魔法の杖ってドロップアイテムだけじゃないの? 作:星火 悠瑠璃
次話でプロローグは最後となります。
亀更新過ぎて私自身引いているところですが、プロットのプロット、自体は見えています。「肉」の前の「骨」の前の「タンパク質」の前の「DNA」…どころか「テロメア」レベルですね。つまりどこまでやって区切りか、その区切りがいくつで終わりか、位です。
つまり、亀更新は変わりません。申し訳ない。
では、ごゆるりと。
今でも夢に見ることがある。
誰にも憚ることなく、情熱のままに駆け抜けた華やかな日々を。
そして熱情のままに踏みつけてしまった地雷の爪痕を。
だから、終には二つある。
一つは自らの蒔いた種より芽吹いた大樹の木陰にいるかのような、穏やかに愛しい者に看取られていくこと。
もう一つは徒に踏み荒らしてきた花畑に花を育てようとするような、一人泥臭く足掻いたまま朽ち逝くこと。
自らの行いを最期に顧みていくことで、自分はどちらの末路への道を歩んでいるのか、自ずと理解できる。
だけれども、往々にして愚か者や勇者、そして夭逝するものはこの例に当てはまることはない。自らのことを顧みる前にその命を落とすからだ。それは人生を一冊の本に例えるなら裏表紙のない、途中で落丁したっきり、もしくは破れた本のようだ。そんなものは「結び」と呼ばれることもない、ただの断絶だ。
断じて、終わり方と呼んで良いものではないのだ。
そして、それは人生のみに非ず、一つ一つの事物にも言える。
誰かが投げ出した、放棄した、遣り残したことは終わらない。
忘れ去られ、いつかどこかでだれかが完遂させることを待ったまま埋もれていくものもある。
だが、人生と違うのは、次の担い手になることを選ぶ誰かがいるということだ。
それは誰かがやらなければならないことだから、もしくは誰かにとってやるべきことだから。それから、それが、その故人との縁によってなされることもある。
縁とは随分と包括的なもので、多くは愛情を思い浮かべるが、時に憎悪、嫌悪すらも繋がりとなる。
一人死に行くような結末だとして、託す物は、最期の贈り物というものはそれを辿って結ばれるのだ。
どんなに祈ったとて、どんな感情で結ばれるかなど、誰にも決めることはできない。だから、その最期が後悔とか憤怒、怨嗟などであれば、悪いことなのだろう。私ももれなく後悔の中で朽ちゆく人間だと、そう思う。
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「オールデンお爺様!」
馬の轡を外して馬それぞれの餌を選り分けていると、先程家の近くまで送り届けた少女が駆けてきた。
いつも穏やかな笑みを絶やさない母親とは似ても似つかない、その無愛想さに加えて職人気質な結果至上主義で有名なリュシーだ。だが、親しくしてみれば厳し過ぎる程の礼儀作法や法律、規則に則っているだけで、奥底には新しい物に思いを馳せ、形作る時にだけ見える、本人も自覚してないであろう試行錯誤の化身がいると分かる。
自らを縛りつけるものに身を委ねて退屈を感じてるだけ。
だから、村で平凡な農婦になる安全で平和な変わらない日常より、だ。それよりも、自分自身の意思で街に出る機会を掴んで、それこそ、旅の商人辺りと結婚して、新鮮な世界を歩き続けて欲しいと思った。だから、彼女には何も言わずに彼女の母にだけ、街で働き場所が見つかったのなら、儂の馬を一体貸し与え、いつかは譲る腹積もりだと話した。
いつか、儂の遺産を分ける時に、何処にいても、あの世界を拓いていく瞳の助けになるように。
軽く汗をかきながら、泥が跳ねるのも気にせずに走ってきた。彼女の人となりを知らない余人からすれば、一際揺れる鬢は焦っているだけにも見えよう。だが、これはただ急いているだけなのだ。
「私、街で働くことになったんです。」
新しいことを知っていく。そんな冒険心に背を押されて。
未だ周りの事を考え過ぎて、表には出せないけれど。必ずその輝きが彼女自身や出会う場所に明かりを灯す。
だから、その種火が消えないように精一杯の祝福を。
「では、そうだな。就職祝いに君が乗る馬を決めようか。」
一番老いてる馬、などと口にした気もしたが、どの道1頭はこの村に置き続けることはできないように育てたし、何より世界を周れるような健脚の馬もいる。いつか彼女の、世界を「識っていく」ための力になってくれるはずだ。
儂とは違って、留まる理由なんてなくていい。ただ帰る場所があって、見たい何処かがあって、それで歩んでいく力さえあれば、きっと。
立ち止まり、小さな世界で得意になって過ちを重ねることなんてない。
その日、世界を焼べる鼓動が再び鳴り響いた。
それは一息つきながら、彼女の口から魔法に携わる職場に就くと嬉しそうに語らってくれていた内容について、昔を想い馳せながら聞いていた時の事だった。
今話が爺様目線なのは、リュシー嬢の「転換点」はその時じゃなくて、過去として描く方がしっくりくると感じたからです(投稿数時間前の暴挙)。
「今、辛い現実にどうすればいいか」はわからない。でも「過去に辛かったことを経て、どう生きていくか」は、誰もが言葉にできる。
惑う少女ではなく、過ぎ去ったジュブナイルを思い返しつつ凛として歩み行く魔女こそが、私にとってのリュシー嬢でした。
無理に飲み込まなくていい、受け止めなくていい。でも少しずつ、目を向けていかなきゃいけない。いつか、生きてくために。
ということで、次回
「いつか、その日が来るとき<後編>」(投稿未定)。
では、また。