体育祭の翌日。マスター・イレイザーヘッドが言っていた通り、今日明日は休校である。
普段は休日であっても何かしら鍛錬をするのだが、昨日はかなり力を使ったので、さすがに今日は純粋な休養日とした。
なので朝からアナキンに勧められた作品にヒミコと一緒に目を通したり、趣味に没頭したり……というようなことをしていた。
途中、両親から電話がかかってきて色々と話し込んだりなどもしたが……おおむね穏やかな一日であったと思う。
そんな空気が一変したのは、ヒミコの端末に電話がかかってきたときだ。画面に表示された「お父さん」の文字に、彼女は硬直して竦んだ。
鳴り続けるコール音にヒミコは端末へ手を伸ばすが、何度も躊躇して戻すということを繰り返す。
気持ちはなんとなく読める。つまり彼女は、両親と会話したくないのだ。体育祭を見た両親から、きっと心ないことを言われるから。それが最初からわかっているから。
……両親と馬が合わないというのは、この際仕方あるまい。以前トドロキの件で少し触れたように、人は生まれてくる場所を選べないのだから。
家族の縁を切り、無関係な他人となったほうがお互いのためになる親子というものは、間違いなく存在する。そういう場合は、縁を切ることもやむなしと私は思う。
だが、未成年にそれは難しい。この国の法律では親には子供の保護義務があり、その義務を負うものの親権はかなり強く設定されている。そしてそこに立脚する家族のありよう、付き合い方には、政府であっても簡単に口を挟めるものではない。
だから、私がヒミコの家族のことに踏み込むことは、難しい。色々な意味で。
けれど……。
「……コトちゃん……」
「大丈夫だ。私が一緒にいる」
それでも、私は彼女を否定しないと決めたのだ。私だけは、何があっても彼女を受け止めるのだと。
だから私は彼女の隣で手を握ると、空いたほうの手で彼女の身体を軽く抱き寄せる。
彼女の身体は、緊張で強張っていた。無理もない。
けれど、私の言葉に、少しずつヒミコの身体から力が抜けていった。
ちらと目を向ければ、彼女と目が合う。瞳の中に映る私の顔がゆるりと微笑み、力強く頷いたように見えた。
「……うん」
応じてヒミコはぎこちなく笑うと、深呼吸を一つ。そして恐る恐る端末に手を伸ばす。かすかに震える指で、端末の画面に触れた。
『被身子! どうしてすぐ出ないんだ!』
途端、男の声が放たれる。ヒミコの父君のものだ。何度かお会いしたことがあるから、間違いない。
「――ごめんね。ちょっと、見てるアニメがいいとこだったから。あと、昨日はクラスのみんなと打ち上げパーティしてて。後片付けとかもあったし、忙しかったの」
嘘ではない。実際、私たちはアニメーションを鑑賞していて、佳境を過ぎたところである。今は一時停止状態だ。
後半も同様に。理由は彼女が言ったとおりである。
『……まあいい。体育祭見ていたぞ。トーナメントまで勝ち残るなんて、すごいじゃないか。最後は、まあ、相手が悪かったんだろう、うん』
「……ありがとう」
『だが、あの顔はなんだ? あれはやめろと言っただろう!』
始まりは穏やかに。
しかし続けられた言葉は、確かに娘に対する一種の拒絶であった。途端にヒミコの顔が曇る。
『お前がヒーローになると言ってきたときは安心したのに……本気で努力していたから、もう大丈夫だと思ったのに。だから雄英にだって行かせたし、下宿だって許したんだぞ。それを、あんな……全国放送の場で、あんな不気味な顔を見せるなんてどうかしているぞ! それでヒーローができると思っているのか!?』
拒絶の言葉はなおも続く。あまりにも主観的で、娘の心を慮らない言葉に、私のほうが怒りを覚えてしまいそうになる。
だが私がそう感じたと同時に、ヒミコは震える己の身体を無理やり抑え込むと、暗黒面の力を纏いながら顔を引き締めた。
『どうしてお前は普通になれないんだ? どうして――』
「――うるさいなぁ」
『なに?』
「うるさいって、言ったの」
『何を』
「私がどういう顔しようが、どう笑おうが、そんなのお父さんに関係ないでしょ」
『おま……ッ、お前というやつは! 俺はお前のためを思って言ってるんだぞ、それを関係ないだと!? この親不孝者め!』
「嘘。お父さんはただ、私のことで周りから何か言われたくないだけ。周りの目が気になって仕方ないだけ! それを私のためって、お父さんの勝手を私のせいにしないで!」
『バカなことを! 大体、あんな顔のヒーローが売れるわけないだろう! まるで異常者だ! あんな――』
「――異常じゃないもん」
ばっさりと、斬り捨てるように。
ヒミコは断言した。
端末の向こうで、父君が息を呑んだ音がする。
「みんな、かわいいって言ってくれたのです。この顔が、自然だって。一番だって。かわいいって!」
『そ……そんなもの、お世辞だ! 嘘に決まっている! 普通は……』
「ねえお父さん……普通って、何?」
『は……』
「私、普通に生きてるよ。この顔も、趣味も、みんな、みんな私の普通。他の人があんまりしないことが好きなだけ。だから、私は普通に生きるのです。今までも、これからも――」
ヒミコが私を抱きしめた。抱き寄せていたはずの私の身体は、彼女の腕の中にすっぽり収められる。
そうして彼女は、上向きに視線を合わせた私の額に、口づけを落とした。
「――私は恋して生きて、普通に死ぬの。それで、もっと好きになる。だから」
そんな彼女に、私も応じる。私の顔近くに回されている彼女の手の甲に、口づける。
ヒミコが、にまりと笑った。いつも通りの、彼女の笑み。
私はこれを――とても、かわいらしいと思う。
「だから、お父さん。お母さんも。二人の『普通』を、私に押し付けないで。……大丈夫、ちゃんとヒーローにはなるので」
そしてヒミコはそう締めくくると、言葉を待つことなく端末画面の終話に触れた。
音が途切れる。
「……コトちゃん」
「お疲れ様。がんばったな」
「……うん。言ってやったのです」
震える声で笑う彼女に、身体の向きを変えて正面から応じれば、私はきつく抱きしめられた。
そのまま私も、彼女の身体を抱きしめる。
すると、彼女の身体が私のものへと変わった。体格差がなくなり、無理なくお互いを感じられるようになる。
自分と同じ身体が、体温が、フォースが、己を包んでいる感覚。しかし、それは私ではない。
私と同じ姿、フォースの彼女がしかし私ではないことを……彼女がトガ・ヒミコであることを、私はもっと根源的なところで
そして私は、これが。彼女とこうして抱き合っている状況が、存外嫌いではない。
どうしてそういう結論に達するのか、その根拠は自分でもよくわからないが。
「コトちゃん……」
「ああ」
「……ふふ。なんでも」
「そうか」
ともかく、私たちの間に言葉はさほど必要ない。こうして触れ合っていれば、基本的に考えていることは、想いは、伝わるから。
言葉として出力することに意味が必要なときはその限りではないが、少なくとも今は、出さずとも問題ない。
そうして私たちは、しばらく無言のまま抱き合っていた。
「……ふふふ」
「どうした?」
元の姿に戻りながら、ヒミコが笑う。そのまま彼女の顔近くまで抱き上げられながら、私は問うた。
答えは、頬への口づけと共にやってきた。
「んーん……ただ……コトちゃんから、初めてキスしてくれたなって、思って」
「……それは。その、別に」
「ふふ、わかってるのです。
「…………」
言われてみれば、確かに。
私はヒミコの好意を受け止めることはあっても、自分から向けたことはなかったかもしれない。あるいはそれらしいことを表に出すことすら。
そうか。それは、いささか不義理であったかもしれないな。人間関係は、双方向のものであるだろうに。
けれど、私はこういうときのやり方を知らない。
私がヒミコに抱いている好意は友人としてであると同時に、フォース・ダイアドとしてのそれであるが……だからこそヒミコは、通常の友人とは明確に異なる。ただの友人として向けるには大きく、しかし恋人として向けるには足らないこの感情を、どのように向ければいいのかわからないのだ。
シンプルな友人、恋人、家族以外の好意を概念レベルで解していないのだから、当たり前と言えば当たり前なのかもしれないが。
ともかく、私は自分から彼女に向けて何かしたいと思っても、どうにもできないのである。交渉とはまた異なる答えのない問いは、人の機微に疎い私にはまったく難問なのだった。
先ほどのことは……よくわからない。自分でも。
ただあのときは、ああすることが一番正しいと思ったのだ。ジェダイとしては正しくないかもしれないが、ヒミコと向き合う上では正しいことなのだと。
「……すまないヒミコ。別に君が嫌いなわけではないんだ。けれど、どうすればいいかわからないんだよ」
「こういうときジェダイはダメダメなのです」
「返す言葉もない」
くすくすと笑うヒミコに、私は苦笑するしかない。
そんな彼女の肩に顎を乗せて、けれど、と言う。
「わからないままで終わろうとは思わない。なあヒミコ、この国には『失敗は成功のもと』という言葉があるだろう。何事も挑戦だ。試してみても構わないかい?」
「もちろんなのです。コトちゃんにだったら、何されても大丈夫ですよぉ」
思考もなく闇雲に繰り返したところで意味はないが、さりとて失敗を恐れて何も行動しないなど愚の骨頂だ。
己の身の振り方に問題があると思ったのなら、省みたのなら、あとは実際に動くべきだろう。
だから、
「いつも君のことを想っているよ。それだけは断言できる。間違いなく」
今思いつく、できる限りの誠意を口にしたのであるが。
「ふぇう」
ヒミコにはどうやら違う形で刺さったらしい。彼女は顔を赤くして、すっかり固まってしまった。
どうやら間違ったようだ。ヒミコの反応から言って察するに、これは恋人に向ける類のものなのだろう。
ううむ、感情の提示とは実に難しい。一体どうすれば正解なのだ? いや、そもそもこの手のことに正解など存在しないのか……。
待て待て、もしかしなくともこれは考えすぎなのでは? ジェダイとしては、少々踏み込みすぎているのでは……。
真っ赤なままのヒミコを見てうなりながら、私はそのようなことを思うのであった。
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EPISODE Ⅲ「ジェダイの産声」――――完
EPISODE Ⅳ へ続く
友達に背中を押されて自分を隠さずテレビに映ったトガちゃんがした選択と、想いを受け止めるだけでろくに返してこなかった理波の選択。
その結果が対象(方や実の両親、方や前世の育ての親)こそ違えど反抗期でした、というお話。
トガちゃんに関しては劇中で理波も言っていますが、嗜好がズレているだけで考え方のの根本は「普通のどこにでもいる思春期の女の子」なんだと思っています。
で、原作にある彼女のセリフ、「もっと好きになる」の対象は、社会、あるいは世界そのものだろうとボクは考えてます。
きっと自分の「普通」をずっと否定されてきた彼女にとって、世界は好きなものではなく。けれど自分らしく「普通」に生きることで、ようやくこの世界を好きになることができたから。
だからこのまま普通に生き続けて、そうすればもっともっと世界が好きになれる。そしてそれは、原作ではヴィランとして死柄木やトゥワイスたちと生きることなのかなと。
ではそんなトガちゃんの両親が、たとえばもう少し、少しだけでも普通でないことに寛容だったらどうなっていたかな、などと思う日々です。
・・・と、言ったところでEP3はおしまい。
今までのEPと同じく、幕間を挟んでEP4へ続くのでもう一日だけお付き合いくださいませ。