アケトンも130個必要らしいので初投稿です。
ロドス・アイランド製薬の本拠地は、移動可能な陸上艦である。
移動都市ほどの大きさや生産力はないものの、基本的な物資を自給自足可能であるこの巨大な金属の塊は、天災を避けて各地を移動する傍ら、その腹の中に抱え込んだ施設で多くの人間を養っている。
その足元から背中まで、最新鋭の技術をこれでもかと詰め込んだ、いち企業の本社所在地としては非常に贅沢な代物である──しかしながら無論のこと、そんな素晴らしい存在を一年中運用し続けるからには、相応の代償が存在する。
つまり、カネがかかるのである。
陸上艦下層区画の最上部、巧妙に設計された導光設備によって太陽の光が届く、小綺麗だが雑然とした、喧騒溢れるオフィスの一角にて。
「カネが無え~~~~」
「左様ですなあ」
思わず漏れ出た泣き言に対して、先日の会議のときとは異なり若干間延びした声で呟くのはAccountant。ロドス財務部の重鎮たる金庫番であるサヴラの小男は、勤務時間中だというのにふらっと現れて、ヴィクトリアから最近やってきた感染者が差し入れてくれたという紅茶を静かに啜っている。
「ううむ、メランサ嬢のフレーバー選びのセンスは実に良い。彼女のご実家での確かな教育が見て取れますなあ」
「こっちが資金の工面に死にかけてるってのに何だその余裕は……!」
半眼になって睨んでやるも、どこ吹く風といった体で流される。ケルシーの前で蛇に睨まれた蛙ならぬ、猫に睨まれたトカゲになっていた男と同一人物とはまったく思えない。
「ははは、私にも苦手なものはあります。一にスワイヤー銀行融資オフィス弊社担当、二にケルシー医師、三にシモーネ嬢」
「視線が冷たいやつばっかりじゃないか」
「サヴラですから」
冷気に弱いんです、と言ってのける。仕事上よく顔を合わせる男だが、ごく一部の彼が苦手とする人物の前以外では、こうして飄々とした物言いをする。お蔭で会話のペースが掴みにくい。仕事は完璧にこなすので文句を言うほどでもないのだが。
そんなことより、大きな問題がある。
「……これ全部、医療部からの要求なのか?」
机の上に積み上げられた資料の山には流石に呆れざるを得ない。オペレーターたちが所属するロドスの戦闘組織である作戦部から『戦闘行為を営利事業化するにあたって最低限の対応を求める医療部からの要望』として転送されてきた膨大な量の資料は、先日の会議に対する彼らの返答を露骨なまでに示していた。
「ははは、嫌われたものですな」
「他人事みたいに言いやがって……」
「実際、他人事には違いないでしょう。私は会計担当者としてロドスの現状を率直に告げました。それに対するケルシー医師と貴方の回答が
「ここまで激烈だとは思わなかったよ!」
そりゃあ気持ちはわかる。対価を貰っているとはいえ、せっかくこれまで治療してきた感染者の中から有志を募って戦闘部隊を組織し、武力を商品化して売ろうというのだから。医者と看護師の集団である医療部が反対するのは当然だ。
先日の定例会議で俺が示した提案というのは、実のところ革新的なものとはいえない。これまでもロドスは取引先企業や提携する病院、時には大口の顧客(要は感染者を身内に抱えて難渋した貴族や大金持ち)に対して、オペレーターによる戦場護衛や障害排除サービスを提供してきた。これを拡張して、本格的に軍事力を売り物にしようというわけである。
ただでさえテラの大地は戦争まみれだ。カズデルはつい最近まで
別に戦争に首を突っ込もうなんて大それたことを言うわけじゃない──というか、今のロドスにそんな能力は皆無である。まずは現在の取引先企業をメインにして、警備や護衛、調査任務、トランスポーター仲介や訓練支援、それから危機契約機構からのオファーなんかも受けて、総合企業として多角的な経営を……みたいな話をしたはずだ。
そもそも実力組織の形成は既定路線である。あの女狐ことケルシー医師には事前に話を通してある構想だし、警備・輸送事業の拡大は現状からの変更という点で最も無理がない事業計画だ。プレゼンも割と上手くいった自信があった。当事者たるエリートオペレーターのブレイズはあっさりと引き受けたし(Aceは疲労で寝ていた、哀れな男だ)。
だからまあ、医療部に根回しをしていなかった──というかこれからする予定だった──点については自分の責任なのかもしれない。半分くらいは。もう半分は絶対に、
「あの女、憎まれ役を俺に押し付けやがったなあああ……」
思わず机に突っ伏す。何枚かの資料の束が床に落ちて重い音を立てた。
あの恐ろしいフェリーンの強烈な眼力は別にいい。いや良くないが慣れた。地質調査用の削岩機を改造して岩盤から金塊精製して売らね? とクロージャと一緒に持ちかけたときの、こいつらは何を言っているんだと言外に主張する絶対零度の視線を思い出すとちょっと辛いけど。
だが増員する戦闘員は療養中の感染者から有志を募るという案を説明したときのフォリニックの失望の視線は流石に堪えたし、昨日の定期検診の際に医療実習生のアンセルからごく控えめに再考を促されたのはもっと堪えた。医療の理想に燃える年下の純粋な子たちから、薄汚い大人のように思われるのは何かこう……辛いものがあるのだ。
「とは言っても実際問題、余剰資金は皆無ですとも。一週間後には私もドゥリン嬢と共に龍門に赴きますが、はてさて新規事業を始めるからといってスワイヤー銀行が追加の融資をしてくれるかどうか」
「龍門幣が全土で流通してたらまだ楽だったんだがなあ……」
龍門幣がテラの大半の国家で有効な基軸通貨となってもう随分長くなるが、覇権国家の面子が掛かっているからか、ヴィクトリアやカジミエーシュは未だに独自通貨を使うといって譲らない。現状のロドスの経営基盤はテラ東部にあり、当然ながら龍門幣経済圏の恩恵に預かっているわけだが、逆に言えばその傘から出る際──つまり今のような時だ──には追加の出費を強いられることになる。為替の変動や両替に伴う手数料、競合国との取引を不利にするための対抗関税、好き放題に課せられる通行料、エトセトラ。ええい伝統主義の貴族どもめ。
「ところで何故ドゥリン?」
「ああ見えて彼女、細工物の目利きですからね。何か新しい販路を開拓できないかと」
「製薬会社が古物商の真似事かあ……」
何でもやってみるしかありませんな、というAccountantの言葉に俺は天を仰ぐ。
前途は多難──そうとしか形容できなかった。
一般的なロドスのオフィスは、整理整頓されているとまでは言えないにしても、曲がりなりにも企業事務所としての体裁を保っている。すなわちデスク、椅子、データ処理端末や各種の書類作成機材、休憩所や本棚といった設備がある。
一方で、製薬会社が入居する陸上艦という特殊性ゆえに、普通の企業にはないような性質の区画も幾つか存在する。例えばここは本艦の推進機構上部に存在するメンテナンス機材保管庫。巡航課の所管区画であり、ロドス本艦の安全な通行を保証するプロフェッショナルたちが働く、機関部に次いで重要な施設だ。
『こんにちは、アルケミスト様。ご職務お疲れさまです』
「どうも、Lancet-2。クロージャがここにいるって聞いたけど」
『はい、ええと、いいえ。クロージャ様はこちらにいらっしゃいますが、いらっしゃらないことになっています。私に与えられた指令では、その、クロージャ様の所在地についてお伝えすることができず……』
「あー、大体察したから大丈夫だ。ここにはいないんだな? ちょっと入りますよっと」
『アルケミスト様!? それはどういったご判断なのですか!??』
混乱する哀れな六輪作業プラットフォームが、搭載されたAIの自動判断に従ってその声とは裏腹に滑らかな動きで道を譲る。整備用重機や外装交換プラットフォームが格納されたパレットの間の狭い足場を、顔見知りの整備員に手を挙げて挨拶しながらしばらく歩くと、複数の作業灯に照らされた奥まったスペースに辿り着く。
どこからか通信ケーブルが引かれ、多数のモニターと各種入力装置、ついでに冷蔵庫や足のもげたソファーまでもが設置されたこの場所が、ロドスにおける諸悪のおよそ30%くらいの根源たる
「とっとと起きろ、この遅刻魔」
「ぶえっ!」
ソファーに沈み込んで気持ちよさそうに寝こけているサルカズの頭の下からクッションを引っこ抜く。うら若き(かどうかは分からない、サルカズの外見ほど当てにならないものもそう多くないだろう)乙女(これも微妙なところだ)とはとても思えない声を上げて、ロドスが誇るチーフエンジニアは飛び起きた。
「…………? 何だ、アルケミストじゃん。失礼だなあもう」
「自分から言い出した打ち合わせをすっぽかして昼寝しといて何が失礼だ……?」
ええー、そんなのあったっけか? と首を傾げるインドア吸血鬼。その目の下には微かな隈が浮かんでいる。どうせまた2時間くらいしか寝ていなかったのだろう。頑丈な種族だからって無茶をし過ぎである。
エイダ・チャーチ、ロドス内での通称はクロージャ。エンジニア部のトップにして購買部の仕入れ担当、艦内設備の安全保障に責任を負うチーフエンジニア。肩書だけ見ればケルシーよりも立派で、書類上はロドス本艦においてアーミヤの次に高い地位を持つことになっている人物だ。
そしてこの女、恐ろしいことにロドス経営部の名目上のトップでもあるのだ。つまり俺の上司である。直属の。一つ上の。
……あれ、なんだか無性に悲しくなってきたな。
「何なのさ一体。打ち合わせならオンラインでもできるでしょ? PRTSの秘匿モードで一発だよ。それなら私も別の仕事の合間に対応できるしさ」
「これでも一応、会社の今後を決める大事な会議だぞ。対面でやらなきゃまずいだろう。会話記録も残して他所の部署との折衝に使う。文字起こしして資料も作る」
「面倒くさいなー。私にはありとあらゆる創造的な仕事が待っているというのに! 例えばそう、Lancet-2の基礎人格プロトコルをもっと親しみやすくして、みんなに愛される秘書ロボットに──」
「何でもいいから手続きに必要な分は働いてくれーッ」
ぶうたれる上司をソファから引き剥がす。おろおろと着いてくるLancet-2が書類綴を持ってくれたのが救いといえば救いだった。丸いフォルムがなんとも可愛らしく思えてくる。それに比べてこのサルカズときたら!
「離せ! 材料課から純金精製プラントの基本設計がやっと上がってきたんだよ! 鉱業残土から源石顆粒を取り除いて貴金属粒子のみを凝集する、科学の粋を尽くした美しい精錬工程をこの目で確かめないといけないの!」
「うおおおマジかやったぜ俺たちの金策がこれで実現する! 俺も見る! 見るけどまずはこっちだ! アンタの直筆サインが必要な書類が山程溜まってるんだからなァ!!!」
「嫌だーーーッ!」
悲鳴を上げながら首根っこを掴まれて連行されるサルカズと連行するピロサ、ついでにその後ろを『ご迷惑をおかけしております、クロージャ様が騒々しくて申し訳ありません』と連呼しながら追いかけるロボットの絵面がロドス本艦で数日の間話題になったのは言うまでもなく、俺は噂が収まるまでの間、食堂で後ろ指を指されることとなった。
何も悪いことはしていないのに。解せぬ。
「──んで、いたたまれずにここで飯食ってるわけか? お前も大変だな」
「
「解決しようがないだろ、それ」
サンドイッチを腹に詰め込む俺の隣でちびちびと酒を飲んでいる仮面の大男、ノイルホーンが苦笑する。だらりとやる気なさげなリラックスした佇まいだが、これでも何事かあれば足元の盾を即座に構えて飛び出す歴戦の戦士である。
極東出身の鬼族であるということ以外、彼についてはあまり知られていない。口数が多い性格ではないし、目立った行動も少ないうえにいつもマスクを付けているからだ。彼のイケメンフェイスを拝むにはあと数年待たなければならない──とはいえ、現時点でも彼は非常に頼もしい男である。行動隊A4の重装オペレーターとして戦闘に参加する、ロドスでは現状数少ない
「……というわけでまあ、医療部からは大反対の嵐だ。輸送課も引っ張られて及び腰」
「そりゃあなあ。理屈としちゃ分かるぜ、俺だって行動隊に志願したとき、ワルファリンに引き止められたから」
「彼女ですら一応は危ないと言ってみせるんだから、フォリニックやアンセルがどう思うかなんて分かりきってるだろ。賛成するのはガヴィルくらいじゃないか?」
「そりゃあ正論だけどな、実際問題カネはないんだって」
クロージャを引っ立てて輸血パックで釣りつつ書類に向かわせること数時間、俺を待っていたのは想像以上に過酷なロドス・アイランドの現実であった。
エンジニア部と経営部のトップが同一人物なのは、人材不足以上の理由が一応ある。ロドスは陸上艦を本拠にしているため、船の維持費と移動速度、航行ルートが経営戦略に直接影響する。したがって、船の状態を完全に把握しており、陸上艦の稼働と移動に必要な資金を即座に算出できるクロージャを経営部の責任者とするのは一応の合理性がある。
そして、書類仕事の合間の聞き取りで彼女から引き出した(常に興味優先で仕事をしている天才肌の感覚派からまともに解釈できる情報を得るのにどれほどの労力が必要かは推して知るべしだ)内容は、改めて第5号戦略方針──オペレーターの増員とそれによる軍事力の販売、輸送力強化、もってロドスの事業展開地域を拡大する──の推進を決意するに十分な内容だった。
結論、思ったよりヤバい。
「レム・ビリトン鉱業からの濃縮
「思わねえ。というか、それすら間に合わねえのか?」
「契約通りの日程なら間に合うけど、移動が遅れてるからな……」
「あー」
この数ヶ月、カジミエーシュとウルサスの国境紛争は激化している。近隣航路は通行が制限されるだけでなく、そこから溢れた隊商が周辺の安全な航路に殺到して大混雑。感染者を大量に抱えているロドス本艦はただでさえ通行許可を取るのが難しいのだが、カジミエーシュ通関当局の窓口がパンクしているため、手続き待ちで荒野に立ち往生しているのだった。しかも悪いことに、そのせいで燃料の納入場所に辿り着く期日が遅れ、さらにそのせいで燃料倉庫の取り置き料金を遅延日数分支払わされるらしいのである。早く言ってくれマスタークロージャ。定例会議に出てくれマスタークロージャ。報連相を知らんのかマスタークロージャ。
「それ以外にもあれこれと細かい修理や改造もあるみたいだし、別の新規事業のために結構な額の投資も控えてるから……なかなか出費が嵩んでる。もちろん、こういう事態を見越して昔から色々と手を打ってきたし、すぐに資金が底をつくわけじゃないが」
「一年、二年保つかというと厳しい、と」
「ご賢察の通りで」
肩を竦めるノイルホーン。ここまでそこそこ長い時間を愚痴に付き合ってもらっているが、馬鹿にならない酒量を重ねている割にほとんど酔った様子を見せないあたり、まさに隙がない男である。
「そういうことなら待ったはきかねえな。改善の見込みはあるんだろ?」
「でなきゃ提案しないさ。準備は散々やってきたし、失敗しない確信はある」
「なら後は踏ん張るだけだろ。当のオペレーター共はやる気満々なんだから」
「簡単に言ってくれる……」
溜め息をつく。正直、この船に初めて乗り込んだときは、こんなことをする役回りになるなんて思ってもみなかった。
「計画立案まで手伝ってもらってなんだが、本当にいいんだな? 難しい役回りをさせてしまうが」
「構わねえぜ、俺たちは戦いの中で生きてきたんだ。自分が一番得意な分野で役に立てるなら、働き甲斐があるってもんだろ」
しみじみと仮面に触れるノイルホーンの言葉には重みがある。俺みたいな戦いから逃げ続けてきた怠け者には分からない、戦いの経験が生み出した重みだ。そしてそれは、過去を抱えながら常に陽気なブレイズや謹厳実直なAceなど、使命のために命を懸けているオペレーターたちに共通するものなのだろう。
ただ生きるだけでなく誰かの役に立ちたい、という気持ちは分からなくもない。人の縁による数奇な巡り合わせでこの船に辿り着いた以上、俺にだって思うところはある。積極的に働きたい、となると全く理解できないが。俺はいつだって茶を飲みながら寝転がっていたい。ほら、
しかしそうすると、さしあたってやるべきは、
「フォリニックの説得かぁ~~~」
「まあ何だ、頑張れ。アーミヤ代表よりはマシだろ」
「どっちも嫌だよ! 俺にだって罪悪感はあるの!!!」
悲鳴を上げる俺に対してまあまあとノイルホーンが宥め、暇を持て余したオペレーターたちが続々と話に加わってきて、ロドスの夜は更けてゆく。
額に青筋を立てたスカベンジャーが「静かに酒を飲ませろ」とナイフをカウンターに突き立てながら呟くまで、騒ぎは続いたのだった。
……資金不足って言ってるのに、また会社備品が壊れてないか?
フォリニックのコードネームはオペレーターになってからのもの=6章以後の時系列でしか名乗れないと小耳に挟んだものの、弊ロドスのフォリニック医師は信頼度の関係で本名不明のためフォリニック表記で続行します。そのうち差し替えられるでしょう(判明しなかったらそのまま)
「遺塵の道を」でも結局明確にはわからなかったので差し替えはありません。おそらく間違いないんでしょうが確証が……リュドミラの回想秘録とかで絡んで判明してくれないですかね。
バーの名前はジュナーの秘録で判明しました。いい話なので読んでください。読め(強要)