恋の駆け引き after OPENING   作:しおり@活字は飲み物

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《19》年越し

 

 

『肩を抱いたら、怒られるかな?』

 

 普段は将棋のことばかり考えている俺の、今の思考の大半を占めているのは、『そのこと』と『この後のこと』。

 

 腹に響く鐘の音が定期的に聞こえる中、俺と銀子ちゃんは今、真冬の深夜に屋外で長蛇の列に並んでいる。

 

 今日は大晦日。あと数十分で年が明ける。

 到着が遅れたから、除夜の鐘突きは諦めて、年を(また)いだ参拝ができる列に並んでいる。

 

 俺が約束を破ったせいで人混みの中、二人きりですぐ隣にいるのに大変気まずい状況である。

 神社で年越ししようと誘ったのに遅刻した挙句、実家まで迎えに行くはずが、神社の最寄り駅で待たせることになってしまったのだ。

 

 付き合い始めて約4ヶ月。最近は今までよりも頻繁に会って一緒に過ごす機会が増えて、油断していたのが敗因だと思う。

 後は、『この後のこと』に気を取られていたから…

 

 毎年年越しは銀子ちゃんは実家で、俺は清滝家で迎えて、元旦の昼頃に銀子ちゃんも清滝家に来て、桂香さんお手製のお雑煮を食べるのが恒例だった。

 去年はあいも一緒に清滝家で年越しをしたし、今年も清滝家に泊まっている。

 ただ、今回の年越しはどうしても『二人きり』で迎えたかったから、夜遅くなってから待ち合わせて、この神社へ来たんだけど…

 

「は、はくしょん!!」

「何よ。コートの下、薄着じゃない」

「風呂ん中で、いい感触の手を思いついちゃって、気づいたら待ち合わせの時間過ぎてて、慌てて着替えて出てきたら厚着するの忘れてた…」

「また?しょうがないわね…」

 

 とっさにそれらしい嘘を言うと、銀子ちゃんはため息をつきながらも、赤くて長いマフラーを途中まで解いて、俺の首にも巻き付けてくれた。今まで銀子ちゃんに触れていたマフラーは、それ自体がほんのり温かかった。

 急に手に入れた温もりは、逆に全身の寒さを思い出させた。

 

「ふぅ…」

 

 無意識に出たため息が白い息になって、俺と銀子ちゃんの間の空間に浮かんで、幻の様に消えた。

 

 少し列が進んだから、半歩先にいる銀子ちゃんの歩調に合わせて、付かず離れず進む。お互いを繋ぐマフラーが引っ張られて苦しくならないように、今までより近い位置を保ちながら。

 普段だったら、手を繋ぐなり、肩を抱き寄せるなりすることなんて、訳ないくらい『恋人らしいこと』には慣れてきたつもりだけど、なんだか今日は出だしで(つまず)いてしまったから、気後れしてしまう…

 

 肩を抱いたら、怒られるかな?

 マフラー貸してくれるくらいだから、もうそんなに怒ってないと思うけど…

 でも今、拒否られたら『これから』をどうすればいいか分からなくなるし…

 でも、触りたい…

 

 結果的に俺は、銀子ちゃんの真後ろに立って、右手を彼女の肩から10センチ位離れた空中でウロウロさせながら、今日何度目かの無意識の長考に入っていた…

 

 

*****************

 

 

 今日はどうして触ってこないんだろう?

 最近は私が恥ずかしくなるくらい、人前でも手を繋いだり、肩を抱いたり、腰に手を回したり、ベタベタしてくるのに。

 遅刻してきたこと、注意はしたけど、別にそんなに怒ってないのに…

 いつもだったら、こういう待ち時間は目隠し将棋して待ってたらあっという間なのに、今日はなんだか提案しづらい雰囲気…

 

 付き合い始めて約4か月。私達が付き合い出したことは、あっと言う間に将棋界だけじゃなくマスコミにまで知れ渡り、最初の頃は連日、記者やリポーターに追いかけ回されて、二人きりで会うことさえ、ままならなかった。

 でも、報道も落ち着いた今となっては、逆に知れ渡っていて地元では二人で歩くのもコソコソせずに済むようになったから、まぁ良しとしよう。

 

 それにしても、今年は激動の一年だった。四段昇段もそうだけど、八一が私のか、かれち…彼氏になるなんて…

 しかも八一から『大晦日の夜中に待ち合わせて、神社で年越しをしよう』なんて、恋人らしいイベントに誘ってくれるようになるなんて、半年前なら想像もつかなかった。

 

 恋人らしいイベントと言えばクリスマスだけど、竜王防衛戦は例年12月後半までかかるから、それどころじゃないし、元々期待してなかった。でも、竜王戦が終わったら何かしらプレゼントをくれるのかと思ってたのに…

 だって、竜王戦が始まる前に急にデパートのアクセサリー売場に連れて行かれて、ネックレスやらイヤリングやら指輪やらをたくさん試着させられたんだもん…

 あの時も今日と同じ感じで自分から誘ってきた割には、上の空だったな…

 

 結局、今も着けてる小さいダイヤがついたシンプルなネックレスを買ってもらった。私にとっても大事な物だけど、八一にとってはすごく思い入れのある物らしい。

 だって、貰ってから会う時は必ず着けるようにしてたんだけど、一度着け忘れて、その…シてる最中に気付かれちゃったら、ものすごく不機嫌になって、お、お仕置きされちゃったから…

 

 でも、せっかく貰うなら指輪にしておけばよかった。最近なぜか東京の若手プロ棋士から食事のお誘い受けることがよくあって、断るのが面倒だから。指輪をしてれば男よけになるかなって思うし。

 

 一緒にいるのに八一はまた上の空。

 マフラーも巻いてあげたし、遅刻されたこっちからの譲歩は十分してあげてるつもりなのに。

 時々私がスマホの画面を自撮りモードにして、後ろにいる八一の顔や右手の位置を見てるのに気づきもしない…

 

 もう5分くらい、肩を抱こうかやめようかとうだうだしてる。

 早くいつもみたいに触ればいいのに。

 ばかやいち。

 クズ……

 

 そんな悪態を心の中で呟いていたら、私達とは逆方向に進む、参拝を終えた人達の列に酔っ払いがいたらしい。千鳥足(ちどりあし)のそのオヤジは、ふらふらと私達が並んでいる列の方に急に傾いてきたから、私は反射的に身を強張らせて、のけ反ってしまった。

 

「「!!」」

 

 ぽすっと背中が真後ろにいる八一に当たる感触を感じると同時に、酔っ払いから庇うように、ずっとすぐそばにあった八一の右手が、私の肩をいつもより力を込めて抱き寄せた。

 たまにはいい仕事するじゃない、酔っ払い。ほんとにたまにだけど。

 私は斜め後ろを見上げて、後頭部を八一の肩に押し当てた。

 

「ありがと」

「うん」

 

 八一もいつもの調子を取り戻したのか、柔らかく微笑むと私のおでこにキスを一つ落とした。

 

 

*****************

 

 

 無事年を越す前に、参拝を終えることができた。銀子ちゃんの手を引いて帰宅する人の列を離れて、事前に下調べをしておいた人通りの少ない場所に移動して、今年が終わるのを待つ。

 

 定跡から言えば、もっと前、具体的に言えば1週間前くらいに行っておくイベントだろうけど、その頃は竜王防衛戦にかかりっきりになることは前々から予想ができてたから、仕方がない。

 

 あと、こういった高価な物を手に入れるのに、こんなに時間がかかるとは思わなかった。でも、将棋盤も高ければ高い程、完成まで年数かかるし、そういうものなのかもしれない。

 それにしても、経験者に早めに相談しておいて正解だった。向こうはただニュースを見て、からかいたくて連絡してきたんだろうけど。

 こればっかりは、いつも相談に乗ってもらっている桂香さんや供御飯さんに聞くわけにはいかないから…

 

 銀子ちゃんが史上初の女性プロ棋士になって少ししたら、色々あってマスコミに俺達が付き合っていることを嗅ぎ付けられた。すったもんだ紆余曲折あって、最終的には『結婚を前提にしたお付き合い、結婚するのは銀子ちゃんが高校を卒業した後』ということで対外的にも話がまとまった。

 結果として、両者の同意は十分取れているんだが、普通その前にするであろう『プロポーズ』というイベントをすっ飛ばしたまま、竜王戦が始まってしまい今に至るわけだ。

 さすがに俺だってこのままじゃいけないとは思っていたから、プロ棋士と結婚している女流棋士、花立さんから連絡があった時相談してみたんだけど…

 

 この業界の女性への高価な贈り物なんて、将棋盤以外だったら基本は振袖なんだろうと思って、花立さんに聞いてみたら電話口で小一時間正座で説教されるくらい怒られた。

 曰く、なんで将棋界の男は常識がないのか、普通とか一般的とかオーソドックスとかを知らないのか、さらにはタイトルホルダーとして和服を着る機会が多いくせに、和服の知識が足らなすぎると…

 返す言葉もございません…

 だって知らなかったんだから。

 振袖は『未婚女性』しか着られない着物だなんて…

 そりゃ、結婚を考えてる相手からプロポーズのタイミングでそんなものだけ贈られたら、

「ボク、君をキープしてるけど、結婚はしないヨ!」

って言ってるようなもんだよな。

 

 花立さんの旦那さんも同じ過ちを犯したらしい…結局、もらった振袖は結納の時に着たし、袖を短くして既婚者でも着られるようリメイクをしたそうだけど。

 あとは、俺の場合は実際に結婚するまで時間があるし、使う機会もあるだろうから、それはそれとして相談したけど。

 

 当然だが、花立さんは改めて普通で一般的でオーソドックスな婚約指輪を買ってもらったそうだ。

 指輪をサプライズで贈るには、まずサイズを自然と聞き出す必要があり、花立さんのアドバイスで、デパートで適当なアクセサリーを物色しつつ、指輪のサイズを確認した。

 その時プレゼントしたネックレスを銀子ちゃんは俺と会う時いつも着けてきてくれてるんだけど、そういえば一度だけ着け忘れて来た時があった。

 

 その時は竜王戦の途中で気が立っていたのと、東京の若手プロ棋士の中で銀子ちゃんを食事に誘って断られるかどうかを賭けてるという噂を聞いてしまった直後だったから…

 やっぱり安物でも指輪にしておけばよかったという後悔と他の男への嫉妬と謝る銀子ちゃんの態度が俺の平常心をかき乱して…

 お仕置きと称して、普段させないことを無理強いしてしまった…今までシた中で一番燃えたし、銀子ちゃんも感じてくれてたと思うけど、やり過ぎた感は否めない。でも、機会があれば、またシてみたい気もする…

 

 そんなこんなで、なるべく早く渡したいとは思ったけど、基本的にそういう透明な石のついた錆びない銀色の指輪はセミオーダーメイドと言うヤツらしい。

 だから、お店に行った当日買って持って帰れるようなものではなく、デザインやら石の大きさやら内側に文字を入れるのなんのって、購入までにも竜王戦の合間を縫って何度もお店に足を運ぶ必要があった。ようやく注文できてからも、手元に届くまで1ヶ月位はかかった。

 結果、クリスマスも竜王戦も通り越して、このタイミングになったわけなんだが……

 

 ゴーン……

 

 108回目の鐘の音が響いて、激動の一年が終わり、また新たな一年が始まった。

 

「あけましておめでとう」

「うん。今年もよろしく」

 

 歩夢なら、赤い薔薇の花束でも添えて、嬉々として(ひざまず)くんだろうけど、ここは神社で、俺は日本人。そんなこっぱずかしいことはできない…でも、跪くくらいはした方がいいのかな…

 

 おもむろに銀子ちゃんが巻いてくれた赤いマフラーを外して、ポケットに入れていた正方形の臙脂(えんじ)色の箱を銀子ちゃんに差し出す。

 

「銀子ちゃん、これ…遅くなったけど…」

「なに?」

「まぁ、クリスマスプレゼント…みたいなもの…かな?」

 

 箱を開けて、息を飲む銀子ちゃん。

 開かれた箱から指輪を取り出して、銀子ちゃんの左手を手に取る。

 用意していた言葉を口に出そうと思ったら、一瞬早く銀子ちゃんに先手をとられた。

 

「か、片膝ついて…」

「え?」

「片膝ついて、指輪はめて!」

「こ、ここ、神社だよ!?」

「こ、この場所選んだのは八一でしょ!?」

「そ、そうだけど…」

 

 恥ずかしいけど、お姫さまのご要望だから仕方ない…

 銀子ちゃんの左手を取ったまま、その場で片膝をついて彼女を見上げる。

 神社の篝火(かがりび)に照らされた銀子ちゃんの美しい顔は、今まで10年以上見てきた中で一番、幻想的に(きら)めいていた。

 思わず見惚れて、言葉が出ない。

 

「な、何か言ってよ」

「な、何かって…」

「こ、このシチュエーションで言うことなんて、決まってるでしょ!?ばか!」

「わ、分かってるよ!きれいだから見惚ちゃってただけだし!」

「っ!?」

 

 俺は呼吸を整え、覚悟を決めると用意していた言葉を口に出した。

 

「……空、銀子さん…高校を卒業したら…俺と結婚して下さい」

「はい……お願いします」

 

 俺がはめた指輪は、元からそこにあったかのように、ピタリと彼女の細い左手の薬指に収まった。

 左手を目の前にかざして指輪を見つめていた銀子ちゃんが、ハッとしたのが分かった。

 

「こ、これって、前行ったデパートでお店の外に展示されてた指輪じゃない!?」

 

 そう、俺が花立さんにアドバイスをもらうために、トイレに行くと嘘をついて離れていた時、通路で待っていた彼女がたまたま眺めていた高級ブランド店の外のショーウィンドウに飾られていた指輪。それをそのまま婚約指輪にした。

 

「うん、だってこれきれいって言ってたし、こういう石だけ出っ張ってない方が好きって言ってたから。いや〜どのデザインがいいか分かってほんと助かったよ」

「な、眺めてただけなのに!?た、高かったんじゃないの…?」

「そんなでもないよ。そういえば、店員さんに予算の目安は給料1ヶ月分位って言われたから年収の12分の1位を言ったら、なんでか奥の部屋に通されちゃったよ。うっかりシャンパン飲まされそうになるし、迫力ある男性店員がゴテゴテしたもっと高い指輪勧めてきてさ。銀子ちゃんの細い指には似合わないと思ったから断って、最初の店員さんに戻してもらったけど。やっぱり、慣れない高級品店は緊張したよ〜」

「……いいカモだと思われたのね…」

「ん??そういえば、店員さんが、彼女さんに結婚指輪もよろしくって言ってた」

「……分かった」

「そうだ。あと、四段昇段のお祝いも兼ねて、振袖仕立ててるから。いつも使ってる呉服屋さんが、今度採寸に来て欲しいって」

「振袖も!?」

「師匠からも貰うだろうけど、俺との公式戦で着てほしいから。あ、一応結婚したら袖を短くして使えるようにもしてもらってあるから」

「プ、プレッシャーかけないでよ…」

「負けず嫌いな銀子ちゃんには、これくらいのプレッシャーがあった方が張り合いがあるでしょ?待ってるから…」

「分かってるわよ。もう……ばか…♡」

 

 俺が贈った銀色の指輪を着けた、銀子ちゃんの左手を握り締めながら帰宅を促す。

 

「さてと。寒いし、帰ろうか」

「同歩……7六歩」

「!……8四歩」

「2六歩……」

 

 今日からまた、今までと同じようで、少し違った新しい一年が始まる……

 

 

 

 

fin.




せっかく調べたので一応、設定紹介…
・初詣の神社:大阪、四天王寺
私はまだ行ったことがありませんが、有名な初詣スポットとのこと。

・婚約指輪:カル○ィエのバレリーナ ソリテール リング
まあ、100万は超えます。

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