浮つ沈みつ   作:志摩ぐらし

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とある技術士官と陽炎の交流を描いた、星の綺麗な夜のお話です。


星空

 空気のよく澄んだ、星空の綺麗な冬の夜。ほとんどの工員が帰路についたというのに、舞鶴海軍工廠の一角にある事務所には未だに明々と照明が灯っていた。達磨ストーブを点けてはいるが、それでも部屋の中は十分に寒い。朝倉技術中尉は、机の上の工程表に飛ばないよう顔を背けてから、一つ大きなくしゃみをした。事務所には自分以外誰も残っていないから、別に気兼ねをする必要もない。だいたい彼は九州の出身だったから、寒さの厳しい舞鶴の気候が肌に合わなかった。

 改めて工程表に向きあおうとすると、窓の外から見知った顔が覗きこんでいたので、思わず椅子から転げ落ちそうになった。駆逐艦「陽炎」だ。先日キスカで大破した「霞」と「不知火」を舞鶴まで護衛してきてから、しばらくの間ここに留まっているのだ。もっとも、彼女は戦争前から度々舞鶴に寄港していたから、朝倉も彼女のことは前々からよく知っていた。

(今の、聞いたわよ)とでも言いたげなにやけ面で、依然として彼のほうを窓越しに見ている。少しバツが悪い気がしたが、そのまま外に立たせておくのも忍びない。朝倉は握っていた鉛筆を机の上に放り出して、事務所の戸口へと向かった。

 がちゃり、と鍵の空いた音を聞きつけて、くわえ煙草のまま陽炎が転がり込んできた。

「事務所の中は禁煙だぞ」と彼は軽く注意を促した。正直、もう少ししたら彼も気分転換にヤニを吸いに出たかったのだが、この状況ではそうもいかない。とりあえず、陽炎が帰るまでは禁煙しようと思った。「それで、今晩は何の用事?」

「遅くまで頑張ってる中尉クンをからかいに、って言ったら怒る?」溶け残った雪へと無造作に煙草を放り捨てて、彼女は悪戯っぽく微笑んだ。

 普段しっかりしているかと思えば、時々こう突拍子もない行動をするところがある。まるで猫みたいだ、と内心独り言ちて、朝倉は眼鏡の奥の細い目をいっそう細めた。

「どうでもいいけどさ、何も出ないぞ」と悪態をつきながら、彼は陽炎の着ていたコートを脱がしてやって、丁寧に壁のハンガーに掛ける。「最近俺らの配給がしょぼいの、知らないわけじゃないだろ?」

「あら、それじゃあアレは何かしら?」陽炎は簡素な木の椅子に腰掛けると、目ざとくストーブの上の鍋へと目を向けた。

 鍋の中でこぽこぽと煮立って芳醇な香りを漂わせているのは、朝倉が隠し持っていた舶来の珈琲だった。事務所に一人で残った日には、こっそりこれを飲むのが隠れた楽しみだったのに。「仕方ねえな、内緒にしてくれよ」と彼は言って、奥の休憩室からカップを一つ持ってきて、陽炎へと手渡した。そして、鍋の中のドロドロした液体を陽炎のカップに、次いで机の片隅に置いていた自分のカップへと注ぎ込む。

「このままじゃ苦すぎるからな、コイツを入れるんだ」

 朝倉は自慢げに鍵のかかった引き出しを開け、角砂糖が大量に入った小瓶を取り出した。

「えーっ、今日日珍しいじゃない」

「だろ? 物持ちがいいのが数少ない俺の取柄だ」自分は角砂糖を三個ほど入れてから、好きなだけどうぞ、と陽炎に瓶を差し出す。

「さーんきゅっ! それじゃあお言葉に甘えて」と、陽炎はカップの中の液面がちょうど倍になるくらい角砂糖を叩きこんだ。

「あっ……こら」

「何よ、好きなだけって言ったのはそっちじゃない」

「そうは言うが……」朝倉は喉元まで出かけた言葉を飲み込んで、頭を掻いた。一技術中尉風情に比べれば艦娘のほうが立場は上だし、何より内地でぬくぬくしている自分とは違って、第一線で命を張っているのだ。たかだか角砂糖くらいでガタガタ言っては男がすたる、と思い直した。

「ところで、こんな遅くまでどんな仕事してるの?」と陽炎が問いかけてきた。

「見ればわかるだろ」と彼は椅子を引いて、机の上の表を陽炎に見せた。二つの工程表の内、片方はほとんど完成しているが、もう片方はまだまだ書きかけだ。

「出来上がりが近いのが霞、そうじゃないのが不知火……、君の妹さんの修繕工程表だ」

「……やっぱり、なかなか見通しは立たないのね」

「特に損傷が酷かったからな」朝倉は深刻な面持ちをした。工廠に担ぎ込まれた時、霞のほうはまだ艦娘としての原形を留めていたが、不知火は半身が消し飛んでいた。傷口は応急修理によって塞がれていたが、残った半身も船殻構造や配管がズタズタになっていた。正直、はじめて目にした時は資源にして新造艦をつくったほうが早いんじゃないかとさえ思った。口さがない者などは、不知火は早々に諦めて霞に注力すべきなのに、とストレートに口に出すほどだった。しかしそれを耳にしたことで逆に、朝倉の心に火が付いた。

「だからといって俺らは投げ出す訳にもいかない。資材も配員も正直厳しいが、一刻も早く戦線に復帰させるつもりだ」

「ありがとう、心強いわ」と言ってから、珈琲を一口飲んで陽炎は続ける。「……やっぱり、あんたって珍しいわよね」

「何が?」

「普通の人って、結構艦娘に対して壁を作るっていうか。なんて言えばいいんだろ。自分たちとは明らかに違うぞ、って雰囲気バリバリなのよね」

「あぁ、それはなんとなく俺も感じる」

「でもあんたは違うじゃない。対等に接してくれてる」

「なっ、あほな事を言うな」朝倉は陽炎の言葉を聞いて、急に照れくさくなった。「いいか、俺はこの工廠の技術士官だ。それで十分だ。目の前の兵器に心血を注ぐなんて事は、当前だ」朝倉はおもむろにカップを手にし、珈琲をぐいっと煽る。「自分が担当する兵器に対して壁なんか作っていられるもんか。俺が珍しいんじゃない。他のやつが変なんだ。分かったか!」

 陽炎はしばらく呆気に取られていたが、「あんた…… それ、酒じゃないのよ」と、可笑しくなったのか大げさな身振りで笑い転げた。「とりあえず、座ったほうがいいと思うわ」

「え?」熱弁を振るっている間に、自分でも気づかず立ち上がっていたようだ。恥ずかしさのあまり顔が歪んでいくのが自分でも分かったが、なんとか気持ちを落ち着けて椅子に腰かけ、窓の傍に放っていた制帽を手に取って目深に被った。

「とりあえず、君の妹さんは俺たちが責任を持って直すから、今日のところはもう帰んなさい。年頃のお嬢さんがこんなむさ苦しい所に長々といるもんじゃない」

「私は別に朝までいたって良いのに。ケチ」名残惜しそうに、陽炎は口を尖らせる。

「君が良くても俺が困るんだ! いいからさっさと帰った帰った!」

 朝倉は、急き立てるように陽炎を戸口まで押し出した。入ってきた時と同じようにコートを着せてやろうとしたが、それくらい自分で出来るわよ、とすげなく断られた。

 開け放たれた扉の先に佇む陽炎が、何か言いたげにしている。

「ね……」

「何だ?」

「私、今度南方に転出するの。暫く舞鶴には顔を出せないかもしれない」

「そうか、せいせいするよ」朝倉はそう言って、片方の眉を吊り上げた。

「何よ、嫌な奴!」陽炎はふくれっ面をして、朝倉を見上げる。

「悪い悪い。そう睨むなよ」まったく、このお嬢さんには敵わないなと思いながら、朝倉は苦笑した。「まぁ、なんだ。もし怪我でもして舞鶴に入る事になったら、その時は俺がキッチリ面倒を見てやる」

「本当?」

「当たり前だ。俺を誰だと思っている」

「じゃあさ」陽炎は少し息をついた。寒さのあまり、吐く息が白く濁る。

「この戦争が終わって、もし無事だったら、私、真っ先に舞鶴に寄るから。そしたら……」

「さっきも言っただろ。俺はただの技術士官だ。それ以上でもそれ以下でもないんだ。滅多な事は言うんじゃない」朝倉は、きっぱりと言い放った。

「……分かった」

 いい子だ、と朝倉は表情を緩めて、夜空を見上げた。

「俺は星空が好きだ。ここは星がよく見えるが、暑い所の生まれだからかなんとも性に合わん」

 だからな、と朝倉は続ける。「舞鶴に寄ることがあったら、君が見た南海の星空の事を教えてくれ。きっと、南方十字星が綺麗に見えるんだろう」

 それを聞いた陽炎の顔が、ぱっとほころんだように見えた。

「……約束よ! 約束だかんね!」

「あぁ、約束だ」

 だから、生きて帰ってきてくれという言葉は胸の奥に仕舞い込んで。

「お休み、陽炎」

 朝倉は、事務所の扉を静かに閉めた。

 

 不知火の修理完了に目途がついた頃、新聞の片隅に小さな記事が載った。『陽炎型駆逐艦一番艦「陽炎」戦没』の文字列が踊っていた。朝倉はその記事を、残暑にうだる事務所の中で一人読んでいた。

 少し夜風に当たりたくなって、朝倉は外に出た。いつかの夜のような、満天の星空だった。煙草をふかしている間に、いくつかの流れ星が尾を引くように瞬いては消えていった。季節的に、ペルセウス座流星群だろうか。ひょっとしたら、今日が極大なのかも知れない。本当に美しいと朝倉は感じた。

「なぁ、陽炎。お前が見た南海の星空も、こんなに綺麗だったのか……?」

 流星の雨は、なおも降り続ける。涙を流せない朝倉の代わりに、この星空が、泣いてくれているような気がした。

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