恋の駆け引き after OPENING   作:しおり@活字は飲み物

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《3》感想戦 in 801号室【前半戦】

「銀子ちゃん………参りました」

 

 八一がその唇を私の頬に触れさせたまま、いつもより低い声でそう囁いたけど、何を言われているのか分からず私はマヌケな返事をしてしまった。

 

「へ?」

 

 『参りました』って言われても、今は将棋を指していた訳ではないし、それ以外で明確な勝負をしていた訳でもない。

 何を言っているのか聞き返そうとした時には、気づいたら八一の右腕が私の肩を掴んで彼と向かい合わせになるように抱き寄せていて。

 いつの間にか八一の左腕が私の膝裏を攫って彼の方へ引き寄せていて。

 瞬きしている間にぎゅっと抱きしめられて唇を覆われていた。

 

 

 え?

 え?

 八一の顔が目の前にある。

 八一の唇が私の唇に覆いかぶさるようにぴったり塞いでいて、体は八一の腕の中に閉じ込められてる??

 

 なんで??

 どうして??

 

 混乱状態のまま固まっていると、目の前にいる八一の目がふと開いて、ものすごい至近距離で見つめ合った。

 八一はまるで、腕の中にいる恋人に笑いかけてるみたいに優しく目を細めたけど…

 この目に似てるの、昔見たことがある…三段に昇段した頃の死にものぐるいで四段(プロ)を目指してた、狼みたいな…

 その瞬間、雷に打たれたみたいに自分が白雪姫なんかじゃなくて赤ずきんだったことを悟った。自ら狼を家に招いた赤ずきんなのだと。

 だって、八一の目が『かわい過ぎて、食べちゃいたい』って言ってるから…

 

 それからはもう怖くて、恥ずかしくて、唇が触れ合っている間は一瞬も目を開くことができなかった。

 

 どうしよう、

 どうしよう、

 どうしよう、

 どうしよう…

 

 体はぎゅっと抱きしめられてるし、

 目は怖くて開けられないし、

 口は塞がれてて声が出せないし、

 頭は真っ白で何も考えられないし…

 

 

 ふと、唇が離れた。

 

「はぁ、はぁ…」

「ふぅ……」

 

 自分と八一の呼吸音が耳に入って初めて、口づけられている間、自分が呼吸を止めていたことに気づいた。

 一息ついた八一は、さっきと同じ低い声で囁いた。

 

「続けて、いいよね?」

「っ!………」

 

 目を開けて、何かしゃべらなきゃと思ったけど、おでこが触れ合ってる感触があって、目を開けてまた目が合ってしまうのが怖くて躊躇している間に、沈黙を肯定と受け取られて、第二局が開始されてしまった。

 

 最初はあの星空の下でした封じ手の時みたいな触れ合って、熱を移しあうような口づけを繰り返していたのに、段々と早く、強く、深くなっていって。

 急に顎を掴まれて、首を傾けられて、反対側に首を傾けた八一の唇が強く押しつけられた。今までよりぴったりくっついた八一の唇の奥から舌がやってきて、ゆっくりと私の唇を舐める。まるで、味見をするように…

 首の角度を少しずつ変えて、私の唇を味わいながら、時折私の下唇だけかぷりと咥えて、舐めたり、微かに歯を当てたりする八一(オオカミ)

 

 ああ、きっと『食べたら、美味しいだろうな』って思われてる…

 

 息苦しさと恐怖心から無意識に首を振って八一の口づけから逃れようとするけど、八一は右手で私の頭を抱いて、口づけをやめようとはしなかった。

 

「っ〜〜!!」

 

 段々と口づけが深くなって、息ができないと抗議の声を上げようとしたけど、唇が覆われてるから言葉にならない。それどころか声を出そうと口を緩めたのを察して、八一の舌が私の口の中に入ってきた。私の舌を見つけると即座に絡めてくる。逃げても逃げても追いかけてきて、強く吸われる。

 これも、ディ、ディープキスなの??

 前に八一からの求めに応じて一度だけした大人の封じ手とも全然違う。あの時は触れ合って優しく交わす感じだったのに…

 息ができなくてもう限界。必死で声を出してみる。

 

「んんっ!!」

 

 鼻にかかった甘ったるい声が出て、自分の声じゃないみたい。しかもそれを聞いた八一は離してくれるどころか、(あお)られたみたいにさらに強く舌を絡めてきた。私の舌はいつの間にか八一の口内まで引き寄せられて、優しく甘噛みまでされている。

 

 わ、私ほんとに食べられちゃうの!?

ああ……でもいま、私、やいちに求められてる…そうなりたいとずっとずっと願ってた…

 

 自分の体の柔らかい部分が凶器を目の前にしていることへの本能的な恐怖と好きな人から情熱を傾けられているという歓びが()()ぜになって、脳内がぐちゃぐちゃになる。

 

 声を出した反動で鼻から息を吸い込むことができた。鼻で呼吸出来ることは思い出したけど、だからと言ってそんなの簡単には出来ない。

 だって八一の顔がすぐそばにあるんだよ?鼻息荒くするなんて恥ずかしくてできない。

 でも苦しい。酸素が足りない。

 頭の中が真っ白に染められていく…

 

 息は辛うじて出来るものの、唇を、口内を、舌を八一の思い通りにされて、脳がとろけ始めたみたい。逃げられないように頭を抑えられ、髪の毛をかき分けて頭皮を八一の右手が弄っている。……少し乱暴に。

 ゾクっとした何かが頭から背中を伝って足の指先まで駆け下りた。

 今のなに?なんなの?

 

 もう無理。とうとう耐えきれなくなって回らない頭で思いつく最後の手段を取る。

 ドンッ

 ずっと八一の胸の辺りを掴んでいた両手で胸を叩いてストップの合図を送る。これでダメならもう打つ手がない。

 八一の舌は名残惜しそうに私の口内をぐるりとなぞってからやっと離れてくれた。

 

 チュッ

 さっきのお寿司の時と同じ音が出て、羞恥心でカッと体が熱くなる。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 またすぐに唇を奪われないように八一の胸に顔を埋めながら、懸命に新鮮な空気を吸う。でもその空気も結局私を抱きしめている八一の腕の中のもので、少し落ち着いてきたら八一の体温と匂いを感じてしまい、はっと息を止めた。少し遅れて肺の中まで八一で満たされていることに気がつく。

 ずくんと体の奥が熱くなる。

 いまの、なに?

 キスをやめたのに、呼吸が出来るようになったのに、鼓動の早さが元に戻らない。

 私を包み込んでいる八一の体温は私より熱くて、心臓の音もいつもより早く強く脈打っている。

 

 

*****************

 

 

 理性が投了したとは言え、がっつき過ぎた…

 なるべくゆっくり深呼吸をして息を整え、まだ荒い呼吸を繰り返す銀子ちゃんの背中を撫でながら、若干反省する。

 気持ち良すぎて、銀子ちゃんから肉体言語で静止されるまでキスをやめられなかった。朝まででもしていられそうなくらい。まあ、そんなにしてたら別の我慢が限界になるだろうけど。

 誕生日プレゼントに『大人の封じ手』を所望すると決めた時から、キスの仕方とか流れとかそれ以上のこととかを色々研究しておいたけど、実際してみると想像の何倍も気持ちが良くて毎回新鮮な驚きがある。

 

 とろけるように柔らかい唇と、熱くてしっとりした口内、俺に抱きしめられて動かない体とは別の生き物みたいに俺から逃げ惑っていた舌。

 俺だって初めて聞く、他の誰も聞いたことがないだろう銀子ちゃんの『甘い声』、今までで一番強く抱きしめたせいで感じた柔らかい体の奥にある細い骨の感触。いつもより濃く立ち昇る香り。

 今しているマラソンした後みたいな荒れた呼吸音と胸にかかる吐息ですら俺を無自覚に煽ってくる。

 

 俺の胸に顔を埋める銀子ちゃんを見下ろすとうなじとルームウェアの間の隙間から、白い背中と下着が垣間見えた。たぶん、黒か紺…今日はあそこまで到達できるだろうか。到達……したい。

 

 それこそ定跡ではこのまま上着の中に手を入れてブラのホックを…って感じなんだろうけど、この子の初心さ加減を考えると攻め過ぎな気もする…

 攻め過ぎれば、終盤戦に至る前に投了されて試合終了な事くらいは理性が効かなくなっていても分かるから、慎重にならざるを得ない。

 これからどうしよう?もう一度キスするか、靴下から行くか。それとも同意を取り付ける為にもシャワーを提案すべきか?

 

 何にしろこの冷たいフローリングに押し倒す訳にはいかないから、敷くものを準備してもらわないといけない。

 確か、夏休みはここに篭って将棋三昧だったって桂香さんが心配してたから、布団一式くらいはあるはず。俺は見たことないから多分押し入れの中か…

 

 ふと、視界の端に放り出されたタブレットが入り、やりかけの研究のことを思い出した。

 でも今だけは、(賞金)地位(タイトル)名誉(二冠)もいらない。ただただ腕の中の愛しい人の全てが欲しい。それさえあればいい。そう思った。

 

 そして、去年の竜王防衛戦の時、銀子ちゃんが『タイトルなんていらない』と言っていたことを思い出した。あの時は彼女と釣り合うようになる為にしてきた自分の努力を全否定されたように感じてキレてしまったけど、あの時銀子ちゃんが言いたかったのは、もしかしたらこんな気持ちだったのだろうか。

 

 これからの中盤戦をどう進めるか、一通り候補を洗い出したけど、どれが最善手かは判断がつかない。

 それでも何より今は、この腕の中に収まる愛しい存在を一瞬でも離したくない。

 膝の上で出来るところまでやってみるか。

 

*****************

 

 

 やっと呼吸が落ち着いてきて、今更ながら八一が背中を優しく撫でてくれていることに気がついた。

 

 おちつけ、わたし。

 なんでこうなったんだっけ。

 そうだ、じこで「ほっぺちゅー♡」しちゃったんだ。

 なんで、じこったかとゆうと、わたしがきゅうに、ふりむいたからで。

 それは、やいちにおすしを「あーん♡」しようとしてたからで……

 ………………………………からで?

 

 改めて振り返るとただのバカップルじゃない! は、恥ずかしすぎる!!

 そもそも今日は何してたんだっけ…そう! 将棋! 研究会!!

 この雰囲気に呑まれてたら、全然研究出来ずに行くところまで行っちゃいそう。い、行くところってどこだろう??

 じゃなくて! 話題! 話題を変えなきゃ!!

 

 私はまた急にキスされるのを警戒しつつ、八一の胸からおずおずと顔を上げて事態の打開を図った。

 

「や、やいち、お、お寿司食べないの?」

「寿司?ああ、大丈夫、いらないよ」

「じゃ、じゃあ、け、研究! 研究の続きは!?」

「今日はもうむり。銀子ちゃんで頭がいっぱい。」

「い、いっぱいって…」

「どうせむりに研究しようとしても、駒の「銀」が銀子ちゃんに見えて手につかないから」

「っ……!?」

「だから、今日は研究は置いといて、めいっぱいイチャイチャしよう?」

 

 八一ににっこりしながら言われて、なんだかすごく魅力的な提案に聞こえるけど、それでいいの?

 

「え、でも、だってまだこの前の続きしかしてないから、帝位戦の対策は出来てないよ?」

「そっちは自分で出来るから。今日は銀子ちゃんを堪能する。」

「はぁ??」

 

 なにそれ!?

 私の棋力じゃタイトル戦の手伝いなんて出来ないって言いたいの!?

 それじゃあ、去年の竜王位防衛戦の時と変わらないじゃない!!命がけで三段リーグ突破して四段(プロ)になったのに、前と全く同じ扱い!?

 何のために少ない時間をやりくりして三段リーグの記譜を集めたり、昨日ほとんど寝ないで奨励会の最新研究まとめたと思ってるのよ。ほんとは今日会うからそわそわして眠れなかっただけだけど!

 ムカつく。

 許せない。

 新四段だからってバカにして!

 

 腹が立って、私を抱きしめてる八一の手を振り払い、膝から立ち上がって二、三歩離れる。

 さっきの余韻でふらふらしそうな足を必死で踏ん張って、八一を振り返ってなるべく威厳たっぷりに宣言する。

 

「これからイチャイチャするか、研究するか、将棋で決めるわよ!」

 

 宣言した内容は威厳もへったくれもなかった。




pixiv版には『ふわモコ銀子ちゃんと八一』のファンアートを挿絵として使用させて頂いております。

次回、将棋対決の行方やいかに。
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