【完結】我思う、故に我有り:再演   作:黒山羊

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影も形もない

ジオフロント内部の自然区画。その上空に突如現れた白と黒の奇妙なシマウマ柄の巨大な球体は、ただぽつねんとそこに存在していた。

 

認識阻害化したサキエル軍団が包囲しつつ警戒し、チルドレンもエヴァに乗って発進待機。そんな状況で、待つ事3時間。

 

全くもって動かない、それどころか判別不能の『オレンジ』を出しているせいで厳密には使徒かどうかすら判らない。

 

ただそこに突然現れ、そして佇んでいるだけのその存在。それに対してただ此方も静観するというのは強靭な精神を持つネルフ職員と言えども焦れてくるものだ。

 

その一瞬の気の緩みの最中。突如として、幾重にも監視されている謎の球体は、忽然と姿を消した。

 

そして。

 

「初号機ケイジ内にパターン青!!! 使徒ですッ!!」

「なんですって!? マヤ、初号機を緊急射出!」

「了解……! ダメです! 初号機リフト、動きません! いえ、これは……嘘? リフトが無い!? ダメです、ケイジ内の機器、コンソールとの接続が効きません!」

 

困惑するマヤの声と同時に、モニターへと映し出される初号機ケイジ内。発令所の皆が愕然と見つめるその先には、初号機がいる筈の場所に浮かぶシマウマ模様。

 

搭乗するシンジごと、一瞬にして消失した初号機。そして、使徒らしき球体は再び自然区画へと舞い戻る。

 

エヴァ初号機とシンジを人質にした使徒がただ静かに佇む中、シンジを失ったアスカの悲鳴が、ジオフロントに響き渡った。

 

 

* * * * * *

 

 

「アレ? ケイジは? どこ此処? え?」

 

闇の中。困惑の声を上げるシンジは若干のパニックに陥りつつも、次第に冷静になり、自身が使徒に襲われたことを理解した。

 

「でも、どこなんだろう此処。ソナーを出しても反応がないし、外はずっと真っ暗だし。……うーん。浮いてるのか沈んでるのか漂ってるのかもわからない……」

 

エヴァをジタバタと動かしても、ATフィールドを張って見ても、さっぱり手応えが無い。

 

そうして、足掻くうちに、シンジは不安になってきた。さっぱり出られる気がしないのだから当然だ。

 

幸い、エヴァ初号機にはS2機関とN2リアクターがある。生命維持装置や浄化装置の限界は心配しなくても良いだろう。

 

問題なのは、シンジの精神だけだ。

 

「どうしよう。アスカ心配してるよな。早く、早く帰らなきゃ」

 

焦り。不安。そして寂しさ。可愛い恋人(アスカ)の事を口に出すのは、自身が寂しく思う気持ちの現れだ。

 

無限の虚無の中を漂う中で、エヴァ初号機と融合することも頭に過ぎる。シンクロ率の限界を越えたエヴァとの一体化。エヴァンゲリオンの最大出力で以って、自分を捕らえる謎の空間を撃ち破る。

 

シンジにとってそれは実にいい案に思え、彼はエヴァとのシンクロの為精神を集中させる。

 

 

その瞬間。

 

 

冷たく大きな魂が、シンクロに割り込む形で、碇シンジを取り込んだ。

 

 

* * * * * *

 

 

「使徒に動きあり!」

 

エヴァ初号機の吸収から5時間。

 

吸収直後に出撃した弐号機による、悪鬼羅刹の如き攻撃の嵐も、プロトンビーム砲も、何もかもを受け付けない『幻影』のような手応えの無いその使徒を前に、泣きじゃくりながら苛烈な攻撃を浴びせていたアスカは、ベソをかきつつも目の前の使徒が、紫の巨人を吐き出した事に希望を含んだ声を上げる。

 

「シンジ! 心配かけさせるんじゃ無いわよ! このバカ! アタシがどれだけ不安に————……シンジ? ねぇ? モニターぐらいつけたら? ……い、居るのよね? 帰ってきたのよね?」

 

光を失い、吐き出された姿勢のまま全く動かない初号機。強制廃出されたプラグをアスカの弐号機が慌てて抱き締め、その内部のシンジとシンクロしようとして————アスカは、顔面を蒼白にして、気を失った。

 

エヴァンゲリオン初号機の回収。しかしそれは碇シンジの帰還を意味せず、使徒はただ黙してそこにあり続ける。

 

ミサトの判断は、エヴァ初号機と停止した弐号機を回収しての一時退却。

 

シンジの救出に関しては、一度じっくりと作戦を練るべきだという見解は、ネルフの総意であると言えた。

 

 

* * * * * *

 

 

「初号機の内部レコードを総浚いした結果、シンジ君は最後に急激にシンクロ率を上昇させている。これについては、使徒の体内を彼なりに探索した結果、最大出力での破壊を思い至ったから、というのがシンクロデータの解析で分かっているわ。でも、それは途中で失敗に終わった。そして記録されているシンジ君の最後の表層意識は————」

「冷たくて大きい魂、か。抽象的だけど……まぁ、使徒よね」

「ええ。おそらくシンジ君は使徒に対してシンクロさせられてしまったのね。そして、取り込まれた。……ミサトの一時撤退は英断だったわ。今、あの使徒はシンジ君でもある。下手な殲滅は彼の死を意味するもの」

「まさに人質ってわけね……今までは『内部のエヴァ初号機には強力なATフィールドがあるんだから使徒を壊せば取り出せるかも』で動いてたけど、そうは行かない……どうしようかしら」

 

「現状、チルドレンに代わってルイス君が使徒とのシンクロを試みているわ。ほら、前に作ったでしょ、使徒とのシンクロ装置」

「あぁ、あのトラック。……うまく行きそうなの?」

「状況は微妙ね。彼曰く『あの使徒は現実には存在しないのかもしれない』そうよ」

「……恋人の色眼鏡抜きの、科学者様としてのリツコの意見は?」

「科学者としても恋人としても同意見よ。分析の結果、あの使徒の本質は影にあると思われるの。薄さ3nmの極薄のATフィールドを内向きに貼り合わせて、現実世界とディラックの海を繋げている。あの球体は影であり出口で、あの球体の影に見えるのが本体であり入口。だから出口に攻撃をしても影だから意味はないし、かと言って入口に攻撃しても飲み込まれて終わりよ。まさに実体がないの」

「幽霊って事?」

「いいえ。あの使徒はね、ディラックの海の中にいるのよ、おそらくは。異空間の向こうから、現実に干渉してきていると思って頂戴」

 

そう告げるリツコの表情は、暗い。ディラックの海の向こう。それはおそらく、もう一つの宇宙と言う他ない広大な虚数空間の筈だ。容易く干渉できるものではない。

 

干渉能力を持つサキエルやカヲルも極秘裏にディラックの海の中を浚っているが、あの使徒によって随分と妨害を受けているようで、シンジをサルベージする試みは実っていない。

 

そんな状況に歯噛みするリツコとミサトは、ハーブティーを手にひたすら書類を睨む。

 

「……ねぇリツコ。そういえばコーヒー辞めたの? おしゃれなハーブティーになってるけど。この前からずっとタバコも吸ってないし」

「そんなことを話している場合?」

「煮詰まってきてるからちょっと他のこと考えて頭を冷ましたいのよね」

「そういうことね。……コーヒーとタバコを辞めたのは妊娠したからよ。至って普通な理由でしょ?」

「あー、お腹の子に悪いって言うもんね。…………は?」

 

ミサトの完全に素の「は?」が出てしまったが、大学時代から彼女を知るリツコにとっては特段恐れる声でもない。

 

リツコは実に冷静に、先の言葉を反復して見せた。

 

「だから、妊娠したの。それだけよ」

「えええええええええ!?!!? 誰の子よ!?」

「うるさ……あのね、ミサト。ルイス君以外に居ると思う?」

「あ、うん、そうよね、そっか、妊娠、妊娠かぁ……結婚式は?」

「籍はもう入れてあるけど、今はお祝い事ってムードじゃないもの。使徒襲来が終息して、平和になってからの予定よ」

「ふーん……はぁ、加持の奴もルイス君くらいの甲斐性がないものかしら……」

「それはちょっと加持君に酷よ?」

「リツコの方が酷いこと言ってるじゃない。惚気ちゃってぇ……。あ。閃いたかも」

「あら、頭を休めた効果があったの?」

「使徒とのシンクロ、アスカにやってもらってみたらどうかしら」

「あの子今寝込んでるのよ?」

「もちろん、起きてから。それまでは他の手段も考えるけど……シンジ君が使徒に取り込まれたなら、あの使徒はシンジ君でもある。————それなら、最愛の彼女の声に応えない訳がないわ」

「希望的観測じゃないかしら?」

「愛の結晶を抱えてるのに愛の力を疑うの?」

「……それはそうね。ひとつ、アスカに賭けてみましょうか」

 

————それはそれとして、他の方策も考えないとダメよ。

 

そう付け加えたリツコの声を合図に、ミサトとリツコは再び論文や作戦課からの案を精査する作業へと戻る。

 

今までにないタイプの使徒を相手に、ネルフはかつてない苦戦を強いられていた。


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