浮つ沈みつ   作:志摩ぐらし

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深海棲艦専門の「戦後処理」に従事する不知火が、黒潮と邂逅するお話です。


Dear My Goddess,

 深海棲艦との戦いが人類側の辛勝に終わってから、早くも一年が過ぎようとしている。大規模な艦隊戦はもはや過去のものとなり、市街地などを目標とした大規模な空爆も絶えて久しい。いわゆる通常の船舶の航行も、戦時中よりずっと安全に実施できるようになった。人々は戦禍の傷跡に未だ苦しみながらも、まだ見ぬ明日に向けて必死に立ち上がろうとしていた。

 戦争終結に伴い、海軍もいくつかの組織へと解体された。その中の一つに「復員省」があった。

 全世界に展開していた艦娘および支援要員の円滑な撤収を助ける事、並びに各種戦後処理を目的として立ち上げられた省庁である。もっともその発足の理由には、シーパワーの象徴としての役割を通常艦船に急速にとって代わられつつある艦娘たちに対し、当面の食い扶持を保証するという面も多分に含まれていた。

 実際のところ、深海棲艦は地球上から完全に消滅していた訳ではなかった。頻度こそさほど多くはないものの、潜水艦の攻撃によるものと思しき海難事件は依然として発生し続けており、単独行動を続ける水上艦も度々目撃されている。

 それどころか、陸上に突然出現するケース――それも、市井の人間が変異する――すら複数報告されていた。これが果たして深海棲艦なのか、という点に関しては旧陸軍派と旧海軍派の有識者の間で激しい議論が交されたものの、犠牲者の体内からバラストタンクおよびプロペラシャフトのような構造が発見されたことが確証となり、海軍系の組織――それも復員省が――処理すべき事案であるという見方が決定的となった。省としては見事に割を食った恰好となってしまったが、深海棲艦に伍する戦力を保有する組織が他にない、という事も何とも動かしがたい事実であった。

 

 陸上発生型の深海棲艦が発見されてからというもの、復員省は各地に密偵を配置するようになった。その中の一人が、瀬戸内海のとある島にて、半深海棲艦の可能性がある者の漂着を確認した。

 遠方からの確認ではあったが、件の密偵は対象が戦没したはずの陽炎型艦娘「黒潮」に酷似していると判断、写真の撮影を実施した。

 推定・黒潮は時を置かずして地元の老漁師に保護されたため、遺憾ながらその場での身柄の確保を断念。以上の事柄を暗号文とマイクロフィルムにて復員省に報告した。

 前後して、近隣に点在する復員船輸送船泊地を哨戒中の艦娘が、深海棲艦のものと思しき漂流中の艤装を発見。曳航して陸揚げの後、隊内にて検分を実施したところ「陽炎型」の艤装がベースになっている可能性が極めて高いと判断された。これも同様に復員省に報告された。

 以上の報告から、漂着した半深海棲艦は「黒潮」でほぼ間違いなく、何らかのトラブルに遭遇した結果艤装が脱落し、別々に漂流したものと推測された。

 戦時中に海軍が拿捕した敵艦の研究結果からも、艤装が脱落した深海棲艦が再活性化するケースは非常に稀であり、そのような事態が発生するとしても相当の時間を要する、という事が既に周知の事実であった。そのため、復員省は推定・黒潮の迅速な身柄の確保を強行するのではなく、信頼のおける者を秘密裏に接触させた上で、任意での「情報提供」を要請する事を画策した。当然の事ながら、返答如何によってはその場で始末する事も十分にあり得る。

 白羽の矢が立ったのは復員省総務局所属、元・陽炎型駆逐艦の「不知火」だった。省に配属されてから八ヵ月と二十二日。所属日数こそ少ないながらも、既に三体の半深海棲艦を捕獲し、同じく五体を始末してきた復員省きってのエースである。

 局内からは、この種の任務に同型艦を充てるのは酷ではないか、との声も少数ながら挙がった。しかしながら最終的には、不知火自身の――「鉄の女」、とも称される――人格と実績に照らして、最良の人選であると判断された。本人からの強い歎願も、この決定を後押しした。

 推定・黒潮への接触にあたり、復員省は虚偽情報の展開と各種の根回しを事前に実施した。

 先述したとおり島は復員船の泊地の近隣にあり、なおかつ二週間の長期に渡って濃霧に閉ざされていた。

 復員省はこの状況を好機と見て、老朽化著しい商船を一隻徴用。今となっては重要性の低い書類や軍用品を大量の火薬と共に詰め込んだ上で、艦娘からの砲雷撃により故意に爆沈させた。

 以上を、残留していた機雷による復員船の爆沈事故として公表し、即座に周辺海域への進入禁止を発令。その上で、爆沈に伴い流出した軍機書類などの保全を理由として、島民への尋問を開始した。

 一連の迂遠な工作の第一の目的は、推定・黒潮の確保を秘密裏に遂行し、島内に半深海棲艦が存在する事が知れ渡った場合の無用な混乱を未然に防止する事にあった。木を隠すには森の中ならぬ、煙を隠すには業火の中に、という訳である。

 しかしながらさらなる思惑としては、強硬に推定・黒潮の身柄を確保した際の、老漁師及び黒潮本人への心理的負担を可能な限り取り除くという考えと、姉と対話するチャンスを不知火に与えたいという、ある種の配慮にも似たものが同時に存在していた。そのためには、例え尋問という手段を使ってでも、老漁師と推定・黒潮を引き離す必要があった。

 世間一般のそれからは著しく乖離してはいるものの、これは復員省なりの人情の発露とも言えるのかも知れない。

 

 作戦は、島民全体に対する尋問開始から三日目、霧雨の降りしきる日の午後に決行された。

 この際に使用された車両は二台。復員省が「訳有り」の仕事の際に使う黒一色の乗用車と、一般的なミニバンが内訳である。前者は老漁師の連行用であり、囮の役目も兼ねている。こちらには復員省の職員が二名乗車している。

 ミニバンには不知火および護衛の職員二名が乗車し、こちらが本命である。護衛は死体処理役も兼務し、そのための道具も一式積み込んでいる。

 不知火たちの乗車するミニバンが路地裏の目立たない位置に待機、老漁師の家を見渡せる高台に密偵が一名配置されたところで、囮の乗用車が家の前に乗り付けた。職員たちが降車し、戸口の中に消えてから数分後、前述の職員と共に老漁師が夫婦で姿を現した。老漁師は抵抗することなく乗用車に乗り込み、そのまま走り去っていった。この時点では、状況は順調に推移していた。

 しかしながら、事態は意外な方向に展開した。淡色のレインコートを着た少女と思しき人影が、家の裏口から逃げるように走り出てきたのだ。

 高台に陣取っていた密偵にとって、これは思いもよらない事だった。推定・黒潮が保護された直後から、老漁師の家は間断なく監視されていた。しかしながら、推定・黒潮はただの一度も家の外に姿を見せることはなかったのである。

 とすれば、対象は活発に身動きができないか、外部に姿を現すのが憚られる状況に違いない。ならば、老漁師を乗せた乗用車が十分に離れてから接触を試みたとしても遅くはない。

 けして口には出さないものの、関係者の間にはそういう雰囲気があった。事実を隠すためならいくらでも事を荒立てて構わないが、事実に直面する際は出来るだけ穏便に済ませたい。復員省という組織の持つ独特の思考ルーチン――悪癖と呼んでもいい――が判断を曇らせていた。

 密偵は浮き足立ちながらも、可能な限り冷静に不知火たちに現状を報告した。それを聞いた護衛たちは早急な身柄の確保を不知火に具申したが、あえて彼女は対象をしばらく泳がせることにした。

 相手はレインコートを着ているため、住民に見られたとしても正体が露見する可能性は低い。それに対して、いま自分たちが大々的に打って出るのはあまりにもリスクが高すぎる。それが不知火の見解であった。

 ただし、先の見解はあくまでも建前に過ぎない。私人として、彼女は推定・黒潮の行く先に純粋に興味があった。あるいは、このまま行方を眩ませて欲しいという願望も心のどこかにあったのかも知れない。

 ともかく、不知火は護衛の一人からコートを借り受け、単独で尾行を開始した。濃霧に、艦娘であった頃に負った古傷がうずいたように感じた

 密偵からの情報を受け取りつつ、相手の視界に入らないように追跡を続けていく。しかし、尾行開始から十五分ほどが過ぎた時点で、不意に推定・黒潮が歩調を緩めた。

 感付かれたのかもしれない、と不知火は直感した。視認された覚えはないが、気配のようなものを読み取られたのだろうか。ここで不知火は、見ようと思えば相手見られる位置にあえてその身を晒すことにした。レインコートの少女は最初、不知火のほうを一瞥したが、構わずに歩き続けた。

 誘われていると思った。が、あえて不知火はその誘いに乗ることにした。一定の距離を丁寧に保ちつつ、霧の中の尾行は、ある種の儀式のような色彩さえ帯びていた。

 

 その終着地点は、何の変哲もない寂れたバス停だった。木製の簡素なベンチに、赤く塗られた足の高い灰皿が一つ。トタン製の覆いにはところどころ穴が空き、壁に貼ってあった戦争励行の張り紙は既に剥ぎ取られている。 

 レインコートの少女がベンチに腰掛けたのを確認して、不知火もそこへ滑り込む。

 さりげなく相手を見やるが、フードに覆われて人相は確認できない。ただし、フード自体に突起のような不自然な盛り上がりが見受けられる。十中八九、深海棲艦特有の角状の器官だろうと不知火は見当をつけた。

 普段の彼女であれば、この時点で容赦なく顔をあらため、身柄を確保するか、はたまた額に銀弾を叩き込んでいるはずだ。しかし、傍にいる少女が本当に黒潮であったなら?果たしていつも通りの行動がとれるだろうか?

 不知火は、ジャケットに入れていたシガレットケースを手探りで取り出した。側面のスライドを押し上げるとと、中から煙草が一本だけ出せる優れ物。捨てようにも捨てられない、妹の形見の品だった。フィルタを細い指でつまみ、するりと引き抜く。ケースをしまうと同時に、ジャケットの中で器用にライターへ持ち替える。そして、少女から目を背けるかのような仕草で煙草に火を付け、深々と煙を吸い込んだ。

 喫煙の感触について「浮遊感を感じる」という表現をよく聞くが、不知火には今一つ実感がない。むしろ感じるのは、引きずり込まれるような独特の重力。

 北の海で沈みかけた時のあの感触に似ていると、彼女は常々そう思っていた。

 煙の味を苦手だと思いながらも、それでもこれを止められないのは、このどろりとした重力が、いつか沈んでいった仲間たちの下へ連れて行ってくれると、本気でそう考えているからかも知れなかった。

「えらい重苦しい格好しとるなぁ、軍人はんやろ?」

 先に口を開いたのは、レインコートの少女のほうだった。

 不知火は虚を突かれながらも、努めて冷静に、軍人というのはいささか正確ではありませんね、と応える。

「終戦と同時に、軍はいくつかの組織に解体されました。戦う相手がいなくなったのだから、当然でしょう? 今はもう、事後処理ばかりしている役人みたいなものです。」

「そーなんや。ウチ、そこら辺の事情よく知らんくてな~、だいたいここに来てから二、三週間くらいから前のことはそこまでよく覚えてないんよ」

 フランクな関西弁で捲し立てながら、少女はケラケラと笑う。聞き慣れたようでいながら、少しノイズが混じったような異質な声。しかしなぜか、どこか安心感さえ感じる。

 声自体に耳馴染みがあるから?それだけではあるまい。声に混じるノイズが、どこか波の音に似ているからだろうか。

「で、そのお役人さんがどうしてこないな辺鄙な島に?聞き込みでもしとるんならウチ、悪いけどたいした話は知らんで?」

「いえ、古い友人に会いに来たのです。軍を退役した後、この辺りに住んでいると聞いたもので」

「てことはお姉さんはお休み中か。そんな時でもパリッとした格好せんといかんとは、難儀なもんやな~」

「国仕えの常です。お気になさらず。」

 適度な嘘を交えつつ、まずは当たり障りのない会話を進めていく。手の内を見せるには、まだ早い。そう自分に言い聞かせながら、錆の浮いた灰皿へと小刻みに灰を落とす。

「お友達には会えたん?それともこれから?」

「残念ながら留守をしていて、会えませんでした。近隣の人曰く、いつ戻って来るかも分からないと」

「島んなか色々バタバタしとるらしいからな~。バタバタバタフライやわ」

 突然のつまらない冗談に、一瞬呆気にとられる。ちょくちょく軽口を挟むのは、ああ、紛れもなくあの娘の癖だ。

 不知火は一抹の懐かしさを覚えつつも、あくまで平静を装い、思考を切り替える。目の前の少女は、この島の情報を一体どれだけ知っているのか。それさえ分かれば、逃亡が計画的なものかどうかも自ずと分かるはずだ。不知火は試すようにして、試金石を会話の端に滑り込ませた。

「聞くところによると、沖で大きな船が沈んだとか?」

「知っとるわ、その話。じっちゃんから聞いた。ちなみにその話に乗った人、皆捕まってしもうたらしいな?」

 不知火は息を呑んだ。家から一歩も出ていないとは聞いていた割には、流石に状況をよく把握している。この逃亡劇自体も、漁師夫婦が連行されるのを見越して、前々からあらかじめ企てていたものに違いない。そうでなければ、あまりの手際の良さに説明がつかない。

「さてはお姉さん、腹にイチモツ抱えとるな?」

 レインコートの少女が、口元だけでにやりと笑う。

「ウチがこの世で大嫌いなモンは二つある。一個目がウソつきや」

「お姉さん、さっきからウソばっかついとるやろ。顔にデカデカ書いとるわ。そんなんはもうまるきり無しでいかんか?」

 霧雨は未だ降り続き、この場所を外界から隔絶させているようにさえ思える。

 人差し指と中指の間に挟んでいたタバコは、あたりの湿度に耐えかねたか、とうに燃え尽きかけていた。

「貴女は、何をどこまで知っているのですか」

「せやからここ二、三週間のことやてゆーとるやんか」

 少女は呆れたように、大げさに頭を振ってみせる。しかしその仕草は、どこかこの状況を面白がってもいるかのようにも見えた。

「ええか~? まずウチがこの島に打ち上げられた。それより前の事は知らん。ほんでごっつ人のえぇ漁師のじっちゃんに匿われた。しばらく看病を受けてるうちに、いくらか身体を動かせるようになって、ようやくウチがナニモンになってしもうたかを理解した」

 要は鏡を見ただけなんやけどな、とノイズ交じりの声でカラカラと笑う。

「せやかてジタバタしたとこでどーにもならへん、出歩けるような見た目でも無し。どうせなら無為徒食の身分を思う存分決め込んだろー思うてから暫く経ったある日、突然沖合いから轟音が聞こえてきた」

 それは、復員省が沈めた商船のことで間違いないだろう。不知火は作戦の詳細を聞かされた日の事を思い返し、苦虫を噛み潰したような気持ちになった。海路を守る為に必死に戦い、そして傷ついた者としては、商船をわざと沈めるような行為は到底受け入れられなかった。

 不知火の思いをよそに、レインコートの少女は、相変わらずの調子で捲し立て続ける。

「デカい船が沈んだんやろうな、と直感的に理解したわ。ほんだら、やっぱりやれ船が沈んだ、賞味期限切れの乾パンとかズブ濡れの書類とかなんやらかんやらがぎょーさん流れ着いたとか噂が立って、気づいた時には軍人崩れがそこら辺のおっちゃんおばちゃんをバンバン連行して行きよった」

 ここまでがじっちゃんから聞いた話、と少女はようやく息をついた。

「せやけど妙なのは、死体が流れ着いたっちゅー噂が一つも流れてこん事や。いかに停泊中とは言え、デカい船にワッチが誰もついとらんなんて事あるかいな。どー考えてもおかしいわ」

「それで、一連の出来事が全て狂言ではないかと感づいた?」

 いやいや、と少女は身体の前で両手を大きく振って、不知火の言葉を否定してみせる。

「それはウチの事を買いかぶりすぎや。あくまでも違和感を感じただけや。」

 ただし、この島から逃げ出そう思うには十分過ぎたけどな、と、少女は懐から取り出した防災地図に小銭入れ、渡船の定期をベンチの上へ放り出してみせた。

「全部じっちゃんばーちゃんからくすねた奴や。チャンスは全部あんたらに作って貰ったも同然」

 不知火は内心唸った。これだけの物をあの短時間で探している余裕などあるはずはない。やはり、事前から周到に逃走計画を練っていたのだ。脱出経路、物資、そしていずれ来るべき好機に至るまで、何から何まで。

 ただの思いつきでこれだけのことが成し遂げられるものか。軽い口調の裏に潜む、恐るべき執念の存在を感じ、彼女はただただ畏怖することしか出来なかった。

 それでも。

「一体、何が」

 不知火は、重く閉ざされかけた自らの口を必死に開く。

「一体何が貴女をそこまで駆り立てるのですか。貴女は、一体どこへ行くつもりなの?」

「ゴルゴダの丘、とでも答えれば見逃してくれるんかいな?」

 少女の口の端に、奇妙な笑みが浮かんだ。そう思えたのも束の間、

「なーんてな、冗談や」とすぐに元の調子に戻る。

「内地のほうにな、会わんきゃならん人がいるような気がしたんや。それだけ。ホンマにそれだけやで」

 噛み締めるように、彼女は呟いた。その左手に、ちらりと銀色に煌めくものがある。不知火にも見覚えのある、刻印一つ刻まれていない略式の結婚指輪。一見、玩具にすら見える粗末なアクセサリのたった一つが、不知火の脳裏に不穏な像を立ち昇らせた。

「そう、ですか」

 不知火は、震える手をコートの裏に差し入れる。シガレットケースを取り出すためではない。予め忍ばせておいた拳銃を取り出すために。底冷えするような黒鉄の感触が、掌を走り抜ける。

「その願いは、到底叶えられそうもありません。それだけは、絶対に許さない」

 漆黒の殺意を載せて銃を抜き放とうとしたその瞬間、意外な言葉が不知火の耳を突いた。遠く海の先から届くような、優しく、甘い囁き。

「いいや、ウチの願いはもう叶っとるんよ。多分、あんたや。あんたに会いに還ってきたんやな」

 思わず、不知火は銃を取り落としそうになる。 誰に?司令ではなく、私に?何のために?何を伝えるために?濁流のように、容赦なく思考が流れては消えていく。

 壊れてしまいそうな心を繋ぎ止めるためにあえて選んだのは、憤激という感情。不知火は舞い上がる焔の如く立ち上がり、銃を構える。

「絆すつもりかッ!」

 叫ぶ不知火に、フードの奥から一際鋭い視線が突き刺さる。

「言うたやろ。嘘は嫌いや」

 雷に打たれたような気さえした。不知火は思わずよろめき、そのままベンチへとへたり込んでしまった。思えば、口喧嘩で勝てたことなど一度も無かった。だって、貴女はいつだって真っ直ぐで、正しかったのだから。

「さて、雰囲気でも変えよか」

 少女は憔悴する不知火を尻目に、懐から薄い青で彩られたヨレヨレの紙箱を取り出す。

「実はこんなんもくすねてたんやけど、さて、肝心の火種を忘れてしもうたんよ」

少女は、催促するように指を小さく動かす。

「え...... あぁ」

 不知火は動揺が抜けきらぬままに、自らのジャケットの内側をまさぐり、おぼつかない手つきでライターを渡そうとする。が、少女はそれを制し、自らの右手に持った煙草の先端をもう一方の手で指さしながら、薄く笑う。

「せっかくやし、コレでやろうや」

 不知火は妹の思惑を察し、頷いた。先程と同じようにして、先に不知火が煙草に火を灯す。そしてそのままかがみこむかのようにお互いに顔を近づけ、煙草の先端同士が触れ合う。

 ぱっ、と一際強く燃え上がるようにして火が乗り移り、どこかラム酒を思わせる強い香りが新たに漂う。

 紫煙をかき分け、フードの中から細い黒髪が零れ、その素顔が露になる。青白い肌を突き破るように、少女の額からは鈍色の角が屹立していた。醜い鉄の鱗で大半が覆われた顔の中で、薄い金色の瞳が断続的に燐光を放つ。

 しかしその面影は、紛れもなく、愛しい妹のそれに他ならなかった。

「本当に、人が悪いですよ。黒潮」

「こないになっても人扱いしてくれるなんて、たまらんなぁ。不知火」

 そしてそのまま、二人はゆっくりと顔を離し、紫煙を燻らせる。

 このまま、時が止まってしまえばどんなにかいいだろうに。そんな夢想に浸ってしまうのは、ニコチンのもたらす甘い酩酊のせいだろうか。

「少し、私の話をしてもいいですか」と、不知火は白昼夢の中にいるような面持ちで口を開く。

 ひょっとしたら貴女はとうに知っているかも知れませんが、と前置きして、彼女は袖口から手首を露出してみせた。細かく縫い目が走った皮膚は色合いが統一されておらず、出来の悪いパッチワークを思わせる。

「キスカで雷撃を受けたあの日、私の身体は一度粉々に砕け散った」

 不知火は、自らの手首に目を向ける。

「戦時編成から除かれ、ドックの中で終戦を迎えた私を、司令が復員省へと引き上げて下さった。こんな身体の私にも役目があると、生きる意味があると教えて下さった」

 軽く開かれていた手を、強く握る。

「だから私は、残りの生涯を司令の理想のために捧げると決めた。『深海棲艦のいない世界』を守り抜くという理想に」

 そのためなら何だってしてきた、と低く呟きながら、不知火は自分の所業の一つ一つを思い返していた。原形を留めていない父親と、それにすがって泣く娘の姿。変質した身体のために、路上生活を余儀なくされた若者。身体のほぼ全てが鉄塊と化しながら、ついぞ正気を失えなかった老人の突き刺さるような眼差し。その全てを、尽く踏みにじってきた。

「なのに、弱いものね。こうやって貴女が目の前に現れただけで、こうも簡単に私の心は揺らいでしまう」

 黒潮はそれを聞いて、苦笑いする。

「揺らぎの無い人間なんておる訳ないやろ。そんなんおったら神様やで」

「それでは、貴女は私の神様?」

 不知火は軽く茶化した。

「こないなゴツゴツした神様おるかいな」

 黒潮は呆れたように頭を振る。

「今のウチは見ての通り、どこまでいっても只のバケモンに過ぎひんよ」

 でもなぁ、と黒潮は不知火を横目で見る。

「もし、ウチが普通の人に紛れての~んびり暮らしたいとか答えとったら、そん時はどうしたん?」

「わからない」

 不知火はそう応えてしばし瞑目したが、やや間を置いて続ける。

「もし、貴女が正体を明かさず、誰にも危害を加えないと約束できるのであれば......」

「そっから先は言わんでえぇ」

 黒潮はため息をついた。

「不知火なぁ、そんなんじゃ司令はんが可哀想やで」

「司令が?」

 不知火は聞き返す。         

「せや。司令はんは強い人や。自分の都合と世界を天秤にかけて、迷わずどちらか選べるくらいには、な」

 黒潮は、左手の指輪を軽くなぞる。

「今さらウチが化けて出ていったところで、あの人はビクともせんやろ。そないな人の覚悟を、アンタだけの都合で無駄にするんか?」

「それはッ...」

 黒潮は不知火へと目を向け、じっと見据える。燐光が、霧の中で乱反射する。

「為すべき、と思った事を為しなさい。貴女の出会った人に恥じぬように、貴女に続く者を見捨てぬように」

 なんてな、と黒潮はおどけて、手をひらひらさせる。

「ガラにもない事を言ってしもーたわ。でもな、ホンマやで。迷っても別にええんよ。けどな」

 短くなった煙草を人差し指の腹で叩き、灰を落とす。

「そのために道を誤ることでもあれば、何度でもウチは化けて出るで。せやからな、シャッキリし」

 黒潮は諭すように囁き、不知火の肩を軽く叩く。伝えるべき事は伝えた、とでも言いたげに

ややあって、不知火は頷いた。煙草の吸い殻を捨て、傍らに放ったままにしていた銃を握り返す。

「......わかりました」

「あくまで同行する意思が貴女に無いのであれば、私には貴女を生かしておく理由が無い」

 そうでなければ、今まで殺めてきた人々に顔向けが出来ない。そう自分に言い聞かせるかのように。

「私は、貴女を殺します」

「それでえぇんよ」

 黒潮は不知火の両手を包み込み、銃口に額を近づける。

「最後に一つ」

「何や?」

「貴女が嫌いなもの、二つ目は何だったんですか」

「野暮なこと、聞くもんやないで」

 薄く笑った黒潮に対し、そう、ですねと、不知火も微笑み返す。

「お休みなさい、黒潮」

 乾いた音が辺りに響いた。

 硝煙は少したなびき、何回か形を変えた後、やがて霧へと混じって消えていった。

 

 大きな暗色の袋を手にした護衛たちが、霧の中から滲み出るようにして姿を現した。死体袋。倒れ伏した黒潮の身体を、慣れた手つきで仕舞いこんでいく。まるでそれが、ただのモノに過ぎないかとでも言うように。

 不知火はその光景を、黒潮の持っていた煙草を吸いながらぼんやりと見つめていた。

 作業を終えた護衛の一人が、不知火に声を掛けた。

「行きましょう。ここはお身体に障ります」

 まるで定型文のようだと思いつつ、不知火は軽く首を振ってそれを拒絶した。

 いずれは私も、貴女の許へ続くことになるだろう。でも、それにはまだ時間がかかりそうだから。

「もう少し、このままで」

 降り続いた雨のせいか、辺りは依然として冷たい。しかし、霧は少しづつ薄ぎ始めていた。

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