「ここはっ…?」
目の前に広がる光景は全く見知らぬものだった。
鼻をつんざく薬の匂いとじわじわ香る木の芳香。賑やかな嗅覚とは相反するくらい、気味が悪い静かな部屋。
横に置いてある花瓶に立てかけてあるのは『ベルへ』と書かれている手紙が数通。
カゴには果物があり、ベルの好きな形でリンゴが剥いてあった。その切り方の癖は間違いなく
身体を起こそうと手を布団につくも、激痛が走ってぼふんっ、と柔らかい布団に沈んでしまう。
諦めて逆方向を見ると、そこには椅子の背もたれに背を預ける人が1人いた。
髪は肩にかかるくらいの鈍色。無造作に切られた髪は整った顔立ちとは真逆のガサツさだ。
瞳の下には薄いクマができている。
右の口元には裂傷が。
右の腕、足、共に機械仕掛けの無機質な鋼色。
そう…僕の危機に自ら身を投じて助けてくれた、アーディさんがそこにはいた。
僕は無意識に手を伸ばした。不思議と痛みは無かった。
僕の行動に気づいたのかどうかは分からないが、呼応するようにしてアーディさんは目を覚ました。
「あ、アーディさん…」
「……はっ、ベルくん!大丈夫な、の!?動い、ても痛くない?ちょっとまって、て今すぐアミッドを、呼んでくるから!」
慌ただしく部屋から出ていったアーディさんを僕は手を伸ばしたまま見送った。
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「1週間です」
「…へっ?」
「聞こえませんでしたか?1週間は絶対安静です。なるべく歩かず、布団で寝ていてください」
「えと…その……ダンジョンは」
「なに馬鹿なことを言ってるんですか。行けるわけが無いでしょう」
「で、ですよね。はは……」
僕に静かな顔で非情な通告をするのはアミッド・テアサナーレさん。別名【
腰まで伸ばした銀色の髪、可愛いよりはクールな印象を与えてくる美貌や起伏がはっきりしている体。その服装も手伝って男性からはすこぶる人気がある。
ちなみに服は『なーすふく』と言うらしい。非常に男心に刺さる不思議な服だ。あまりにも魅力的である。
1週間。ようやくダンジョンに潜れるようになって散々しごかれ、それでも食らいついて実力が何とかついてきてから
さあ、どうやってここから抜け出そうか…
「そう言えば、あなたは自宅療養ですよ。アルフィアさんにも言っておきましたので抜け出そうとしてもダメですからね」
なんと、先手を打たれてしまっていた。
「大丈夫、だよー。わたし、も、あそびにいくか、らね」
しおれる僕の頭をぽん、と叩いてアーディさんが慰めて?くれる。僕は少し顔を紅潮させ、それが恥ずかしくて布団で顔を隠す。
「照れてる、の、可愛いなあ。よしよし」
頭を優しく撫でられて僕は自然と笑顔になる。お母さんともお姉ちゃんとも違う、なんだかむず痒い安心感がある。感覚的には、リオンさんに似てる…かな?
そんな風に考えてることがなおのこと恥ずかしくて、でもその手を離して欲しくなくて。僕はアーディさんの手を握ったまま、毛布に身を包んだ。
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「ベルー!元気?」
「アリーゼ、病院では静かに。それにそういう事はベルの病室に入ってからだ」
「だってー。後輩が市民を守ったって、団長として鼻高々じゃない?さっすがベル!私の弟分なだけあるわ!育てた私も優秀よね。」
「流れるような自画自賛はいつも通り、か…」
「まあまあ。アルフィアも家で心待ちにしてるんだから、早く連れて帰りましょう?」
病室の外がやけに騒々しくなってきたと誰もが思っていたら、案の定アストレアファミリアの面々であった。正義の眷属、と同時にトラブルメーカーとしての立ち位置も確立しつつある彼女達…主にアリーゼは、なんのお構いもなくバンっと扉を乱暴に開ける。
「ベル!お姉ちゃんが迎えに来てあげたわよ。早く起きて、40秒で支度して!」
「え、え、え、そんなの無理ですって!」
「冗談よ。でも、アルフィアさんが待ってるから早めにね」
「は…はい」
アルフィアの名前を持ち出した途端、ベルは無邪気な笑顔で支度を始めた。
「あなたはアーディですね。その、ベルを守ってくれてありがとうございます。ほんとうに、あなたに会えて嬉しく思う」
「…」
リオンの言葉にアーディから返事は無い。リオンは何となくわかっていたようで、数秒床に目を落としてから顔を上げる。
「ベルも大丈夫ですか?魔法は使ってないようですね。良い子だ」
「えへへ…」
リオンに褒められて無邪気に笑うベル。
何かを書き始めて、書き終わると同時にアーディは椅子から立ち上がった。
「ベル、もう帰ら、なきゃだから…またこ、んどね」
わしゃわしゃと髪を撫でてから、耳元に口を近づける。
「」
アーディは頬を朱に染めながら駆け足で病室を去る。
その様子を皆はポカンと見ていることしか出来なかった。
「「なんだったの…」」
アリーゼとアストレアの言葉は誰かが答えることも無く、一面の青空へと吸い込まれていった。
夕焼け色が、何かを隠すようにベルの顔を照らしていた。
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ここはアストレアファミリアホーム。心地よく風が吹き抜ける談話室で、アリーゼとリオン、アストレアが談笑している。
「いっや〜。完全にアーディ、乙女の顔してたわね」
唐突にアリーゼが机に突っ伏しながら本を頭に置いて話し始める。
「乙女の顔…とは?」
揺り椅子に乗って装備を整えていたリオンが話にく食いつき、それに縫い物をするアストレアが答える。
「ふふっ。リオンにも春が来れば分かるわよ」
「もう春なんだが…?」
「心の中の春よ。それはもう、煮え滾るくらい熱々の春のことよ!」
「……?はぁ」
口を開けて首を横に倒す。正に意味が分からないと言った感じだ。
「そうそう、ベルの戦闘の話聞いた?」
「ああ。最後におかしなことが起きたと見ていた住民から」
「瞳が真っ黒になったのよね。で、真ん中に1点赤い光…」
「聞く限りでは邪の道よね。禍々しすぎる」
「もしかしてスキルとか、関係あったりするのかしら」
「十中八九そうでしょうね」
「何にせよ、身体に影響が無ければ良いんだけど…」
アリーゼの一声に2人も頷く。
数分の間を置いて、再びアリーゼが話を始めた。
「リオン、そう言えばアーディから貰った手紙見せてよ」
「ああ、それですか。待っててください」
そう言うとポケットから4つ折りにされた羊皮紙を取り出す。
そこには、可愛らしい丸みを帯びた字でこう書いてあった。
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女3人が色恋の話しに花を咲かせている頃、ベルは自室で本を読んでいた。もちろん、
「…ねえ、お母さん」
「なんだ」
「外に出たい。歩きたいよ」
「ダメだ。体力は落ちるかもしれないが、それでも万全な状態でないと何を成すにも不足が生じる。ダンジョンなら尚更だ」
しゅん…と、俯くベル。その瞳はいつもより揺らめいていて、その頬はいつもより朱に染まっている。
「ベル、ちょっと」
ベルはアルフィアに手招かれるままに吸い寄せられていく。
そこで、両者の額がぶつかった。
「熱いな…ベル、風邪なら早く言わないとダメだって言ったろう?直ぐに氷を持ってくるから、大人しく寝ていなさい」
コクリと頷き、ベルは横になる。アルフィアもそれを見て、サッと部屋から出る。
僕は
その後に僕にだけ見せてくれた笑顔は陽光の乱反射でさえ演出にしかならないほど、何よりも輝いて見えたんだ。
「ねえ、ベルくん……」