恋の駆け引き after OPENING 作:しおり@活字は飲み物
秋の気配を感じるある日の午前、私は今、付き合い始めたばかりの彼氏が部屋に来るのを待っている。
三段リーグが終わり、イベントやら取材やらがやっと落ち着いてきたから、今日は久しぶりに私の研究部屋で八一と研究会をする予定。
一度は取り上げた合い鍵もその約束をした時に、もう一度渡した。急に来ない、来る時は事前に連絡するという条件付きで。
封じ手を開いて大分経つけど、事前に約束をして研究部屋で会うのは今日が初めて。こ、これが初のおうちデート…になるのかな?
やっと名実共にデートができるようになったんだから、遊びに行きたい場所ややりたいことはたくさんある。でも、連日の報道で今まで以上に世間からの注目を浴びている『浪速の白雪姫』が街中を不用意に歩くのはデートでなくても非常に危険。八一のアパートは未だに小童の占領下に置かれているし、近場で落ち着いてデートできるのは今のところ私の研究部屋くらいしかない。
『初めてのおうちデート』と言っても、メインはタイトル戦に向けた研究会。
帝位戦が近づいている今、八一は本当だったら将棋の研究に集中しなければいけない時期に入っている。普段なら過保護なくらいに面倒を見ている弟子の引率すら桂香さんに頼むほどだ。
そんな重要な時期なのに、プロになったばかりの私と研究会をしたいと言ってもらえて、その場では素っ気なくしちゃったけど、本当は涙が出そうなくらい嬉しかった。私に差し出せるものなんて奨励会での最新研究くらいなものだけど、少しでも八一の役に立ちたいと思う。
でも、やっぱり恋人らしいことも少しはしたい。あの鈍感で唐変木の将棋バカは、放って置いたら普通に将棋の研究だけして誰もいないアパートにさっさと帰りかねない。少しでも長く一緒にいられるように、研究会の邪魔にならない程度に今までとの違いをアピールしないといけない。
その為に、今日はとっておきの研究手を用意した。すごく恥ずかしいけど、がんばるつもり。
あ、あと、せっかくの機会だから、キスの一つや二つやもう少し先まで…できたらいいなとは思う。
そういえば、キスの少し先って何するんだろう?
ディ、ディープキス?? それもキスか。
それより先ってなに?
ともかく、今日の作戦は先手必勝、研究手で序盤の主導権を握って、そのまま長期戦に持ち込みたい。
それと、いざと言う時の為に一応、明日も小童の邪魔が入らない日程を指定しておいた。い、いちおうだもん。
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ピンポーン!
もうすぐ着くと連絡があったから、インターフォンを鳴らした人は決まってる。パタパタと廊下を進んで玄関に向かった。
玄関にはすぐ着いたけど、そのまますぐにはドアノブに手をかけられない。ドアを開けるだけなのにすごく緊張する。深呼吸を一つしてからドアを開けた。
ガチャ
ドアを開けると待ち人が立っていた。
「どう………も?」
「うん」
『いらっしゃい♡』とかかわいく言えればいいんだけど、本人を目の前にするとどうしても言葉足らずになる。次回以降の課題にしよう。
早く二人っきりになりたくて、ドアを押さえた八一を置いて踵を返して廊下を戻る。
けど、いつまで経ってもドアが閉まる音がしない。
どうしたんだろう?
振り返って八一を見ると、ドアを押さえたまま、ぽかんと口を開いてこっちを見てる。
「なに?」
「い、いえ」
「入って。早く」
「お、お邪魔します…」
ギクシャクと玄関で靴を脱いで、のろのろ廊下を歩いてくる八一は、部屋に入っても私の方を見ない様にしてる。なんでだろう…
渾身の研究手が刺さらなかったんだろうか。
「八一、さっきからどうしたのよ?」
「そ、そういう服、初めてみるなと思って…」
今日の服装はフードの紐の先にポンポンがついたパーカー、パーカーの裾から少ししか見えない丈の短いショートパンツ、膝上まであるニーソックス。三つともホワイトのふわふわモコモコした肌触りのいいルームウェア。
今日の研究手だ。
一応、研究手に反応は示してくれた。素直に褒めてくれれば、肌触りいいんだよって触らせてあげなくもなかったけど。
仕方ない、プランBでいこう。
ふわモコなパーカーの裾を引っ張りながらこう言ってみる。
「ファッション雑誌の対談取材受けたらくれた。ルームウェアで有名なブランドの最新作なんだって。肌触りいいから部屋着にしてる。……似合わない?なら着替え…」
「めっちゃ似合ってる!かわいすぎて目のやり場に困ってるだけ!!」
「ふーん……」
よし、刺さってた。
恥ずかしいけどがんばった甲斐はあった。おかげで真っ赤になって素直な感想を捲し立てる珍しい八一が見られた。
先手は取れたし、研究手が刺さって序盤は優勢。
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ファッション雑誌の対談取材なんて普通なら絶対受けない。今回は親会社が棋戦のスポンサーで断りづらくて、桂香さんにお勧めされて読んだことある雑誌だったから仕方なくOKした。
でも、対談相手も編集者も数分話せば私のこと、将棋のことをきちんと事前に調べてきてくれたことが分かった。ここ最近取材やインタビューを受けまくってたせいで、いい仕事をするかどうかは大体分かるようになってたから。
対談相手はハイティーン向けのファッション雑誌で人生相談的なコラムを書いている人。「高飛車」とか「先手必勝」とか将棋から生まれた慣用句を、普段の生活や恋愛に絡めて話すと言う企画で、将棋のことを話していればよかったから初対面の人でも比較的楽に話せた。前に研究会が恋愛に似てるなって思ったことを話したらなんだか盛り上がってくれた。
将棋と恋愛なんてかけ離れた物だと思っていたけど、恋の駆け引きなんかに案外応用できそうな気がした。
モデルをしないかと言うお誘いは丁重にお断りしたけど、こんな対談ならまたやってもいいかも。
カメラマンの到着が遅れて、待たせて申し訳ないからと倉庫の様な部屋で好きなものをあげると言われた。発売前の商品なんかが販促のためにたくさん送られてくるらしい。スタイリストもすると言う編集者がどんどん私に似合いそうな服を持ってきてくれて、今日着てるルームウェアもその時もらったものだ。取材ばかりで大変だろうけど、お家の中でくらいはリラックスしてねと。
貰った服は原稿と一緒に自宅に送ってもらい、対談相手が出版した中高生の人生相談コラムをまとめた本だけ持ち帰って、帰りの電車で読んでみた。
そしたら、私が今八一との関係で悩んでるようなことに、さっきの対談相手が答えてる!
熟読しすぎて電車を降り過ごした。
例えば…
Q 部活の後輩と付き合うことになりました。二人の時も、先輩モードが抜けず、素直に甘えられません…(ミサ・17才)
A 二人の関係が今のままで心地いいならいいけど、ミサさんは変えたいのよね? じゃあ、二人の時だけ彼を年上だと思って接してみたら? 自分も甘えやすくなるだろうし、メリハリがついて彼も喜ぶかもね。
確かに、あいつは何だかんだ言って要領いいから『姉弟子』と『銀子ちゃん』を上手いこと使い分けてるのよね。じゃ、じゃあ私も『八一』と『やいち』を使い分ければいいの?でも、ど、どうやって!?
Q がんばっておしゃれしても彼が全然褒めてくれません。他の子にはかわいいとか簡単にいうのに…(なお・16才)
A 男心的に好きだから言えないのかな?「似合う? 似合わない?」とかYESかNOで答えられる質問するといいわ。後は、会ったら毎回聞くこと! 習慣化させれば自分から言ってくれるようになるわよ。
そういえば、八一のお母さんも『好きな子のことは隠したがる』って言ってたっけ。確かに唐突に「どう?」とか聞くよりも「似合う?」って聞く方がハードル低いかも…毎回聞くのは恥ずかしいな…
絶対できないけど、私も質問してみたい…多分こんな感じになる。
Q 彼が自宅にJSを住まわせてて彼宅デート出来ません…(銀子・16才)
A ロリコン!? 別れなさい!!
こうなるよね……
何にせよ、今日は可能な限りアドバイス通りに年上の『やいち』に素直な気持ちを伝えてみようと思う。
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気を取り直したように、八一は持ってきたビニール袋を床に置いた。
「お昼に食べれる様に寿司買ってきましたよ。とりあえず飲み物も」
「ありがと。気が利くじゃない」
お寿司。最初にこの部屋に連れて来た時一緒に食べたな。でもその後当分会えなくても大丈夫って言われたんだっけ…
「それにしても未だに何もないんですね」
「三段リーグ終わってからは取材やイベントばっかりでこの部屋にも全然来れてなかったから…」
今日の約束をしてからも忙しくて何も準備できなかった。
八一が最初に来た時から、この部屋に新しく導入された家具なんて、押し入れに入ってる夏休みに泊まれるように買った安物の布団一式位だろうか。すごく薄っぺらいから、寝て起きると背中が痛くなる。夏の間はそれでもよかったけど、もうすぐ寒くなるから追加するなり、買い直すなり考えなきゃ。
「確かに連日テレビに出まくりですもんね。毎日見てるから久しぶりな感じがしないくらいですよ」
また、『しばらく会えてなくても全然平気』みたいなことをあっけらかんと言われて噛み付きたくなるけど、それじゃ今までと同じ。
素直な気持ちを必死で絞り出す。
「……ずるい。私はやいちに会えなくて…その……寂しかったのに……」
いくら素直になろうとしてたって、寂しかったから抱きしめて欲しいなんて、そんなこと言えない…まだ…。でも少しでも繋がっていたくて八一のシャツの裾を摘んでみる。
「いや、俺だって寂しくなかった訳じゃないよ?だからこの時期だけど研究会しようって誘った部分もあるわけだし…」
「それは、分かってるけど…」
会えないのを寂しいと思ってほしい。でも会いたかったから研究会するんじゃ八一の役に立てない。それはそれで悔しい。欲張りなのは分かってるけど…
しんみりした雰囲気を振り払うように、八一は話を戻した。
「な、何にしても、将棋に集中する為にも冷蔵庫位あった方がいいんじゃない?食べ物は出前で済むかもしれないけど、飲み物一々買いに行くの面倒でしょ」
「確かにそうね」
「これからここで一緒に研究会するなら俺も使うことになるし、必要そうな物買ってあげるから」
私と継続的に研究会をしようと考えてくれてることが分かって、少し気分が軽くなる。
「さすが金持ち。気前がいいわね?」
「いや、15でマンション買ったやつに言われたくねーし」
「せっかくだから、高〜い家具とか買ってもらおうかしら?」
冗談を言ったつもりだったのに、八一は至極真面目そうな顔して、唐突に角を成り込んできた。
「ここは将棋の研究部屋でしょ?ちゃんとした家具買うなら住む場所決まってからでいいんじゃない?ここのは長時間研究しても体の負担にならない程度の必要最低限のものがあれば」
「へ!?す、住む場所って……」
二人の新居ってこと!?こいつそんなことまでもう既定路線で考えてるの!?し、しかも、『家決まったらちゃんとした家具買おう』って、下手したらプロ、プロポーズしてるようなものなのに……
そもそもまだ未成年だってこともあるけど、女はともかく、酒もタバコも博打も興味のない将棋バカのお金の使い所なんて将棋盤位しかない。
私がこの研究部屋を買えたくらいなんだから、八一の有り余る貯金を考えればファミリータイプのマンションでも、一戸建てでもポンと買えてしまうだろう。八一の中では『いつでもできるけど、まだしてない』位の感覚なのかもしれないけど…
思っていたよりも二人のことを現実的に考えてくれているのが分かって、嬉しいけど恥ずかしい。体温が上がって頬が真っ赤になっていくのがわかる。
そんな爆弾発言にも受け取れることを言っておきながら平然としてるところを見ると自分がプロポーズもどきをしたってことは自覚してなさそう。
バカやいち……
私は弱々しくこう呟くしかなかった。
「気が早いわよ………まだ……」
「でもなぁ〜今姉弟子と家具屋とか家電量販店なんか行ったら即バレするだろうしなぁ……とりあえず冷蔵庫だけでもネットで注文するか〜」
そんなことを呟く八一の声を聞きながら、買ってきて貰った飲み物をビニール袋から取り出していたら、喋っていた八一が急に静かになった。
ふと見ると、いつの間にか八一が床に置いてあった私のタブレットの画面を凝視している。
タブレットのロック画面を。
ロック画面。
画面。
ん?
『八一が、タブレットの画面の八一を見てる???』
見られた?
見られた!?
見られた!!!
「キャーーーーーー!!!!」
悲鳴を上げながら速攻でタブレットを引ったくった。
やだやだやだ!!
恥ずかしくて頓死しちゃうぅぅ!!!!
パニックになりながらも、苦し紛れにとっさに思いついた言い訳を並べ立てる。
「こ、これは!! その……将棋!将棋が強くなるジンクスで!!」
タブレットを抱き抱えながら必死で言ってみたけど、自分で言ってても説得力がない。
「俺の写真が??」
当然だけど、冷静に突っ込まれたら反論できない!
「な、なんでもない! 忘れろっ!!」
「忘れろって言われましても…」
なんで変更しておかないの!
私のバカバカバカ!!
己を罵りながら、あたふたとタブレットの設定の変更を終えて、恐る恐る八一の様子を伺ってみたら……
『分かってますよ。俺のこと好きなんでしょ?』って考えてる顔をしてこっちを見てる。
私はもう、こう叫ぶしかなかった。
「に、にやにやするな〜!!」
*****************
せっかく築いた序盤のリードはまさかの悪手で脆くも崩れ去り、あっという間に劣勢立たされてしまった。しかもまだそのショックから回復できてない。
「とりあえず、研究始めましょうか」
「そ、そうね」
主導権を取り返して余裕そうな八一は私に向かって両手を広げて、にっこり笑って言った。
「はい、どうぞ」
久しぶりに見た大好きな笑顔にドキドキして、一瞬何を言われているのか分からなかった。
「な、なによ?」
「何ってここで研究会やる時は俺を椅子にするんでしょ? 早く座ってよ」
「っ!! 〜〜〜うう〜!!」
しまった!
やられた!!
自分で言い出したことだから反論できない!
私、このカッコでやいちの膝の上に乗りにいくの?
自分から??
恥ずかしすぎる!!
しかも密着して研究会なんて集中出来ないじゃない! そりゃ前の時は夏で半袖短パンだったけど、今とは全然状況が違うぅぅ〜〜!!
私はしばらく逡巡したけど、覚悟を決めてタブレットを抱えたまま、八一の膝にストンと腰を下ろした。でも前みたいにもたれかかったりするのは恥ずかしい…だって自分から密着させにいくみたいで負けてる気がする。
それでもバランスよく座れる体勢を探っていたら…
後ろからお腹の辺りを両手で抱きしめられた。
「ひゃっ!」
八一に包まれてるドキドキと安心感。でも前より遠慮がなくなって一体感が増した気がするし、顔も近くにある。
ルームウェアの肌触りがいいのか、お腹の辺りを優しく撫でられてムズムズする。
八一は調子に乗って、さらにぎゅっと力を入れてきた。
「ちょっと!」
嬉しいけど、恥ずかしい!
なのに、八一は余裕そうにこう曰う。
「胸には触ってないでしょ?」
そう言う問題じゃない!
「で、でも、触りすぎ!」
「これくらいいいでしょ?」
『彼氏なんだから』と言外に言われた気がして、それはそうなんだろうけど、まだ心の準備が出来てない。
「だ、ダメったらダメ〜〜!!」
私はジタバタしながら八一の手を振り払おうと手を伸ばした。手と手が触れ合った瞬間、八一の体が静電気が起きたみたいに震えて、バッと抱きしめていた手を離した。
恥ずかしかったからダメって言ったけど、本当にやめて欲しかったわけじゃないのに。
何だかよくわからないけど、嫌がり過ぎた?
また、私がやいちのこと嫌いだって勘違いさせちゃった?
すごく不安になる…
「ほ、ほら前回はこの辺りまでやったから、とりあえずその続きから始めましょ!」
八一が、から元気みたいに明るい声でそう言うので、私も頷くしかなかった。
「う、うん」
この後は二人とも無理やり意識を切り換えて、将棋の研究に集中した。
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「ふぅ〜。大分進みましたね。こんな時間か」
「お腹すいた」
「はいはい。寿司食べますか」
「うん」
さっきの椅子の流れから八一が前みたいに二人羽織で寿司を食べさせようとしているのは容易に推測できた。
これ以上調子に乗らせてはいけない。主導権を奪い返そうと、私が命令して食べさせてる感をアピールする為、しなくてもいいネタの指定をしてみる。
「マグロ」
「分かってますよ。その次はサーモンでしょ」
ちょっとムッとしたみたい。言わなくったって八一は私の好きな物を覚えてくれてる。長年の教育の賜物だ。
「はい、あーん♡」
案の定、八一は右手でマグロの握り寿司の真ん中辺りを摘んで私の口の前まで持ってきた。
そこで私ははたと我に返ってしまった。
右手。
みぎてだ。
やいちのみぎて。
ほんもののやいちのみぎて。
『本物の八一の右手が目の前にある』
ちょっと待って!
むりむりむり!!
なんで前は平気だったのか分かんないけど、気づいちゃったんだから無理なものは無理!!!
でも、もう止めようがない。ほんとに目の前まで右手が迫ってきて、耐えられなくて私はギュッと目を閉じてしまった。前は口を開けて待っていれば、八一がお寿司を口に放り込んでくれたし、お寿司が入ってきたら口を閉じればいいはず!
「あ………む??」
お寿司が入ってきた感触を感じたから、落とさない様にと少し前のめりになって口を閉じた。
でも、なぜかお寿司以外のものも口の中に入ってきた。
「??」
閉じていた目を開けてみると、視界の下にまだ八一の手がある。
なんで??
え???
お寿司と一緒に指までくわえちゃったの!?歯には当たってないけど口内に八一の指があるのが分かる。
八一が慌てたように指を口から引き抜こうとしたけど、口の中で何かが動く感触にびっくりして、反射的に口を閉じてしまった。そのせいで…
チュッ
「「っっ!!」」
唇をすり抜ける感触と共にキスした時みたいな音が出てしまって……
二人揃って悶絶した。詰むとか詰まないとかとは別次元の問題。恥ずかしくて頓死するレベル。
口の中に残ったお寿司をもぐもぐするけど、味なんて一切分かるわけない。
*****************
プロにあるまじき初歩的ミス。盤面の優劣が判断つかない混沌状態に陥ってしまった。
この状況は今の私たちには刺激が強すぎた…だけど、恥ずかしいから自分で食べるとは言い出せなくて、お互い前回よりなるべく触れ合わない様に注意しながら、研究そっちのけで黙々と食べ進めることに……
そんな感じで、お互い遠慮しあってたら、いつかはこうなるよね。
「「あっ」」
食べかけの鉄火巻きを落とした。
幸いタブレットの上にもショートパンツの上にも落ちなかったんだけど、私的には最低最悪の場所に落ちた。つまり私の太ももと太ももの間…
しかも八一はどこに落ちたか確認しようとしたのか、私の肩越しに足元を覗きこんできたから顔がすごく近くにある。左耳に八一の髪の毛が触れて、くすぐったい!!
ショートパンツにニーハイなんてふわモコしてる割には攻めた格好をしたことを死ぬほど後悔した。
ふ、太ももをじっと見るのやめて〜〜!!
八一はなんでかじっと動かず固まってる。もう恥ずかしくて我慢出来ないから自分で取って食べるしかない。
「ち、ちょっと、ちゃんと口に入れてよ」
前と同じ様なことを言ってみたけど、また食べさせてもらうなんて、むりむりむり。もうお腹いっぱいでなんにも食べられない。
むしろ、今度は私が食べさせる番になろう。向き合って食べればこれ以上事故は起きないだろうし。「あ〜ん♡」をしてあげればきっと主導権も取り返せるし…
「八一、今度は私が…」
そう思って八一の方にくるっと振り返ったんだけど、思った以上に八一の顔が近くにあったみたいで、私の頬に八一の唇が当たってしまった。突然飛び込んできた少し温かい乾いた皮膚の感触。
そういえば、まだほっぺちゅーはしたことなかったな〜と場違いな感想が頭の片隅を横切るけど、それ以外のことは何一つ考えられない。びっくりし過ぎて固まってしまった。
「銀子ちゃん………参りました」
八一がその唇を私の頬に触れさせたまま、いつもより低い声でそう囁いたけど、何を言われているのか分からず私はマヌケな返事をしてしまった。
「へ?」
『参りました』って言われても、今は将棋を指していた訳ではないし、それ以外で明確な勝負をしていた訳でもない。
何を言っているのか聞き返そうとした時には、気づいたら八一の右腕が私の肩を掴んで彼と向かい合わせになるように抱き寄せていて。
いつの間にか八一の左腕が私の膝裏を攫って彼の方へ引き寄せていて。
瞬きしている間にぎゅっと抱きしめられて唇を覆われていた。
何がどうしてこうなったのか。
全く分からないけど、私は勝負に勝って想像以上の戦果を挙げた。らしい。
とりあえず、キスの少し先に何があるのかは、分かった。
翌朝私は、男物のルームウェアとセミダブルのベッド用寝具を注文した。
次回は「キスの少し先」です。