【完結】我思う、故に我有り:再演   作:黒山羊

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比翼の鳥

地球から遥か遠く離れた地点から、ヒトの心を覗き込む使徒。

 

衛星軌道に浮かべたJA3号によるプロトンビームの乱射を高速起動で交わしてみせるその様は、まさに『鳥の天使』の名に相応しい飛翔能力と言える。

 

そうして飛翔しながらも、ネルフ全体に例の光線を照射し続けているその使徒に動きが見られたのは早朝のこと。

 

もはやネルフスタッフも慣れつつあるアラエルによるシンクロ。その対象は、再びアスカへと戻り、チルドレン達の家へと光の柱が収束する。

 

それに対してシンジやレイがアスカへのシンクロを試みるものの、かつて無いほどに光量を増した『天使の梯子』によるアスカとの強固なシンクロは他者の介在を拒み、アスカとアラエルのみを折り重なる光のベールの内側へと隔離する。

 

そして————半ば夢の中の様なその場所でアスカが出会ったのは『自分によく似た』女性の姿だった。

 

 

* * * * * *

 

 

精神世界で邂逅した、アスカと、もう1人のアスカ。しかし後者は、現実のアスカに比べればさまざまな点が異なっている。

 

身長は高く、胸は今以上にたわわに実り、全体的に『大人』な肉体。そして何より目が赤い。

 

その特徴は、アスカに『コレが使徒の正体だ』と察知させるには充分。

 

故にアスカの最初の行動は、全力の飛び蹴り、いわゆる『ライダーキック』というべきものだった。

 

飛行能力を駆使した全力キック。アラエルはそれを防ぐこともなくモロに喰らい、大きく後ろに吹っ飛んだ。

 

そこに追撃のダイビングニーをブチ込んだアスカは、使徒の追撃に備え、間合いをとって残心の構えを維持する。

 

だが、常人なら内臓が2、3個破裂していそうな殺人プロレス技を受けたにも関わらず、精神世界のアラエルは、ゆっくりと何事もなかったかの様に立ち上がる。

 

無論アスカも、それを察知しているからこその残心だ。だが、彼女が予想したような使徒からの反撃はない。

 

『さては羞恥心で弱ったところにトドメを刺しにきたのでは?』という疑念と『おとといはよくもやりやがって』の怨念による一方的な暴力行使だったわけだが、流石にノーリアクションだとアスカとしても少しばかり気まずい。

 

苦しんでくれればせいせいするし、反撃してくるのなら先制攻撃の成功を喜べるのだが……アラエルの行動は、優しげな女性の声による発話であった。

 

「惣流・アスカ・ラングレーさん」

「……なによ」

「私は碇シンジの子供が欲し————」

 

蹴った。アスカはアラエルが言葉を言い切る前に、全力の胴回し回転蹴りを頭にブチ込んだ。

 

凄まじいを超えて悍ましい轟音と共に頭蓋が砕けて首がヘシ折れるそのザマからは、アスカが一撃に込めた殺意の程がよくわかる。

 

目玉と歯が飛び出し、蹴ったアスカ自身、咄嗟に出てしまった自分の『本気の蹴り』の威力に顔を青ざめさせてしまう程のその損傷。どう見ても即死級の威力である。

 

だが当然ながら、アラエルは使徒。そして此処は精神世界。故にその損傷は見る間に再生してしまう。

 

とはいえ精神世界であっても痛いものは痛く、苦しいものは苦しい。にもかかわらず先程からノーガードでアスカにボコられているアラエルが反撃しないのは、アスカならば『蹴って当然』だとその行為を受け入れているからに他ならない。

 

「惣流・アスカ・ラングレーさん。私の話を聞いては頂けませんか」

「……ふざけた事言ったら頭をブチ抜くわよ」

「ええ。結構です。ありがとうございます、惣流・アスカ・ラングレーさん」

 

アスカとて、この場で使徒を滅多撃ちにしても意味がないことは先の再生で理解している。故に、半ば諦め混じりに、彼女は使徒の話に耳を貸すことを決めたのだ。

 

「さっきからフルネームで呼んでくるけど、長いからアスカでいいわよ。……で、わざわざ蹴られに来たアンタの話って何よ?」

「単刀直入に申し上げると、私を取り込んで欲しいのです。アスカさん」

「はぁ? ……! アンタを産んでやる気は無いわよアタシ!」

「そうでしょうね。私も貴方なのでそれは判ります。碇シンジと自分の間に出来た子供以外は産みたくない」

「アンタがアタシぃ? ……いや、アンタは使徒でしょうが」

 

使徒の胡乱な発言を訝しむアスカ。しかしアラエルは僅かに首を振り、アスカへの発言を修正する。

 

「正確には、貴方の記憶と思考を取り込んで自我を形成した、ですね。綾波レイさんの要素も少しばかり入っていますが、私という擬似人格の根幹にあるのは貴方です」

「……ま、あれだけ頑張って人様の頭を覗いてりゃ影響も受けるかもね。でもアンタがアタシの記憶を持ってるからってアンタにシンジをお裾分けなんてあり得ないわよ」

「判ります。貴方は碇シンジを独り占めしたい。シンジの部屋とか要らないでしょ私の部屋に居れば良いじゃん、とほんのり思う程に」

「うぐ。いや、ほら流石にシンジにもプライバシーは必要だし実行には移してないわよ?」

 

そう言いつつも、目を泳がせるアスカ。

 

アスカは、母を人形に奪われた過去のトラウマが人格の根源に根付いている少女だ。故に愛するモノへの独占欲はアスカ自身も自覚している程に強い。

 

執着を越えて呪縛の域にあるその独占欲と、『全力で無条件に愛されたい』というそれはそれで歪んでいるシンジがうまく噛み合っているのが、シンジとアスカの仲良しカップルなのだ。

 

そして、アラエルは使徒としての孤独を胸に抱き、アスカという少女の思考回路を取り込み、綾波レイとの邂逅を経て、ただ一つの欲を抱いた。

 

「私は子供を産みたいのです。この世に私が1人では無い証拠を身に宿し、私の存在の証を子孫に継承したいのです。私が永遠に生きる定めだとしても」

「1人はイヤってのはわかるけどね、それでなんでアタシに取り込まれる、なんてトンチキな発想になんのよ?」

「私は偽物ですが、アスカ・ラングレーとしての記憶を有します。……アンタもアタシの本物ならわかるでしょ? シンジ以外の子供なんてゼーッタイにイヤよ! でも本物のアタシからシンジを取るのもイヤ! なら本物に全部食われてアタシも本物になっちゃえば良いってわけよ」

「……ああ、確かにアンタはアタシね。なんか妙に育ってるけど」

「母親になりたいという心が強すぎるのですよ私は。それに、アスカ。本物の貴方にも私の吸収は魅力的なはずだ。碇シンジと添い遂げたいのならね」

「生命の実……いやでも、サキエルから貰えばいいし」

「思ってもいない事を言うのは無理がありますよ? シンジの視線がサキエルに行く度に嫉妬の炎がチラついている貴方が細胞単体でも強烈な自我を持つサキエルを取り込む事はないでしょう」

 

そう言って苦笑するアラエルは、ひとしきりクスクスと笑ってから呟くように言葉を溢す。

 

「貴方達リリスの子らが来なければ、この星で私は兄弟達と、知恵を持たぬなりに生きられたのでしょう。ですがもはやそれは叶わない。異なる種が出会った時に起こるのは、いつだって生存競争です。しかし、時として世界には雑種が生まれ落ち、世に子孫を残すこともある。ならば私は、貴方達リリンの流れに組み込まれたい」

 

要約すれば『寂しいので融合したい』というその内容。だがアスカは、その言葉を鼻で笑って吹き飛ばす。

 

「アンタって後ろ向きよね、アタシのくせに」

「んなこと言ったって性格はアンタと同じだもん。繊細な乙女心はナイーブなのよ」

「アンタ、ちょくちょくアタシの地が出るわよね。というか、自分の敬語延々と聞くのも背中が痒いし普通に喋んなさいよ」

「じゃあ遠慮なくそうさせてもらうわ。本物相手に畏まってただけだしね」

 

そんな言葉を交わす2人のアスカ。かたや偽物の使徒。かたや本物の覚醒したリリン。緩やかに交わり始める2人のATフィールドは、彼女達の間で深い共感が始まった事を意味している。

 

「アンタはシンジの子供が欲しくてアタシになりたい」

「アンタはシンジと添い遂げる為に永遠の命が欲しい」

「うんまぁ、利害の一致、ってやつね。アタシがアタシと一つになれば、完全無欠のアスカ様、みたいな?」

「アタシは元々完全無欠よ! って言いたいところだけどまぁ、完全無欠には程遠いわよね。無限に生きられても寂しすぎて死んじゃいそうだし、寂しくなくても永遠には生きられない」

 

重なる声。ぼやけていく自他の境界。シンクロし、溶融するATフィールドは、やがて魂すらも溶かしあう。

 

アスカは真空の闇の中を飛ぶ鳥の孤独を知り、アラエルは母を奪われる苦しみを知り、互いの傷が重なり合って、互いの孤独が共有される。

 

ヒトという生き物も、シトという生き物も、本質的には孤独を胸に抱えて生きている。

 

だがヒトは、その身に命を宿す事で、その孤独が永遠のものではないと知るのだ。母としての愛。女としての愛。子としての愛。

 

そして使徒アラエルは、ヒトが孤独の暗闇に掲げる一本の松明を知ってしまった。ならばもはや、愛無くしては生きられない。闇の中には戻れない。

 

だからこそ、彼女はその身を火に焚べてでも灯りを求めた。

 

故に、もはや。孤独な鳥の天使はどこにもいない。

 

残されたただ1人のアスカは己の精神世界で瞑目し、現実へとその魂を飛翔させた。

 

 

* * * * * *

 

 

「……おはよ、シンジ」

「アスカ! よかった、起きたんだ、サキエルがさっきアスカにシンクロしてた使徒が消滅したって……!」

「アタシのおかげってやつよ。心の中でボッコボコにしてやったわ!」

「使徒を倒したの!? 大丈夫? 怪我とかしてないよね!?」

「そりゃもう、アスカ様大勝利に決まってるじゃない。完勝よ完勝」

 

そう告げて、目覚めた自分を心配そうに見守るシンジを抱擁するアスカ。ギュッと抱きしめ合い、互いのコアを重ね合う2人の間に言葉は不要。ただそれだけで、シンジはアスカの身に何が起きたのかを理解して、心配そうに優しく囁いた。

 

「そっか。使徒は……アスカ、本当に大丈夫なんだよね?」

「さっきからそう言ってるでしょ? アタシはアタシよ」

 

————惣流・飛鳥(アスカ)・ラングレー、アンタの可愛い彼女様。

 

そう言ってより強くシンジを抱きしめるアスカの背から青白い光でできた天使の翼が大きく広がり、シンジと彼女を優しく包み込む。

 

幻想的なその光景の中で、ひとつになった『飛鳥(アスカ)』は愛しいヒトと啄む様な甘い口付けを交わすのだった。


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