それは地下にあった。頑丈な金属の檻や、分厚いコンクリートの壁。外を臨む窓の類はなく、明かりも最低限しかない。
一応ベッド、のようなものはあるが。それも最低限。気温がほぼ適温で一定に保たれていることだけが、唯一最低限でない点だが……それもこの場所にいるものたちのためではない。
そんな場所に、子供たちが集められていた。
子供であること以外に、共通点は一見見受けられない。人種も性別も、年齢すらもバラバラ。生まれも富裕層、貧困層の別はなく、この施設で最初から産み育てられたものもいる。
ただ、一つだけ共通点はある。それは彼らがみな、感情に関わる“個性”が発現した子供だということだ。
この地下施設には、彼らの他にも大勢の被検体がいる。彼らは傾向の近しい“個性”ごとに七つのグループに分けられ、それぞれに一つの部屋が与えられていた。「彼女」がいたのは、怒りやそれに近しい感情、あるいはそれらにまつわる“個性”で分けられた部屋……通称イーラ房だ。
この場所で。
何かよくわからない、とてつもなくマズい、ビビットレッドの粘液を無理矢理飲まされたこと。結果、腕が中から破裂したこと。顔から出る液体をすべて出しながら絶叫したこと。
それが「彼女」の、一番古い記憶だった。
外に出る自由も、好きなものを手に取る自由も、誰かと遊ぶこともできない……外を知ることすら許されない、不自由な籠。
時折出されることはあるが、それも屋外には行けない上に、決まって大人に酷い目に遭わされた。
一番多かったのは、劇薬を飲まされる、もしくは体内に注入されること。もちろんどれもろくなものではなく、程度や方向性の違いはあれど、投与のあとには必ず何かしらの苦痛と実害を伴った。
極端な発熱や身体が内側から爆発するくらいは、もはや大したものではない。一番堪えるのは、嘔吐と下痢である。同時に来たら最悪だ。それを経過観察されるのだから、肉体的にも精神的にもこれほど屈辱的で苦しいことはなかった。
次点で多かったのは、身体の中に直接得体の知れないものを埋め込まれること。そのためには当然身体を切開されるが、痛み止めなど最低限しか与えられなかった。
それも次第に耐性がついて、終いには麻酔なしで切り刻まれる羽目になった。当然痛くないはずがなく、何度気絶したかわからない。
戦闘訓練、あるいは“個性”訓練と称して行われる、殴る蹴るも日常茶飯事だ。ひどいときは、死にかねない威力を出すスタンガンであったり、切れ味の鈍い刃物を使われることもあった。
しかし治癒系の“個性”持ちがいるらしく、大人たちには遠慮も容赦もなかった。毎回返り討ちにしてやる気概で挑んでいたが、おかげさまでそんな機会はついぞ訪れなかった。
それが、彼らの言う
だがそれは、強引で残酷な選別である。そんなことをされて、子供が無事であるはずがないのだ。
だから彼らは、弱ったものから容赦なく死んでいった。中には繰り返される苦痛に耐えかねて、死を望むものすらいたほどだ。
イーラ房の子供たちは、怒りにまつわる“個性”ゆえに他よりも生存率が高かったが、死ぬときは死ぬ。怒りを維持できなくなったときが、そのときだから。そして「そのとき」がいつ訪れるかは、誰にもわからない。
ただ、だからといって部屋から子供がいなくなることもなかった。ある程度減ると、必ずどこかから子供が連れてこられるからだ。
囚われ、処置を施され、虐待と言う言葉すら生ぬるい所業を受け続ける日々。
しかし、そこに囚われていることを「彼女」が自覚したのは、自我が目覚めてからかなり経ってからだった。
なぜなら、「彼女」はここ以外の場所を知らない。ここで生まれ、ここで育った。物心ついたときにはもう、ここにいた。
人間の世界は、個々の認識以上のものにはならない。狭い世界で外を知らなければ、外の世界を望むことはできないのだ。
そしてその外を教えられるような余裕のある子供は、外から連れてこられたものにはいなかった。
もちろん、「彼女」も嫌だとは思っていた。辛いとも、痛いとも、逃げたいとも思っていた。救けてほしい、とも。
同時に、激しい怒りと憎しみもあった。必ず、自分を痛い目に遭わせた大人を全員殺してやるという強い決意があった。
それでもこの場にとどまっていたのは、少しでも反抗的な態度を見せたり、逃げようとした子供には見せしめとして処置どころではない暴行を受ける羽目になるからだ。
小さくても、見せしめという概念は理解できたから。
だから、我慢した。痛いのは嫌だったし、逃げたかったけれど。目の前で自分たちに処置を施そうとする大人を、惨たらしく殺してやりたかったけれど。
結局、世間を知らず有用な知識など何も持たない小さな子供に、大人を出し抜くことなどできるはずがなかった。
それでも「彼女」が折れなかったのは、もしかしたら、生まれ持った“個性”のおかげなのかもしれない。
イーラ房においても、もっともシンプルで最も根源的な力を持っていた彼女が、怒りを失うことは絶対になかった。いついかなるときも、彼女は怒りと共にあったのだ。
だからこそ、いつか絶対に。その想いを胸に、「彼女」は生き続けた。
けれど、現実はいつも容赦がない。子供たちは次第次第に死んでしまい。やがて次がやってきた、それもまた死んでいく。それが繰り返される。
何度も、何度も。
「彼女」はそれを、見続けてきた。
***
ある日、いつものようにイーラ房に子供が連れてこられた。被験体が少し前に「彼女」を残して全滅してしまったため、補充されたのだ。不猟だったようで、珍しく一人しか補充されなかった日であった。
新しい子供は、「彼女」より少し上くらいの少女で。
外から連れてこられたらしく、めそめそと泣いていた。
「だいじょうぶ?」
イーラ房唯一の生き残りになっていた「彼女」は、いつも通り声をかけた。
あくまでいつも通り。部屋の中ではそういう習慣があったから、それに従っただけだった。
何せ人数が減れば、その分処置を受ける頻度が上がる。それを少しでも先延ばしするためには人数は多いほうがよく、であれば面倒でも新入りに声をかけるくらいはしておいたほうがいい。
何せ、ここで一番死ぬ可能性が高いのは、初めて処置を施されるときなのだから。
そんな打算ゆえの習慣であり行動だったから、その後の新入りの反応に「彼女」は驚き、ここでの記憶の中でも特に鮮明なものとして刻まれることになる。
「そ、そっちこそ大丈夫なの!? お医者さん、いないの!?」
なぜならその新入りは、直前まで泣いていたにもかかわらず、「彼女」の姿を認識するや否や、まず心配して見せたのだ。
このときを振り返れば、「彼女」はまさに処置を受けてから間もなく。まるでスズメバチの大群に襲われたかのように……さながらカートゥーンのキャラクターかのように、全身がひどく腫れていた。現実でそんな姿のものがいたら、普通の家庭で生まれ育ったものなら多くが心配するだろう。
けれど、さらわれてここに来たばかりの子供に、他人を慮る余裕を持ち合わせていることなどそうそうない。
なのにこの新入りは、まず他人を心配して見せた。まだ最初の処置を受けていなかったから、余力があったことは否定できないだろうが。
それでもこれは「彼女」にとって初めての経験で……貧相な語彙では到底言い表せない、胸の内のあたたかさを覚えた。
それが、二人の出会い。
新入りはその後、怪我や病気はともかく処理の症状によっては癒されないものもある(経過や効果を確認するため放置される場合。その基準を「彼女」は知らない)ことを聞いて、泣きながら憤った。
けれどもそれが終わると、新入りはぐいっと涙をぬぐって立ち上がって。
「大丈夫! 私が来た!」
誰もが憧れる、ナンバーワンヒーローを気取って胸を張った。具体的に何ができるわけでもないけれど、それでも何かをしたいと虚勢を張った。
「私ね、鬼怒川
そしてそう名乗る。けれど、対する「彼女」はこれに対する答えを持たない。
「しらない。おとなにはイーラの一号ってよばれてる。そのまえは四号だったし、さいしょは二十一号だったけど」
「ええ!? あなた、名前がないの!?」
なぜなら「彼女」は、生まれも育ちもここである。親どころか家族も知らず、もっぱら管理番号でしか扱われていなかったから。自らの名前、というものを持っていなかった。
「うん。けっこうまえからずっとイーラの一号。だからオマエはイーラの二号だね」
こくりと頷いて、新入りに言う。同時に、制御しきれない怒りが“個性”の光となって、「彼女」の身体を覆う。
その顔は暗く、しかし赤い瞳だけはやけに明るい。浮かべられた笑みは自嘲的でありながら、獰猛な肉食獣のようでもあった。
いまだに改造が済んでいない頃であるにもかかわらず、この“個性”が発動しているということはそういうことだ。
まあ、新入りはそこに気づくことなく、憤って扉に向かって突撃したのだが。
結果はもちろん、徒労に終わる。見えていた結末なので、「彼女」がそれに対して何か思うことはなかった。
このあと、何の偶然か追加の補充はなかなか来なかったため、しばらくは「彼女」と蓄羽の生活は二人きりであった。
一つ「彼女」にとって意外だったのは、外から来たわりにことのほか蓄羽が頑丈だったことだ。初めて処置を受けた蓄羽はもちろん泣き叫び、服を血とかその他諸々で汚し、ぐったりと憔悴して戻ってきたが、少なくとも命に別状はない範囲で収まっていた。
新入りが一番死ぬ可能性が高いのは、最初の処置だというのに。それだけで済んだ新入りは、それなりに長くここにいる「彼女」でも初めて見た。
しかも蓄羽は、自分より「彼女」に心配かけまいと、大丈夫だと言い続けるのだ。
「ヒーローはヴィランを倒して、困ってる人を救けるんだよ! これくらいで私負けたりしないもん!」
そう言って、無理矢理笑って。
だから「彼女」は、呆れた顔を浮かべて鼻で笑う。自分を犠牲にして他人を助けることの意義を、理解できなかったのだ。
とはいえ、蓄羽が堪えていなかったわけではない。あくまで空元気であり、その後は気を失うようにしてすぐに眠り込んでしまった。
***
それから数日が経ったある日のこと。
処置の合間のわずかな時間、やることがなくてぼーっと虚空をにらんでいた「彼女」の近くで、蓄羽が突然声を上げた。
「……うん、決めた!」
それがあまりにも脈絡がなくて、「彼女」は得体の知れないものを見るような目を向ける。
しかし蓄羽は「彼女」の意に介することはなく、ずいと距離を詰めた。
「あのね、あなたに名前つけてあげる!」
「は?」
ほとんど突然に放たれた言葉の意味がわからず、「彼女」は面食らう。
だがやはりそれに構うことなく、蓄羽は言葉を続けた。
「名前はね、大事なものなんだよ! いっちばん最初にもらうもので、生まれてから死ぬまでずっと使い続けるものなんだからね!」
「……?」
「だって、一号二号なんてそんなの味気ないしかわいくないもん。それに呼びづらいじゃない? だから、私があなたに名前つけてあげる!」
蓄羽はそう言い切って、しかし「他にしてあげられるものがなくてごめんね」と苦笑する。ますます意味がわからなくて、「彼女」はもうぽかんとするばかりであった。
そんな「彼女」を置き去りに、蓄羽はにっこり笑いなおすと、彼女なりに時間をかけて考え出した名前を口にする。
「あのね、今日からあなたは『鬼怒川重音』だよ!」
「……きぬがわ、かさね?」
「うん! えっとね、鬼が怒る川って書いて『きぬがわ』。こっちは名字って言ってね、同じ家に住んでる人は同じ名前を使うんだよ。私たち、同じ部屋だし。それなら家族って言っていいでしょ。鬼怒川は私のだけど、あげる!
それでね、名前のほうはね、音を重ねるって書いて、『かさね』だよ。こっちがその人本人を表す名前なの。いい感じでしょ?」
「……知らないよ、そんなの」
「そっかー! まあ、今すぐはわかんなくていいよ。私も自分の名前、好きじゃなかった時期とかあるし。そのうちね、そのうち!」
怒涛の勢いで放たれ続ける言葉に、「彼女」は困惑し続けるしかない。それを正面から見据えて、蓄羽はにんまり笑う。
その表情は、「彼女」にとっては初めて見る種類のもので。うまく言えなかったけれど、いいもののように思えた。
それに、初めて人から何かを与えられた。そのことが、「彼女」にとってあまりにも未知の経験で。
「……まあ、べつに。なんでもいいよ。なんでも」
正面から受け止めきれず、顔を背けるしかなかった。けれど、そこには確かに……ここまでずっと怒りかそれに類する感情しかなかったはずの顔に、それ以外の感情が垣間見えていて。普段その身体を覆っていることの多い赤い光が、このとき完全に消えていた。
そんな「彼女」を見て、蓄羽はますます笑みを深くする。そうして嬉しそうに、「彼女」を抱きしめるのだ。
そんなことも「彼女」にとっては初めてのことで。
けれど、どれも悪い気はしなかったから。
だから、その日から。
「彼女」は鬼怒川重音になったのだ。
銀鍵騎士団については、EP4の18話で触れています。重音という名前についてもそちらにて。お忘れの方はそちらを改めてご確認をば。
まあとはいえ、実は既に騎士団には初期メンバーがいないので、彼らがフォースに固執しているのは完全に目的と手段が入れ替わってしまってます。
元々は超常黎明期の混乱を乗り切るため、仲間を助けるための力として求められたものなんですが。相澤先生の「何をするにも原点を忘れるな」はけだし名言であります。
そんななので、仮に騎士団が望んだ通りに自由にフォースを手に入れられるようになったとしても、それでどうするかを考えている人間がいません。
なので彼らはどう転んでもジェダイにもシスにもなれないまま、ただフォースのバランスを崩すだけに終わるのです。
これにはフォースくんもげきおこ。