二人の少女が愛欲の獣と化し、みだらに交わり合う夜が明けるより早く。まだ日も登り切っていない冬の朝、いつものように日課のランニングをしようと一階に降りてきた緑谷出久は、日課を同じくする同級生の麗日お茶子と顔を合わせた。
「おはよう麗日さん。今日もよろしくね」
いつものようにお茶子に声をかけた出久だったが、お茶子はこの声に過剰な反応を返してきた。
「ふぇぁう!? おおお、おはようデクくん!!」
「どうしたの? なんだか顔が赤いよ……もしかして風邪引いたんじゃ」
「いいいいいや! 違うの! 違くて! これはそういうんじゃなくて……その……」
最初は大げさな身振り手振りを繰り返していたお茶子だったが、だんだんと声がしどろもどろに小さくなっていく。
その態度の意味がわからなくて、首を傾げる出久。けれどお茶子が何かを伝えようとしていることはわかったので、彼女が落ち着くのを待つ。彼女が考えていることを言葉にできるまで、根気強く。
この対応に、お茶子の心はますます昂った。出久の優しさを感じて、嬉しくなると同時に不甲斐なくなる。
今自分が抱いている気持ちは、本当に告げるべきなのか。一晩考えに考えて悩み抜いた結果、やはり見知らぬ誰かに先を越されたくないという気持ちに押されて想いを告げようと決断したはずなのに、その覚悟が揺らいでいく。彼の優しさに甘えてしまっているのではないかと、決めたはずの心がぐらぐらと。
どうする? どうする? と刹那の狭間に何度も問いかける。けれど心の内から返ってくる答えはバラバラで。
自縄自縛に陥ったお茶子は、顔を赤くしたまま俯いて、すっかり硬直してしまった。
「……えっと、大丈夫だよ。時間はまだたくさんあるし、僕なら
そこに、出久の声が再びかかる。どこまでも相手を気遣う、優しい声色で。
お茶子が思わず顔を上げればそこには、ナチュラルボーンヒーローの顔があった。オールマイトのそれと同じ……けれどまったく異なる、愛しい人の優しく穏やかな笑顔があった。
(あ……)
だからその瞬間、答えは決まったようなものだった。今まで揺れていたのは何だったのかというくらい、心がはっきりと定まっていた。
(……ズルいよぉ、デクくん……)
思えば最初は、その顔に。あり方に、ただ憧れていた。
けれど、だんだん憧れは形と色を変えて。いつの間にか、彼ばかりを見ていた。
(うん……そうだね、被身子ちゃん……。被身子ちゃんの言う通りだね。しまっとくと大きくなっちゃうんだ。私も、もう……あふれちゃったみたい)
脳裏をよぎるのは、いつかの親友との会話。秘めていた心を打ち明け、打ち明けられたあの日の言葉。
その通りになってしまった今から省みれば、やはり先駆者の言葉は的を得ていたのだと思わざるを得ない。
(……私。やっぱりデクくんのこと、好きみたい)
でも、だからこそ、深呼吸を一つして。
ありがとう、もう大丈夫。そう告げて。
「あの……デクくん」
「うん」
この場に持ち込んでいたものを。想いを込めて作ったものを入れ、丹精込めてラッピングした小箱を、正面から出久に差し出した。
「これ……その、よかったら」
「わ、なんだろ。開けてみてもいいかな?」
「う、うん」
無邪気に顔を綻ばせた出久は、赤面しつつも決心を固めたお茶子の表情の意味を何一つ察せないまま、箱を開封した。
ラッピングを一つ一つ、丁寧に外していく気遣いにお茶子の心が踊る。所詮外装は外装だが、そこに込めた気持ちは中身に込めたものに勝るとも劣らないという自負があったから。無意識にでもそれを理解してくれるあり方が愛しく、また嬉しかった。
「これ……チョコレート?」
箱を開き、中身を見た出久が目を丸くする。その意味をすぐに理解できない辺り、やはり彼はどこまで行ってもクソナードだと言うしかないだろう。
「えと、バレンタインは昨日終わった……っていうか、昨日普通にもらったと思うんだけど……」
少なくとも、そんなことを素で言ってしまううちは返上できない汚名だ。
けれど、恋は盲目とはよく言ったもので。今のお茶子にとって……そう、好きという気持ちがあふれてしまった今この瞬間のお茶子にとっては、そんなところですら好ましく映った。あばたもえくぼとはよく言ったものである。
「んと、うん。その……あのね、昨日のは……どっちかって言うと、女子一同から男子のみんなにって感じのやつで……その、あれ。友チョコってやつで」
「ああ、なるほど。……ん? それじゃあこれは――」
「……本命チョコ、です……」
「――……え?」
それでも、言うべきときは今しかないと。勝負の仕掛けどころを間違うほど、お茶子は自分も今の状況も見失ってはいなかった。
また頓珍漢なことを言われる前に、場が取っ散らかる前に、彼女は出久の言葉に自身の言葉を、心をかぶせた。
「作ったはいいけどずっと迷ってて……それで一日遅れになっちゃったの。それはその、本当にごめんなさい。……でも、そういうわけだから……これは私から、デクくんへの……本命、チョコ、です」
同じ言葉を、もう一度。きっと一言だけでは信じてもらえないだろうという確信があったから。
事実、出久は半端な笑顔の形に表情を固めたままで、小首を傾げた。同時に自分を指で示す。
やはりわかっていなかった。だから肯定の意味を込めて、お茶子は頷く。頷いて、それから。
「デクくん……私、私ね。デクくんのこと、好き、だよ。その……女の子として。男の子のデクくんが、大好き、です」
言った。
思いの丈を余すことなく伝えるべく、今の気持ちを率直に言葉にした。
これに返されたのは、十数秒の静寂。
この間、お茶子の顔はずっと真っ赤だった。遂に言ったという達成感と高揚と、遂に言ってしまったという後悔と焦燥、そしてもしこれで嫌われてしまったらどうしようという恐怖が彼女の中で暴れまわっていた。
対する出久の中では、大量の思考が空回りしていた。普段オタクトークをかますときのような高速かつ膨大な言葉が頭に浮かんでは消えるが、そのすべてはほとんど同じもので……端的に言って、彼は完全に冷静さを欠いていた。
(好き? 誰が? 麗日さんが? 誰を? 僕を!? え!? なんで!? え!? そんなことあるか!? 僕なんかのどこが!? 嘘? 夢? いやいやいや待て待て待て、黙ったままってまずくないか!? 何か、何かを! とりあえず返事を……なんて言えばいいんだ!? 何が正解なんだ!? 何を、どれを、えっと、ええと、ええと……!?)
思考が空回れば空回るほど、出久の顔色は悪くなっていく。大量の脂汗が噴き出し、だらだらと顔を含む全身を流れ始めた。
逆にお茶子は、出久の様子に落ち着きを取り戻し始めていた。自分より取り乱している人間を目撃すると、一周して冷静になるというやつである。
そして思う。ああ、やっぱり迷惑だったかも、と。
出久のことが好きなのは本当だ。嘘偽りないお茶子の本心である。それを認められるまでには多少の時間を要したし、人にそうだと言えるようになるにはさらに時間が必要だったけれども。
しかしだからこそ、自分という存在が。自分のこの気持ちが出久の邪魔に、迷惑、枷になるかもしれないという懸念は最大の問題だった。だからこそ何か月も悩み、昨夜も十分に眠ることができないまま過ごすことになったのだ。
だから違う、と思う。こんなことをしたかったわけではないのだ。
夢に向かって、目標に向かって必死に努力し続ける彼の姿が、カッコいいと思ったから。そんな彼を夢以外のことでこんなにも悩ませるなんて、お茶子にとっては不本意が過ぎた。
「……ごめん、デクくん。ごめんね。そんなに困らせるつもりはなかったの」
「ぁ、え? えと、そのいやその、僕……!」
「いいんだ! デクくんのことが好きなのは本当だけど、デクくんのこと邪魔したいわけじゃないんだ。だから……」
――だから、忘れてくれていいから。
そう、続けられようとしたまさに瞬間のこと。ここまで何をどうしたって噛み合わなかった出久の思考が、ようやく噛み合った。
混乱と動揺で、青いを通り越して白いとすら言えるほどに淀んでいた顔も、曇り切っていた目も、色を取り戻してまっすぐにお茶子の顔へと注がれた。
必死に取り繕うような、困ったような、お茶子の儚い笑みへ。
「違うんだ! 麗日さんは何にも悪くない!」
――だって、そんな顔は見たくないから。
そう思えばこそ、出久の頭はそのパフォーマンスを最大限に発揮する。
自分ではない誰かのために。緑谷出久という男は、やはりどこまで行ってもヒーローであった。
「ごめん麗日さん! 僕が不甲斐ないばっかりに……せっかくこ、ここっ、告白っ、して、くれたのに……! ろくなこと何一つ言えなくて……!」
怒涛の勢いで言葉があふれていく。今までの停滞がまるで嘘のようだった。
「それで……その、その上で、ごめん……! 本当にごめん……!」
その勢いに任せる形で、出久は頭を下げた。誰が見ても文句ひとつ言えない、完璧なお辞儀だった。
この様子に、お茶子は顔を曇らせる。顔が直視されない状況だということもあって、それを隠すことはできそうになかった。
「僕は……僕、まだわからない……! なんて言えばいいのか、どう言えばいいのか……何より、麗日さんのことをどう思ってるのか……」
けれど続けられた言葉を聞いて、お茶子の顔に光が灯る。色が戻ってくる。
「僕の中で、全然整理ができてなくって……麗日さんの気持ちをきちんと受け止めることすらできてなくて……! でも……っ、でも、絶対、絶対になんとかして、受け止めるっ、きちんと考える……から……っ」
だから。
そう繋げて、出久は顔を上げる。そこにあったのは、覚悟を決めた一人の男の顔だった。
「少しだけ……僕に時間をください……! そうしたら、絶対納得してもらえる答えを見つけてみせるから……!」
これを受けて、お茶子はうんと大きく頷いた。そこにあったのは、慈愛に満ちた一人の女の顔だった。
「わかった……私、待ってる。ずっと待ってる、ね」
――だから、やくそく。
そう、言葉を交わして。
けれど二人はそのまましばらく、互いの顔に見惚れていた。
やがてどちらからともなく赤面し、動揺し、大わらわとなる。結局、朝のランニングはできずじまいだった。早起きの生徒が、そろそろ起きてくる時間帯だ。
……その日の授業では、二人がともに大変集中を欠く始末であったことは言うまでもない。おかげで二人とも、何かと厳しい相澤からは大目玉を喰らうことになった。
これを受けてお茶子は改めて出久に謝罪したが、こういうことで出久が素直に謝罪を受け取るはずがない。結局二人は休み時間を一つ、謝罪合戦で浪費する羽目になった。
そんな二人の様子を遠巻きに眺めながら、A組の一部を除いた面々はどうやら何やら進展があったようだぞ、とにんまり笑っていたのだった。
満を持してのデク茶回でした。
なかなか進まないもどかしさと、青い春の甘酸っぱさが書け・・・てたらいいなぁ。
にしても自分で書いといてなんですが、爛れた性愛が中心になりつつあるバカップル二人に対して、原作主人公と原作ヒロインの健全さの落差やばいですね。
バカップルどもにもこんな初々しい時期があ・・・ったかな・・・。わりと早い時期から爛れてたような。
まあどっちも書いてて楽しいのは事実なのでね。これからも並行して書いていきたいですね。
いつかはダブルデート回も書きたいものです。