恐ろしく間が空いたので気持ちはほとんど初投稿です。
「──それで、明後日ロドスを発ち、任務に向かうことになった、と?」
『面目ないが、そういうことだ』
ところどころにノイズの入った長距離通信が、同僚の声を届かせる。
ロドス・アイランド製薬財務部の重鎮、コードネーム・Accountant。ロドスにおいて文字通りの金庫番を任じられているサヴラの小男は、検疫所を兼ねた宿泊施設の一室で椅子に腰掛けて、龍門の夜景を眺めていた。
「まあ、よろしいでしょう。交渉は貴方抜きで行うほかにありませんな。尤も、内容は既定路線ですから、さして問題というわけでもない」
『勝手に欠席する方から注文付けるのも悪いが、本当に頼むよ。行動隊を本格的に拡張するとなると、予備投資は結構な額になる。仕事が回り始めるまでの間に運転資金が底をつくんじゃ本末転倒だ』
「2年後の破産を見据えて投資した結果、破産を早める、ですか? 笑えませんな」
『それが有り得るから怖いんだけどなあ』
「足元いまだ確かならず、ですからね」
普段から疲れただの面倒くさいだの仕事が多すぎるだのと不平不満に溢れているアルケミストだが、苦み走った声は本気で悩んでいるときのものだ。さもありなん、と他人事のようにAccountantは思う。あんな調子でも彼はロドスの創設メンバーであり、影に日向に会社を支える欠けてはならない屋台骨だ。
『とにかく、身内を納得させないことには何も始まらないんだ。今回の件でまた少し余計な出費があるが、必要経費と割り切ることにした。勢いで事業を始めてから社内のコミュニケーション不足でプロジェクトが頓挫なんてお笑い草だ』
「ううむ実感が籠もってますな。ご経験がお有りで?」
『それはもう嫌なことがたくさんね……』
言葉を濁す同僚にはまあ、色々と言いにくい過去があるのだろう。ベンチャーとはいえ製薬会社の経営部門の実質的トップという重責をこなすには、十分な高等教育と実務訓練が不可欠だ。そしてテラの大地でその条件を満たす者はごく限られている。
若かりし日には間違いなく将来を嘱望されていたであろうし、そんな人物が天涯孤独の感染者としてロドスに身を寄せている以上、その人生には様々な困難があったことが窺える。テラ北方ではマイノリティのサヴラであるAccountantにとって、アルケミストのかつての境遇は朧気ながら推し量れる部分があった。
「一応、事情は把握いたしました。ピーターズ社長のご厚意で、取引のある篤志家をいくらかご紹介いただけるとのことです。融資とまでは行かずとも、将来の業務提携や貿易を見据えた会談ができるでしょう」
『ありがたい──こっちも伝手を頼っていくつか交渉先を見繕っておいた。融資だけじゃなく業務提携の方も。他所から実動隊を引っ張れるなら、本艦の負担も減るからな』
「アウトソーシングですか。良いお付き合いができればいいのですが」
『一応、
「お気をつけて」
いくつか事務的な連絡事項を共有し、通話が切れる。
アーツによる共振で電波を強化する都市間源石通信サービスは近年普及の兆しを見せているが、短時間であってもひどく高額だ。それでもサービスがあるだけマシな方で、同じ炎国といえども北方辺境ではトランスポーターの往来に通信を頼るところも多いから、流石は龍門といったところである。利用料金のメーターが跳ね上がるのを見て軽く溜め息をついたAccountantは、気を取り直して傍らのチェストから薬草酒の入ったボトルを取り出しつつ、改めて龍門の夜を眺めた。
炎国の西方領土において最も繁栄した移動都市のひとつ、龍門。中央平原から炎国、そして極東へと至る北東航路の玄関口として栄える陸の貿易港である。表層部から無数の高層ビルを生やした都市群が大地を蛇行するさまは圧巻、ロンディニウムやD.C.と並び称される、テラで最も富の集まる都市のひとつだ。
しかしながら──ネオンサインを輝かせる都市の栄華の足元には、打ち捨てられたスラムと低層区画が延々と広がる。暗闇の中に暮らす貧困層には鉱石病と犯罪が蔓延し、頭上の繁栄とは対照をなす。
そして感染者の救済を掲げるロドスは、その龍門から富を吸い上げる財閥と富豪たちの融資がなければこの大地に存在し得ないのである。少なくとも今のところは、であるが。
「──ままならないものですね」
グラスに黄砂色の液体が滑り落ちる。ぼんやりと呟いたAccountantは、ゆっくりと虚空にグラスを掲げた。
「……ねー、そろそろ寝てもいいー? わたしもう、げんか、い……Zzz……」
「検疫報告書くらいご自分で書かれてはいかがですが、ドゥリン嬢。それから寝るときはご自分の部屋に行ってください」
ローターブレードが空気を叩く轟音が後部甲板に響く中、それに負けない大声で叫ぶ需品課や巡航課の職員たちが忙しなく甲板を行き来する。
ロドス・アイランド製薬本社、陸上艦の後部に存在する飛行装置用の静止甲板。普段は急病患者の輸送や高価な消耗品の補充に用いられている場所が、現在は臨時の物資集積所になっていた。
「要望どおりに仕上げた。これでいいのか?」
「十二分だ。ありがとうヴァルカン、こんな急な話を受けてくれて」
「別にいいよ、ちょうど手が空いてた」
顔馴染みのフォルテの鍛冶職人がクールに目を細める。「はいこれ」と手渡されたバインダーには、たった2日間で準備された数々の装備品と、それらの点検項目がリストに纏められていた。
「私の専門はそんなに多くなかったから、礼なら他のやつに言っておいて。グラウコスはぶっ倒れてたし、親方たちは不平まみれだ。こんな突貫工事は久しぶりだそうだ」
「悪かったとは思ってるよ。でも、これからはこういう依頼が増えると思う」
「噂には聞いてる。行動隊を増やすんだって? 私は鎚を振るうだけだから気にしないけど、病棟の先生たちにとっては難しい話なんじゃないか」
「お察しの通りで……」
まさかヴァルカンにまで知られているとは思わず、俺は思わず顔を引きつらせる。
彼女を始めとする職人たちは滅多に工房から出てこないうえ、基本的に自分たちの仕事以外のあらゆることに興味を持たないため、ロドス艦内の情報に疎い。陸上艦がいかに狭いとはいえ、噂の広がる速度には限度があるものだ。彼らにまで今回の騒動が認知されているとすれば、それはロドスにおいてこの話題が相当な重要性を持つものと認識されていることを示している。
そして同時に、彼女は知らないだろうが、まさにその「難しい話」を解決するために無茶な発注をかけたのだ。医療部の若手たちを納得させ、ついでにここ数週間の騒動を仲裁してくれる最良の理解者にお出ましいただくまさに一石二鳥の策である。またの名を正攻法で説得するのが大変だから第三者に頼もう作戦。
要するに、アーミヤ代表助けて! ケルシーの弟子たちが怖いんだよ! と泣きつくわけである。我ながら大いに問題のある作戦だと思うが、これにはれっきとした理由があるのだ。
これからの段取りについて考えつつ、チェックリストを確認していく。特に問題はなさそうに見える。エンジニア部の職人たちはいつもいい仕事をしてくれる、本当に頼りになる存在だ──これからの需要を見越して方方から技術者を招聘し、電気炉やら研磨プラントやら高額な設備を取り揃えるなど、馬鹿にならない額の予算を割いている甲斐があるというものである。
「確認できた? じゃあ、こことここにサインして。それからPRTSの認証」
「はいはいっと……これでいいか」
「十分。それぞれの装備について説明はいる?」
「スペック通りになっていれば問題ない。このリストにある装備の初期発注者は俺だから、おおよその仕様は把握している」
「それは心強いな。仕様を揃えただけの量産品だから性能はそうでもないが、信頼性については保証できる……他に何もなければ、私は工房に戻るけど」
「ありがとう、助かった。また改めてお礼をするよ」
頭を下げる。軽く手を振り、義足をほんの少しだけ引きずるようにして去っていく職人の背中を見送って、俺はリストを再度確認した。
各種保存食に医薬品、簡易通信設備、補修材と地上車の部品。工具一式と不活性化された源石燃料。アーツ媒介機材が少々。テントや簡易コンロといった野営装具──雑然とした物資が纏められたリストの中に、異彩を放っている一群がある。
他の資材が需品課によるダブルチェックを受けている中で、リストの最後のページに記載された資材だけは別枠扱いになっていた。医療部の承認印が押されたページには、ウルサス語でこう書かれている。
『個人用呼吸器経由鉱石病感染防止装具: ウルサス帝国制式68年F型』
ガスマスクをよりごつく重たくしたような、口元を覆う灰色の装甲防護具。ウルサス辺境では悪名高い感染者監視隊の象徴ともいえる装備だ。大反乱後の粛軍で大量に横流しされた未使用ロットをまとめて買い付け、エンジニア部に再整備させた曰く付きの代物である。
ロドス本艦にいる限り、こんな機材が必要とされるシチュエーションはない。実際これまで倉庫の中でコンテナごと埃を被っていた。そんなものを無理を言って引っ張り出してきたのには、当然ながら理由がある。
気が進まない、しかしこれは必要なことなのだから──そう考えたところで、PRTSの通話機能が着信を告げた。
「はい、アルケミスト」
『こちら経営部オフィスです! 副代表、すぐに艦橋にお越し下さい!』
携帯端末から響き渡る甲高い声は、留守番に残しておいた若手スタッフだ。周囲の騒音をも切り裂く切羽詰まった叫びに、整備員が何事かと振り返るが、何が起きたのか聞きたいのはこちらの方である。だいたい艦橋はここからじゃ結構遠い。何だか忘れられがちだが、俺だって感染者なのであり、急な運動は止められているのだ。
「ちょっと待て、こっちはまだ甲板にいるんだぞ。まずは要件を教えてくれ」
『ポイントC2との回線が回復しました! アーミヤ隊の随行員がアーツを用いて中距離通信を確立したようです。ケルシー先生が副代表を大至急お呼びしろと仰られて──』
「すぐに行く!」
サイン済みのリストを搬入作業の担当者に投げ渡す。言伝の詳細は文字に起こしてチャットで送るよう部下に言いつけて、艦内行きの昇降機に飛び乗った。何が鉱石病だ、いくら運動不足と言ったって、サラリーマンには走らなきゃいけない時がある。
同乗したボイラーマンたちに呆れられながら中層階のボタンを連打。ドアが開いた瞬間に、俺は狭苦しい艦内通路に飛び出した。
テラの通信に関する事情は、俺の知る一般的な世界のそれとはかなり違う。
空気中の源石粉塵や天災雲の影響か、あるいは源石鉱脈や特殊な磁気鉱、もしくは空を覆う不可視の天蓋によるものか──様々な事象が複雑に絡み合い、テラの大地において無線通信は非常に難しい。音、電波、アーツ、いずれにせよ通信技術自体はかなり発達しているが、中短距離でしか使い物にならず、移動都市同士の長距離伝達ともなればトランスポーターに手紙の配送を頼むのが最も確実だ。
郵便制度は都市内限定、電信電話は大規模移動都市かつ定期航路上にある場合のみ、サルゴンあたりでは訓練された羽獣による伝書サービスが未だ現役である。都市を渡り歩く商人が小包などの輸送を請け負い、都市に到着したら政府のトランスポーターに委託するなんて形態もある。龍門やカヴァレリエルキのような先進都市ではインターネットサービスすら発展しているのに、一歩都市を出れば20世紀初頭レベルの通信システムしかない、それがテラだ。
そんな事情は先進技術が詰め込まれたロドス本艦においても例外ではなく──俺が息を切らして艦橋に辿り着いた時、広々とした艦橋の一角を占有する巨大な通信設備の周りに集まった十数人のロドス職員たちは、皆一様に難しそうな顔をしていた。
『ジ……ザジザザ……こちらエリジ……ムで…………隊は峡谷入口に……ザザザ……』
ノイズまみれの音声がスピーカーから流れている。どうやらそれも録音であったようで、通信担当のオペレーターは首を振ると無造作にスイッチを切った。人だかりから嘆息が漏れる。
「やっぱりダメかあ」
「これ以上は無理ですね。信号強度を上げようにも発信側に設備がありません」
「音声だとトラフィックの負担が大きすぎる。もっと単調な符号通信で試そう」
「監査会の軍用周波数を避けるので、商人やトランスポーターの通信と混線します。信頼度がかなり下がりますよ」
「合言葉を決めておけばよかったな……一発でこっちからの連絡だと分かるような。今からでも何かない?」
「【イケメン無罪】とかでいいんじゃないの」
「じゃあそれで……いや待て。受信するのが代表だったらどうする気だテメー!」
侃々諤々の議論が始まり、ついでに向こうの通信担当が誰だったか判明した。というか集まっている大半は野次馬だなこれ。心配して損した。
俺を呼びつけた女狐も姿が見えない。ブリッジの手摺に寄りかかって息を整えていると、こちらに気づいた職員が何人かやってくる。顔見知りもいるが新顔の方が多い。今のロドスは立ち上げたばかりの新興企業だから仕方ないのだが。
「アルケミストさん、いらしてたんですね」
「大至急って話だったから甲板から飛んできたらこの調子だ。ケルシーは?」
「手術に向かわれました。術前のブリーフィングを切り上げてこちらに来られたのに、通信はすぐに切れてしまって」
どうやら向こうも無駄足だったらしい。エンジニア部の腕章をつけたフェリーンが手渡してきたバインダーには、断片的に回収できた通信ログが収められていた。
どうやら最初の数分間だけはまともな通信ができていたらしい。小隊の所在地や隊員の健康状態、現在の周辺状況、不足している資材などが簡易な暗号で列挙されている。
作戦部が使っている暗号の内容を俺は知らない。だが部分的な単語や表現が独自の符牒に変換されているだけなので、小隊が置かれている状況が良いか悪いか程度は察することができる。
……少なくとも、あまり楽しい事態ではなさそうだった。
「これだからテラってのは……」
思わず独り言が漏れ、周囲の職員たちが顔を見合わせる。いかんいかん、今は俺がこの場の最上位の役職者なのだ。無理やり気持ちを切り替えて背筋を伸ばす。
「作戦部に連絡は行ってるか?」
「訓練場にAceさんを呼びに行っています。そろそろいらっしゃるのでは」
「司令室の使用予約を取って、それからログのコピーを作戦部に転送してくれ。通信も継続してほしい。できるだけアーミヤ隊の情報が必要なんだ。ケルシーの許可はもらってある」
「了解です」
ブリッジクルーが頷いて駆け出す。こちらもAceと合流して今後の方策を練ろうかと考えていると、控えめに呼び止められた。振り返ると先程バインダーを渡してくれたフェリーンがこちらを見ている。
「すみません、通信状況についてなんですが。実を言うとエンジニア部の方でも、できることがあるかもしれません」
「機械的な問題があるのか?」
「見てみないとなんとも。ですが、ここの上にある遠距離通信用の増幅ユニットは最近取り付けたばかりなんです。調整が十分じゃないのかも」
「君に直せるのか? それならぜひ頼む──いや失礼、能力を疑っているわけじゃない。単純に君のことを知らないんだ、なにせ仕事が多いから、プロファイルに目を通してなくて」
完全に出来の悪い上司の言い訳だが、彼女は笑って大丈夫ですよと言ってくれた。思いやりが身に沁みてありがたい。ロドスはマジで環境がイイっすよね。まだ見ぬパプリカ、きみの気持ちがとてもよくわかる……
現実逃避していると、目の前にすっとカードが差し出された。エンジニア部で作っているネームカードだ。社員証の一部がコピーされている、社内用の名刺のようなものである。
礼を言って受け取り、表面に目を通す。エンジニア部のロゴマークと所属部署、デスクの端末番号。オペレーター資格証明。その下に少し大きめの文字で書かれたコードネーム。
「先月入職いたしました、ブリッシュシルバーです。よろしくお願いしますね」
それでは、と大きく一礼して、朗らかな笑いとともに去っていく。ブラウンの短髪と緑の瞳。ヴィクトリア風の歯切れのよい発音。
俺は思わずネームカードをまじまじと見つめて、それからゆっくりと懐にしまい込む。
「よう、アルケミスト。アーミヤ隊と通信が繋がったって? ケルシー先生に呼ばれてきたんだが、先生はどこに?」
「──やあAce。彼女なら手術室に逆戻りだそうだ。それで、この件について話がしたいんだが」
できることをやるしかない。Aceと共に司令室への道を歩きつつ、俺は静かに溜め息をついた。
バベルしんじつに脳を破壊されたため続きを書いています。
Arknights Story Text Viewerという有志の作成したアーカイブがありまして、ストーリーや秘録の内容を読んだり単語で検索したりできます。作中で提示される情報を全然覚えきれないし育成が追いついてないから秘録も読めないしで色々とやる気を失っていたのですが、こんなに便利なサイトがあったとは。もっと前に知りたかった