氷結した太平洋。その分厚い氷床の下で、ガギエルの死骸からS2機関とコアの残骸を喰らったサキエルはどうしたものかと頭を悩ませていた。
このガギエルの死体を残しておくデメリットは山ほど思い浮かぶ——腐敗による海洋汚染、ネルフやゼーレによる悪用——のだが、捨てるにはかなり惜しい。腐っても鯛とはよく言ったもので、準完全生物たる使徒の肉体に捨てるところなどありはしないのだ。
故に、食べるというのは確定事項。ガギエルから奪った凍結能力を早速利用してその巨体をしっかり冷凍すると、サキエルは黙々と食事とその肉体構造の分析を行なっていく。
だが、そんな地味な作業に、コアは2つも必要ない。
故に生み出された『3人目』は、その新たな役割を遂行するべく第3新東京市に向けて飛び立ったのであった。
* * * * * *
「チルドレンだけで暮らしたいィ!? また何で!?」
E計画責任者、つまりエヴァとそのパイロットの管理責任者でもあるリツコの部屋に直談判しにきたアスカに対し、呼び出されたミサトは驚愕の表情でそう問いただす。
だが、彼女の困惑に対し、アスカは頭を抱えてさも当然のように、少々怒り混じりで回答した。
「ミサトの家事が壊滅してるからに決まってんでしょーがッ! なーんでアタシ達がミサトの保護者やらなきゃなんないのよ! それだったらレイの家でシンジとレイと3人で一緒に住む!」
「まぁ、そのミサトへの意見に否定の余地はないけれど」
「ちょっとリツコ」
「文句は自分でゴミ出ししてから言いなさい? ……で、アスカ。貴方とレイはまだしも、シンジ君が同居するのはどういう理由な訳かしら? 年頃の男女が同居するのは、間違いの元になるわよ?」
「何よ間違いって」
「そこのミサトみたいに、彼氏とぶっ続けでセックスして大学の単位落としかける様なお馬鹿さんにならないか心配なのよ」
コーヒーを啜りながらそう告げたリツコに、アスカは頬を引き攣らせたなんとも言えない半笑いを浮かべると、顔を赤くしているミサトに『マジかこいつ』と言いたげな視線を向けた。
「……それは『若さゆえの過ち』にしてもちょっとヒクわね。……まぁ、確かにさ。シンジって意外とこう、悪くないなぁ、とは思うけどね。顔もまぁ、それなりだし? でも恋人にはまだ遠いわ。ルームメイト止まり。……それに、子供が子供作ってどうするってのよ?」
「……まぁ、それがわかっているなら良いわ。ミサトに爪の垢を煎じて飲ませたいぐらいよ」
「ま、アタシはミサトと違ってちゃんと補習も無しで単位しっかりとって大学卒業してるしね!」
「アスカぁ……リツコぉ……しまいにゃ泣くわよ……?」
そう告げるミサトは、事実半泣きになっている。当然ながら、普段からここまでイジり倒されているわけではなく、この口撃はリツコからの『お仕置き』という面が強いと言えるだろう。
「エヴァをほっぽって氷の上で立ち往生してた作戦課長さんには少々お灸が必要だもの。……太平洋艦隊から勇気あるパイロット3名への礼状と、作戦課長と監査室長への苦情が同時に届いたときは、ちょっと面白かったけど。ふふっ」
「ぐぬぬ」
「へー、リツコってそんなふうに笑う事もあるのね」
「あら? 意外だったかしら?」
「うん。ずっとそうやってニコニコしてたら無限にモテるわよ?」
「それはそれで煩わしそうね? 今まで通りムスッとしておこうかしら」
「確かにミサトみたいに加持さんと始終イチャイチャされてちゃ迷惑かもね?」
「アスカがいじめる……」
苛烈な口撃によって遂にノックアウトされたミサト。
そんな彼女を横目に溜息を吐いて、リツコはアスカに対し、チルドレン3人分の引っ越し許可を発行すると、サインを記入してアスカへと差し出した。
「まあ、パイロット同士親睦を深めるのも良いでしょう。許可します。アスカとシンジ君はレイの家に引っ越してちょうだい。荷物は搬送スタッフが……」
「大丈夫。許可くれる前提でアタシの荷物はレイの家に送ったから今頃届いてるはずだし、シンジも今頃引っ越ししてるはずだから」
「ああ、それでシンジ君とレイは居ないのね?」
「そういうこと。じゃあ、ありがとうねリツコ! アタシも引っ越し手伝いに戻るから、招集があったら呼んでちょうだい!」
「当面は無いと思うわよ? しばらくは休暇を楽しんでくれて構わないわ」
「そう? じゃあ遠慮なく休ませてもらうわね!」
そう告げて立ち去るアスカの足取りは軽く、駆けて行くその足跡を聞きながら、リツコはタバコに火をつけた。
「あの子、変わったわね」
「そう? アスカが元気なのは元からでしょ?」
「加持君の報告書とは別人よ? それに、私と貴方がドイツに出張した頃に会った彼女よりも、ずっと強い『芯』がある。……シンジ君も、レイもそう。ここ最近、チルドレン達は皆、驚くべきほどの早さでエゴを強め、自己を確立している」
「……良いことじゃない?」
「……ええ。けれどね」
————自分が酷く、ちっぽけな女に思えてしまう。
そんな言葉は飲み込んで、リツコは別の言葉を吐いた。
「……私達もう、若くないわね」
「ちょっと、やめてよ意識しないようにしてんのに」
「ふふっ、じゃあ若く居られるように少しは子供達を見習うのも良いのかもしれないわね」
そう言って笑うリツコ。その笑顔は、アスカの前で見せたそれとは異なり、何処か影のある、ビターなものだった。
* * * * * *
シンジの荷物はほとんど無く、アスカの荷物は大量。そんなわけで綾波家改め綾波・碇・惣流家の部屋割りは、ミサト家におけるミサトの部屋に当たる7畳間をアスカ、シンジは空いている倉庫用の6畳間を使う事と相成った。綾波の部屋の向かいがシンジの部屋、そこから廊下でリビングに出て正面の部屋がアスカの部屋である。
そしてリビングはと言えば、サキエルの部屋と言っても過言ではない。基本的にリビングのソファに座っているからだ。
そして、そんなサキエルの近くで思い思いに寛ぐのが、綾波家の基本的な『休憩風景』である。
「いやあ、なんとか引っ越し終わったね」
「日本のアパートって狭いのねぇ」
「1番広い部屋でもギリギリだったもんねアスカの荷物」
時刻は引っ越しを終えた昼下がり。サキエルが出してくれたキンキンに冷えた麦茶を飲みつつ、3人は疲れた身体をソファで休めていた。
重量物は率先してサキエルが運んでくれたとはいえ、それでも荷物運びは疲れる作業。朝アスカが許可を取りに行ってからの半日で済んだのは、僥倖と言えるだろう。
その引っ越し作業の内訳は9割アスカだったりするのだが。
「……アスカはもう少し厳選すべき」
「そうねー。あとでしっかり選別して使わないのはドイツに送り返しとくわ」
「手伝おうか?」
「あらシンジ、そんなにアタシの下着に興味あるの?」
「げ。やめとくよ」
そう言って頬を赤くするシンジの様子に、アスカはカラカラと笑ってフォローを入れる。
英才教育を受け、先日のエヴァとの真のシンクロで精神面も安定しているアスカは同年代よりもずっと大人びているせいか、どうにもシンジを年下のようにからかってしまうのだ。
「冗談よ。まあ、でもそういうものも多いから自分でやるわ。気持ちだけ貰っとくわね」
「うん」
「アスカはそんなに服を集めてどうするの?」
「そりゃ着るのよ。……でもレイの私服みたいに『組み合わせで色々バリエーション変えて着まわせる』みたいな方が良いのかもね」
「そう? サキエルに選んで貰ったから、わからない」
そう告げるレイの今の格好は、紺色のリネンで出来たフレアロングスカートに白のブラウスと赤いリボンタイ。各パーツ自体はそれぞれ自己主張控えめではあるが、全体で見れば綺麗めコーデとしてかなりまとまっており、アスカからみてもオシャレ上級者感がある。
が、彼女から飛び出したのは、まさかの着せられているだけ発言であった。
「え、そうなのサキエル?」
「レイちゃんはその辺に疎かったからね。服飾デザインについての知識を使用して汎用性が高く野暮でないものを取り揃えてみたんだ」
「へー。……よっしゃ」
「どうしたのアスカ」
「シンジ、レイ、服買いに行くわよ!」
「今、ドイツに一部送り返すって言ってたのに増やすの!?」
「ううん? 全部送り返すわ。せっかく日本に来たんだし、心機一転して服もまっさらにしちゃおうかなってね。シンジもヨレヨレのTシャツばっかでしょ?」
「あー、まぁ。うーん」
「せっかくネルフの給金があるんだしパーッと買い物しましょ!」
「シンジ、私、みんなで買い物してみたい」
「……わかった。じゃあ、行こうか」
「よーし、そうと決まれば買い物してそのまま晩御飯は外食よ!」
「となると残って食事の支度をする必要はないな。僕もせっかくだし買い物について行こう」
「サキエルに服選んで貰うつもりなんだし当然でしょ! じゃ、4人でデートね!」
「いやデートって」
「何よシンジ、両手どころか片足まで花抱えてご不満かしら?」
「おや? 僕も花の方なのかい?」
「えっと、その、不満じゃないけどさ。変に意識しちゃうというか……」
「……シンジ。アンタ、年上の女に気をつけなさいよ」
「えっ、何で」
「ケダモノみたいに食べられちゃいそうな気がするわ。……妙に庇護欲唆られるのよね。……母性的な?」
「シンジは年上キラー?」
「ぶはッ! ちょっとレイ、ずるい、あはははははははは! 年上キラーって、ははははは、ひーっ、苦しい、アハハハ……」
「ちょ、レイ、どこでそんな言葉覚えて来たの!? あとアスカ、僕年上キラーとかじゃないから爆笑しないで!?」
賑やかな少年少女達と、その談笑を見守る天使。実に微笑ましい日常の光景。
ひとしきり笑って、騒いで、それから街に繰り出して。
エヴァンゲリオンパイロットという重荷を背負う彼らはそれでも、日常をこうして謳歌しているのであった。