「ぜんっぜん帰ってこん…!」
バキッ!
金属であるはずのフライパンが割れる音が家中に響いた。
それは春も終わりかけ、日差しは強く、日が暮れるのも遅くなってきた頃。
ちなみに、ベルは外で食べるにしても絶対連絡を入れてくれる。故郷では遊ぶ友達などはいなかったから門限は無かったが、オラリオに来てからは夕刻の8時頃を門限としていて、ベルはそれを破ったことは無い。私との約束を破る事は基本無いのだ。しかし…
「7時…45分」
あと15分。最近ベルとはしっかり顔を合わせていないから、今日こそはと思ったのにっ…!
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アストレアと買い物へ行き、その後ガネーシャファミリアの所で別れて家に帰った時の夕飯の用意をしようとする時、かなりショッキングなことを聞いた。
「アルフィアさん。この子連れて3日くらいダンジョンに篭っていい?」
「…」
言葉が出てこず、運んでいる皿を落としかけた。衝撃で瞼も持ち上がっていたことだろう。今まで過ごしてきたこの7年間、ベルが居ない生活なんてものは考えもしなかったからだ。
「いや、少し驚いただけだ。…ベルにはまだ早いのではないか?」
「いえっ!ベルは着実に力をつけてますよ。時間をかけて今のベルに合う階層まで行けたらいいなと思ってます。あと、お金も心許なくなってきたので……」
「ああ、そうなのか。私たちが来たからだな。私も助けになれるといいのだが……すまないな。私がダンジョンに潜るとなるとベルを泣かせることになる。それだけは避けたい」
「ほんとに、ベルは愛されてますね」
「当たり前だ」
心苦しいが、ベルの夢の邪魔をするのは保護者として、親としてやってはいけない。だから甘んじて受け入れよう。
そう考えていると、バタンと扉が開いた。
「お母さん、お姉ちゃん、ただいま!」
色々考えているうちにベルが帰ってきた…お姉ちゃん?まあ聞き間違いだろう。私も疲れているな。
「おかえり、ベル。こら、そこで泥をちゃんと落とせ。今日はどうだった?ちゃんと上手く立ち回れたか?」
「うん。かなりモンスターは結構安定して狩れるようになったよ!」
「そうか。それは良かった」
「えへへ…」
頭を撫でられ、笑顔を弾けさせるベル。完全に安心しきっている蕩けた目や自然と上がる口角、だらんと緩む腕。ここにマザコン極まれりである。
「さ、早く風呂へ入れ。もう沸かしてあるから」
「うん!」
タッタッタッと子気味の良いリズムで風呂場へ行く。それを見たアリーゼも抜き足差し足で風呂場へ行こうとする。
「おい、何している」
「えっ?あ、はは…姉として弟の背中を流してあげよかなっ、なんて」
「なに戯けたことを言っている。ベルも嫌がるからやめろ」
「あ、はは…わかりましたぁ」
「それに、最近私と入るのも嫌がるのだ。それがちょっとショックでな」
深くため息を着くその様子はちょっとやそっとじゃない程の苦悩と辛さを表している。ベルというマザコンにして、アルフィアという親バカ有り、だ。
「それって単に取られるのが嫌なだけじゃ…」
「何か?」
「イエナンデモアリマセン」
「なら良い。私は風呂から出たベルの服とか用意してくる。お前は皿に夕食を盛りつけていおいてくれ」
「ワカリマシタ」
殺気に押され、台所へそそくさと逃げるアリーゼ。それを後目にアルフィアはベルの部屋へ行き、衣服を取ってそれを洗面所へ置いておく。
数分後、ベルが出ると同時にリオンが洗濯物を干し終わり、4人で食卓を囲む。
「ベル、明日から初めての泊まり込みでのダンジョンらしいな」
「うん!お姉ちゃんとリオンさんと頑張ってくるよ」
再び『お姉ちゃん』という言葉に違和感を覚えるアルフィア。彼女は生来あれこれ考えるのは嫌いなタイプの人間である。ここでも、ベルに正面切って聞くことにした。
「ベル。帰ってきてからお姉ちゃん、お姉ちゃんと言っているが…もしや、アリーゼの事か?」
「ん?そうだよ」
脳内が真白に染まる。何を言っているのか、この子は。お姉ちゃんだと?ベルの姉なら私の娘、私の娘ならベルの姉…
「ベル、だめ…ダメだっ!それはダメだっ!」
「うええ!?な、なに、どうしたのお母さん!?」
その後疲労と混乱で取り乱すアルフィアを3人で説得するのに1時間近くかかったのであった。
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空は青い。空が一面の青色だと何故か気分が良くなるのは人間の深層心理のなせる技だろうか。そんなことは抜きにしてとにかく気分が良いのだ。なんせ、これから初めての遠征…と言っても、せいぜい3日、僕に合わせた階層までだ。寝食に関しては、ダンジョンにはそれぞれの階層に安全地帯が有るのでそこで済ませるらしい。
なお、この遠征はお姉ちゃん曰く、
『リオンと私の白熱!スパルタ特訓遠征!!』
らしい。一体どんなことをやるのか、楽しみ半分不安半分だ。その不安というのが、今起きているこれだ。
「ベル、体調は大丈夫か?熱は…無いな。ストックの剣は持ったか?ダンジョン何があるか分からんからな、予備は持っていった方が懸命だ。それと、ああ。身だしなみにも気おつけろ。ハンカチは持ったか?服も汚れるだろうから予備を持ってくと良い。ん、寝癖がついてるぞ。ちょっと直してやるからこっちに来い」
「え、あ、うん」
この通り、不安なのはお母さんだ。必要以上に心配してくれるのは嬉しいけど、これって僕が留守にしてて大丈夫なのかな?
「じゃあ、行ってくるね。お母さん」
「ああ。気をつけて行ってらっしゃい。絶対に戻ってくるんだぞ」
「うん!頑張ってくるよ」
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「今日は楽しかったな。また行きたいや」
日は既に落ち、月明かりが夜の街を照らす頃にベルはようやく帰路についていた。もちろん、彼は時間など知らない。アーディはその生活柄故に時を刻む物は持っていないので、知る由もないのだ。
そうして浮き足立った状態でホームに帰ってきてしまった。
「ただいまー!」
ドアを開けたその時、優しい温もりに包まれた。柔らかい感触に包まれ、ベルは安心しきってその身を簡単に預けてしまう。
「どこをほっつき歩いてたんだこのバカ…!」
小さな声。だが、その小さな声がベルの全身を麻痺させた。
今までこんなに心配されたことは無かった。それは日が暮れるまで、との約束を守っていたからだ。
現在は8時30分。門限を30分も過ぎている。
しかし、かけられた言葉は優しい言葉だった。
「さあベル、早くこっちに来い。私はお前に聞きたいことが沢山あるんだから、な?全く、お前は遠征から帰ってきても猫のようにすぐどこかへ行ってしまう。詳しい話を聞かせてくれ」
「え、うん」
「今夜は久しぶりに2人で夕食だ。遅い時間だから、他のみんなはもう食べてしまったぞ」
「……あの、お母さん」
「ん?どうした」
「ご、ごめんなさい…!遅くなって、心配かけてごめんなさい……!!」
泣きじゃくり、頬が、袖が濡れて重くなる。擦る目は腫れ、顔は林檎のように紅潮する。
「全く…ベル、こっちを向け」
コクリ、頷いてアルフィアの方を向くとペチンっとデコピンをされる。吹き飛ばないようなくらいの力で。しかし、それでもかなり痛いのに変わりはない。
「次から気をつけるんだぞ。さ、温め直すから座っててくれ」
「うんっ!」