神奈川県横浜市の東京湾岸にある港湾―『横浜港』。
多くのタンカーや、貨物船が停泊するその場所に、一際目立つ巨大な船があった。
豪華客船『ビーシンフル号』。
様々な政財界の人間達が利用する超最高級ホテル。
平日等は、上流階級の人間達で賑わうその場所も、深夜帯を回るこの時間では、誰一人としていない。
そんな甲板の上を一人の青年が歩いていた。
10月の半ば辺りを過ぎ、かなり外気が冷たいというのに、その青年はシャツ一枚と黒のスラックスという恰好であった。
病的に白い肌と、肩まである長い黒髪。
シャツから覗くその肌には、黒いタトゥーが彫り込まれている。
物憂げな表情をした青年は、海岸沿いから見える巨大な”壁”へと視線を向けた。
海上都市、『天海市』を取り囲む様に造られた巨大な壁。
20数年前の原発事故により、放射能による漏洩を防ぐべく、特殊な防護壁で覆っていると世間一般では伝えられているが、事実は違う。
二上門地下遺跡から発生した異空間の穴・・・・後の『シュバルツバース』の拡大を防ぐ為の代物だ。
巨大な穴は、年々その規模を拡大し、今では東京湾を覆う程の大きさまで広がっている。
「新しい躰の調子はどうだ? V。」
背後から掛けられる声に、黒髪の青年― Vは、徐に振り返った。
数歩離れたその先には、やや時代遅れのスーツを着た50代半ばぐらいの壮年の男が、煙草を口に咥えて立っている。
「この頭痛さえ何とかなれば、最高だよ? 父さん。」
繊細な指先で蟀谷を軽く揉みつつ、Vは、男の質問に応える。
男は、夜空に向かって煙草の煙を吐き出すと、義理の息子の傍らに立って、ライトアップされた『壁』へと視線を向けた。
「少々、強引なやり方で”グリちゃん”達と契約させたからな。その後遺症が頭痛という形で出ているんだろう。」
頭痛は、上位悪魔との契約によるリバウンドだ。
契約当初は、暫く悩まされるであろうが、肉体が馴染めばいずれ無くなる筈だ。
「良いのか? 彼等は貴方の大事な魔具だろ? 」
此方に漂ってくる煙を煩そうに手で払いつつ、Vは、隣に立つ男を一瞥する。
「くだらん事を気にするな・・・・アイツ等だって、お前を護る為に態々、志願までして来たんだぞ? 」
「だが、”ナイト・メア”まで・・・・。」
「良いんだよ・・・・アレは、お前を護る最後の盾と思って契約させた。」
海岸沿いに建設された壁を眺めつつ、男―葛葉・キョウジは苦笑を浮かべる。
「どうして・・・・貴方の信頼を裏切り、大罪人となった俺に此処までしてくれるんだ? 」
心の奥に秘めていた疑問を、思わず吐露する。
自分は、この男の期待を全て裏切った。
人並み以上の愛情を与えられ、それまで順風満帆だった人生を全て捨てた。
悪魔になる道を選び、古の塔”テメンニグル”を復活させ、多くの人間達の命を奪った。
計画が失敗し、魔界を統べる4人の魔王、”魔帝・ムンドゥス”の走狗に成り果てた。
組織『クズノハ』最強と謳われる悪魔召喚術師と、双子の弟に倒され、瀕死の重傷を負った。
極寒の地、”ホド”で、只、死を待つ自分を救い出したのが、隣にいる男だ。
7年間、実の子でも無い自分を探し求め、魔界を放浪してくれたのだ。
命を取り留め、仮初の肉体まで与えてくれた。
そして、今度は、この男自身が築き上げてきたモノを全て捨てようとまでしている。
「決まってる、お前が俺の大事な家族だからだ。」
そんな、義理の息子に対し、キョウジは、まるで何でもないかの如く笑って見せる。
自分の肩を軽く叩くその姿に、Vは心の奥から何かが込み上げて来そうになり、唇を噛み締める事で、ぐっと堪える。
「良いか、これから行うミッションは、俺達二人の信頼が鍵になる。」
「・・・・。」
「だから、迷いを捨て、グリちゃん達を信じるんだ。 召喚術師の心得は、さっき教えてやったよな? 」
「・・・・・術師とは、無力なる存在、悪魔の力を使役してこそ、その真の力が発揮される・・・。」
「そうだ。 グリちゃん達あってのお前だ。 お前が彼等を信じれば、きっとその期待に応えてくれるだろう。」
キョウジは、甲板沿いに備え付けられている灰皿に吸い終わった煙草を消すと、改めて義理の息子へと向き直る。
何処までも真っ直ぐで、迷いなど一片も無い双眸。
Vは、何も応えられず、只、下に俯いているより他に術がなかった。
いよいよ、日本編開始です。