日下・摩津理・・・・『聖エルミン学園』特殊学科に通う高等部2年生。
”薬学部”を専攻しており、成り行き上で部長を務めている。
10歳歳が離れた妹のヒマリがいる。
東京港の近くにある東京都矢来銀座一丁目。
外国人居留地が置かれるこの街は、一世紀以上も前に建てられた古い商業ビルや店舗等が立ち並び、ちょっとした観光スポットになっていた。
『葛葉探偵事務所』は、そんな古い街並みにあるビルの3階にある。
「ふーん、悪魔・・・・ねぇ。」
探偵事務所、所長代理である壬生・鋼牙は、幼馴染みであり、探偵事務所に所属する調査員、遠野・明の報告を聞いて、座っている革張りのデスクチェアの背凭れに身を預けた。
「トロルの奴にも伝えてある。 教え子の八神には、式神を一体付けて監視させるそうだ。」
頑丈な樫の木のデスクへと腰を下ろした明が、護衛任務の途中報告を伝える。
昨日、『聖エルミン学園』地下にある『特殊学科実技施設』にて、薬学部に所属する八神・咲をニコレット・ゴールドスタインと共に迎えに行った明は、顧問であるトロルに、咲が現在置かれている状況を説明した。
大事な教え子の危険な状況を知ったトロルは、式神として風の精霊(エレメンタル)、シルフェを護衛兼監視役として、咲と契約させたのである。
「取り敢えず、奴等が動き出している様子はねぇ・・・・まだ、安心するのは早いが。」
明が言う”奴等”とは、今現在、学生達で噂になっている『魔神皇』の事である。
SNSにある掲示板、『エルバの民』に憎い相手の名前を書くと、『魔神皇』が願いを聞き届け、呪殺してくれるのだという。
時刻は、月曜の午前7時丁度。
二人共、これから『エルミン学園』に通学する為、制服姿である。
「仕事の話は、これぐらいにして天鳥町に行こうぜ・・・遅刻すると風紀委員共がうるせぇ。」
明は、デスクの上に置かれているバイクのヘルメットを手に取ると、出入り口へと向かおうとする。
「あ、ちょっと待って・・・・そろそろ、彼が来る時間だ。」
「彼・・・・・? 」
鋼牙に呼び止められ、明が未だデスクチェアに座っている鋼牙の方を振り返ったその時であった。
事務所の出入り口であるスチール製のドアが開き、中から、小さな妖精を頭に乗せた銀髪の少年が現れる。
昨日、鋼牙と一緒に開発区域である渋谷に行った、ネロである。
明と鋼牙の二人と同じく、『聖エルミン学園』の制服を着用していた。
「悪ぃ、遅れた。」
3階にある『葛葉探偵事務所』まで、走って来たのだろう。
僅かではあるが、息を乱していた。
「ううん、丁度良かったよ。 そんじゃ、学校に行こうか。」
戸口の前に立つ、明と互いに視線を合わせているネロに向かって、鋼牙が座っているデスクチェアから立ち上がった。
東京港第三航路に建設された人工島― 天鳥町。
アミューズメントパークや各種商業施設。
ショッピングモールやタワーマンションが立ち並ぶこの人工の島は、コンピューター『アメトリフネ』により完全管理されており、街を走るモノレールやバスは、ほぼ無人で運行されている。
又、市民達も個人IDが設定されており、市によって支給されているリストバンドによって、体調管理が為されており、何か不測の事態が発生すれば、直ぐに対応出来るシステムになっていた。
正に、未来のモデル都市なのである。
『聖エルミン学園』高等部がある建物の空き教室。
「それで・・・・”狩猟許可証”を17代目に取られちゃった訳か。」
午前の授業が終了した鋼牙達は、昼食を採る為に、三人で集まっていた。
カフェオレのパックを片手に、ストローを口に咥えたネロが不満そうに頷く。
「ひでぇよ・・・・俺は何も悪い事してねぇのに・・・。」
一般市民から悪魔の脅威を護るのが、『悪魔狩人(ハンター)』の本分である。
なのに、ライドウは、「子供は、学業が仕事だ。」と勝手に決めつけ、ネロの言い分を全く聞かず、『狩猟許可証』とフォルトゥナから持ち込んだ武器一式を取り上げてしまったのだ。
「当たり前じゃない。 ライドウは、アンタに普通の生活を送らせたい為に養子として迎え入れたのよ。 少しは感謝しなさいよね。」
ネロの頭の上に胡坐をかいて座っている小さな妖精が、頬を膨らませて銀髪の少年を睨み付ける。
彼女の言う通り、ライドウが養子としてネロを日本へと招き入れなかったら、未だ隣国”ディヴァイド共和国”に監視されたまま、窮屈な生活を強いられていただろう。
否、もしかしたら、魔導師ギルドが管轄する研究機関に囚われ、生きたまま解剖されていたかもしれない。
”ソロモン12柱”の魔神をその身に宿し、霜の巨神・ヨトゥンヘルムと伝説の魔剣士・スパーダの血を引く彼は、ギルドにとって格好の研究素体だ。
「感謝ね・・・・・相も変わらず家族ごっこが好きなんだな? 」
「明・・・。」
両脚を机に投げ出し、スマートフォンを弄る明に、右手に食べかけの焼きそばパンを持つ鋼牙が窘めた。
「あんまりあの人を信用しない方が良いぜ。 あの人の吐き出す言葉は、意味が全くない言葉の羅列だ。」
「どういう意味だよ。 」
ネロは、少し離れた席に座る明を、鋭く睨む。
いくら理不尽な真似をされたからとはいえ、ライドウは、義理の父、クレドの親友であり、義理姉、キリエを失い孤独となった自分を快く受け入れてくれた恩人である。
SS級の悪魔召喚術師(デビルサマナー)であり、天使の如く美しく、厳しいが思いやり溢れる素晴らしい人物だ。
「俺も、お前と同じだったからさ・・・・物心ついた時から、獣と同じ扱いを受けて来た・・・・人間以下の生活を強いられ、死人の山の中で生きて来た。」
遠い記憶が蘇る。
鼻を突く消炎の香りと、吐き気を催す死体袋の匂い。
自分と同じ様に両親を失った子供達が、人殺しの技術を無理矢理叩き込まれる。
「あの人が俺の前に現れなかったら、こうして人並みの生活なんて送れなかったかもな・・・その点に関してだけは、多少感謝はしている・・・・だけどよ。」
スマートフォンの画面から視線を外し、窓際の席に座るネロを見据える。
暗く、感情が全くない瞳。
ネロの背を例える事が叶わぬ、寒気が走る。
「人心を掌握し、ボロボロになるまで利用し、捨てる・・・・あの人は、それが平然と出来る人種なんだ。」
弄っていたスマートフォンを尻のポケットへと仕舞い、座っていた席から立ち上がる。
そして、困った様子で双方を眺めている鋼牙に、「対象者に会いに行く。」とだけ伝え、空き教室から出て行こうとした。
「おい、待てよ! 」
教室の引き戸に手を掛ける明の大きな背に、ネロの苛立った声が掛けられた。
唇を引き結び、腹腔から湧き出る怒りを必死に抑えている。
「お前、ライドウさんの何なんだよ! あの人の何を知っているってんだ!? 」
心の奥底に抱く疑問。
まるでライドウの事を全て知っているかの様な明の口調が、無性に気に喰わない。
コイツは、自分の知らない17代目・葛葉ライドウの裏の顔を知っている。
「お前と同じ・・・・拾われた野良犬だ。」
「何? 」
それだけネロに伝えると、明は呼び止める間もなく、教室から出て行った。
東京都港区六本木6丁目にある複合商業施設。
かつて『六本木ヒルズ』と呼ばれた超高層ビルは、10数年前に起こった”第二次関東大震災”により倒壊。
そして、数年後、復興作業が滞りなく進み、新たな商業施設として生まれ変わった。
「・・・・・っ、糞・・・・っ! 」
その超高層複合施設に入っている事務所の一室。
壁には4K液晶テレビが設置され、ニュース番組が流れている。
全面ガラス張りの広い室内。
バーカウンターの様な、横一列の長い席の一つに、少々体格がいい、一人の青年が、ノート型PCを前に、頭を抱えて座っていた。
「どーしたのぉ? 横内君。 何か困った事でもあったの? 」
突然、頭上から声を掛けられ、黒の丸いフレームの眼鏡を掛けた青年が、顔を上げる。
見ると、自分よりも幾分年下と思われる髪をブラウン色に染めた少女が、ニコニコと歳相応の笑顔を浮かべて此方を眺めていた。
「・・・・・困った事態になった・・・標的を確保したいんだが、邪魔者が現れて上手く行かないんだ。」
20代半ばぐらいと思われる青年・・・・横内・健太は、カウンターに寄り掛かっている16歳ぐらいの少女に向って、悔しそうに唇を噛み締めた。
そんな横内に対し、茶髪の少女― 白川由美は、彼の前に置かれた最新式のノートPCを覗き込む。
液晶画面内では、横内が所持している悪魔― 悪霊・デス・シザーズ数体がロストしている事が分かった。
「その邪魔者って、誰だか分かる? 」
「ああ、仲魔の視覚映像を使って、都の顔認証システムにハッキングしてみた。」
横内は、慣れた手付きでキーボードを操作し、由美に検索結果を見せる。
検索結果を見た茶髪の少女は、思わず口笛を吹いていた。
「”山谷の用心棒”じゃない。DCで超が付く程の有名人よ。」
DCとは、デーモンコロシアムと呼ばれる巷で人気の動画投稿サイトである。
下級から中級クラスの悪魔を狩って、その狩猟シーンを動画に収めて投稿し、再生回数で料金を得る事が出来る。
又、投稿した動画を販売し、それで収入を得ている輩もいた。
”山谷の用心棒”こと、遠野・明は、その動画サイトでは人気のプレイヤーであり、上野辺りで屯(たむろ)している不良グループ”スペクターズ”とつるんでは、悪魔を狩猟した動画を投稿、又は販売して法外な金を得ていた。
「確か、噂じゃ”クズノハ”に所属しているらしいわね。」
「・・・・っ! それは本当なのか? 」
由美の口から『クズノハ』という言葉を聞いた瞬間、横内の体内から血が一斉に引いていくのが分かった。
”クズノハ”とは、日本政府が持つ対悪魔専門の巨大組織である。
噂では、要人暗殺も請け負っていると聞いていた。
「拙いな・・・・僕達の存在が、日本政府に知られている可能性がある。」
蒼白い顔で、明の経歴が表示されている液晶画面に視線を落とす。
由美の口から、超国家機関『クズノハ』の名前が出た瞬間、横内の脳内で最悪なシナリオが組み上がり始めていた。
あれだけ、世間の注目を浴びない様に慎重に行動していたのに、一体何処で間違えてしまったのだろうか。
「なーに、ビビってんのよ? 良いじゃない、”クズノハ”に目を付けられたって。」
「正気で言っているのか? 」
カラカラと笑う少女を横内は、鋭く睨む。
幾ら召喚術師の能力(ちから)があるとて、自分達『組織』は、素人が集まった烏合の衆に過ぎない。
”クズノハ”の様な、プロの殺し屋集団と渡り合える筈がないのだ。
「偉出夫が言った言葉を忘れたの? どんな手段を使っても、必ず”八神・咲”を仲間に引き入れる事・・・・ってね。」
「し、しかし・・・・相手は”クズノハ”なんだぞ? 」
「大丈夫だって、私達のバックに誰がいるか忘れたの? 」
「・・・・・。」
由美の何処か勝ち誇ったその顔を横目で睨みつつ、横内は、押し黙ってしまう。
彼女の言う通り、自分達のリーダーである狭間・偉出夫には、政財界の大物や議員、果ては、各国に名を連ねる政治家や富豪等のパトロンが大勢いる。
一体どんな手段を使って、それらパトロンを手に入れて来たのか、皆目見当がつかない。
しかし、狭間・偉出夫という人物は、人心を掌握する術に長けている。
彼の持つ、異様なカリスマ性なら、どんな人物であろうと虜にしてしまうだろう。
「でも、確かに横内君一人だけじゃ無理そうね・・・・私が手伝ってあげても良いけどどうする? 」
「君が・・・・? ”ゼブラ”の件で忙しいんじゃないのか? 」
「大丈夫よ、殆ど”チャーリー”一人で動いているんだもの・・・・手持ち無沙汰でつまんないし、それに、横内君の仕事の方が面白そうじゃない? 」
新しい悪戯を思いついた幼子の様に、邪気の無い由美の笑顔に、横内は思わず毒気を抜かれてしまう。
確かに、SS級の召喚術師である彼女の助力があれば、『クズノハ』の人間を排除し、八神・咲を此方側に引っ張って来るのも容易い。
暫くの逡巡後、横内は諦めたが如く、了承の意を唱えた。
矢来銀座、『葛葉探偵事務所』。
学校の授業が終了したネロは、鋼牙に誘われ、再び、探偵事務所へ訪れていた。
因みに、明とは、昼の休憩時に気まずい空気を残したまま、別れている。
「御免、君の”狩猟許可証”が没収されたのは、僕に原因がある。」
事務所に着いた早々、鋼牙はネロに詫びると、デスクの引き出しから一枚のIDカードを取り出した。
「所長の知り合いのハッカーから貰った偽造IDだ。 これを使えば、普段は入れない禁止エリアの通行が可能になる。」
「ちょっ、ちょっと! それって完全な規律違反じゃない! 」
平然とネロに偽造IDを渡す鋼牙に、傍らにいるマベルが血相を変えた。
マベルにとって、ネロは可愛い弟と同じ様な存在だ。
悪い道へと誘おうとする鋼牙に、怒りを露わにするのは当然だと言える。
「何言ってるのさ、組織の規律を真面目に護っているなんて、17代目ぐらいだよ? 他の葛葉四家は、独自のルートを勝手に開拓して、自分ルールで仕事をしてる。 それに、これからする事は、彼にとって必ずプラスになる。」
「どういう意味だよ? 」
勿体ぶった鋼牙の口振りに、銀髪の少年が胡乱気に聞き返した。
「悪魔召喚術師としての修行&”探偵部”の仕事だよ。これから、かさぎ荘に行って仲魔集めと、そこで悪さをしている悪魔退治をするんだ。」
鋼牙の説明曰く、JR南千住駅から南に行った住宅街で、低級から中級の悪魔が大量発生し、異界化しているのだという。
そこを塒(ねぐら)にしているホームレス達から、何とか助けて欲しいという依頼が探偵事務所に来ているので、これから調査をする為に、向かうのだそうだ。
「もしかして、”山谷のドヤ街”に行くつもりなの? 確か、あそこは隔離地域の筈よ。」
隔離地域とは、勿論、”シュバルツバース”の影響を最も強く受けた地区の事をいう。
元々、”山谷のドヤ街”は治安が大変悪く、『東京のスラム街』と呼ばれている程だ。
都も完全に見放しており、不法移民やホームレス、その他、犯罪者達が屯(たむろ)する場所になっていた。
「駄目駄目!そんな危険な場所に行くなんて・・・・。」
「良いぜ、面白そうじゃねぇか。」
慌てた様子で、異を唱えるマベルの言葉を傍らにいる銀髪の少年が遮った。
「ネロ!? 」
「いい加減、餓鬼扱いはウンザリなんだよ。 それに、俺が召喚術師になれば、ライドウさんだって認めてくれるだろ? 」
半年前に義理姉であるキリエを失い、天涯孤独となったネロを養子縁組して、日本へと招いてくれた事に対しては、感謝している。
しかし、だからといって、何の変化も無い至極平凡な人生を歩むなど、真っ平御免だ。
自分は、自分の好きな様に生きていく。
いくら命の恩人とは言え、ライドウの敷いたレールに従う気持ちなど無い。
「決まりだね? なら、早速調査開始だよ。 」
やる気満々のネロの様子に、黒縁眼鏡の少年は、満足そうな笑みを口元に浮かべる。
探偵事務所は、万年人手不足で困っている。
ネロの様な”優秀な人材”が喉から手が出る程、欲しいのだ。
「仕事するのは良いけど、武器と防具一式は、ライドウさんに取られちまったよ。」
「大丈夫、そう思って君専用の武器を用意しといた。」
『狩猟許可証』と共に、愛用の武器である『レッドクィーン』と『ブルーローズ』は、養父であるライドウに没収されている。
困った様子で肩を竦めるネロに、鋼牙はデスクの下に置いてある大きな取っ手付きのケースを取り出した。
デスクの上に乗せられた長方形のケースは、かなりの重量感があり、取っ手の両側には留め金が付いている。
鋼牙がソレを外すと、ネロの愛刀である『レッドクィーン』と同じ形をした大剣が納められていた。
「これって・・・・・? 」
「ランチさんがRAN(ロシア科学アカデミー)があるモスクワ本部から脱走する時に、試作品を持ち出していたらしい。 それが、コイツさ。」
渋谷のセンター街で、ジャンク屋を営んでいる店主・ランチは、かつて職人(ハンドヴェルガー)を志していた。
普通の人間でも悪魔と対抗しうる武器を模索していた彼は、その時にRAN(ロシア科学アカデミー)の研究員であったリブ・トルストイと接触し、モスクワにある研究所で数年間、”イクシード”の開発・研究を行っていた。
その時に試作体として造り出された数本のうち、1本を事故死に偽装する際に、運び出していたのである。
「名前は『クラウソナス』、ジェット推進器を更に強化して、ブレードには特殊な鉱石を幾つか使っているらしい。」
鋼牙の言う通り、眼を凝らすと大剣の刃がマーブル状になっているのが分かる。
魔界でしか採取出来ない鉱石と、現物質の中でも一番硬いと言われるウルツァイト窒化ホウ素、ロンズデーライト等を使用していた。
「あのオッサンにとっては、大事なモノじゃないのか? 」
ネロの言う通り、ランチにとって”イクシード”は、己の半生を掛けて創り出した大作だ。
そう簡単に、赤の他人・・・しかも、年端も行かぬ餓鬼にそう簡単に渡して良い代物ではない筈であった。
「君に使って欲しいってさ・・・武器は、人間に使われてこそ意味がある。 何時までも未練がましく持っていても仕方が無いと言ってたよ。」
数分しか、会話をしていなかったとは言え、ランチの鋭い直感が、ネロを信じても良いと判断したらしい。
暫く、ケースの中に収められている『クラウソナス』に視線を落としていたネロは、徐に手を伸ばし、部品一つ一つを慎重に取り出す。
そして、慣れた手付きで機動大剣を組み上げ始めた。
数時間後、JR南千住駅。
小さな妖精、マベルを頭に乗せた銀髪の少年ネロと、黒縁眼鏡の少年鋼牙が、”かさぎ荘”がある『山谷のドヤ街』に向けて歩いていた。
ネロの背には、組み上がった機動大剣『クラウソナス』が背負われている。
左脇のガンホルスターには、M1911・軍用自動拳銃が納められていた。
「センター街でも思ったんだけど、此処って本当に日本なのか? 」
行き交う人々を横目に、ネロが呆れた様子で呟く。
驚く程、この街には日本人が全くいない。
道路に面して設営された露天商には、他国から来た外国人達で賑わっている。
皆、重装備しており、店先に並んでいる商品を物色していた。
「10数年前の震災で、多くの日本人が犠牲になったのよ。私も経験したから分かるけど、あの時は、本当に酷かったわ。」
ネロの問い掛けに応えたのは、少年の頭の上で胡坐をかいて座る小さな妖精であった。
10数年前に起こった第二次関東大震災は、大勢の命を奪い、国としての機能を一時的に麻痺させた。
日本政府は、国の復興支援の為に、多くの外国人労働者を招き入れ、今の多国籍国家へと変貌したのである。
「おまけに悪魔の大量発生、各国から、多くの『狩人(デビルハンター)』達が集まり、今や、世界で最も危険な国へと様変わりした。」
この国は、危うい均衡によって保たれている。
”シュバルツバース”から齎(もたら)される『エキゾチック物質』によって、破綻しきった財政を何とか立て直す事には出来たが、悪魔の巣窟である事に何ら変わりは無い。
『東京のスラム街』こと”山谷のドヤ街”が、今の日本の内情を映している鏡といえた。
南千住駅から、南方向へ徒歩10分ぐらいの場所に、目的地である”かさぎ荘”は、あった。
2階建ての古びたアパートを、銀髪の少年が見上げる。
チリチリとした人外の空気が、容赦なく肌を突き刺す。
「依頼主の話だと、数年前からタチの悪い悪霊が住み着いているんだって。このアパートを塒(ねぐら)にしていた日雇い労働者が何名か奴等の餌食になったらしい。」
ネロの傍らに立つ黒縁眼鏡の少年が、背負ったバックパックから、愛用の60cm定規を取り出す。
「おい? 大丈夫か? マベル。」
銀髪の少年が、学校で支給されているダッフルコートの胸元へと声を掛ける。
アパートから放たれる鬼気に、恐れをなした小さな妖精が、少年の胸元へと慌てて飛び込んだのだ。
「駄目!絶対此処は駄目! 上級悪魔の臭いがプンプンするよぉ! 」
おこりに掛かった様に、ブルブルと震える妖精が、必死に少年を止める。
因みに、ネロと鋼牙は学校が終わったその足で、山谷に来た為、二人共『エルミン学園』の制服を着たままである。
「だろうね・・・・建物の外に居ても凄いプレッシャーを感じるよ。」
何時もの癖なのか、鋼牙は眼鏡のフレームを押し上げ、改めて古びた建物を見上げる。
依頼主の話では、このアパートの204号室から異変が起きたらしい。
腕の良い『狩人(デビルハンター)』を雇いたくても、ホームレスである自分達では、とても彼等に見合う報酬は払えない。
かと言って、社会から完全に見放された彼等が、此処を出て他の地へ行ける筈も無い。
そんな彼等にとって、矢来銀座の『葛葉探偵事務所』は、最後に頼れる駆け込み寺みたいな存在であった。
「よっしゃぁ、やる気が出て来たぜ。」
ネロは、右拳を左の掌で打ち付け、気合を入れると、マベルが止める間もなくアパート内へと入って行ってしまう。
呆れた様子で、溜息を吐いた鋼牙が、その後に従った。
同時刻、西新宿にある衛生病院。
遠野・明は、病院の壁に背を預け、受付にいる二人の少女を眺めていた。
護衛対象の八神・咲と、その親友である日下・摩津理である。
学校の授業が終了したその足で、三人は摩津理の歳が大分離れた妹、ヒマリのお見舞いに来ていた。
「はい、遠野君お待たせ。」
黒髪の美少女が、自分より頭一つ分以上背が高い明に、面会用の札を手渡す。
院内には、大勢の患者や付き添いの家族がおり、看護師や事務員が彼等の対応をしていた。
「そーいや、所長代理は何してるの? 」
妹が入院している4階の小児病棟へ向かう道すがら、変えの下着や絵本が入っている紙袋を右手に下げた摩津理が、後ろを歩く明に言った。
今日は、特殊学科の実技は休みである。
なので、仕事で忙しい父親の代わりに摩津理が、喘息で入院している妹の見舞いに行く事になった。
「別件の仕事に行った・・・・新入りと一緒にな。」
エレベーターの階数ランプを眺めながら、明が素っ気なく応える。
2メートル近い高身長を持つ明は、兎に角目立つ。
通路を行き交う患者や、看護師達は、自然とエレベーター前にいる明に一瞥を向けては通り過ぎて行った。
「新入り? もしかして、ネロ君の事かな? 」
咲の脳裏に、見事な銀色の髪をした少年の姿が想い出される。
ネロとはクラスが違う為、特殊学科の地下施設で一度、顔を合わせたきり、一度も会ってはいない。
「予想通り、アンタ等”探偵部”に入った訳ね・・・・ざーんねん、是非とも”薬学部(うち)”に入って欲しかったのになぁ。」
心底悔しそうに、摩津理は唇を尖らせた。
摩津理達が在籍している”薬学部”は、万年人手不足である。
理由は、至極簡単で、授業の内容が殆ど農作業等の肉体労働で、座学は数える程も無いからだ。
なので、薬学師(アポテーカー)を志して部に入った者達は、畑を耕したり、重い肥料を運んだりする摩津理達の姿を見て、嫌気が刺し、すぐに部を辞めてしまう。
「兎に角、男手が足りな過ぎるのよねぇ。薬学師(アポテーカー)を勉強したくて男の子も入ってくれるけど、すーぐ辞めちゃうのよ。」
「流石に、朝6時は早すぎるよね? 」
憤懣やるかたない摩津理の傍らで、咲が困った様子で笑う。
咲の言う通り、季節によってかなり波があるが、”薬学部”の活動内容はかなり過酷だ。
外気温に敏感な薬草は、一定の温度で保たれている温室で育てるのが大半であるが、中には冷たい気候でしか育たない植物もある。
そういった植物は、何かの拍子ですぐ病気にかかってしまう為、常に細心の注意を払わなければならないのだ。
その為、摩津理達は、早朝から学校に登校し、薬草の様子をチェックし、水や肥料の量を調節している。
三人を乗せた昇降機は、小児病棟がある4階に到着した。
ラウンジで暫く待っていると、パジャマにピンクのカーディガンを着た6歳ぐらいの女の子が看護師に付き添われてやって来た。
摩津理と10歳歳が離れた妹、日下・ヒマリだ。
「ねぇーね! 」
摩津理の姿を見つけた途端、ヒマリは満面の笑顔を浮かべて跳んで来た。
思い切り姉の腰に抱き着く。
「ちょっと、そんなに走ったらまたコンコンしちゃうでしょ? 」
ラウンジまで妹の付き添いをしてくれた看護師と、会釈をして挨拶を交わした摩津理は、優しく妹の頭を撫でてやる。
そんな仲睦まじい姉妹の様子を見届けた看護師は、後を摩津理達に任せ、持ち場へと帰って行った。
「良いなぁ、私もヒマリちゃんみたいな歳の離れた妹か弟が欲しかった。」
妹の目線の高さまで、身を屈める親友の姿に、咲は何処か寂し気な笑みを口元に浮かべる。
一方、明も日下姉妹の姿を見て、遠い過去の記憶を蘇らせていた。
三つ歳が離れた妹のハル。
『人柱』という逃れられぬ宿星を無理矢理背負わされ、永田町の地下深くへと幽閉された大事な家族。
アクリル製の60cm定規が閃き、そこから発生する斬撃が怪物の頭部を斬り飛ばす。
ネロの操るM1911が火を吹き、凶悪な大鎌を持つヘルカイナの心臓部分に、巨大な穴を開けた。
山谷の清川二丁目、通称『ドヤ街』にある古びたアパート”かさぎ荘”。
異変が発生した204号室に向おうと、敷地内へと入ったネロ達は、突然、異界へと引きずり込まれた。
「ったく、一体何がどうなっていやがるんだよ? 」
背負った機動大剣『クラウソナス』を引き抜き、幽鬼・ヘルカイナを一刀の元に叩き伏せる。
古びたコンクリートの建物内へと入ろうと、今にも崩れそうな門を潜った途端、別世界へと変貌したのだ。
戸惑いの色を浮かべるのは当然だと言えた。
「どうやら、此処のボスが、アパートを取り巻く敷地の一体を異界化させてるみたいだね。時空を歪める程、強い悪魔がいるって事さ。」
苛立ちを隠さないネロと違い、鋼牙は冷静に今の状況を分析する。
敷地の外から見る限りでは、何処にでもありそうな安アパートだ。
しかし、中に一歩踏み込んだ瞬間、まるで蟻地獄の様に、本性を露わにする。
此処ら辺一帯を縄張りとして活動していたホームレス達は、この罠にまんまとハマリ、悪魔達の餌食になったのだろう。
「つまり、あのアパートを棲家にしている悪魔を倒さない限り、俺達は元の世界に帰れないって事か。」
「その通り。」
鋼牙の放つ斬撃が、最後の一体を切り裂き、塵へと還す。
二人が入って来た入り口は、既に閉じられている。
異変を引き起こしている元凶を始末しなければ、ネロと鋼牙は永遠に異界を彷徨う事になるだろう。
「まぁ、あのアパートの中も、入り組んだ迷路になっているだろうけどね。」
かさぎ荘は、巨大な植物の蔓(つる)が、幾重も重なり合う異様な建物へと様変わりしていた。
あの醜悪な建造物の何処かに、異変を生み出している悪魔がいる筈だ。
「お前等って何時もこんな事してるのか? 」
何の躊躇いも無く、異界化したかさぎ荘へと入り込む鋼牙の背に、ネロが疑問を投げかけた。
この二人が何時から探偵稼業をしているかは、知らない。
しかし、自分が『聖エルミン学園』に入学する前から、探偵として活動する傍ら、悪魔(デーモン)を狩猟していた事になる。
「何時もって訳じゃないけどね。 普段は、家出したペットを探したり、浮気調査に時には引っ越しの手伝いまでしてるよ。」
悪魔絡みの仕事は、殆ど稀で、探偵業とは名ばかりの『何でも屋』をしている。
生活費が苦しくなって来たら、偶に規律違反と自覚しつつも、禁止区域に入り込んで、そこで生活している不法就労者達のキャンプでアルバイトをするぐらいだ。
「ネロ・・・・昼間、明が言った事何だけどさ・・・・・悪く、受け止めて欲しく無いんだ。」
「・・・・・? 」
唐突に明の事を切り出され、ネロが戸惑った様子で数歩前を歩く鋼牙の背を眺める。
「明は、君と同じ17代目が引き取った子で・・・当然、血の繋がりは無い。 彼がどういった経緯(いきさつ)で、17代目の養子になったのかは知らないけど・・・。」
そこまで言い掛けて、鋼牙は背後にいるネロの胸元から顔だけを覗かせている小さな妖精へと一瞥を送る。
黒縁眼鏡の少年に振り向かれた妖精は、困った様子で眉根を寄せた。
「あの子は、優しくて真面目な良い子よ。 ちょっと、ひねくれた所はあるけどね。」
だから、同じ”探偵部”の仲間として受け入れてくれ。
暗に二人からそう言われているのを感じ取ったネロは、納得出来ないのか、唇を尖らせる。
「分かったよ・・・・ちょっとムカつく所もあるけど、見た感じそれ程、悪い奴には見えねぇからな。」
軽い溜息を吐き出しつつ、ネロは形だけではあるが、不承不承頷く。
襲い来る悪魔達を排除しつつ、一同は、異変の発生源である204号室へと向かった。
投稿が大分遅れてしまいました。