第3新東京市跡地。そう呼ぶべき程、何もかもが灼けて熔けて無くなった箱根の街。だがおそるべき事に、ネルフはそんな状態からでも都市を再構築しようとしていた。
そのキーとなったのは、大量の使徒サキエル。不眠不休で活動し、人外の力を持つ彼らの手によって都市の残骸が排除され、瓦礫は整理と分別を経て資材化され、急ピッチで使徒迎撃要塞が構築されていく。
この期に及んで、サキエルは遂に手を抜く事を『諦めた』のだ。認識出来ない『何者か』によって都市が再構築されていく様は余りに不気味だが、その不安を『無理やり捩じ伏せる』事を選んだのである。
ネルフのエンジニア部隊が日夜を問わず復興に従事中という情報をネルフ本部内に『公然の事実』として流布させ、虚無から湧いて出ている資源や人員は『特務権限で招聘された』様に書類が偽造され、架空の作業員に架空の給与が支払われる。
————これら全ては、裏の事情を知る者にとっては茶番と言う他なかった。
工事担当スタッフも、設計スタッフも、技術スタッフも全てサキエルで、ついでに総司令に擬態しているのもサキエル。
ネルフの機能をこの際完全に乗っ取ってしまおうというのが、サキエルの計画だった。
そしてそれは、人員の面でも同様だ。
都市部分の崩壊やらを理由に色々と託けて、大規模な人員削減を行ったネルフは、『白』であると判断された主要スタッフ以外を悉く『擬態したサキエル』に置き換えて、随分とシェイプアップさせられたのである。
制服を着込んだ『印象の薄いスタッフ』が増えても違和感を覚える者は少なく、もし覚えたとしても日が経つにつれ『気のせいか』と受け流してしまう。
もちろん、お役御免になったスタッフは『ゼーレのスパイ』でもない限りは普通に家族と共に疎開しているだけなので、これと言って人類に害があるわけでもなかった。
斯くして、完全にサキエルの手中に収まったネルフ。その中であくせくと働くスタッフ達は、多忙な日々の中で、違和感を埋没させ、作られた日常を受容していく。
天使の炎に焼き払われ、ソドムとゴモラの如く滅んだ第3新東京市は、堕天使の手により、真実『冒涜の都』へと生まれ変わりつつあった。
* * * * * *
そんな仮初だらけのネルフの中、伊吹マヤは技術開発部技術第一課にやってきた、新たな後輩と顔合わせを行なっていた。
「初めまして! 佐伯ルイです! よろしくお願いしますね、先輩!」
「う、うん。よろしくね佐伯さん」
髪の毛をピンクに染め、青いカラコンを入れ、挙句に耳にはピアスを開けまくった、随分と奇抜な装いのその新人は、とんでもない美少女としか言えない顔立ちの女性。
産まれたままの黒髪黒目の自分とは随分と異なるその存在に、マヤの第一印象はぶっちゃけ悪かった。
真面目で潔癖なマヤにとって、今までの人生でこういう『ヤンチャな人種』は相容れない存在だったからだ。
だがしかし。
————指導担当として尊敬するリツコ先輩に任命されたんだから、苦手な人種でも頑張らないと。
そう考え、あくまで優しく接する覚悟をマヤは決めて、指導しつつの業務に勤しむ事となったのだが……そんな彼女の覚悟は、良い意味で裏切られることとなる。
「マヤ先輩。コーヒーいかがですか」
「あ、うん。ありがとう佐伯さん」
「ルイで良いですよ。あとこれ、言われてたデータです。ご査収下さい」
佐伯ルイは予想外な事に、随分と真面目かつ優秀だったのである。
そのギャップは、最初の悪印象を吹き飛ばすには十分で、マヤはその日の業務を終える頃にはすっかり佐伯ルイへの評価を改めざるを得なかった。
その正体が、『赤木リツコのメンタルケアの為にルイス秋江がリツコと付き合ったら、後輩のマヤのメンタルが悪化したので今度はそれをテコ入れする』という随分とアレなサキエルの計画によって生み出された分身の一体だと気づく事もなく、マヤは新たに出来た後輩のお陰で随分早く終わった業務に機嫌を良くして、帰宅する。
————今日は、食べ過ぎる事も、そのせいで吐く事もなく眠れるかもしれない。
そんな風に考えるマヤの心は、サキエルがテコ入れを決断する程にはボロボロだ。
潔癖症。それに伴う男性嫌悪と、そこからくるストレスによる過食症。その根幹にあるのは、自己承認の不全。
『良い子』を自分に強いて来た結果の精神的な疾病の数々は、ネルフスタッフで最もピンチと言って良いレベルにあった。
故にこそのサキエルの介入。外見のインパクトで印象づけ、心の壁に隙間を開けて、彼女の心の中に佐伯ルイという存在を居座らせる。
汚い物を拒絶し、綺麗なものだけを見たいという彼女の虚弱な精神を保護してやるには、ショック療法で現実を叩きつけるか、夢を見せ続けるしかない。
そしてサキエルは後者を選び、可愛らしい天使をマヤへとあてがったのである。
その正体が天使ではなく
————現に、この日マヤは珍しく、過食症の発作を起こさずに眠ることができたのだから。
* * * * * *
一方、その頃。初号機ケイジにて。
「……ネルフスタッフ病みすぎでは……まともなのが、まともなのが青葉君と日向くんぐらいしかいない……」
『ゼーレの補完計画はシンジの心を追い込むのが前提だったから、人間関係が崩壊するようにあの手この手が使われてるのよね』
「ほう。……つまり悪いのは碇ゲンドウ」
『……』
『あんまりゲンドウさんを虐めないであげて?』
「碇ユイ、君が甘やかすからその男は反省しないのではなかろうか」
『そこも可愛いところよね』
「僕はその尻拭いをさせられているんだが……というか補完計画、補間計画の邪魔でしかないな……」
『それは当然そうよ。人類補間計画は人類補完計画と対極に位置する計画なんだから』
「ヒトの魂を僕が延々手作業で繕う計画だからね実質……。とりあえず、全人類が対象じゃあないのが救いかな……」
『本命はチルドレンだものね。……だから、ネルフスタッフは切り捨てても良いのよ?』
「一点の迷いもなく言うあたり、君の方が余程怪物だな……シンジ君やチルドレンの補間に差し支えるから、彼らの関係者は補間対象だと判っている癖に」
『ふふふ。揶揄い甲斐が無いのね?』
「夫婦揃ってユーモアについて学んで欲しい……」
そんな風に『全ての元凶』な夫妻に苦言を述べているサキエルの姿は、誰にも気に留められることはない。
しかし、彼の漂わせる『なんだか疲れた』というATフィールドの波長は、結果的にネルフスタッフを遠ざける人払いとして機能し、彼は誰にも邪魔される事なく初号機に文句を垂れながらも、補間計画をすり合わせるのだった。