」
自分の名を呼ばれたことに、龍崎カンナの父親『龍崎アツト』は顔をしかめる。
「どこまで知ってやがる」
いつもの調子とは打って変わって、声のトーンを低くし、アツトは目の前の少女に問いかける。
「あなたの名前が龍崎アツトということ、カンナの母さんの名前は龍崎優里、旧姓は波多野ということ、そして、カンナに血の繋がらない妹がいること、リーナ・ユークリアスだったかしら?」
「貴方が再婚で、カンナは父親と、妹は母親と血は繋がっていることも知ってるわ」
目の前の少女は、淡々と言葉を並べる。
どれもが事実であり、アツトは改めて目の前の少女は、カンナの敵であることを認識する。
「情報収集に熱心なのはいいことだが、家のもんに…特にリーナには手を出さない方がいい」
「これは忠告ではない、警告だ。もう一度言うぞ、リーナには手を出さない方がいい」
「手を出すとどうなるのかしら?貴方がなにかするの?」
「ハハ、それでも良かったんだが、そうじゃあねぇ」
「そのちょっかいの内容にもよるが、下手すりゃ嬢ちゃん…殺させるぜ?」
「誰にかしら?」
「そんなのカンナを除いて他にいるかよ」
「何故あいつが、正義の味方に、主人公に、『力』に憧れたか教えてやるよ」
「全てはリーナのためだ」
「あいつは、俺が再婚してリーナの兄になってからそうなっちまった」
「あいつにとって、龍崎カンナにとって最も大切なものは、妹のリーナ・ユークリアスであり、リーナの平穏を脅かすものは決して許さない」
「嬢ちゃん、俺に、カンナの居場所聞いたよな」
「そんなもん知らねーよ」
「あいつは、俺の手助けはいらねーってどっかいっちまったからな」
「あいつは逃げるぜ、どこまでも」
「だが、嬢ちゃん、悪いことは言わねーから早めに辞めとけ」
「カンナが、まだ『逃げる』という選択を取っているうちに手を引け」
「カンナが交戦に出ねーのは、嬢ちゃんが女だからだ」
「それだけが今の状況を作ってる」
「もし、カンナに限界が来たら、間違いなく戦闘に変わる」
「そうなった場合、嬢ちゃんは勝てねー」
「もう一度だけ言うぞ」
「これは警告だ」
「リーナにだけは手を出すな、カンナが逃げてるうちに追いかけるのは辞めておけ」
目の前の少女に、まっすぐ言葉を紡ぐ。
比喩などではない、過大表現などしていない。
ただ、それが事実だったから。
別に、目の前の少女の心配をしたわけではない。
息子に、殺人犯になって欲しくないと思うのは当然であろう。
「あぁ、あとそうだ」
「カンナに俺の事で揺すりをかけても無駄だぜ?」
「俺はカンナを信じてる」
「龍崎カンナに圧倒的な信頼を置いてる」
「うちのガキ舐めんなよ?」
「テメェのような、雑魚に負けるようなチンケな存在じゃあねーんだよ」
「弦巻の嬢ちゃん、これが最後だ」
「うちのガキを、龍崎カンナを舐めんな」
バタン
暗い部屋の扉が閉められる。
中にはただ1人、壁に繋がれた男が残されて。
(うちのガキを、龍崎カンナを舐めんな)
その言葉が、弦巻こころの頭の中を埋め尽くす。
「あたしが、カンナのことを舐める?」
そんな事はない、と言葉は続かない。
実際に、カンナのことを過小評価していたのは事実だろう。
1度、捕まえた、だが、力を見誤った。
その結果、逃がした。
もっとも、18の男が鎖を引きちぎるかもしれない、なんて予測しろという方が意地悪かもしれないが、事実として弦巻こころの頭の中には、龍崎カンナの実力を過小評価していたという結果だけが残された。
「ハッピーラッキースマイルイェイ…」
自分の頭を、撫でて弦巻こころは部屋の前を後にした。
「さーて、これからどうするかねー」
家から少し離れた公園のベンチに座り、カンナは独り言を口にした。
「とりあえず持ち物の確認しとくか」
「スマホに財布、モバイルバッテリー10000mAが3つと充電用のケーブルにペンケース…か」
「財布の中にはポイントカード数種、現金6700円ちょい、最悪銀行のカード使えばあと12万程度…かな」
「しばらく逃げるには困らねーかな」
「解決策を考えねーとなんだけど、こればっかしは時間経過しかない気がするんだよねぇ…」
そんな独り言で、状況確認をするが、改善策も打開策もなく、『逃げる』他ないことを突きつけられる。
何故こうなったのか。
そんな答え、カンナが持っているはずもなく。
カンナはただただ、時間が経てば終わることに願うしかなかった。
「教科書とかノートとか、学校に置いて来といてよかった」
「問題は多いな」
「家には帰れない。これはまず間違いないだろ」
「となると、衣服の問題か…」
「ま、移動しながらボチボチ考えて行きますかねっと」
ベンチから立ち上がり、伸びをしたカンナはふと、右手の違和感に気づく。
包帯の違和感。
両手に包帯を巻いているが、明らかに右手だけに違和感がある。
「なにか…入ってる?」
違和感を確かめるべく、包帯の隙間に指を入れてみる。
そしてそれを掴み、引っ張り出す。
「…あ」
違和感の正体を確認したカンナは、唖然とした声を出したが、すぐに理解する。
それが、どうしてここに入っていたのか。
何を意味しているのか。
「ありがとう、親父」
「ちゃんと家に帰ってから返すから」
カンナは左手に握った1万円札を財布にしまうと、公園を出て、逃げるための道を歩き始めた。