「ちょ、マジかこれ」
横浜に向かう列車の中。コンビニで買い込んだ弁当やおにぎり、サンドイッチなどで食事を摂っていた緑谷たちだったが、峰田の声で全員が顔を上げた。
峰田はおにぎりを片手にスマートフォンをいじっていたのだが、よほど良くないものを見たのか、顔色が悪い。
「どうしたの峰田くん?」
「これ見ろよこれ!」
首を傾げ、葉隠が問う。そんな彼女に、峰田はスマートフォンを差し出した。
画面に表示されているのは、グレーゾーンな取材や、プライバシーなどへの配慮が欠けた……言ってみれば三流週刊誌のウェブページ。書かれた見出しは、「雄英、ヴィラン予備軍を受け入れか」。
内容は単純だ。インターネット上に流布している、「トガ・ヒミコは中学三年生のとき、同級生を殺そうとした」という噂の掲載から始まり、それを指してヴィラン予備軍、もしくは実際にヴィランなのではないかと指摘するものである。そこから雄英高校の対応全般を手当たり次第に非難していた。
このうち、学校云々は緑谷たちにはほとんど関係がない。ゼロではないが、学校運営の意思決定など生徒にわかるはずもなければ関わることもないからだ。
だから問題は、前半。トガがヴィランなのではないか、という疑いである。
これに対して、緑谷たちは即座に否定することができなかった。
何せ、彼らは見ている。ヒーロー基礎学や、直近では合宿のとき。友人の血を嬉々として飲み干し、あまつさえもっとほしい、とつぶやきながらクラスメイトをじーっと見つめるトガの姿を。
A組の面々はその姿にたった四ヶ月弱ですっかり慣れていて、もはや誰も気にしていない。今となっては日常の風景と言ってもいい。
けれど最初に見たときに抱いた感情は、「驚いた」の一言で済ますには少々足りなかった。それは事実であったのだ。
だからこそ、この記事を……その根拠となる噂を、否定しきれなかった。もちろんそれは最初だけで、すぐに誰からともなくそんなはずはないと意識を切り替えたのだが。
ただ、インターネット上の風潮が、トガを叩くほうへ傾きつつあることには誰もが憤慨した。
ゆえに、彼らはある種の反発でもって団結し、意見を固めた。人はそれを、若さゆえの感情的な反発だと言うだろうが――
「今さら疑うもんか!」
「うん! 私たちはトガちゃんを信じる!」
「おうよ!」
「ええ!」
「うん!」
――そんな感情による団結と信頼が、ときに人の心を救うこともあるのだ。疑われ、世間の大部分が敵に回ったときなどは、特に。
かくして五人は、決意も新たに神野区に降り立つ。
***
誰もいない、寒々しい通路。だというのに、扉の向こうからは人々が生み出す熱気が伝わってくる。
ただし、その熱気は決していいものではない。いかにして世間をにぎわすような言動を引き出せるか。そんな悪意がこもっていて、毒々しいほどだ。
その扉の、ちょうど手前。壁を背にして立っている男の姿を見とめた三人の教師は、軽く眉をひそめた。
男は中肉中背。目立った特徴はなく、顔も平凡。服装もまたどこにでもありそうなもので……唯一、首にはめられた黒い首輪だけが目立っているが、それも隠そうと思えば隠せてしまう。
「……何の用だ、ルクセリア。また運び屋か?」
男――ルクセリアに、イレイザーヘッドは半目で問うた。
これに対して、ルクセリアは後ろ頭をかきながら軽く会釈する。
「いえ、今回はメッセンジャーですね」
さらに苦笑した顔を見せた彼に、イレイザーヘッドは小さくため息をついた。
ルクセリアを更生させた彼にしても、ルクセリアが警視総監と繋がりがある……恐らくは何らかのエージェントであることは、先日まで知らなかった。
まあ、本人が望んだ上でのことなら別に気にはしないのだが。元ヴィランであり、今もなお一定の監視下に置かれているルクセリアが、心の底から望んで今に至るとはどうにもイレイザーヘッドには思えないのであった。
ルクセリア自身は確かに救いようのない変態だが、悪を憎み平和を愛する心に偽りはないとイレイザーヘッドは理解している。そこを利用されていなければいいのだが、と案じてしまうのは教師になったからだろうか。
そんなイレイザーヘッドの心境を知ってか知らずか、ルクセリアは表情を落ち着かせてから口を開いた。早速本題に入ろうと言わんばかりである。
「皆さんもご存知ですよね? ネット上で話が広がっているトガさんの
その言葉に、教師三人の顔はしかめられた。
知っている。知らないわけがない。
同級生を殺そうとしたという、ヒーロー候補生としては致命的な噂だ。それが凄まじい勢いで拡散し続けているのだ。否応にも見る機会があった。
だからこそ、この話題には三人とも過剰に反応せざるを得なかった。
「落ち着いてください、悪い話じゃありません。むしろいい知らせですよ」
これに対して、ルクセリアは両手を前に出して振りながら、三人に抑えるように促す。
「彼女のヴィラン予備軍疑惑についてですが、問題ないと裏が取れました」
『……!』
「まあ確かに、彼女は同級生の血を摂ろうとしていたとのことなので、傷害の疑惑が上がるのも無理はありませんがね。その対象になった本人が証言してくれましたよ。『確かに血を吸わせて欲しいと言われたが、彼女はちゃんと許可を求めてきたし、断ったらそれ以上何もしてこなかった。自分も周りに大げさに話しすぎた』とね。
そのあと、彼女は
そしてルクセリアは最後に懐からタブレット端末を取り出すと、イレイザーヘッドたちに掲げて見せた。
画面には、警察の高官が閑散とした場所で会見を開いている、リアルタイムの動画。それは警察庁の公式ウェブサイトで発信されており、語られている内容は今まさにルクセリアが語って聞かせたものとほぼ同じだった。
違うことと言えば、トガの吸血行為が“個性”に紐づいた本能的な衝動であり、両者合意の上であれば罪には当たらないという補足があったくらいだ。
トガは無実である、という警察による発表。それを、雄英高校の会見とほぼ同じ時間に行うということの意味がわからないものは、ここにはいない。
なるほどと頷く三人に、ルクセリアも満足げに頷いた。
そんな彼に、根津が代表するように一歩前へ出る。
「ありがとう、逸色君。おかげで懸念材料が一つなくなった。少し気が楽になったのさ」
「どういたしまして。いやあ、あの二人のためになったのであれば私も本望です」
これに対して、ルクセリアは心底嬉しそうに笑った。二人の間には何人たりとて挟ませるわけにはいきませんからね、と付け加えた瞬間は、無駄に迫力があったが。
おかげでルクセリアを従える国の考えはともかく、彼の行動はまったくの善意であることが何となくわかってしまい、イレイザーヘッドはげんなりした。とてもではないが、気が楽になったとは言えそうにない。
「それでは、私はこれにて。……会見が無事に運ぶことを、何よりトガさんが無事に戻ってくることを、祈っております」
そしてルクセリアは、それだけ言って三人から離れていった。途中、振り返ることは一度もなかった。
一方、残された三人はというと。
「……さて、我々も行こうか。
「はい」
「もちろんです」
手短にそう話して頷き合うと、彼らは会見場の扉を開いた。
味方のいない会見が、始まる。
***
同時刻、とあるビルの中に置かれたバー……の体をしたヴィラン連合のアジトにて。
拉致され、一人ヴィランのただなかに置かれたトガはどうしていたかというと、
「わーい、上っがり~!」
「ウッソォー!? またなのォ!?」
「クソッ、ふざけんなよ! ジョーカーだけ狙って取らないってどういうことだよ!? 僕だけ四連敗じゃないか! おいお前ら席順変えろ!」
「ざまあ! ドンマイだぜマスタード!」
「はっはっは、場所は毎回変えるべきだったかもなぁ!」
「なんだかな。襲のと同じ超能力みたいだがあいつよりだいぶ強くないか?」
テーブルを囲み、ババ抜きで盛り上がっていた。
それもフォースの恩恵をフル活用しての、連続一位記録を更新し続けている。大人げなかった。いや、法令上彼女も未成年だが。
マスタードがそれを指摘するも、トガはくふふと笑うばかりだ。
「別に見ようと思って見てるわけじゃないんですよ? 見えちゃうだけなのです」
彼女はそう言うと、口に人差し指を当てた。その妖艶な仕草に、ガスマスクを外した素顔を少し赤らめるマスタード。
そう、大人げないとは表現したが、実のところトガもやろうと思ってピーピング(カードゲームにおいて非公開情報を覗き見ること)をしているわけではない。何もしなくてもわかってしまうだけなのだ。
「面と向かってたら相手の心が見えるのか」
そこに、ゲームに参加せず何やら考え込んでいた荼毘……の、かなり離れたところからのつぶやきが差し込まれるが、これには首を振るトガである。
「そこまで細かくはわかんないです。わかるのは感情の動きですねぇ。だから、ババ抜きだと特にわかりやすいのです。だって手を伸ばした先にジョーカーがあると、それを意識しないでいられる人なんてほとんどいないでしょ?」
「……なるほどな」
視線を伏せたまま、しかし探るような態度を隠すことなく頷いた荼毘に、トガもまたにこりと笑って応じる。
ほとんどの面々はトガと一緒になって遊んでいるが、荼毘だけ――最初から黒子に徹している黒霧は除く――は参加せず冷徹に、慎重にトガを観察していた。
彼は他の面々とは異なり、いざとなればすぐに殺せるように控えている。さらに感情の動きが大まかにわかるトガには、試されているように思えた。
とはいえ一応捕虜なので、そうそう無視するわけにもいかない。
なので、明かしても問題ない範囲は遠慮なく明かしている。たとえば、自分の“個性”を発動するためには対象の血が必要になるため、決して使い勝手がいいものではないということとか。
もちろん、周りを注視しているのはトガのほうも同様である。と言っても、これだけの人間が一堂に会している状況でできることなどほとんどないので、おおむね遊びに徹しているのだが。
ただそれは、理波を信じているからこそ。だから彼女はリラックスして、普段通りに過ごしていた。
しかし実のところ、それは恋人への無償の信頼だけが理由ではない。
何せこのヴィラン連合、トガは全員に強い親近感を覚えるのだ。誰も彼もがそれぞれ好き勝手で秩序だったまとまりがなく、おのおのがてんでバラバラにしているように見えるが、その実心の内に垣間見える想いはかなり共通していて、それが自分と似ているから。
だからこそ、この場を居心地がいいと感じている自分がいて……それがトガをリラックスさせるのだ。
ゆえに彼女は、己の本質はやはり
「はーあ、これじゃ永遠にトガちゃんのワンサイドゲームだわ。ババ抜きはやめましょっか?」
「じゃあ、とりあえずカード集めちゃいますねえ」
「ふざけんな、ここからだろ! で、何する?」
「いやでも、カードゲームの類はアウトじゃないか? なら、人生ゲームとか……」
「あのさぁスピナー……バーにそんなものが置いてあるわけないでしょ」
まあ何はともあれ。トガはすっかりヴィラン連合に馴染んでいた。荼毘以外の人間はあまり警戒するそぶりを見せなかったし、何ならどこまでも友人のようにふるまったからだ。
それはコンプレスの「圧縮」から解放されて以降ずっとであり、この二日間で変わることはなかった。外へ出ることは禁じられているが、それ以外ではかなり自由にさせてもらっている。
食事もまっとうに三食出た。おやつも出た。しかも昼寝つきである。もちろん、拘束などされるはずもなかった。
「盛り上がってるな」
「お、死柄木! お前もやるか?」
「やらない」
「嬉しいこと言うじゃねぇか! つれねぇぞ死柄木!」
と、ここで死柄木弔が戻ってきた。コンプレスに誘われて即断った彼は、相変わらず支離滅裂なトゥワイスの物言いにけらけらと笑った。
彼はそうやってひとしきり笑ったあと、感情を潜めるようにすうっと目を細めながらバーカウンター前の椅子にどっかと座った。そのままカウンターをひじ掛けにして身体を預ける。
と同時に、カウンターの中で飲み物を扱っていた黒霧がテレビの電源を入れた。
合わされたチャンネルは、雄英高校の謝罪会見。この映像に、全員の視線が集まる。
画面の中では、謝罪を行う根津校長、イレイザーヘッド、ブラドキングに対して、マスメディアがねちねちと責める言葉を連ねていた。
これを見て、トガは「ああ、勧誘が始まるんだ」と理解した。
弔が画面を見ながらせせら笑う。
「不思議なもんだよなぁ……なぜ奴らが責められてる!?」
問題を提起するような発言。しかしその言い方に込められている感情は愉悦であり、心の奥底では本気で言っているわけではない。彼は
「奴らは少ーし対応がズレてただけだ! 守るのが仕事だから? 誰にだってミスの一つや二つある!」
顔にあてがわれた手の隙間からのぞく瞳は、らんらんと輝いていて。
「現代ヒーローってのは堅っ苦しいなァ……トガちゃんよ!」
トランプの束を手の中でいじるトガを、不穏な気配をまき散らしながら見据える。
彼女が何か言う前に、スピナーが弔の言葉を継いだ。
「守るという行為に対価が発生した時点で、ヒーローはヒーローでなくなった。これがステインの教示!」
「人の命を金や自己顕示に変換する異様。それをルールでギチギチと守る社会。敗北者を励ますどころか責め立てる国民。俺たちの戦いは『問い』! ヒーローとは、正義とは何か? この社会が本当に正しいのか? 一人一人に考えてもらう! 俺たちはそのつもりだ」
再びスピナーから言葉を継いで、弔はトガを正面から直視する。
「君も、色々と抑圧されてた側だろ? 悪いとは思ったけど、調べさせてもらったんだ」
「……君を連れて来るのに強引なやり方をしたのは謝るよ。けどな」
次に言葉を発したのはコンプレスだ。
「我々は悪事と呼ばれる行為にいそしむ、ただの暴徒じゃねぇのをわかってくれ。君をさらったのは、たまたまじゃねぇ。ここにいる者はみんな、事情は違えど人に、ルールに、ヒーローに縛られ……苦しんだ。君ならそれをわかってくれると信じてのことなんだよ」
そう言って、彼は連合のメンバーを示すように両手を大きく開いた。
彼の言葉に異議はないようで、この場にいる全員はそれぞれ覚悟を決めた表情で佇んでいる。
この主張に、トガは……
「わかります、とても」
素直にこくりと頷き、
「誰も……誰も、私のこと。ホントの私を、見てくれません
そして、仮面を外した。
「私、血が好きです。大好きです。カァイイものを見ると、チウチウしたくなっちゃう。好きな人は特にそうで……ついついかぷってしたくなっちゃうの」
にまりと笑って、犬歯をむき出しにする。口は三日月のようにつり上がり、目はどこか遠いところへ向けられる。
恐ろしげながらも恍惚として、女の色気にあふれた顔。トガの、理波以外には隠された本質が顔を見せた瞬間だった。
これを見て、連合の中では比較的感性が一般人に近いスピナーやマスタードは軽くおののき、上半身を引いたが……それだけだ。荼毘は「こいつもイカレてるな」と少し嬉しそうである。
それ以外の面々もみな一様に「やっぱりな」と言いたげに微笑んでおり、弔に至っては嬉しそうに笑っている。
彼らの様子に、トガは嬉しくなった。この人たち
同時に、少し寂しくもなる。
「やっぱりなぁ。だから同級生を殺そうとしたんだろ?」
「殺すつもりはなかったですよ? ただ血をチウチウしたかっただけなのです。だってあのときは、彼が好きだったんだもん。だからちゃんと許可も取ろうとましたよ? まあ死んじゃうかもって思ってましたけど、別にそれでもいいかなって。逃げられちゃいましたけど。
……でも、みんなそれはおかしいって言うのです。異常だって。やめろって言うのですよ。ヘンだよねぇ? だって、
「んもう、大丈夫よトガちゃん! あなたは何もおかしくなんかない、あなたは普通の女の子よ! 私が保証するわ!」
「えへへ、ありがとマグ姐」
「そうなんだよ、世間の価値観はガッチガチに凝り固まってて、とかく生きにくい。だからこそ、俺たちは『それだけじゃないよ』と道を示したいのさ」
「……ってことだ。なあ、トガちゃんよぉ。わかるだろ。君はそっち側じゃない。こっち側の人間なんだ。仲間なんだよ、俺たちは」
弔がまた引き継いだ。
笑う。かすれた笑い声が、小さく響いた。
そして、右手をトガに向けて差し出した。
「来いよ。こっちに。一緒に行こう。正義だの平和だの……あやふやなモンでフタをされたこのクソッタレな世界を、みんなでぶっ壊してやろうぜ!」
勧誘。真摯で、友好的で、甘い……悪魔のささやきだった。
トガが嬉しそうに笑う。金色の瞳が、うっとりと弔の目を見つめる。
「うん……」
そして彼女はこくりと頷き――
「絶対ヤです!」
――きっぱりと断った。
百話以上付き合ってくださった読者の皆さんには、きっと確信をもって予想できたであろう渾身の拒否でした。
やっと「絶対ヤです!」を出せた・・・。
ところで実際のところ描写が少ないので大部分を推測で補ってるんですが、マスタード君って弄り甲斐ありそうじゃないです?
こう・・・なんていうか、わからせが似合いそうって言うか・・・。