荒れた石畳の上を軽やかに駆けていく少年が1人。
腰のベルトにつけたホルダーに備えたポーションの瓶が、歩く度にカチリ、カチリと鳴り、返り血の付いた丈の合わない革製の防具は上下に揺れる。
敵を見つけては一目散に駆け出し笑顔で屠って行くその姿は、可愛らしい外見と相反して何か【狂気】めいたものすら感じられる。
……しかし、その勢いも3階層までの話。
彼は乱戦を何とか切り抜けて幾らか進んだ後、弱々しい声で呟いた。
「来るんじゃなかった…」
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事は少し前に遡る。
リオンが見守る中、着実に魔物と戦って実戦経験を積みつつあったベルは、下層から鳴り響く大きな音を聞いた。まるで何かから逃げるかのような、石畳を蹴り飛ばす重い音。その音の重なりは奇妙にも少し不気味な音楽にも聞こえて、ベルは怖気付いた。
少し後退した時、離れて見守っていたはずのリオンにぶつかった。
「リオンさん?」
「すみません、ベル。この音…あまり良い音では無い気がします。ですので、少し下まで見てきますね」
「えっ」
「そんなに不安な顔しないで。あなたの実力なら3階層までは安全です。まあ絶対とは言い切る事は出来ませんから、念の為に余分にポーションを渡しておきます」
「あっ、ありがとうございます」
「どういたしまして。ベル、絶対に3階層より下には行っては行けませんよ。あなたが思っている以上に、モンスターの傾向は変わってきますから。約束、ですよ?」
「は、はい!」
それから30分ほど経った時、ベルは4階層に続く階段を見つけた。
正直、ベルはこれまでの戦闘を物足りないものだと感じていた。幼少期にあれほど苦しめられたゴブリンも、急所を穿てば一撃で灰になる。そう思うと、最初に抱いていたモンスターへの恐怖感は徐々に薄れていった。
自身の力に手応えを感じ始めたベルは、誰が見ても分かるくらいに
だが、慢心は全てを狂わせる。思考と判断力は曇り行動は無謀に。
「ちょっとだけなら…いいよね」
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リオンはダンジョンをそよ風のように駆け抜けていた。先程聞いた音は、間違いなくモンスターの大量発生。その音が響いて来たということは……
想像が、冷や汗となって首筋を伝う。最悪の事態、それは【下層からのモンスターの進出】だ。実力に合わないモンスターと相対した冒険者が毎年、幾人もこれで死んでいる。駆け出しで知識も無く、経験も乏しい冒険者にとってこれは文字通り
10階層辺りまで来たところで、こちらへ走ってくる影を確認する。
2Mほどの筋骨隆々とした巨体を揺らし走ってくるモンスター。
闘牛の異名を持ち、数多の古文書に記される太古の怪物でもある生きた化石、ミノタウロス。
リオンは鬼気迫る表情のミノタウロスに疑問を感じたが、すぐさま切り替えて切り伏せる。まさに一刀両断。刹那の出来事だった。
魔石を拾おうとした時、ミノタウロスと同じ場所から金糸の髪をなびかせて走ってくる一人の少女を見た。その少女の名はアイズ・ヴァレンシュタイン。【剣姫】と言えばこのオラリオで知らない者はいない。圧倒的な実力に加え、【人形姫】と揶揄される程の無機質な美貌は女神にも匹敵する。
「あ、リオンさん。ミノタウロス、見ませんでしたか?」
「ミノタウロスなら先程倒しましたよ。何かに凄く怯えてましたけど」
「倒してくれて、ありがとうございます。ミノタウロスの群れが、いきなり逃げ出したから」
詳細には、レベルの低い団員たちの底上げと連携強化のため、大量発生したミノタウロスを相手していた所、いきなり逃げ出し始めたというのだ。
「なるほど。それは災難でしたね」
「はい。全部で12体いて、10体は倒したんですけど、逃しちゃって」
「え?12体中10体ですか?私が倒したのは1体だけですよ」
「え…?リオンさんが道中倒したのって」
「今の一体だけですね」
刹那の虚無が2人を襲う
「不味い…ですね」
「ええ。急がないと、最悪死人が出ます」
ポトリ、嫌な汗が地に落ちる
不安を拭うように頬を手で触れた後、2人は顔を見合せ、一目散に駆け出した。
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リオンがアイズと出会った頃、ベルは5階層の階段を見下ろしていた。
「行こっかな…いや、でも、うーん……」
悩ましげにベルは唸る。実のこと言うと、ベルは迷った。4階層で危険にさらされ続け、いつの間にか3階層へ続く階段を見失ってしまったのだ。
地図で知識はあれど、適切な感覚が無ければそれを活用など出来はしないのだ。
「リオンさんと上手いこと会えるかも」
少年は、僅かな希望に賭けて階段を降りた。
「パッと見は4階層と変わらないかな」
何とか順調に死線を切り抜けていくベル。元々の戦闘の技術はアルフィアから習った護身術などで折り紙付きだ。すばしっこさは父親譲りだとザルドからも太鼓判だった。ステータスは入団当初からさほど変わらないが、スキルの恩恵を受けて何とか戦えている。
戦い方、立ち回りも覚えてきて少し油断した、その時だった。
ビキッ
「ん?変な音がしたような」
ベルが振り向いた先の壁には、無数の亀裂が。これが何を意味するかを、ベルは理解するのに数秒を要した。
その数秒の間に、
ダムが決壊したかのように次々と溢れ出てくるモンスターの群れ。ゴブリン、コボルド、それに今まで見たことの無いモンスターがうじゃうじゃ出てくる。それはまさに
しかし、
恐怖で膝は笑っている。歯はガチガチと鳴り、武器を持つ腕は震えていつ落としてもおかしくない。顔面は蒼白、赤い瞳は瞳孔を開きかけている。
それでも、少年は立ち上がる
何故か
死にたくないからか?
いや、違う
名を馳せたいからか?
それも、違う
ただ、一つ
たった一つの約束を
悪魔になった家族と
ずっと見守ってくれた家族と
僕が交した約束を果たすため
モンスターは数十匹、まだ増え続けている。しかし、幸いにも四方を囲まれるには至っていない。
僕は全ての意識をモンスターに向け、斬り掛かる。まずはゴブリンなどの雑魚から。できる限り、一発で仕留める。
銀色の刃が血飛沫を浴びて赤く染まる。身体も無理な動きに悲鳴をあげる。脳は瞬時の判断の連続で焼き切れそうだ。
でも、殺さなきゃ。殺さないと、僕が死ぬ。
ほとんどのゴブリンやコボルドを瞬く間に掃討。ここまでは、かなり順調だった。
しかし現実は非情であり、物語のように全ては上手くいかない
殺したゴブリンを踏み台にしてオークの首を跳ねた時、
ベルは動揺した。まだ欠けただけであり、折れた訳では無い。しかし、刹那の動揺は『流れ』を変えるには十分だった。
受身を取り切れずに体が壁にぶつかる。脳が揺れ、体に激痛が走る。唯一の武器は激突した時点で武器としての役割を果たさなくなった。
リオンも感嘆した、ベルの多元的な戦闘スタイルが裏目に出た。
激痛で身動きが取れないベルは、先程まで庭の雑草の様に狩っていたはずのゴブリンに殴打された。
視界が流れてきた血に彩られる。
声も出せない。腹にも強烈な一撃が繰り出され、身体中を駆け巡る血が一気に逆流してくる。
幾度となく殴られ、蹴られるうちに、ベルは自らの血の海に沈んでいく。
だが、ベルの瞳の炎は消えていない
最後の足掻き、その手段をベルは持っている
小さく、掠れた声で……力強く呟いた
「
鐘の音が鳴り響く
意識を手放すその時、真紅に染まった視界には見覚えのある立ち姿の【なにか】だけが見えた。
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「ベル、無事でいてください…」
「…」
リオンとアイズは顔を真っ青にしながら、猛然とダンジョンを駆け抜ける。
このオラリオでも五本の指に入るであろう2人の速さは凄まじく、この時の2人を見た冒険者は
「そよ風が吹き抜けていくような感じで走っていったぜ。視界には捉えれなかったな」
と有り得ないといった顔で話したほどだ。
5階層へと続く階段を視認した時、聞き覚えのある鐘の音が辺り一体に轟いた。
「っ! ベルっ!!」
先程から纏っている自身の魔法による風を使って階段を飛ぶように跳躍する。
アイズはリオンの表情から、この音がリオンにとってはただ事では無いのだと察した。
少し走った所で、壁、地面に無惨な血飛沫が飛散しているのを見つけた。
「な、なに?ここ……」
「見ているだけで…ちょっと、気持ち悪くなりますね」
走るのをやめ、2人は歩く。
ジャプ、ジャプと血溜まりで靴を汚しつつ辺りを確認する。
リオンが、何かを見つけて走ってゆく。
アイズもそれを追う。
そこには、1人の少年を見下ろすミノタウロスがいた
リオンに躊躇いは無かった。次の瞬間には、ミノタウロスは真っ二つに切り裂かれて更なる血の雨が降り注いだ。
壁を背に死んだように意識を失っている少年に近づいた時、リオンは驚愕した。
「……ベル?」
慌ててエリクサーを飲ませ、強引に命を繋ぎ止める。
一安心した所で、後ろからアイズに声をかけられる。
「あの、これ、全部この子がやったんでしょうか……?」
アイズが後ろを振り向く。リオンもそれにならい、辺り一面に広がる血の海をよく見てみる。
ふたりは同時に息を飲み、反射的にリオンはベルを抱き寄せる。
そこには、血に浮かんだおびただしい量の魔石が転がっていた。
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「うみゅ…?」
ここはどこだろう。眩しすぎて目を開けれない。身体を動かそうとしても身体がバキバキ鳴って、動かせない。
頭はやけに柔らかいものの上に乗せられているようだ。
「起きましたか?」
目を何とかして開くと、目線の先には覗き込むような体勢のリオンさんがいた。
僕はじーっと、リオンさんを見つめる。
リオンさんも、僕をじーっと見つめ返す。
はっ、とこの状況を理解して立ち上がろうにも身体が動かない。
顔が真っ赤になるのが自分でも分かった。
「やっぱり…嫌でしたか?」
「え?」
「膝枕です。男性はこうしたら喜ぶと、アリーゼに教えてもらったんですが…」
自信なさげに眉を下げるリオンさんにそんなことないと伝えようとするも、上手く口から声が出ない。
アワアワとコロコロ表情を変えていると、リオンさんはクスリと笑った。
「ふふ。本当に見た目に合わないですね、ベルは。約束を破って死にかける子とは思えません」
真っ赤に火照った顔が顔がサーっと冷えて青ざめた。
「本当に心配かけて……今度からこんな事したら、もう知りませんからね」
「…でも、無事で良かった。本当に…本当に、良かった」
頬に一粒の『
僕は自分がどんな事をして、どんなに心配をかけたか、ようやく理解した。
残される家族の気持ちを、僕は知っていた筈なのに
謝りたくても声は出ない。感情が涙に変わって零れ落ちてく。
モンスターに襲われる恐怖、薄暗い迷宮で味わった孤独、助かった安心感、そして、助けられた悔しさ。様々な『思い』が滝のように頬を伝って流れ落ちた。
リオンさんは泣きじゃくる僕の目尻をそっと撫でてくれた。
僕は死の淵から生にしがみつく様に、リオンさんにしがみついて泣いていた。
「泣きやみましたか?はい、ハンカチです」
「ぐすっ…ありがとう、ございます」
「どういたしまして。ベル、涙を拭いたらすぐ行きますよ。今の血まみれのままでは流石に往来を歩けません」
「うん…」
「気を落とさないで下さい。アルフィアさんには、柔らかく伝えておきますから」
「あうっ…」
「ふふ。ベルは分かりやすいですね。さっ、行きましょう」
そう言って僕にリオンさんが手を伸ばす
その時見た笑顔を、僕は一生忘れないだろう
何故なら……
お待たせ致しました。次回は1月16日以降になります。たくさんの高評価、応援コメントありがとうございます!
拙い文章と少ない語彙の物語ですが、これからもどうぞよろしくお願いいたします。