【完結】我思う、故に我有り:再演   作:黒山羊

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秋の鹿は笛による

赤木リツコ、という女を一言で言い表すならば『仕事人間』というのが一番だろう。

 

研究室に寝泊まりすることも多く、たまに家に帰る日でも、誰よりも遅く退勤し、誰よりも早く出勤する。

 

故に、ネルフの本部施設内に保安部以外はリツコ1人、という夜は決して珍しくは無かった。

 

朝方アスカが引っ越しの許可を取りにやってきた時から変わらず研究室に詰めている彼女は、もはや研究室と融合していると言っても過言では無い。

 

だからこそ、だろう。トイレに立ったあと戻ってきた彼女が研究室から漂う違和感に気付いたのは。

 

懐の銃に手をかけて、自動扉を開くと同時に構える。研究者にしてはその動きは俊敏であり、彼女がそれなりの訓練を積んでいるであろうことは明白であった。

 

だがしかし。

 

この夜に限っては、相手が悪かった。

 

「やあ、こんばんは赤木博士。良い夜だね。だけれど、そろそろ夜更かしはやめて眠った方が健康に良いんじゃないかな?」

 

そう言って、研究室の机に軽く腰掛けるのは、白いワイシャツと紺のデニムジーンズというシンプルな出立ちの優男。

 

間違ってもネルフ職員ではないその男に、リツコはしっかりと見覚えがあった。

 

「ルイス・秋江……!」

「ジェットアローンのお披露目以来かな? いやはや、あの時はウチの時田君が失礼。今は代表を降りて、一技術者として真面目に働いているから勘弁してやって欲しい。……とまぁ、僕をルイスと呼ぶのならそういう話題を出す他ないけれど。聡明な人だとレイちゃんやシンジ君、それにアスカちゃんからも聞いているからね。気付いているんだろう?」

「……第3使徒サキエルと呼んで欲しいという事かしら?」

「素晴らしい。……では答え合わせも済んだことだし、その銃を構えるだけ体力の無駄だというのは判る筈だ。座って話をしようじゃないか」

 

そう言って、自ら率先して手近な椅子に座るサキエルは、実に自然体であり、リツコに対して警戒している節はない。ならば————と警報装置を作動させようとして、リツコは銃のグリップに仕込んであったスイッチの反応が無いことに気がついた。

 

「ああ、この研究室から外部へのあらゆる通信は遮断及び偽装されているからね。何をしても無駄だよ? 気がすむまで試すと良い」

 

そう言われたリツコは、火災警報器のボタンを押したり備え付けの警報器を起動させたりしてみたが、サキエルの言葉にどうやら嘘はないらしく、全て不発。

 

加えて部屋自体にATフィールドが張られてしまったのか、窓に向かって発砲しようが、ドアをこじ開けようとしようが、全くの無意味であった。

 

そうなれば、リツコに出来るのは自殺ぐらいのものだが、そう考えた直後にサキエルが銃口に敢えて可視化したATフィールドを張って見せたことで、彼女は遂に観念し、自身の椅子へと着席する。

 

「……何が目的なの?」

「赤木博士のスカウトかな」

「あら、ヘッドハンティングとは光栄ですこと」

「理知的な美女とは誰だって仲良くしたいからね。当然だとも」

「あらお上手ね」

「加持君仕込みのナンパテクニックだからね」

「……そう、加持君が」

「碇司令が僕を探る為に差し向けてきたんだけれどね。返り討ちにしてからは仲良くさせてもらってるよ」

「……無理もないわね。知恵を付けた使徒だなんて、エヴァ以外じゃどうしようもないもの」

「だろう? そして僕もそう思ったから、パイロット3名とは仲良くさせてもらっているわけだ。……ああ、シンクロ率向上の件についての御礼なら結構。持ちつ持たれつという奴だからね?」

「————。はぁ。『根回しも潰したしエヴァとのシンクロ制御も手中にある』と言いたいわけね。……頭が痛いわ」

 

そう言って、本当に頭痛を催したのか、こめかみを押さえるリツコ。『挽回の手を考えていたらそもそも詰んでいた』という現状は、流石に彼女のキャパシティの限界を超えている。

 

「それに関してはすまないね。僕も死にたくは無い。本気で対策させて貰っているとも。……で、本題なんだが。赤木リツコ博士。僕の側に付かないか? 報酬は君が『真に望むもの』を与えよう」

「————神にでもなったつもり? 随分と大言壮語するじゃない」

「君が欲しいものはシンプルだからね。大言壮語でもないと思うが」

「言うわね? ————なら、私が求めているものは当然把握していると?」

 

リツコのその問いかけは、当然のもの。『お前の真の望みを叶えよう』などと言われれば、『いや真の望みって何』と思うのは誰であっても同じだろう。

 

そして、その問いに対して、サキエルは至って平然と回答する。

 

「愛だ」

「そんなもの、誰だってそうでしょう?」

「まぁそれはそうだ。端的すぎたね。より詳細に言うのなら、君は誰かに認めて欲しいと願っているが、同時にプライド故に『自身より優れる者に愛されたい』という願いを抱えているのではないかな?」

「私より優れるモノに愛されたい……?」

「そうだ。故に碇ゲンドウや母である赤木ナオコの愛を求めている。……だがどうだろう。僕は決して2人には劣らない優秀さを持ち、君を愛するだけの度量を持つ準完全生物な訳だが……少しぐらい、僕の愛を味見しても良いんじゃないか?」

「なかなか独特な口説き文句ね?」

 

そう告げるリツコだが、呆れたような表情と同時に、その視線には少なくない興味の色が浮かんでいる。

 

リツコとて女だ。いや、むしろかなり女としての欲は強いとリツコ自身自覚している。見目麗しい青年に言い寄られる状況に、ちょっとときめくのも致し方無い。

 

だが、その感情が『相手が使徒だと把握した状態』でさえ『むしろ興味が増す』という奇矯な嗜癖であった事に、むしろリツコ自身が驚いてしまっていた。

 

そう。赤木リツコという女の、まさに『女』である部分の思考回路は、『優秀な存在』に飢え渇いているのである。

 

なまじ、彼女自身が極めて優秀であるが故に、自分より優秀な碇ゲンドウに靡いてしまったその『女』の部分。

 

その母親譲りの『優秀なパートナーへの渇望』は、サキエルの提案に際して、知らずのうちに生唾を飲んでしまう。

 

それを自覚してしまえば、リツコという女のうちに宿る炎は、否応なしに燃え盛る。

 

故に、リツコは躊躇いながらもサキエルの差し出す手を取って————。

 

 

————数刻の後、仮眠室にて自らの内に棲まうケダモノに屈したリツコは、自分でも驚くほどにあっさりと、枕元で愛を囁く怪物を受け入れてしまったのだった。

 

赤木リツコという生き物は、どうやら人でなしであったらしい。などと自嘲する彼女だが、そんな姿を晒したリツコに対するサキエルの対応はどこまでも好意的。

 

————この甘い毒薬は、子供では耐えられまい。

 

そう判断がついた時点で、リツコ自身も毒薬を呷った事に変わりはなく。

 

心と身体を重ね合う快楽に身を委ねたリツコは、もはや完全にサキエルの術中に堕ちていた。

 

だが、そうして『別の術中』にハマってしまえば、今までハメられていた『術中』が見えて来ることもある。

 

「……私、ピロートークするの、初めてだったのね」

「おや、そうなのかい?」

「ええ。……あの人にとっても、貴方にとっても、私は駒に過ぎない。それなら、大切に可愛がってくれる方に、私は進むわ」

「そうか。ありがとう。……これからよろしく、リツコ博士」

 

そう告げたサキエルに抱きしめられ、その腕の中で眠る夜は、ひどく心穏やかで。

 

リツコは、久しぶりにゆっくりとした深い眠りに落ちたのだった。


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