午前二時を回るというのに、談話室には未だに人の気配があった。懐中電灯を片手にソファへ近づくと、潜水艦娘「伊14」が一升瓶を抱えてだらしなく横になっている。仕方のないやつだと思いながら、提督はその頬をぺちぺちと叩いた。
「んぇぁ……。あれ、提督? どうしたの?」
「どうしたもこうしたもあるか」提督は苦笑した。「見回りをしてたら寝坊助さんを見つけたのでな、少しちょっかいをかけてみたくなった」
「もー、意地悪なんだから」伊14はわざとらしく少しふくれてみせたが、すぐに普段の調子に戻って、一升瓶を体の前で掲げる。「せっかくだから提督も飲んじゃう? あったまるよー?」
「それ、ほとんど空じゃないか」
「んぅ?」伊14は怪訝な顔をして瓶を側面から覗き込む。確かに、液面の高さは指一本分にも満たない。「ありゃりゃ、こりゃ失敬……」
「はは、相当だな」提督はひとしきり大笑してから、体の陰に隠していたビール瓶を机の上にどっかと置いた。「見ての通り二本ある、付き合ってくれんか」
「おおっ、さすが提督ぅ!」伊14の顔が一気にほころんだ。「んふふ、用意がいいじゃない。どういう風の吹き回し?」
「いや、なんだ。深夜まで酒盛りをする艦娘がいて風紀が乱れる、という苦情が各所から上がってきていてな」提督は、少し困ったような笑みを浮かべた。「頭ごなしに言うのもなんだし、とりあえず一杯やりながら話でもしようと思ったところだ」
「なーんだ、お説教か」伊14は少しつまらなそうにしたが、「とか言って、ホントは提督も飲みたかっただけなんでしょ?」とにやけてみせる。
「そうとも言う。一人で飲んでもつまらんからな」彼は栓抜きを取り出して瓶を開けた。ぷしゅ、と小気味いい音がして、柔らかなホップの香りが辺りに漂う。「そら、君も使うといい」
「ありがと!」栓抜きを受け取って、伊14も瓶を開ける。「乾杯しよ、かんぱい!」
「望むところだ」
瓶同士がふれあい、短く煌びやかな音が談話室にこだまする。二人して同時に瓶に口をつけ、ごっごっと勢いよく中身を飲み下す。
「ぷはーっ! いい飲みっぷりだね!」
伊14は片手でビール瓶を突き出しながら、もう一方の手で満足そうに自身の口を拭う。
「君こそいい飲みっぷりだ。見ていて気持ちが良くなる」提督はやや上気しながらも、手にしていた瓶を静かに机の上に置いた。「今度は、もう少し節度ある時間に酒を酌み交わしたいものだ」
「あはは、善処しまーす!」
伊14はカラカラと笑っていたが、ややあって少し不思議そうな顔をした。
「って、それだけ?」
「何がだ?」
「いや、提督だって忙しいのに、わざわざこんなことで油を売りにくるなんてさ。もっと他に話したいことでもあったんじゃないの?」
「すごいな、やはりお見通しか」
「いや、普通分かるでしょ。姉貴のこと?」
「そうだ」提督は短く答えた。
彼女の姉、伊13は最近この鎮守府に着任したばかりだった。伊14から遅れること約二か月。北海道沖にて対潜哨戒を実施した際、同作戦に従事していた第十八駆逐隊が、敵潜の中に混じっていた彼女を拿捕したのだ。
「彼女が発見された、という報告を聞いたときはさすがに面食らったよ。なんだってあんなところにいたんだ?」
「さあ? イヨたちにも前世……っていうかいわゆる普通のフネだった頃の記憶はあるけど、現状がそれと対応してるかって言えばそうとも言い切れないみたいだし」
「気が遠くなるほどの大昔に人類の大半を巻き込んだ戦争があって、現在の我々はその歴史をなぞっているだけという仮説……、信じる他ないが、未だに実感が湧かないな」
「現に食い違いだっていっぱい起こってるワケだしねー。そんなに気にしてもしょうがないんじゃない?」
「それもそうだ」提督は伊14に了承をとってから、懐から煙草を取り出し火を点けた。
「現実問題として、我々は目の前の戦争を戦い抜かなければならない。しかし、現在が過去の戦史をなぞっている以上、そちらもある程度は念頭に置く必要がある。多少の食い違いがあったとしても、な」提督は短く煙を吐いた。「せめて伊13からも情報を得られればと思ったのだが……、小笠原から先の事はよく覚えていない、との一点張りでな」
「あー、その事か」
「彼女の最期に関わるかも知れないことだ。明確にしておきたい」
提督は急に真剣な面持ちになり、伊14をじっと見つめた。
「おおぅ……、そんな目で見つめられたら、話さないワケにいかないじゃん」伊14は僅かに残っていたビールを舐めるように飲み干した。「あんまり他の人に言いたくなかったんだけどなー……」
伊14はそう前置きしてから、彼女にしては珍しく訥々と話し始めた。
「最初は、夏の大湊。あの日、イヨと姉貴はそれぞれの格納筒に分解した彩雲を積んで、トラックを目指して出港した」
「同時にか?」
「同時だね」伊14は頷いた。「最初のうちはまだ良くて、辺りをうろついてるはずの敵潜にも見つからずになんとか小笠原沖まで進出する事が出来た」
「問題はそこからだな」
「そう、そこから。その時のイヨたちが装備してた電探は敵さんの持ってるそれより幾分劣っていて、それが命取りになった」
「劣っているとどうなる?」
「絶対知ってて聞いてるでしょー?」と伊14は口を尖らせてから、右手を机と平行に掲げて見せた。親指と小指だけを広げて、飛行機を形作っている。「敵の攻撃機の接近に気がつけなかった。相手を目視で確認してから、イヨはすぐ潜航できたけれども、姉貴はそうはいかなかった」
「何でだ?」
「ネガティブタンクに不調を抱えていたから」伊14は淡々と答える。
「なるほど、コンディションの差が明暗を分けたということか……」
「そういうこと。潜航が少し遅れたせいで、敵のロケットを喰らった」伊14はどこか、ここではない遠くを見つめるような面持ちをした。「運悪く燃料タンクに穴が空いた。海面に長々と重油がたなびいた。それを目印にして、後続の航空機と駆逐艦とが次々に姉貴に襲い掛かった」
伊14はそう呟きつつ、掲げていた右手を机へと突き立てた。
「私はそれを、海底に息を潜めながらじっと聴いていた。まずは爆雷が炸裂する音。幾重にも重なって響いてた。次に、鉄が軋む嫌な音。しばらくして、ちょうど缶ジュースを山ほど同時に潰したような音に変わった。姉貴の耐圧殻が水圧に降伏したんだって、すぐに分かった。最後に聴こえたのは、伊13の断末魔。嫌だ、イヨちゃん、助けて……って、そんな風に聴こえた気がした……」
「ふむ、そんな事が……」提督はそれを聞いて、何か考え込むように深く煙を吸い込んだ。「それ以外に、何でもいい、君が覚えていることは無いか?」
「それ以外かー」伊14はこめかみに人差し指をあてる仕草をしてからややあって、ぴん、と指を立てた。「マリンスノウ」
「マリンスノウ?」
「そう、マリンスノウ。姉貴の声が響いた後に、イヨの上に降り注いできた。まるで燃え盛る星屑みたいに……。出来れば、もう一度見てみたい」
「悪いが、それを見させないのも私の仕事のうちなのでな」提督は、煙草を灰皿にぎゅっと押し付けて揉み消した。
「それもそっか」伊14は瞑目して頷いた。「ごめんね、変な話しちゃって」
「いいさ、こちらこそ貴重な話が聞けて嬉しかった」提督は頬を緩めてみせた。
正直なところ、先ほどの伊14の証言には不自然な点が多すぎると思った。伊13と伊14が同時に出立したという点からして、戦史と呼ばれているものと根本的に食い違っている。断末魔やマリンスノウにしても、通常の船舶が知覚できるようなものではない。もっとも、彼らに知覚とかいうものが存在すれば、の話だが。しかしそれ以外の点については、戦史と符合する点が妙に多い。
彼の背筋に、寒いものが走った。
「なあイヨ、一つ聞いていいか?」
「なぁに?」
「君、本当は一体誰なんだ?」
提督の問いかけに、伊14は少し呆然としたように見えた。しかしすぐに、その大きい目をやや細めてから、次のように呟いた。
「私、伊14です。これからも、イヨって呼んで……」
そういう彼女の瞳の中で、星屑が瞬いたような気がした。だが、提督は即座に頭をふって、それを見なかったことにしよう、と思った。
彼女が見たものは、しょせん海が見せた幻影に過ぎないのだ。
今はそれでいい。それで十分なのだ。