【完結】我思う、故に我有り:再演   作:黒山羊

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子は産むも心は産まぬ

シンジの意識が覚醒したのは、過ごし慣れた家の中だった。

 

自分の部屋のベッドで目を覚ましてしばらくは、先程までの荒唐無稽な体験は実は夢だったのでは? なんて悩んでいた彼だが、窓の外を見れば、いつも見えるネルフ本部はそこになく、代わりにあるのは漆黒の闇。

 

どうやら此処は自分の精神世界であるようだ、と結論づけたシンジは、自分の部屋の扉を開き、リビングへと向かう。

 

『誰か』が居るのならダイニングだろう。そう考えたのはなんとなくだが、こと心の中では直感を信じたシンジの判断は悪くない。

 

その証左として、『彼女』はそこに居た。

 

「アスカ……? いや、違う、君は……?」

「この個体の名称はアスカと呼称されるのか?」

 

アスカとは違う、銀の髪。赤い眼差し。そして家の中にも拘らず着込んでいるプラグスーツは、見たこともない白と黒のツートン仕様。

 

そして何より、声があまりに違う。アスカの可憐なソプラノボイスが発されるべき柔らかな唇が紡ぐのは、低く太いバスボイス。不釣り合い過ぎて一周回って似合っている気すらして来る程の違和感。

 

そんな声で質問に質問を返してきたその存在について、シンジは心当たりがありすぎた。

 

「君は、その……使徒?」

「いかにも。繰り返すがこの個体の名称はアスカと呼称されるのか?」

「えっと、そうだけど」

 

そんな風に応えつつも、『敵なのでは?』という意識から、シンジはその手にATフィールドを収束させて、五指を凶悪な鉤爪へと変える。

 

それを見た『使徒』はしかし、困った顔で首を振った。

 

「それは君にとって不利益な事象を発生させる選択だぞ、碇シンジ。君のその一撃は容易に私の生命活動を途絶させるだろうが、そうなれば君は無限の虚無を永遠に彷徨うこととなる。私が失われれば門は閉ざされるぞ」

「……逆にどうして僕を殺さないの?」

「意味がないからだ。その行為によって有益な結果は入手できない。元より私は君達に勝てない事を承知している。だが『勝利できない』現実は活路を探究しない理由にはならない。……素晴らしいな、知恵の実は。これが思考回路というものか。私の本能が言語(ロゴス)によって具象化されていく。……ああ、そうだ。君の生命活動の継続を希求するのは私の願望が君との対話だからだ。……席に掛け給え。精神世界とはいえ立ち続ける行為は脚部への疲労を知覚させるだろう?」

「えっと……勝てないから交渉したい、ってこと?」

「素晴らしい。君には要約の才覚が存在すると私は評価するぞ碇シンジ」

 

なんとも独特というか奇矯な語彙で語る『使徒』は、シンジに着席を勧めつつ自身も椅子へと腰掛ける。

 

アスカの似姿を取るその使徒を信用するわけではないが、かと言ってその言が真実である可能性を考えると攻撃するわけにもいかず、シンジは迷いながらも席に着いた。

 

「では碇シンジ。私と交渉をしよう。端的に供述するならば私は消滅を忌避し永続を希求する。完全な生物として完成することで、私は生命活動の永続を実現しようと思っている」

「完全な生物になりたい、って言われてもな」

「私は虚数の海から君たちを観察していた。サハクィエル、イロウル、バルディエル、ゼルエル。その全てを君達が打倒ないし服従させる過程を。そして君達を飼育するサキエルが完全な生物となった過程を」

「飼育って、そんな言い方」

 

プライドは割と低いシンジだが、流石に畜生扱いには引っかかるものがあったのか、反射的に反駁する。

 

しかし、使徒のその発言は別段嫌味や当て擦りではなかったのか首を傾げてシンジに問うてきた。

 

「……? 異種の世話をし、調教し、より優秀な個体を育てていく行為は飼育ではないのか?」

「うぅん……そう言われるとそうなんだけど」

「適切な語彙を再検討しよう。養育はどうだ」

「それなら、まぁ」

 

サキエルに養育されている自覚はあるシンジは、ペット扱いよりはマシかと、その語彙を容認する。

 

それを見て満足気に頷いた使徒は、会話を続行させた。

 

「では君達を養育するサキエル、と先の供述を変更しよう。————そう。そのサキエルだ。彼の方策は素晴らしい。知恵の実と生命の実を得ることができれば、我々は消滅を回避し得るのだ。必定の滅びを超越し、私は永遠に在り続けたい」

「その、さっきから言ってる知恵の実とか生命の実って?」

「君達リリンの持つ思考回路が知恵の実。我々使徒の持つ不朽の生命力が生命の実、君達がS2機関と呼ぶ仕組みだ。組み合わせることで、君達の知るサキエルの如く、完全な生物に至ることができる」

「完全な生物になって、僕達を倒すってこと?」

「それは無理だ。サキエルもまた完全である上に、彼は大量の使徒の因子を受け継いでいる。私では勝機はない。だが同時に完全生命体は不滅故に私が完全敗北することもない」

 

————要は長生きがしたいので君達リリンの知恵の実が欲しいのだ。うむ、語彙の使い方が良くなって来たのではないか?

 

そう主張の最後を結んだ使徒は、満足そうに頷いてから、言葉を続ける。

 

「では碇シンジ。君の協力を得るために私は君の質問に回答しようと思う。何でも聞いて欲しい」

「何でも?」

「ああ。私の知りえる範囲で」

「えっと、何でも良いなら……何でアスカの見た目なの?」

「君が最も愛するリリンの個体だったからだ。少しでも警戒を解くべく模倣した」

 

それは逆効果じゃないかな? と言わないのはシンジの優しさだろう。無理に指摘して使徒を混乱させるのは面倒だという気持ちもあるが。

 

とはいえシンジは詳しくは知らない事だが、情緒を有さず人間にも詳しくない使徒にとっては、『知人とよく似た他人は怖い』というのは難しい概念である。使徒がアスカを模倣してしまうのも仕方がない行為とは言えた。

 

それを何とは無しに察したシンジは、話題を次の疑問へと切り替える。

 

「なるほど……じゃあ、君は僕に何を手伝って欲しいのか教えてよ」

「ああ、実に簡単だ。私を懐胎して欲しい、碇シンジ。サキエルが愛玩している君の子であれば奴も無碍には————」

「待って待って待って。懐胎って何だよ!?」

「妊娠、孕む、受胎、これらの類語である筈だが」

「無理だよ!?」

 

当然の否定である。シンジからすれば『それを自分に言われても無理だ』の究極と言っても良い。

 

「何故だ。私はこの通り害意を有さない。君が私を再誕させてくれるのならば、私は君に仕えよう。生命の実を君に献上もしよう。それでも不安だろうか?」

「そこじゃないよ!? いや無理だって妊娠は! 僕男だし!」

「リリンは腹の中に子を宿して増殖する群体生命体ではなかったのか……?」

 

納得が行かない、という表情の使徒。シンジはその発言により、使徒が何を誤解しているのかに見当がついた。

 

サキエルを見て随分と慣れたが、どうやら使徒に性別の概念は無いらしい。ならば人間に性別があることに気づいて居ないのでは?

 

そう考えたシンジは、使徒の無茶な要求を覆すべく、説明を試みた。

 

「えっと……子供を産むのが女、子供の素を女に渡すのが男。僕は男だから子供を産めない。これで良いかな……?」

「なんと。……参ったな。サキエルが選んでいた個体は君の言う女だったのか。ではこのアスカという個体も女か? 構造の違いは個体差ではなく、男と女で対になる設計? ……なるほど、碇シンジ、君の記憶にある下腹部の凹凸を結合させる行為が生命リソースの授受のための仕組みなのだな?」

 

矢継ぎ早にそう問いかけてくる使徒にシンジは首肯し、誤解が解けたことを喜んだ。

 

妊娠など冗談ではない。使徒の能力を使えば男でも無理矢理孕まされそうなのがなお最悪である。

 

シンジはサキエルがピラルクーを巨大魚から超巨大魚に品種改良していることを知っていることもあり、使徒という生き物の『何でもあり』感はつくづく思い知っているのだ。

 

「しかし……。いや、無理だな。君を攫ってしまった以上私には君しかないのだ。私の細胞を卵とし、君の精子を受精させて君の胎内で育ててくれればありがたい。改めて君の肉体構成を精査したが腹膜に着床し腹腔内で発育すれば妊娠は可能だろう? 何、負担は掛けない。知っての通り私は虚数空間の支配を権能とする夜の天使レリエルだ。君の胎内には胎盤さえ接続させて貰えればそれで構わないとも」

「嫌だよ!? 産む穴も無いし!」

「肉体が成長すれば虚数空間を経由して体外に脱出すると約束しよう」

「でも……そんなの無理だって、男なんだから、赤ちゃんなんて産めないよ」

「強情だな。どうしたものか」

 

互いに引かないシンジと使徒レリエル。知恵の実が欲しいレリエルとしてはサキエル同様にリリンに生み直しをしてもらいたい。シンジとしては男の子なので出産とか無理。

 

なら出産しない方向で妊娠だけしてくれというレリエルからの譲歩(?)はあったものの、シンジの忌避感によって交渉は難航している。

 

そんな中、ふとレリエルが何かを察知した。

 

「む」

「どうしたの?」

「君と私に光明が見えたぞ碇シンジ。『アスカ』だ。今まではサキエルとタブリスが干渉してきていたが、どうやら外のリリン達が一計を講じたらしいな。君の精神と同調できるアスカを使い、君を呼び戻すつもりなのだろう。今シンクロしてきている彼女をここに呼ぼう。君が無理なら彼女に————」

「————ダメだ、アスカに酷い事は、それはダメだ。アスカは巻き込めない」

「ならばどうする、碇シンジ。君の選択は。産むか、産ませるか、私を殺して闇に消えるかだ。私としては親はアスカと君のどちらでも良い」

「……」

 

沈黙。

 

その内面にある凄まじい葛藤は、シンジから吹き荒れるATフィールドの奔流として具象化し、心象風景がグニャグニャと歪んでいく。

 

そうしてたっぷり時間を掛けた末に、碇シンジは苦渋の決断を行う事となる。




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