その後ヒミコはご両親に連れられて――引きずられて?――帰っていった。
少し前だったら心配するところだが、ヒミコが意識不明だった一か月間でご両親も色々と思うところはあったようで、少なくとも親子喧嘩にはならないと思う。
離れ離れになっていたのだし、家族の時間はきちんとあったほうがいいはずだ。ヒミコのほうも隔意はあれど、以前のように話し合いすら拒否するほど嫌っているわけではないようだし。
というわけで、それぞれの実家で過ごす大晦日の夜である。
我が家は寺だが、除夜の鐘は衝かない。父上と父上が奉ずる宗派にとって、煩悩は祓うものではないからだ。
なので大晦日は、家族でゆっくり過ごすのがマスエ家の定番である。もちろん葬式などが舞い込んで来たらその限りではないが、今年はそういうことはなさそうで何よりである。
だから夜はこたつを囲んで、みかんを食べながら家族団らんのときだ。色んなこと……とりとめのないことから重要なことまで、あれやこれやと話し続ける。そんな穏やかな時間が、胸に染み入るようだ。
まあ、妹はまだ幼いので一足先にリタイアしてしまったが。船をこぎながらではあっても、七歳児が十一時近くまで起きていたのはなかなかの快挙だろう。
そんな妹をベッドに運ぶべく、母上も席を外した。このタイミングを見計らって、私は話題を切り替える。
「……あの、父上」
「なんだい?」
「その……ヒミコのことなのですが」
「……あーあー、聞こえない! 聞こえないったら聞こえない! 結婚はまだ早い!!」
両耳をふさいで声を上げつつ、駄々っ子のように天井を仰ぐ父上に苦笑する。実に解脱には遠そうな姿である。
いや、気持ちはわからなくはないのだ。要するに娘とは、大切な家族の一員。それを血の繋がりのない人間に……言い方は悪いが他人に譲渡するようなことは、なかなか受け入れられるものでもないだろう。
しかし本題はそこではないので、違うとはっきり言っておく。
「まだ、ということは適齢期になれば許可していただけるのですね? ……いや、話はそういうことではなく」
「……聞こう」
その瞬間の顔がいつもと違ったからか、父上も居住まいを正して私に向き合ってくれた。こういうところが、私が父上を敬愛するところである。
「その……ええと。父上には申し訳ないですが、私はヒミコのことを愛しています。彼女と一生添い遂げようと思うくらいには」
「ぐふッ。……つ、続けて……?」
「でも……それを怖いとも思うのです。彼女が意識不明だった一か月間……私はろくに活動できませんでした。彼女が消えた瞬間なんて、泣き叫ぶことしかできなくて……」
あのときのことは、軽く思い出すだけでも背筋が凍る。恐ろしくて、不安が押し寄せてきて、胸が張り裂けそうになる。
幸い私と彼女はフォース・ダイアドで、生きている以上はどれだけ離れても存在を感知できる。だから今は物理的に離れていても、不安に感じることはほとんどない。
こうやって家族と一緒にいると、なおさら深刻には思わないのだけれど……それでも、不安が消えたわけではないのだ。
一人のとき、近くにヒミコがいないとき、ふとした瞬間に考えてしまう。
またあんなことがあったら。また、ヒミコが消えてしまったら……。そうなったとき、もしも今回みたいに戻ってくることができなかったら……。
「……それが、死ぬよりも怖くて」
「…………」
「……父上が奉じる仏の教えは、そうした苦しみを救うためのものだと以前聞きました。私は……私は、どうすればいいのでしょうか?」
この苦しみを、悲しみを、恐怖を、ジェダイの教えではひとまとめに試練と称する。すべて乗り越えるべきもので、同時にジェダイが持っていていいものではないと。
だが、人間はそんな単純なものではないということを、生まれ変わってからの十一年で私は知ってしまった。すべてないものとして、見て見ぬ振りができていた頃とは違うのだ。
知ってしまったからには、向き合わなければならない。この恐怖から、痛みから逃げていたら、それこそ「もしも」の未来で私はまた同じ失敗を繰り返してしまう。それだけは、どうしても避けたかった。
だからこそ、この手のことに詳しいであろう父上に、どうしても聞いておきたかった。私だって、今日までの間ただ愛欲にふけっていたわけではないのだ。
「どうにもならない」
だが、父上の答えは無情なものだった。
「理波が直面している苦しみは、
「……どういう、ことですか……?」
「まず勘違いを正さないといけないな。今の仏教は色んな宗派に分かれているけど、本をただせば仏の教えはほとんど人生哲学だ。都合よく何もかも救ってくれる神だって本来はいない。
だからこそ彼の教えは非常に現世救済的で、主眼は基本的に『今』に置かれている。未来のことは考えすぎるな程度のことしか言えないんだよ」
「今……」
そう言われると、マスター・クワイ=ガンの提唱した、リビングフォースという考え方がまず最初に浮かぶのだが、どういうことなのだろう。
「そう、今だ。今、理波は被身子ちゃんと一緒にいるとき、どう思う? どう感じる?」
「……幸せに感じます。彼女と一緒にいるだけで、ただ隣にいるだけで、他には何もいらないと思うくらいには」
「だろう? ……ところでこれは大人がよく言うことだが、『失って初めて幸せに、ありがたさに気づく』なんて言葉がある。究極的に、仏の教えの一つはそれなんだな」
「はあ……?」
父上の言葉にどうもピンと来なくて、私は首を傾げた。
そんな私に、父上はみかんの皮をむいて中身を取り出しながら、言葉を続ける。
「失って気づくということは、確かにあったわけだろう? 幸せが、ありがたさがそこに。このみかんだって……食べているときにおいしいと、幸せだなぁと感じる。なくなってしまってから、改めてああおいしかったなぁ、なくなってしまったなぁ、と……味わっていたときの喜びを想って喪失感を抱く」
「んむ。……はい」
差し出されたみかんのひとかけらを咀嚼し、その甘さに少しだけ意識が向く。
「けどな。このみかんを食べているときの幸せや喜びを、当たり前だと思っちゃいけないんだ。これを食べられるということが、いかに幸福で幸運であるのか、どれほど得難いものであるのかを認識するんだよ。
この世界に常なるものはなく、形あるものはすべて滅び去るんだから、今あるものを大切に。そうしなければ、『もしも』の未来が来るよりも先に、大切なものを失ってしまいかねないから」
「……理解は、できます」
やはり、リビングフォースのような考え方のようだ。理屈はわかる。
だがそれでも、すべてを受け入れることはできそうにない。いつか、もしも、それを考えてしまうと、どうしても。闇の誘惑を振り切ることができないのだ。
「そもそもだ。理波は被身子ちゃんがいなくなってしまうことばかり考えているが、逆は考えないのか?」
「……え?」
「理波が、被身子ちゃんを置いて行ってしまう可能性。そんなもしもを考えたことはないのか? だとしたら……それは、少し傲慢ってもんだ」
しかし続けられた言葉に、私は落雷を受けたかのような衝撃を覚えて硬直した。
そうだ。私はいつから、ヒミコばかり消えると思っていたのだ?
私とヒミコは六歳差だが、ある程度歳を取ればその程度は誤差でしかない。そもそも”個性”があふれるこの星で、安全などどこにもないはずで……であれば、私が消える可能性だって、十分あるはずなのに。
「さっきも言った通り、この世界に常なるものはない。命はいつか消える。人は誰であれ、平等に必ず死ぬ。そのタイミングはバラバラで……だから、どうあがいても理波たちはどちらかが必ず取り残される日はやってくる。心中でもすれば話は別だけどな」
驚く私をよそに、父上が言葉を続ける。
それに対して、全力で首を横に振った。心中なんて、するはずがない。そんなことしたいとも思わない。
ずっと一緒にいたいとは思うけれど、だからといって互いに互いの命を奪い合うなんてこと、思うはずがない。ヒミコもきっとそうであるはずだ。
「な? だから、今を大切にしなさい。いつか訪れる別れが来るまでに、二人でいられる幸福を、幸運を忘れずに……二人でできることを、やりたいことを、やり尽くしてしまえばいい。『その日』が来たとき、心残りがないように。『その日』が来たとき、やらなかったことを後悔しないように」
「その日が来たとき……心残りがないように……」
父上の言葉を、半ば無意識に反芻する。
思えばヒミコが消えたタイミングは、恋仲になってからさほど時間が経っていないときだった。やり残したことが、やりたかったことが、たくさんあった。まだまだお互いの知らないことがたくさんあって、それを知ろうとしていた段階だった。
だからあそこまで取り乱したのか……と、思えば。それをすべてやり尽くしてしまえば、あるいは……と思うことができた。何もすることがなくなるとは思えないが、しかしそうなったとき、きっと迷いなく後を追える気もした。
それでも、まだ闇が晴れた気がしないのは、私が考えすぎる性質だからか。
「……でも父上……もし、やり尽くしてしまう前に『その日』が来てしまったら……」
「執着してるなぁ。いやわかるよ、愛する人のことはそれだけ大切だもんな。……そういうときのために、人は他人と繋がるんだぞ?」
「……?」
「『特定の一つにのみ依存することを執着と言い、不特定多数に依存することを自立と言う』。超常以前の精神科医が言ったとされる、俺が個人的に好きな言葉だ。なあ理波、被身子ちゃんが昏睡状態になったあと、ものすごくつらかっただろうが……彼女が戻ってくるまでの日々を、一人で耐えていたわけじゃないだろう?」
「……あ」
「そういうことだよ。そりゃあ、今の理波にとって被身子ちゃんが一番だろうけどな。だけど、自分の世界をたった一つの存在だけで埋めてしまうと何かあったとき大変だ。だからそれ以外のものでも世界に、心に注ぐんだよ。
それは人間に限らない。ペットでもいいし、趣味でもいい。とにかくなんでもいい、好きだと思えるものをたくさん抱えておくのさ。そうすれば、失った瞬間の苦しみは確かにあるけれど……それを続かないようにすることはできる。『今を大切に』とはそう言う意味でもあるんだよ。今この時間を、今この世界で生きているのは自分だけじゃないんだから……と、仏教の坊主に言えることはこんなところかな」
脳裏によぎるのは、クラスの友人たち。私が悲嘆に暮れる中でも、支えようとしてくれた大切な仲間の姿。
そしてあのときの私は試練だからと接触を拒んでしまったが、きっと父上も母上も……妹だって、同じように想ってくれていたに違いない。
というか、よくよく考えれば私は先ほど「家族と一緒にいると、なおさら深刻には思わない」と自分で言っていたではないか。
だから……ああ、そういうことだったのか、と。
ようやく腑に落ちた。闇が、少し晴れた気がした。
「……ありがとう、ございます。父上……なんとかなりそうです」
「どういたしまして」
胸が苦しい。けれど、これは悪いものじゃない。そんな確信があった。
だって、こんなにも家族のことが愛しい。ヒミコに対するそれと種類は違うけれど、間違いなくこれは愛だろう。
だから、ふと思い立って、私はもう一度口を開く。
「……その、父上。私……父上と母上の娘でよかった。この家に生まれて、本当によかった、です」
「なんだ急に、改まって。そんな嬉しいこと言われても、お父さんまだ結婚は許しませんからね!」
「……そう、ですね。うん……もうしばらくは、私もお二人の娘でいたいです。……あの、そちらに行ってもいいですか?」
「え? あ、うん、いいけども。どうした急に」
許しも得たので、早速私はこたつの中に潜り込む。もぞもぞと中を進んで、父上の膝の中へと納まった。
そこでずぼりとこたつから顔を出せば、すぐ真上には父上の顔。彼の大きな身体に背中を預けた私はなんとなく照れくさくなって、彼を見上げたまま思わず笑う。
「……えへへ。なんだか、急に甘えたくなりました」
「ウ゛ッッ、……う、うちの娘がこんなにもかわいい……!」
父上はなぜか胸を押さえて苦しそうにしているが、これは恐らくミノルの発作と似たようなものだろう。気にしなくて大丈夫なやつだ。
ということで、暗い話はここまでだ。私は時間を確認してからタブレット端末を取り出し、キョーカのご両親がやっている年越しライブの生配信に接続する。
今年の年越しは、これを聴いて過ごすのだとずっと決めていたのだ。もしかしたら、キョーカの勇姿も見られるかもしれない。
だから私は高揚感を隠さず、端末を立ててこたつの上に配置した。
そして、タイミングを見計らって戻って来た母上も加えて、二人に配信の説明をする。私の大切な、自慢の友人のことを交えながら。
……新しい年が、やってくる。
絶対に書きたいシーン上位の一つ、父親に甘える理波の回でした。
ここに合わせて挿絵描きたかったけど、ボクにシャフ度は難易度が高すぎました。
ちなみに話としてはすごくキリがいいところですが、もうちっとだけ続くんじゃ。
確かにキリはいいですが、なんせここまで展開してきた物語の中で提示された問題二つが何も解決していないので。
ということで、次話からはそれらの問題について言及していきます。
なんでこんなにもキリがいいかっていうと、当初のプロットでは前章「愛の夜明け」はここまでやって終わる予定だったからですね。
前章が15話で、今章がここまでで10話というところからお分かりいただけるかと思いますが、クソ長くなるので切り離したわけです。
でもって本章は、ここまで展開してきた問題二つを解決するための章としてプロットを組んでたんですが、お察しの通りそのプロットさんはお亡くなりになられたので・・・。