予定より早く到着した、かつ予想より元気が残っているということで、夕食までの間に私たちに課せられたのはイレイザーヘッドを相手にした組手だった。
一人三分ほどを使ってかわるがわる模擬戦を行い、細かく問題点を指摘しつつ意見を交換するというやり方であり、要するに職場体験学習のときに私がやっていたこととほぼ同じだ。
違うことと言えば、私とヒミコがイレイザーヘッドと並んで生徒を相手する側に回らされたことか。
ただ私はイレイザーヘッドと同様の立ち位置であったが、ヒミコは変身を用いた特殊な模擬戦の担当となった。
通常の模擬戦とは別に、ヒミコが変身した状態でイレイザーヘッドや私と戦う。変身されたものはそれを見て自身に何が足りていないのか、あるいは強みは何か、などを確認する。そんなやり方である。
最初からこの訓練をやるつもりだったのだろう。血を採取するための注射器は、サポートアイテムとして普段使っているものと同じものがロット単位で大量に用意されていた。
ヒミコの“個性”はどうも変身相手への好感度によって精度や効率が上下するらしいのだが、A組のメンバーを対象にした場合は誰であっても問題なくその“個性”を使える状態にある。まったく同じことができるものがいるのであれば、それを客観的に見せることで次に繋げよう……という魂胆だな。
まあ、変身した状態で相手と完全に同じ身体能力、技術になれるのはまだ私を対象にしたときだけらしく、変身相手によって差があったが……そこは仕方ないだろう。
ただ、ミドリヤの“個性”はその由来が極めて特殊であるためか、変身していても使うことができなかった。
単に“個性”の力が強すぎて、少しでも使おうとした瞬間変身が解けてしまうだけかもしれないが。試行回数が少なすぎて、実際のところはわからない。
なので彼だけは少々変則的になったが、おおむね模擬戦は平穏無事に過ぎていった。
……まあ、大勢の前で嬉々として血を飲み干したり、血の入っていた容器を名残惜しそうに舐めまわしたり、物欲しそうな目でクラスメイトのうなじを凝視するヒミコの姿は、平穏とは遠い気もするが。
これについては我がクラスにおける日常風景であり、特に何か問題になることはなかった。全員感覚が麻痺していると言われてしまえば、何も言い返せないが。
ともかくそうして時間は過ぎ、B組がやってきたところで訓練は終了。夕食の時間となった。
「……これ、食材足りるかしらん?」
その夕食時。調理室のほうから、黄色のプッシーキャッツ――ラグドールがぼやくのが聞こえてきた。
うん、すまない。すべてを食べ尽くす勢いで食べてしまって申し訳ない。
せめておいしく平らげるから、大目に見ていただきたいところだ。
さて、食事が終わったあとは入浴である。温泉があるということなので、ありがたく入らせていただいた。
「はあ……」
その浴場にて。ジローが深いため息をついていた。
何事かと思って彼女の視線を追えば、そこにはクラスメイトたちの豊満な胸が。
なるほど、確かに我がクラスの女子は全体的に身体つきがいい。特にヤオヨロズなどは他の追随を許さないほど。
彼女と比べてしまえば、ジローは少々慎ましやかと言うしかないだろう。その差を嘆いているのか。
……む? もしや彼女からたまに感じた暗黒面は、そういうことなのか? こんなことで?
「……運動の邪魔になるだけだと思うのだが」
「増栄……アンタももうちょっと大人になったらわかるよ……」
なので、胸について思うところを素直に言ったのだが。年季が長いにもかかわらず、教団幹部で唯一悟りに至れていないアナンダのごとき顔で諭すように言われてしまった。よほど気にしているらしい。
「そういうものか」
「そういうもんだよ……」
よくわからない。そうまでして気にすることだろうか。
いや、人間の女性の乳房が性的な関心を招く部位であることは知識として知っている。その大小が女性性のアピールに関わってくることも、わかってはいる。
そしてその結果として、胸部が慎ましやかな女性がやや不利になるという文化傾向があることもわかってはいるのだが……それはどこまで行っても文化における傾向でしかない。地域によってその価値は逆転することもある、程度のものでしかない。
何より、身体つきの好みなど人によって変わる。だからこそ気にすることではないと思うわけなのだが……折り合いをつけるにはジローはまだ若いということなのかな。
そう思いながら、ジローにならうように己の薄い胸元に視線を落としつつ、さすってみる。
年齢に加え、ただでさえ栄養が足らず発育の悪いこの身体である。子供特有の柔らかさはともかく、女性的な柔らかさはほとんどない。むしろ骨の感触のほうが先立つだろう。人によっては壁とでも表現するのではないだろうか。
触り心地も、骨の感触がところどころで感じられるから、お世辞にもいいとは言えないな。肌の質自体は年齢的に良いだろうが。
……ふむ? そうか。こうして改めて自分を触ってみるに、触り心地という観点に立つと私はいまいちかもしれない。
ヒミコがそこを気にするとは思わないのだが、ここ最近は一緒に入浴しているときや吸血時に、身体を触られる機会が増えたことだし……。
「二人とも隅っこで何してるんですー?」
と、いうところでそのヒミコが寄ってきたので、ふと何気なく彼女の胸に手を伸ばす。
「ふえっ!?」
「え、ちょっ、増栄……」
「ふむ……」
「ひゃうぅ……」
「うわ、指が胸に沈んで……うわ……改めて見るとおっき……うわ……」
ヒミコの胸は、思っていた以上に柔らかかった。この部分に筋肉をつけることは困難を極めるので、それは当然なのだが。
ひとまず触れてみての感想としては、やはり触り心地は私よりヒミコのほうが圧倒的に上だろう、ということである。ヒミコはクラスの中でも大きいほうだが……。
なるほど、そういうことか? 触る側……つまり、一般的にパートナーとなる男性にとっては、この部位は大きいほうがいいという結論に達するのか。胸が大きいほうがいいという文化傾向は、そこから生まれたのかもしれない。
まあ、私はヒミコ以外の人間と番うつもりはないし、ヒミコもそうだとは思うが……パートナーであることには変わりなく。
ゆえにその、いずれはヒミコがそういうことを……うん。求めてくる、かもしれない可能性を考えると、少しくらいは大きくなっておいたほうがいいかもしれない。
……と、頭の中で結論づけたところで気づく。目の前で、ヒミコが顔を真っ赤にして固まっていることに。この場合の赤いは、のぼせているとかではなく……。
「……あっ。す、すまない! 考えごとをしていて、つい!」
「……コトちゃんのえっち……」
「いや、そういうつもりではなくだな!? その、本当に申し訳ない!」
慌てて立ち上がりつつ、特に意味のない身振り手振りをする私。
そんな私を上目遣いに睨みつつ頬を膨らませ、しかし心中では、私が望むならどれだけでもしていいと考えているヒミコ。
何ならもっとしてくれても……などと考えている彼女に、私は違うと連呼する。いや、ヒミコが魅力的であることは間違いないのだが、それはそれこれはこれである。
「耳郎ちゃん、大丈夫? なんか暗いみたいやけど……」
「……別に……一方的に負けた気分にさせられただけだから……」
「? お困りなら相談乗るわよ、響香ちゃん」
「いや……こればっかりは生まれつきの話だから……」
「そ、そお? えっと……じゃあ……そう、トガっちたちどうしたの?」
「さあ……痴話げんかっぽいこと始めたから置いてきた」
「普段から仲いい二人にしては珍しいねー」
「なんかあったんかなぁ……」
「でも言うほど険悪な様子ではないし、ひとまず様子見でいいんじゃないかしら」
「ですが渡我さん、お顔が真っ赤ですわ。のぼせてしまったのでは?」
結局心配したヤオヨロズが来るまで、私はヒミコに対して有意なことを言うことができなかったのである。
ともあれ、それ以外のトラブルはなく温泉自体はよいものであった。
問題はそのあとである。トラブルは遅れてやってきた。
「あ」
「む」
女子にあてがわれた大部屋にて。長距離の行軍と、その後に続いた模擬戦のおかげで今日は早めに寝ようかと話をしていたところで、嫌な予感を覚えて私とヒミコが同時に同じほうを向いた。
「どうかしたん?」
「え……まさかと思うけど、またヴィランとか言わないよね!?」
私たちの反応に、周りがざわつく。
ああ……確かに、こんなことをしたらそう思われても無理はないな。実際、私は猛烈に嫌な予感がしているのだから、あながち間違いではないとも思う。
私もまたかといい加減うんざりしかけているところだが……I・アイランドで覚えた嫌な予感の初期段階くらいの感覚なので、現時点では細かいところがまったくわからない。かなり漠然としているのだ。
「んーん。今、峰田くんがえっちなこと考えてます」
『……は?』
しかしさらりと出されたヒミコの言葉に、他のクラスメイトのみならず私までもが目を点にして口を開けた。
「さては峰田くん、お風呂覗こうとしてますねこれ? B組の女の子を狙ってるっぽい……」
『ギルティ!』
そして我々の心は一つになった。
A組の恥をさらすわけにはいかない。なんとしてでも阻止せねば。
ということで、我々は眠気を堪えて出動。イレイザーヘッドが詰めている職員用の部屋へ赴き報告し、なぜか荷物を詰めたカバンを背負うミネタを風呂場の近くで確保したのだった。
そのカバンの中からはドリルや暗視ゴーグル、さらには超小型カメラまで出てきたので、イレイザーヘッドはもちろん女性陣の背後には不動明王である。
「なんて迅速な活動……さすが抹消ヒーローイレイザーヘッド……。でも一つだけ見落としてることがありますよ……オイラもまた、温泉に踊らされただけの犠牲者の一人にすぎないってことを……!」
「黙れ」
「グヘハァー!?」
彼はその際、わけのわからないことを口走ってイレイザーヘッドに殴られていたが、誰も同情するものはいなかった。
なおその後の取り調べによると、今回のミネタは実際に行動に移していないらしい。あくまで下見、下準備の段階だったようで、断罪するには明確な証拠が足らず、イレイザーヘッドは阿修羅もかくやな顔を隠さなかった。
……まあ、最終的にはヒミコのマインドプローブ(精神探査。EP2の14話参照)によってミネタの目論見はきれいさっぱり白日の下にさらされたので、イレイザーヘッドによっていずこかへ連行されていったがね。嫌な事件だった。
……というか、私が感じ取った嫌な予感は、これだったのだろうか? なんだか違うような気もするが……。
まあでも、私は暗黒面の気配を感じられても、それが具体的に何に根差しているかはまだはっきりとはわからないことが多い。これについてはやはりヒミコのほうが上手なのだろう。
……まあそれはそれとしてだ。
「……なあヒミコ? 君、随分と細かくミネタの中の暗黒面を見抜いていたが、それはつまり……君もそうしたことを考えたことがあるのか?」
そう、ヒミコがミネタの欲望を正確に把握できたということは、こういう推測が成り立つのである。年齢的に、みな大なり小なり考えたことはあるだろうが……どうにも釈然としない。私のような身体に、欲情できるものか?
しかし私の推測は、どうやら正しかったらしい。ヒミコは私の問いに、とろりとした笑みを浮かべて顔を寄せてきたのである。
「……それなりにぃ」
彼女の瞳に映る己の顔が、強張ったのが見えた。
「……それはつまり、あれか? 先ほどみなで風呂に入ったが、そのとき……」
「や、そんなわけないのです。私がシたいのはコトちゃんだけだもん。他の子のカラダに興奮なんてしないのです」
私の問いにヒミコはきっぱりと断言したが、それはそれでどうなんだ?
いや、確かに他の面々にそういう目を向けていない点は安心したが。色々な意味で。
ただ、現時点で、彼女の金色の瞳の中に色欲と思しき色が見えるのだ。それが私を見つめている……ということは。
「……ええと? 普段から私たちは一緒に入浴しているし、吸血時などはかなり身体の接触も多いが。君、私のこの身体をそういう目で見ていると?」
「…………」
「そこはせめて何か言ってくれ」
「……ごめん、なさい……。ヤでしたよね……でも、好きが抑えられなくって……」
「え、別に嫌ではないが。この身体のどこに欲情できる要素があるのか、わからなかっただけで」
どこか怯えるようにしょげたヒミコであるが、私が気にしていた点はそこではない。
何せ今の私は、百十センチ程度の矮躯だ。女性らしいメリハリのある体型でもない。誰がどう見ても、幼児体型なのだ。そこに性的な興味を向けられる理由がわからない。
それとも、好きという感情は外見的な要素を無視して性的関心を喚起するものなのだろうか。
まあそれはともかく。
私の、言葉と心、両方による答えに、ヒミコは嬉しさと不安をないまぜにした瞳を向けてきた。
「……いい、の?」
「? 今更だろう。それに……私は君が何をしても受け入れると決めているから」
それはあの日、「私の隣にいるといい」と告げたときに決めたことだ。彼女が悪の道に行ってしまわないように決めたことである。
しかし今となっては、それだけではない。彼女のすべてを……いいところも悪いところもひっくるめて、すべて愛そうと思っているから、そういう意味でも、である。
だから、ヒミコが本当にこの身体に劣情を抱くのであれば、私はそれを受け入れる覚悟がある。彼女に求められるなら、私はきっと拒めないし、そもそも拒まない。
まあ、男性が抱く性的な興奮や欲求は元男として多少なりとも理解しているが、女性のそれはまったくわからない。それに、その手の行為については生物学的な知識しか持ち合わせていないので、いくら気持ちで応じたくても身体が言うことを聞かない可能性はかなり高いと思うが。
……あとはまあ、法律的なあれこれとかも問題だろうが、それはこの際置いておこう。
「……んもう……だからコトちゃん、大好き……」
「ん……ありがとう。私もだよ」
ぎゅ、と抱きしめられたので、抱き返しておく。
「そろそろ戻ろう。不審に思われる」
「うん……あ、でも、待って。みんなのとこ戻る前に……」
身体を離す、その直前。
ヒミコの唇が、私のそれに重ねられた。
>その手の行為については生物学的な知識しか持ち合わせていないので、いくら気持ちで応じたくても身体が言うことを聞かない可能性はかなり高いと思う
専門用語でこれをフラグと言います。
はいここ、テストに出ます。