それから数日が経ち、カンナは病院のベッドの上で目を覚ました。
「…知らない天井…って訳でもないか。あの事故以来か?ッ痛」
起き上がろうとしたカンナに、鋭い痛みが走った。
痛みの発生源に目を向けると、そこには包帯でぐるぐる巻きにされた左腕が目に入った。
「あーそういえば最後、左腕で弾丸受けたっけ。痛みがあるってことは、神経が死んだわけではないのかな?」
コンコン
カンナが独り言を呟いていると、不意に病室の扉が鳴った。
「失礼するよ。おぉ!目が覚めたか!」
その姿を見てカンナはすぐに理解した。
もっとも、カンナでなくとも誰でも理解はできただろうが。
「警察…か。なんの御用で?」
「はは、今の君の状態でなんの用は無理があると思わないか?」
「まぁ、そうですね」
「用と言ってはあれだ。まず君の状態。君の左腕は動く。しばらくは安静にしてリハビリに励むことだ。次に、君と一緒に倒れてた武器を持っていた集団。4人のうち2人は死んでいたが、残り2人はかろうじて息があった。既に署の方でやってもらっている」
「へぇ…生きてたんだ」
「あぁ、本当ににわかには信じられないな。あれを君一人でやったのか?」
「3人はな。1人脳天撃ち抜かれて死んでたヤツいたでしょ?そいつだけは俺じゃない」
「…あの公園、一応防犯カメラが設置されてたんだ。君があの公園で、何をしていたのかは知っている。何があって、どんな理由があって、あんなことになったまでは知りはしまいが…。あともう一つ、君のお父さんは保護している。だいぶ衰弱していたが命に別状はないらしい」
「そうか、よかった」
「少なくとも、今回の件に関しては君には正当防衛が効く。君自身が罪に問われることはないと思っていい」
「なんか含みのある言い方ですね」
「まぁ、君ならわかるだろう?弦巻こころに関してだ」
「あいつはなんもしていない」
「どういうことかな?」
「リアル鬼ごっこをしていただけだ。俺が逃げ切れれば、俺の勝ち。捕まれば負け。どちらかが諦めるまで終わらない鬼ごっこさ。ルールは無用。強いて言うなら、命を奪わないことだけがルールだった」
「だから、君の父親の件も、君自身の件も、彼女には罪を問わないと?」
「もし罪に問うなら、俺のも過剰防衛だと思うが?」
「はぁ…わかった。署にはそのように伝えておく。ある程度、出来事が都合のいいように変わるが構わないね?」
「えぇ、頼みます」
「わかった。では、君には私以上に重要な客人が来たようだ。ここら辺で失礼するよ。また後日当事者集めて場を設けるから、よろしくね」
そういうと、初老気味の警察官は、病室を後にした。
部屋を出る際に、部屋と部屋の外にいる者に一礼をして。
そうして、入れ替わりで、2人の少女が病室に入ってきた。
『弦巻こころ』と『奥沢美咲』だ。
「何の用だ」
先程の会話とは打って変わって、声を低くしてカンナは言葉を放つ。
それは、威嚇の意も含めていた。
何かしようものなら、すぐに反撃を開始すると。
もっとも…
「…さすがに不自然か?」
カンナにその意志自体はなかったが。
一応、件の被害者筆頭と加害者の頭の対面、雰囲気を考えての形だけの威嚇。
カンナにそんな意思は毛頭なく、それは2人もわかってる…とカンナは思っていた。
だが、タイミング…というより、相手が悪かった。
今の『弦巻こころ』は正常に物事を考えられていない。
今のカンナの言葉は、その形そのまま真っ直ぐに突き刺さっていた。
即ち、『失せろ、殺すぞ』と。
無論、カンナにその思いは微塵もないし、奥沢美咲もそれは分かっている。
だが、今の『弦巻こころ』にそんなことは関係ない。
なぜなら、今、目の前にいるのは他でもない化け物の類なのだから。
常識では考えられない力をその身に宿す、人の形をした『何か』
数で押しても、時間をかけても、武器を使用しても、この化け物には通用しなかった。
今の『弦巻こころ』には、どんな報復が待っているのかしか頭になかった。
しかし、それは龍崎カンナにも奥沢美咲にも分かっていた。
なぜなら、この状態の『弦巻こころ』を見るのは、初めてではないからだ。
奇しくも数ヶ月前、同じく病室でこの状態になった。
龍崎カンナが、『弦巻こころ』を事故から庇った時。
その後、病院に運ばれ、目を覚ました時に。
「…ふぅ」
どうしたものか、とカンナが考えていると、ふとカンナは違和感に気づいた。
『弦巻こころ』の両頬に湿布が貼られていたのだ。
「その頬どうした?あの時俺は振り向きざまに放ったから、右頬に湿布があるのは分かるけど、左は?」
「あー、それは…」
カンナの質問に、奥沢美咲が反応する。
答えは聞いてないが、それだけでカンナには答えが何となくわかった。
「こっぴどく怒られたか」
少し顔に笑みを浮かべ、カンナは答えと思わしきことを口にする。
それに、『弦巻こころ』はこくりと頷いた。
それを確認し、カンナは少し視線を移す。
その視線に気づいたのか、視線を逸らし、奥沢美咲はポリポリと頬を掻く。
「まぁ、そこで何を言われて、何を思ったかは詮索しないけど、流石に引っぱたくの予想外だったな」
それを口にして、カンナは目を閉じ深く息をついた。
空気が一瞬で重くなる。
カンナは目を開け、再び声を低くして口を開く。
「…で?何しに来たんだ?」
その瞳は鋭く、奥沢美咲の隣でずっとビクビクしているソレに、真っ直ぐと向けられる。
今度は、素直な威嚇として。
いい加減にしろと、もう次はないぞと。
ただただ真っ直ぐな、そして静かで鋭い。
壮絶な修羅場を超えた猛者の威嚇。
先程の形だけのものとは違う、本物の。
形だけでも、あれ程の効果があったのだ。
過剰とも言えるこの圧力。
そんなこと、カンナにも分かっている。
1種の試練だった。
そこには、沈黙だけが残った。
どれだけの時間が経ったのだろう。
10分か、20分か、もしかしたら5分も経っていなかったのかもしれない。
だが、少なくともこの空間の沈黙は、永遠にも思える時に感じた。
「…もういい、帰れ。十分に時間はやった。これ以上は待てない」
その空気を断ち切ったのも、カンナであった。
カンナは、冷たく言葉を吐き捨てると、2人に背を向け、ベットに横になった。
明白な対話拒否として。
「あ…」
カンナの行動に、口から言葉が漏れた。
ここを逃したら次はない。
もう二度と、ここに戻って来れなくなる。
どれだけ怒られても、どれだけ嫌われても、会えなくなるのよりはマシだった。
それだけが、その思いだけが、『弦巻こころ』の背中を押した。
「…どうして?」
震える声、笑う膝、その状態の体で最大限に努力してようやく言葉が出た。
本来なら、もっと先に言わなければいけない言葉がある。
だが、今の『弦巻こころ』の口からは先に『何故』が出てきた。
「どうして…とは?」
ようやく口を開いた『弦巻こころ』に反応し、カンナは再び起き上がり、真っ直ぐに言葉を紡ぐ。
依然変わらず、重い空気が病室を埋める。
「…どうして、庇ってくれる、の?」
「さぁな、少なくとも、自分の手で裁きたいみたいな事じゃねぇよ」
「どうして?あれだけ酷いことして…あれだけ苦しめて…!今こうして入院するようなことになってるのに…!どうして…?」
「思ってることがあるなら、言わないと伝わらないよ。あの時、あたしに言ってくれたように」
ふたりの会話に、奥沢美咲が割って入る。
そして静かに冷静にカンナに注意する。
少しの沈黙の後、深呼吸をして、カンナは再び口を開く。
「…すまんな。こういう時どういうこと言ったらいいかわからんのだ」
「そのまま、思ってること言ったらいいと思うよ。それがきっとこころの為だから」
「…そうか」
カンナは再び目を閉じ、大きく息をついた。
「言いたいことなら山ほどある。だが、多分その山ほどあることは、全部言われたっぽいんだよな。こっぴどく叱られて、叩かれて、反省してここに来たんだろ?」
カンナの言葉に『弦巻こころ』は小さく頷く。
「だからね、俺からさらに言うことがあるのかと…ね。あーあと庇う理由だっけ?それに関しても同じだ。警察官と話してる間に、何回か入室のタイミングを伺ってたろ?その様子とか見て、何となくこれ以上の罰はいらないと思っただけだよ」
「これだけ、酷いことをしたのに…?」
「あぁ、あれだけ酷い目にあってもだ」
「こんなに傷つけたのに…?」
「あぁ、こんだけ傷だらけになってもだ。だってお前はもう、答えを知ってんだろ?」
カンナの言葉に、『弦巻こころ』の口が止まる。
最初から分かっていた。
その優しさを。
その強さを。
その漢らしさを。
だってそれを好きになったのだから。
だってそれが『龍崎カンナ』なのだから。
知っていて、分かっていて、それであまえていたのだ。
分かっている…だから。
「…ごめんなさい」
今度はすんなりと、言葉が出た。
あれだけ震えていた体も、気づけば止まっていた。
そして、気が緩んだのだろうか、ボロボロと涙が零れ落ちる。
泣くつもりなんてなかった。
泣く資格なんてあるわけ無かった。
でも、涙と嗚咽が止まらない。
『弦巻こころ』はその場でしゃがみこんでしまった。
「ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい…」
同じ言葉が繰り返される。
何度も何度も。
「こころ」
「ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい」
「こころ」
「ごめんなさい…」
「こころ!」
同じ言葉を繰り返す『弦巻こころ』についにカンナは大声を上げた。
その声に驚いたのか、ようやく顔を上げ、カンナの顔を見た。
「大丈夫だよ、こころ。誰もお前を傷つけない。安心して。ほら、深呼吸」
カンナはベッドから降り、『弦巻こころ』のそばに駆け寄り背中を擦りながら、声をかける。
今までとは打って変わって、優しい声で。
隣にいる奥沢美咲も、心配そうな顔で『弦巻こころ』を見守る。
荒れに荒れていた息も、徐々に落ち着きを取り戻していた。
「…大丈夫か?」
しばらくして、カンナが声をかけると『弦巻こころ』は小さく頷いた。
「ったく、心配させんな」
「ごめんなさい…」
「いいよ、別に」
「…」
「…」
「…」
「…」
沈黙が、病室を満たす。
話すことがない訳では無い。
だが、それをお互いに口にできないでいる。
「どうして、あんなことしたんだ?」
長い沈黙を破ったのはカンナだった。
「カンナが好きだったから…」
カンナの問いに、『弦巻こころ』は弱々しく答える。
「好きだったからって、俺は前から知ってたけど、少なくとも直接的な接点はあの事故が初めてだろ?」
「でも、あの時カンナはあたしのことを全力で守ってくれた。自分の命も危ないかもしれないのに、あたしを引っ張って、身代わりになって、それでも優しく笑いかけてくれて…。あの時、もしカンナが助けてくれてなかったらって思うと、怖くて仕方ないの」
「別にお前だから助けたんじゃない。あの状況にいたのが誰であれ、俺は同じ行動をしていたと思う。俺は、そういう風に生きてきたから」
「それでも…!あたしはそういうカンナが好きなの…!誰かのために全力になれて、本気でヒーローになろうとしてるカンナが…好きなの。なのに、あれ以来カンナはライブに来てくれなくなった。初めは、ただ見落としてるだけかと思ったわ。でも、その次も、その次のライブも、何度探しても、カンナの姿はなかったわ」
「それで、俺を捕まえて閉じ込めようとしたってわけか」
こくりと『弦巻こころ』は頷き、再び口を開く。
「どうして、庇ってくれるの?」
先程も聞いた質問を、繰り返す。
「目が違った」
「目?」
「俺はさ、人を見るのが得意なんだ。お前の目は、前までのお前とは違った。部屋の前にいたお前は、暗い顔はしていたが、俺の知ってる『弦巻こころ』の目だった。お前は気づいてたか知らないけど、この1ヶ月ちょいの間、お前のことを弦巻こころと呼んだことないんだぜ?」
「…うん知ってるわ。これだけ好きなのに、名前も読んで貰えなくて、逃げられて、とても悲しかったわ」
「ま、そういうことだ。だから俺は、これ以上お前を責めないし、罰しない」
「…怒っても、くれないの?」
予測外の返しに、カンナは一瞬とまどう。
だが、すぐにその口は開いた。
「怒られたいか?」
カンナは、そんなイジワルな返しをした。
怒られたい人なんて、そういるものではない。
そういう特殊な性を持っていない限りは。
当然、弦巻こころも首を横に振る。
「なら俺はこれ以上怒らない。だってもうこころは、大切な友達に、散々怒られて反省した後だろ?きちんと心のこもった謝罪も貰ったし、それ以上はしないよ」
室内に静寂が訪れる。
全てが終わった。
この1ヶ月間の悪夢のような日々は、無事終幕を迎えた。
そう…カンナは思っていた。
「美咲から聞いたわ」
「ん?」
「カンナは美咲が好きで、美咲はあたしが好きだからカンナは頷いてくれなかったのよね?」
「んー、それもあるが、あのお前を肯定しちまったら今のお前を否定しちまうような気がしてな」
「なら、いい考えがあるわ!」
「うん、嫌な予感がするから言わなくていいよ」
「海を渡りましょう!」
「はい?」
予想の範囲外、意図が微塵もわからずカンナは素っ頓狂な返事をする。
「外国の一夫多妻が認められてる国に移住するのよ!そしたらあたしも美咲もカンナもみんなハッピーよ!」
「やだよそんな泥沼な家系!なぁ、奥沢さんもなんか言って…」
絶句した。
言葉を紡ぎながら、届けたい主の方に視線を移したが、その彼女は手に顎を乗せて、悩んでいる。
「いやいやいや、悩む場面じゃないからね?わかってる?あなたボケじゃなくてツッコミ入れる側の人だからね?」
「それナイスアイデアだよこころ!」
「『ナイスアイデアだよ』じゃねぇよ!?」
「さぁ一緒に行きましょ!みんなハッピーよ!」
「嫌だよ!?」
「こころ、今回は手伝うよ」
「ねぇなんで!?あんたはこっち側だと思ってたのに!」
カンナは、部屋から脱走した。
裸足で、左手にギブスもつけたまま。
「あ…」
逃げられて、呆然と立ち尽くすこころ。
また、逃げられた。
この思いは絶対に成熟しないのかと、1人で悩む。
だが、ふと右手が暖かくなり独りの世界から引き戻される。
「行こう、こころ。2人で1緒に」
もう独りじゃない。
2人で1緒にカンナの後を追って走り出した。
「先生!龍崎さんが脱走しました!」
「なんだって!?」
カンナは一足先に病院から出ていた。
「どうしてこうなるんだよぉ!」
カンナは逃げる。
だが、前までとは違った。
これといった、確かなものは無いが、間違いなく何かが違った。
それは、弦巻こころが『弦巻こころ』に戻ったからか?
それは、奥沢美咲が参戦したからか?
それとも、カンナがそんな未来も悪くないと思い始めているからか?
確かなことは誰にも分からない。
だが確かに、今までの逃走劇とは違った。
カンナは逃げる、その答えが出るまで。
カンナは走る、確かなことを見つけるために。
それを見つけるまで━━━━━
HappyEND
『逃走せよ果ての果まで』
『逃走せよ果ての果てまで』はこれにて完結になります。正直、友人からのノリで始めたこの物語ですが、最後まで書き上げることが出来て良かったです。これからも、相変わらずの戦闘脳で物語を書いていくと思いますので、もしよろしければ他の作品も、御一読ください。最後になりますが、ここまで書けたのは、これを読んでくれる読者がいてくれたからにほかなりません。ご愛読ありがとうございました。