抱きしめたヒミコからは、体温を感じなかった。触れているという感覚も、ほとんどない。姿も、アナキンのように半透明で背景が見えてしまっている。
当たり前だ。今の彼女は、魂だけの存在なのだから。
それでも、確かにここに彼女はいる。フォースによって、最低限の感触はある。だから。
『ああ、ああ! やっと、やっと会えました……!』
「うん……! うん……っ!」
『会いたかった……っ! ずっと、ずっと、ずぅっと……! 会いたかったです……っ!』
「私も……っ! わたしも、あいたかったよぉ……っ!」
私たちは互いを包むように抱きしめて、ぼろぼろ涙をこぼしながら言葉を交わし合う。
キスは……してみたけれど、やはり感覚はない。それが寂しいけれど……でも、今はそれを深く気にする余裕なんてない。
再会できたら、言おうと思っていたことがたくさんあったはずなのに。ただ名前を呼ぶか、相槌を打つことしかできない。
涙もあふれてとまらない。嬉しいはずなのに。こんなにも、喜んでいるはずなのに。
……嬉しくても、幸せでも、人は涙を流せるのだな。知識としては知っていたけれど、それを体験として理解する日が来るとは思わなかった。
『もう、絶対、絶対絶対、離さないです……っ!』
「私もっ、私も、絶対、絶対絶対、離さない……っ!」
そうして私たちは、ひたすら泣きながら再会を喜び合った。
けれど、まだ本当の意味で喜ぶには少しだけ早い。少し経ってから、互いに抱きしめ合った状態のまま私はおずおずと問いかけた。
「……それで……その、どうやったら君は、元に戻れる……?」
『単純に、私の身体の中に戻ればそれで大丈夫なはずです。今私の身体ってどこにあるんです?』
「総合病院……あれだ、以前にエリが入院していたところだ」
『覚えてないです!』
「……まあ、それもそうか。君は……その」
『はい。コトちゃんにとっては一か月前かもですけど、私にとっては千二百年以上昔のことなので』
彼女の言葉に、私は心配になる。
大半を寝て過ごしたとはいえ、生物としての寿命を大幅に上回る長期間を過ごしたとあれば、普通は精神に異常をきたすものだ。
そうでなくとも、十年もあれば人はそれなりに変わるもの。ヒミコが私の知っている彼女ではなくなってしまっているのではないかと、不安になったのだ。
『……そですねぇ。自覚はないですけど、何かあるかもしれません』
私のそんな不安は、今や幽霊であるヒミコには伝わりやすかったのだろう。少し寂しそうな顔を浮かべて、彼女は笑った。
その笑みが、少しずつ変わっていく。口元は三日月を描くように端がつり上がり、目が細められる。口の中が、犬歯がはっきりと見える形になった。
『でも、コトちゃんのことが大好きなのは絶対に変わってませんから』
「うん……ごめん……」
『いいんです。コトちゃんの気持ちはよくわかるので』
笑顔のままで、ヒミコが穏やかに言う。
この反応自体が、今までとの違いそのもののようにも感じる。過去に飛ぶ前の彼女だったら、機嫌を損ねていた可能性が高い。
しかし、その違いに対する忌避感はなかった。むしろ、なんというか……そう、大人になったような。そんな感じがする。
人生の酸いも甘いも触れたことのある――実際に触れたのだろうが――、大人の色香が加わっているように感じられる。
だからなのか、私の胸は高鳴った。顔が紅潮する気配がする。この変化は、久しぶりに生でヒミコの笑顔を見たからだけではないような気がして、なんだろう。うまく言えないけれど……惚れ直したとでも言えばいいのか。
うん。どちらにしても、やっぱり私はヒミコのことが大好きなのだろう。
『んふふ。はい。私も大好きですよぉ』
「ヒミコ……うん、ありがとう……」
そんな状態で、いつものように頬をすり合わせてくる。こういうところは変わらないままか。
でも久しぶりのことなので、私はどきまぎしてしまう。深く物事を考えている余裕はなさそうだ。
だから、彼女の頬にキスを軽く寄せつつ、強引にでも話題を変えることにする。
「とりあえず、ここから出よう。ランニングして来ると言って寮を抜けて来ているんだ、そろそろ戻らないと怪しまれる」
『寮……そうだ、そうです! みんなにも会えるんですね!? 楽しみです……コトちゃんは当たり前ですけど、みんなにもずっとずっと会いたかったのです……!』
帰りましょう! そう言うヒミコに、思わず顔が綻ぶ。
うん、そうだ。帰ろう。私たちの家に、私たちのあの部屋に。
『じゃあ私、コトちゃんの身体の中に一旦入りますねぇ』
「そんなこともできるのか」
『魂の使い方? って言えばいいんでしょーか。そういうのは、長い幽霊生活で大体わかりましたので』
えっへんと胸を張るヒミコ。
ああ、カァイイなぁ。久しぶりに見る恋人の得意げな顔が、こんなにもカァイく見える。こんな何気ない仕草一つとっても、愛しくてたまらない。
そのまま思わず見惚れていると、ヒミコがふわりと浮かんで彼女のペンダントを引き寄せると、私の首にペンダントをかけた。次いで、彼女の身体が私の身体に重なる。
次の瞬間、意識の中にヒミコが入り込んできた。初めての感覚だ。意識が妙にざわざわして落ち着かない。
だが、これがヒミコと魂を同居させているからだと思えば、不快には感じない。むしろ、愛を交わし合っているときのような幸福感すらあるように思える。
『さ、行こ?』
「うん」
そんな感覚に身を委ねながら、私はきびすを返してファルコンを降りた。
ファルコンを改めてシャットダウンし、その機体を持ち込んでいた圧縮収納装置で収納する。
『それ、そんなに収納できたんですね?』
「私も限界ギリギリの収納をしたのは初めてだ」
『ぶっつけ本番? すごくジェダイみたいです』
「君の中でジェダイの認識はどうなっているんだ?」
『ますたぁの教えがいいんですよぉ』
「ふふ……っ、それは、ふふ、そうだな……そうかもしれない」
そして、そんな軽口を交わし合いながら。それができることの喜びをかみしめながら、私は元来た道を駆け足で戻っていく。
幸いにして、私がここに来たことは気づかれていないようだ。妨害されることなく地下を脱し、通信が回復する。
『ヘイますたー、急イダホウガイイゼ。ぱわーろーだート根津校長ガソッチニ向カッテル』
「わかった。後始末は任せていいか?」
『オウオウ、どろいど使イガ荒イネェ。
そんな少し危うい場面もあったが。
ともかく、私はなんとか無事に寮に戻ることに成功した。
「ことちゃん! よかった、ちゃんと戻って来た~!」
そして戻るや否や、玄関口に慌てた様子のトールに出迎えられた。
「もー! なかなか帰ってこないから心配したよー! 電話にも出ないしメールも届かないし……」
大袈裟な身振り手振りで怒りをアピールする彼女に、申し訳ないと思う。ヒミコと再会できた喜びが大きすぎて遅くなったのだから仕方ないのだが、しかし心配させたくはなかったことも本心なので……。
ただ、だからといってヒミコのことを言うにはまだ早い。どう取り繕うべきか。
そう、考えていたのだが。私が動こうとするよりも早く、私の身体が動いた。
(えっ)
「あーーっ! 透ちゃんだーーっ!」
「わぷっ!?」
私の意思に反して、身体が動く。目の前のトールに、跳躍して真正面から抱き着いたのだ。
同時に口をついて出た言葉もまた、私が言おうとしたものでなく……そして、そんなことを考えているさなかにも、私の身体は動き続いている。トールの身体をよじ登り、その顔に顔を近づけている。
「ちょー!? なになに、急にどしたのことちゃん!?」
「えへへ……透ちゃんだ……透ちゃんだぁ……! ふわふわの髪の毛、カァイイねぇ。透ちゃん、顔がいい……ほんとカァイイねぇ……!」
「……え……?」
私の身体が動き続ける。両手が慈しむように、トールの両頬を柔らかくなでる。
勝手に私の顔が動く。形は笑みに。その形は、間違いない。ヒミコのように笑っているはずだ。
それもそのはず。何せ、今この身体の主導権は、ヒミコが握っているのだから。
(ヒミコ? 嬉しいのはすごくわかるのだが、このままでは)
「葉隠ちゃんどうしたん? 理波ちゃん、何かあったん?」
「あ、麗日ちゃん……その……」
「お茶子ちゃん? ……お茶子ちゃん!」
「ひょわっ!?」
(あ、さてはヒミコ、完全に暴走しているな? そうだな?)
なんとかして引き留めようとしたが、もうこれは諦めたほうがよさそうだ。
オチャコの姿を見とめた瞬間、ヒミコの心が大きく弾んだのだ。身体を共有しているからか、いつにも増して彼女の心の動きがはっきりとわかる。
だから、もうとめはすまい。ずっと会いたかった、という友達との千二百年越しの再会なのだ。とめるなんて、無粋が過ぎると言うものだろう。
それに、私だけをまっすぐに見つめるヒミコのことが私は大好きだけれど……誰にも縛られることなく、自由に生き生きと笑っている彼女の姿も、私は同じくらい大好きだから。
「お茶子ちゃん! お茶子ちゃんだー! わあ……! ぷにぷにほっぺ、カァイイねぇ! にくきゅう、カァイイねぇ!」
「ちょ、ちょっとー!? 理波ちゃんどうしちゃったん!?」
「なんだなんだ?」
「玄関口でなにしてんのー?」
「随分賑やかじゃん?」
そうこうしているうちに、騒ぎを聞きつけたみんなが同じくらい賑やかにやってきた。何かあれば、お節介をしようとしてしまうのはヒーローのサガだから。
だから、私の身体越しにヒミコは彼らを見た。クラスの全員がいるわけではないけれど、それでも。四月から一緒に切磋琢磨してきた、仲間の姿を。
瞬間、私の中のヒミコが歓喜を爆発させた。けれどその規模が大きすぎて、一周回ったのだろう。表面的にはそれを露にすることはなかった。
「青山くん」
「どうしちゃったんだい、マドモアゼル?」
「三奈ちゃん」
「なーにー?」
「梅雨ちゃん」
「ケロ……理波ちゃん……?」
「飯田くん」
「うむ! どうしたんだい?」
「お茶子ちゃん」
「……もしかして」
感極まった心と身体を抑えながら、感動で震えながら、ヒミコは彼らの名前を順繰りに呼んでいく。一人一人の目を正面から見据える形で。
「尾白くん」
「う、うん」
「上鳴くん」
「なんか……増栄ヘンじゃね?」
「切島くん」
「おう! どした!?」
「障子くん」
「ああ」
「耳郎ちゃん」
「マジでどうした……?」
勝手に動く私の口から出る声が少しずつ震えていくのは、喜びが抑えきれなくなっていっているからだ。
「瀬呂くん」
「あいよ……確かに様子おかしいな?」
「常闇くん……と、ダークシャドウ」
「そうだな……本当に何があった?」「ナニガアッタンダローネー?」
「轟くん」
「おお」
「透ちゃん!」
「うん……っ、うん!」
「爆豪くん……は、いないですねぇ。相変わらずなのです」
それでもヒミコは、クラスメイトの名前を呼び続ける。千年を超える時間の中で、擦り切れてしまった記憶を取り戻すようにじっくりと。
ほろり、と私の目から涙がこぼれた。これには居合わせた全員が少し狼狽える。
ただし、その理由が違うものも数人いるようだ。今、ここで話しているのが誰なのか、察せたものが。
「出久くん」
「う、うん。その、大丈夫?」
「峰田くん」
「……(滂沱の涙と共に合掌して天を仰ぎつつ頷いている)」
「百ちゃん」
「はい、ここにおりますわ」
「……よかった。私……ちゃんと……本当に、ちゃんと、帰ってこれたんですね……」
とまらない涙をそのままに、私の口が動く。静かな言い方だったのに、なぜか周囲に大きく響いたような気がした。
この言葉に、いよいよ堪え切れなくなったらしいトールが、先ほどとは真逆に飛びついてくる。
「ひみちゃん!」
彼女に一瞬遅れて、オチャコも。
「被身子ちゃん!?」
彼女たちのリアクションが、まさに答えだ。
まだ気づけていなかったものも、これを聞いてハッとする。全員が何かしらを口にしながら、私を……私たちを取り囲む。
私としては、もちろん。彼らの中に、非難するような色は欠片もない。彼らの心はただ純粋に友人を、仲間を案じる色で満ちている。
フォースによって、それを直視することになったヒミコは……遂に堪え切れなくなって。
「うう……ううううう……っ! わた、わたし……っ、わたしぃ……っ!」
滝のような涙をこぼしながら、真っ先に駆け寄ってきていたトールに倒れ込むようにして身体を預けた。
「とおるちゃん……っ! わたし……! かえ、かえって、帰って、これたん、です……! やっと、やっと……」
「うん……! A組だよ! いつもの……みんなの寮だよ!」
そんな私の身体を、トールが力強く抱きしめる。彼女の顔も、既に涙でぐしゃぐしゃだった。
表に出すことはできない状態だが、私も同様である。前面に出ているヒミコの影で、内心で、私も号泣していた。
「……っ、被身子ちゃん……っ、おかえりなさい……!」
そして私たちは、私ごとヒミコを包み込むように抱きしめたオチャコの言葉で、完全に限界を迎え。
「……うわああああん! ただいまぁ……っ!」
寮の中に、私の声色をしたヒミコの泣き声が響き渡ることになったのだった。
みんなで、おかえりとただいま。