恋の駆け引き after OPENING   作:しおり@活字は飲み物

4 / 14
《4》感想戦 in 801号室【後半戦】

 さっきまで俺の腕の中で素直に抱きしめられていた銀子ちゃんが、一瞬で『姉弟子』になっちゃった。

 昔から『女と遊ぶなんて十年早い』って態度取られてたけど、まさかその女が当の本人でも許されないなんて…

 

 銀子ちゃん、改め姉弟子は押し入れから木製で折りたたみ式の将棋盤と対局時計を取り出してきて黙々と将棋を指す準備をしている。すでに目の色が真っ青になっていて、殺気まで放っている。

 

「銀…姉弟子、どうしたんですか?」

「三本勝負、持ち時間十五分、秒読み三十秒、盤外戦術有り」

「えっと…」

「始めるわよ。先手は譲ってあげる。早く来て」

「……」

 

 こうなった銀子ちゃんは勝負が終わるまでテコでも動かなくなることは、経験上俺が一番よく知っている。

 俺は内心やれやれとため息を付きながら立ち上がって、盤の前にあぐらをかいて、姉弟子が対局時計のスイッチを押す音を聞いてから、飛車先の歩を突いた。

 

 序盤は相掛かりから定跡を辿り、中盤をほとんど省略して俺が若干優勢を保ったまま、もうすぐ終盤になりそうな局面で、姉弟子の長考が入った。

 

 それにしても、銀子ちゃんは一体何にこんなにも怒ってるのだろう。がっつき過ぎたのを怒ってる訳ではなさそうだから、研究をしないって言ったのがいけなかったんだろうか。

 俺としては、タイトル戦前の俺以上に忙しい銀子ちゃんと一緒いられる時間を優先したかったんだけど…

 俺とイチャイチャしたくないのか?でも俺と将棋で勝負しても十中八九、負けるのに…

 

 そんなことを考えていたら姉弟子が長考を終えて一手指した。角を成り込んでの王手!

 ここで王手!?まだ終盤に備えての守備に時間をかけると思っていたのに、守備を手抜いての無理攻めか!?それとも自玉が詰まないことを今の長考で読み切ったのか!?

 

 思わず姉弟子の顔を見る。姉弟子は盤面に集中していて、視線は合わない。

 姉弟子の王手が油断している俺に、『私を舐めるな。腑抜けた将棋を指してたら、即詰みに打ち取るわよ』と主張している。

 

 これは、今までの姉弟子と同じだと高を括っているとあっという間に()られる。俺は気合いを入れ直す為に、正座に直ってセカンドバッグからかけ忘れていた対局用眼鏡を取り出してかけ、慎重に盤面を見直してから王を後退させた。

 

「それ、度は入ってないんだったわよね」

 

 普段、対局中には滅多に話しかけてこない姉弟子が、急に声をかけてきた。

 

「まあ、伊達眼鏡ですけど」

「そう…」

 

 そして俺がかけたばかりの眼鏡をさっと取り上げて、一瞬眺めると自分でかけてしまった。

 

「な、何するんですか!? 返してください!」

「いいじゃない。さっきまでしてなかったんだし」

 

 そういうと姉弟子は歩を進めてと金を作り包囲を狭め、対局時計を叩き押した。俺の手番だ。でも次の一手なんて考えられない。

 ただでさえ、姉弟子の眼鏡姿はレアなのに、その眼鏡がいつも対局の時に自分が使っているもので、その眼鏡をかけた姉弟子と対局してる…どうしたって平静じゃいられない。

 新手の盤外戦術か!? それにしても効果が強すぎだよ!?

 

 しかも、改めて今置かれている状況を俯瞰で見ると色々非現実的過ぎてついていけない。

 首から下はふわモコウェアを着たリラックスモードの銀子ちゃんなのに、首から上だけ俺の眼鏡をかけた本気対局モードの『浪速の白雪姫』って、スフィンクスとかケンタウロスとかみたいで違和感満載。

 しかも、将棋盤がいつも使ってる七寸盤じゃなくて折りたたみの木製盤だから、普段は見えない正座をした時の膝や太ももが見えてることに気がついてしまった。さっき抱き寄せた時に触った太ももの柔らかさが自分の意思とは関係なく脳内で勝手に再生されて集中力を削いでいく。

 

 さらに言えば、姉弟子は長袖のパーカーを着ていて熱いのか、しきりと首元をパタパタしていた。そのせいでいつの間にか前を止めているジッパーが数センチだけど下がってきていて、その状態で床に置いてある木製将棋盤をいつもより前傾姿勢で覗き込むものだから…

 見えそうなのである。

 谷間はなくてもその先にある黒か紺のブラに包まれた何かが。それがあることを俺はすでに知ってしまった。今まで約五万局も向き合って対局してきて一度も気にならなかったのに、そこにあると分かってしまえば、もう二度と元へは戻れない。その数センチの隙間が、まるでブラックホールのように俺の視線を吸い込こんでいく。

 まさか、こ、これも盤外戦術なのか!?

 

 そんなことを考えていたら、将棋なんて指せる訳がない。気づいた時には持ち時間が尽きて、秒読みになっていた。

 当然だけど、そんな状況になってしまえばさすがの俺も、三段リーグで鍛えられた姉弟子に勝てるはずはなかった。

 

 

*****************

 

 

 一局目は盤外戦術でもなんでもして、今の私の将棋でなんとしても勝つ。

 二局目は多分本気を出されて勝てないだろうから諦める。

 三局目が本番。勝負に出る。

 

 想定以上に眼鏡強奪に効果があったらしい。まともに打ってもらえなくて悔しいけど、ちゃんと勝ったし今までとは違うんだってとこを見せつけられたから良しとする。

 

 こちらの思惑通り、一局目に先手番の相掛かりで負けたから、リベンジの為に三局目も相掛かりを選ぶだろう。これで一つはクリアできるはず。

 

 それにしても、このルームウェアは対局には向かない。肌触りはいいけど、汗を吸わないから蒸れて熱い。汗臭くないといいけど…

 まだ季節的に着るのは早いことは分かってたけど、一番効果がありそうだったから採用したの、失敗だったかな?

 熱くなりそうだったから、中は下着しか着てないし、脱ぐわけにもいかない。対局を中断して着替えにいくのもカッコ悪いし…

 

 八一は一局目が終わると、私に手を差し出して悔しそうに言った。

 

「次から本気でやるんで、眼鏡返してください」

「むぅ…」

 

 仕方ない。本気でやってもらうのはこっちも望む所だから、渋々返した。

 それから八一は至極言いづらそうに、私から目線を外しながら切り出した。

 

「それと、わざとじゃないのかもしれないけど、目のやり場に困るんで…戻してもらえますか。」

「なんのこと?」

「パーカー…」

「??」

「……ジッパー……」

「??……ひゃあ!!」

 

 二局目は予定通りではあるけど、予想よりほとんど良いところが無いまま負けてしまった。

 

 

*****************

 

 

 三局目は、初戦で気を抜いて負けてしまったから、さっきのリベンジの為にも再度相掛かりを選んだ。

 

 序盤互いに定跡通りに進んでいったけど、銀子ちゃんは一度手を止めて、少し迷うような気配を見せた後、意を決したように力強く歩を打った。

 

「!?」

 

 ここで8七歩!? せっかく飛車先の歩を切ったばかりなのに!?

 なんでこんな、将棋の歴史を踏みにじるような手を!?

 二局目だって、なんかわざと負けようとした感じだった。一体何を考えてるんだ?

 

 こんなの、銀子ちゃんの将棋じゃない。

 ふつふつと怒り似た暗い感情が湧いてきた。

 銀子ちゃんの将棋のことは俺が世界で一番分かっている。だって、この世で一番一緒に指してきたんだから。それが紛れもない独占欲だったことに、今気づいた。

 俺が一番よく知っているはずの、銀子ちゃんの将棋が俺の知らない間に急激に強くなっていた。それはいい、喜ぶべきことだ。問題は強くなっただけでなく俺の考えつかない、今までの銀子ちゃんなら絶対指さない手を指してきたこと。

 他の男達と指したからだ。他の将棋の強い男達と…この暗い感情、そうかこれは『嫉妬』だ。

 なぜこんなことをしたのか、これはどの男の将棋なのか…でもこの手は明らかにソフトの影響を色濃く受けている。

 

 そう、いうこと…か……

 

 銀子ちゃんは素直じゃないから、こんな形でしか教えてくれないし、普通に質問しても答えてくれないだろうな…

 仕方ない、(あお)るか。

 

「くっくっく…」

「な、何がおかしいのよ!?」

 

 急な笑い声に動揺する銀子ちゃんに、俺はなるべく軽薄で悪いヤツに見えるような笑みを浮かべて言った。

 

「姉弟子、あんたほんとは俺に抱かれたいんじゃないの?」

「!? はぁ!!?」

「だって負ける気満々じゃん。俺に先手持たせて相掛かりで急戦仕掛けて勝とうなんて、名人だって考えませんよ」

「ぐっ……」

「大体、この8七歩は明らかに銀子ちゃんの手じゃないよね? ソフト発の手っぽいし…最近の対戦歴を考えると創多、かな?」

「っ!!」

「負けるの覚悟で『対局で研究』をしようってんでしょ?」

「……もうバレちゃったか」

「バレますよ。俺を誰だと思ってるんです?」

 

 銀子ちゃんの将棋を一番よく知ってる男ですよ? そう言うのは、恥ずかしいから心の中でだけ、呟いた。

 でも、銀子ちゃんは別の意味にとったのか、悔しそうに唇を噛みながらぽつぽつと話し出した。

 

「この8七歩は創多が八一との公式戦で使う為に温めてた手なんだって。負けたからもう使わないかもしれないけど、ソフトの影響を感じたし、教えておいて損はないかなと思って…」

「なんで、こんなことしたんです?」

「……五種類中三、せめて二種類出せればいいと思ってた。でも一種類で終わっちゃった」

「? なんの数字です?」

「今期の三段リーグで出た、相掛かりで今後有望な可能性のある研究手。今日の研究会に間に合うようにまとめておいたの。他の戦型のは間に合わなかったし、乗り気のしない練習将棋で先手を渡せば相掛かりを選ぶと思って」

「え??」

 

 奨励会の最新研究に興味あるとは言ったけど、そこまでしてくれてるとは思ってなかったし、銀子ちゃんにそんな暇があったとは思えないのに…

 

「今期昇段した、創多と坂梨さんの記譜も集められるだけ集めた。坂梨さんは途中から期待されなくなっちゃったから意外と熱戦譜が少なくて、関西で会える人には頼んで個人的に付けてた記譜とか感想教えてもらった。欲しがればサインの一つでもあげて、同期昇段で気になるからって言えば、案外快く協力してもらえた。」

 

 銀子ちゃんは将棋盤を見つめながら、どこか寂しそうに話を続けた。どれだけ、今日の研究会の為に、なにより俺の為に準備をしてきたかを。

 

「八一、坂梨さんには注目してたし、創多は今後確実にタイトル戦とかに関わっていくだろうから…私に今できることはこれくらいしかないから」

 

 銀子ちゃんは窓の外に視線を移して、すごく遠くを見つめるような目をしながら、付け足した。

 

「今の私のレベルじゃあ、何をすれば八一の役に立てるのかも、もう分からないから」

 

 せっかくある研究部屋にも来られないくらい時間がなかったのに。

 四段に昇段した時より痩せてしまうほど忙しかったのに。

 それなのに、俺は……

 

 こぼれそうになる目の熱さを隠すために、自分から誘っておきながら反故にしようとした非礼を詫びるために、そしてなにより尊敬すべき一人の将棋指しに敬意を示す為に、俺は改めてきちんと正座をして、深々と頭を下げる。

 

「参りました。俺の完敗です」

「え?」

「ソフトの考えた手を実践で使えるレベルに落とし込む為には人との研究が必要なんです。帝位戦に向けて、俺と研究会して下さい」

「わ、私なんかで良ければ」

 

 俺たちは将棋盤を挟んで、改めて礼を交わした。

 

「「よろしくお願いします」」

 

 

*****************

 

 

「そうだ、教えて下さいよ。どうしてこんなに一気に強くなったんです?」

「ああ。三段リーグで創多との対局中に駒の利きが掴めるようになったの。脳内将棋盤もびっくりする程クリアになったし」

「なるほどね」

「駒の利きが掴めるってやっぱりすごく有利だなって思う…私ももっと早く分かるようになりたかった…」

「駒の利きとか感覚とかも万能じゃありませんよ。俺は姉弟子とずっと一緒に研究してたから、自分の感覚を論理的に補完する習慣がついてたけど、駒の利きが分かるヤツ同士だと感覚で『なんとなくこっちの方がいいよね』って共通認識を共有してるから、研究が浅いというか、他の可能性を考えることをサボってる感じがするし」

「ああ、それはなんかわかる」

「元々姉弟子の研究って超論理的なんですよね。理詰めの研究があるからメンタルや体調に左右されないし、常に安定してるし、それこそ駒の利きが見えてなかったのに女流棋戦勝ち続けるって、どんな化け物かよって話ですよ」

「感覚にだけ頼ってると、歳を取った時に棋力が衰えるスピードも早くなりそうね」

「そうでしょうね。超感覚派の生石さんが、言っちゃなんだけど明らかに格下の奨励会員の姉弟子と研究会をする価値があるって思ったのも、論理的な補完を求めてたからだろうし」

「……そうか、地球人生まれにも価値はあったのか…」

「?」

「ねえ…私との研究会って、八一の役に立ってる?」

「へ? 当たり前じゃないですか。そうじゃなきゃ今日だって最初から単にデートしようって誘ってますよ。そもそも俺、自分に得るものがない人と研究会する程、暇人でも(ぬる)いヤツでもありませんし。今は生石さん失冠しちゃったけど、複数のタイトルホルダーに研究会相手として求められる人なんて、ほかに誰もいませんよ?」

「そっか…」

 

 銀子ちゃんはなんだか噛み締めるように(うなず)いた。

 

「あーあ、小学生名人に続いて、三段リーグも一期抜けで記録は抜かされちゃったし、四段(プロ)に上がって、女流棋戦は結局無敗のままだし、あの名人も戦ってみたいって言う史上最強の女プロ棋士かぁ〜。論理的な研究の上に駒の利きまで分かるようになって、まだまだ強くなりそうだし。もし史上最年少二冠タイトルホルダーになれたとしても、また釣り合わなくなっちゃうかもな〜」

「あのさ、前から釣り合うとか世間の評判とか、なんでそんなくだらないこと気にしてるの?」

「くだらないことって…」

「世間の人なんて将棋のことよく分かんないであれこれ言ってくるんだから、そんなの気にする必要ないのに」

「それはそうなのかもしれないけど…」

「将棋が強ければいいのよ。棋士なんだから」

「あ……そっか」

「そうよ」

 

 封じ手を開ける前は、帝位戦に『さっさと負けて銀子ちゃんとデートしまくる』妄想とかしてたけど、俺の彼女は史上最強の女棋士であると同時に将棋の女神様でもあったらしい。些末な人の世のことは気にしなくても、将棋を疎かにするのは許されないようだ。

 自分にうつつを抜かして、将棋が弱くなるくらいなら捨ててやるとか言い出しかねない。本当に俺にとっては最高の彼女だ。

 俺は改めて銀子ちゃんを正面から見て言った。

 

「銀子ちゃん、将棋しよう」

「うん」

 

 

 

「その前に! 男に見返り与えて、個人的に何か頼むの禁止!」

「え? なんで??」

「危険すぎるでしょ!?」

 

 

*****************

 

 

「ふう、事前にまとめておいたのは一通り終わったわね」

「今は…夜の11時過ぎか…いつの間にこんな時間に…」

「あっという間だったね」

 

 すごく久しぶりに長い時間、何も気にせずに二人だけで研究をした。途中で、夕飯の買い出しにコンビニに行ってもらったけど、それ以外はずっと一緒に将棋のことを話していた。八一が弟子を取る前、時々していたように。師匠の家で一緒に暮らしてた時、いつもしていたみたいに…

 

 今から新しいことをするにしては時間が遅すぎるし、さすがに私も八一も集中力が切れてしまった。

 

 夜ももう遅いし…か、帰っちゃうんだろうか? もっと一緒にいたいのに…でも今引き止めたら、その…誘ってるみたいにならない? ただでさえ自分の部屋に招いて、イチャイチャしたいって提案断って、一日中満足するまで私が一緒にやりたいことしてもらったのに、これ以上何したいのって聞かれても答えられないし…

 でも、でも、まだ一緒にいたいし…

 はぅぅ……

 

 立ち上がって窓の外の景色を見ながら大きく伸びをしていた八一は、振り返って何もない壁の方を見ながら、今後の方針を切り出した。

 

「銀子ちゃん。今日、泊まっていい?」

「え?」

「あいは名跡戦の挑決リーグで東京だからいないし…」

 

 一応付け足すように言われたけど、そんなの知ってるに決まってる。だって約束する前から、桂香さんが小童を引率して行くのを聞いて知っていたから。だからこの日を指定したんだもの。

 

「う、うん……」

 

 恥ずかしいけど、私の希望通りの提案を八一からしてくれたんだから、同意するしかないけど、緊張して蚊の泣くような声しか出ない。

 

 部屋の中に気まずい沈黙が流れる。

 

 八一は私を見ないように、なんだか赤くなった顔をそらしながら、こう言ってバスルームの方に行ってしまった。

 

「とりあえず、シャワー浴びてくるから、布団敷いといて」

 

「ふぇぇ!?」




将棋の駒の動きしか分からない将棋ど素人が書いた対局シーンなので、不備がありましたら申し訳ありません。

次回の《5》後夜祭 in 801号室【前半戦】は、
R-18指定の為、恋の駆け引き after OPENING【大人編】に掲載しております。
https://syosetu.org/novel/242250/1.html

R-18と言っても八銀の初夜ラブコメなので、それなりです。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。