「……グラトニカ」
随分長いこと、彼女の願いを先延ばしにしてしまっていた。
両親の願いを取った時点で、俺はあの子の願いを既に裏切っていたというのに。
ズルズルと、あの日失ったものを取り戻そうとして、結局はこうなった。
結局のところ、全部俺の自業自得だ。
俺がエンヴァという少年の人生を奪い。
彼女を殺す選択肢を取れず、されど二人を捨てることも出来なかった。
だから俺は、聖剣を抜けず、勇者になれなかった。
そうして、いろんな人に迷惑をかけて、沢山の命を散らせた。
それは決して、許されるべきことではないのだろう。
「……終わったね」
「そうだな」
サラサラと、砂のように消えていく、朽ち果てた彼女の身体。
最後まで、俺を救ってくれた彼女に対し、何も恩を返せなかった。
それどころか、俺は彼女にトドメを刺した。
「その……ありがとう、エンヴァ君」
「何がだ?」
「彼女を倒すのに協力してくれたこと。……もしかしたら、最後まで敵かもしれない、って。ちょっとだけ、心配してたんだ」
ルストはふにゃり、と昔のような笑みを浮かべる。
大人っぽくなったと思ったが、俺と同じであまり変わっちゃいなかった。
それに少し安心すると同時に、これから行うことに少しの罪悪感が湧く。
それをごまかすように、俺もあの時のように笑いかける。
聖剣を目指して王都まで旅をした、楽しかったあの日々のように。
「あの子のことを想うなら、きっとこうするべきなんだって思ったからさ。……それが分からず、ただあの子に褒められたくて、何も考えず動いて。ようやく、あの子のことがちょっとだけ分かった。彼女はきっと、罪悪感に耐えきれなかったんだ」
最初にグラトニカと出会って、救われる前の俺のように。
誰も助けてくれる人がおらず、ずっと鉛のようにそれを背負ってきた。
もし誰かが救うべきだったとすれば、それはきっと俺だった。
結局、それは叶わなかった。
「彼女のこと、好きだったの?」
「ずっと前から、好きだったんだと思う」
「そっか。……けど、エンヴァ君が生きててよかった」
彼女のいた場所を眺め続ける俺に、ルストは右手を差し出した。
それを見て、ルストに治療を施した竜人が彼女の傍を離れる。
律儀な奴だ。約束は果たしてくれるらしい。
「帰ろ、エンヴァ君。おばさんも、おじさんも。君のことを待ってるよ」
ルストは当たり前のように、俺を連れて日常に帰ろうとしていた。
あいつの目的が竜人の言っていた通りなら、それも当然だ。
こいつはずっと、俺を連れ戻すために勇者をしていたらしいのだから。
「聖剣を抜いた日に言ったこと。お前、覚えてるか?」
「……え?」
色褪せ、今や大した力も残っていない彼女の右腕から作られた剣を抜く。
聖剣に対抗しうる力は既に失われているが、それでも残滓は残っている。
今から始まる後始末には、十分すぎる程の力だ。
「エンヴァ、君?」
「聖剣。抜けよ、ルスト」
けじめはつけるべきなのだ。
誰もかれもに迷惑をかけた俺と彼女の罪は、きっと許されることはない。
二人纏めて、地獄の業火で焼かれてしまうのがオチだろう。
「何を、言ってるの?もう戦う必要なんて、無いんだよ」
「俺にはあるんだよ」
そして、何よりも。
俺自身の願いで。
「俺は本気のお前と、聖剣に。この手で打ち勝ちたい」
あの時抱いた嫉妬と劣等感は、今になっても残り続けている。
全てが終わった今でも、俺はこいつに勝てる気がしなかった。
間近で見た聖剣の極光は、俺が想像するよりも凄まじかった。
結局のところ、俺は。
最後の最後まで、性根が変わったりなんかしなかった。
「エンヴァ君、なんで。僕はもう、君と殺し合いたくなんて──ッ!?」
「それじゃ、俺は納得しない」
「……エンヴァ、君?」
あの時の焼き直しのようだ。
いや、きっと、俺はあの時の続きをしようとしているんだ。
俺の顔を、否。最後に残った、彼女の形見となった剣を見て。
ルストはようやく、俺のやろうとしたことを理解したようだった。
「なんで」
「やろうぜ、ルスト」
輝きを失った青い剣閃が、聖光を纏う勇者の剣と激突する。
ずっと続けたかった、あの時の続きだ。
☆〇☆〇☆
あの時のような邪魔は入らなかった。
あの時のように、ルストは俺の攻撃を無防備に受け入れようとはしなかった。
きっとこいつにも、生きて守りたいものができたのだろう。
だから、俺に殺されるわけにもいかなくて、剣を振るってくれている。
「どうしたよ、ルスト。お前の実力は、こんなもんじゃないはずだろうが!!」
魔力を完全に消せずとも、少し弱めてくれるだけで充分だった。
彼女に再会した時に飲み込んだ、彼女の小さな欠片。
本来ならば何の意味も持たぬ、儀式的なそれは、しかし。
その体の主であるグラトニカが死んだ後も、彼女の残した剣に僅かな力を与える楔となった。
「なんで、こんなこと!」
「前も言っただろ。剣でだけは、お前に負けたく無かったって」
魔王という障害を排除し、最早俺達が戦う理由は無くなった。
ルストの言う通り、この戦いに意味は無く、こんなことする必要はない。
「それに、彼女と約束したことが。もう一つだけ残ってる」
「何を──」
「この剣で、勇者の聖剣に勝つって約束が!」
勇者に対抗する力が、たしかにその剣には宿っていた。
色を失い、硬さも徐々に落ちていくが、それでも魔力を打ち払う力は残っている。
ならば以前と同じだ。俺にとっては、どうとでもなるようなハンデだ。
「あれはもう死んだだろ!」
「そうだな。俺が殺した」
「ならもう、そんなの守る必要なんか無いじゃないか!」
叫びながらも、ルストは冷静に俺への対処を実行していた。
俺から距離を取り、聖剣から放たれる光の輪で俺の四肢を拘束しようと、四方八方から逃げ場を作らぬように俺を追いつめようとする。
それをほぼ同時に繰り出した剣閃で打ち払い、たった一歩の踏み込みで、ルストの体に剣が届きうる距離まで跳んで、俺の有利な間合いまで持っていく。
もし彼女以外と結んだ約束なら、破ってもあまり気にしなかったかもしれない。
こんな無駄なことをやる必要なんて無く、笑いながら魔王を討ったことを喜べた。
けれど、もうダメだ。俺がやってきたことのケジメは、付けなきゃならない。
それに、何よりも。
「俺はやっぱり。お前に勝ちたい」
「……」
ルストは本当に、凄い奴だ。
たった一人で俺とあいつが来るまで持ち堪え、仲間を守り切った。
最後までその信念を曲げず、勇者としての使命を全うし、魔王を討った。
文句なんてつけようがない、まさに俺がなりたかった勇者そのものだ。
あの子との約束から生まれた、勇者になるという願いは。
それでも、今となっても本物で、未だそれを引きずっている。
決着を付けられるタイミングは、もうこの瞬間しか存在しない。
「これが終わったら。もう、全部終わりなんだよね」
「ああ。約束する。これが、俺の最後の我儘だ」
「……最初からずっと、我儘ばっかだったじゃないか。あの時から、迷惑をかけられ続けた。僕じゃなきゃもう、君のこと嫌いになってるよ」
「むしろお前、まだ俺が嫌いじゃなかったのかよ。グラトニカと戦ってる時も、『何を今更味方面してるんだ』って後ろから斬られるかと思ってたぜ?」
「それ、エンヴァ君が言う?なんであんなことされてまで、あの女の約束を律儀に守って未練がましくしてるんだか。さっさと忘れちゃえばいいのに」
「そう言われると返す言葉もねぇや。お互い様だな、ほんと」
笑って、己の体が悲鳴を上げるのも無視して、剣速を更に上げる。
まだあの傷も完治していないはずだが、それでも俺の体は実に軽やかだ。
魔王に、グラトニカ。そして今は、最高のコンディションの勇者を相手にしてる。
こんな凄い連戦したの、多分世界中で俺一人じゃなかろうか?
剣戟に混じり、ルストが見たことも無い魔法を使ったりもしてる。
瞬間移動やら、体を浮かす魔法やら、あとはおそらく未来予知とかか?
潤沢な魔力を使っての魔法を上手く織り交ぜ、戦闘の底上げをしてる。
「ほんと。昔から凄い奴だよ、ルストは」
「君を目標にしてきたからね。そりゃ凄くもなるさ」
「昔の俺は、かっこいい男だったからな!」
「今もそうだよ」
「……」
真顔で言うなよ、恥ずかしくなるだろ。
ほんと、昔っからこいつは、底抜けいい奴だ。
そんな奴だから、勇者になれたのだろうけど。
「ああ、畜生」
ほんと、考えれば考えるほど、ルストこそが勇者に相応しい。
俺みたいな半端者よりも、こんな男の方が、きっと魔王を討つにふさわしい。
そう認める度に、悔しくて悔しくて、そして同時にそれが誇らしい。
「お前は、ほんと。俺じゃ相応しくないくらい」
俺はただ、斬って進むくらいしかできやしない。
彼女に褒めてもらった、たった一つの長所でしか、お前とまともにやり合えない。
「どれくらいの数斬り合った?」
「さあ。もう千は超えてるんじゃないかな」
「なら、そろそろ終わらせるか」
「……うん」
お互いに、もうこれ以上の戦闘は難しい。
ならば、お互いが最高の力を出せる状態で終わりにしよう。
言葉には出さずとも、なんとなくでお互いが全力を出すことにした。
「なぁ、ルスト」
「なに?エンヴァ君」
目の前の親友がやろうとすることなんて、とっくに分かってる。
だから、最高にかっこいいキメ顔で言ってやることにした。
「楽しかったな」
剣を振るう。
全てを切り裂き、全てを終わらせるために。
己の全力を、全霊を、その刃に乗せ放つ。
勇者の聖剣が光り輝く。
黄金色の魔力は、巨大な刃となり振るわれる。
正真正銘、最大最強の一撃だろう。
そして、確信する。
勝つのは俺だ。
俺の刃は、彼女の右腕は、勇者の全霊に打ち勝った。
その切っ先が、ルストを捉えた。
「大好きだよ、エンヴァ君」
その結末も、きっとルストは分かっていたんだろう。
笑って、光を失った聖剣を俺に向ける。
苦し紛れの抵抗、最後の悪あがき。
当たるはずも無い、殺せるはずも無い、諦観の刃。
「──は?」
だからまあ、きっとルストも、予想できないだろうなって考えてたけど。
大当たりだった。赤い血が、聖剣の刀身を染め上げる。
「……え。なん、そんな、わけ」
「すまん」
自分で勝手に満足して、ルストをこんなことに付き合わせて。
まったく、本当に酷くて、醜い人生だ。
それでも、お前に討たれたことは、俺にとっての誇りになるさ。
「なんで、避けなかったんだ!」
聖剣は、俺の胸を刺し貫いた。
☆〇☆〇☆
体が揺らされる。俺をどうにか引き戻そうと、ルストは必至に血を止めようとする。
けどまあ、無駄だ。この出血じゃ、奇跡でも起きない限り間に合いっこ無い。
涙で顔が濡れる。いやほんと、こいつには迷惑かけた。
「ほんと、ごめんな」
「何を謝ってるんだよ!一緒に、帰るんだろ!?二人とも、君の帰りを待ってる!」
「……親不孝者になっちまうなぁ」
「そうだよ!だから、早く血を止めなきゃ──ッ!?」
ルストは、俺から流れ出る血の異変に、ようやく気が付いたのだろう。
顔を蒼白にして、青く濁った俺の血を茫然と眺めている。
「なに、これ」
「グラトニカが、最後に残したものだ」
あの子を殺した時点で、俺の末路は既に決まっていたのだろう。
俺の身体に残った彼女の欠片は、彼女が死んだことで呪いへと変貌した。
魔王の欠片は、魔王を殺した俺を地獄に落とすため、その力を十全に発揮する。
「最後っ屁ってやつか?いやー、俺も驚いた。お前とあそこまでやれたのは、奇跡だな。最後に、いい経験ができた」
「なに、言ってるんだよ。これで終わりだって。そう、言ったじゃないか」
「これで終わりさ。後に残るのは、魔王とその手下を倒した勇者達だけさ」
酷く身勝手だと分かっている。
ルストが悲しむであろうことも、分かっている。
それでも、俺は彼女が呪いを残したことが、なんだか無性に嬉しくて。
「ようやく。最初の約束を、守れるなぁ」
随分と、約束を守るまでの時間は遅くなってしまったが。
あの子と一緒に、地獄の果てまで迎えるようだ。
「ふざけるな!!そんなの、認められるか!イヤル!治療を──」
「無理だ」
竜人の彼にも、辛い役目を押し付けてしまった。
「そいつはもう、助からん」
「なんで!」
「傷を塞いでも。呪いの毒は身体中を巡りまわる。……苦しんで死ぬだけだ」
見事なまでに、俺は生物として詰んでいた。
体を鞭打ち、最後にやるべきことを終わらせて。
気が抜けて、もう一度立つための気概すら失った。
「なぁ、ルスト」
「やめてよ。行かないでよ。全部、終わったじゃないか」
「お前はさ。ほんと、凄い奴だよ」
「全部、上手く行ったじゃないか!!」
呼吸が、段々と苦しくなる。
「お前は、勇者に相応しい、最高の男だ」
「違うよ……違うんだよ。僕は、君に」
「最後に、俺の我儘に付き合わせちゃって、ごめんな」
うん、これは死ぬな。
前の時と同じ感覚、自分の魂が体から流れてる感じ。
随分と懐かしく、今はどこか心地よい、死の感触。
「俺。お前と親友で、良かった」
泣きじゃくるルストの涙を、少しだけ拭って。
「お前が勇者で。お前が聖剣を抜いてくれて」
そうして、俺はようやく、全部から解放されて。
「……ごめん、やっぱ」
で、最後にかっこつけようとして、失敗して。
「聖剣は、俺が抜きたかったや」
惨めに最後を迎える。
なんともまあ、俺らしい終わり方だった。
エピローグに続きます