忘雪(わすれゆき)   作:紫 李鳥

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 香に急かされて帰った澄は、良治に朗報(ろうほう)を伝えた。

 

「……女将さんには世話になったな。恩返ししないと」

 

「ええ。さあ、急ごう」

 

「ああ」

 

 二人は早速、旅支度を始めた。

 

「寒いから、ありったけの着物(きもん)着ろ」

 

「そんなに着たら動けないよ」

 

足袋(たび)も五足ぐらい履け」

 

「そんなに履いたら歩けやしないよ」

 

 夜逃げ同然の逃避行(とうひこう)だというのに、二人は何だか楽しかった。

 

 

 澄は黒足袋を履くと、下駄をお太鼓の間に挟んだ。良治と同じように風呂敷包みの一方を背負い、もう一方を腰に結んで角巻を羽織った。そして、足袋のままで外に出た。

 

 

 二人は月明かりを頼りに、線路に沿った道を東へと向かった。

 

「ほいさ、ほいさ……」

 

 早足の良治が声を出してけしかけた。

 

「待ってぇ」

 

「ほいさ、ほいさ……」

 

 

 ――どのぐらい歩いただろうか、廃墟の小屋を見つけた。一休みすることにした良治は、その辺の小枝を集めると、土間で燃やした。

 

「暖かい……」

 

 暖を取りながら、澄がぽつりと言った。

 

「ここで少し寝てから行けば、次の駅に着く頃には始発に乗れる時刻になる」

 

「良かったね、あんた。早く出てきて」

 

 澄は板の間に腰を下ろすと、荷を下ろした。

 

「ああ、正解だった。少し休もう」

 

「うん」

 

 良治の腕に(もた)れた。

 

 

 どのぐらい眠っただろうか、良治に起こされた澄は小屋の裏で用を足した。東雲(しののめ)の薄明かりの下、二人はまた、線路沿いを歩き出した。

 

「ほいさ、ほいさ」

 

「ほいさ、ほいさ」

 

 良治の掛け声に釣られた澄は、白い息を吐きながら早足になった。二人の門出を祝うかのように、朝焼けは色を濃くしていた。――

 

 

 二人は、駅付近で足袋を履き替えると、下駄を履いた。――待合所には行商の老婆が一人、石炭ストーブに手を(かざ)していた。良治が切符を買う間、澄は老婆の傍に腰掛けた。

 

「どこまでね?」

 

 話し掛けてきた。

 

「……東京」

 

「そげんて。旦那さんと一緒で楽しいやろ」

 

「……ええ」

 

 澄が羞じらっていると、切符を手にした良治が老婆に会釈をした。

 

 

 ――腹が空いていた二人は、汽車に乗ると早速、家を出る時に作った握り飯を出した。

 

「見て。ペチャンコ」

 

 澄が手にして見せた。

 

「見事だな。ハハハ……。汗と涙の結晶、ほいさおにぎりだ」

 

「ほいさおにぎり?」

 

「ああ。ほいさ、ほいさ」

 

 良治が肘を曲げた両腕を交互に振って、走る格好を真似た。

 

「ふふふ……」

 

 澄は楽しげに握り飯を頬張った。

 

 

 ――東京に近付くと、澄は香から預かった封筒を帯の間から抜き取った。中には浅草の住所と一緒に数枚の紙幣が入っていた。

 

「よしさん、これ」

 

 手にした紙幣を見せた。

 

「いい女将さんだな」

 

「ほんとに」

 

「感謝しなきゃな」

 

「ええ」

 

 もう一通も出してみた。

 

「……佐野って聞いた覚えがあるんだが」

 

 良治が考える顔をした。

 

「……まさか、やくざじゃないよね」

 

 澄が顔を曇らせた。

 

「足を洗いてぇって言う俺に、またやくざを紹介する訳はないと思うが……」

 

「でも、佐野組を訪ねろと」

 

「組が付くからと言ってやくざだとは限らねぇが……」

 

 良治も憂色を浮かべた。だが、乗り掛かった船だ。後戻りはできない。一か八か、二人は目交(めま)ぜをすると、覚悟を決めるかのようにゆっくりと頷き合った。

 

 

 ――辿(たど)り着いた住所の硝子(ガラス)戸には、〈佐野組〉とあった。侠客であることはもう疑いようもなかった。だが、他に頼れる(つて)がいない二人には選択の余地はなかった。澄と目を合わせた良治は覚悟を決めると、戸を開けた。

 

「ごめんください!」

 

 声を上げた。

 

「はーい! ただいま」

 

 若い男が音を立てて廊下をやって来ると、

 

「どちらさまで」

 

 澄に一瞥(いちべつ)すると、良治に目を据えた。

 

「佐野様のお住まいで」

 

「そうですが」

 

「わたくし、木島良治と申す者です。これを佐野様にお渡しください」

 

 懐から手紙を出した。

 

「少々、お待ちください」

 

 男はそれを受け取ると、会釈をして去った。

 

「……大丈夫だから、心配するな」

 

 不安げに俯いている澄に声を掛けた。

 

「……ええ」

 

 

 間もなくして、男が急ぎ足で戻ってきた。

 

「失礼しました。どうぞ、お上がりください」

 

 一変して、丁重(ていちょう)になった。

 

 

 ――客間で、出された茶を飲んでいると、

 

「失礼しますよ」

 

 男の声と同時に襖が開いた。現れたのは、恰幅(かっぷく)のいい(いか)つい顔の男だった。二人は立ち上がってお辞儀をした。

 

「どうぞ、どうぞ、お気遣いなく。座ってください。どうも、佐野です」

 

 座卓を挟んで座った。

 

「遠い所を疲れたでしょう。今、食事を運びますので、食べたら風呂にでも入って、ゆっくり休んでください」

 

 人相にそぐわない気配りを見せた。

 

「ありがとうございます」

 

 良治の言葉と一緒に、澄も頭を下げた。

 

「香さんからの手紙、読みました。良治さん、あんたが足を洗いたい(むね)も分かりました。この話は明日、腰を据えてじっくりしましょう。とにかく、今夜はぐっすり休んでください。酒も付けますので、風呂で旅の垢を落としたら、一杯呑んで休むといい。奥さんと水入らずで。それじゃ」

 

「ありがとうございます」

 

 一緒に腰を上げると、二人は佐野の背中に礼を言った。佐野が襖を閉めた途端、安堵感(あんどかん)からか、澄は良治の胸に顔を埋めた。――

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