「レリエルではなく、ゼルエルが先に来る、という読みは僕と碇ユイで一致するところとして、そのゼルエル戦なんだが、ゼーレはどう動くだろう」
そうサキエルが話を振るのは、初号機の中のユイとゲンドウ。ネルフの最高頭脳であるユイと、謀略に長けるゲンドウの組み合わせは、ネルフにおける対ゼーレ作戦には最も頼りになる存在だ。
『おそらく、ゼーレはサキエルがイロウルを魂ごと取り込んだ事で相当に焦っているはずよ。彼らの前回の目的は使徒とネルフの共倒れ。サキエルと3機のエヴァを前提とし、サハクィエルとサキエル、残るエヴァ寄生使徒と初号機以外のエヴァを当てて、ギリギリでネルフの勝利、というのが最善のシナリオだったのね』
『ああ。そして老人たちは、『最悪、ネルフの戦力が予想以上でも使徒を殲滅し魂を還元できれば問題ない』と考えていたはずだ。だがイロウルの魂はガフの間に戻ることなく、サキエルと一体化している』
『補完計画の発動の生贄とする筈の旧き者の魂にまたしても欠員が生じた。これは彼らにとっておだやかではない事態のはずだわ』
『単純にヒトを新生させるには出力が足りないからな』
そう語る2人の意見は、ゼーレの焦りを示唆するもの。つまりネルフ優位……とはいかないのが、ゼーレの厄介なところだ。
「なるほど。だから槍で僕を消滅させようとしているのかな?」
『いや、おそらくは還元だ。アダム同様に肉体から魂を引き剥がすつもりだろう』
「あー……すると、僕の肉体をアダムとして使うつもりか」
『ああ。……アダムとリリスの禁断の融合。それに伴う究極の補完が老人達の狙いだ。使徒もヒトも一切合切を合一させ、天上の神に至る……予備である初号機はシンジとの一体化を進めることで封じたが、未だ地下のリリスは補完に使用できる』
『そして、純粋なアダムならともかくレイちゃんはサキエルには懐いているから、サキエルをアダムの代用に使えば……』
「リリスとの融合の可能性も高い、と。……どうにか槍を破壊できれば良いんだが……」
『ロンギヌスはそれ自体がアダムやリリスと同格の完全生命だ。難しいだろう』
ホーミング無限射程絶対貫通一撃必殺武器というチートオブチートな存在、ロンギヌス。それに対抗する策は現在のサキエルには思いつかないし、おそらく未来になっても対抗策など無いのだろう。
ロンギヌスはもはや世界のシステムの一部とでも思う方が良い存在なのだから。
だが、世界のシステムをハックを超えてファックしている天才『碇ユイ』は、悩むサキエルに向けて、一つの案を提示した。
『ならいっそ、還元されるのを見越して還元前提で有利になれるように立ち回りましょうか。幸い、理論上不可能では無いのは証明済だしね』
めちゃくちゃなことを言うユイ。そんな彼女に対して、思わずサキエルが本音を口走ってしまったのも仕方ない。
「は? 変態か?」
『天才の間違いでしょ?』
『……ユイは紙一重だからな』
『あなた?』
『…………なんでもない』
同じく口走ったが許されなかったゲンドウが萎縮する中、ユイが語るのはサキエルの勝利と『ユイの勝利』の為の策。
その策を検討する3人は、渋面のゲンドウ、ニヤニヤ笑いのユイ、狼狽するサキエルという中々珍しい表情でその計画を話し合い、筋道立てて組み上げていく事となるのだった。
* * * * * *
そして、時刻は夜。
還元前提の作戦。その実行のためにサキエルとユイが最重要人物として見定めたのは、赤木リツコ博士だった。
打算と脅迫で始まった関係。それは彼女の欠けた心を埋める為に続けられ、サキエルとリツコは『恋人』としての関係を維持し続けている。
リツコはその関係を『どうせ騙されてばかりの人生、幸せに騙してくれるならそれも良い』と受け入れ、サキエルは『保身とチルドレン関係の計画の為に赤木リツコの精神安定は重要である』としてその関係を続けていた。
互いが了承しての、歪な恋人関係。ヒトとシトの異種族間では、それでも随分『親しい』関係にあった2人。
だが、その関係にこの日、終止符が打たれる事になろうとは、サキエルもリツコも予想して居なかった。
それは打算であり、怪物的思考の露呈であり、今まで偽装してきたサキエルが『性根を晒す』行為そのもの。
だが、誰でも良いはずのその計画の対象に、サキエルは何故かリツコ以外の人物を思い付かなかったのだ。
「————というわけでね。断ってくれても構わないんだ。ただ何故か僕はこの話を初めに提案するのは君でなければいけないと思考しただけで、効率的な部分では他者で代替しても一切支障はない。……いや、やはり言わない方が良かった。君のATフィールドが乱れている。何故僕は、我慢出来なかった? すまない。支離滅裂だ。一度思考を冷却してこよう。だから一旦解散————」
「待ちなさい、驚いただけよ」
あらゆる盗聴や監視を対策されたリツコの家。そのリビングで計画の全てをリツコに語ったサキエルは、柄にも無く頭を抱えて居た。
内心でそうする事はあっても、彼が現実に頭を抱えるというのは相当な事態だ。何しろそれは疲労担当を設けるだけではキャパシティが追い付いていないという事を示しており、現実問題、『サキエル総体』の動きが鈍る程には彼の思考領域は葛藤と混乱に満ちていた。
つまるところ冷静ではない。擬態も忘れて、素をリツコに晒す程度には。
だからこそ一旦冷静になろうと立ち去る事を選んだ彼を引き止めたのは、諸々ぶっちゃけられたリツコ本人だ。
だが、その顔は赤らんでおり、そこにあるのは困惑と、それ以上の喜悦である。
「一旦貴方の計画を整理しましょう。もう一度、ね」
「————了解した。相変わらず擬態が上手くいきそうにないんだがそれでも構わないなら」
「その方が良いわ。貴方の本音なんてなかなか見る機会がないもの」
「そうかな? ……では初めから話そう。これは前提としてロンギヌスの槍という全ての生命の制御装置を攻撃に転用される事への対策だ」
「アンチATフィールドによる生命の還元と再構築、だったかしら」
「そう。この槍を『使う』という意思の元に使用することで、対象の生命に干渉できる。『活動停止』『肉体と魂の還元分離』などがその機能の代表だ」
「……そしてそれは今ゼーレの手元にある、と」
「そうなる。彼らは間違いなく僕に対して槍を使用するだろう。そしてその目的は肉体の還元だ。魂を取り出し、補完計画の贄にする為にね。僕は使徒から堕天したが、僕が取り込んだイロウルは使徒の座にある。ゼーレにとってはこれ以上の損失は許容できない、というわけだ」
「なるほど。前提は改めて把握したわ。それじゃあ貴方の計画を、もう一度聞かせて欲しいのだけれど」
そう告げるリツコは、机の対面に座るサキエルが悩ましげに額の前で組んでいる両手の指を解きほぐし、その手を包み込むように自身の手を重ねてしっかりと握りしめる。
絶対逃さない、というその気迫を間違いなく受け取ったサキエルは、改めてその『最低な生存戦略』をリツコに説明する事になった。
「まず、還元されるのが恐ろしいなら、還元される前に先に自分で還元してしまえばいい、というのがこの計画の根幹になる。僕という存在を肉体と魂に先んじて分離しておけば、肉体にロンギヌスが突き刺さっても魂に影響はないからだ。もちろん肉体は還元されてしまうけどね」
「なるほど。じゃあ、本題ね。その為にどうするのかしら」
「……渚カヲル、綾波レイ。使徒の魂を人の肉体に組み込んだ前例がある以上、魂を移し替えるのはヒトの身体が無難だ。だがそれでは片手落ちとなる。単に魂のない身体に組み込むのならレイクローンという案もあったが、クローン技術は未だに不完全。レイは自身のエネルギーの多くを生存に割いてようやく生きている程だ」
そう告げて、サキエルは『まぁそれは君もよく知る通りだろうね』と補足する。
レイの主治医であるリツコは当然、その発言に首肯した。
それを見てから、サキエルはゆっくりと計画の先を説明する。
「そこで私は渚カヲルに目をつけた。レイを参考に組み上げられた彼は、おそらくクローン受精卵にアダムの魂を叩き込んで構築した存在だと思われる。だから僕は、これを更に突き詰めて————女性に『僕自身』を懐胎させる計画を立案した」
イロウルとバルディエルの権能でサキエルの肉体の一部、まさに1細胞を精子として再構築し、そこにサキエルの魂を移してから、誰かしらの卵子に結合させて、ヒトとシトのハーフとして再誕する。
当然その場合細胞を継承しているので元の肉体の能力は失わない。S2機関を全て持ち出す事は出来ないが1つだけなら確実に組み込める。
そう語るサキエルの計画は、割と冗談抜きに『最低』だった。
というのも、この計画、怪物の親となる母胎の事情は一切考慮されていない。サキエルという存在の再誕の為だけに人間を1人使い潰そうというのだから、中々外道と言えるだろう。
加えて、おそらく母胎も体内からサキエルの影響を受けてしまうのでヒトでは居られなくなる。総じて碌でもないその計画は、自我の安定前に国連軍の兵士を何千と殺しているサキエルでも『倫理的にマズい』と二の足を踏んでしまう内容だった。
何しろ、この案は言うなれば『フレンドリーファイア』だ。敵を幾ら殺しても英雄になるだけだが、味方を1人自分の生存の為に犠牲にするのは、どう考えても賞賛されるべき行為ではないのである。
しかも、その生贄にネルフの最高頭脳である赤木リツコ博士を選ぶというのは、どう考えても非合理的だった。
セカンドインパクトで孤児は多いのだからその辺の孤児を攫ってきて使えば良い話なのである。その手法もかなり外道ではあるが、人間にはその有用性による価値の差が明確に存在する。どう考えても赤木リツコという存在は、賭け金に使うべきコマではないのだ。
「つまるところ、貴方は、『私に自分を産んで欲しい』から私に声を掛けたのね?」
「……そうなのかもしれない。いや、全く、合理性に欠け————」
そう口走るセリフは、リツコの口付けによって封じられ、サキエルは困惑の視線をリツコに投げかける。
それに対するリツコのセリフは、彼女も相当に歪んでいるのだと、サキエルに改めて認識させる内容だった。
「貴方は私に執着している。私に依存している。それは愛と同義だわ。喜ばないわけがないでしょう?」
「いささか暴論じゃないかな」
「そうかしら? 自分を産んで欲しい、なんて究極的な好意の表明と言っても良いと思うわ。私は事実そう受け取っているもの。————そうね、貴方を納得させるとすれば……合理的に考えて、生物がもし自分の母親を選べるとしたらどんな母胎を選ぶのか考えてみればどうかしら」
「健康、優しい、美しい、能力が高い、遺伝的に優秀、生活が安定している、魅力的————ああ。なるほど」
————僕の中で君が女性として最も評価が高かったのか。
そう独白したサキエルは、席を立って自身の背後に回ったリツコに、優しく抱きしめられた。
「ふふふ。天使様に1番愛されるなんて素敵ね」
「仮に堕天していなくても、今の自分の在り方は悪魔のそれだと思うよ」
「そうかしら? 素敵な人よ貴方は。だから、もう一度私に聞かせて? 貴方の告白を」
「……赤木リツコさん」
「はい」
「君に僕を産んで欲しい」
「喜んで」
「ねえこれ告白で良いのかな。やはり変態発言では?」
「恋人同士なんてみんな変態みたいなものよ」
「そんな無茶な」
未だに『この計画が二つ返事で了承されてしまうだと?』と言いたげに眉を顰めるサキエルと、よほど嬉しいのか彼の背にギュッと抱きつくリツコ。
そんな彼らは、『碇ユイの予言通り』に受け入れられてしまったサキエル転生計画を実行に移すべく、やがてリツコがサキエルの手を引く形で寝室へと消えていく。
かくしてサキエルは、自己の保存に関してアドバンテージを獲得し、ゼーレの策に抗う一手を仕込んだのであった。