Fate/EXTRA SSS   作:ぱらさいと

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 保健室での覚醒からサーヴァントとの再会までになります。


Hypogean Gaol:Ⅰ

「脳波の回復を確認しました。アルファ波、ベータ波ともに正常。覚醒状態です」

 遠くで、声がする。

『――ぱい。先輩』

 いつかの、懐かしい声が――

『この声が聞こえますか? 落ち着いて、ゆっくりと瞼を開けてください』

 曖昧だった意識と視界が輪郭を取り戻す。

 こちらの身を深く案じる声に揺り起こされ、目蓋を開けると――

 ……保健室、なのか。

 床と柱は木材。壁は……少し古くなった壁紙。

 セラフで経験した事のない、地上ではとうに失われた、一昔前の作り。

 自分はベッドで横になっていた。眠っていたのだろう。

 かたわらでは白衣の少女が、こちらの様子を窺っている。

 

「――」

 

 彼女はたしか、そう。桜という名前だ。

 保健室に配置された、マスターの健康管理担当の上級AIだ。

 事情はまったく分からないが、今まで彼女が自分の看病をしてくれていたらしい。

 挨拶とお礼を兼ねて、ありがとうと微笑んだ。

 

「――――――」

 

 一瞬、どきりとした風に顔を強張らせた。

 桜のそんな表情を見るのは珍しい気がした。

 私の顔に、なにか付いているのだろうか。

 考えが顔に出てしまったのか、桜は今度こそ安堵の顔を見せる。

「あ、いえ! 何でもないんです。さっきまで、岸波先輩の脳波が完全に止まっていて……」

 やはり長い間心配を掛けてしまったらしい。

 というか脳波が止まっていたというのは、かなり危ない状態では。

「はい、それが今回復して、そうしたらすぐに覚醒されたんです。とにかく、目覚めてくれて嬉しいです」

 桜の微笑みにこちらも安心しきって、頬が緩んだ。

 とても怖い夢を見ていた気がする。

 けれど、それも桜のおかげで吹き飛んだ。

 手脚は動くし、すぐにでも立ち上がって歩けそうなほど健康だ。

 上体を起こしたまま伸びをしても、どこも痛くない。

 それでは早速、今いる場所がどういうところなのか確かめよう。

「お気持ちはもっともです、けど、その前に確認させてください」

「あ、はい」

 意識するまでも無く分かっている。

 名前は岸波白野。

 聖杯を求めるマスターとして、月海原学園の生徒――というロールを与えられている。

 万能の願望器を手にするため、月に侵入した魔術師(ウィザード)だ。

 かつてオカルトの存在であった魔術師(メイガス)が、現代の通信技術に適応した新しい姿のハッカー。

 それも魂を再構築することで精神、人格ごと潜入できる異端のハッカーである。

 旧い時代の魔術師が廃れた今、彼らの魔術理論を唯一継承した人々の一員。

 あとは今が西暦何年で、宇宙開発がどうの聖杯戦争がなんだと。

 聖杯、戦争……。

 そうだ、私は聖杯を求めるマスターなんだ。

 サーヴァントと契約して、電子の海を戦場とする霊子ハッカーなんだ。

 でも……なんで私は聖杯を求めているんだろう――?

 

「え、ええと、これが一番大事な事なんですけど……岸波さん、聖杯戦争中のこと、少しも覚えていないんでしょうか?」

 そんな当たり前のことが、抜け落ちている。

 当たり前――――――当たり前の記憶が、ない。

 岸波白野(じぶん)魔術師(ウィザード)であることは分かる。

 でも岸波白野(わたし)の、聖杯戦争以前の過去がまったく思い出せない!

 自分のことなのに!!

 なんでこんな危ない真似してるの?? 

 なに考えてるの!?

「やっぱり、他の皆さんと同じですね。自分が誰なのかは憶えているけれど、聖杯戦争中の記憶は思い出せない……」

 思い浮かぶのは『記憶喪失』の四文字。

 必死に記憶(メモリ)を漁ってみるが、空っぽのままだ。

 自分が何者なのか分からないというのは、意外と不安でもないが……。

「落ち着いて聞いてくださいね。岸波さんは今“自分がマスターである事しか思い出せない”記憶障害状態なんです」

「――そうなんだ」

 他に感想が出てこなかった。

 実感が伴わない。現実としてそうなのだから、受け入れるしかないだろう。

 自分に分かるのは“岸波白野はマスターである”ことだけ。

 契約していたサーヴァントの顔も、喪われてしまっている。

 どんな戦いを繰り広げ、どんな相手を倒してきたのか。すべてが漠然としている。

 憶えているのはほんの少しだけ。

 先ほどまで、こことは違う校舎で“何も知らない一般生徒”として学生生活を送っていたこと。

 それが謎の闇に呑まれ、サーヴァントに襲われたこと。

 暗闇に落ちて、そのまま消える間際、バーサーカーに助けられたこと。

 それだけだった。

「ほとんど、忘れちゃった」

「……はい。乱暴に言ってしまうと、岸波さんは聖杯戦争の初期状態にリセットされているようなものなんです。脳波の停止も、その辺りの影響なのかも……」

 何気ないように装っているけれど、私、危篤だったみたいですね。

 普通ならここで感動のフィナーレ、スタッフロールとともに主題歌が流れるはずだ。

「あれ? という事は……」

 桜はふと、不安そうな表情になる。

「あの、岸波さん。私の名前、分かりますか?」

 おずおずと、上目遣いで桜は訊ねてきた。

 こちらが名前を覚えているのか、不安になったのだろう。

 もちろん、彼女の名前は――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フランシスコ・ザビ……!

「違いますよ」

 

 駄言即殺!?。

 正解でないにしても、こちらの考えを読んだ!?

 

「私、これでも健康管理AIですから。特に岸波さんのスキャニングはバッチリです。基本的にはクールな方ですけど、ふざける時とか空回りする時とか、大体空気で読み取れます。ですので、ここぞという時の不真面目さは自重してくださいね? 保健室の管理権限として、口に出来ないおしおきとか、ありますから」

 

 微笑みながらこの圧力……。

 なんという凄まじいプレッシャー。確かに、真剣な場でふざけるのは命に関わる。

 今のは桜からの厳重注意ということか。

 

「ごめんなさい、桜」

 

 改めて、ちゃんと覚えていることを伝える。

 それで話の流れは修正される。

 

「コホン、とにかく、急ぎ足でしたがご自分の手で状況を確認していただきました。今の私に出来る事はこれくらいです」

 

 そういって桜は部屋の隅へと移動していく。

 これまたレトロな黒電話の受話器を取ると、

 

「もしもし、こちら保健室です。岸波さんが目を覚ましました。精神、肉体、共に異常はありません」

 

 外線ということはあるまい。

 では内線でどこかに連絡しているのだろう。

 私の予想に答えるかたちで、校内放送が喋りはじめた。

 

『それは良かった。では、早速ですが此方に来ていただけるよう伝言をお願いします』

 

「あの……岸波さんは目覚めたばかりですし、いまはまだ挨拶だけで……」

 

『申し訳ありませんが、その余裕はありません。事態は一刻を争います。それに彼女なら――』

 

『こちらの指示など待たずとも、病床を抜け出していよう』

 

『……はい、そういう事です。僕の知っているハクノさんは、いつまでも大人しくしている性格ではありませんから』

 

『そーいうことなんで。早めに生徒会室に来てねー』

 

『ちょっと、さっきから貴女方は。なんど僕の台詞を――』

 

『リソースが惜しい。通信を切る』

 

『あ、兄さ』プツン。

 

 通信は突然切れた。

 いや、向こうから一方的に切られたのだろう。

 朗らかな少女と鋭い女性、陰気な男性の声の三人もいた。

 とにかく生徒会室に来い、との事らしいが……

「……えっと、放送の通り、です」

「あー……うん」

 まったく締まらない放送に、なんともいえない空気が包む。

「と、とにかく、行ってくるね」

「は、はい。生徒会室は二階に上がって左手側の教室です。それと、岸波さんのサーヴァントは右手側の教室で待機してもらっています。そちらでステータスの確認などもお願いします」

 バーサーカー……確か、フアナと名乗った黒衣の女性だ。

 落ちていく最中に少し会話しただけだが、狂っている様子は見えなかった。

 むしろ理性的で、気品すらあった。

「バーサーカーさん、私からお願いする前に『マスターを余計に混乱させてはいけないから』と仰って、そのままご自分から移られたんです。言い出せないままだったのが、なんだか申し訳なくって」

 桜も驚いたようだ。

 やはり一時的なものではない。

 バーサーカーは正気を保っている、これは事実だ。

 ともかく、生徒会室に行く前にバーサーカーのところに向かった方が良いだろう。

 向こうも心配してくれているだろうし、目覚めたことを報告しておかなければ。

 それにあの悪夢でのことも、お礼をしないと。

 ふと、左手の甲を見ると、そこにあるハズの令呪は消えていた。

 一画を代償にサーヴァントにあらゆる強権を発動する刻印にして、マスターである証。

 三画とも使い切って、今は掠れた残滓が残っているだけだった。

 令呪を失った時点で敗北となる聖杯戦争のルールに則るなら、私は敗北者のはず……。なのにどうして生きているのかは、やはりまったく分からない。

 けれどバーサーカーと契約していることは確かだ。

 マスター権の有無、それについては後でいい。

 早く彼女に会うためにも、二階右手の教室に向かおう。

「ねえ桜、バーサーカーっていつ部屋に来た?」

「えっと、それが……先輩の脳波が回復する直前なんです。それまでいなかったのに、いきなり私の真横に立っていて……」

 本当に驚いたのだろう。

 不意を突かれた記憶だけでも、冷や汗が出るほどだ。

「けれど、しばらく状況を説明したら、先ほどの通り二階の教室へ向かわれたんです。私も、目覚めた直後はなにかと混乱するから、席を外してもらおうと思っていたんですが……」

「……分かった」

 本当、に狂った英霊とは思えない。

 

 

 

 

 教室の扉をノックすると「どうぞ」と返ってきた。

 中に入ると、そこは茜色の木造空間だった。

 木造の机、木目のタイル、レトロな窓枠。

 未知のはずなのに、妙な懐かしさが胸を締め付ける。

 今の時代では経験しようのない旧い校舎の風景。

 その真ん中でバーサーカーが立っていた。

 祈りでも捧げていたのか、瞼を閉じてじっとしていたらしい。

 足音に気づき、目を開くだけでも様になっていた。

「桜様の診察は終わったようですね。であれば、心身とも健やかにあられるでしょう」

 喪服姿に、手脚を縛るような長く太い鎖。

 断ち切られているため拘束能力はない。

 だが、ほっそりとした身体に不釣り合いなそれは痛々しく映る。

 あの落下する星空で再会してから、わずかに数分。

 自分にとっては先ほどの事だが、彼女にとっては何時間も前のことかもしれない。

「うん、貴方のおかげでもある」

 言おうと決めていたとおり、この場でありがとうと伝える。

 バーサーカーもゆったりと一礼する。

「影に落ちる方を、放ってはおけませんでしたので」

「そっか。でも、おかげで私は生きてる」

 ちゃんと意識を持って話してみて、確信した。

 彼女は間違いなく――

 

 間違い、なく……

 

 ま、間違い……なく……

 

 とんでもないサーヴァントである。

 

 マスターとサーヴァントは一蓮托生。

 主人と従者という肩書きではあるけれど、互いに命を預け合う対等の関係だ。

 上下もなければ優劣もない。

 戦闘を代行し、魔力を供給するだけでないのが事実だ。

 どちらが欠けても聖杯戦争に参加出来ず、サーヴァントが敗北した場合、契約したマスターもまた参加権を失う。

 どちらかが消えれば片方も即消滅、というわけではないが……。

 サーヴァントはマスターが命を託す対象であり、マスターはサーヴァントが背中を預ける対象なのだ。

 それには互いの信頼関係こそ重要となる。

 なるのだが……。

 

 マスターに与えられた権限の一つ、契約したサーヴァントのマトリクス確認。

 いつどこであろうと認められた絶対権限は生きていた。

 なので、バーサーカーを視界に捉えると簡易のステータスが表示される。

 クラス、契約者、属性、パラメータ、そして各種のスキル――

 

 サーヴァントの基本パラメータを上昇させ、代価として魔力の消耗が増大、さらに理性を奪うクラス別能力の『狂化』スキル。

 狂女王と呼ばれるだけあって彼女のそれはA+++ランクと抜きん出て高い。

 そして保有スキルに、喋る狂戦士のタネがあった。

 

 一つは、生前に特定の宗教を強く信仰したことを示す『信仰の加護』

 信仰心によって肉体面が強化される反面、スキルランクが高すぎると人格が歪んでしまう。

 

 二つ目は、どのくらい精神面で錯乱状態にあるかを示す『精神汚染』

 これが高すぎると、魅了や恐怖をシャットアウトしやすい反面、狂気の度合いが深まる。

 

 三つ目は、死後の風評や創作で過去すらねじ曲げられた『無辜の怪物』

 護国の鬼将が残忍非道の怪物へ変貌する、そんなメリットと無縁の厄介なスキル。

 

 バーサーカーは、それがすべてA+ランクに達している。

 彼女は狂っているのではない。

 桁違いの狂気を別種の狂気で相殺しているだけだ。

 この危うい均衡が辛うじて保たれているから、フアナは落ち着いているように見えている。

「待ち人もいらっしゃることです。まずはそちらへ向かいましょう」

 すっとこちらに近づく。

 平静そのものなのが不思議なほどだ。

 それで彼女との契約を断つつもりもない。

 今は結んで間もないから、マスターとして相手を知る機会を待とう。

 まずは生徒会室へ向かう。

 他のマスターたちと合流すれば、新しい一面が見えてくるかも知れない。

 霊体化したバーサーカーといっしょに、2年A組みの教室を出る。




 ゲームでもノベルでも扱いに困る保有スキル三銃士。
 狂化EXのような『思考回路は固定されてるけど会話は可能』じゃなくて『バケモンにはバケモンをぶつけんだよ』という様式になります。

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